困ったちゃんの心理② ~愛をむさぼる人たちの特徴~

2016年10月15日 17:15


前回の記事「困ったちゃんの心理②~天邪鬼の心理~」が反響を呼びました。
光のコースの受講者さんのうち、8名にも及ぶ人が「自分のことが書かれている」と思われたり、「少なからずその傾向がある」と思われて、メールやレポートにそのことが書かれていました。あまりにも自覚されていることに、逆に驚いたしだいです。
今回は、「パーソナリティ障害の定義」を簡単に挙げ、「愛をむさぼる人たちの特徴」についてフォーカスしたいと思います。



    ハートが一杯


◆パーソナリティ障害の定義とタイプ 



パーソナリティ障害」とは、「性格の偏りのために、自分で苦しんだり、周囲を苦しめたりするもの」とあります。(ドイツ精神病理学者クルト・シュナイダーの定義)

前回ご紹介した精神科医の岡田尊司氏は、
パーソナリティ障害かどうかのポイントは、本人、あるいは周囲が、そうした偏った考え方や行動でかなり困っているかどうかということ。(ただし、本人は案外困っていないことも少なくないため、周囲は一層困る)
その傾向が青年期、もしくは成人早期には始まっていること。
薬物や他の精神疾患の影響で生じたものでないことも診断の要件となる、
と述べておられます。

この病気の症状が現れるのは、かなり個人差があり、小学校中学年から中学校にかけて問題が出て来る「思春期発症タイプ」、十代後半で始まる「青年期発症タイプ」、二十歳以降に始まる「成人期発症タイプ」に分けられています。時期が早いほど、養育関係の問題が深刻だということです。
自己診断したい場合は、「パーソナリティ障害の全般的診断基準」などを、ネットや書籍などで、ご自身でお調べくださればと思います。

パーソナリティ障害は、大きくA群、B群、C群の3つに種類別されています。
いろんな書籍から得た情報を簡単にまとめましたので、参考のため記載しておきます。


◆A群:奇妙で風変わりなタイプ/統合失調症的な気質があるパーソナリティ障害

(独特の思考法、生活様式のために、対人関係がうまくいかなくなってしまう。風変わりな人と思われることが多い疾患)

・妄想性パーソナリティ障害:広範な不信感や猜疑心が特徴
・スキゾイド(シゾイド)パーソナリティ障害 :非社交的で他者への関心が乏しいことが特徴 とにかく1人で行動し、友人を持たず1人で暮らすことを望む
・統合失調型パーソナリティ障害:会話が風変わりで感情の幅が狭く、しばしば適切さを欠くことが特徴

◆B群:感情的で移り気なタイプ/感情が不安定なパーソナリティ障害

(ストレスに弱く、情緒が激しいため、周りの人を振り回してしまうことがある)

・反社会性パーソナリティ障害:反社会的で衝動的、向こうみずの行動が特徴
・境界性パーソナリティ障害:感情や対人関係の不安定さ、衝動行為が特徴
・演技性パーソナリティ障害:他者の注目を集める派手な外見や演技的行動が特徴
・自己愛性パーソナリティ障害:傲慢・尊大な態度を見せ自己評価に強くこだわるのが特徴


◆C群……不安や恐怖心が強いパーソナリティ障害

(周りの目や自分に対する評価が強いストレスになってしまう)

・回避性パーソナリティ障害:自己にまつわる不安や緊張が生じやすいことが特徴
・依存性パーソナリティ障害:他者への過度の依存、孤独に耐えられないことが特徴
・強迫性パーソナリティ障害:融通性がなく、一定の秩序を保つことへの固執が特徴



     母猫と子猫


◆「子どもの自分」と「おとなの自分」



あなたの心の中には「子どもの自分」と「おとなの自分」が同居していますか?

