愛を乞う者たちへ

2015年04月17日 00:00


★エネルギーバンパイアたち


妖精たち


花粉が飛ぶ季節が続いておりますが、花粉症の方はいかがお過ごしでしょうか?
今年も1月早々から数多くの妖精たちがわたしのところへ来ておりました。
毎日毎回同じことを彼らに繰り返し告げているのですが、おつむのよくない妖精が多くて、ほとほと疲れました。

妖精も人間と同じです。良質な妖精もいれば、悪質きわまりない妖精もいます。人間の言葉をよく理解できる妖精もいれば、まったく理解ができない意識レベルの低い妖精もいます。

わたしのところに来る妖精は、「浄化してほしい」という願望を持ってやってきている者たちもいますが、それ以外はわたしのエネルギーをもらいに来ているのです。
妖精にもポジティブエネルギーを欲する者と、ネガティブエネルギーを欲する者がいます。

ネガティブ霊がネガティブ系の魂を持った人間に憑きやすいのは、同じネガティブなエネルギーを好むからです。
妖精も同じで、ネガティブ系の妖精はネガティブエネルギーをもらいに来るし、ポジティブ系の妖精はポジティブなエネルギーをもらいに来るのです。
同じ部屋にわたしと長女がいるとき、わたしのほうにだけやってきて、わたしが反応する場合と、長女のほうにだけやってきて、長女だけが反応する場合があります。妖精の質がそこで判別できるのです。

もし、不快な症状を引き起こさせることがなく、逆に妖精たちが感謝の気持ちを表してくれたり、快感をもたらしてくれるのであれば、少しぐらいのエネルギーならプレゼントしてもよいと思うのですが、彼らはただ奪っていくだけで感謝の気持ちなどは一切ありません。おまけに不快感を残していくわけですから、恩を仇で返しているようなものです。蚊が血を吸っていくのと同じですね。

そういう者たちにエネルギーを与えるのは全く気が進まないので、いつも「人間の世界に来て、人間に不快感を与えることは罪である。だから、おまえたちの領域に戻りなさい。そして、戻ったら、みんなにそのことを告げなさい」と言って、追い返します。
それで素直に戻ってくれる妖精たちもいますが、なかには何度言っても全然聞く耳を持たず、腹立たしいほど飛び回って、症状を悪化させる者たちもいます。こういう「きかん坊」たちは浄化されることを嫌がります。もちろん強制的に浄化箱に入れることもできるのですが、彼らが自ら願わない限り、浄化する意味がないので、一切浄化はしないことにしているのです。

人のエネルギーを奪い、相手を不快にしても全然気にせず、ただ自分のことしか考えない妖精たち、人霊たち、異星人たち。本当に消滅してほしいと思うほど厄介です。
それで、彼らのような連中は、大天使ミカエルを呼んで、元の然るべき領域に連れていってもらいます。
ミカエルはいつもわたしのそばにいるのではないかと思うほど素早く対応してくれるので、本当に助かっています。
ミカエルは光系、浄化系を担当しています。その系統ではない魂の人が呼んだとしてもミカエルは来てくれません。実際にわたしの長女や次女が呼んでも決して来ることはありませんでした。
以前にも記事に書いておりますが、誰が呼んでもミカエルは来てくれるものだと思い込んでいる人たちがいらっしゃるようですので、霊的な繋がりがなければ、不可能なこともありますよということを、再度お伝えしておきたいと思います.。




   抱っこ


★愛されたい、認められたい願望の人へ



おそらく「愛されたい、認められたい」人へのメッセージは、何度か過去記事でお伝えしていて、「もういいかな?」と思うのですが、門下生となって学んでいても、未だに「愛されたい、認められたい願望」が明確に見え隠れしている人もおられますので、やはり再度取り上げることにしました。

