「隠れた自己」を解放する

2016年02月17日 15:45


春か初夏かと感じるほどに暖かかったり、また急激に寒くなったりと、目まぐるしい気温の変化で体調を崩す人もいらっしゃるようですが、皆さん、お元気でしょうか?

今回は Y.Oさんから届きました「過去生回帰の課題のレポート」をお届けします。
彼女も、毎日ネガティブなエネルギーの影響を受けながらも、その苦痛に決して屈せず、「隠れた自己」を解放させることができました。

生きるうえで最も偉大な栄光は、決して転ばないことにあるのではない。転ぶたびに起き上がり続けることにある」と、ネルソン・マンデラは言っていますが、彼女の正直で勇気ある告白と、落ち込んでも落ち込んでも、泣きながらも立ち上がり、起き上がる強い意志に、心から拍手を贈ります。




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「隠れた自己」を解放するための取り組み


    2016年2月11日   Y.O 46歳 女性 東京


今回、私は隠れた自己でもある問題のある分霊の過去生の解放に取り組みました。
その隠れた自己は、罪悪感と主導権争い、犠牲の課題を持っていましたが、今回は罪悪感に取り組むことで、隠れた自己を解放することが出来ました。

私自身の罪悪感
私は小学校6年生の時の自分の卑怯な行為と嘘をついて自分を守ろうとした事で、ずっと罪悪感を抱いていました。しかし、そのことを受け入れることが出来ず、事実をゆがめ、自分は悪くない、自分は被害者だとして記憶してきました。そのため、自分が罪悪感を抱いているということにずっと気づくことが出来ず、この課題に取り組んでようやく自分が長い間、罪悪感を抱いていたのだと気づきました。また、罪悪感と共に、卑怯者で自分の保身を図る自分に対する激しい嫌悪感を抱いていたことも気づいたのでした。

私は昔から自分の責任を取らず人のせいにして逃げる人間や、自分の保身ばかりを考える人間がとても嫌いでした。そんな人間は、自分の仲間や同僚に絶対に居てほしくないと思ってきましたし、そのような人間がいると許せませんでした。そういう人間がいて、自分に迷惑がかけられようものなら、相手を人前で必要以上に非難したりしてきました。
しかしそれは、私の罪悪感や嫌悪感を他者に投影したものであって、自分の代わりに他者を批判して裁いていただけの話でした。

それに気づいた時、私は会社内で仕事の経験や知識が私の基準に満たない同僚とよく衝突していたことを思い出しました。私の働く会社の社員は主に中途採用の即戦力であることが一般的で、一定のスキルと経験があることが必要とされます。しかし、最近はその一定水準に満たない営業マンが多く入ってきていて、頻繁にその営業マン達から迷惑をかけられるので私は腹を立てて、彼らに対し直接的・間接的問わず激しく批判を繰り返していました。一方で彼らも陰で私を批判していたので関係は非常に悪かったものの、私は自分は間違っていない、正しい、間違っているのは彼らだという主張のもと、相手に対し折れることは決してしませんでした。しかし、彼らを批判し、裁いた後、なぜか後ろめたさや苦しさがあることに気づいていました。そして、過去にも同様の事があり、同じような争いを起こしていたことも思い出しました。原因は私の自分は正しい、間違っていないという思い込みにあり、私は自分が正しい、間違っていないということを証明するために戦っていたのでした。ふと、正しいという事へのこだわりと、自分は正しいという思い込みが、もしかして自分を苦しめているのではないかと思いました。

私は間違っているならば批判されても裁かれても当たり前と思っています。
私が子供のころの間違いを、ずっと自分の正しさという基準で無意識に裁き、自分を傷つけてきたのではないか?だから他者を裁くと自分も苦しく、後ろめたいのではないか?
人は常に正しい選択が行えるのか?また、自分の考える「正しい」とは本当に常に正しいことなのか?
いずれもNOです。そんな事は絶対にあり得ません。あり得ない事を自分に押し付けて、自分と他者を傷つけてきました。そして間違っていた自分を許すことが出来ませんでした。
そこに思い至った時、号泣しました。

