他者をだます人&自分をだます人 

2013年11月10日 21:25


★ 食品偽装の発覚がとまらない! ★



ニセ車エビに始まって、カニの産地偽装、牛脂注入の加工肉をステーキと偽る等々、メニュー表示と実物が違う「食材偽装」が続々と発覚して止まりませんね。

日本を代表する百貨店や有名ホテルが偽装まみれです。もはや「食材偽装」はどこにでもあると思ったほうが賢明かもしれません。まあ、今に始まったことではないし、驚くことでもないのですが…。
わたしたち国民が業者を信じすぎていると言いますか、鵜呑みにしすぎていると言いますか、とにかく世の中のからくりを知らなさすぎますね。

また、別件ですが、偽りの会社(幽霊会社)を作り、儲け話で人をだまし、それには事前にお金が要るからと言って口座に大金を振り込ませて金儲けをするという悪質な事件も、日本国中で頻発しています。
「おれおれ詐欺」「振り込め詐欺」はもう知られてしまったので、またいろいろと新しい方法を考えているようです。
わたしの住む地域でも、だまされたお年寄りのニュースが報道されていました。
電話で警察官を名乗ったので安心して、言われた口座に金銭を振り込んだというもの。「警察」と言えば、信用に値するものだと思いこんでいる人って、まだまだおられるのですね。「わたしは警察官です」と名乗っても、本物の警察手帳を見て確認しない限り、信用してはいけません。

もう随分前の話ですが、うちにも奇妙な電話がかかってきたことがありました。
「お宅のご主人が事故に遭われまして」というもの。場所は米子市というので、なんだかおかしいなと思い、「うちの主人はこちらにいますよ」と言ったら、すぐに電話は切れました。嘘がばれたと思ったのでしょうね。
ほんとうは夫がどこにいるのか定かではなかったのです。昼に何事もなく元気に帰ってきたので、ほっとしましたが。(笑)
そのとき、とっさに「おかしい!」というカンが働くかどうか、それが肝心ですね。

だますほうも、だまされるほうも、どっちもどっちという気がします。
「自分だけは決してだまされないと思っていた」という人たちが、まんまとだまされているのです。
「それって、詐欺なんじゃないですか? ほんとうに大丈夫なんですか?」と銀行員が注意を呼びかけても、「詐欺ではない」と簡単に大金を引き出してしまう高齢者たち。電話での巧妙な儲け話を鵜呑みにしてしまっているのです。

だまし、だまされる。
日本人の意識レベルがいかに低いかということが、これらからもわかりますね。
自分の欲望や自分の判断力、選択について、一度深く省みる必要がありそうです。


紅葉1


★ 他者をだます人&自分をだます人 ★



だます」ということで分類しますと、ふたつのグループができるのではないかと思います。

たとえば、「食品偽装」に主体的に関わっているような人たち、つまり、いかにも優れた食材を使っているかのように見せかけて、大きな利益を得ている人たちは、不特定多数の「他者をだます人」たちです。
こういう偽善者は、表でやっていることと裏でやっていることをきちんと判別し、すべて承知の上でやっているわけです。記者会見で一生懸命言いわけをしてみせていましたが、ただただみっともないだけですね。

自分の言っていることはすべてウソとごまかしで成り立っていることを知った上でやっている人のことを詐欺師と呼びますね。偽善者詐欺師も、「他者をだます」というグループに入ります。
また、大きな利益を得るわけではないけれども、自分を偽って(仮面をかぶって)、いかにも善人のように思わせながら人と関係を持っているような人は、みなこのグループに入ります。

もうひとつのグループは、他者をだますのではなく、自分で自分をだますのです。つまり「自己欺瞞(じこぎまん)」に陥っている人たちです。
自分で自分をだましていることに気づいている人は、そう多くはいないかもしれません。
また、つぎのような人たちは、「自分をだます人」のグループには入りません。

