自力と他力の道―過去生回帰の効能

2016年03月11日 14:17


皆さん、こんにちは!
まだ寒い日もありますが、しだいに春が近づいているのがわかりますね。
妖精がやたら多くて、困っている人が多いのではないでしょうか?
地球にいた妖精たちは、昨年に移行した妖精の領域に送り届けているので、ほとんどいないと言ってもよいでしょう。
来ているのは、他の銀河から来た妖精です。とにかく毎日数百体浄化を求めて来ています。
地球外の妖精まで浄化するのは大変なので、「他の銀河にも浄化できる人はいるでしょう? その人たちに頼みなさい」と伝えるのですが、「そんなの関係ない!」みたいな感じで来続けていました。それで今日、わたしの分霊(シリウスから来た霊体)に頼んで、地球外から来た妖精を浄化してもらうことにしました。彼は快く承知してくれたので、これからは少し楽になるかしらと思っているところです。


春の妖精


今回は、前回に「過去生回帰のレポート」を書いてくださったY.Oさんと同日にセッションを受けられたR.Iさんのレポートです。
彼女も4人の過去生たちが登場しました。最後には各々Rさんに対してメッセージを残していってくれましたが、それが、ご本人の今生の指針となるほどの内容となったのは、彼らに真の反省ができたということ、そして意識が高まり、解放され、浄化されたいと望むようになった証であり、そこから生まれた賜物であったと思います。

今回登場したRさんの過去生の人物像は、課題のレッスンを行なっていたときから、Rさんの脳裏に断片的に現れてきていましたが、回帰中はさらにしっかりと映像が見えており、なかなか詳細な描写がされています。とてもイメージと表現力が豊かな人だと思いました。

「本体の過去生」に対して恨みを持っているネガティブ霊が毎度毎度やってきて影響を与えるというのは、門下生準備コースの人たちにも頻繁に起こっていることですし、霊的存在の障害を受けている人たちは他人事とは思えない現象です。このレポートは、そういう方々の視野を広げるのに役立つのではないかと思い、Y.Oさんに引き続き、掲載させていただくことにしました。



◆過去生回帰のセッションのまとめ


                 R.I  女性  40歳  東京                   


昨年12月の終わりに、私の本体の過去生に対する恨みを持っているネガティブな霊がやってきて、私が影響を受けて状態が悪くなるということが繰り返しあったことがきっかけで、カヴィーシャ先生に過去生回帰の課題をするようおすすめいただきました。そのころから問題のある複数の過去生に共通する課題である『主導権争い』に取り組み始めました。今年に入ってから、日々ネガティブな人霊の影響を受け、あまりにも状態がひどかったため、過去生回帰のセッションは4月にしていただく予定であったのを繰り上げて2月に過去生回帰をしたほうが良いのではとご提案頂きましたので、そうさせていただくこととなりました。その後もカヴィーシャ先生に何度か浄化をしていただく必要があるほどに状態が悪化し、1月の下旬にはさらに『執着』という課題にも取り組みました。

課題に取り組む間、断片的に過去生の記憶がよみがえり、そのネガティブさを受け止めきれず、落ち込んではまた影響を受けるという有様で、なかなかレポートが書けずにいて申し訳ありませんでした。また、書いても波動が悪くて読めないとのコメントを頂くこともありました。レポートを書きたいのに書けないという焦る気持ちとも戦いながら自分と向き合う時間でした。

『主導権争い』においては、現在の職場の同じチームの同僚がその相手であること、『執着』においては、気になる異性や思春期の頃の出来事やそのことに関連する両親への思いなどが問題となっていることが分かりました。
過去生回帰のセッションまでの間に『執着』はクリアできましたが、『主導権争い』については、「隠れた自己」がまだ手放せていないということで、過去生回帰のセッションでこの「隠れた自己」が出てくるよう祈りつつ、セッション当日を迎えました。

