孤独から「独り立つ者」へ

2014年04月20日 19:00

ちょうちょ2


★ 4月の課題の個人レッスンから ★



今回は、東京にお住まいの医学生、R.Sさんのレポートをご紹介します。
彼女はすでに数秘リーディングで自己探究を始められ、セミナーにも参加され、医学を学びながら、自己探究の真最中といいますか、奮闘努力中の心やさしいがんばりやさんです。

今回の課題は「個人の神話」という興味深い内容でした。
個人の神話」というのは、世界中にある神々の物語やおとぎ話、あるいは伝説、漫画の主人公などの生き方に沿ったその人の人生の「主なストーリー」あるいは「シナリオ」を表します。
たいていカッコいいヒーローやとてもポジティブな人物をイメージする場合が多いかと思います。そして、それは深い無意識層に潜んでいるもので、その人の人生の重要なトラウマと重なっていることが多いのです。

皆さんの心のなかにも、そういう「神話」が存在していないかどうかを確かめていただきたいと考え、彼女のレポートを掲載させていただくことにしました。
(レポートがいつも長文のため、重要な箇所だけをピックアップしております)

                   


◆「個人の神話のもとの人物」について


                       R.S 22歳 女性 東京


まずは、課題レポートに挑戦出来るOKサインが出て、とても嬉しく思います。22歳にして早くも課題が多いらしいことに笑ってしまいましたが、これは学びがいがあるな!とワクワクしています。時間はかかるかもしれませんが、一皮むけた自分に出会えることが楽しみです。お付き合い、よろしくお願いいたします!


     チューリップの妖精1


私の人生における重要なストーリーというのが、自分の中でピンと来ていないのですが、おとぎ話のもとになる人物は、心あたりがあります。

私は小さい頃から戦う女の子の話、特にアニメのセーラームーンが大好きでした。
セーラームーンだけではないのですが、好きな話に共通していたのが、純粋で真っ直ぐな主人公が、周りを変えていって、仲間との絆を深め、権力や悪と懸命に闘う所です。しかも、最後は悪さえも愛で包み込むんです。小さい子は憧れる子が多いと思うのですが、私は今見ても心躍ります。活力をもらえるのです。
そんな姿にいつも勇気をもらっていました。

多感だった小中学時代、熱心に物語を書いていた頃があったのですが、どの話を思い返してみても、大きな軸は、トラウマ(心の傷)を抱えた登場人物Bを、真っ直ぐでひたむきな主人公Aが様々な経験をしながら癒していくうちに、強い絆で結ばれるというものでした。(これは正直カヴィーシャ様に言うのも少し恥ずかしいのですが・・笑)

Bは、初めは暗く、悲観的で、自信がなく、自分には何かが欠けている、自分を愛してくれる人などいないと思っています。明るくふるまっていたとしても、どこか影のある人物です。
Bには、傷ついた自分自身を重ね合わせていたと思います。物語を通して、だれかに「そのままでいいんだよ」「そのままのあなたが大好きだよ」と言って欲しかったんだと思います。
無条件に受け入れてくれる人を、求めていました。

★カヴィーシャ:あくまでも他者にそれを求めていたのですね?

★R.S:はい、そうです。自分で自分を完全に受け入れるという発想がなかったというか、そういう相手がいてくれて初めて完成するものだと思っていました。
「自分こそが自分を完全に受け入れること、愛す事ができる」ということ、ハートでは感じていたと思いますが、マインドではその意味が理解できない感じでした。それでは、自分で慰めているだけじゃないか、と思っていたんです。そこに寂しさと言うか、虚しさを感じていました。

本当は、自分でそう心から言えることが、一番嬉しいことですよね。誰よりも自分自身に心から「そのままの私が大好きだよ」と言ってほしかったんですね。今ならそれが虚しいことではないということが分かります。とても満たされることなのだと。もっともっと、自分自身に語りかけるように、ハイアーからロウワ―な自分に言い聞かせてあげるように、愛の言葉をかけてあげたいと思います。
物語だったり、アニメだったりの場面に自分を投影しすぎて、肝心の自分自身にそう言った言葉をほとんどかけていなかった事に気付きました。


Aは明るく、少し強引な所がありますが、ひたむきで一生懸命です。間違った時には反省する素直もあり、Bのようなタイプにもとにかく正面から向き合います。
Aには、私のなりたい自分、理想の自分の一部分を投影していたと思います。傷ついた人を癒す、光のような存在に憧れていたので。そして、自分にもそういう部分が眠っていると信じていたかったと言う面もあります。そして、Aのような人に、無条件に受け入れて欲しかったという部分があったと思います。