「見捨てられたくない」「もっと愛情を注いでほしい」「自分と同じ道を歩いてほしい」「すべて思い通りにしたい」「抱きしめてほしい」「ちやほやされたい」というのは、「子どもの自分」です。

「こんなことで見捨てられないということをちゃんと知っている」「我慢できる」「自分と相手(他者)は違うということを理解している」のは、「おとなの自分」です。

幼少時より「自分を愛し、大切にできる」能力がうまく育っていないと、ありのままの自分を愛することができず、ちょっとしたことで自己否定に陥り、自分自身を傷つけ、命を絶ってしまうことさえあります。

岡田氏は次のように述べられています。

パーソナリティ障害の人は、たいていどこか子供っぽい印象を与えることが多い。それは、彼らが子供時代の課題を乗り越えておらず、大人になっても、子供のような行動をとってしまうためである。人はそれぞれの段階の欲求を十分に満たし、成し遂げるべき課題を達成して、はじめて次の段階に進めるのである。パーソナリティ障害の人は、その意味で、いまだに子供時代を終えていないともいえるだろう。

この文面通り、少なくとも「パーソナリティ障害」だと判断できる人たちは、確かに子どもっぽく、理解においても、行動においても、まだ母親離れしていない赤ちゃんか幼児のような印象を強く受けます。と同時に、そのような人たちは「魂の年代」がとても若いのが特徴です。よって、今生だけではないその人の「魂の年代」や「段階」が大きく影響していることがわかるのです。

おとなになってからも、いつまでも親を求め続けたり、こだわり続けたりして、親を卒業できないのは、子ども時代に何らかの事情で適切な愛情や養育、保護を与えてもらえなかったことがあるからだということです。逆に、適切な時期に親から切り離されないと、卒業のプロセスが損なわれてしまい、やはり問題が起こってきます。どちらにしても、ほどよい時期に必要な課題を行なうことが大切であることがわかりますね。




    ハートブレイク

◆「パーソナリティ障害」の特徴



では、「パーソナリティ障害」の人の特徴を簡単に挙げてみましょう。

★自分に強いこだわりがある:素晴らしい理想的な自分であれ、みすぼらしく劣等感にまみれた自分であれ、「自分」という強迫観念から逃れられない。

★とても傷つきやすい:何でもない一言や些細な素振りでさえ、深く傷つき、急に不機嫌になったり、落ち込んだり、過剰反応する。

★根本的な安心感が欠如している:母子分離の段階でのつまずきが影響し、深い愛情飢餓と依存する相手に見捨てられまいとする気持ちが隠れている。自己確立することに強い不安と恐れがある。人を心から信じ、受け容れることができにくい。

★満たされない承認の欲求がある:自己愛性パーソナリティ障害に見られる。自己の重要性に関する誇大な感覚がある。十分な業績がないにもかかわらず、優れていると認められることを期待する。

★最高と最低の気分を往復する/二分法的認知/両極端にしか考えられない:昨日は最高でハッピーだったのに、今日は世界の終わりのようなどん底の気分になる。

★激しい自己破壊衝動を秘めている:深い自己否定感がある。薬物乱用、浪費、命知らずな行動などに見られる。

★見捨てられることに対する強い不安がある:現実に、または想像のなかで見捨てられることを避けようとし、なりふりかまわない努力をする。親密さが増して、頼るようになればなるほど、自分にとって大切な存在になればなるほど、その不安感が強まる。まだ裏切られていないのに先読みして、思い込みの過剰な反応を起こす。

★対人関係が両極端で不安定/理想化とこき下ろしの両極端を揺れ動く:最初は「この人こそ、自分が求めていた人」と理想化するが、期待外れのことが起きたり、自分の思い通りにならないことがあったりすると、急に裏切られたような気持ちになり、すべてが耐えがたいものに思えてくる。些細なことでも要求が満たされないと、罵詈雑言を浴びせ、相手をこき下ろし、全否定する言い方に豹変することがある。両価的(アンビバレント)な感情を抱きやすい。

★めまぐるしく気分が変わる:気分や感情の面でも両極端で変動しやすい。良い気分で、何事も楽観的に前向きに考えられるときと、最悪の気分で、すべてがダメと思えるときの差が激しい。(二つの極端な自分を「私」と「僕」として表現することもある)

★不適切で激しい怒り/感情のブレーキが利かない:とても傷つきやすく、傷つけられたことに対して腹を立てたり、癇癪を起したり、激しい怒りに囚われやすく、過剰反応する。親しい相手、依存している相手、甘えられる相手に対してだけ、それが起きやすいというのが特徴。

★自殺企画や自傷行為を繰り返す/自己を傷つける行為に耽溺する:自殺の行動や素振り、脅し、自傷行為を繰り返す。過食や薬物乱用、性的行動、アルコールなどと同様に嗜癖性がある。繰り返される中でその行為自体に依存する。(万引きや買い物依存症なども)
自我のコントロールが弱まった軽度の解離状態も見られることがある。