私がなぜ執拗に正しいということにこだわっていたのか考えてみると、過去に自分が間違っていた事を認められなかったからだったと気づきました。間違っていたことを認められないから、声高に正しい正しいと叫んでいました。嫌悪感は間違っていた自分への拒絶の現れでした。私は自分の間違いを認められず、間違っていた自分を受け入れられず、繰り返し周囲に争いを起こし、人を傷つけていました。私の戦いはいつも自分の正しさを証明するためのものでした。

罪悪感を解放するために必要なことは、自分の間違いを受け入れ許すことであり、絶対的に正しいことなどないと理解し、自分の正しさにこだわる事をやめる事だと思いました。
そのように思った時、もう自分の正しさを証明するために戦う必要はないんだと思い、涙がこぼれました。自分は正しい正しいと叫んでいたのは、本当は苦しい苦しいと叫んでいたのだと思います。もう戦わなくてもいいんだよ、間違う事って誰にでもあるんだよ、と何度も自分に言い聞かせ、そして自分に謝りました。子供のように泣きじゃくった後、自分の中に安心感が湧いてきて、ハートの辺りが広がったように感じました。

その後、経験不足の営業マンに好戦的な態度をとるのは止めようと決めて、彼らと話した時に、自分の中にとげとげした感覚が無くなっているのに気づきました。ただ、やはりトンチンカンな事を言われるとイライラしてしまう所はあって、まだ罪悪感を手放せていないのだろうか、と心配になりました。しかし、過去に争いのあった同僚とすれ違った時、自分の中にわだかまりが無くなっていた事に気づきました。いつも挨拶することすら嫌で、自分から挨拶するのは負けのような気がして、普通に挨拶できませんでした。しかし、この日は何の嫌悪感もわだかまりもなく挨拶を自分からしました。そしてその日、他にも多くの同僚との間にあったわだかまりが消えました。
わだかまりが消えたのは、私に戦う理由と苦痛がなくなったからだと思います。
自分の過去の真実を受け入れられずに、長い間罪悪感を抱えていました。そして自分の過ちを許すことが出来ず、苦痛を抱えたまま蓋をしてごまかし、自分と他者を裁いてきてしまいました。でも、もうそれは手放しました。

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隠れた自己の罪悪感
今回の隠れた自己は女性で、人から何かを受け取ることが出来ず、自分を愛することを止めてしまった人物であるということ。人を裏切ったことで多くの人から恨まれているが全く謝罪する気がなく、自分の真実と向き合う必要がある、というヒントをカヴィーシャ先生から頂いていました。しかし、私の課題のレポートが遅くなった事で、セッションまであと1週間という時期まで来てしまい、その段階においても私の隠れた自己は、全く謝罪する様子を見せませんでした。本当に頑なで、セッションに出てきてくれるのだろうか、と不安になりました。そして先生から、隠れた自己にきちんと反省して謝罪するよう説得しましょう、とアドバイスを頂き、セッションの1週間前から説得を始めました。

最初、隠れた自己が自分に甘いタイプで人に嫌われている事や、謝罪することは負けることだと思っていると教えて頂いたこともあり、ひたすら謝罪することは負ける事ではない、自分がやったことを受け入れて皆に謝罪しよう、と説得していました。しかし隠れた自己は、私の話を聞いている感じはするものの、全く私を相手にしていないように思えました。翌日も会社で時間さえあれば隠れた自己に話しかけ、説得を続けました。相変わらず聞いているものの、完全に無視されているような感じがあり、私の説得の仕方が間違っているのかも、と思いました。もしかしたら、私の言い方が非難がましくて裁いているように思われたのかも、と思い、一旦説得することはやめて、私が罪悪感の課題に取り組んで気づいたことを伝えることにしました。