実際の生活でも、理想の自分なら、どう考えるだろう?どう行動するだろう?と考えて動いていた時期もありました。そうすると、自分が物語の主人公になれたようでワクワクしたのです。
ですがそれは、私の人生ではなく、空想のAの人生を生きていたということなのでしょうか。そうだとしたら、少し悲しいです。

★カヴィーシャ: そうですね。 
さきほど「大きな軸は、トラウマ(心の傷)を抱えた登場人物Bを、真っ直ぐでひたむきな主人公Aが様々な経験をしながら癒していくうちに、強い絆で結ばれるというものでした」と書いておられましたね。
物語のなかで、AはBを癒していたのですよね? そうすることで、バランスをとっていたのではないでしょうか? それは、あなたの内側でも真に起こってほしかったことですね。

AとBは、ポジティブなあなたとネガティブなあなた。光と影。
あなたは二極に分裂したあなたを統合しようという試みをしたかったわけですね。

ただ、それがどんなにポジティブな内容であっても、補償行為であるのなら、物語に登場させる理想の人物にいくら才能やパワーを与えたとしても、それに対する承認や賞賛をあなた自身が受け取ることができません。
なぜなら、単に役割として演じ、あなたのネガティブな観念を否定して、埋め合わせをしているだけだからです。


★R.S: その通りだと思います。これからは、物語で演じていた役割ではなく、自分自身でやってみようと思います。調子のいい時は出来るのですが、調子の悪い時こそ忘れてしまうので、そんな時こそ丁寧に、自分に愛をあげたいと思います。「ずっと気付いてほしかったんだね、ごめんね」「大好きだよ」と言ってあげると、なんだかとても嬉しい気持ちになりました。


     ねずみ3


紫の泡・ライン


★このレポートが届いたあと、わたしのハイアーセルフから、今回の課題である「個人の神話」をさらに深める新しいキーワードが出されました。それは「観念」でした。

観念」は「過去からの固定した考え方」、つまり「凝り固まって柔軟性を失い、停止している思考」のことであり、「自分の世界を形作り、行動に影響を与えるもの」です。
たとえば、親から拒絶されたという「解釈」「判断」を経験すると、「自分は人から拒絶する人間だ」という「観念」ができます。そのせいで、その後も家族や友人から拒絶されるのではないかという怖れをもったり、いろんなかたちでそのことが行動として現われるようになるのです。


今、古い観念を解放し、自由になることを求められている彼女に対して、「あなたが持っているネガティブな観念はきっとたくさんあるでしょう。どんな観念があるでしょうか? 愛や人間関係に対して、また人生について、どんな観念を持っているのか、まずは書き出してみましょう」ということで、第2回目のレポートを書いていただくようお願いしました。
下記は、つぎに届いたレポートの一部です。



ちょうとつくし


*キーワード「観念」*
 ~私のもつ「ネガティブな観念」~



まずはカヴィーシャ様のコメントを受け、私の持つネガティブな観念を書き出してみました。自分が気付いていないもの含め、細かいことを挙げるときりがないほどある気がするので、まずは今私が一番違和感を感じていて、辛いのにやめられない行動のもとになっている観念を考えてみることにしました。

今、私が一番気になっているのに思わずしてしまう行動、「自分の主張を弱めに、他の人を立ててしまう癖」「周りに気を遣いすぎる癖」です。

★カヴィーシャ: わかりますよ。こういう人は傍から見ると、いわゆる「心優しい いい子ちゃん」ですが、本人は損ばかりする憂き目に遭いがちですね。

他にも「楽しくもないのに思わず笑ってしまう癖」がありましたが、これは最近なくなってきたように思います。
これをすると、自分でも本当に居心地が悪くなって、心臓が締め付けられるようになります。そう何度もある訳ではないですが、付き合いが浅い人、タイプが違う人と関わる時によく起こります。特に年が近い人達に対してです。

私の経験上、この癖が出た時事態がよくなったことはなく、それこそ、一般的にいうオーラがない人になる感じです。いてもいなくても気付かれない、変わりがない存在です。
「無視は最大の嫌い」と同じく、その場に存在がなくてもいいように感じるのは、私にとっては人間関係においてとても辛いことです。
自分に対しての自信もなくなって閉鎖的になっていきます。
このあたり、感情表現の3と協調性の2が上手くいっていない時の5の質がでているのかなと感じました。

