生まれることの意味

2015年10月24日 17:00


◆課題の個人レッスンから
  ~「観念」について~



今回は「課題の個人レッスン」で、ひとつの「観念」を解放できたR.Iさんのレポートを掲載させていただきます。

この世界はまちがいなく「観念」で出来上がっています。ですから、「観念」はどんな人にもあるのです。ただ、「否定的な観念をもつ」か、「肯定的な観念をもつ」かで人生は大きく違ってきます。

自分が勝手に創り上げた「観念」にがんじがらめになっている人たちは、ほんとうに沢山いらっしゃいます。もうどうしようもなくネガティブになっている「観念」を手放して、ポジティブな「観念」を選択してみてはいかがでしょうか?
ご自分に照らし合わせ、参考にしてくだされば幸いです。
(青字はカヴィーシャで、緑字はR.Iさんのコメントです)



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カヴィーシャ様

見えない身体が頻繁に壊れる原因となっている課題があれば、そちらを先にクリアしたいと思うとお伝えしたところ、既にクリアできたはずの「観念」という課題がまたやってきて、正直なところ、課題が増えたこと、そして同じ課題と向き合う必要のあることにややげんなりしました。
しかし、薄々自分でも感じていたネガティブな観念と向き合う必要があるのだと感じてもいたので、そのことについてレポートを書かせて頂きます。

【★あなたが持っているネガティブな『 観念 』はきっとたくさんあるでしょう。どんな『 観念 』があるでしょうか?
愛や人間関係、健康やお金などに対して、また人生について、あなたがどんな『 観念 』を持っているのか、まずは書き出してみましょう。】


生きることは苦しいことであり、苦痛に満ちているという観念がありました。

★かつてのゴータマ・シッダールタと同じ観念ですね。(彼は生きることの苦しみ・老いることの苦しみ・病気になることの苦しみ・死ぬことの苦しみから逃れるために出家した人です)


あるとき、家の中に入って来た小さな虫を無意識のままに殺していました。生きとし生けるものすべての命は平等に尊いものであると頭では考えているのに、偽善でしかなく、虫を殺すという行為を一体どのように正当化するのだろうと自分に問うたところ、「虫として生きることの苦しさから解放してあげたのだ」という何ともおこがましい考えが頭をよぎり、私は一体何様のつもりなのだろうと落ち込みました。その考えには虫の生を軽んじていることと同時に、生きることそのものが苦しいことであるという考えが自分の中にあることに気がつきました。

★それは貴重な気づきでしたね。
しかし、虫はあなたのように生を苦だとは思っていないのではないかと思います。虫は短い一生を、ただその瞬間を一生懸命生きているだけです。


自分が今生で経験していないことは、すべて苦しいことであるという観念があり、遠ざけている結果、未経験のままでいる(または経験していても再度挑戦したくない)のかもしれないと思います。
恋愛も楽しいのは最初のうちだけで、そのうち相手や自分と向き合う必要が生じて、面倒なことばかりやってくるように思えます。楽しそうな結婚生活を送っている人は周りには少ないですし、子育ても誕生の瞬間は喜ばしいのに、その後は「こんなに大変だとは思わなかった」と文句を言う親ばかりです。わざわざ大変で苦しいことを選択していても放り出したくなるのだから、あえて苦痛を選択しない生き方をしても良いのかと思っていました。
苦悩や苦難にばかり目が向いており、苦しさが成長のための通過点であるという風に考えづらかったのです。

★苦難に耐えること、それを克服することは、まちがいなく魂の成長と進化に大きな影響を与えています。


そして私にはその苦しさや困難を乗り越えることができないのではないかという思いがありました。自己不信です…。
そしてその苦難は立ち向かうに値する結果をもたらすものなのだろうかという損得勘定も働いていました。

一方で、楽しいことを追及しているハート全開な人たちを、やるべきことをやらずに苦しい現実と向き合わない人たちだと心の中で批判していたことに気づきました。自分のしたいことが何かを分かっていて、それをしている彼らをうらやましく思う気持ちと、本当の意味での困難に立ち向かえていない自分自身に対する批判がまざった複雑な感情であったと思います。そして楽しそうにしている人たちの陰の努力を見ようとしなかったのです。
そして人生は苦しいものであるという思い込みから、私は苦しまなくてはならないと思っており、しかし苦しみたくはなくて、苦難に立ち向かえない自分は人生から逃げているのではないかと自己批判をして苦しんでいました。(なんと面倒くさいこんがらがった考えなのでしょう!)