自分の真実を受け入れることが出来なかったばっかりに、苦痛を抱えて自分を傷つけ、周囲に争いを起こしてしまった事、絶対的な正しさというものは存在せず、また、過ちを犯さない人間などいないのに、過ちを犯した自分をずっと許せなかった事、自分の決めた正しさという基準でもって自分と他者を裁き続けてきた事、それらをすべて自分の間違いだったと受け入れた時、これまで裁いてきた人達との間にあったわだかまりが消えた事などを話しました。話しているうちに、いつのまにか泣いていたのですが、これまでよりは隠れた自己が聞いてくれているように感じました。

そして何となく、あなたの人生を聞かせてよ、とお願いしました。
全くあてにしていなかったのですが、しばらくして、映像と共に「私は戦争の多い星で、軍人の父と主婦である母との間に生まれた」という言葉がクリアに頭に入ってきました。一瞬、これは私が頭で創作した話だろうか?と思ったのですが、隠れた自己が本当に語ってくれているのかもしれないと思い最後まで話を聞きました。
軍人であったお父さんが戦争で亡くなり、お母さんが富豪と再婚したこと。お母さんと継父との間に弟と妹が出来て、お母さんは自分をかまわなくなり、自分は乳母のような人に育てられたこと。継父が亡くなり、自分がその後を継いだこと。自分があまり経営を積極的にやっていなかったため企業内で腐敗が進んでしまい、会社のガンとなっていた人物たちを粛清するために罠にはめて裏切った事。お母さんが亡くなる間際、自分を放置した事に対し謝罪があったものの、弟と妹の面倒を見るように最期に言われ、結局お母さんが最期まで自分ではなく弟と妹を心配していたことが琴線に触れ、子供だった弟と妹を身ぐるみはがして屋敷から追い出してしまった事。砂漠のような土地に放り出してしまった弟と妹に対して罪悪感を持っている事を語ってくれました。淡々と語る中で、彼女に裏切られて恨んでいるドラコニアンに謝罪する気は一切ないこと、一方で弟と妹に対しては深く罪悪感を抱いていることが伝わってきました。

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翌日、カヴィーシャ先生にその話の真偽を確認して頂こうとお電話で相談したところ、95%話の内容は合っているという事でした。先生から、彼女が最初、一生懸命会社の経営に取り組んでいたことや、人から受け取る事が出来ない人物で与えるばかりであったため、疲れ果てて自分を愛することを止め、自分が犠牲になっていると感じている事などを教えて頂きました。彼女の生い立ちや心情を理解したことで、セッションに出てきてくれるだろうかと思ったものの、それでも彼女は出て行かないと言い張りました。彼女には愛が必要なのだと先生から教えて頂きました。その後、先生が彼女に、弟と妹は死んでいない、そのことで苦しむのは止めて自分を許してあげましょう。出ていくと裁かれると思っているようだけど、裁いたりしないわよ、と色々と声をかけてくださいましたが、出てこようとはしませんでした。

しかし、隠れた自己が出てくる様子もなかったので、これからセッションまでの間、私が彼女に愛を与えるということを続ける、ということで先生との話を終え電話を切ろうとした時でした。先生が、ネガティブエネルギーがいるとおっしゃり、調べてくださったら、隠れた自己がいました。確かに、私の左後ろの頭から腰にかけて黒い何かが私に張りつくようにして存在していました。先生が、解放されたくなったの?謝る気になった?と聞くと、そうだと答えました。隠れた自己が私の身体を借りて、恨んでやってきていた50体のドラコニアンに謝ることになりました。本当に謝る気があるのだろうか?と正直半信半疑でしたが、床に座り、手をついて頭を下げた瞬間、滝のように涙が流れました。震えながら何度も謝罪し、許してくださいと言う彼女と一緒に私も謝罪しているうちに、心の奥にあった澱みがどんどん外に流れ出ていくような感じがしました。

