<無意識><自我><超自我>あなたの生き方はどれ?

2013年09月09日 00:00


東日本の皆さん、お元気ですか?

東日本大震災からまもなく2年半になりますね。
メルトダウンを起こした東京電力福島第1原発では、放射性汚染水漏れが止まらず、事故収束がいまだに見えない状態です。
昨日は2020年の夏期オリンピックの東京開催が決まったことが報道されていました。
「汚染水問題はコントロール下にある」などと安倍首相が安全性を訴えたのが勝利に導いたようですが、果たして真にコントロール下にあるのかどうか、大変怪しい発言ですね。

先週は台風、秋雨前線、雷に竜巻と、日本列島の各地でさまざまな被害が生じましたが、皆さんのお宅は大丈夫でしたでしょうか? 
今は何が起こっても不思議はないので、毎日を意識的に、一日一日を大切にお過ごしくださいね。


                         飛ぶ鳥
★ 読者さんからのメッセージ ★ 


今回は、アメリカにお住まいの画家さんからのお便りをご紹介いたします。
以前にディズニー映画「ラマになった王様」の観賞を、皆さんにおススメしたことがありましたが、その感想文を届けてくださいました。
ラマになった王様』は2011年12月30日の『風のように去りぬ』に掲載していました。
よろしければ、再度お読みになってみてください。



  秋の収穫


◆ 自己紹介&映画の感想 ◆


                  46歳  女性  M.T  VIRGINIA州 U.S.A


私はアメリカバージニア州に住んで20年、ここで出会ったアメリカ人と結婚し今年16年めになりました。心も体も身の回りも飾り気がなくさっぱりとした田舎生活をしております。
ある日、日本に住んでいる妹から誕生日に赤いバラの花束が届き、とても感動した私の体が(絵に描いてみたら?)と言っているように感じ6年前から絵を描き始めました。絵を描くことはとても自然に自分を表現できる素晴らしい 手段だと感じています。楽しむとともに、彼のサポートに感謝しながら毎日もくもくと家で1人で制作している芸術家です。象徴画を描いています。

カヴィーシャ様のページを読み始めたのはここ何ヶ月か前からで私の体の調子がとても悪くなり、どうにかして治したいといろいろ調べていた時です。とても綺麗に整理され見やすいカテゴリーに文章、とても丁寧で愛に溢れた波動がやわらかくでも凜としていて素敵だと思いました。今の自分に自然な感じで入ってくるので毎日少しずつ読み、いろいろ勉強させて頂いております。自分が憑依体質そしてスポンジ体質であることを知り克服しようと、今自分の<魂の成長>を意識して生活しています。そして<何事も意識して行う>ということを肝に銘じて過ごしているところです。それから愛する地球のために何が貢献できるかを考え(みつけて)少しずつ実践しています。
カヴィーシャ様そして<思いの制限をひらく>に出会えたことを本当に嬉しく存じます。



ライン ノスタルジック


           ~「ラマになった王様」を読んで~



私はよく彼といろんな国の映画やアニメ鑑賞をするのですがこの間<ラマになった王様>のことをカヴィーシャ様の記事を読んで知り、さっそく2人で楽しみました。
ラマになった王様の感想ですが、この映画を見終わった時、王様という一人の人間の成長過程映画だと思いました。

フロイトが人間の精神機能を<エスー無意識領域><自我><超自我>という3つの機能の相互作用と捉えている、というのがあります。
ラマになった王様>は今この現実世界に生きる人間(が他の人と関わって生きていくうえで)にはこの<無意識領域><自我><超自我>の3つのバランスがとても大切だと教えてくれている映画ではないかと思いました。