【2月14日・セッション当日】


カヴィーシャ先生の誘導で瞑想状態になり、その声に導かれるままに私本体の過去生が4人現れました。
以下、現れた順に記載します。

<スペインの闘牛士>

初めに現れたイメージは円形劇場のような場所に男性が立っているというものでした。闘う前の緊張と、逃げ出したいという気持ちをおさえつつも、高揚している感覚がありました。そこは観客で満たされている野外の施設で、この人物は闘牛士でした。
刺されて殺される牛がかわいそうだと思いつつも、彼は闘牛をすることでそれなりに稼いでいたため、それ以外のことで生計を立てるつもりはなかったようですし、今更他の仕事はできないと思っていたようでした。とても強い闘牛士で、当地では地位も名声も獲得していたようです。弟子の育成もしていたのですが、ライバルの育てている人たちより優秀であることを望む一方で、自分の築き上げて来た栄光を超えて欲しくはないという弟子たちを押さえつけるような感覚も持ち合わせていました。弟子たちは闘牛士のそのようなエゴの強い側面を苦々しく思いつつも、彼の弟子でいることで仕事が手に入りやすいことなどもあり、お互いに打算の上に成り立つ関係であったようでした。
闘牛士は、他の土地へのあこがれがありつつも、この町に留まっていれば仕事があり、名士としてもてはやされるということを手放す勇気がなく、ずっとこの町に留まり続けました。
彼が亡くなる直前の様子も見えたのですが、大変気難しく、弟子たちが世話をしてくれているのに感謝を伝えることすら出来ないままでした。幼い頃に両親をなくし、里子に出されて苦労したようで、愛すること、愛を受け取ることに対してとても不器用であったようです。
彼が解放される前に私に伝えてくれたメッセージは「愛と感謝はきちんと伝えること」ということでした。弟子たち、他の人たちに対してきちんと愛と感謝を伝えることが出来なかったことに対して後悔があったようでした。

★「愛と感謝」については、ブログの至るところに書いておりますが、それでもその真の意味がわからない人がいます。
「愛する」ということがどういうことなのか、過去生で誰からも愛されたことがなかったり、誰をも愛したことがない場合は、全くわからないのです。
「感謝」についても、同様です。心から「感謝」したことがない人は、救われていません。本物の愛には真の感謝が内包されています。「愛するとは感謝すること」と知っておいてください。

余談ですが、過去生でいわゆる人間(地球人のこと)の体験をすることが少なかった人、つまり地球外生命体であったことのほうが多い人というのは、「愛」とか「感謝」の意味がわからず、「愛すること」「感謝すること」がどんなことなのか、どうすることなのかが理解できず、感情の面でも非常に希薄なケースが多いです。(異星人だった人はこの課題を持ってきていることが多い)

今生で人間として生まれてきて「感謝する」ということを学び、本人はものすごく感謝していると思い込んでいたとしても、一般的な人間の10分の1くらいしか相手に伝わっていない場合が多いのです。これを知っておいてください。
わたしなどは、メールに「ありがとう」という文字がたくさん並んでいたとしても、波動でわかるのです。「感謝の気持ち」がこもった文章と「ただのお礼の言葉」が書かれているだけとは、雲泥の差があるのです。もちろん言葉も大切ですが、美辞麗句よりも、真に気持ちがこめられた波動が、相手を喜ばせたり、感動させたりするのだということを知っておいてほしいと思います。

この闘牛士だった男性は、「愛と感謝」がなかったことに気づいて、後悔していたということ。それが彼を救う要因となったのだと思います。


<シャーマン>

闘牛士の過去生を解放したあと、ネガティブな存在が近くにいる感覚があり、カヴィーシャ先生にお調べいただいたら私の過去生がやって来ているとのことでした。
この過去生は女性であり、霊能力をネガティブなことにつかっていたシャーマンであったことが分かりました。このシャーマンは、ポジティブにその能力を発揮していた別のシャーマンを一方的にライバル視していたのですが、ポジティブなことにおいては彼女には叶わないからと、良くないと思いつつも自分の能力をネガティブなことに使うことにしたようでした。自分の利益のために相手を巧みに操るなど、能力は高かったようですが、ライバルであったシャーマンよりは人気はなかったようです。白い魔女と黒い魔女のような二人であったようです。
彼女はそのように自分の能力をネガティブなことに使い続けていたことに対して罪悪感を抱いており、自分のことが赦せなかったようでした。カヴィーシャ先生が「自分のことを赦していないでしょう?」とおっしゃったとき、胸の辺りがつかえた感じがあったのです。反省することと自分を裁き続けることの違いが分からなかったようでした。