★すべて自分がつくった勝手な思い込み(観念)が原因ですね。


先日、ハワイで初めてサーフィンをしました。
波に乗る前に沖に向かうためのパドリングが非常に疲れるものでしたが、うまく波に乗れたときの楽しさは何物にもかえられない喜びでした。地球とつながっている、地球と遊んでいる感覚というのでしょうか、自分の身体の細胞のすべてが喜んでいるのを感じたのです。
そしてまた次の波に乗るためにパドリングをするわけですが、これが大変疲れるもので、腕の筋力が弱い私にはかなりキツい運動でした。でもまた波に乗りたくて頑張れるのです。疲れたら波の上で休憩し、元気が出たらまたパドリングして波に乗ることの繰り返しでした。
サーフィンは人生を象徴しているのだと思いました。

★そうですね。とても象徴的です。
海や山や森林には、目に見える生命のほかにアストラル体やエーテル生命などの独特の生命があって、これらがお互いに繋がって望ましい影響をおよぼします。ハワイの海に直接触れることができて、ラッキーでしたね。


苦しさは一過性のもので通過点であること、苦しさを超えると楽しさがやってくること、いつもいい波があるわけではないけれど、波に乗れたときの歓喜は何にもかえがたいこと。波にうまく乗れず海に落ちることもありますし、波を待つ必要もあるのですが、そのすべてが楽しさにつながっていること。
そして苦しさを通過することで手に入る喜びがあることに気づいている必要があると感じました。その楽しさを知ると、苦しみは苦しみですらない、楽しい時間のための準備であると感じられるのだと思いました。

★それを知ったなら、今後つらい思いがやってきても、乗り越えられますね。


サーフィンの最中は無我夢中でここまで感じることはできませんでしたが、あとになってとても学びの多い時間を過ごせたのだと分かって、ありがたい時間だったと思っています。

また、サーフィンを通して感じたことですが、何かを得ることを目的として行動するのではなく、ただ楽しいからやりたいと思うことを自らに許可していく必要を感じました。数秘リーディングにおいて第4ピークでそれをする必要があると教えて頂きました。リーディング結果を頂いたときは理解できなかったのですが、楽しさを追及していく感覚、そして自分自身が喜ぶことをしていく必要があるということがどういうことなのか少し理解できました。

★よい体験ができましたね。


★はい!波乗りの合間、サーフガイドの方に、こんなにも楽しいのならもっと早くに経験すれば良かったと話したところ、「待つ必要のあるものも存在するし、待つに値したでしょ?」と言われました。深い言葉だと感じました。若いうちに経験できていたらそれはそれで良かったのでしょうが、今だからこそ気づけたこともあったと思います。良いタイミングで良い経験ができたのだと感謝しています。


私の身体に入り込んでくる別人の魂に対して、他人の身体に入らずに自分の肉体を持つ勇気を持ってほしい、人生は楽しいのだから頑張ってと説得していましたが、私自身が人生は楽しいと思っていなかったのですから、矛盾しており、まったく説得力がなかったのだと思いました。そして人生は苦しいものであるという凝り固まったネガティブな観念がネガティブな存在を呼び寄せていたのではないかと思います。

★その通りだと思いますよ。


自分のフォーカスをどこにおくか、どちらの感情を選ぶかで未来は決まるものであると思います。人生が苦痛に満ちているといえばそうなのだろうと思います。しかし同時に人生は歓喜に満ちている。苦楽はコインの表と裏のような関係であって、どちらかのみというものではないのではないかと思います。
ネガティブだけの「生きることは苦しいことであり、苦痛に満ちている」という観念は私にはもはや不要なものであるので、手放しました。

★手放せています。もっともネガティブな観念を、真っ先に手放すことができましたね。おめでとうございます!


