恐れはどこからやってくる?

2015年01月29日 00:00


恐れはどこからやってくる?



あなたには今現在「恐れ」がありますか?

恐れ」がやってくるのは、あなたの心の状態がどんなときでしょうか?



恐れ」というのは、誰にでもあると言っても過言ではない「テーマ」ですので、読者の皆さんにも一度じっくりと考えてみていただきたいと思い、今回記事として取り上げることにしました。
1月の「門下生入門セミナー」での講義内容はこの「恐れについて」だったのですが、皆さんそれぞれ体得できたものがあったようで、第1回目のテーマとして適切であったと思っているところです。

ちょうどタイミングよく「課題の個人レッスン」で「恐れ」というキーワードが出されていた受講者さんがおられたのですが、その方のレポートが届きました。
恐れ」について、わたしの質問に対しての答えが詳細に書かれておりましたので、記載させていただくことに致しました。
もしかしたら、同じような体験をしている人がいらっしゃるかもしれません。参考例として、ぜひお読みになってみてください。
★の青紫色の字の箇所は、カヴィーシャのコメントです。



【あなたは一体何を恐れているのでしょうか?】


                       R.I 女性 39歳 東京

<見捨てられること、見放されること>

「恐れ」について考えたときに真っ先に頭に浮かんできたのが、見捨てられること、見放されること、でした。
私の子供の頃、両親の離婚話が持ち上がったことがあり、その際に母から妹の面倒を見なくてはならないので、私は連れて行けない、私は父と暮らすようにと言われました。そのとき、私は母に捨てられるのだと感じ、辛くて悲しくて、離れるのが嫌で、必死で抵抗しました。それが功を奏したのか分かりませんが、結局両親は離婚しませんでした。しかし、捨てられそうになったと感じた私の心は傷ついたままで、落ち込んだりするとこの出来事を思い出して、母の愛をなかなか信じることが出来なくなっていました。

★そうでしたか。悲しい体験をされたのですね。

その過去の経験を引きずって、捨てられないようにするためには、そもそも他者と深い関係を築かないようにすればいいのだと考える傾向がありました。本音ですべてをさらけ出して嫌われて捨てられるくらいなら、最初から拒絶してしまおうと思うのです。これは特に異性との関係において顕著に現れており、お互いに好意を持っていることが分かっていても、いずれ別れる=捨てられる(自分から別れを切り出すこともあるでしょうに、私はいつも捨てられることを恐れていました。)ことになるならば最初から関係を持たない方が良いと考えることがあり、友達のままで良いと思うことが何度もありました。が、結局は人によっては友人関係も続かず、なんだかとてももったいないことをしていたのだと思います。

★そうですね。恐れは、過去の中に生きていて、まだ起きてもいない将来に対処しようと思ったり、防衛したりすることからもやってきます。一度起きたことが嫌な記憶として残っている場合、また同じようなことが起きるのではないかと思ったときに生じるのです。過去の否定的な出来事にいつまでも嫌悪感を抱いていると、未来に投影されますから、あなたはそのたびに自分を守ろうとして、自らを他者から引き離そうとするのです。そうですね?
それに気づいたのなら、もう過去(お母さんに抱いた恐れ)を解放しましょう。


★カヴィーシャ様、おっしゃるとおりです。噛み砕いて分かりやすく説明してくださり、ありがとうございます。また上記でコメントしてくださったことで、理解して頂けるということがどれほどの癒しになるのかということが肌で分かりました。辛い経験をなかなか人に話すことが出来なかったのですが、自分の気持ちを表現するということの大切さも改めて感じました。癒しが起きると、自然と解放出来るのだと感じました。
また、私は落ち込んでいる他者の話を聞くときに、理解して受け入れるというよりは「でもこういう考え方も出来るんじゃない?」と意見することが多かったので、これも裁きであったのかもしれないと感じました。私は辛い経験を葬ったのだから、あなたもそうしろ!泣き言を言うな!と思っていたのだと気づきました。辛い思いを葬り去った気持ちでいても、きちんとネガティブな感情と向き合わないと後々まで影響することがよくわかりましたので、他者に対しても、一旦はそのネガティブな気持ちを受け入れて、その上で自分の意見を述べるという姿勢であれば、癒しをもたらすことが出来るのではないかと思いました。今後は意識していようと思います。


