ひまわりさん&光のお母さんとの対話  ~第7弾 映画「いまを生きる」から考えたこと、気づいたこと~

2017年04月05日 15:20

ひまわりさん&光のお母さんとの対話 
~第7弾 映画「いまを生きる」から考えたこと、気づいたこと~


ひまわり:光のお母様、こんにちは。
私が好きな映画『いまを生きる』をご覧になったと伺いましたので、私も久しぶりに観てみました。何度も観た映画ですが、今も昔も涙する場面は変わりません。キーティング先生はまるで光のお母様のようで、既成概念を次々と覆してくれる存在です。教科書の一部を下らないから破り捨ててしまえというシーンは何度観ても気分爽快になります。
映画の中の話とはいえ、自由であるよう、自分の頭で考えて行動するように指導する教師と思春期に出会えるなんて、とても幸運なことだとうらやましく思います。



いまを生きる


<映画のタイトル>
ひまわり:邦題は『いまを生きる』ですが、原題は“Dead Poets Society”(死せる詩人の会)で、『いまを生きる』はおそらくキーティング先生の授業に出て来たラテン語のCarpe diemを訳したものだと思いますが、Carpe diemはどちらかというと『いまをつかめ』という方が近いのだと思います。『いまを生きる』というタイトルのほうが映画としては売りやすかったのかもしれません。
しかし、今回映画を観直したら、映画全編を通してキーティング先生に『自分を生きろ』と言われたように思いました。

葉っぱのライン

<胸に響く言葉や心に残る場面>
ひまわり:『死せる詩人の会』の冒頭部はソローの『森の生活』にある文章の朗読から始まりますが、『私は生きることの真髄を心ゆくまで味わいたい』という言葉のポジティブな力に感銘を受けました。
様々な詩やハッとするような台詞がたくさん出てくる映画だと思いますが光のお母様の胸に響いた言葉がありましたら教えて頂けませんでしょうか。

光のお母さん:そうですね。やはり『バラは摘める時に摘め』というキーティング先生が最初の授業で語った言葉でしょうね。
『時間は飛ぶように去る。今日君に微笑んだ同じ花が明日は朽ち果てる』
だから、「青春を謳歌せよ、今を楽しめ、今を生きなさい!」と彼は生徒に伝えたのですね。『Carpe diem』はそこから来ていますね。すてきなメッセージだと思います。

もうひとつ心に残っている言葉があります。少し長いのですが、キーティング先生が「秘密を教えよう」と『詩』について語る場面がありますね。
彼はこう言いました。『詩を読み、書くのはカッコいいからではない。人間だからこそ、僕らは詩を読んだり、書いたりするわけだ。そして、人間というやつは情熱にあふれているものだ。医学や法律や経営、工学を学ぶことも確かに大切だ。必要なことだ。しかし、詩や美しさ、ロマンス、愛(恋)こそはわれわれの生きる理由ではないのか』と。

わたしの青春時代というのは、まさにこれでした。詩を書き、詩集を作り、そしてつぎつぎと相手が現れては恋をし、とにかく勉強よりも恋愛に明け暮れていましたね。おとなになってもずっとその連続でしたよ。(笑)
ですから、この『詩や美しさ、ロマンス、愛(恋)こそはわれわれの生きる理由ではないのか』というところは同感です。そこには悲しみや喜びがつきまといますが、若い頃に思いっきり愛や恋の何たるかを知ることは、とても大切です。


ひまわり:私の学生の頃は、主に片思い専門でした…実らない恋が多かったですが、勇気を出してぶつかって玉砕していました(苦笑)失恋でティッシュの箱を空にするほど泣いたりもしましたが、しっかりと悲しみに浸ったので失恋のなんたるかを味わえたと思います。
映画の中でもクリスに恋をしたノックスが詩人になっていくのが微笑ましかったです。

光のお母さん:『詩』について、キーティング先生は続けますね。
『ホイットマンは言った。人生は幾度となく繰り返される問いかけの連続だ。信仰心薄き者の終わりなき列や愚か者に満ちた町々の、そんなものの中に人生があるのだろうか。答えよ、君がここに存在し、命と個性がここに存在することで、力強い人生が成り立ち、君は詩が書けるのだ』
とても含蓄のある内容であると思いますが、ひまわりさんはどう感じますか?
また、ひまわりさんの好きな、印象に残っている場面はどこですか?


ひまわり:ホイットマンに、生きることは詩を書くことだと、自分の人生を生きて、自分の詩を書きなさいと言われているように思いました。
心に残る場面は多々ありますが、キーティング先生がいつも自信なさそうにしているトッドをひっぱりだして、彼の中の詩人を引き出すところや生徒を教壇の机の上に立たせ、視点を変えて物を観るよう促すところがとても好きです。キーティング先生は英語の先生ですが、教科としての英語の枠から大きくはみ出した真の教育者だと思います。光のお母様はどの場面がお好きですか?

光のお母さん:最後ですね。キーティング先生が学校を去っていくとき、生徒たちが机の上に立って見送る場面です。トッドをはじめとして、キーティング先生を敬愛していた生徒たちは、校長の制止も聞かずに※机の上に立って先生を見送りますね。そこには、彼らが自分たちの身勝手によってキーティング先生を悪者にしてしまったことや、自分たちの勇気のなさに対するお詫びの気持ちが含まれていたと思うし、そのとき彼らにとって唯一できる校長に対する抵抗の証しでもあったのだと思います。

※映画の中で、キーティング先生は授業中に突然机の上に立って宣言する。「私はこの机の上に立ち、思い出す。常に物事は別の視点で見なければならないことを! ほら、ここからは世界が全く違って見える」と教える場面がある。

ひまわり:私も最後の場面は何度観ても号泣してしまいます。あの引っ込み思案のトッドが殻を破って自己表現をしたことにも感動しました。


自殺


自殺について>

ひまわり:今回映画を観直して、自分の視点が変わったことに気づきました。これまでは、学生たちの視点でばかり映画を観ており、大人になっても『大人は判ってくれない』と思っていましたが、今回はニールの自殺が及ぼした影響の大きさ、遺された人にとって自殺はエゴに満ちた暴力であると思うようになりました。

光のお母さん:なぜそう思うようになったのですか? 

ひまわり:学校生活においては明るく楽しく中心的な存在であるニールは、父親には逆らえない『良い子ちゃん』を演じており、鬱屈した思いを溜め込んでいるシャドーの濃さを感じました。確かにニールの父親はかなり高圧的で押し付けがましくて、その父親に自分の意見を伝えることは大変なことであったろうとは思いますが、自殺するくらいなら自分の思いのたけをぶつけても良かったのではないかと思いました。

光のお母さん:自分の思いのたけをぶつけられないからこそ、自殺したのではないのですか? あなたはニールの思いや行動にまったく共感できないようですね。
では、ひまわりさんは、言っても無駄な相手に自分の思いのたけをぶつけたいと思いますか? あるいは、実際にぶつけますか?

