マザー・テレサの生涯―「奉仕者」という役割を担っていたテレサ

2013年12月22日 14:45


★ 人間を洞察する目を養うこと ★



マザー・テレサについては、過去記事(2011年3月)に4回ほど掲載したことがありましたが、その内容を読んで、その真偽を疑う人がけっこうおられたように思います。
ある人は、その内容を別のサイトの管理人に質問した人もおられたようですが、他者にすぐに意見を求めるのではなく、自分の直感や感覚をもっと大切にして、人間を深く洞察する目を養っていただきたいなと思いました。

要するに、誰が何と言おうと、自分がマザー・テレサを素晴らしい人だと信じたいなら、そのように信じればよいということです。信じるということは、それなりの理由があるからでしょう。
もし後でそれが自分の勝手な思い込みや間違いだったことにはっきりと気づいたなら、自分の感性が鈍っていたのだなと、素直にそれを認めればよいのです。ただ、それだけのことです。

過去記事にも書いたと思いますが、わたしはマザー・テレサがまだ生きておられた頃に、ドキュメンタリーを見て、その映像から「深い陰を持った人」という印象を持ちました。

洗濯機を寄贈されても、それらは一切使わず、シスターたちには、毎日素手でシーツを何枚も洗わせていたという話や、シスターたちが寒さに耐えきれずにお願いしても「私は使っていないのだから、あなたたちも我慢しなさい」と、ストーブを与えなかったという話は、今も記憶に残っております。

何よりもマザー・テレサと共に働くシスターたちの生の声が、彼女がどういう性格の持ち主で、どういう信念を持っていたかを教えてくれていたのです。
また、当時の彼女の意識レベルや振動数、オーラの様子などは、生前の彼女の写真から判断できますし、死後どんな領域に行かれたかの調査をして、それを知れば、彼女の真相は一目瞭然なのです。
そこまで調べれば、「信じる」とか「信じられない」とかいう問題ではないことがわかりますね。


先日、長女が珍しくマザー・テレサのことを話していました。
今年(2013年)の3月2日、インドの日刊インターネット新聞に、「Mother Teresa 'saint of the media', controversial study says」というタイトルで、「マザー・テレサのこれまでのイメージがメディアによって作られたものであるという研究結果が出た」という記事が掲載されていたという内容でした。

それについては、次のようなサイトで詳細に語られておりますので、マザー・テレサに関心がある人はじっくりお読みくださればと思います。

★参考サイト:ハピズム 聖女ではなかったマザー・テレサ 「洗脳看護」「カルト施設」、その実態とは!?  

下記は、そこに記載されていた文面の一部です。
皆さんの参考になるかと思いましたので、一部抜粋をして載せさせていただきます。


ノスタルジック・ライン


マザー・テレサといえば、貧困や病気にあえぐ弱い人たちの救済活動に生涯を捧げた、カトリック教会の修道女。修道会「神の愛の宣教者会」の創立者でもある彼女は、"無償の愛"の代名詞のように伝えられており、今なお、世界中の人々から崇め、慕われている。しかし、カナダの宗教学専門誌「Religieuses」最新号で大学の研究者が発表した論文によると、マザー・テレサの美談や名声は、カトリック教会の誇大宣伝のためにデッチあげられたものであり、聖人には程遠い人物だったというのだ。
(中略)
1971年に、教皇・パウロ6世から勲章「ヨハネ23世教皇平和賞」を授章されたのを皮切りに、ノーベル平和賞など数多くの賞が贈られた。1997年に、87歳で亡くなった時には、インド政府が国葬を行い、死後5年目にはヨハネ・パウロ2世が「彼女は福者である」と宣言した。そして、なにかと問題の多いカトリック教会において、清く正しく、いつまでも輝き続ける聖人のような存在として、マザー・テレサは人々の記憶に残ることとなった。


◆明らかになりつつある、マザー・テレサの素顔!