★ありがとうございます!とても嬉しいです。


観念を手放しても、苦しさを感じないというわけではなく、これまでそうであったように、きっとこれからも苦しいと感じるときもあるのだと思います。(特にネガティブな存在に影響されているときは本当に苦しいので…)しかし苦しいと感じることに蓋をするものではなく、苦しさを感じていることを認めたうえで、その困難を避けず、苦しみを通過すれば歓喜があることを腹に落として、これからもめげずに課題に挑戦し、人生を全うします。

★すばらしい心構えです。垢ぬけした感じがします。
これからはチャレンジすることにも喜びをもってください。
今回クリアできた観念以外にまだあるかどうかを考え、あればまたレポートしてください。
カヴィーシャ


★ありがとうございます!課題をお休みすることで、課題のありがたさに気づけたことが私を変えたのかもしれません。お休みすることをお勧めいただきありがとうございました。
昨日、課題をすべてクリアしたら見える景色が変わるのだろうなと思い、それがとても楽しみだとお腹の底から感じました。マインドで考えたのではなく、ハートで感じたのです。そう感じることができたことがとても嬉しかったです。
(頭で『「課題がクリアできた後が楽しみだ」と考えるべきだ』とずっと思っていたのです。これも思いの制限であったのだと今になって分かりました 笑)
観念、思い当たるものがありますので、次回はそちらについてレポートさせていただきます。
引き続きどうぞよろしくお願いいたします。


お読みいただきありがとうございました。

愛と感謝を込めて!
2015年10月21日
R.I



紅葉



◆生まれ変わることの意味と原因



このブログを長年読んでこられた皆さんは、ご自分が多くの過去生を持っていること、すなわち数えきれないほど、さまざまなものに生まれ変わってきたことを知っておられると思います。
そして、「自分がなぜここに生まれてきたのか?」を考えたこともおありでしょう。

人の生まれ変わりの原因は、いったい何だと思いますか?

根本的な原因は、それが「宇宙の意志」であるということです。
宇宙の意志」が個々の魂に刻印されて、自らを現象化したいという欲望となって現れているということです。各々の魂は、「宇宙意識&意志の行為」を真似て、さまざまな下位の界層に自分自身を表出し、注ごうとするのです。

ですから、人がこの地上に生まれてくる原因のひとつは、それぞれの魂が自分自身を思う存分表現したいということです。いつも言っていることですね。
ふたつめは、自分が生きているということを意識させ、感じさせることのできる、すなわち外部からの印象や衝撃を受けることのできる場所を見いだそうとする「渇望」があるということです。
これは、一般的に言うところの「生存欲」なのではなく、さらに自分が宇宙意識のように完全なる現れ方をしたいという欲望、もっと生き生きと活動していることを実感したいという欲望、あらゆる可能な行動をし、あらゆる界層で感応したいという欲望なのです。
それを体験することによって、その結果、魂は完全なる同情や共感に達することができるということです。

あなたは、この世に出て来たいから出てきたのです。
もう二度と出て来たくない人は、この世界に戻ってはこないはずです。
この地上に何かあなたに与えるものがあるとき、その欲望が少しでもあなたに残っているとき、あなたは戻ることを欲し、戻る決意をするのです。
このようにして、魂は自分の意志に反してこの苦悩の世界に押し戻されるのではなく、この世界に対する自分自身の激しい渇望によって戻ってくるということです。
あなたが不完全である限り、あるいは、もうこの世に望むものは何もないという地点に到達していない限り、あなたはこの世界に戻ってきては、生まれ変わるのです。

宇宙には「進化」という目的があります。宇宙は常に進化しつつあり、完成されたものというのはどこにも存在しません。「完成は無限の営み」なのです。
シルバーバーチは言っています。
あなたは永遠に達成されることのない完全性へ向けての無限の進化の道を歩みつつあるのです」と。