王様は<無意識領域ー”~したい、~が欲しい”という本能的快感(動物的)欲望、生理的衝動、心のエネルギーの原子炉>そのもので成長し教育されていないまま、生きてきました。
バチャと出会い、いろんな体験をバチャとすることによって < 自我ー無意識領域を現実状況や対人関係に合わせてコントロールする機能>そして<超自我ー良心、善悪判断>などの今まで成長していなかった機能が起動し始めました。最後、一人の人間として必要な精神機能<無意識領域><自我><超自我>すべてが高まり精神的に成長していきます。ここで成長というのは精神分析学で昇華ー原始的本能のエネルギーを異なる方向に向けて、新たな建設的な目的や社会的に容認される行為に転換していく事と呼びます。

この映画で私が気がついたのは、人間の<心>とフロイトの3つの精神機能の関係です。”心が大きい””広い”なんていいますが、その<心>ってこの<エス><自我><超自我>が 起動し精神的成長をすることによってこそ、どんどん成長、そして大きくなっていくよ。ってことなのかなと。。。


★カヴィーシャ: Mさんは、「ラマになった王様」であるクスコの成長を、 精神分析学者フロイトによって提唱された<エスー無意識領域><自我><超自我>という3つの機能に置き換えて書いておられます。
とても当を得た表現で、すばらしい見方であると思いました。
主人公のクスコは【無意識】→【自我(ego)】→【超自我(super ego)】というながれで、わがままな自己奉仕型人間から慈悲深い他者奉仕型人間へと変容していきました。
とてもわかりやすいストーリーでしたね。



ぶどうのライン


そしてもうひとつ<ラマになった王様2>の感想ですが、

周囲からの要求(父)と自分の内なる要求との間で葛藤してきた人間(クロンク)が<自律ー他からの支配、制約を受けずに自分自身で立てた規範に従って行動、その精神を養う>し、<自立ー他からの支配、助力を受けずに存在する>した姿を楽しくコメディーをまぜながらの楽しい映画でした。

私は2つのメッセージに気がつきました。

1-若返り薬のプラシーボ効果ー暗示、思い込みの力で軽くダンスなどしていた老人たちの欲です。
貧欲ー万の物を必要以上に求める心をもつとステキな<幸福、平和、愛、健康>などの波動から離れていくよ、気をつけなさい。ということ。

2-愛を基本に笑顔で何でも楽しんで生きるとどんどん幸せになるよ。ということ。
クロンクが葛藤して生きながらも毎日心やさしく、思いやり深く、愛の心をもって笑顔で過ごしてきたからこそ最後たくさんの人が彼を助けようとレストランに来たのだと思います。和顔施ー人に対して穏やかな顔(笑顔)で優しく接するはそれにより人々の繋がりを強くし、信頼、思いやりが生まれるすばらしいものだということですが、本当にそのとおりだと思いました。

これらが私の今の魂の成長段階で気がついたことです。

この2つの映画はとても面白く家族みんなが一緒に楽しめる教育映画だと思います。子供の道徳心を育てるためにとても良い映画ではないかと思いました。

★カヴィーシャ:  わたしは、イズマの手下で、思考力はやや低めのマッチョなクロンクのことは、とても愛すべき存在だと思っています。彼は「ラマになった王様1」でも、なくてはならないキャラクターでした。彼が登場しなければ、クスコはすぐにおだぶつとなっていたわけですから。(笑)
クロンクは愚か者ではありますが、人間味あふれる素敵な存在でもあります。
まだ観ておられない方は、ぜひご覧いただきたい作品です。



最後まで御読み下さいましてどうもありがとうございました。

カヴィーシャ様をはじめ家族の皆様そして猫ちゃんたちにとって今日も楽しく素晴らしい1日となりますよう心からお祈り申しあげます。


絵画1
         教会に展示されたMさんの作品 左と中央


★カヴィーシャ: ディズニー映画の本場アメリカから感想を届けてくださって、ほんとうにありがとうございました。とても嬉しかったです。
Mさんのホームページを早速拝見いたしました。どちらかというとネガティブな作品が多かったように思いますが、それはそれで何かわけがあって(無意識かもしれません)描いておられるのではないかと思うのです。
ただ、そこでずっとそれに留まっているのではなく、あなた本来のポジティブな質を見いだしていただきたいのです。
それを目覚めさせ、もっと大胆に、もっと生に溢れ、深い愛に溢れ、遊び心を持ち、楽しんで表現していただきたいと思います。