<自分が憑依されること>


カヴィーシャ様に教えて頂くまでは自分自身も悪霊に憑依されることがあるという自覚がなかったので、憑依とはとても恐ろしいことであると感じていました。それこそ取り憑かれて殺されてしまうのかと思っていたのです。怖い、嫌だと思っていたからこそ、呼び寄せてしまって頻繁に憑依されたということもあるのではないかと思います。

★それに意識を集中すると、ほんとうに現れてくるわけですね。だから、起こってほしくないことが、逆に起こりやすくなるのです。

<未経験のこと、未知なるもの>

変化を嫌う傾向があり、未経験のこと、未知なることに対して二の足を踏む傾向があります。また、様々な想像をして、身動きが取れなくなることが往々にしてありました。


【あなたの恐れはどこから来ているのでしょうか?】


私の恐れは私が頭の中で作り出しているものです。過去の経験に基づいて、恐れを作り出し、恐れのために行動が取り辛くなっていたのだと感じます。

【恐れを克服するために・・・】
(カヴィーシャ様から頂いた質問にはありませんでしたが、レポートを書くにあたって項目を作りました。)

<見捨てられること、見放されること>


子供の頃のことを思い出して今感じるのは、離婚騒動のおりに母は私を捨てるということが念頭にあったのではなく、母なりに最善のことをしようと思っていたのではないかということ、そして私はもうそのときの母に対する恨みの感情や悲しくて辛かった記憶を許して手放して、それをトラウマとして記憶するのではなく、自分の思いを正直に告げたことで私は母と離れずにすみ、両親が今も夫婦であるのは私があのときに最善を尽くした、それが成功して今も両親とともに家族としていられるのだという成功体験に置き換えてしまえばいいのだ!と思ったので、そうすることにしました。そしてあのとき頑張ったね!と過去の自分をほめてみました 笑 とても気持ちが楽になりました。この経験を通じて必要な学びがあったのだと感じます。

★ネガティブ思考からポジティブ思考になりましたね。


★カヴィーシャ様、ありがとうございます!これも突然降って来たひらめきのようなものでした。気づきはいつもこうやって、「!」と頭の中に降りてくる感じがします。

そして、私が自分自身を愛していれば、他者に捨てられることに対する恐怖を抱く必要などないのではないかと感じます。自分自身に対する愛を信じられないから、他者が私を愛してくれない=捨てられるかもしれないと不安になるのだと感じます。自分自身を愛していれば、自分をさらけ出したときに、相手がそれを拒んだとしても、去るものは追わず、というスタンスでいられるのではないかと感じます。拒まれたときに、それなりに傷つくかもしれませんが、それもまた学びだろうと思うので、傷つくことを怖がらずに、前に進もうと思います。

★ぜひそうしてください。

私はカヴィーシャ様から頂く無償の愛も、私には受け取る資格があるのだろうか、お返しが出来るのだろうかとずっと考えていました。愛を信じることが出来なかったから、素直に受け取ることが出来なかったのではないかと思います。また、愛をギブ・アンド・テイクの原理で考えており、さらに愛は限りあるものであると考えていたから、お返しが出来るのかと悩んだのだと思います。愛とは、泉のように絶え間なくわき上がる無限のエネルギーなのではないかと、エネルギーなのだから、受け取ることも与えることもケチにさえならなければ良いのではないかと思います。

★エネルギーは、与える側には何の問題もないのですが、与えられた側は、与えられっ放しだと、貸借対照表にマイナスがつき、どこかで返さないといけなくなります。ですから、もらった分に対して等価値のエネルギーを返すことは大切かつ必要なことなのです。(過去記事:2011年06月15日「一期一会の精神で生きよう!―今生で貸し借りのない関係にしておくこと」参照)

だから、わたしは皆さんに今生での借りをつくっていただかないために、エネルギーを使った時間に対して料金をいただくことにしているのです。
もちろん料金でなくてもよいのですが、何でもよいですよと言うと、等価値のエネルギーを返すのはけっこう難しいであろうと思うので、金銭にさせていただいているわけです。サービスが多くて、見合っていない場合も多いのですが。

ですから、愛やエネルギーを与える側は、相手がいっぱいいっぱいになるまで与えすぎてもいけないということです。それは溺愛で、相手を成長させるとは限らないからです。愛もエネルギーも、与えればよいというものではないということ、ケースバイケースで、相手のためにケチになることも必要ですよということです。
意味がおわかりになったでしょうか?