★「反省すること」と「自分を裁き続けること」の違いについて、確かにわからない人が多いと感じました。
「反省」は「過去の自分の言動やありかたに間違いがなかったかどうかを振り返ってよく考えること」ですが、「裁き」とはまったく異なったものです。間違っていたことがわかると、つい自分を裁いてしまいますが、まずは自分の間違った行為で迷惑をかけた人たちに謝罪することが必要です。そのときに徹底して謝罪しないから、死後も相手が許してくれなくて、なん百年なん千年恨まれ続けることになるのです。
過ちを認めたら、謝ること。そして、自分を許すこと。自分を許せなくて、二千年以上の歳月を最悪の闇の領域で悶々としていたユダのようにならないことです。


赦しの祈りをして頂いていた間、徐々に不快感が減り、重く感じた身体が軽くなっていきました。カヴィーシャ先生のお力でようやく彼女は赦すことができ、彼女はクリーンゾーンへと旅立って行きました。
彼女が最後に私に伝えてくれた「自分のパワーをポジティブなことに使うこと」は今後の指針といたします。

★そうですね。ぜひそうなさってください。

自己探究をはじめてからも、無意識のうちに他者に対しても自分自身に対してもネガティブなことを考えて、それが現実になったことが何度かあり、ネガティブな思いが叶いやすいという自覚がありました。こんなはずではなかったと思いつつも、掘り下げるとそれを望んでいたのは私であったと気づいて愕然とするということが多々あったのです。これはもっと自分が意識的でいることができれば回避できることだと感じます。

★その通りです。思ったことは現実化するのです。その法則を忘れないように。


<ヴァチカンの司祭>
シャーマンを解放したあともまた不快感に襲われ、またネガティブな過去生が来たことが分かりました。かなり強い不快感だと思ったらこの人物は私の「隠れた自己」でした。カヴィーシャ先生にお調べいただき、セッション直前まで『主導権争い』を手放したくないと言っていた人物が現れてくれてほっとしたのですが、何せ不快感が強くて辛かったです。
この人物は、いずれはローマ法王になりたいと考え、政治的、野心的で派閥・権力争いを繰り広げ、権力を得るためなら何でもするというヴァチカンの司祭でした。ヴァチカンのキリスト教はもはや政治の道具でしかないと分かりつつも、親の期待、出身地の人々の期待に背くことが出来ずに出世街道を進むほかないと感じ、地位と名声を得ることを至上目的としていました。それが自分を高めることだと思っていたようです。
一方で、裕福な家に生まれつつ、親からもらったものをすべて返し、すべてを捨て清貧をモットーとし、純粋にイエス・キリストの教えに従ったアッシジの聖フランチェスコをこの上なくうらやましいと感じてもいました。しかしそのように生きる勇気はなかったようです。(聖フランチェスコは、私が敬愛する人物でもあり、数年前に聖フランチェスコを感じたくてアッシジを訪れたこともあります。私が聖フランチェスコにひかれたのは「隠れた自己」の影響で、ここでつながっていたのだと分かり、非常に不思議な力を感じました。)
この人物はすんなりとは解放されたくない雰囲気があり、私がうまく説得できずにいたところ、カヴィーシャ先生の説得によって解放されたいという気持ちに変わり、クリーンゾーンに解放されていきました。最後に私に向けてくれたメッセージは『自分を高めるために他者は必要ない』というものでした。自分を高めるためには、他者の尺度である権威、名声、権力は必要なく、他者を蹴落としたり、他者と比較したり、競争する必要もなく、ただ自分の内側に入っていけば良いということだと理解しました。この言葉の深さを知り、彼からものすごくポジティブな波動を受け、涙が止まらなくなりました。