おとなになっても「愛されたい、認められたい」願望が強い人は、子どもの頃に両親に愛されなかった、認められなかったという原因があります。
子どもの頃に十分に愛され、認められていれば、おとなになってから「ほしいほしい」願望が出る必要がないからです。

また、親から「人に愛されなければならない」「認められなければならない」という条件付けをされた子どもは、それがインプットされ、「そのようにあらねばならない」で頑張る人間になっていきます。おそらくその子どもの両親も、その条件付けをされて育ったのでしょう。そのような条件付けのパターンは、親から子へ、子からまたその子へというように、次の世代へと順に受け継がれていきます。これがよく課題に出てくる「先祖代々に伝わっていく問題」なのです。

「父に認められ、愛されなければならない」「母に認められ、愛されなければならない」という呪縛がある人たち、彼らは両親を絶対なる神だとでも思っているのでしょうか?
両親の考え方が、もしかしたら間違っているかもしれないのに(多くは偏見で間違っていることが多い)、なぜその条件付けにがんじがらめになっているのでしょうか? 

この世は「人に認められてなんぼ」の世界だから、認められるために頑張ることは仕方がないのだと思っている人たちも多いと思いますが、世間の人たちがどんな思考の、どんな意識レベルの人たちであるかを考えてみてください。
「課題の個人レッスン」などで、レポートによく職場の同僚や上司のことが書かれていますが、どう考えても異常波動を帯びた人たちばかりです。わたしはそんなレポートに対して、よく質問をします。
そのようなまるで妖怪レベルの人たちから認められて、ほんとうに嬉しいのですか? 満足できるのですか? そんな人たちから認められて、どんな良いことがあるのですか? と。

自分のことを自分で愛し、認められることほど素晴らしいことはありません。
だいたい自分のことを認められず、愛せないような人間に対して、いったい誰が魅力を感じてくれるのでしょうか? 
誰がそんな人の面倒をみるでしょうか?

自分の魂の根源が何者であったかを思い出すことができた人は、「愛と承認は自分の中にこそある」ということを実感できるはずです。


「4月の門下生セミナー」の講義内容は、まさしくそのことを知ってもらうためのものでした。
この深遠な真理を得とくしたなら、もう鬼に金棒なのです。「これ以上の講義内容はもう必要ない」とわたしは確信しているのですが、果たして理解がおできになったでしょうか?
それは門下生自身が自分のその後の波動の状態や生き方から、嫌でも知ることになるでしょう。




花とぬいぐるみ


★愛の欠乏が異常波動を呼ぶ



人に認められたい願望」は、イコール「愛されたい願望」です。
何でも「ほちいほちい」と言って甘えている赤ん坊や幼児を見てごらんなさい。
やれお腹がすいた、やれ抱っこしてほしいと、自分の欲求を満たしてくれるまで、泣きわめきますね。子どもというのは、お母さんの愛を得るためには良いことでも悪いことでもするのです。自分のことをかまってくれないと、親が怒るようなこと、悲しむようなことも平気でやります。わざとコップの水をこぼして注意を向けてみたり、自らの体を傷つけて心配をさせたり、病気になって面倒を看させたり、注目や世話をしてもらうために、わざとしますね。

今この記事をお読みになっている人のなかにも、そういう悪さをやってきた人がいるのではないでしょうか? 
要するに、愛というエネルギーがほしくてほしくて、仕方がないんですね。
愛は自分のなかから生まれるものであり、人から奪うものではありません。しかし、大部分の人がそのことを理解できません。

「誰でもよかったんだ」などと言って、不特定多数の人を殺したりする男性がけっこういますが、(女性の場合はそういうことをあまりしませんね)子どもの頃から親がかまってくれなかった腹いせにやっていることがほとんどです。
「見て、見て!僕を見て!」「僕を愛して!」という幼児期の意識状態そのものです。それが叶わないと「復讐」をするのです。親が世間から白い目で見られて困るのを想定して悪事をしでかし、「ざまあみろ!」「あんたが愛してくれなかったからさ」「こんなことが起きたのも、あんたたちのせいなんだ!」と相手に責任を押し付けるのです。
「期待」が外れると「復讐」をするというパターンがそこでつくられるわけです。
完全に異常波動となっていますね。愛を得られなくて、ひねくれ、歪んだ人が、異常波動を呼び寄せ、自ら異常者となっていくのです。
復讐すればするほど、その相手はますます愛してくれなくなります。鉄輪の女と同じですね。自業自得です。

