「目に見えない世界」を信じる人&信じない人

2010年06月15日 17:07

  
    
   無知とは、真の存在や実相を知らず、
   また、存在しないものを存在すると錯覚する誤った認識をいう。

   人は、この物質世界を、存在する唯一のものであると信じ、
   「それを越えたもの」の存在を知らない。

   そして、この物質世界が本質的には何ら実体のないものであって、
   実は、被造物の理解を越えた真の実体(不生不滅の霊)が映し出
   している単なる「観念の遊戯」であることを忘れているのである。

   そして、この無知はそれ自体が障害であるのみならず、
   人間のあらゆる障害の原因(原罪)となっているのである。  
  
       スワミ・スリ・ユクテスワ 「聖なる科学」より



       縦 薄紫の花 5月 
           (写真撮影 光の仕事人)
 

         
  あなたは「目に見えない世界」を信じない人ですか? 
        それとも、信じる人ですか?



世の中には、「自分の目には見えない」という理由だけで、不可視の世界や存在を否定する人たちがたくさんいますね。
彼らは「UFO」や「E・T」、「エンジェル」や「ゴースト」などの「霊的存在」を肯定する人たちを全く相手にしません。
ただ「超感覚的知覚力」が作動していないために察することができないだけなのですが、自分にそのような感知能力がないことを棚に上げて、「目に見えない世界」を語る人を嘲笑(ちょうしょう)し、平気で暴言を吐いたりするのです。

では、なぜ「不可視の世界」に対して理解ができなかったり、また、理解をしようとしなかったりするのでしょうか?

もちろん、その体験をしたことがないからですね。
車の運転をしたことのない人は、いくら運転の仕方の本を読んで、頭でマスターしたとしても、「運転しているときの感じ」はつかめません。
実際に何度も路上で車を走らせてみてはじめて、どんな感じがするのかを体験でき、「車を運転すること」の理解が生まれるのです。

このように何事も体験学習をしていないと、真に理解したり、共感したりすることはできません。
人の脳に記憶されるのは、実際に体感したことであり、「こわい」とか、「うれしい」とか、「ここちよい」とか、「しあわせ」とか、感情的に確認できた内容であるからです。
一度それらを味わってみたことがあるのなら、自信をもって「わたしはそれを知っている」と言うことができるわけですね。



★ 目に見えない世界を理解できない理由 ★



★「理解ができない」理由のうちのひとつとして、昔から長きにわたって国や社会という大きな集団が持ちつづけてきた「制限された思考」、「思い込み」、「狭いものの見方」などが関わっていることが挙げられます。
さまざまな組織や体制に慣れ親しんできた人たちほど、自分の制限の枠(わく)を超える新しい経験不安感や恐怖感を伴うので、必死で抵抗しようとするのです。


たとえば、あるとき、あなたの頭の中に突然「あなたはもともと異星から地球に来た異星人なのです…」というメッセージが伝えられるとします。

「何だって? そんなこと、あるはずがない!」
あなたは異星人など存在するはずもないし、自分が異星人だなんてとんでもないと思い直します。

「こんなこと、だれかにしゃべったら、頭がおかしいと思われるにちがいない!」
あなたは口を閉ざします。

なぜって、そんなことをしゃべって信じてもらえるとは、とうてい思えないからです。
あなたはそんなインスピレーションが来ること自体がおかしいと思い込み、恐怖心さえ感じるようになります。
もし、今までにどんなことでも信じてもらえる環境にいたのなら、あなたはそのメッセージを堂々とだれにでも話すことができるはずですよね。

★人間の脳は、たとえインスピレーション(高次元の思考)がやってきたとしても、自分の家族や友人などの身近な人や、学校や会社などの共同体に共通して教え込まれた「制限された思考」だけを受け入れて、そうではないものは拒否し、排除してしまう働きがあるのです。
つまり、その人が許せる範囲の波動(周波数)だけをキャッチするよう機能するわけですね。