★『自分を高めるために他者は必要ない』というのは、彼の人生では最高の気づきであったと思います。アッシジの聖フランチェスコをこの上なくうらやましいと思いつつも、彼と同じ道を歩むことができなかったのは、地位や権力、名誉や名声というエゴの声に屈服したからですね。イエスの教えなど、まったくわかっていない人だったということがそこでよくわかります。
但し、『自分を高めるために他者は必要ない』という言葉は、彼が思っていたことに対してのみに言えることであるということを知っておいてください。何故なら、自分が高まるときは、他者が必ず関与しているからです。他者に無償の奉仕をしたとき、自分の霊格はまちがいなく高められています。他者という存在があってこそ、自分を高める意義があるのです。
もし自分が存在する領域に誰も人がいなかったら、高める必要性もないのでは?と思うのです。そこのところをカン違いしないことですね。


この「隠れた自己」に足を引っ張られていたのは、きっと「隠れた自己」本人が自分で手に入れることができなかったものを私に託したかったのだろうと思います。それなのに私がもう必要ないと気づき始めていたので、彼はきっとフラストレーションがたまっただろうなと思います。しかし、彼も本当はもう手放して良いのだと分かっていたのに、それを手放すとそれまでの彼の努力が無になると感じて、それが嫌で手放せなかったのだと感じました。しかし、それまでの努力があったからこそ、もう競争することや権力を追い求めることは不要なのではないかと感じたのだということに気がついていれば、手放せたかもしれません。苦行を捨てたお釈迦様のことが頭に浮かびました。苦行では悟りは開けないと気づきつつも、6年もの苦行が無駄になるからと苦行を手放せずに続けていたら悟りは開けなかったであろうと思います。

★そうですね。
無垢な人とは、自分との戦い(葛藤)や他者との戦いを放棄した人のことです。自分は特別なのだということを行動で示し、証明することには、もはや興味のない人のことです。肩の力を抜いてリラックスし、すべてを手放したとき、悟りは向こうからやってきます。それはまちがいのない真理です。


<宦官の部下>
隠れた自己を解放できた後もまた不快感が襲って来て、またもやネガティブな過去生がやってきているのが分かりました。
この人物は男性で、中国の皇帝(または王)に仕えていた宦官の部下でした。宦官には何人か部下がおり、そのうちの一人の部下とこの人物が『主導権争い』をしていました。皇帝は非常に疑い深い人で、自分の臣下の中に反乱分子がいないかを常に気にしており、宦官からの命で、疑わしい人物を拷問にかけることが彼の仕事でした。直接拷問するのは彼の部下であり、彼はその拷問を見ている立場だったのです。拷問にかける人数が多いほど宦官に認めてもらうことが出来たので、嫌々ながらも反乱分子を見つけ出しては、主導権争いの相手と張り合うように拷問をし続けました。
しかしあるとき誰も信頼できなくなってしまった皇帝が発狂してしまいました。臣下の大部分が拷問によって殺され、国が弱体化したため、他の国に攻め込まれて滅ぶこととなりました。
そもそもは命令であったから渋々やっていたはずの拷問が、いつの間にか慣れて感覚が麻痺し、出世や査定の道具となっていました。しかし一方で当初のなぜこんな残虐なことをやっているのだろうかという虚しさも同時に抱えていたのです。拷問等によって国が滅びるならば、「拷問をして国のためになるのか」と自分の上司である宦官に進言すれば良かったと進言する勇気を持てなかったことを後悔しながら死んでいったようでした。
この人物から最後に受け取ったメッセージは『他者を疑うのではなく、信頼する必要がある』というものでした。皇帝が、彼の宮中に反乱分子がいると過度な疑いを持たなければ国は滅びずに済んだのかもしれませんし、例え反乱分子がいても、彼らの言い分を聞き、改善する必要のあることを改善していたら国は強くなったかもしれません。皇帝が自らの政策に対して自信がなかったこと、彼の臣下たちがイエスマンであったことが招いた悲劇であったと思います。