ウパニシャッド』には「人間は欲望に導かれてこの世に生まれる。従って、この世のもの一切に対する欲望を抹殺してしまえば、彼はこの世から去って二度と生まれ変わることはない」というような箇所がありますが、ゴータマ・ブッダが説いたのも、結局のところ、これと同じことですね。彼は自分のなかにあるすべての欲望を消失させろと言っていますから。

しかしながら、欲がまだあるにもかかわらず、それを無理やり消滅させようとする方法はどうなのかな? と思うのです。それは抑圧にしかすぎず、真に解放されたものではないし、本心ではないからです。
魂は生き生きとこの世界で表現し、活動したいのに、なぜそんなに自分を否定するのかしら?と疑問に思うばかりです。

ゴータマ・ブッダは、四苦八苦(しくはっく)について語っていますが、このとは、「苦しみ」というよりは「思うようにならない」ことを意味するようです。
根本的な苦は、生・老・病・死の四苦ですが、 この四つの「思うがままにならないこと」に加えて「愛別離苦(あいべつりく) - 愛する者と別離すること」「怨憎会苦(おんぞうえく) - 怨み憎んでいる者に会うこと」「求不得苦(ぐふとくく) - 求める物が得られないこと」「五蘊盛苦(ごうんじょうく) - 五蘊(人間の肉体と精神)が思うがままにならないこと)の四つの苦を合わせて八苦と言っています。

つまり、皆さんは、いろんなことをしたいのだけれど、思うようにならないから「苦しい」と感じるのであって、すべてが思うようになっていたら、この世は楽園のような気がするにちがいありませんね。

なぜ、思うように事が運ばないのか、それはすべてあなたがそうしているだけで、勝手に思い込んだ「観念」によって、がんじがらめになっているだけではないのですか? 
制限をかけて足を引っ張っているのは、他の誰でもない結局のところあなた本人なのではありませんか? 
思い方を変えれば、あなたはいくらでもハッピーな道を選択できるのです。とにかくすべての原因は自分にあるのですから、嫌ならその「観念」を手放せばよいだけのことなのです。何も難しいことはありません。道理がわかれば、簡単なことなのです。執着さえしなければ、いまこの瞬間でも手放せることなのです。そこに気づいてほしいと思います。



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◆悪霊が増えています!



今現在、悪霊で悩んでいる人は決して少なくはないと感じるので、少しお話をしておきたいと思います。
10月に入って、急激に人間の足を引っ張るような悪霊が多くなったのは事実です。門下生準備コースを選択している人は、特に自分自身の体験として強く感じておられることと思います。

ある闇のグループに所属する霊たちが人間界に「悪霊」として多く出始めたのは、闇の役割を担当しているそのグループの長が交替したのが原因でした。その長の手下たちが各々自分勝手に動いて人間界に悪影響を及ぼしていることがわかったのです。人間の肉体に入り込んで、100%乗っとるケースも多々あります。世界の最悪のニュースからも非常に陰湿なやり方で人類の力を弱めていこうとする動きが感じられるかと思います。

わたしは地球を守るためにも、これ以上人間の意識レベルを下げたくないので、以前のグループ長に再度復帰してもらい、きちんと責任を持って闇の役割を統括するようお願いしました。そして、一般的に悪霊と呼ばれるような者たちは「新たに創った意識レベルの低い領域」に行ってもらうこととなりました。(この領域については、あくまでも個人の観念によるものなので、感知できるかどうかはそれぞれ異なるということを付け加えておきます)
ところが、その領域が創られてまもなく、なぜかそこへ行くことを拒む悪霊たちが、わたしのところへどんどん来るようになったのです。つまり光の領域に行きたいから浄化してほしいというわけです。そこで、どっとわたしの仕事が増えてしまいました。

10月15日にはその噂が広がったようで、わたしのところに来た悪霊だけでもおよそ9,000体いましたし、人霊はおよそ14,000体、妖精は3200体、17日には再び悪霊1677体を浄化しています。
毎回少しずつ来られると、一日中浄化していなくてはならなくなるので、光の領域に行く船をつくり、乗っていってもらいました。その浄化作業は、その後も続いています。