★社会にあふれている「常識」は低い周波数のものが多いので、それに従ってモノを考えるクセがついてしまうと、日常のごくありふれた「意識レベルの低い思考」ばかりをキャッチし、高次元からやってくる「意識レベルの高い思考」を受容することができません。
このような状態を「閉ざした心」と呼んでもよいでしょう。




★「閉ざした心」をもった人たちは、
  昔から必ずどこの国にも存在した ★



自分たちが知らない新しい情報があらわれると、まず一笑に付し、反対し、権力で抑え、あるいは放置し、そのあと、非常に長い年月を経てようやく気づきを得ると、はじめて受け入れるようになるのです。
傲慢(ごうまん)といえば、これほど傲慢な人たちはいないし、鈍感(どんかん)といえば、これほど鈍感な人たちはいないでしょう。

とても長い年月、多くの人たちに信じられていた事柄に対して、だれかが初めて異説を唱えたとき、その人たちがいったいどのような扱いを受けたのか、あなたは知っているでしょうか? 
地球の歴史を顧(かえり)みれば明白ですね。

異説を唱えた人たちは「まったく信じるに値しない」と馬鹿にされただけではありません。
迫害まで受け、悲惨(ひさん)な生涯を終えた人もいます。たとえば「地動説」を唱えた人たちがそうでした。

現在「地球はまるい」ということや「地球が太陽の周りをまわっている」ということを否定する人はおそらくいないでしょう。世界的にその説が常識だということになっているからです。

しかし、コペルニクスが登場する16世紀頃までは、世界は平らなもので、地球は宇宙の中心にあり、まわりの天体(太陽など)がまわっているという「天動説」が信じられていたのです。
当時コペルニクスが「地動説」を唱えても、その説は承認されませんでした。

その後「地動説」を唱えたジョルダーノ・ブルーノは1600年「異端者」として火刑に処され、ガリレオ・ガリレイは宗教裁判にかけられ、獄中死しました。
ローマ法王ヨハネ・パウロ二世によって「教会側のまちがいだった」と非を認めたのは、それから450年後のことだったのです。

これは「科学」を認めなかった例ですが、「地球の公転」という人間の「目には見えないもの」を信じなかったことに変わりはありませんね。
イエス・キリストは「裁くものは裁かれる。汝裁くなかれ」と教えていますが、キリスト教会ではなぜか「裁く」ことが好きだったようです。

フランスを救ったことで有名なオルレアンの少女、ジャンヌ・ダルクも「裁かれた人たち」のうちのひとりでした。
当時彼女は「魔女」だとして火あぶりの刑に処せられましたが、300年後には「聖女」だったと言い直されて、今では〈聖ジャンヌ・ダルク〉となっています。
同じ女性なのに、魔女になったり、聖女になったり、だれか(権力者)さんの都合でコロコロと変わってしまいます。
もし、彼女がほんとうに聖なる少女であったのなら、魔女呼ばわりして焼き殺してしまった当時のローマ法王は、悪魔でなくて何なのでしょう。


★都合の悪い真実は公表せず、すべて闇に葬(ほうむ)ってきたのは、教会に限らず、「権力」という毒性のあるフォース(力)をもった人たちに共通していることです。


★「ストレスが、病気を引き起こす要因となる」という「ストレス説」を最初に唱えたハンス・セリエ博士も、ずいぶん当時の医学者たちから虐(しいた)げられています。

★「物質がきわめて小さい不変の粒子から成り立つ」という仮説を唱えた古代ギリシアの哲学者レウキッポスやデモクリトスも評価はされず、2000年ものあいだすっかり忘れ去られていました。

★19世紀にイギリスの化学者ドルトンが唱えた「近代的原子説」も、当時の科学者たちに受け入れられることはなく、信じられるということはありませんでした。
「ストレス」も、「粒子」も、「原子」も、目に見えないものであったからです。
けれども、現在では彼らの説こそが真実であるということが実証され、多くの賛同を得るようになっています。


★条件が変わると容易に変わってしまう「真実」は「世俗諦」だということを「プロローグ」で述べましたが、
「真実」はこのように変化していくものなのです。
 





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