ひまわり:言っても無駄だと思うと、なかなか言えなくなってしまいます…。

光のお母さん:「何か言うことはないのか?」と※父親が息子に何度も尋ねていましたが、彼は最後まで父親に口答えはしない道を選びましたね。
あそこで思う存分自己主張をしたかったのでしょうが、彼はしかけてやめました。無駄だと思ったからではないでしょうか。
しかし、そのあとで自殺することは、父親に口答えするよりも、もっと大きな打撃を与えました。彼にとってはそれが最大の抵抗だったのです。

※ニールの父親は、自分の思い通りに息子を扱う厳格で典型的な頑固親父。ニールを医学の道に行かせようとしていて、ニールが芝居で主役を演じたことが発覚した際、強引に家に連れて帰り、陸軍士官学校に転校させようとする。ニールの役者になりたいという願望や主張や意思を否定する。

ひまわり:ニールはキーティング先生のことを尊敬していたのだと思うのですが、キーティング先生の教えがどのようにニールの自殺に関連したのかが私には分かりませんでした。光のお母様はどのように思われましたか?

光のお母さん:キーティング先生が若い時につくったクラブ『死せる詩人の会』の書の冒頭に、『私は静かに生きるため森に入った 人生の真髄を吸収するため 命ならざるものは拒んだ 死ぬときに悔いのないように生きるため…』と書かれていましたね。
『命ならざるものは拒んだ』とありますが、この『命ならざるもの』というのは、何を意味していると思いますか?

ひまわり: 『命ならざるもの』は、エゴでしょうか。真髄ではないもの、本質から離れたもの、魂が欲していないものかと思います。

光のお母さん:そうですね、では、ニールの「魂が欲していないもの」とは何ですか? 父親の望み通りに陸軍士官学校に転校し、医者になることですね。それは自分の夢とは全く異なり、その通りにすることは、死に値することだったわけです。独断で父親に退学させられたニールは、もうキーティング先生のいる学校には行けなくなってしまったし、明日からは絶望的な毎日が待っているのです。

命ならざるものは拒んだ 死ぬときに悔いのないように生きるため…
バラは摘める時に摘め』『今を生きろ!』とキーティング先生は教えました。ニールは自分の内なる声に忠実に従いたかったのです。

自殺という行為は、ニールにとって、それが彼にできる唯一の自己表現であったのです。今自分の心に悔いのないようにするには、死ぬしか選択肢がなかったということです。若さゆえの行為ですが、彼の気持ちはよくわかりますよ。実に詩的であると思いました。
ひまわりさんは「キーティング先生の教えがどのようにニールの自殺に関連したのかが私には分かりませんでした。」と言われましたが、まだお解りになりませんか?

ひまわり:ご説明いただき、ようやく腑に落ちました。ありがとうございます。
ニールの机の引き出しからその本を取り出し、まさにその冒頭部分を読んで泣いているキーティング先生の無念さを感じ、やるせない気持ちになります。ニールの気持ちも理解できるのですが、それでも生きていてほしかったです。

光のお母さん:それはどういう意味で、でしょうか? 
ニールはもはや自分の心が満たされず、100パーセント喜びの中にいられないことを知ったのです。それでも生きてほしいというのは、酷だと思いませんか?
未来に絶望し、怖れに満ちている状態、そこに自分への愛が持てない状態では、生きることは不可能なのではないでしょうか? 

先程ひまわりさんは「今回はニールの自殺が及ぼした影響の大きさ、遺された人にとって自殺はエゴに満ちた暴力であると思うようになりました」と言われましたね。そして、ニールには「それでも生きてほしかった」と。
ニールの側からすれば、ひまわりさんの思いは父親同然であり、それこそ「エゴに満ちた暴力」なのではないでしょうか?
なぜキーティング先生が泣いていたのか、その真の意味がわかりますか?

ひまわり: ずっとキーティング先生は、ニールの死の無念さを感じて泣いていたのかと思っていましたが、ニールが魂の求めていることに気づき、『命ならざるものは拒んだ』ことで自殺をしたということに気づいて泣いたのでしょうか。『死せる詩人の会』の冒頭の言葉の真意をニールが理解していたことで、死を超えて通じ合ったからこそ泣いたのでしょうか。

光のお母さん:『命ならざるものは拒んだ 死ぬときに悔いのないように生きるため…』を読んで涙を流していたキーティング先生の気持ちは、容易に言葉では言い表せないと思いますが、キーティング先生が泣いた真意を、ひまわりさんに少しはわかっていただけたようで、よかったかなと思います。

ひまわり:短絡的に自殺は良くないことだと思う気持ちが強くあり、だから生きてほしいとつい余計なお節介で思ってしまいました…

光のお母さん:それでも生きていてほしいというのは、あなたの気持ちがかなり優先しているように感じます。
ひまわりさんは過去生でもいろいろなネガティブな体験をしてこられたと思いますが、ニールの気持ちを真に理解できたなら「それもあり」と思えるのでは?と思いますよ。
彼が選んだ道は彼が責任を取るのです。「自殺はよくない」という思いの制限があると拒否反応を示してしまいがちですが、「自殺して死んでも意識は残る」「意識は続いて行くのだ」ということを知るうえでは、必要なのかもしれません。
人にはいろんな魂の年代があり、考え方や生き方は異なります。自殺したニールは今回の人生ゲームから降りただけです。ひまわりさんは、「それも良し」とすることはできませんか?

ひまわり:私の過去生には自殺を良しとしないキリスト教徒が多数おりましたので、自殺についてひっかかりが強いのだろうと思います。ニールの自殺を受けて、その気持ちが出て来てしまい、自分の考えを押し付けてしまいそうになったのではないかと思います。
しかし今は、自殺をするというのも学びの一つだと思えます。自殺を良しとしないキリスト教徒が多かった一方で、つい先日、自殺をした複数の過去生を解放することができました。自殺では彼らの問題は解決しませんでしたし、むしろ他者に恨まれる結果となったケースもありました。私の過去生の自殺の理由とニールの自殺の理由は異なりますが、自殺を通じて学びがあったと思っております。
改めてニールの視点に立ってみると、私もニールと同じ選択をしたかもしれないと思いました。反対に、行動する勇気が持てずに安易な方向に流れ、親の言いなりになって主体性のない人生を送ることになり、自分のことを棚に上げて親を恨んでしまったかもしれません。キーティング先生が提案したように、卒業してから演技の道に進むという選択もありました。どのような選択をするにしても、それは本人の選択であって本人の責任ですね。どのような選択であっても「それもあり」で「それも良し」とできます。
自分のことを棚に上げて、他者のことをどうにかしたいと思うお節介と押し付けがましさを反省しました…。

光のお母さん:そうですか。あなたの悪癖がまた顔を出しましたが、気づいていただけてよかったです。

ひまわり:映画を観直したことをきっかけとして、自殺に関して色々と考えていたら自殺をした過去生が出て来たのもとても興味深く、やはりひっかかりを感じることには何らかの過去生の影響がある可能性が高いと思います。

光のお母さん:その通りです。ひまわりさんは「自殺」したニールに対して、とても否定的でしたが、なぜかしらひっかかって、ものすごく拒否反応を示してしまったり、執拗にこだわったりするところなどは、過去生のあなたの生きざまに何か問題があったのでは? ということを示してくれているのです。今のあなたが過去生とは逆のことを思ったり、したりするのは、反対のことをして補おうとしているわけですね。そこに気づくことが必要です。


葉っぱのライン

<教育について>
ひまわり:映画の舞台となったウェルトン・アカデミーは全寮制の学校です。私は大学を卒業し、社会人になってもしばらくは親元におりましたが、映画のように中学校から親元から離れて全寮制の学校に入った友人に「親から離れることが大変辛かった、ずっと親元にいた君にその気持ちがわかる?」と言われたことがありました。個人差はあるのでしょうが、自立心のかなり強い子どもでないと全寮制の学校に子どもをいれるのは、子どもの愛着問題を深めてしまうのではないかという気がしておりますが光のお母様はどう思われますか?