結局ドラコニアンは隠れた自己の謝罪を受け入れてくれて、浄化させてくれました。
そして、彼女自身もあっという間に浄化箱に入ってくれて光の領域に行ってくれました。
先生と、良かった良かったと喜びを分かち合ったあと、肺の辺りがすごく清々しく軽くなっていることに気づきました。謝罪した時に澱みが流れ出たような感覚があったのですが、本当に澱みが出て行ったのだと気づきました。
時間にしてたった数分の出来事でしたが、今思い出しても涙が出ます。
あんなに頑なだった隠れた自己が、電話が終わりそうになって慌てて出てきたように思います。出てきてくれたのは、先生の大きな愛に触れたからだと思っています。
継父の後を継いだ彼女は、当初、先生のおっしゃった通り一生懸命働いたのだと思います。しかし、人から何かを受け取る事が苦手だった彼女は、ずっと人に与えてばかりで、疲弊してしまって、自分は一体何をしているんだろう?何のために身を粉にして働いているのだろう?と思ったのだと思います。血のつながりのない継父の会社のため、自分を見てくれない母のため、継父と母の間に出来た異父兄弟のため。一体自分は何のために働き、生きているのか?そう思ったのだと思います。そして自分の中のエネルギーが枯渇して、自分を愛することを止めて、自分は彼らの犠牲になっていると感じたのだと思います。
そう考えると、やはり彼女に必要だったのは愛だったのだと思いました。

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今回、課題である罪悪感と、隠れた自己を解放することから学んだことは色々とありますが、なかでも一番の学びは、自分の真実を受け入れること、自分の責任を取り自分を許すことであったと思います。
私も隠れた自己も、絶対に自分は正しいと思っていました。でも、突き詰めていくとそれは間違っていた自分を受け入れられず、無意識に罪悪感を抱えていたからこそ、自分は正しい、間違っていないと頑なになっていたのだと思います。そしてそれが結果として自分に苦痛をもたらし、周囲との争いに繋がっていたのだと思います。
(そういえば、私が会社で対立しがちな相手とは、自分の立場を強調して、こちらに仕事を押し付けたりプレッシャーをかけてくる人たちでした。私はいつもそれに対し、こちらの立場を主張して反発していました。もしかしたら主導権争いが現れていたのかもしれません。)

また、私は愛が変容を促した瞬間に立ち会うことが出来ました。隠れた自己が、弟と妹にした仕打ちに罪悪感を持っている事に対し、もう自分を許してあげなさい、と先生が言ってくださったとき、許していいの?という言葉が聞こえました。おそらくあの瞬間から隠れた自己の気持ちは変わりつつあったのだと思います。私はそのことを隠れた自己に許していいんだと言っていませんでした。一緒になって罪悪感を感じていただけだったのです。あんなに頑なだった隠れた自己でしたが、先生の愛を感じ取って、解放されたいと思うようになったのだと感じました。

隠れた自己は本当に私とよく似ていました。思い込みが強く、頑固で、自分の信念を曲げないところがそっくりでした。だからこそ、私の隠れた自己だったのだと思いますが・・・。
彼女の中にあった問題点、受け取ることが苦手だったことや、自分を愛していなかったこと、自分に甘いところがあることなど、私の中にもある問題なので、正していきたいと思います。

隠れた自己が解放できて本当に良かったです。
これからもっと重い過去生や隠れた自己が出てくると思いますが、今回の感動と喜びを糧として、頑張って取り組もうと思います。きっとしんどいと思うのですが、隠れた自己が解放されたあの瞬間の感動を忘れなければ、やっていけると確信しています。
カヴィーシャ先生には本当にお世話になりました。いつもネガティブに傾きがちな私を明るく励ましてくださり、心から感謝しております。
どうかこれからもよろしくお願い致します!