もちろんそういう子どもに育ててしまった親にも問題は多々あります。しかし、とどのつまりは、そんな両親を選んだ、あるいは、そんな両親しか選べなかった自分をしっかりと掘り下げて見つめてみることこそが重要なのです。そのことを、ここで強調しておきます。

自分はなぜこの両親を選んだのか? 

それがわかれば、すべては自分の責任であることがわかり、誰にも文句は言えなくなるでしょう。だって、その人を母親に選んだのは、まちがいなくあなただからです。

「子どもは親を選ぶことはできない」とか、「望みもしないのに勝手に産んだ」とか言って、親を憎み、批判しているような人間は、物事の道理、宇宙のしくみ、転生のしくみがまったくわからない「無明の輩」つまり「おバカさん」であるということをはっきり申し上げておきます。
親となる人がOKしなければ、生まれてくることはできなかったということ、生まれる人と産む人、両者の同意がなければ、この世に現れることができないのだということを、胸に叩き込んでおいてください。そして、そのことを知った人は、知らない人にぜひ伝えていただきたいと思います。


友だち1

  
★わたしたちが生きているのは、愛することを学ぶため



他に愛を求めている愚かさを知りなさい!
そして、最後に自分自身に許しを与えることです。
これまで愛してこなかった自分自身を許すこと。
認めてこなかった自分を許すこと。
他者とは関係なく、自分で自分のことをしっかりと愛せる人間、
自分が認められる自分自身になることです。
それが真の自己確立なのです。


上記のことを、何度も何度も表現を変えて伝えてきました。
それでも、まだ腹に落ちていない人たちが大勢います。

愛されることを望むのではなく、自分自身を愛しましょう。
認められるのを望むのではなく、自分自身を認めましょう。


と言っても、自分を愛せているかどうかわからないという人もいるのです。
確かに自分を愛していると思い込んでいても、それは利己的な欲望から来ているもので、自分への「真の愛」ではない場合もあります。エゴと錯覚している場合もあるということですね。

「自分自身を愛すること」は、すべての「真の愛」のベースとなるものです。
よって、また近いうちに、「自分を愛する」というテーマのセミナーを開催する必要があるのかな? と思っているところです。
3人以上の希望者があれば、7月に上記のような内容のセミナーを開催したいと思っておりますので、希望者はこの記事の拍手コメントに希望の理由を書いて投稿してください。
今回は正式のお申し込みではないため、「非表示」にはなさいませんようお願いします。
お名前を書いていない人が多いので、必ず氏名か、ハンドルネームをお書きください。



ねずみとハート


★ミハイル・ナイーミは「ミルダッドの書」でつぎのように語っています。


 自己への愛がなければ、いかなる愛も不可能だ。
 いかなる自己も、すべてを包み込む〈自己〉でなければ、本物ではない。
 それゆえ神は全き愛。
 なぜなら神は神自身を愛するのだから。


 
 〈愛〉が神の〈法〉である。
 あなたがたが生きているのは、
 愛することを学ぶため。

 あなたがたが愛するのは、
 生きることを学ぶため。

 人間には他のいかなる授業も必要ない。



ハートの線

★「ミルダッドの書」に関心のある方は、
光の花束〈不滅の詩〉に書いた過去記事(ミハイル・ナイーミの言葉)もお読みください。
クリックしてください。 → 愛は生命の樹液


新記事:自分自身を愛しなさい もぜひお読みください。



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