光のお母さん:子どもによると思います。親元から離れたくないという子どもを無理やり引き離すのはあまり良い結果を生まないでしょう。しかし、親から離れたがっている子どもや早く自立したがっている子どもには良い結果を生む可能性が高いでしょう。要はその子のニーズです。親は子のニーズを受け容れ、出来る限り子が望むことを叶えてあげることがベストです。もちろんその子の性質や全体像をきちん把握し理解した上でのことですが。

赤ちゃんのときから幼少時のときに、いかに母親に受容され愛されたかが重要なので、その時期にきちんと愛着ができていれば、大きくなってからは自然に離れていくものです。中高生であれば、親から自立したいと思うのは、正常だと考えますし、いつまでも親にしがみつこうとすること自体が異常なのですよ。

近頃の母親は子育てを放棄したり、すぐに保育園に入れたり、別の人(自分の親)に世話を頼んだり、母親として子どもの教育を怠る無責任な女性が多いですね。そんな女性はその人自身に愛着問題があるのです。「愛し方がわからない人たち」のことを以前の記事に書きましたが、たいてい先祖代々の問題であったりすることが多いです。

嘗て『愛を乞う人』という映画がありましたが、愛着障害の最たるものですね。こういう人は安易に母親になってはいけません。子どもがあまりにも悲惨で可哀想だからです。自分が母親となって、子どもに無条件の愛を与えることができるかどうかを、まずは自問自答することです。

ひまわり:無条件の愛を与え、子どものニーズにあわせた教育をするというのはなかなか大変なことだと思いました。
私が今生では独身で子を持たずにいるのは、自分が親になる準備が足りていないと気づいているからかもしれません。現世の私に愛着問題があるのは、現世の両親の私に対する教育に問題があったからだと思っていました。この条件を選んで来たのは自分なのに、外側のせいにしてしまいたいと思っていたのだと思います。しかし、過去生回帰をしていただいたら、過去生でかなりひどい母親だったことがでてきましたし、そもそも最初に愛着問題を引き起こした問題のある過去生はまだ出て来てはおりません。いずれにしても、過去から連綿と続いている「私」に問題があることが痛いほど良くわかりましたので、現世でも過去生でも愛着問題をクリアして、負の連鎖を止めたいと思っております。

葉っぱのライン

<良い子の弊害>
光のお母さん:ニールの場合は、親の言うことを聞き、口答えをしない、いわゆる「良い子」でしたね。彼はなぜそのような「良い子」になっていたのでしょうか?
「良い子」がもたらす弊害について、ひまわりさんはどう思いますか?

ひまわり:ニールの父親はかなり高圧的な存在だったので、おそらく怖くて反抗しにくかったということ、親に愛されるために親の期待に応える必要があるとニールが思っていたことなどが「良い子」になっていった原因かと思います。
「こうあるべき」という理想と本当の自分である現実が乖離していくとシャドーが溜まっていくのだと思います。親は「良い子」である子どもが本来の姿であると思い、子は親のせい(と子どもは思っているのではないでしょうか)で「良い子」を演じるようになっていき、本当の子どもはどこにもいなくなってしまうのではないかと思います。「良い子」は親にも、本人にも真の幸せをもたらさないのだと思いますが、私の思い違いがあればご指摘いただけるとありがたいです。

光のお母さん:親に対して、子どもが「いい子ちゃん」を演じるのは、親に認められ、愛され、しっかりと保護してもらうためですね。親の言うことを聞き、親に気に入られることが、子が生きるための唯一の方法だからです。
光のコースの受講者さんで、「子どもの頃、親を神のように思っていた」と言った人がいましたが、親は自分の命を育んでくれる存在ですが、また自分の命を支配する畏れる存在でもあるわけです。ですから、その親に逆らうことは「死ぬこと」を意味するわけですね。「良い子」だったニールが最後に選んだ道は、神の如き父親に逆らうことでした。ここに「主導権争い」が生まれているわけですが、子の主体性を奪い続ける父親に対して、ニールは自らの命を絶つことで抵抗し、自らの願望や主張を守ったと言えるでしょう。
ニールが死んでからも、それを自分のせいではなく、キーティング先生のせいにしているような愚かな父親であったことが、実に残念ですが。


ひまわり:光のお母様、このたびも対話をさせて頂きありがとうございました。
映画を観て登場人物に感情移入すると、自分の現世・過去生の問題が浮き彫りになってくることを痛感しました。また何かおすすめの映画がありましたら是非教えてください。

光のお母さん:『グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち』も愛着問題を扱った映画ですね。先生役として、やはりロビン・ウィリアムズ氏が登場します。『今を生きる』の先生も素敵でしたが、『グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち』に出てくる心理学者もなかなかユニークで、わたしは好きです。
天才的な頭脳を持ちながら幼い頃に負ったトラウマから逃れられない一人の青年ウィルと、最愛の妻に先立たれ失意に喘ぐ心理学者との心の交流を描いたヒューマンドラマです。ぜひまた対話をしたいです。今回も、ありがとうございました。

ひまわり:お礼を申し上げるのは私です、本当にありがとうございました。
何度も繰り返し見た映画だったのに、全く汲み取れていませんでした…今回先生と対話をさせて頂いたことで、ようやく真意に触れられたと思います。本当にありがとうございました。なかなか深いところに行けなかった私を導いてくださりありがとうございました。この映画を何度も繰り返して観たのは、私がキーティング先生のような師を、光のお母様を欲していたからではないかと思っています。今、幸せです。


sakura


光のお母さんからの伝言


今回取り上げた映画『いまを生きる』はとても考えさせられる映画だったと思います。今まで有名な映画であることを知りつつも、なぜか鑑賞までは及びませんでした。ちょうど4月のセミナー前で、『グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち』と同時期に観たのですが、両者とも思いのほか気に入ってしまいました。
「愛着問題」を扱うセミナーの前だっただけに、いろんな意味でタイミングが良かったと思います。

4月のセミナーで、皆さんのレポートやお話を聞いて知ったことですが、多かれ少なかれ母親がヒステリックでひどく怒られるのを避けるために「いい子ちゃん」を装っていたということ、否定的な言葉を言われ続けてきたことなどが共通しています。
両親、特に母親が「自己愛性人格障害」であったりすると、自分のことしか考えない、頭にないので、子どもに共感ができないのです。自のほうが認められたい、愛されたいばかりなのですから、子どもを認めたり、愛したりすることができないわけです。だいたいにおいて、人格障害のある人には「共感能力」が欠如している場合が多いです。
対話の中で触れました『愛を乞う人』などはその際たるものですね。
愛着問題を抱えている人はあまりにも多いので、すでに観た人も、まだ観ていない人も、この機会に『愛を乞う人』や『いまを生きる』や『グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち』を鑑賞してみてください。きっと、他人ごとではないことに気づかれることでしょう。

わたしはどれも一度ずつしか観ていないので、また記憶が薄れた頃に再度鑑賞してみたいと思っています。セミナーに参加された人は、ご感想などをお寄せくださるとうれしいです。


最後に
あなたは今を生きていますか?