愛と感謝を込めて


羽



カヴィーシャのコメント:
わたしが言うところの「隠れた自己」とは、「表面意識が目指している方向とはまったく違った方向に向かっている自己」のことを指しています。
つまり、表面的には姿を表さないけれども、表面意識とは別の目標を持っていて、巧みに内側から足を引っ張ろうとする大変ネガティブな存在のことなのです。

自己破壊」を主な目的としている場合は、ほんとうにやっかいです。
人生がうまく進まないのは、この「隠れた自己」がひっきりなしに自分の足を引っ張っているせいなのですが、本人にも「隠れた自己」と共通の課題が埋もれていて、そのネガティブな傾向が自分に似ているために「隠れた自己の意志」が「自分の意志」だと錯覚してしまうほどの場合もあります。それが、傍から見ていますと、よくわかるのです。

Y.Oさんの場合は、電話での話のなかで奇跡的な展開があり、ずっと「隠れていた自己」なる者が出てきてくれて、解放に至ったことは大きな喜びでした。

上記のレポートが来て数日後、彼女は過去生回帰の個人セッションを受けるために、東京から来られました。つい昨日のことです。そのときの内容につきましては、また彼女のレポートが届きましたら、お知らせしたいと思います。
2時間のセッションのあいだに、4体の過去生が出てきましたが、登場する順番も適切で、ほんとうに前もって準備されていたかのようにスムーズな流れであり、感動しました。

頑なに出て行きたくないと思っていた者も、実際にそこで大いなる気づきを得、改心して、感謝を持って光の世界に旅立っていく者たち(自分の過去生)の有様を見て、自分もあのように許されるのかな? 自分もあのように光の世界に行けるのかな? という可能性を信じはじめ、我も我もと登場し、いずれも話をしていくうちにしだいに癒され、心を開いていくことができたのです。

可能性を信じること」、「自分の内側に光を見い出すこと
その二点が、彼らの閉ざしていた心の扉を開いてくれました。

いくらわたしが説得しても、彼らがいつまでもそのことに納得し、気づかなければ、「馬の耳に念仏」にしかすぎないでしょう。
しかし、いつもそうなのですが、彼らが必ずわかってくれると信じて伝えていくうちに、彼らもしだいに理解してくれるようになるのです。不思議なのですが、頑なに閉ざしていた人ほど、その扉を開けば、感謝と歓喜があふれんばかりに返ってくるということです。その体験をたくさんさせていただきながら、光の領域に送り届けることの幸せを感じる今日この頃です。

あなたも、もう役に立たなくなった不必要な思念を手放すことで、新しい領域へと踏み出すことができます。
執着を手放すこと。過去の喪失や欲求を手放すこと。期待を手放すことなど、人によって、手放す必要のある事がらは多々あるでしょう。

今までずっとしがみついてきたものを思い起こしてみましょう。
そしてしがみついていてもうまくはいかないと感じたなら、手放す決意をするのです。
まずはそれに対する苦痛の感情がすっかり消え去ってしまうまで感じきってみましょう。
そのあと、ハイアーセルフにお願いをして、手伝ってくれるのなら、一緒にそれを解放する試みをしてみてください。





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手放しを信頼する瞬間
存在と苦闘するのをやめる瞬間に
すべてに対して思い悩む必要はなくなる
存在が面倒をみてくれる

人間のマインドのすべての苦悩は
マインドが止むことなく闘い
流れに逆らって進もうとするところにある
マインドがそうするには理由がある
流れに逆らって初めてエゴは満たされるからだ
ただ生の流れに身をまかせ
あがきもせず
生が望むところならどこへでも導かれてゆくとき
あなたのエゴは消滅する

あなたは、今よりもっと在る
―より真正に、より真実に―
だが、そこに「私」という感覚はない
そのときは、自分がどこへ向かっているかを見ることができる



飛び立つ白鳥


エゴを持たない人は
あなたが進むときにできる道さえも見ることができる
大空を飛ぶ鳥の足跡さえも見ることができる
飛ぶ鳥は足跡を残さない
だがマインドからエゴが一掃されたとき
全存在は塵ひとつない鏡となり
そこに鳥の足跡さえも映し出すことができる






ふたつのハート

一滴のしずくが池の水面へと落ちていくように、
あなたの執着を落としましょう。

しずくが水面に落ちて、溶け、
溶け去っていつか大海とひとつになったとき、
あなたはもう「私」や「自己」という思考から逸脱しています。

drops-of-water 1


「私」や「自己」の消失こそが、
永遠なる無垢を生み出すのです。


2016年2月16日
カヴィーシャ・光の仕事人





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