そのもとになっている観念を考えてみました。
主張のつよい、気の強い自分を出すと、誰も周りに残ってくれないのではないか」という漠然とした不安もあるように思います。
また、しなければならない観念の中に、「人の痛みが分かる人間でなければならない」というものがあると思います。自分は我慢しても、相手を立てなければというような。
(中略)
それから、同年代の人間関係においては「自分のためより人のため」ということをずっと意識してきたように思います。「自分のために動くことは自分勝手な行為」だと思ってきました。

★カヴィーシャ: 奉仕の役割を担った人はたいていそうですよね。だからといって、あなたの魂の役割が「奉仕者」というわけではありませんが。

★R.S: 自分でも役割は「奉仕者」ではないような気がします。今のところ、自分の全てを他の人のために捧げることに最大限の喜びは感じられないからです。

★カヴィーシャ: では、「自分のために動くことは自分勝手な行為」と、なぜそんなふうに思うようになったのでしょうか?

★R.S: 道徳でいういい子を演じようとしていたのでしょうか・・。「自分勝手な子は嫌われる、直すべきもの」という刷り込みがあったのかもしれません。自分が自由にする分、他の人は自由に出来なくなると思っていたのだと思います。

自分はいくらでも我慢が出来るけど、他の人に我慢をさせるのはかわいそうだと。

★カヴィーシャ: 我慢をさせることが大切なこともありますよ。
獅子は子を産んで三日経つと,その子を千仞(せんじん)の谷に蹴落とし、生き残った子を育てるという言い伝えがありますが、あなたはこのままでいくと、きっと過保護なママになるのでしょうね。


★R.S: 自分自身が割と過保護に育てられてきたと思っているので、自分は過保護な母親にはならないぞ!と思っていましたが、しっかりその素質はあったのですね・・。傷ついたり、我慢したりすることが相手の成長になることもありますよね。長い目で見て、相手のためになるように行動できるようになりたいものです。

それは私の勝手な思い込みで、相手がどう思っているのかなんて実際は分からないのですが、少し勘違いをして捉えていたというか、過度の思い込みをしていました。
よくよく考えてみると、自分の事をおざなりにしてきたというか、自分の事を大切にしてなかったなと思いました。これからは、本当の自分勝手にならない程度に、自分を甘えさせてあげてもいいんじゃないかと思います。

お互いの主張をして、共に納得いく落とし所を見つけるというのと、一方が我慢をして一見平和的解決をするというのは、全く意味が違います。自分より相手を立てることで悲しい気持ちになったのは、他の人をいじめないかわりに、自分をいじめていたからなんだと気付きました。

★カヴィーシャ: すばらしい気づきに拍手を送ります!


カヴィーシャ様が、私のオーラに輝きがなく、「もっと自分に愛を与えてあげてください」とおっしゃっていたことを思い出します。自分には、本当に最低限しか愛を送っていなかったと思います。どんなに頑張っても、「まだまだ!」と過度に要求(期待)していたような気がします。私はずっと自分に甘いと思っていましたが、ある意味スパルタだったのかもしれません・・。

★カヴィーシャ: そうですね。人にやさしい分、自分に厳しかったわけですね。

       
他にも、
男は基本的に信用できない」と言う観念もありました。

★カヴィーシャ: 信用できる男性は今も見つからないのですか?

★R.S: いえ、しっかり考えている男性もいるのは見てきていますし、信用できる人柄の人もいました。ただ、男女関係のもろもろにゆるいというか、適当な人をみると少し呆れてしまいますが・・。それでも、昔のような激しい怒りに近い感情はあまり湧かないようになったと思います。男の人というだけで必要以上に拒否するということはなくなりました。 

女の人を軽蔑視する男の人に、強い反感を覚えるのです。もしかすると過去生で自分がそうだったのかもしれませんね。汗
これは自分の中にも、男女差別の気持ちがあるからなのだと思います。

また、理由はよく分からないのですが
「例え自分が自分を愛しており、また、どんなに相手を愛しく思っていても、相手がありのままの自分を同じように愛してくれる自信がない。たとえ相手が自分を同じように愛してくれなくても、相手を恨んだりはしないし、愛するよう強要するつもりもない。ただ、やっぱりそれは寂しいことで、虚しいこと」という観念もあるように思います。これは、男女愛に限らず、友情などもそうです。

上に書いた事と矛盾する気もしますが、これは、自分が自分を愛している仮定からくる観念です。ただこれは、まだ完全に自分を愛しきれた所に達していないために出てくる観念のような気もします。もっと自分を愛せるようになれば、この観念は変わるかもしれません。★その通りです!!