教会に展示されていた作品の多くは、ポジティブな波動を放っていました。
見ているうちに、気持ちが明るくなって、幸せになったり、希望が湧いてきたりする絵を、これからもぜひ描いてください。



絵画2
     教会に展示されたMさんの作品 左と右



★ 快楽か、道徳か、
  あなたはどちらを選んで生きていますか? ★



今回はフロイトが登場しましたので、少しここで、フロイトの精神分析についての補足をさせていただきたいと思います。
フロイトは「なにやらわからない、意識されないけれども、人間に欲求・衝動を起こすもの」が、人間の心の根底にあると考えました。それを【エス】とか【イド】とかいう言葉で呼ぶことにしたのです。
この 【エス(es)】はドイツ語で“it(それ)”の意味で、ラテン語の【イド(id)】も同様です。
実体のはっきりしない、わけのわからないものには「名前」はつけられないので、フロイトはあえて「それ」という名前にしたようです。

以下、そのわけのわからない「それ」については、ラテン語の【イド(id)】を使いたいと思います。

とり1

「心理学基礎用語」の説明によりますと、【イド】は「人の精神エネルギーの源泉」に当たるもので、本能のままに「今すぐあれがしたい」「これがしたい」という欲求を出して満足を求めることを指すようです。
生存するために必要な「生物学的本能」のことです。この基本的な機能は、DNAによって祖先から子孫へと継承されているもので、善悪の判断や時間的な感覚や論理性がないのが特徴です。
リビドー(欲望)という「心のエネルギー」を発電所のように作り出しているのが、【イド】なのです。



自分が気に入らなければ、すぐに従者をお払い箱にしてしまい、相手に被害を与えても何の反省もない若き王様クスコは、「わがまま+いじわる+傲慢+自分勝手」という実に意識レベルが低い幼稚な人間として登場します。
クスコはまったく野蛮で原始的な本能の領域で生きているわけで、【イド】の状態そのままですね。

そして、そのクスコの気まぐれで、相談役をクビにされたイズマは、自分にとって都合が悪い邪魔なクスコを殺して問題解決を図ろうとします。その点で、イズマは【イド】に留まったまま、まったくその後の心の成長ができていない老婆ということになりましょうか。



この【イド】の上に存在していて、理性的に【イド】をコントロールするのが【自我(ego)】
です。
【自我】は本能的な欲求を実際にかたちにしてみたり、その欲求をかなえるために必要な計画を立てるなどといった準備行動をつくり上げます。例えば、「これは嫌いな仕事だけど、今は家族の生活のためにがんばろう。でも、いつかきっと自分の好きな仕事を立ち上げるんだ」と思って、嫌な仕事でも続けていくことなどは、【自我】の働きによるものだと考えられます。


             とり3

3つ目の【超自我(super ego)】とは、常に道徳的、意識的であろうとする部分です。
子どもは親から叱られたり褒められたりすることで、行動の善し悪しを学びます。親や教師などから条件づけられることがほとんどですね。
幼い頃は親の判断基準に従っていますが、成長するにつれて「これは、相手に迷惑がかかるからやってはいけない」という社会規範(道徳・倫理)に準じて、自分で判断ができるようになります。

丸飲みした躾や社会規範が【超自我】をつくるということで、この意識を【超自我】と呼んでいるようです。
「神の定めた掟に従って生きることが良い生き方だ」といった宗教的な戒律や、法律や規則、慣習や常識などの制約がそれです。【超自我】はそれらの「道徳原則」に従って活動するものだというのが、フロイトの説なのです。

【超自我】は【自我】の意識よりも強く、【イド】を律する働きをするといわれています。
【自我】は『~したい』『~が欲しい』という衝動的な【イド】と、『~してはいけない』『~すべし』の倫理的な【超自我】のあいだに立つ調停役で、精神構造全体のバランスを取る中心的機能だというのです。
『~すべき』『~ねばならない』と強く思い込みがちな人は、【自我】あるいは【超自我】が強く働いている人であるということになりましょうか。