しかし、実像は異なるのではないか、と疑問を投げかける者が現れた。
今回「Religieuses」に論文を寄稿したのは、モントリオール大学とオタワ大学の研究員たちである。
彼らは、マザー・テレサに関する文献資料、約300件を調査し、「マザー・テレサが世界中に開設した517もの『死を待つ人々の家』ホスピスは、衛生状態が悪く、医薬品も慢性的に足りず、満足な治療が施せなかったと報告されている。しかし、彼女の修道会『神の愛の宣教者会』は何百万ドルもの多額の寄付金を受けており、金銭的に困っているわけではなかった」という事実を突き止めたと発表。
そして、「マザー・テレサは、患者の痛みを和らげることはせず、痛みに耐えることを賛美して癒やすという、怪しげなことをしていた。多くの病人が、彼女の元を訪れれば、医師が治療をしてくれると思っていたにもかかわらず、彼女は、イエス・キリストの受難のように、痛みに耐えることは尊いことだと繰り返し言うだけだった」「人気が低迷しつつあったバチカンは、劣悪な環境で痛みに苦しむ人たちに『あなたは素晴らしい人間なのよ』と優しく接している、マザー・テレサのことをまさに“生きる聖女”だと大げさに宣伝することで、カトリックのイメージアップを図ろうとした」と指摘した。

また、「バチカンは異例の早さで彼女を福者だと宣言したが、“痛みに耐えろ”という、怪しげな看護方法、問題点の多い政治家とのコネ(ハイチやアルバニアの独裁者を支持し多額の寄付金を得たという説がある)、多額の寄付金の管理に関する疑問点、そして、中絶、避妊、離婚に関して過度に批判していた点などは、一切、問題としなかった」とも綴っており、事実を知れば知るほど、マザー・テレサの神話はでたらめだということが明確になるとしている。

なお、マザー・テレサは晩年心臓病を患い、ペースメーカーを入れる手術などを受けていたが、自身は衛生的で設備が整った近代的なアメリカの病院で、痛みを和らげる麻酔薬を投与されながらの治療を受けていた。まさしく、聖人からは程遠い人間だったというのである。

マザー・テレサは聖人ではない、うさんくさい人間だという意見は、実は昔から出ていた。
2年前に62歳の若さで食道がんでこの世を去った無神論者のジャーナリスト、クリストファー・ヒッチンズは、長年、マザー・テレサはとんでもない食わせ者だと主張し続け、それに関する本まで発行。「彼女が世界中から集めた寄付金を使えば、ベンガルにファーストクラスの病院を建てることだってたやすいことだった。しかし、彼女はそうせず、衛生状態の悪い、あまりにもひどい施設に患者を収容し、ろくに治療を施さなかった。痛みを和らげるなど嘘だ。死ぬこと、痛みに耐えることを賛美する、まさしくカルトのような施設だったのだ」「信仰する宗教に関係なく看病したというが、それも嘘。朦朧とした患者に、痛みに耐えれば天国へ行けると、繰り返し言い、洗脳した」と厳しく批判している。

今回発表された論文だが、「聖人的なイメージを持つマザー・テレサの創られた神話が、貧困にあえぐ人々の救済を目指す人道活動家たちを励ますことになっているのは確かだ」「しかし、マザー・テレサに関するメディア報道は、もっと慎重に、事実に基づいたことを伝えるべきだ」という言葉で締めくくられている。

衝撃的な論文であるが、マザー・テレサの人気は不動のものだとされており、カトリック教会への打撃はさほどないだろうと、米メディアは見解を示している。今から10年前、2003年にローマ教皇庁はマザー・テレサの列福式を行ったが、世界中から25万人を超える人々が集まり祝福。実像がどうであれ、カトリックが全力を注ぎ創り上げたマザー・テレサの"聖人としての神話"は、揺らぐことのない、不動のものなのである。



ノスタルジック・ライン


★マザー・テレサを「聖女」と奉っていた多くの人々は、カトリック教会に騙されているなんて、思いもしなかったでしょうね。
しかし、2011年10月22日の記事『アンフェアなのは誰か?―表があれば裏がある』の「キリスト教が産児制限に反対する理由」に書きましたように、多かれ少なかれカトリック教会というところはそういうところなのですよ。

★参考過去記事:『アンフェアなのは誰か?―表があれば裏がある


下記は、「シスターの暴露で明らかになったマザー・テレサの実態」というタイトルで書かれていた文章です。
★参考サイト:ハピズム http://happism.cyzowoman.com/2013/06/post_2483_2.html