★カヴィーシャ様、過去のブログ記事の「支援する人、される人」を改めて読み返してみました。相手の力を奪わないよう、成長の機会を奪わないよう、相手にとっての最善を考えながら行動するということですね。
>サービスが多くて、見合っていない場合も多いのですが。
これは私が身をもって体験していることです…いつもありがとうございます!図々しくご好意に甘えさせて頂いておりますが、今私がカヴィーシャ様にお返し出来ることは、(直接カヴィーシャ様にお返し出来ることではありませんが)学ばせて頂いていることを活かすことなのかなと思っております。そしていつか自分が光の源泉となれるよう、日々努力して行きます。


★その通りです。あなたがまず成長してくださることが一番うれしいです。
そして、あなたが実際に体験して会得して成功したことを、まだ気づいていない人たちに伝えていってください。もし体験がなくてご自分で説明できない内容があったなら、この「思いの制限をひらく」というブログを勧めてくださることです。読めば、多くのことを知ることができるでしょう。そうすれば、あなたという「光の源泉」が、また多くの「光の源泉」をつくっていくことになるのです。光のとび火ですね。


私はブログを読んでいても自分を愛するということがずっと分からずにいました。
それでもセミナーで「自分を愛する瞑想」をしたときに喜びと安心感を感じたのは、そもそも自分の中に愛があったからではないかと感じたのです。愛し方が分からなかっただけなのではないかと思います。 ★そうです。
今、やっとそれが分かりかけて来た感じがありますので、セミナー後、毎日自分の身体に「ありがとう、愛してる!」と言っているところです。これからも続けて行こうと思っています。今でもセミナーのときのことを思い出して、嬉しくて涙ぐむことがあります。あのとき私の身体が感じた感覚は本物だった、とてもありがたい貴重な体験が出来たと感謝しております。

★瞑想中にあなたが泣いておられるのを見て、わたしはとても嬉しかったのです。あなたの体中の細胞が喜んでいて、あなたの守護霊さんまで喜んでいるということを知って、この「ありがとう、愛してる!」を心から唱える瞑想をつくって、ほんとうに良かったと思ったしだいです。


<自分が憑依されること・憑依されている他者>


憑依や悪霊の存在を感じることも経験していなかった(経験していても自覚がなかった)ので、恐れを抱いていました。何度も憑依されることを経験した今は、憑依や悪霊の存在を感じることは身体の感覚としては非常に不快で好ましくないことではあるものの、特に憑依については自分にエゴやネガティブな感情があることを知る機会としてとらえれば恐れの対象とはなりませんし、セミナーで教えて頂いたことを実践し、自分を保護することが出来ればますます怖くはないのではないかと感じます。

<未経験のこと、未知なるもの>

未経験のこと、未知なるものに対して恐れを抱きがちなのであれば、既知のこととするべく、体験する機会を増やして行けば良いのかと思います。
セミナーの際、最後の感想でもお伝えしましたが、私はカヴィーシャ様がもっと厳しくて怖い方なのかと勝手に想像しておりました。実際にお会いして、想像通り強く凛とした印象は受けましたが、きさくで楽しい方で、怖い方だというイメージは私が勝手に想像して作り出した恐れだったと思った次第です。レポートのコメント等でお叱りを受けて泣きそうになったことも多々ありましたが、厳しいときもありますが、その厳しさも深い愛によるものだと頭でも身体の感覚でも理解しましたし、もう怖くはありません 笑 ★それはよかったです。
これもセミナーで実際にカヴィーシャ様にお会いできたから分かったことです。セミナーに行くことを諦めてしまって、カヴィーシャ様にお会い出来ないままでいたならば、きっと今でも怖い存在のままだったのではないかと感じます。

★そうですね。なぜか恐れを持っていた人たちは、そうおっしゃいます。(笑)