私の場合、どんなに自分で自分を愛していたとしても、一人(独身)で生きていくことは今のところ考えられないのです。どこかで「誰かと共に生きてゆきたい」という思いがあるのです。★正常な願望だと思いますよ。

カヴィーシャ様自身結婚されて、お子様もいらっしゃるということで、自立する=独身で生きるということではない事に非常に安心し、勇気をもらいましたが、開き直った私はわがままな部分や気の強い部分も多々あると思います。そんな私を前面に出した時、皆自分の周りから離れていってしまうのではないか、誰がそんな私の周りにいてくれるのかという観念もあります。★実験してみられてはいかがでしょうか?

★R.S: そうですね・・!意外と自分を臆せず出せた時の方が、仲良くなれた気はしています。頑張って実践してみます!
       
        ねずみ1


独立と自由は心から渇望しています。反面、孤独を恐れているのです。
真に自由と独立をすれば、孤独を感じることがまずなくなるだろうとも思いますが・・。


孤独が嫌だから誰かと共にいたいわけではないのですが、将来、喜びを分かち合う人がいたら幸せだろうなーという空想です。
ですが、自分の世界は自分で作っているわけですから、自分で自分を愛せば、周りの世界におのずと反映されてくるものなのかも、とも思います。「スピリチュアル系の人は独身が多い」というのは、少し気になる話ではありますが・・笑 

★カヴィーシャ: 嫌われオーラが出ている人が多いからかもしれませんね。


★R.S: 自分で「今嫌われオーラだしちゃったな~」と思う時はあるので、気をつけておきます! 人を下に見るような気持ちや、自分への変なプライドがあったりすると、嫌われオーラが出てしまうような気がします。あくまで自分の感覚ですが・・。

話が前後しましたが、第2回目のレポートを通して、自分をもっと可愛がってあげよう!という気持ちになれました。やっぱり、私にとって一人しかいない私は、とても愛おしくて、大好きな存在です!そこに気づけたことで、周りに対しても前向きになれそうな気がしています。
自分への愛が足りていないから、周りの人や世界にも愛が足りないような気がしていたのですね。やっと、自分のものとして腑に落ちたように思います。

★カヴィーシャ: 何度も何度も「自分を愛しているか?」ということを自分自身に問うてみることです。
すぐにまた「愛していない自分」に戻ってしまわないよう、意識をしておくことですね。 
あなたが解放したい観念を、どんどん解き放ちましょう。
「わたしはもう○○という観念は要りません。今わたしが選ぶのは、○○です」と宣言してください。
次回は実践体験談を書いてください。楽しみにしています。





ちょうちょ1


*実践体験記からの考察*
(体験談は長文のため、省きます)



私は今まで、「自分を愛さなければ、他人を愛す事はできない」という意味が全く分かりませんでした。自分自身を愛していなくても、他人を愛す事は出来るだろうと、本気で疑問に思っていました。そもそも他人に愛してもらうことで、自分も愛せるようになるもので、それは相手もおなじだろうと思っていました。
うまく言い表せませんが、今なら心から「そうだな」と納得出来ます。自分を大事に出来て初めて、相手も無条件に大事に出来るのだろうなと思います。

★カヴィーシャ: その通りです! 思うだけでなく、体験してくださいね。


自分に愛を注げるのは究極的には自分しかいないので、それがない状態で人を愛するというのは、相手に何か求めた結果の愛になってしまうかもしれません。
自分を愛で満たして初めて、他の人も愛する余裕が出来るというか、何も相手に求めない愛になるのかな、と今は思っています。 

自分で自分を愛す事、認めることの幸せに少しでも気付けたことがとても嬉しいです。
ここから、私自身で進む人生のスタートラインに立ったような気がしています。
自分の足で歩むことで生じる責任に、時に逃げたしたくなることもあるかもしれません。
ですが、自分で決めたことに対して取る責任は、とてもポジティブなことのように思えます。


★カヴィーシャ: すばらしいですね!


これからは自分を手放さないように、うっかり手放しそうになった時はまた引き寄せられるように、わたしの人生を歩んでいきたいです。
カヴィーシャ様にはいつも本当に温かく見守っていただいて、感謝の思いでいっぱいです。
本当に人生うまくできているなというか、私は運がいいです!

