北海道旅行記

2014年10月23日 14:00


★北海道での交流会と個人セッションを終えて



北海道へと旅立った19日は、日本全国が素晴らしい秋晴れの一日でした。
寒さ対策をしていきましたが、暖房が効いた列車のなかやホテル内では汗が出るくらいで、旭川のホテルでは、客室の暖房をOFFにしていました。外を歩いても北海道だとはとても思えない暖かさで、驚いたしだいです。

交流会の参加者は3名でした。最初の時点では、希望者はその倍以上いらっしゃったのですが、準備が全く整っていない人、途中で異常波動が発覚して辞退された人などが出たため、少人数での交流会となりました。時間はたっぷりと3時間取っていたのですが、それでも30分延長するほど話は尽きませんでした。

個人セッションでは、オーラとチャクラを閉じたり、開いたりを自由にコントロールできるように練習をしましたが、それぞれに体感され、自分なりのコツをつかめたのではないかと思います。今回いらっしゃった方々は皆さん優秀でした。
浄化箱をつくる練習の際、ちょうどネガティブ霊が2体来てくれたので、実際に入れて確認することができたラッキーな人もおられました。
自分だけでは「どうかな?」と、もうひとつ自信が持てないときでも、わたしが確認をしてOKを出すことによって、「そうか、これでいいんだ」という確信と自信を得ることができたと思います。

自己流でいくらやっていても、常に不安はつきまといます。不安なのは、真にできているかどうかの「判断」と、その「確信」が持てないからです。
「身につく」というのは、指示されたことを、ハートをひらいてただ素直にやっていくことであり、そういう作業を怠りなくやっていった結果生じることなのです。
ここでは、全面的な信頼と受容がカギとなります。
眼に見えないことを実習するには、相互の信頼関係がなくてはできません。信頼の絆は愛よりも深く、強いのです。

信頼には愛のすべての美しさが込められている」とOSHOは言っています。
そして「信頼があまりにも真理に近いために、あなたの信頼が全一なら、まさにこの瞬間に、信頼が、あなたの真理、啓示、変革になる」と。

ですから、信頼関係が築けていない場合や、ハートをひらいて素直に受容する姿勢ができていない人たちは、準備ができていないということで、結果的にセミナーや個人セッションに参加することができなくなるのです。
今回出会った人たちは、以前にも個人セッションやセミナーに参加されていたり、「気づきのコース」で十分に交流していた人たちであったりしたので、ほんとうにスムーズにエクササイズができ、その成果を確認することができて、大変うれしく思いました。

いちょうとクマ


★旭山動物園で感じたこと



交流会と個人セッションを受けられた若い男性のT.Tさんが、21日に車で動物園まで連れて行ってくださり、園内を案内してくださいました。気温は5℃で寒く、空模様が怪しかったのですが、雨には降られずに見て回ることができました。

動物たちを見て、まず感じたことは、「みな死んだ目をしている」ということでした。
白クマはうつろな目をして座ったまま動きませんでしたし、ライオンやヒョウたちは半分眠っているようで、まったく動きませんでした。トラは一頭で狭い檻の中を行ったり来たり歩き回っていました。
キリンはプラスチックで作られた木の影で、口だけをもぐもぐと動かし続けていました。人工の木にも驚きましたが、キリンはとても悲しい目をして「ここにいたくない」と語っていました。
このキリンは「元気」という名前のオスでしたが、無神経な人間が与えたものに喉を詰まらせて死んだというメスのキリンと、そのお腹の中にいた赤ちゃんが生きていたなら、もう少し元気な姿が見られたかもしれません。

走ることもできない狭い檻の中で、彼らはただ鑑賞のために生かされているだけでした。
旭山動物園は、行動や生活を見せる「行動展示」を導入したことで注目を集めたということですが、その行動規模が思っていたよりも随分小さいことがわかり、がっかりしました。

展示」と書かれているのを見て、動物園を経営している人間からすると、動物たちは「展示品」にすぎないのだということを知り、ため息が出ました。つまり、動物は人間のための「動く展示品」にしかすぎないということです。もっと良い表現方法はないものかと思いましたね。