【まとめ】


2時間のセッションにて『隠れた自己』を含め、4人もの過去生が登場するとは思っていなかったので、するすると出て来てくれたことにびっくりしましたが、課題のクリアのために掘り下げをしていたときに出て来た過去生がほとんどでした。(イメージは合っていても解釈を間違えていたり、2人の人物が1人であると勘違いしていたりと精度は大変低かったですが…)前もって出て来て、私がクリアする必要のある課題が何であるかを教えてくれていたのだなと後から感謝の気持ちがわいてきました。

この4名の過去生に共通していたことは
・必要以上に他者と競争していたこと、他者と自分とを比較していたこと
・本心を表現していなかったこと
・権力、名誉、名声などを手に入れたがっていたこと
・自らの生き方に疑問を感じつつも、築き上げたものを手放す勇気が持てず、それが後悔につながったこと

などであり、すべて自分に当てはまる要素であったと思います。

感想を書くにあたり、解放されていった過去生の人生を改めて振り返りました。かなりネガティブなことをしていたなと思いますが、すべて二極を経験し、学ぶためであって、これで良かったのだと受け容れたら、さらに自分の中から何かが溶けて出て行く感じがありました。これらの過去生は、うまく行かない方法を学んだ人生であったのだと思います。私か彼らの経験から得た教訓を活かして、同じ間違いを繰り返さなければ良いのだと思います。
そして自分の過去生を受容できると、波動が悪く、エゴが強く、人のことを蹴落としてばかりで苦手だと思っていた他者も私の過去生と同じだと思えましたし、学びの途中で両極を経験しているところなのだと感じられ、嫌悪感が少なくなってきました。他者の中に私の要素があり、私の中にも他者の要素があるのだという思いが強くなってきました。

また、ネガティブな状況に陥った過去生の解放を試みることを通して、しっかりと自分の中にあるネガティブな要素と向き合うと、ネガティブな状況に陥ってしまう心理状態、思い方、きっかけなどが理解しやすくなります。理解ができればネガティブを恐れたり嫌ったりする必要がなくなりますし、ネガティブに陥った他者のことも嫌悪せずに理解できるようになるのだと思いました。そして思い方、受け取り方はさまざまで、ほんの少しの意識の違いで人生が大きく変わっていくのだと感じます。だからこそ、常に醒めていて意識的である必要があるのだと感じました。

また、カヴィーシャ先生が以前ブログに書いてくださっていたことでしたが、とても好きであったり、激しい嫌悪感をもよおすような「引っかかり」を感じるものは過去生で何かがあったのだと再確認できました。
聖フランチェスコがとても好きであったこと、ヴァチカン博物館で何とも言えぬ違和感や不快感を感じたこと、人を蹴落としてまで出世したいという上昇志向が強い人に対する嫌悪感、そして現世で『主導権争い』をしていた相手の人は過去生でも『主導権争い』をしていたこと。今後も「引っかかり」を感じるものについては、しっかりと掘り下げて行きたいと思います。

そして今回の過去生回帰のセッションを通じて、自分の課題として浮かび上がって来たのは「説得すること」でした。自分を赦せずにいた過去生やすんなり解放されたがらなかった過去生をカヴィーシャ先生のお力によって解放して頂きましたが、光の方に行ってもらえるよう説得できる自分でありたいと感じました。私の過去生に恨みを持っているネガティブな霊、浄化されたくない人霊、悪霊、様々な存在も光の方に言ってもらえるよう説得できるようになるには、自分が様々なことを理解している必要があると思うので、しっかりと学んで行こうと思います。

★そうですね。過去生を解放するにあたり、「説得すること」はとても大切な要素です。相手が実際に納得し、同意し、心から解放されたいと願うようにならない限りは、せっかく過去生回帰をして、その人物を詳細に把握できたとしても、あまり役に立ちません。要は過去生の課題をクリアして、その人生での問題を消去してしまうことが肝要だからです。
解放を渋っている場合は、いかに説得できるかが、キーワードですね。しっかりと相手を納得させられるだけの愛と力を備えてください。