 
イド】は「本能」そのものです。生まれたときから持っている自分自身のものです。
けれども【超自我】は、おとなになるまでに心の中に取り込まれ、植えつけられた外界からの「道徳」なので、元来、自分自身のものではありません。
それはまちがいなく「抑制・抑圧された自己」なのです。



とり4

抑圧は苦しみを生み出します。
わたしたちは元々『~したい』『~が欲しい』『~になりたい』といった本能的な欲望を充足させる事を目的にして生きている生命体です。
【イド】は人間のあらゆる意欲の基となるエネルギー源であるわけですから、全面的にそれを抑制・抑圧するのはまちがっています。それを全面的に否定されたら、死ぬよりほかはありませんね。

しかし、この世界では、本能的な自分を「抑制・抑圧」している人がたくさん存在しています。さまざまな宗教は戒律を守ることを強制します。
信仰者は『~してはならない』『~しなければならない』という観念にがんじがらめになっているため、本来の自由な生を生きることができません。
このように超自我】は「社会に適合した生き方をする自己なのです。

「あんなに良い子だったのに、どうしてあんな犯罪をしたの?」と言うケースが多々ありますね。
その子が外面的に社会にうまく適合したかのように振る舞っていたために、傍目には「よい子」に見えていただけのことなのです。そんな「よい子」の内側では、抑圧されたリビドーの強烈なエネルギーが「無意識」という闇のなかに溜まりにたまっていたはずです。それでついに爆発し、とんでもない犯罪を犯したというわけなのです。
ですから、フロイトが言う【超自我】は、あまり歓迎するような内容ではないのです。



花と蝶


★ どちらに偏ることなく、真中で生きること ★



あなたは、いつも何を基準にして行動していますか?
【イド】と呼ばれる「本能・快楽」でしょうか?
【超自我】と呼ばれる「道徳」でしょうか?


本能と快楽だけを追いかけていると、「ラマになった王様クスコ」のように人々に嫌われ、ついには王国(社会)からはじき出されることとなります。
あるいは、道徳ばかりを追いかけて、自分を厳しく律し、善業ばかりに目を向けていると、やがて苦しくなって、自由と解放を求めるようになります。

世間の人たちは【超自我】に芽生えているとはとても言えませんね。
もし「道徳」や「倫理」や「交通ルール」などの規則をしっかりと守るような人々ばかりであるなら、人殺しも犯罪もなく、交通事故も少なく、真に平和な世界ができあがっているでしょうから。
今の世界の有様を見ていたら、大きな深いため息が出るばかりです。なんとかならないものでしょうか?

この世界は、「本能・快楽で生きている人」と、そんな人たちのせいで「規則に縛られながら苦痛を感じて生きている人」の領域なのです。
しかし、「自分自身」が中心軸にいると、【イド】や【超自我】を上手にコントロールして生きていくことができます。「生の欲求」に従いながらも、健全な「リビドー」を生きることができるのです。
これは「中道を行く」と言葉で表すことができると思います。


とり2

中道」というのは、どちらにも囚われない、偏らない立場のことを言いますね。
自分だけのことを考えず、相手(他者)のことも考えることが大切だということです。
自分が幸福になりたいのであれば、自分の利益は客観的に判断することが必要です。
自分の主観で考えていても、それが実現するとはかぎらないからです。

ラマになった王様」では、クスコが他人の土地を勝手に取り上げてクスコリゾートをつくろうとしたとき、「それはゆるさない!」と主張して頑固に立ちはだかるパチャという存在が出てきて、なかなか実現ができないという問題が起っていました。
クスコが主観的に判断すること自体がまちがっているからですね。
やみくもに自分の利益を追求しようとしても、自分だけの利益を目指しているあいだは、実現はできませんよということなのです。

自分のためにもなり、他者のためにもなることを目指すこと。
それを「ラマになった王様」は教えてくれていたのではないかと思います。





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