ドイツの人気週刊誌「Stern」は、200を超えるチャリティー団体がコルカタで活動をしているが、現地スラム住民たちに取材したところ、「マザーの施設は大したことをしていない」「金はたんまりあるはずなのに、助けてくれない」と証言。マザーの施設全てを合わせても、キリスト教プロテスタントのペンテコステ派世界最大の一派、アッセンブリーズ・オブ・ゴッドが配っている食料の方が、はるかに多いと指摘した。
そして、150を超える国と地域にあるマザーの施設で働く4,000人のシスターと30万人を超えるボランティアは、給与など一切受け取っておらず、一体、何に金は使われているのかと疑問を投げかけた。

この雑誌が発売される少し前にも、1979年末にマザーの「神の愛の宣教者会」に入り、9年半に渡り、ブロンクス、ローマ、サンフランシスコの施設で働いた、スーザン・シールドという元シスターが、米ヒューマニスト誌『Free Inquiry Magazine』に、宣教者会の酷い実態を暴露している。
ニューヨーク支部に送られた寄付金を、銀行口座に振り込み、寄付してくれた人たちに礼状を送るという仕事を担当していたという彼女は、「一度に500万円以上の寄付金を送ってくる人が沢山いた。貧しい人たちからも、寄付金が寄せられた」「みな、貧困や病に苦しんでいる人たちに使って欲しいと送ってくれるのに、会は貯金にまわし、現場で使うことはほとんどなかった」と明かした。

スーザンは、「シスターに与えられた服は3セットだけ。継ぎはぎも出来ないくらい、ボロボロになるまで着た。服は手洗いで、ホームレス用のシーツも手洗いした。沐浴はバケツ1杯の水だけで行い、歯科検診や健康診断は「贅沢」だとして受けさせてもらえなかった」「シスターたちは、商店をまわり、食べ物を寄付して欲しいと頼みこまなければならなかった。飛行機に乗るときは、ただで乗せて欲しいとお願いした。病院で治療を受けるときも、キリスト系の病院を選び、ただで受けさせてもらった」
「必要以上に欲しがってはいけない、必要なものだけを譲って欲しいとお願いするようにと言われていたが、銀行口座にたんまりお金があるというのに、なぜ、ここまでしなければならないのか。シスターたちも、ボランティアの人たちも、長時間働かなくてはならず、疲労困憊していた」とも暴露。

「マザーは、とにかく、貧困の精神を保つことに強いこだわりを持っていた。貧困を保つために、寄付金を使わなかったのだ。ハイチの施設では金を使いたくないからと、注射針を繰り返し使っていたほどだった。まるで貧困を、聖なるもののツールとして使っているようだった」と言い放った。

マザーは、妊娠中絶だけでなく、避妊にも強く反対していた。しかし、貧困層が避妊せずに数多くの赤ん坊を出産するため、いつまで経っても恵まれない子供たちが減らないのだという意見もある。現地で活動していたマザーも、そのことは良く知っていたはず。それでも、避妊を反対し続けたのは、貧困をなくさないため、「貧困がなくなれば自分を崇める人が減ってしまう」という偽善的な考えからという説を唱える者もいる。


◆聖人ではなかったマザー・テレサ 本人も自覚

今から6年前の2007年8月、米大手誌「タイム」が、マザーが親友の牧師に宛てた手紙の一部を発表した。66年の間に書かれた40通以上の手紙には、神の存在を確認できず苦しい気持ちを抱えていたことが記されており、「ほほえみは仮面である」と明かしたこともあった。また、「神が存在しないのであれば、魂の存在はあり得ない」とし、「もし魂が真実でないのならば、イエス、あなたも真実ではない」とイエスを否定するような言葉まで記載されていた。 

この手紙は、『Mother Teresa: Come Be My Light』というマザーの自叙伝にまとめられ、通して読むと、信仰の深さゆえ苦悩し、このような言葉が出てきたとも捉えることができる。しかし、マザーは生前、手紙のうちのいくつかを破棄して欲しいと頼んでいたと「タイム」は伝えており、世間に公表されるとマズイと認識していたのは、間違いないと見なされている。この件で、彼女はアンチたちから、「やっぱり、計算高い偽善者だ」「神さえも信じていなかったとは」と叩かれるハメになった。