マインドを落として、体験する機会を増やすこと、これが私にとって恐れを克服するということなのだと確信しました。これからも興味があることにはどんどんチャレンジして行こうと思います。

★実は、これは「門下生入門セミナー」で皆さんにお伝えしたことなのですが、恐れは克服されるものではなく、理解されるものだということを、Rさんにもこの機会に知っていただきたいと思います。

例えば、あなたが「死とは何か」を知ったとき、死が「大いなる虚構」であることを知り、肉体を脱いでも依然として意識はそのままあり、それは永遠に続くということを知ったなら、「死の恐怖」というものは消え失せますね。
理解さえすれば、すべてのことに対しての恐れは消え去るのです。
恐れは多くのことを理解していないために生じる「迷い」や「無知」からやってくるのです。わかりますか?


★カヴィーシャ様、目から鱗でした。恐れは克服すべきことなのかと思い込んでいました。おっしゃるとおり魂が不滅であるということが分かると、死は怖くないのだとブログを読んでいて感じたのですが、それは理解したからだったのですね。教えて頂きありがとうございます。


【裁きについて】


ネガティブ霊に憑依されている人に「本音で生きていないからそんなことになるんだ!本音で生きてよ!」と思っていたのですが、これは裁きではなかったかと反省しました。私が自分の「感じる能力を」尊重していなかったことが他者への責任転嫁となって裁きとなっていたのではないかと思ったのです。
私の「感じる能力」はもともと備わっているものだとカヴィーシャ様から伺ったとき、ネガティブな存在を感じる能力なんて、辛いだけだからなくても良いかもしれないと感じていたことを反省しました。この能力を持って生まれてくることを選択したのは私ですので、私はこの能力を持って生きることを選択した自分の意思を尊重しようと思いました。ネガティブな存在や場所を感じるだけではなく、ポジティブなことも感じられるわけですから、この能力を最大限活かす方法をこれから探って行けば良いのだと思います。

★そうですよ。そのようにしてください。


また、自分の意思を尊重するということは、他者の意思も尊重することでもあると思いましたので、憑依を経験している他者もそれが必要のある学びであると彼ら(または彼らのハイアーセルフや守護霊)が選択していることであれば、私はそれを尊重しようと思います。
ただ、それでも皆で意識を上げて、もっと住みやすい地球になったら良いのにとも思うので、善かれと思って「いい人」ぶって、ネガティブ霊に憑依されて辛そうにしているけれど、「いい人」ぶっているせいで憑依されているということを知らない人は、私がそうであるように、自分を愛することが足りていないのだろうなと思ったので「ありがとう、愛してる!」と心で言って波動を送ってみようと思って最近実験をしているところです。私が「ありがとう、愛してる」と自分に言い聞かせることで細胞も守護霊も喜んでくれたように、彼らも愛を感じることが出来れば、ネガティブが少し減るかな、と思ったのです。悪霊を感じるごとに、憑依されている人に向かって、頭の中で「一緒に頑張ろう、ありがとう、愛してる!」と言ってみることを繰り返したところ、私の身体の辛さが軽減されるということが何度かありました。(身体が辛すぎて出来ないときもありますけれど…。)愛が伝わって、彼らのネガティブが少しでも軽減されたなら良いなと思います。彼らの都合も聞かずに勝手に浄化しているわけではなく、愛を送っている(つもり)だけで、拒絶されてもその愛が自分に返ってくるだけなので問題ないかなと思っているのですが、如何でしょうか。

★とにかくやってみることですよ。
そして、どんな結果が得られるかをご自分で体得するのです。その結果というのは、誰のものでもないあなたの導いた結果なのですから、どんな結果が出たにせよ、きっとそれなりの自信が生まれるでしょう。あなたの体験した結果、成功した結果があれば、またよろしければ教えてください。