ある場所には、「檻の中にいる動物たちは決して可哀想ではないのだ」という内容が書かれていましたが、それを書いた人に「この動物園に連れて来られたすべての動物たちに、ここにいて幸せかどうかを尋ねましたか?」と言いたい気持ちでした。そして「それはあくまでもあなたがたの勝手な思い込みにしかすぎないでしょう」と。
動物たちの状態を見れば、「そんなことは訊かれてもいないよ」と言っているのがわかります。飼育員たちも彼らの心情を深く察することができないでいるとわたしは感じました。

もしあなたが死ぬまで「展示品」として、息がつまりそうな狭い檻の中で暮らさなければいけないとしたら、どうでしょうか? きっと死んだほうがましだと思うのではないでしょうか。

園内はすべてにおいて波動が悪く、各所で心臓がバクバクするのを覚えましたし、働いている人たちにも異常な気配を感じました。
ペンギンやアザラシが泳ぎ回る水槽があまりにも汚れていて、なぜ清掃をしないのか不思議でした。せっかく彼らを観察できるように窓が作られているのに、窓という窓はすべて付着物で曇っていて、向こうが全く見えないのです。また、檻の前の雑草は枯れっぱなしだし、暮秋という時節も重なってか、全体的に園内の風景が殺伐として見えました。
この動物園の人たちは毎日何をやっているのだろう? そんな疑問が湧きおこってくるような状態だったのです。

波動が悪いのは、観光客が多いせいということもあると思いますが、大きな原因は動物に対する真の愛が不足しているということに尽きるかと思いました。そのことはハイアーセルフにも確認しています。

愛のない場所で生きなければならない苦悩。
自由のない場所で生きなければならない苦悩。
「エサを与えられ、飼育してもらえ、生存できる動物は幸せなのだ」と思い込んでいるような人たちには、自由が手に入れば、いつ死んでも本望だと思っているような動物がいることを知らなければなりません。

生きながらえる」ことは、ほんとうに幸福なことなのでしょうか?

おそらく個々に価値観の相違があるでしょうけれども、あなたがあのような動物園で飼育されている動物だとしたら、どんな主張をするか、考えてみてください。

自分で探さなくても食べ物は毎回もらえてお腹をすかせることもないし、このままで幸せと思うか、それとも生命の危険にさらされてもいいから、狭い檻から解放されたい、そして、思うがままに駆け回りたいと思うか、どちらでしょうか?
それであなたがどんな生き方を望んでいるのかが明確にわかることでしょう。



     カメラ

★カメラが撮影を拒否しました



旭山動物園に行ったら写真を撮ろうと楽しみにしていて、わざわざカメラを持って行ったのですが、一枚も撮ることができませんでした。
しっかりと充電していったにも関わらず、写そうとするたび、赤色で「電池の容量がありません」と出て、何度試みてもシャッターが押せないという事態が発生したのです。(もちろん、家に戻ってからは、普通に写すことができましたが)

なぜそんな現象が起こったのだと思いますか?

それは、動物園全体の波動が悪すぎたためでした。
たとえ撮れたとしても結局は消去しなければならないからです。覇気が感じられない動物たちは写真に撮らない方がよいのです。
「それなら最初から写さないほうがいいよ」と、カメラが拒否反応を示して、そのことに気づかせてくれたのでした。特にわたしが好きなオオカミを撮りたかったのですが、そのことを知って断念したしだいです。

このように、写真に撮ってはいけない場所や物は、たいてい拒否のお知らせが来るので気づくのですが、皆さんはいかがでしょうか? 
蛇足ですが、やたら撮影しないほうがよい場所は特に神社や仏閣です。高貴なものが写る可能性はないと思ったほうが賢明です。波動の悪い写真を長い間カメラや携帯に溜めておかないようご注意くださいね。

観光客はみなカメラを動物に向けてシャッターを押していましたが、あれが一日中、何十年も続いているのです。もう慣れてしまったのでしょうが、撮られ続けている動物が気の毒で仕方がありませんでした。
ここを訪れる人たちや動物園を経営している人たちの意識が変わらない限り、光をいくら送っても、無駄であることを痛感するほどの状態であったことが本当に残念です。

園を去るとき、Tさんと「動物園を無くすこと」について語りました。自然動物園ならまだしも、このような狭い檻に閉じ込めた動物園は動物に対する虐待行為だと考えるからです。
動物を展示物としているような動物園を無くすこと。
これが、心ある人間が主張していかなければならないことであると、心から思ったしだいです。