レポートを書きながら気づいたのですが、セッションの最後に引いたカードにあった言葉がちりばめられたレポートとなりました。まさに「今の私に必要なこと」でした。ありがとうございました。

カヴィーシャ先生、手厚いサポートと深い愛をありがとうございました。
ネガティブな存在に何度も影響をされ、その度に叱咤激励をしていただきました。そのおかげで今があります。本当にありがとうございました。

ある人に二年ほど前に、今年はデトックスの年になると言われており、そのときはあまり良い印象を持たなかったのです。デトックスという言葉があまりポジティブに受け止められなかったのだと思います。しかし不要なものを手放して行くということはとても前向きな作業なのだと気がつきました。今年はしっかりと不要となった観念等を手放し、解放の必要となった過去生と向き合っていきたいです。引き続きどうぞよろしくお願いいたします。

2016年2月21日

愛と感謝を込めて! R・I

★R・Iさんは、いつも「波動の悪いメールですみません」「波動の悪いメールとなってしまったら申し訳ありません」とメールの冒頭に書いてこられます。
波動の悪いオフィスで仕事をされているので、とても気を遣っておられることがわかります。しかしながら、このように書いてくださる人の波動は決して悪くないのです。そのように書いてあるメールをもらって、心臓がバクバクしたことがないからです。
たとえ少なからずネガティブエネルギーに影響されていたとしても、ここまでの心遣いができるのはすばらしいことです。
メールをもらった相手のことを考えられるという点で、彼女はマナーある意識レベルが高い真のおとなだと言えるでしょう。

異常波動の人は、気遣いなどは微塵もありませんね。ものすごいネガティブ波動を漂わせて、自己中心的に言いたい放題書いてこられたり、マイナス思考の落ち込んだ気持ちの悪い波動で文章を綴ってこられたりします。まちがいなく波動は最悪の領域に達していて、悪霊級です。
自分がどんな波動を漂わせているかに気づいていることが、いかに大事かを知ってください。メールの波動が悪いのは、ネガティブエネルギーでいっぱいの仕事場のせいではなく、実は本人自身にあるということを胆に銘じておいていただきたいと思います。





2月の花


◆別人格、別の意識が肉体に入る現象



自力」と「他力」という修行方法があります。「自力」も「他力」も仏教用語です。その言葉の意味を調べると、仏教の究極の目的である悟りを得るために,自己をよしとし,自分自身の素質や能力に頼る修行法を「自力」という。これに対し,自己を煩悩具足の凡夫とし,清浄真実なものは仏陀の側だけとして,自力を否定し,自分以外の力,たとえば阿弥陀仏の誓願に帰依する実践を「他力」というと記されています。

釈迦は「自力」で悟ったということになっていますが、果たして真相はどうであったでしょうか?
釈迦族であった人間ゴータマに高次のエネルギーである「ブッダ意識」が入ったからこそ、宇宙の真理に気づき、悟りを得られたのであって、実は「別の意識=他力」によるものだったということが言えます。

最近は自分の肉体や他者の肉体に別人が入って、性格だけでなく、顔や声の様子まで変化しているのに気づいている人たちが多くいらっしゃることがわかってきました。
しかしながら、残念なことにたいていはネガティブな存在であることが多く、悪霊や異星人に乗っ取られているケースが多いのです。なかなか高次の存在などは入ってくれませんね。
器というものは決まっていて、小さな器には小さな器の者しか入れないし、ネガティブな器にはネガティブな器の者しか入れないということ。相場が決まっているということなんですね。