たとえば、その人が大きなカン違いをしていて、そのまちがって解釈してしまった内容に従って、正直に生きているような場合です。
「あいつは極悪人間だ。みんなが迷惑するから生かしておいてはいけない。成敗しなければならない!」と勝手に思い込み、正義感に燃えて人を殺したりする場合です。そんなことをしたら、自分が犯罪者になるだけなのですが。
そういう場合は、大きな「カン違い」「誤解」をしているだけで、「自分をだます人」ではありませんね。

マインドコントロールされているような人も同様です。
本人は善いことをしているつもりなのですが、実は相手の悪事に加担しているのです。
これは自分をだましているのではなく、誰かにだまされてあやつられているだけです。
本人は自分が主体的に何かをしていると思い込んでいますが、実はしっかりと他者の管理下にあるのです。
ですから、マインドコントロールされている人は、「自分をだます人」のグループには入りません。

★では、「自分で自分をだます」というのは、どういう状態のことを言うのでしょうか?

たとえば、「病気を治したい」と言う人に、治す方法を教えてあげても、一向にそれを実践しようとしない人。いろんな本を読んでみたり、インターネットで調べたり、本人は病気を治したい一心で解決法を探しているのですが、まったく状態が良くならないという場合がそれに当たります。
わたしは何人かそういう人に出会っておりますが、そのたびに本人さえ知らない巧妙なトリックに気づいて「なるほどね」と納得しているしだいです。

本人は口では真剣に「治りたい」と言っているのです。にもかかわらず、せっかくアドバイスをしても、実際には何も試みていなかったり、食事療法などは少しやってみても、一番重要な精神的な問題には目をそむけ、真剣に立ち向かおうとはしないのです。
「いったい誰の身体なの?」「あなた、ほんとうに治す気があるのですか?」とあきれるほどです。

真に治そうとしていない」「本当は治りたくない」のだということが、わたしにはわかるのですが、本人はそのことに全然気づいていないのです。

それで、「本当は治りたくないんでしょう? 病気だと嫌な家事をしなくてすむし、旦那さんや家族に大事にしてもらえるしね」と言うと、たいていきょとんとしたような顔をされます。
もっと悪質な場合は、自分を粗末に扱った旦那への仕返しに、わけのわからない難病奇病になっているというケースです。家事一切を旦那にさせ、子どもの面倒もみず、おまけにいろんな病院へ連れて行かせて心配させ、内心喜んでいるといった具合です。

最終的にはアルツハイマーや認知症になったりもします。もちろんアルツハイマーや認知症になった人の全員がそうだというわけではありません。
ここで言っているのは、日常のことができなくなった自分の恥ずかしい姿を見せてでも、配偶者に自分の世話をさせたいというケースで、長年の「かたき討ち」を死ぬ前に果たしたい人にけっこう多いように思います。
「今度はわたしが楽をする番よ。夫よ、ちゃんとわたしの面倒をみるのよ」という具合に。こわいですね。

こんなふうに、「巧妙なだまし作戦」を自分自身がやっていることに本人は気づきもしていないわけですね。
これはまさに「自分で自分をだます人」の典型的な例です。

他者をだます人&自分をだます人
さて、あなたはどっちのグループにいるでしょうか?




ロジーナブルー



★ 何かを埋め合わせるために
        「善人」を演じていませんか? ★



本格的に「課題の個人レッスン」を始めてから、もう半年が経ちます。
予想していたよりも多くの方々が「課題」を利用して自己探究をされるようになり、「本来の自己を発見する人」がしだいに増えてきております。

この「個人レッスン」は、最終的には「自己確立した自信に満ちた個人」となっていただくために、「数秘リーディング」同様に「気づきのコース」の一環として力を入れてきました。
そんななかで、「課題」の受け取り方は個々に異なってはいるけれども、同じ「課題」を与えられた人たちの思考形態と実際の行動が(それぞれの魂の段階や過去生が異なっていても)究極的には非常に似通っていることがわかってきました。いつも「課題」のカードを教えてくれるハイアーセルフは、「やはりすごい!」と感心しますね。ほんとうにピッタリそのままなのですから。