★心に絶えず空虚感を抱いている:幸せを感じ続けることが苦手。これまで積み重ねてきたことや大切にしてきたことも、些細な行き違いや不満から、すべて無意味なことに思え、もうどうでもよくなったり、生きることに無意味感を覚えたりする。
心の空虚感は、親にあまり褒めてもらえず、否定的に養育された人だけでなく、過保護に甘やかされて育った人にも多く見られる傾向がある。
(厳しさと優しさ、叱ることと、褒めることは、どちらも必要で大切だということ)

★自分が何者であるかわからない:居場所がない。自分が何をしたいのかわからない。自分がこの仕事を本当にしたいのかわからない。自分がどうしたいのかわからない。自分が何のために生きているのかわからない。といった気持ちを抱きやすい。
「自分は誰にも愛されない」「自分は愛される価値がない」というコンプレックスがある。

★一時的に記憶が飛んだり、一過性精神病状態を示す:記憶が飛んだり、脱落してしまう。気がついたら、どこか遠くに来てしまっている。人格が別人に入れ替わってしまう。
強いストレスを受けたとき、解離状態を起こしやすい。過去に強い心的外傷を被っている人に強く現れる。

★自分と他者の境界が曖昧で、十分に区別ができない:自分が好きなものは相手も気に入るに違いない、嫌いなものは相手も嫌いなはずだと思い込む。相手は自分とは別の存在で、感じ方も違うのだと頭でわかっていても、自分の視点と他者の視点を混同してしまい、本人は気づかない。自分の基準でしか、相手を見ることができない。相手の気分に巻き込まれやすい。自分が劣等感を感じていると、相手が自分のことを馬鹿にしているように感じてしまう。

★部分対象関係がある:その場その場の欲求を満たしてくれるかどうかが「よい」「悪い」の基準となる。自分の思い通りにならないとき、すべての非を「悪い」対象のせいにして、これまで満たされていたことなど関係なく、その瞬間の不満や不快さにすべて心を奪われ、怒りを爆発させ、攻撃し、泣きわめく。例として、赤ちゃんにとって、よくお乳が出るオッパイは「よいオッパイ」で、出ないオッパイは「悪いオッパイ」でしかない。同じ母親の同じオッパイであるということは考えない。

★本心とは逆のことをする:天邪鬼の箇所で詳しく説明しているので、そちらをお読みください。



       鳥からのメッセージ
◆ROMの伝言


黒か白か、善か悪か、敵か味方か、全か無か。
自分を受け入れてくれる存在か、それとも、自分を拒否する存在か…。
現実認識を単純な二分法で捉えるのが、境界性パーソナリティの認知の特徴だといわれている。

自分のことを愛してくれていると思えるあいだは大好きで理想化しているが、少しでも言葉や態度で否定されたりすると、大好きが大嫌いになり、全面的な信頼が疑いとなり、憎しみに満ちた口調でこき下ろしてしまう。
同じ相手に対する評価が、驚くほど真逆に裏返ってしまう。一番親身になって支えてくれた人に対して、最悪のひどい仕打ちをしてしまうのがこの病であり、支えた者は疲れた分に見合ったものが得られないのが特徴だ。

彼らは底なしの愛情飢餓を抱えている。
健康な人なら1個の飴玉で満足するところを、10個もらっても20個もらっても満足できず、もっともっと欲しいと言う。だから、支援者はせっせと愛情という名の飴玉を与え続ける。ところが、余るほどの飴玉をもらっていながら、何が気に入らないのか、突如その飴玉をドブに投げ捨ててしまうようなことを平気でするのだ。

天使が悪魔になったほどの態度の違いに驚愕した支援者が、悲しみと落胆で打ちひしがれてしまうことに関しては、「境界性パーソナリティ障害」の人たちは無頓着だ。相手の気持ちや欲求を認識しようとしない「共感の欠如」と、相手の期待にわざと沿わない天邪鬼が同居している。
言葉の上っ面だけをとらえて反応し、表面的なことしか理解できない人たちには、支援者の深い慈悲心が伝わることはない。