悲しみや苦痛を感じるとき、「こうである必要はない」と思ってください。
不安を覚えるときも、怖れを抱くときも、臆病であるときも、
それらはエゴの気まぐれからきているということに気づいてください。

あなたがネガティブ思考で一杯のとき、
どん底から這い上がれないとき、
そこにいるのが正当だとは思わないでください。

そんなに泥沼に浸かっていたいですか?
そこが好きなら、永遠にそこにいることもできます。
でも、そんな自分に愛想が尽きているのなら、
そうである必要はない」のです。

思いの制限をひらきなさい。
さあ、泥沼から足を洗って、光のシャワーを浴びましょう。

2017年4月5日
光のお母さんより


ひまわりさん&光のお母さんとの対話  ~第6弾 悪霊などへの対処法について~

2017年03月26日 22:42


ひまわりさんと光のお母さんとの対話 
~第6弾 悪霊などへの対処法について~


ひまわり:光のお母様とのはじめての対話は悪霊の対処法でしたが、また悪霊のお話をさせていただけますでしょうか。あの対話以降も何度も悪霊にやられて、自分ではどうにもできずに光のお母様に助けて頂いたことも何度もありました。ありがとうございます。
悪霊を引きつけないようにすることが肝要だとは思っていつつも、来てしまった場合、浄化されたくない悪霊たちに対しては追い払うだけではなくて何かできることはありますでしょうか?

光のお母さん:ひまわりさんとの対話の第1弾で、悪霊を引き寄せてしまった人との電話相談の際、そこにいる悪霊たちとの共通点をお伝えして、悪霊を引き寄せる悪癖を消去してもらうと、悪霊がいなくなるということをお話しましたね。
電話相談の場合は、ご本人だけではなくて、悪霊たちもわたしの話を聞いているので、悪癖ひとつひとつに対して詳しく話をしているうちに自ら納得し、気づきを得て反省をした悪霊は去っていくのです。

「ほら、最初いた数の半分になっていますよ。あと10体になりましたよ、もういなくなりましたよ」と、随時お伝えしているのですが、ご本人よりも悪霊のほうが早く気づいて去っていく場合がけっこう多いように思います。わたしはご本人の話を聞いたり、その都度アドバイスをしたりしているだけなのですが、それが同時に悪霊を説得していることにもなっているんですね。
浄化してほしくないと言い張っていた悪霊が、浄化してほしいというふうに変わってきた場合は、彼らを改心させることができたので、説得が成功したと言ってもよいでしょう。

電話相談できないとき、自分独りのときでも、声に出して、いろいろと悪霊と話してみることが大切です。
彼らを説得するには、説得できるだけの力が必要です。まだまだ悪霊と共通点があって、引き寄せている状態では、説得には程遠いかもしれませんね。
霊というのは、肉体人間よりも人を見る目があるのです。彼らは人間のオーラを見て、判断することができます。口ばっかり達者でも、内容が伴わなければ、まちがいなく馬鹿にしますよ。この人間は愚かだからコントロールできるなと思えば、その肉体に入ったり、いつまでもその人の周囲に居続けたりします。

いくら追い払っても、説得しても全然言うことをきかない悪霊がいるときは、「ああ、自分もそんな意固地なきかん坊なんだな」と思うことです。共通点がそこにあるからです。

ひまわり:悪霊を自分独りだけで説得するというのはまだまだハードルが高いです。しかし、ただ追い払うだけではなく、悪霊を説得できるようになれたら素晴らしいですね。自分を救いながら、ネガティブな存在に気づきのきっかけが提供できるようになりたいです。



ルシファー


悪魔と悪霊の違い



ひまわり:光のお母様とお電話でお話しさせて頂いた際、悪魔と悪霊は違うと伺いましたが、日本では混同されているように思うので、詳しくお聞かせいただけませんでしょうか?

光のお母さん:悪魔と悪霊はまったく別の領域に存在する者です。しかしながら、日本だけではなく、キリスト教圏でも思い違いはかなりされていると思いますよ。聖職者であっても、真実を知らないのです。
ひまわりさんは「悪魔」と聞いて、どんな存在を思い浮かべますか?

ひまわり:おどろおどろしい、禍々しいイメージが浮かんできます。

光のお母さん:悪魔にはちゃんとした役割があるのです。たとえば、ブッダやイエスのような人が苦行から解放され、悟りを得た後に現れることがありますね。
人を試しに来る者」「悟ったかどうかを試験しにくる者」それが悪魔です。
本当にその人が悟りに至っていれば、どんなに誘惑しても揺らがず、過ちを犯すことはないので、悪魔は合格とみなしてその人から立ち去るのです。
ということは、悪魔は聖者と同様に悟りというものを理解していなければならないということです。そうでないと、合格かどうかなどわかるはずがありませんから。   

悪魔は真に悟ったかどうかを試すのが大好きなのです。だからわざと魅力的な姿で現れて誘惑したり、考えを揺らがすようなことを言ったりして足を引っ張るのです。
自分の誘惑に、相手が打ち克てるかどうかを試すことにワクワクしているのです。ですから、悪魔は賢明な人と話をするのが大好きだし、愚か者を相手にはしません。どんな感じか、わかりますか?


ひまわり:悪魔は役割としてダークサイドにいるだけで、意識レベルは聖者と同じくらいということでしょうか?