そして、先日カヴィーシャ様から頂いたメッセージを読みながら、ブログにあった山の写真を思い出し、ふと山登りの途中で登山者はまだ頂上につかないと嘆いて自らを裁くだろうかという疑問が芽生えました。登山者は頂上を目指しているものの、そこに到達できていない自分を否定して裁くようなことはしないのではないかと。おそらく頂上に到達出来るよう自らを励まして行くのではないだろうかと思ったのです。
私は、まだ出来ていない、頑張りが足りないと自らをむち打つのではなく、頑張っている道半ばの自分を認めて、チアリーダーのように頂上に到達出来るよう励まして応援していれば良いのではないだろうかと気づいたので、今それをしているところです。頑張っているぞ、引き続き頑張ろう!と自分にエールを送り続けることにしたところ、他者に対して寛容な気持ちが芽生えてきました。私がそうであるように、皆学びの途中で山を登っている途中なのですね。登る山はそれぞれが決めて来たことであり、頂上への到達への道も、方法も、様々でいいのですね。皆がいろんな経験をするから、他者の学びが私の学びとなり、そして私の学びが他者の学びとなるのだと思いました。そしてこれは競争ではなく、それぞれのペースで行けば良いのだとも思います。頂いたメッセージに書かれたOSHOの『あらゆる人を、そのユニークさを喜ぶ』とはこういうことなのだろうかと感じました。

そして、やはり自分の中にないものを他者に与えることは出来なかったのだと思います。
信じること、認めること、許すこと、愛すること、すべてまずは自分に向けて行うことが必要で、その上で他者にもそれが出来るようになるのだと言うことがやっと分かり始めてきました。

★わかっていただけて、とてもうれしいです。

番外編の【裁きについて】を加えたこともあり、とても長くなってしまいましたが、【恐れ】についてのレポートとさせていただきます。

いつも深い愛とサポートをいただきありがとうございます!
愛と感謝を込めて!

★「恐れ」についてはクリアできましたよ。
よかったですね。もう恐れることなど何もありません。(笑)



          雪が降る画像1


★エーテル体の治癒についての感想



前回の記事に書いておりましたエーテル体が壊れた女性の方の治癒が完了しました。この方はハートのチャクラ、すなわち第4チャクラの辺りに問題が生じていたのです。治癒を始める日時をお教えし、「第4チャクラのあたりが壊れているので、治癒後、何か体感があれば、教えてください」とお伝えしましたら、下記のような感想を送ってくださいました。
彼女は大変敏感な方ですので、その際の豊かな感覚を表現なさっています。全文ではありませんが、大事なところをピックアップして、掲載させていただきます。


紫の泡・ライン

カヴィーシャ様

こんばんは!
昨夜は遅い時間に感想文へのコメントを頂きありがとうございました。
エーテル体の治癒をしていただけるということ、そして頂いたコメントがとても嬉しくて、朝からうれし泣きでした 笑
また質問にお答えいただきありがとうございました。
やはり悪霊の存在が近くにいるとき、憑依のあるときは瞑想はしないほうが良いとのこと、承知しました。

そしてエーテル体の治癒をしていただきありがとうございました!

治癒をして頂いていた頃は幸い自分の席におりましたので、11時少し前から第四チャクラの感覚に意識的でいようと思っておりました。
11時頃、第四チャクラの前に手をかざしていたら、あたたかさを感じ、心臓のあたりからも熱を感じました。
その状態がしばらく続いたのですが、その後、第一チャクラからわき上がるような、螺旋状にのぼっていくようなエネルギーを感じました。これが振動なのかなと思いました。
その後、第六チャクラがビリビリする感じがあり、頭にエネルギーが上がって、後頭部と頭頂にあつさを感じました。また、手のひらの内側にも熱を感じました。ただ、不思議なことに手の表面はひんやりしておりました。

体全体があたたかく、自分の身体を取り囲む何か(これがエーテル体なのかオーラなのかは分かりませんでしたが)が膨張するような不思議な感覚でした。
(オーラが大きくなったのだとしたら閉じないと!と思い、その後オーラとチャクラを閉じてみたのですが、開いていましたね…練習します。)
身体の変化は15分ほど観察していたのですが、その後、心の変化に目を向けてみたところ、精神の状態はとても明るく、穏やかで落ち着いて満ち足りていて、平和でした。
エーテル体の治癒というなかなかできない経験をさせていただき、ありがとうございました!
もうエーテル体が壊されるような経験はしたくありませんが、身体にもっと目を向けて愛することを知るための学びだったのだろうなと思います。
セミナーでも教えてくださった身体に「ありがとう、愛している」と言うことはこれからも継続して行こうと思いました。
そしてマッサージはよほど信頼できる人が見つからない限りは行かないこととします。