著書「パーソナリティ障害」で岡田氏がこんなことを書いておられた。

それまで、何十回も、時には何百回も、自分のために時間を割き、援助してくれていても、たった一度拒否されただけで、すべての献身が見せかけのものに思えて、相手が信じられなくなってしまうのだ。その挙句に、激しい怒りで反応してしまう。
今まで積み上げられてきた何百回ではなく、今この瞬間の一回がすべてを左右するという気持ちの不連続性が、境界性パーソナリティ障害の対人関係を極めて不安定なものにしてしまう。過去の積み重ねの上に現在の自分は存在し、過去を、責任を持って引き受けることが、一貫性のある自分を保つことになるのだが、それが非常に難しいのだ。


ふたつのハート

この文面を読んだとき、「確かに」という深く強い共感を得た。
意識レベルが落ち着いてきて、ようやく良い状態になったと思いきや、一気にレベルダウンして最悪の状態に陥り、何度も何度も「光の積木崩し」を繰り返していたある青年のことが思い起こされる。

愛や奉仕にも限りがある。サポートに使った膨大な時間やエネルギー、物質的な提供、それらを際限なく援助し続けることは、本人の自己確立をかえって妨げてしまう。
自分の悪癖を誰かに変えてもらったり、不幸を幸福に変えてもらったりはできない。自分の問題を他者に全面的に委ねてしまっていては、いつまで経っても自分で自分を、責任を持って支えることはできないし、自分自身が強い意志と努力を持って、変わることによってしか道は開かれない。

肉体の母親との愛着問題だけではなく、肉体の父親が全く不在だった場合は、欠落していた愛情をただ与えるだけでは事足りない。ダメなことはダメ、無理なことは無理、おかしいことはおかしいとはっきりと伝えなければならない。思い違いや妄想から生じた異常な発言を認めない厳しさや、毅然とした父親的な態度も必要なのだ。

全面的な受容と許容が土台にあるからこそ、枝葉のことを否定することもできうる。しかし、境界性パーソナリティ障害の人は、往々にしてすぐに自分を否定され、全面的に真に拒否されたと思い込んでしまう。そして、自分勝手に理想化した支援者に対し、今度は自分勝手に幻滅を感じ、最高から最低に貶めてしまう。

こうした理想化と価値下げについて、精神科医の小羽俊士氏が「もともとは境界性パーソナリティの人自身が持っている極端に理想化された自己像と極端に価値下げた自己像が投影されたものでしかない。私たちがそれをあたかも自分自身の性質であるかのように引き受けてしまうと、悲劇が展開される」と書いておられたが、いくらこき下ろされても、それを真に受けて落ち込まないこと。そのことを胆に銘じておくことだ。

       
「パーソナリティ障害」の傾向がある人たちに、岡田尊司氏の言葉を伝えたい。

うまくいかないことがあったとき、他人のせいにするのをやめてみるといい。
うまくいかないことがあったときこそ、自分を強くするチャンスなのだ。
失敗と挫折のストレスに耐えることが、その人を強くする。
寂しいからといって、すぐに他人で紛らわすのをやめてみるといい。
孤独に耐える力が、その人を強くする。
何か欲求不満が生じたとき、それをすぐに解消しようとするのをやめてみるといい。
その人は、そう決断できた自分の力を手に入れて、みるみる自分が変わっていくことを実感するはずだ。

結局、自分を変えるのは自分にしかできない。
その人自身が、自分のつらさを自分で引き受けて、どうにかしようと思ったとき、その人は変わり始めるのだ。
本当は、その人の中にはそうする力が眠っていることに気づくだろう。

もちろん苦しいときは、助けを求めたらいい。
だが、相手がうまく助けてくれなかったから自分が苦しいのだと思わないほうがいい。
相手も、疲れて気持ちに余裕がなかったのかもしれないし、何か苦しいことを抱えていたのかもしれない。
でも、きっとうまく助けられなかったことを、相手も気にしているはずだ。

もし、相手が、気分をうまく変えられるアドバイスをしてくれたら、その心地よさに甘えるのではなく、そのアドバイスを心に刻みつけることだ。
その場その場で、人との関係を消費してしまうのではなく、絶やさない灯火にしていくことで、その人の人生はつながっていく。
そして、その人が、周囲の人に素直に感謝することができるようになれば、その人は、もう癒され始めているだろう。



ハート

岡田尊司様には「パーソナリティ障害 PHP新書」より引用させていただきましたことを心から感謝いたします。

次回は、パーソナリティ障害の問題解決に向けて、その策を考えてみたいと思います。

2016年10月15日 ROM 光のお母さん





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