光のお母さん:悟りにも個々に段階があるし、その度合いによって来る者は違うかもしれませんから、その質問では何とも言いようがありませんね。
悪魔は自分が賢くなければその役割を全うすることはできませんが、悪霊は自分と同じ波動、波長をもった人にしか関わることができません。但し浄化してほしい場合は、光の人にお願いをしにくることはありますが。

はっきり言っておきます。賢明な悪霊などは存在しません。皆、思い違い・カン違いが甚だしく、悟りの内容をまったく理解していないし、自分の欲(利益)しか関心がありません。 歪んだ不健康な自己愛を持っていて、「自分だけは特別」「自分が中心」「自分だけは大切に扱われたい。そうあるべきだ」といった思いが非常に強いです。そのくせ、他人の気持ちや欲求はどうでもよく、全然認識しようともしません。愚かなくせに、全く根拠のない自信をもっていて、他者からの賞賛を非常に強く求めますね。
本人は「俺って、カッコいい!」「私って、ステキ!」と思っているので、「馬鹿」と言われたら、「許せない!」とたちまち怒り出すのが悪霊の特徴です。
限りない成功、権力、才気、美しさ、あるいは理想的な愛の空想(妄想)にとらわれていたりしますね。
これは実は「自己愛性人格障害」の特徴と同様なのです。「自己愛性人格障害」の人が悪霊を数多く呼び寄せているわけがここにあるのです。

要するに「悪魔」は役割上存在するものであり、神に近い存在ですが、「悪霊」は人間が甚だしい思い違いをし、歪み切った末になる、神とは程遠い存在だということです。真の「悪魔」というのは、決しておどろおどろしい恐ろし気な悪い存在なのではないし、架空の存在でもありません。実際に太古の昔からそのグループは存在していました。生粋の悪魔がいなくなったようで、現在は機能不全となっているようです。どの領域でもおかしくなっているようで、本当に終末が来ていますね。
ひまわりさん、これでお答えになったでしょうか?


ひまわり:ご説明いただきありがとうございました。クリアになりました。
しかし「生粋の悪魔がいなくなった」ということにショックを受けています。試してくれる存在がいないということは、試されるだけの存在もいないということなのでしょうか?

光のお母さん:さあ、どうでしょうね。今の悪魔にはそれを判断できるような能力はありません。試されるだけの存在がいるかどうかを、一体誰が判断するのでしょうか?
ここで悪魔サタンと堕天使ルシファーが同一人物なのかを伝えておきたいと思います。





堕ちていくルシファー


◆サタンとルシファーは同一人格か?



光のお母さん:ウィキペディアには、「ルシファー (Lucifer) は、明けの明星を指すラテン語であり、光をもたらす者という意味をもつ悪魔・堕天使の名である。キリスト教、特に西方教会(カトリック教会やプロテスタント)において、堕天使の長であるサタンの別名であり、魔王サタンの堕落前の天使としての呼称である」と書かれています。また、「神学で定式化された観念においては、悪魔はサタンともルシファーとも呼ばれる単一の人格であった」「悪魔にルシファーの名を適用したのは教父たちであった」とも書かれています。
どうもキリスト教の伝統においては、「堕天使の長ルシファー」と「サタンという名の悪魔」とを同一視しているようですね。
ひまわりさんはそのことについて、どう思われますか? 教会側は何のためにルシファーとサタンをイコールにしたのか、あるいは、したかったのでしょうね。


ひまわり:なぜ同一視したかというと、善悪を統合させるのではなく、分離させたかったのではないでしょうか。教会は、善ではないすべてのものをひっくるめて一つの悪としたかったのではないかと思うのですが…私の理解がまだまだ浅いと感じております。
堕天使のルシファーと悪魔のサタンは別の存在ではないかと思っています。先ほどのご説明で悪魔は神に近い存在と伺いました。堕天使はその傲慢さゆえ天から堕ちたのではないかと思うので、質としては悪霊に近いのではないかと思いますが如何でしょうか?

光のお母さん:そうですね。ルシファーは悪霊の最たるものです。
ところで、ひまわりさんは「堕天使はその傲慢さゆえ天から堕ちたのではないかと思うので」と言われましたが、では悪魔は傲慢ではないということでしょうか?


ひまわり:私のかつての思い込みでは悪魔は傲慢だろうと思いましたが、今は違うのではないかと思っております。

光のお母さん:どうして違うと思うのか、その根拠を子どもでもわかるように説明してくださいませんか?

ひまわり:傲慢さがあると悟りには至れないと思っております。悪魔は悟りに達しているので、傲慢ではないと思っております。私の理解が違っておりましたらご指摘いただけるとありがたいです。

光のお母さん:悪魔の質はもともと創造主が持っている一面であるとも言えます。だから、最初から法則は知っているんです。悪魔はわざわざ修行して悟った存在ではありません。ただ宇宙の仕組みを熟知しているだけのことです。
傲慢さと悟りは関係がありません。ですから、悪魔はいくらでも傲慢になれるし、必要だと思えば、怒りを爆発させた人のところに行くし、災いを起こしたりします。悪魔は破壊者なのです。破壊がなければ創造もありませんね。陰陽で言うならば、陰の役割を担っています。
もし悪魔が、皆さんが想像しているような神様とさほど変わらない存在であるのなら、そんな同質なものは要りませんね。誰かが悟ったかどうかを見極めるなら、光側の存在が行って確認すれば十分ですからね。

悪魔は、悪がついている以上、善とはまったく正反対の質でなければ、意味がないのですよ。だから、悪魔は傲慢にだってなれるのです。ものすごく下品にもなります。相手を見て臨機応変に姿だって変えるわけです。しかしながら、真に悟った人の前では謙虚です。彼らは身の程をちゃんとわきまえているのです。身の程知らずの悪霊とは、そこが異なります。

ひまわり:ご説明くださりありがとうございます。今、ようやく悪魔のことが理解できたように思いました。陰陽のバランスを取るために必要な存在ですね。

光のお母さん:そうですね。
ルシファーは元は光側の天使だったのですから、その正反対の役割を担うサタンとは本質的に異質だということがわかりますね。

悪魔側は悪霊と一緒にされて、非常に腹立たしく思っていますよ。悪魔は悪霊が嫌いなんです。サタン系のグループが「悪魔は悪霊とは全く違う」と主張し続けている気持ちがよくわかります。このことからも、ルシファーとサタンを同一視するキリスト教会や教父たちは、何もわかっていないという浅はかさが証明されているように思います。





天使


◆テレパシーと生霊の念を受けない方法



ひまわり:悪霊等のネガティブな存在が多数来ると、見えない身体が壊れて大変な思いをするのですが、テレパシーや生霊の念もかなりきつくて、保護をしていても解かれてしまいプラーナを吸い取られてフラフラになることが何度もありましたし、見えない身体が壊れてしまうこともありました。また、念と一緒にやってきたネガティブな存在にやられたことも多々ありました。テレパシーや生霊の念への対処法を教えて頂けませんでしょうか?

光のお母さん:確かにテレパシーや生霊の念にやられて苦痛と不快感を覚えている人は多いかと思います。生霊の場合、わざと念を送っている場合と、本人はただその相手のことを思い出しているだけで無意識で念を飛ばしている場合とがあります。
まったく今は交流を絶っている人であっても、未だにその人の生霊が来て、なんと執拗なのかと迷惑に思うことがけっこうあるものです。死霊よりも生霊が一番厄介ですね。通常はこめかみのあたりでパンパンと手を叩いて、何度か力強く切れば、すぐに切れるのですが、一般の人はなかなか切ることができません。また、霊的な繋がりをいくら切っても、すぐにまた繋いで来たりするので、ほんとうに困ります。そういう場合は、最後の手段として、見えない身体に存在する受信スイッチをOFFにしてしまうことを提案しています。


ひまわり:受信スイッチというのは見えない身体のどこにあるのでしょうか? 