このように改心して浄化されて、光のサイドに行きたい者だけなら、すぐに行ってくれるので楽なのですが、自分でもどうしていいかわからない悪霊たちもたくさんいて、「意識レベルの低い新しい領域」にも行きたくないし、「光の領域」にも行きたくないし、「ブラックホール」にも行きたくないと、どの選択もできない者たちが来はじめるようになりました。
説得すれば、たいてい浄化箱に入ってくれるのですが、人によっては悪霊を説得できない場合が多々あり、困りかねて毎日のように相談してくる人たちがいらっしゃいます。

いつまでも「浄化されたくない」と言ってそこに居座っている連中は、来ている意味が不明なのですから、さっさと追い出してしまえばよいのですが、追い出せないまま影響されて、プラーナを奪われ、見えない身体が壊されている人も現にいらっしゃるのです。

要するに、悪霊を説得できないし、追い出すこともできないからそんなことになっているわけなのです。
わたしがいくらその時々に見えない身体を修復して、プラーナを補充したところで、本人が悪霊たちを説得する力量を身につけない限り、同じ繰り返しなのです。悪霊もちゃんと相手を見ているのです。怒鳴ろうが何をしようが、ちっとも出て行かないのはなぜなのか? をちゃんと考えてくださいねと申し上げておきます。

前回の記事にも書きましたが、悪霊も愛がほしいのです。どんなに強がっていても、認めてほしいし愛してもらいたいと思っているのです。たいていはそれが得られなかったことで歪んでしまったのですから。
悪霊と言っても、あなたがたと少しも変わりはないのですよ。共通点はいろんなところで見出せるはずです。あなただって、まるで悪霊と変わらない心情をお持ちかもしれないでしょう? そして、このままでは死後、悪霊と呼ばれてもしかたがない存在になる可能性はないとは言えないはずです。ですから、そんな人たちを邪険に扱わないことです。

人間の足を引っ張るということばかりではなく、あなたと共通するところがあるから来ている場合もあるのだということを知っておいてください。
また、どうしていいかわからないから、あなたに判断を下してほしいのかもしれません。
自分でもどうしていいかわからない人がこの世には一杯いますが、あの世にもどうしていいかわからなくて浮遊している者たちが沢山いるということです。

悪霊は、たいてい元は人間です。人霊の最悪のネガティブサイドから来た者たちということです。そういう人たちが来たら、話してみることです。そして、変容する機会を与えてあげることです。
要は、あなたにどれほどの愛があるかということです。厳しく突き放すことが必要な場合はそうすればよいし、優しく説得することが必要な場合はそうしてください。
ケースバイケースで、悪霊と対峙するのです。その結果、悪霊をどれだけ感化することができたか、それは悪霊たちがはっきりと証明してくれるでしょう。



鉄輪



◆低級霊に悩まされるわけ



どうしてわたしのところにこんなにネガティブな存在ばかりが来るの? と思って嘆いている人は多いと思います。

それは、あなたが過去生で「悪」を働いたからだと申し上げておきます。
悪の結果はアストラル恒久原子とメンタル恒久原子とに蓄えられ、それが種子となって、つぎに生まれ変わったときのアストラル体、メンタル体の質を決めるのです。従って人は過去生からの悪の結果に対して、繰り返し繰り返し対面しなければならないのです。それはその人がついにその悪を克服し、各媒体から悪への傾向を一切根絶し尽くすまでつづくのです。このことは古き偉大な智恵をもった人たちが言っていることです。

神智学大要 コーザル体』のあるところにつぎのようなことが書かれています。

魂の前世のかずかずの罪が罰されるのは実にこの再誕、この神秘的な、呵責なき、しかしその命令の公正かつ英智において決して誤ることのない法則が選びかつ備えた再誕においてである。魂が投げ込まれるのはあの芝居じみた火焔や、滑稽な尻尾と角を生やした魔性たちのいる、創造の産物である地獄ではなく、彼が罪を犯した界層や地域である実にこの地上なのであり、そこで彼は自分の犯したあらゆる思いと行ないとを償わなければならないのである。