★神霊にお願いし、信じること
   飛行機



北海道に行くに当たっては、以前から雨の神さまに、三日間は雨を降らさないようお願いをしておりましたので、週間天気予報で雨マークを見ても安心しており、傘も要らないと言うので、持っていきませんでした。案の定、予報はどんどん変更されて、最終的には晴れマークとなり、暖かい日が続きました。雨の神さまに感謝です。

わたしが心配していたのは、米子―羽田―新千歳までの飛行機の乗り継ぎ時間がぎりぎりの25分間しかなかったことでした。天候が悪く、霧などが発生して乗り継げない場合がよくあることや、特に搭乗口までの歩く道のりが長いこともあって、急いでもぎりぎりセーフであることを知っていたからです。
行きは係員のサポートもあって間に合い、ホッとしたのですが、帰りは少ない乗り継ぎ時間の上に、新千歳からの出発時刻が10分遅れたことがわかり、米子行きの便に乗れない可能性もあるのではないかという思いがふっとよぎりました。

余談ですが、JRも、行き帰りとも10分くらいの遅れがありましたし、北海道の交通機関は時刻通りではないことが多いのだと知りました。悪天候でもないし、事故でもないのに、JRがこんなに遅れる理由がわかりません。

飛行機もなぜ遅れているのか理由は告げられないためわからなかったのですが、羽田に到着予定の時刻ではとうてい乗り継げないと考え、キャビン アテンダントさんに事情を説明し、あとは守護の神霊に無事乗り継ぐことができるようにお願いをし、心穏やかにして待つしか術がありませんでした。

果たして、羽田に着陸した飛行機はそのまま長距離の徐行を続けていましたが、最終的に目に入ってきたゲートの番号を見て嬉しくなりました。
なぜなら、米子行きのゲート番号にごく近いことがわかったからです。通常の場所で止まると絶対に間に合わないので、わたしが乗る出発ゲート近くで降りられるよう配慮してくださったのです。
それから飛行機を降りるとすぐにわたしを待っていた係員が、一般人が通れない通路からわたしを搭乗口の待合場所まで連れていってくださいました。そのために、わたしは待合室にいた大勢の人たちよりも早くに搭乗口を通過し、機内に入ることができたのでした。

米子空港へは予定よりも早く到着し、無事帰路に着くことができました。そのように計らってくださった人たちと守護の神霊に心から感謝しているしだいです。

困ったことがあったとき、守護の神霊たちにお願いをし、信じて待つこと。
信頼が何よりも大切であることを、再度皆さんにお伝えさせていただきたいと思います。



クマと落ち葉


★旭川の波動が変わっていました



北海道行きを決めた7月頃は、旭川の波動がよいと出ていたのですが、実際に行ってみると、かなり悪いことがわかりました。おそらく紅葉の時節で、観光客がぐっと多くなったことも起因していると思います。
旭川駅に続く買い物道路を歩いていると、心臓がバクバクし、重苦しいものをずっと感じていました。商店街のコマーシャル放送が大音量で流れ続けており、うるさくてしょうがなかったのですが、町中に四六時中流されている音に対して、誰も文句を言わないのだろうか?と不思議でした。あれは、まちがいなく公害ですね。

街路樹は紅葉してきれいでしたが、歩きながら「この町には絶対に住めないな」と思いました。同じ日本であるのに、まるで異次元を歩いているような不思議な感覚だったのです。
北海道には大自然があります。きっと細かく調べれば、波動の良いところは多々あるのでしょう。しかしながら、あまりにも多くの人間が訪れることで、汚されていることだけはまちがいありません。これから雪が降り積もり、山はまたスキー客でにぎわうのでしょうね。



ふたつのハート

どんな場所でも、人間の意識の持ち方で、どんどん変化していきます。
環境をよくするのも悪くするのも、すべて人間次第です。

エゴに満ちた異常波動の人が歩けば、そこはまちがいなく穢れますし、
愛と光に満ちた波動の良い人が歩けば、そこは愛と光で満ちるのです。

だから、まずはあなた自身が「宇宙の本質(愛と悟り)に共鳴するポジティブな波動」を発する人となってください。

北海道の皆さん、全国の皆さん、そして世界中の皆さん、
この地球のどこを歩いても光で満ちるよう、
常に浄化の光を放射できる光の存在となってくださることを願っています。

2014年10月23日 カヴィーシャ・光の仕事人





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