光のお母さん:人それぞれ受信の場所は異なります。第1チャクラ辺りにある人も、第2チャクラ、第3チャクラ辺りにある人もいます。とにかく、受信装置のスイッチを切ってしまうことです。そうすると、低次元の存在も高次元の存在のメッセージも、一切受信できなくなります。ネガティブな存在からのテレパシーは受けたくないけれど、ポジティブな存在からは受けたいと思っていると、なかなかスイッチが切れませんので、ご注意ください。単純にどちらかしか選べないようですから。
受信するかしないかは誕生前に設定しているので、変更したいなら、再度設定し直すことが必要です。

ひまわり:受信スイッチがあるならば、送信装置やスイッチもあるのでしょうか?

光のお母さん:はい。送信スイッチも人によって異なるようですが、第4チャクラ辺りにある人が多いようです。やたら念を飛ばしている人は、そこの装置が壊れているか、機能不全となっている場合が多いです。
ネガティブ霊が来ると、すぐにそこの箇所に穴があいてしまう人は、脆弱となっていてコントロールが効かなくなっているのです。これは、強化して、光の放射を常にして直すしか術はありませんが、自分ではなかなか難しいかもしれません。
光のコースを受講している人で、生霊やテレパシーでお困りの人は、ぜひ受信スイッチの場所を光のお母さんに確認してもらって、スイッチを切る試みをしてみてください。


ひまわり:光のお母様、興味深いお話をたくさんお聞かせくださりありがとうございました。このたびも対話をさせていただきありがとうございました。

光のお母さん:何かお役に立ったのであれば、嬉しく思います。


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何らかの気づきを得られた人は、ぜひクリックしてください。

ひまわりさんと光のお母さんとの対話 第5弾 ~映画『アバター』から考えたこと、気づいたこと~

2017年03月19日 19:30


ひまわりさんと光のお母さんとの対話 第5弾
映画『アバター』から考えたこと、気づいたこと
~利己と利他~


今回は映画のお話です。
ひまわりさんに二つの映画をご紹介しましたら、感想を書いてくださったので、せっかくの機会だから対話しましょうということになりました。
さまざまな内容が出されましたが、今回は上記のタイトルでまとめました。



◆『ポカホンタス』と『アバター』について


ひまわり:光のお母様と先日お電話でお話しさせて頂いた際、『ポカホンタス』と『アバター』を観ることをお勧めいただいたのでどちらも鑑賞しました。
どちらの映画も侵略者が私利私欲のために『未開人』の土地や資源を奪うということがベースとなっていると思いますが、『ポカホンタス』は音楽も映像も美しく、『アバター』は通常のテレビ画面で観てもCGの大自然が美しく、3Dはさぞやと思いました。
ポカホンタス』も『アバター』も女性がとても生き生きとしていて、躍動感に溢れていました。大変アクティブな女性たちで、一見女性的ではないように思えるのに、他者を受け容れる度量の大きさは女性性の強さを感じさせました。女性としてこうありたいという女性像だと思いました。どちらの映画にも共通するのは『未開人』の女性と『侵略者』の男性が恋に落ちて愛を知り、お互いの種族が話し合い理解しあう必要性を説くもので、やはり愛のパワーはすごいのだと思いました。

光のお母さん:ひまわりさんは『※ポカホンタス』や『※アバター』に登場した『先住民』たちに対し、『未開人』という言葉を使われていますが、それは適切ではないように感じました。本来『初原的な人』という意味なのだと思いますが、『未開社会』の意味を調べると、「現在も文明の外にある社会。文字をもたず、技術水準が低く、社会構造も単純で、伝統的規制が強いなどの特徴をもつ」と書かれています。『未開人』は『未開社会に生きている人』ということで、『野蛮な人』『文化の劣っている人』と思い込んでいる人たちがけっこういると思われます。
文明人と呼ばれる人たちに比べ、太古の昔から存在したネイティブアメリカンのような民族は、霊的に優れた人たちも多く、自然を崇拝し、自然を愛し、自然と共に生きてきました。文字を持っていなくても、智恵は持っていますね。ですから、以前からそこに住んでいた民族という意味で『先住民』と呼んだほうがベターであるかと思いますが、いかがでしょうか?

ひまわり:『未開人』について、おっしゃる通りだと思います。私もひっかかるものを感じながらもどちらの映画でも『未開人』という言葉が使われていたためそのとおりにしましたが、これからは『先住民』に変えます。不適切な表現で申し訳ありませんでした。


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ポカホンタス(Pocahontas、1595年頃 - 1617年)
ネイティブアメリカン・ポウハタン族 (Powhatan) の女性。
英名「レベッカ・ロルフ」。
本名はマトアカ (Matoaka) またはマトワ(Matowa)で、「ポカホンタス」とは、実際は彼女の戯れ好きな性格から来た「お転婆」、「甘えん坊」を意味する幼少時のあだ名だった。
ディズニー映画としてとりあげられている。


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※アバターの意味
ナヴィと人間の人造ハイブリッド種。被験者たる人間のDNAとナヴィのDNAを掛け合わせて造られた人造生命体であり、自我は持たない。パンドラ生物特有の生態交感能力を応用して、外部機械的神経介入によって動かす事の出来る一種のマリオネット。操作するに当たっては被験者との同調率が高くないと出来ない為、DNAの一致しない他人では操作出来ない。ジェイクは双子だった為に選ばれた特殊ケース。リンクが絶たれてしまった場合アバターは昏睡状態に陥り、その間まったくの無防備となってしまう。また、リンクした状態でアバターが死亡しても操縦者が死ぬことはないが、激しい痛みは受けてしまう。ナヴィ達(オマティカヤ族)には“ドリームウォーカー”と呼ばれている。ちなみにナヴィの指は四本であるが、アバターは人間のDNAが入っているためか、五本である。

アバター(映画)ウィキペディアより抜粋


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◆動物と一体となること・個体との関係



ひまわり:どちらの映画も先住民は動植物、大自然や高次の存在との調和があって観ていてとても温かい気持ちになりました。『アバター』では、ネイティリやジェイクが馬のような動物や羽の生えた竜のような動物と接するうちに絆が強くなり、一体となっている様をみて、自分ももっと自分自身の個体と調和し、しっかりとつながっていたいと強く感じました。肉体意識がネガティブな存在を引き寄せてしまうと個体は離れてしまいますが、いつもずっと一緒にいられるように、肉体意識をもっと鍛えて、個体とのギャップを埋めていきたいと思っております。ブログで読ませて頂いた通り、ギャップを埋める努力は肉体意識がする必要があると思っているのですが、個体に対してももし何かアドバイスがありましたらお聞かせいただけませんでしょうか。

光のお母さん:どのようなことを知りたいのですか?

