自分が認識できないことは「存在しない」ことと同じ

2010年06月16日 18:00


★ 百聞は一見にしかず ★



百聞は一見にしかず」ということわざがありますね。

同じことを百回聞くよりも、一回見たら、そのほうがよく分かる」、
何度も他人から聞くよりも、一度実際に自分の目で見て確かめるほうがより優っている
という意味で、自分の目で「見る」ことは、より「信じること」につながるということを示唆しています。

大きくうなずいているあなたは、「自分の目には見えないから」という理由だけで、他人の言う話を信じなかったり、否定したりしているものがあるのではないでしょうか? 

「YES(イエス) 」と答えたあなたは、たとえば、どんなものを信じていないでしょうか?
どんなことを否定しているでしょうか?

E・Tの存在ですか? UFOですか? ゴーストの存在ですか? 
それとも、異次元の世界ですか? 死後の世界ですか? 超常現象ですか?
あるいは、「愛」とか「真理」とかいったことでしょうか?

心や精神的なものというのは、目には見えません。
「愛」といっても、どんな種類の愛なのか、どれくらいの量があるのか、言いあらわすことはできません。

ですから、「ことばだけでは信じられない」「態度であらわさなければ信じられない」という人は、花束や指輪などの物質を与えられると、初めて「愛されている」と実感できるのです。
その物質のなかに相手の「愛」や「真心」が注入されていると、勝手に思い込んでしまうからです。
実際に愛のエネルギーを強く感じる人もいるでしょう。「見えないものを信じる度合い」というのは、ほんとうに人それぞれ、千差万別です。

「死後の世界」も、★スウェデンボルグのように、実際に行って、観て、帰ってきた人が存在するのに、自分が行った記憶がないために信じられないし、「ゴースト」の存在や「超常現象」も、自分の目には見えないし、見たこともないから信じないわけですね。
昔から多くの人が「見た」と言っていても、やっぱり信じられないのです。


★エマニュエル・スウェデンボルグは1688年、スウェーデンのストックホルムに生まれた。★彼は18世紀最大の天才科学者として、20もの学問分野で多大な業績を残した。★科学、数学、心理学、哲学などに精通し、9ヶ国語を自由に操り、150冊以上もの著作を書いた。★ある日突然「目に見えない世界」に招き入れられた彼は、30年間「霊的生涯」を送り、1772年に自らが予言した月日に没した。



あじさい 青 
        (撮影 光の仕事人)


自分が認識できないことは「存在しない」ことと同じ


 
あなたは自分の目の前で起こった事実(事件)は認識できますが、あなたの全然知らないところ、たとえば外国で起こっている事実(事件)は認識できませんね。
その国の人にはその事実があったとしても、あなたはそれを見ていないのだから、あなたにとっては「その事実は存在しなかったのと同じ」だということになります。

海外の出来事ならニュースで知ることもできますが、遠い宇宙で起こっていること、たとえば銀河系で「新しい星が誕生した」などという事実は、宇宙観測のレーダーがキャッチしない限り、科学者であってもわからないわけです。

地球のだれもが知らない宇宙の出来事などは、「それが存在しないのと同じ」だということですね。
これは、「量子力学の父」と呼ばれたニールス・ボーアが言った「だれも見ていないときの月は、存在しない」ということと同様です。


テレビをつけていても、あなたがほかの「何か」や「だれかさん」のことを考えていたら、たとえあなたの目が画面を見ていたとしても、その番組が終わったとき、どんな内容だったかまったく記憶に残っていないということが生じるのです。

つまり、テレビの映像が物理的に「目に映っていること」と、「意識して見ること」とは別だからです。
あなたは自分の意識が集中している事柄以外のことには関心がなく、そのテレビ番組は結局見ていないのと同じだったということです。「心ここにあらず」という状態ですね。

★わたしたちはみな「自分が認めて知っていること以外は、存在しないことと同じ」という世界に生きているのです。




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