先ほどゴータマ・ブッダのことを言いましたが、イエス・キリストも同様ですね。
キリスト意識」が肉体に入った状態の人を「イエス・キリスト」と呼んでいるだけです。「キリスト意識」が入っていないときは、酒飲みで、でれでれしたただの小汚い品のない男にしかすぎませんでした。これは、イエスのことが大好きだったユダの鮮明な記憶であり、実際イエスがそういう人であったことがわかっています。
しかし、「キリスト意識」が入ると、しゃきっとして、全くの別人と化すのです。とても興味深い現象ですね。それは、以前に東京のセミナーで詳しくお話をした通りです。

巷でも、「まるで別人のようだ」というせりふをよく聞いたりしますが、まさしくその通りであって、そんなときはまちがいなく「別人」が入っているのです。
毎日別人の意識が入れ替わり立ち代わり入っている人たちが、少なからずわたしの周辺にいて、よくその状態を観察させてもらっております。当人は肉体の記憶はある程度持続されているので、ずっと変わらず自分自身だと思い込んでいるのです。ですから、自分の肉体に誰が入っているのかなんて考えてもみないし、嗜好が変化していても全然わからないようです。でも、傍から見ていたら「まったくの別人格」であることがわかるのです。

たいていの人は、「別人格が肉体に入る」という真実を知る由もないので、生まれてから死ぬまで自分自身だと思って生涯を終えることでしょう。
また、ころころと考えが変わり、別人になったような意識がある場合は、自分が一体だれなのか、どれが本当の自分なのか、一生わからない状態でしょう。
そういう現象を「多重人格」というふうにも言われています。とにかく別の霊体が肉体に入ることによって、食の好みが変わったり、入った霊体が持っていた病気まで肉体に現れてしまうのですから大変です。
毎日のように人格が変わる人は、「認知症」の人に対して言うように、毎日同じことを言い聞かせないと、わからないことがあります。
このことは「光の仕事人の研究」として、今後まとめて本のようなものにしていきたいと考えています。




2月の花


◆自力では必ず行き詰まる


以前にも紹介した「ありがとうおじさん」の本には「感謝には自力の感謝と他力の感謝がある」と書かれています。そして、自力は、他力や絶対力の大きな助けを無視し、拒絶する生き方なので、その力に限界があるということ。必ず行き詰まり、頭を打ち、無力感に打ちひしがれるものなのだということ。もし少しでも進歩向上しているとすれば、自分が気づかないだけで、他からの応援もあったからなのだと語られているのです。

その通りであるとわたしは思います。「自力でやり遂げられた」と思うこと自体が、エゴなのです。
人は何につけても自分の力で生きているのではなく、宇宙大生命の愛の力によって、一瞬ごとに新たに生かされているのです。そのことを知っている・気づいているという状態が、悟りの境地と言えるのではないかと思います。

☆「他力の感謝」については、次のように述べておられます。

他力の感謝は、謙虚な素直な心で、いろいろな段階からの、他の助けを受け入れる生き方です。
自分の認めただけの、他からの応援を受けることができるのです。
マイナスの心を肩代わりしていただいている、マイナスの心を消し去っていただいている、マイナスの心を免除していただいている、と自分が認めた分だけ、マイナスの少なくなるように助けていただけるのです。
また、他から感謝されたり、他から祈ってもらえた分は、自分の感謝にプラスされて、大きな助けになるのです。
絶対力の感謝は、絶対神の感謝の真祈りが、すべてのすべてに輝き渡っている、という感謝です。




ふたつのハート

自分一人の力で生きようとするのか、
神(大宇宙の源やハイアーセルフ)と共に生きようとするのか、
そのどちらを選ぶかの問題なのです。
内なる神と共に生きて、いつも根源と融合・一体化していれば、
いつも喜びで満ちていられるのです。

自分一人の力だけでは生きていけないのに、
自分の力で生きていると思い込んでいるカン違い人間がたくさんいますが、
その傲慢さは、何も知らないという愚かさ・無知・無明から来ています。
自分が今ここに存在できているのは何故(なにゆえ)か? 
ということを、正しく理解する必要がありますね。

分離の道」と「統合の道
どちらを選ぶか…。 

選択はあなたに任されています。


2016年3月11日 
愛と感謝 カヴィーシャ・光の仕事人




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