また、二度も波動調査をしてくださりありがとうございました!
振動数が33万回とは…今までの振動数の3倍以上です。
そして意識レベルも少しずつ上がっているようで、安心しましたが、安心すると下がる傾向があるので、気を抜かず頑張って行こうと思います。

追記*
セミナーの感想文に書き忘れましたが、Tさんがチベタンベルを持って来てくださったおかげで、カヴィーシャ様の光の放射、そしてその後の音の変化を知ることができて、お二人に感謝です!
光が見えるかなと目をこらしましたが、目には見えなかったものの音は明らかに違っていて、光の力のすごさを目の当たりにしました。(省略)



紫の泡・ライン


★光の放射の効力



先ほどの「追記」の内容ですが、じつはTさんが持ってこられたチベタンベルの音が重く硬く濁っていて、なんだか変だったのです。何かネガティブなものが付着している感じがしたので、その場でほんの数十秒光の放射をしてみたのですが、結果、響きが軽くなり、澄んだ音になりました。
もう少し時間をかけたら、さらにきれいな澄み切った音になったと思いますが、Tさんにもその実験を続けていただきたかったので、わざとほどほどにしておきました。
Tさん、その後、光の放射の実験をされたでしょうか? もしかして、お忘れになっていませんか?(笑)

今回は、Tさんのチベタンベルのおかげで、皆さんの前で光の放射の実験ができましたが、わたしは毎度のように試しております。
たとえば、苦いコーヒー豆に手をかざし、豆を挽いてからもう一度手をかざすと、味が変化し、とてもマイルドになります。それを飲んだ次女が、苦みがないので、違うコーヒーだと思っていたらしいのですが、ほんとうに別のコーヒー豆のように美味しくなるのです。


光の放射をしてコーヒーを飲みましょう!


また、「もうだめなんじゃないかな」と思うほど茶色に干からびてしおれた植物に光の放射をし、少しお水をあげたら、次の日にはよみがえり、しゃきっと元にもどっていたので、前日にわたしと一緒に確認した次女が「うそでしょ!」と驚愕の声を放っておりました。

映画の「E.T」で、花とE.Tが連動していて、E.Tの具合が悪く、生命の危険があると、花がしおれる場面がありましたね。それと同じようなことがわたしの家でも起こっていて、長女に買ってあげた植物がしおれると、長女の具合が悪くなっているということがわかったのです。その長女の植物は、じつはわたしの部屋のデスクの前にあるラックの上に置いているのですが、その植物を見れば、長女に会わなくても、長女の状態がわかるわけです。

チベタンベルも植物も、意識的でいればいろんなことを教えてくれるのです。面白いですね。
皆さんも、光の放射の素晴らしさを体験していただきたいと切に思います。



ハート

恐れとは何か?
自分が何かひどい目に遭うのではないか…と恐がることですね。

恐れはどこからやってくる?
自分のしていること、自分の真実に責任を持っていないとき、
人からどう思われているのかが気になるとき、
批判や恨みや攻撃的な想念によって不愉快だと感じるとき、
世界はとても物騒だと感じるとき、
お金がなく、生きていくことが困難だと思うとき、
自分が肉体を脱いだときどうなるのか、
肉体の死後どこへ行くのかと考えたとき、
恐れが生まれます。

恐れは外側からやってくるように思えるかもしれません。
しかし、ほんとうは自分の内側からやってくるのです。

自分の心が別々のふたつのものを望んでいるとき、
どちらかを選んだときに必ず何かを失うと思うとき、
その「不安」と「迷い」からやってきます。
また、多くのことを知らない、
理解していないという「無知」からもやってきます。

恐れから逃げようとしてはいけません。
自分の恐れを知って、理解するのです。
自分自身を真に愛し、信頼していたら、
自分のなかの力を信じれば、
恐れは消え失せます。

恐れが消え失せるとき、
そこには必ず愛があるということを
体験してください。

2015年1月29日 カヴィーシャ・光の仕事人


                           羊さん




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