紫の泡・ライン


これまでの「課題」の個人レッスンで、もっとも多かったのは、『役割』というキーワードでした。
この「課題」は主婦に多いようです。単に「妻の役割」「母親の役割」「嫁の役割」をしているだけで、ほんとうの自分を生きていない人が、いかに多いかということがわかります。

役割』にハマった人は、妻はこんなふうに、母親はこんなふうにやるものだと、「そうするべきだからやる」という子どもの頃からの条件づけに従って行なっています。
子どもの頃によくやったお父さんやお母さんのまねごと、「家族のごっご遊び」の延長をやっているだけのことです。
これは、世の中の夫や妻がすべき「決まり事」をただやっているだけなので、やってもやっても一向に報われないのです。

今現在、自分の人生において多くの困難を感じている人は、ちょっとふりかえって考えてみてください。
自分は「真のつながり」や「真のコミュニケーション」を大切にしてきただろうか? 
表面的なかたちだけのものではなく、ほんとうに自分の内側から出た真実のことばを相手に伝え、自分に対しても、相手に対しても、誠実な行動をしてきただろうか? と。

あなたが今、まるで病人のように活気のない状態になっているとしたら、それは条件づけられた『役割』を生きているという証拠です。ありのままの自分の本心をまったく出してこなかったという証(あかし)なのです。
つまり、あなたの人生に真の喜びがないのは、自分の本音を抑圧して、自分の真実を表現することをせず、自分の真心を人々に与えてこなかったからなのです。


ここで申し上げている『役割』というのは、罪悪感の埋め合わせとしてする「慈善行為」と同じものです。

自分に何か問題がある場合、それを隠したいがために、真の自分とは異なったまるで反対の何者かであることを証明しようとして、善人を装ったりします。いわゆる偽善者です。
たとえば、道端に倒れた自転車を立て直したり、町中のゴミを拾って歩くような、ボランティアが大好きな人たち。根っから人助けが好きな人。何か善業をやらずにはいられない人。

もちろん、その行為自体は尊いのですが、それが何かに対する「罪悪感の埋め合わせ」や「防衛」としておこなう「偽りの善行」でないかどうかを考えてみる必要がありますよと言っているのです。
たいていは「その通りです!」と素直に認めないことが多いようです。自分はそんな補償のためにやっているのではない、純粋に善業をしているのだと思いたいんですね。

「かたちだけの善行為」をしていても、本人にはその恩恵は返ってはこないということを知ってください。

本人は「善行」をしたといい気分にひたっているかもしれませんが、どれだけやっても報われることはありません。
もし何か返ってきたとしても、それはその『役割』に対しての評価や賞賛であって、当の本人に対して返ってきたものではありませんから、本人は何も得るものがないということです。
この意味が理解できますでしょうか?

善い行為をすれば、善い結果が出るというのが、因果の法則です。

自分のやっていることが「偽りの善行ではない」と言い切るなら、さぞかし善い結果が出て、本人は幸せいっぱいであろうと思うのですが、残念ながらそうではないのです。
いくらかたちだけの善行をしても、善い人間にはなれません。本当の善くない自分を隠し続けているからです。

自分で自分をだましている限り、幸せにはなれないのです。




ブルーインプ


★ あなたは何の「役割」を背負っていますか? ★
 



家族の役割」にもいろいろあります。
心理学者などがよく書いているような言葉で表すと、「ヒーロー」「殉教者」「生贄」「迷い子」「マスコット」などです。

「自分がやらなきゃ!」と思い、自分の最善を尽くし、家族の頂点に立って家族を救おうとするのは「ヒーロー」的役割をやっている人です。
また、まるで家族の身代わりのようになって、病気やけがや虐待を一手に引き受けている人、自分の身を犠牲にする人は「殉教者」的役割を担っている人です。
生贄」も同様です。法律に触れるようなことをやってみたり、問題やネガティブなものをすべて自分が引き受けることで家族を助けようとする役割です。