ひまわり:個体が肉体意識を教育し、肉体意識の意識レベルを引き上げることができればよりよい関係を作れるのではないかと思うので、アドバイスがありましたら是非教えて頂きたいです。

光のお母さん:個体に対して、わたしからのアドバイスはありませんよ。
まず個体は肉体意識の教育などはしません。個体は肉体を使用して自己表現をするだけです。優秀な肉体意識なら、自分で意識レベルをあげることはできますが、個体はそんな手助けはしません。肉体は単なる乗り物なので、自分とどうしても合わなければ、去るだけです。

これまでに肉体と個体の関係を記事で繰り返しお伝えしてきておりますが、個体が一生懸命肉体を教育したケースなどは見たことがありません。皆、個体が肉体にはこれ以上入っていられないと感じて去っています。肉体が自分の思うとおりに動いてくれないのだから、ポンコツ車と同様です。もっと自分に見合った肉体を探すしか術はないし、ふさわしい肉体がなければ永遠に待機状態です。個体が肉体を見限って、自ら「究極の本体喪失」の領域に行ってしまうのも、わからないではありませんね。

余談ですが、わたしはネイティリとジェイクが翼龍/マウンテン・バンシー/イクランに乗って空を飛び回る場面が一番好きです。あの情景は、アニメの『ヒックとドラゴン』にそっくりですね。どちらも翼龍に乗って、自由自在に空を飛んでいますが、きっと最高の気分であろうと思いますね。いつ見てもあの場面を見るとワクワクしてきます。

ひまわり: 個体と肉体意識との関係についてご説明くださりありがとうございました。肉体意識の私が個体とはまだ調和のとれた関係が作れていないと思っているため、映画の中の人間と動物の関係を観て、自分の個体と肉体意識の関係がそうなると良いと思っていましたが、個体との関係はそのようなものではないのですね。
意識レベルの高い個体がもっと肉体意識を鍛えて育ててくれれば良いのにと思うのは、肉体意識の怠慢でした。個体にマッチした高性能な車となれるように努力します。

光のお母さん:あまり頑張りすぎたり、背伸びをしたりしないほうがよいです。あくまでも個体が肉体を選ぶのですから、ただ正常波動を保ち続けること、それに尽きます。それがいかに難しいことか、個体を失った人たちにはおわかりになることと思います。
肉体は個体(魂)の手足となって働く道具であり、あくまでも3次元の物質なのです。愚かなくせに高慢ちきで個体を軽んじるような肉体には絶対に入りません。そのことを胆に銘じておいてください。

ひまわり:はい、肝に銘じます。そして個体の手足となれるような肉体意識でいられるよう努力します。

光のお母さん:肉体意識に対して、最後に重要なことを、ここでお伝えしておきたいと思います。
肉体の愚かさや汚れた思念が原因で個体を失ってしまう人が非常に多いのですが、個体を失わないために必要なことは、肉体は自我を殺して個体に従うということです。
個体なき肉体は船頭のいない船と同じなので、何を目的に生きていってよいのかわからなくなるし、高尚な生き方もできないし、実際に個体が入っていたときとは比較できないほど無意味感や無価値感が強くなるはずです。
ですから、肉体は身の程を知って、低我を空しくして個体に従う/同化することが必要です。個体の本来の目的を果たすことができるように働くこと。これが、肉体が肉体として存在する所以なのです。

ひまわり:肉体意識の私は大変怠惰で、個体の希望を尊重せずにいたことが原因で愛想をつかされそうになったことが何度もありました。もうそのようなことが起きないよう、個体を主として、個体に対して献身的でありたいです。エゴの強い肉体意識には正常波動を保つこと、自我を殺すことは大変難しいことだと感じますが、個体と仲良くしていきたいので努力を続けて参ります。

光のお母さん:『霊主体従』を忘れないでください。また、タイミングを逃すと、もうそのことは消去されてしまい、いつかしようと思っていても出来なくなってしまうので、個体が望んだときに、個体の望むことを、何でもすぐに行なうことを心がけてください。



◆利己的な侵略者



ひまわり:どちらの映画にも共通することですが、私利私欲のため、勝手にやってきては土地や資源を手に入れるために大自然や先住民の命を破壊する人間に対して、大変な怒りが湧いてきました。領土を広げるため、資源を得るための争いが絶えないのは侵略者の利己主義、エゴが原因だろうと思いますし、際限のない欲望を感じるのですが、エゴは性質として満足を知らないものなのでしょうか?

光のお母さん:エゴとはそういうものです。そして、エゴに満ちた者だけが自己中心的になれるのですよ。この意味が分かりますか? 

ひまわり:はい、分かります。
自分たちの土地や資源だけで満足せず、領土や資源を目的として他国へ侵略をするその心理の根本にある問題は何でしょうか?なぜこんなにもエゴに満ちて利己的になってしまうのでしょうか?

光のお母さん:自分自身が満たされていないからですね。特に愛が欠如しているからです。愛の欠如の原因は、もうわかりますよね。誕生して愛が必要なときに、母親からの愛を受けられなかったことです。特に王や殿様など身分が高い者ほど、自分の領土を増やしたいという野望が生まれます。彼らは赤子のときから母親と引き離され、乳母に育てられたりするので十分な愛情をもらえなかった可能性が高いですね。これは、特に男の子に多くみられます。
愛情が定着しなかった子どもがどんな人間に育っていくかは、これまでの「愛着問題」の記事を読んでおられるなら、すでにご承知であろうと思います。
欠如した愛の代わりに、たとえば、広大な土地や富や名誉や地位を手に入れることで満たされようとするわけです。でも、それは自己欺瞞であって、そんなことでは真の満足は得られませんね。

エゴと愛は同時には存在できません。光がやってくると闇が消えるように、愛の気持ちが生まれればエゴは消え失せます。
はじめは侵略者側だったジェイクが先住民のネイティリを愛するようになったら、エゴは消えましたね。また、インディアンの土地を植民地として侵略しようとしていたイギリス人のジョン・スミスも、首長の娘ポカホンタスを愛した結果、インディアン側につきましたね。
再度言いましょう。光があるとき、そこに闇がないように、愛があるとき、自己/低我/エゴはありません。
ひまわりさん、これでお答えになりましたか?


ひまわり:ご説明いただきありがとうございます。愛着問題が根本にあるのですね。母の愛の重要性をつくづく感じます…しかし、実の母の愛でなくとも、ジェイクやジョン・スミスのように他者との愛を知れば変わることができるというのは希望があると感じました。



◆まとめ



光のお母さん:「あっち(ナヴィ族がいる世界)が本当の世界で、こっち(アバター遠隔操作用カプセルの中に横たわって目を閉じている現実)が夢に思える」とジェイクは言っていましたね。
わたしはジェイクの意識がアバター/化身/分身に入って、パンドラのナヴィ族がいる別世界を体験するという設定がとても興味深かったのですが、ひまわりさんはこの『アバター』を鑑賞されて、どのあたりに感動されましたか?
また、監督のジェームズ・キャメロンは何を一番伝えたかったのだと思いますか?