蒔いた通りに彼は刈り入れなければならない。生まれ変わりは彼の廻りに過去の彼(低我)の手によって、直接または間接に、あるいは彼(低我)自身はたとえ意識はしなかったにせよ彼(低我)のために苦しめられた他の魂たちが集められる。
彼らは古い、永遠の魂を隠しているこの新しい人間に出会うようにネメシス(ギリシア神話、因果応報の女神)によって投げ入れられる。……新しい「低我」は特定の特徴、色、形、質を持った新しい洋服のようなものである。しかしそれを着ている本物の人間は過去と同じ罪びとである。(『神智学の鍵』141-142頁)


カルマは、魂が新しく転生する道となる線を引くものです。人はみな蒔いた種を刈り入れるのに適した肉体を選んで産まれてくるのです。どんな低我のための条件であっても、魂はその明晰なヴィジョンでもって直ちに受け容れることが賢明です。
低我の限られた知識からすれば、地上の体験には不必要なほど苦痛であり、不公平であることも多いようです。
しかし、魂は、肉体という忘却の河に飛び込む前に、わが魂の成長のために与えられるチャンスをもたらす複数の原因を見ているのです。ですから、過ぎ行く悲しみや苦しみもすべて秤にかけてみれば、結局はいかに軽いものであるか、地上の喜びも悲しみも遠くまで見透す凝視(まなこ)にとっては、いかに些細なものであるかがわかるでしょう。 (『神智学の鍵』155頁参照)

アストラル体は想念に対してすぐに反応します。
それが他者からの想念であろうと、自分自身からの想念であろうと、アストラル体に当たる想念波すべてに応えることを喜びとするのです。ですから、習慣的に悪しき想念に応えるようになったアストラル体は、その近くにあるさまざまな想念形態や欲望形態のうち悪しきもののほうを引き寄せる磁石のようになるのです。
但し、清浄なアストラル体はそのような悪しきものには反発します。そして、同調する質料と波動とを有する想念と感情だけを引き寄せるのです。

神智学大要』には、つぎのように記されています。

アストラル界には低級な自然霊たちがたむろし、彼らは怒りと憎しみとの粗い波動を歓び、その類の流れの中に蝟集(いしゅう)するために、その波動を強め、それがまた彼らの生命力をますます強める。低級な感情の虜(とりこ)になりやすい人は、そのような感情の爆発を今か今かと押し合いへし合いして待ち構えているこのアストラル界の「死肉喰い鳥(くろはげたか)」たちによっていつも取り巻かれていることに間違いない。

ふさぎ」は自然霊の影響による場合が多く、「怒り狂い」は一時的にアストラル体の支配を失い、欲望エレメンタルに支配権を取って代わられてしまったのであり、そういう状態の人は同じような死霊に憑依されているといってもよいでしょう。
ふさぐことは、進歩への障壁です。ふさぎがちな人は要注意です。



ふたつのハート

あなたの器をもっともっと大きく、深くして、豊かになってください。
豊かでない人は豊かさを相手に与えることはできません。
あなたがここに生まれてきた原因のひとつに、豊かになって、それを分かち合いたいということがあるはずです。

豊かさとは、感謝と賞賛。
そして、受け取り、与え、前に進む意欲です。
あなたに受け取る意志さえあれば、ありとあらゆる良いものが与えられるのです。
あなたがハートを開いて、心から感謝して受け取れば、さらに高いレベルで与えることができます。
そうすると、さらにもっと高いレベルで受け取ることができるのです。
そうなると、あなたはあらゆる面で、前に進むことができるのです。

この地上の生活は、魂が進歩する目的のために与えられているのです。
魂の進歩と発達こそが目的なのです。
自分自身の魂としての力をどのように発揮していくかということが目的なのです。

今、あなたに与えられようとしているものを、感謝して受け取りましょう。


2015年10月24日 カヴィーシャ・光の仕事人





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