カヴィーシャ様が見守って下さっているからこそ、今まで考えてもいなかった方向へ臆せずに踏み出すことが出来ているのだと思います。いつも、本当にありがたいです。

ここでカヴィーシャ様に頼り切ることなく、いつかは自分自身で自分を導いていけるようになりたいです!巣立ちまでは時間がかかるかもしれませんが、これからも頑張っていきます! 



虹


★ 孤独から「独り立つ者」へ ★



◆ 軌道数5について ◆
  ~今回のレポートに取り組んで感じたこと~  R.S



2回目のレポートを書いた後カヴィーシャ様のブログを読み直していたところ、「独り立つ者」というワードが目に留まりました。一度は読んでいたと思うのですが、あまり気に留めていなかったようです。

2回目のレポートで、私は孤独について気にしていました。それは、他者を権威者にすることで湧いてくる恐れであったと思います。そんな中、「独り立つ者」に関する記事を読み、ハッとしました。やっぱり、自分はここを目指しているんだろうなと思ったのです。

愛が可能になるのは孤独な時ではなく、独りあるときのみ」「自分が持っていないものを人に与えることはできない」この言葉を見た時、そうだったのか~と思わずため息が漏れました。

また、カヴィーシャ様の「自分で満ち足りている(独りあること)事こそ自由」、「独り立つ者は、統合されていた時の自分を選んだ者」という言葉を見て、なにかスッと繋がって腑に落ちたような気がしたのです。
今までの経験で体験した自分自身の分離した気持ちも統合をするための前準備であったし、精神的な男性性と女性性の統合に強く惹かれ憧れたのも、すべては独り立つ者として生きる道を選び、真の自由を体感するために生まれてきたからだったのか!と。

★カヴィーシャ: そうですよ。すばらしい気づきです。


そう思うと、この5という軌道数はなんて素晴らしいんだろう!と、この軌道数を選んだ自分に感謝の気持ちでいっぱいになりました。

独り立つ者こそ、私が一生かかってでもなりたい、憧れのように感じるのです。
そして是非とも、自分も独り立つ者になり、独り立つ者である相手や子供と共に歩んで行けたら、これ以上ないくらいの幸せです。

独りある者へのスタートラインとしても、自分を愛す事は本当に大事なことだったんだ、と実感しています。何一つ、無駄なことはないんだな、と嬉しくなりました。


私としてはまとめも兼ねたレポートとなりましたが、これを第3回目のレポートとさせていただきたいと思います。


          ねずみ大


★カヴィーシャのコメント: まだハイアーセルフから課題終了のサインは来ていませんが、とても大切なことを短期間で学ばれ、気づかれたと思います。

彼女は将来喜びを分かち合う人がいたら幸せだし、自己確立ができたパートナーがほしいと思っておられますが、現在独身者で彼女と同様のことを考えている人はけっこう多いのではないかと思います。

昔は男女半人前同士で夫婦になって、一人前になると考えられていましたが、そうではなくて、「自己確立ができた独り立つ者」同士が夫婦になってこそ、真に愛しあい、人生の喜びを分かち合える存在となれるのだということを、再度繰り返して皆さんに伝えておきたいと思います。
そして、そういう夫婦であってこそ、子どもを過保護や過干渉、あるいは放置する(放任とは意味が異なります)ことなく、適切に育てることができるのです。

まだ責任をとりたくなくて、真のおとな、真の親になれない魂の未熟な人は、準備ができていないので、なかなか子どもを持つことができません。持てば、持ったで、親子共々苦しい学びの体験をせざるをえなくなるでしょう。しかし、そういう段階を繰り返し体験していくことが、この世界での学びなのです。
「過去生の縁」というのもあるので、カルマの解消のために再度夫婦になる人は大勢います。さまざまな辛苦を臆せず体験し、それを来世に持ち越さないようにクリアしていくことが必要です。

まずはR.Sさんには自己探究を重ね、「独り立つ者」になられることを心から願います。

自分を全面的に愛することができるようになったなら、「自分の全てを他の人のために捧げることに最大限の喜び」を感じることができる「真の奉仕者」となることができるでしょう。

今はもっとも近い目標である医学の学びを極めてください。
そして、高い見地から心身の全体を把握し、病気の原因を見通せる霊性の高い医師を目指していただきたいと思います。がんばってくださいね!



ふたつのハート

★さて、あなたのなかに「個人の神話」は存在しているでしょうか?
あるいは、「ネガティブな観念」は存在していないでしょうか?

自分自身を見つめること。
自分自身を知ること。

これが、あなたがこの世界に誕生した大きな理由のひとつです。
毎日の忙しさに埋没していくのではなく、
静かな時間をもって自己を探究してください。






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