迷子」と「マスコット」的役割をしている人は「自分は不十分である」ということがわかっているため、それを何とか補おうとします。
たとえば、自分がなるべく目立たない存在になって、最終的には姿を消すことが家族のためだと思うのは「子」的役割の人です。
逆に、家族を楽しませることに意義を感じ、いつも楽しませる努力をしている人、そして家族から常に愛されているのは「マスコット」的役割の人です。
しかし、彼らには、ありのままの自分が愛されているという満足感はないはずです。単に「役割」として家族を楽しませているからにすぎないからです。

いかがですか?
あなたは義務で『役割』をおこなっていませんか?
あるいは、何かを隠すための補償行為として『役割』を演じてはいないでしょうか?
よく考えてみてください。




紅葉


★ 自分の今生の役割を知ることのメリット ★



「私はいったい今生で何をやったらいいの?」「何をするのがふさわしいの?」と訊く人がいますが、あなたが真にやりたいことは何でしょうか?

人はみな『役割』をもって生まれてきます。
それは「」であったり、「戦士」であったり、「職人」であったり、「学者」や「賢者」であったりします。あるいは「聖職者」や「奉仕者」であったりします。
もちろんこれは役割上の特徴を言っているのであって、実際の職業を指しているわけではありません。

つまり、「王」は支配する、「戦士」は行動する、「職人」は創造する、「学者」は調べる、「賢者」は教える、「聖職者」は霊感を与える、「奉仕者」は与える、というようなことです。

俳優は自分の役をしっかりと知って理解できると、とてもよい演技をすることができますね。わたしたちも自分の今生での『役割』を知ることで、無駄なく、有益な人生を過ごすことができるようになります。

役割』は周波数として認識することもできます。
なぜなら、『役割』というのはエネルギーだからです。
(白い光がプリズムを通ると七色の波長に分かれますが、純粋な本質も七つの役割に分かれるのです。それが「聖職者」「職人」「賢者」「奉仕者」「学者」「王」「戦士」なのだと考えてください)

わたしたちはひとつのサイクルが完結するまで、何度も転生して同じ『役割』を演じつづけます。わたしたちの「純粋な本質」が、ひとつのサイクルでひとつの役割しか演じないのは、役者が一回の舞台でひとつの役しか演じないのと同じだということです。
役者がその役を立派に演じきったら、つぎは別の役を演じることになります。
しかし、うまく演じ切れなかったら、みごとに演じられるまで何回もやり直さなければなりません。

ですから、わたしたちも『役割』の内容を完全にマスターして、それを学び体験していく必要があるのです。
生まれる前に自らが選択した『今生の役割』を自分自身で見つけられない人には、「数秘リーディング」でお伝えしているわけですね。

課題の個人レッスン」のほうでお伝えしている内容は、今現在抱えているもっとも重要な「課題」であって、さきほどお話ししたような「今生の大きな目的となっている役割」について伝えるものではありません。

課題の個人レッスン」では、今克服しなければならない小さな「課題」をひとつずつクリアしていただくためにおこなっているということをご承知おきください。
(よって課題はひとだけではありませんよということです)

人間は根っこの部分が変わらなければ、いくら善行をしても、善い結果は生まれないということを知ってください。
「小手先ではなく、本気になる必要がありますよ」と言っているのです。



ふたつのハート
悪を善に見せかけること。
自分の良心や 本心に反しているのを知りながら、
それを自分に対して無理に正当化することをしていないかどうか、
この「食品偽装事件」の続出する時期に、
自分のこととしてよく考えてみましょう。

他者をだますのも、自分をだますのも、もうやめませんか?
そんなことをしても、誰も幸せにはなれないからです。
お互いに本音を伝え、本音を認め合う世界を創りましょう。






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