ダイアナ妃との話は、同サイトの「マザー・テレサは“王室かぶれの偽善者”だった!? ダイアナ妃との癒着も」のほうに記載されております。
http://happism.cyzowoman.com/2013/06/post_2483.html 

★このような記事は、探せば多々出てきます。
今回は世界各国で公の情報として出されているものを取り上げましたが、彼女の名誉のためにこの辺りに留めておきたいと思います。

マイケルの「魂のチャート」には、役割として「奉仕者の有名人」の箇所に彼女の名前が書かれていますね。本を買われた方は、ご覧になったことと思います。
わたしの調査では、彼女の「魂の年代」は〈幼児期の魂〉で、「魂の段階」は〈第6段階〉です。
この時期は、「カルマの影響が大きく、人は権威に従うべきだと確信している」と表(4-3)にも書かれていますね。
彼女の「目標」は〈服従〉で、「モード」は〈忍耐〉。「主特性」は〈頑固〉で、「主義」は多様性があってひとつに絞れない感がありましたが、「実用主義」の陰極が優勢だと感じました。

マイケルは「奉仕者」のことを「奴隷」と呼んでいたそうですが、彼女は「神の奴隷」というよりは、「教会の奴隷」となっていたのかもしれません。「幼児期の魂」の箇所に「キリスト教」のことが書かれていますので、関心がある方はお読みになってください。

今回は、マザー・テレサのことをまた書いてほしいという読者さんのご希望で書きましたが、マザー・テレサについての記載は、これで終了させていただきたいと思います。
彼女が次回の誕生で「奉仕者」という役割の「幼児期―第7段階」を迎えられ、見事にクリアされることを祈ります。



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信仰とは、ただ自分を欺くための策略にすぎない



OSHOは「信仰とは、ただ自分を欺くための策略にすぎない」と言っています。
今回は、つぎのOSHOの言葉を皆さんにお届けします。


人は、求め、探究し、発見する道を歩み続けたくはない。
それは骨の折れることだ。
なぜなら、たくさんの迷信を捨て、真理を知り、
自分自身を知ることを妨げている過去からのたくさんの条件づけから、
自分を外さなくてはならなくなるからだ。

どんな信心も助けにはならない。
そしてあらゆる宗教は、信心に基づいている。
それゆえに「信仰」と呼ばれている。

真理は探究だ、信仰ではない。
それは問いかけだ。
信心ではない。
それは問いだ。探索だ。
この探究を避けることで、人はたやすく騙される。
人は、たやすく誰でも食いものにしようと、
手ぐすねを引いている者の犠牲者になってしまう。

そして当然、群衆のなかは、居心地がいい。
六億のカトリック教徒がいる。
それは、居心地がいい。
そして、六億の人びとが間違うはずはないように感じられる。
自分なら間違うかもしれないが、六億の人間が間違うはずはない。
だが、それこそ彼らのひとりひとりが考えていることだ。

四億のヒンドゥー教徒たちは、自分たちは正しいと思っているし、
同じことがイスラム教徒や仏教徒や、そのほかの宗教についても言える。
宗教は死んだ組織ではなく、全存在に対するある種の宗教性、
愛情深いハート、親しみ深さであるべきだ。
そういうもののためには、どんな聖典もいらない。




ふたつのハート

この数年間、光の仕事人がこのブログで伝え続けてきたことを、
再度思い起こしてください。
あなたがたが「独り立つ者」になったとき、
そんなさまざまな思いを理解していただけることでしょう。

何度も「ブログを書くのはもういいかな?」と思う時期がありました。
また、そういう時期が来ているように思います。
基本がわかれば、あとはすべて応用です。
どうか応用力のある人となってください。
そのためにも、自己の探究と自己確立に全力で臨んでいただきたいと願うしだいです。


今日もたくさんの愛を皆さんにお届けしたいと思います。


花束


2013年12月22日  カヴィーシャ・光の仕事人 






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