過去生の記憶―アンケセナーメンだった次女の分霊

2010年09月09日 15:00


★ 過去生の記憶
     ―アンケセナーメンだった次女の分霊 ★



アンケセナーメンは、アメンヘテプ四世、のちにアクエンアテン(アテン神に有用な者)と改名したファラオと、その正妻ネフェルティティのあいだに生まれた王女のうちのひとり(三女)です。幼名はアンケセパーテンでした。

今回はアンケセナーメンとその家族についてのお話です。




★ アンケセナーメンの父
     アメンヘテプ四世=アクエンアテンについて ★



      アクエンアテン1 アクエンアテン


アメンヘテプ四世は、力をつけすぎて政治にまで口をだすようになったアメン・ラー神官に嫌気がさしたため、太陽神アテンの信仰に切り替え、アテン神を唯一神とする宗教改革を断行した人で知られています。
彼はアクエンアテン(イクナートン)と改名し、アメン神官を排除し、都をアケトアテン(現テル・エル・アマルナ)へ移した画期的なファラオでした。

このかなり風変りなアクエンアテンは、アメンホテプ三世の子どもです。
アメンホテプ三世はアイとタイアが老いてからもうけた男子で、高次レベルの染色体を持つ人だとドランヴァロ・メルキゼデクは「フラワー・オブ・ライフ」に記しています。
これは、わたしがペンジュラムを媒体にして得た答えと一致していることから、その可能性が高いことがわかります。

この高次レベルの染色体は、息子アクエンアテンに受け継がれます。
アメンホテプ三世と息子アクエンアテンはともに国を統治しました。
ふたりの王が同時に国を統治するのはルール違反だったようですが…。
アメンホテプ三世は死ぬまで王座に就いたまま、息子のアクエンアテンに国を託しました。
ファラオ」とは「そうなるであろうもの」という意味だそうですが、そのときアクエンアテンはエジプト初代のファラオとなったのです。

アクエンアテンは正妃ネフェルティティのほかに、ツタンカーメンの実母にあたるといわれているキヤ、アクエンアテン実の娘である長女のメリトアテン 、同じく実の娘である三女のアンケセンパーテンと結婚しています。

次女の記憶では、アクエンアテンはロリコンで、かなり頭がおかしいと思わせる人だったといいます。
アンケセナーメンは父親をとても嫌っていたのです。



アクエンアテン4      アクエンアテン2  
アクエンアテンとネフェルティティ  アクエンアテンとネフェルティティと子どもたち



★ ネフェルティティ ★



ドランブァロ・メルキゼデクはアクエンアテンの妻ネフェルティティは、アイとタイアの子どもだと述べていますが、どうやらその可能性は高いようです。

アクエンアテンからすると、アイとタイアはおじいさんとおばあさんにあたります。
その祖父母が一世代待ってもうけた女子とアクエンアテンは一緒に育ち、のちに結婚したというわけです。
ふたりは同血族であり、実際の兄妹でした。
えっ?と思われたでしょうか?

アクエンアテンとネフェルティティが生んだ娘たちははみな頭蓋骨が巨大で、腰の位置が高く、細いすねと巨大な耳を持っていました。身長も相当高かったと思われます。
アクエンアテンの家族はシリウス人の血を受け継いでいるといってもよいでしょう。
(詳細写真などは、ドランヴァロ・メルキゼデク著「フラワー・オブ・ライフ」に記載



★ アンケセナーメンツタンカーメンの関係 ★


アクエンアテンの妻のネフェルティティには六人の女児がいましたが、男児は生まれませんでした。
ツタンカーメンは、アンケセパーテンの父でもあるアクエンアテンと、第二婦人のあいだに生まれた子どもです。よってアンケセパーテンとは異母姉弟という関係になります。

(最新のDNA調査の結果、ツタンカーメンは幾度もマラリアに感染し、骨障害のある虚弱体質の男子だったことが判明しました。また、近親姦でできた子どもであったことがわかり、それが虚弱体質の一因だった可能性があるといわれています)

ツタンカーメンの幼少の頃は「ツゥト・アンク・アテン」、つまり「アテン神の似姿」と呼ばれ、アンケセパーテンの母ネフェルティティに育てられました。
ペンジュラム・センサーによりますと、彼の実母は病死、あるいは殺されて死亡したと出るので、毒で病死した可能性が大きいです。

アクエンアテンの死後、ツゥト・アンク・アテンは王位継承権を持つ十二歳のアンケセパーテンと婚姻して即位しました。わずか九歳の頃でした。
(次女の記憶では、アンケセナーメンのほうが少し年上だったというので、エジプトに詳しい次女の守護神に尋ねてみると、三歳年上だと答えていることから、彼らの年の差が三歳であったことは正しいと思われます)


      アンケセナーメンとツタンカーメン2 アンケセナーメンとツタンカーメン


アンケセパーテンにとっては、ツタンカーメンは二度目の夫です。
一度目の夫は、父のアクエンアテンでした。
古代エジプトでは、兄妹、姉弟、父娘の結婚はめずらしくはなかったようです。

日本の神話で有名な夫婦神イザナギとイザナミは兄妹だったし、中国の夫婦神である伏羲(ふっき)と女媧(じょか)も兄妹でした。
王家の血統を大切にするためには、どこの国でもそうせざるを得なかったのでしょう。

育ての親であるネフェルティティが亡くなった頃、アメン神官の力が戻って、勢力が強まっていたため、アテンアメンに変更し、彼らはそれぞれツゥト・アンク・アメン(ツタンカーメン)、アンケセンアメン(アンケセナーメン)と改名せざるを得なくなります。

アテンとアメンはたった一文字の違いです。
けれども、そのその奥に隠された意味には、大きな違いがあったのです。
ツタンカーメンはまだ幼い王であったため、実際の政務は後見人のアイと将軍ホレムヘブがおこなったようです。


★ アンケセナーメンは次女の分霊だった ★


断片的ではありましたが、次女のツタンカーメンの妻としての記憶があまりにも鮮明であるため、わたしは最初次女本人の過去生がアンケセナーメンだと思っていました。
ところが、調べていくうちに、次女本人ではなく分霊であることがわかったのです。
分霊は自分の側面でもあるわけですから、記憶を持っていたとしても不思議ではありません。

驚いたのは、次女本人がアンケセナーメンと同時代の同エジプトで生まれ、王家と関わりをもっていたということです。
これについての詳細は今後のブログでお伝えする予定です。



★ ツタンカーメンの死因 ★


☆さて、2005年の1月に古代医学のスペシャリストたちが、エジプト政府の許可を得てツタンカーメンのミイラを墓から持ち出し、CTスキャンによる徹底調査をしたことは、マスコミにも取り上げられたので、みなさんの記憶にもあることと思います。

その結果、頭骸骨の骨折は見られず、従来の撲殺説は否定されました。
そこで新たにわかったことは、左膝の骨折でした。
事故死の可能性があると診断されたのです。
古代医学のスペシャリストたちは、事故の結果起こった傷に菌が入り、合併症を起こしたのではないかと推測しました。しかも、死ぬ一日前に事故は起こったというのです。

しかし、その説には少し無理があるように思われます。
たとえ合併症を起こしたにしても、骨折だけで次の日に死亡するとは考えにくいからです。

まだ十九歳であったツタンカーメンは、いったい何が原因で死んだのでしょうか。
その真相を知っていたのは、妻のアンケセナーメンだったのです。(次回につづく)




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