ひまわり:そもそもは脊椎を損傷し、下半身不随となった身体を治療するための費用を得るために侵略者の一人としてパンドラにやってきたジェイクでしたが、ネイティリをはじめとするナヴィの人々等とのつながりを通して、真の自己に目覚めていくことが物語の中心であったと思いました。パンドラにやってきたきっかけはお金を得るためという利己的なものであったと思いますが、アバターを通してパンドラで生活する中で、ジェイクが徐々に成長し、エゴがおちて利他的になっていくその変化と成長の過程が素晴らしかったと思います。また、映画の最後、スカイ・ピープル(地球人)とナヴィたちとの闘いのところで、ナヴィの動物たちが自発的にスカイ・ピープルに反撃しているところで『エイワが応えてくれた』とネイティリがジェイクに向かって言う場面に深く感動しました。ジェイクがエイワに助けを求める場面で、ネイティリは『母なるエイワは誰の見方もしない。自然の調和を守るだけなの』と言っていましたが、エイワがジェイクに応えたということは、ジェイクがパンドラの調和を守るために闘ったからだろうと思います。闘いではありましたが、ナヴィの人々と動物たちが調和していて、奇跡のようで涙があふれました。

監督はこの映画を通して、私たち人類の欲深さ、利己主義が大自然を破壊しているということ、それを何度も繰り返している愚かさを伝えたかったのだと思いました。そして本来の自己の発現の必要性を説いているのではないかと思います。そうすることで、利己主義から利他主義への移行を促しているということではないかと思いました。私たちにはもうそれしか道は残されていないのではないかと感じています。エゴの強い自己中心的な私は、自分からそれを始める必要をひしひしと感じております。

光のお母さん:ひまわりさんが思う「本来の自己の発現」とは何を指しているのですか?

ひまわり:ハイアーセルフ状態になることではないかと思っております。『私はあなたが見える』という台詞が何度かでてきましたが、それは相手がハイアーセルフ状態となっているということなのだろうかと思いました。

光のお母さん:そのように言えなくはないですね。しかしながら、そんな状態で常にいられる人は稀です。そこまで監督が要求していたかどうかはわかりませんが。

ひまわり:特に『アバター』は様々な観点から学べる映画だと思いましたので、またいずれ別の観点から対話の続きをさせて頂きたいと思っております。
光のお母様、素晴らしい映画をおすすめくださりありがとうございました。そしてこのたびも対話をさせていただきありがとうございました。



アバター 写真

◆光のお母さんからのメッセージ



映画『アバター』のなかで、主人公であり元海兵隊員だったジェイク・サリーがオマティカヤ族の族長の娘ネイティリに出会ったとき、「愚かで子ども、何も知らない」と非難される場面があります。人間は手に入れたいものを「欲しい、欲しい」とがむしゃらに欲しがり、わめいている子ども同様だと、ネイティリは感じているわけで、そこのところにすこぶる共感を覚えました。

発達した科学を持ち、圧倒的な軍事力を備えた地球人たちは、ナヴィを非常に軽んじていましたが、自然界の複雑な生命の仕組みなどの理解にはまるで及びません。ただ、自分たちの欲しいものに対して突き進むだけで、森の木や先住民たちの命の尊さ、犠牲を考えることもありませんでした。人間/地球人というのは欲望に翻弄され、自然を征服し、何でも人間の思い通りにできるのだと思い込んでいる生き物だということがわかりますね。

ネイティリが「エネルギーは借りているだけ、いつかは返すもの」と言っていたように、ナヴィは自然の真理をよく理解していて、生物間のエネルギーネットワークを感知し、そのネットワークの一員として生きていたのです。
しかしながら、地球で足りなくなったエネルギーを補うために惑星パンドラに来た人間/地球人は、不足すれば他から奪ってくる。そして、手に入れた資源/エネルギーは自分たちのもので、全て消費してもよいという非常に自分勝手で自己中心的な考えが根底にありました。

ディズニーのアニメ映画『ポカホンタス』にも、イギリス人たちの自己中心的な考えが多々描かれており、動物に銃を向けたジョン・スミスに対して、ポカホンタスが「心の声を聞き、風の色を知りなさい」と歌う場面があります。
この映画を巡っては、インディアン側から批判があり、激しい抗議もあったと伝えられていますが、「第1話」を見る限りでは、自然や動物を大切にしながら、同じ生命をもった仲間として生きていくことの重要性を示唆している作品だと思うし、さほどの問題は感じませんでした。

この『ポカホンタス』と同様に「美しくて平和な地球をつくろうという気持ちになってほしい」というのが『アバター』に込められたキャメロン監督の思いでもあったと思います。
『映画com』というH.P につぎのような記事が載っていましたので、監督の直の言葉をご紹介しておきます。


ネイティリ


――地球人がパンドラを侵略する様子は、まるで現実の戦争のようですね。

「人類の歴史は侵略の歴史でもある。植民地時代には欧州の列強がアメリカ大陸やアフリカ大陸を侵略し、自分たちが欲しいものを現地人から勝手に奪い取っていった。では、その侵略される側はどういう気持ちになるのかということを、この映画は描いている。被害を受ける側からね。多勢に無勢で襲われた時、どんな気持ちがするか。映画の中で無数の軍用ヘリコプターが襲ってくる場面がある。私もたまにヘリを見ると、もしあれが襲ってきらどうしようと恐ろしく思うことがある。そういうことを見る人に自問させたいんだ。いまの地球を見て、政治家たちがしていることを見て、目を開きなさいと言いたい。軍隊というのは建前としては正義のためにあって、私も別に軍隊を否定はしていない。守るための力は必要だ。でも、それが間違った使われ方をしてはいけないということを伝えたかったんだ」

http://eiga.com/movie/53184/interview/3/


まだ観ておられない方も、すでに観られた方も、再度キャメロン監督の意思を頭の片隅において、鑑賞してくださればと思います。

最後にポカホンタスが歌っていた『カラー・オブ・ザ・ウィンド』をご紹介します。YouTubeで聴いてみてください。



カラー・オブ・ザ・ウィンド (ポカホンタス)
https://www.youtube.com/watch?v=fX-XQnzhmjg



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カラー・オブ・ザ・ウィンド/ポカホンタス
作詞 Sephen Schwartz
作曲 Alan Menken

何にも知らないっていうけど
何にも見たことないっていうけれど
何もかもが分かるというの
知らないことばかりよ、そうでしょう

あなたが踏むこの大地を
よく見てごらんなさい
岩も木もみんな生きて
心も名前もあるわ

あなたが知らない世界
知ろうとしてないだけ
見知らぬ心の扉
開けて覗いてほしいの

蒼い月に吠える狼と
笑うヤマネコの歌
あなたにも歌えるかしら
風の絵の具は何色
風の絵の具は何色

森の小道かけぬけて
甘いイチゴはいかが
自然が与えてくれる
愛に身を任せるの

みんな友達いつでも
鳥もカワウソたちも
命は関わりを持つ
丸くて永遠のもの

ああ、あの木の高さ
もし切ればわからない
月としゃべる狼の声
あなたには聞こえない
山の声と歌を歌って
風の絵の具で絵を描く
そして初めて答えがわかる
風の色は何色か


ライン


あなたも心の声を聞き、風がどんな色をしているか、
感じてみてください。

2017年3月19日
光のお母さん



小鳥さんたち

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