「独り立つ人」が選んだものとは何か? 

2013年07月29日 12:20


★ 読者さんのお便りから ★



今回は、長年このブログを愛読してくださっていた読者さんから7月初旬に届いたお便りをご紹介いたします。

鳥2


        光の仕事人/カヴィーシャ様

                        K.Ⅰ  女性 42 歳 東京


 
こんにちは、K.Ⅰ です。自己紹介と「思いの制限をひらく」との出会いについてお伝えしたくお便りします。こういう読者がいた、というふうに知っていただけたら嬉しく思います。

私にとってはカヴィーシャ様のお名前よりも、光の仕事人様のお名前がよりなじみ深く感じています。初めてブログをみつけたのは2010年の終わりころだったと思います。
その時の私の状況をお話しさせていただきます。唯一の身内、母が癌にかかり、仕事を辞めて1年間看護し見送ったあと、2000年ごろでしたが、なにか腑抜けになったような気がして、ふっと自分の魂をとりもどしたい気持ちで一人旅にでかけていました。旅のひとつがアリゾナ州でしたが、旅の途中に起きた出来事や出会った人々ととても深いつながりを感じ、後に東京の生活を片づけて2004年にアリゾナ州のフラッグスタッフという町の大学へ留学することにしました。この町はセドナにドライブで40分くらいの距離にあります。町の北には美しい大きな山がそびえていて、この山の存在に見守られながら学生生活を送っていました。この留学ではスピリットでつながっていると感じられるような家族との出会いがありました。そういった人たちの助力もあって、はじめは2,3年の語学留学のつもりが、計8年半、大学院修士を終えるまで生活していました。

★カヴィーシャ: そうでしたか。 とても素敵な経験をなさったのですね。

私の日本での家族は、思えば非常に機能不全な環境でした。(母は女手ひとつでよくやってくれたと思っていますけれど)ずっと昔からえもいわれぬような、どうもなじめない、不安定な感覚を持っていました。アメリカでの8年半の生活は、まるで私にとっては「生きなおし・成長しなおし」のチャンスをもらったような感覚でいました。血のつながりはなくても真のつながりを感じる人たちがいること、そしてなによりこの世はそんなに恐ろしいところではない、ということを少しずつ経験していました。

ところで2010年には大学院卒業にむけて学業が生活の大半をしめるような状況にありました。卒業後の進路など「現実的な」ことがらに対処していく必要に迫られ、私の中のまだ触れていなかった思いが浮上して、また落ち着かない不安定な感覚を感じていたのです。
自分でいうのもなんですが、たくさん成長した部分もありましたが、宇宙から「この学びは?」「こっちは?」と問われているようなふうでした。これは大学院だけの問題じゃなく、アリゾナのこの土地に呼ばれてきた、この地での学びの卒業がかかっているという気がしていました。

その時の一番の思いは「なんでこんなに生きづらい感覚があるのだろう」ということでした。そのころに交流のあった人たちから、キーワードのように耳にしたのがインディゴソウル、とかインディゴという言葉で、インターネットでいろいろと調べました。調べればいろいろたくさんでてきましたが、私は私の感覚をたよりに信頼できるものを探しました。日本のものを探していて出会ったのが光の仕事人さまの記事でした。

これらの記事を読んで、まるで自分のことが書いてあるような不思議な感覚を覚えました。そして心の底からホッとしたことを忘れません。私は考えてみると幼稚園に入る頃から、ずっと人に違和感を感じていて、それを「自分が人より劣っているから」そして「それを人に知られてはいけない」という思いの制限をずっと持っていたようでした。児童養護施設で働いていたとき、他の職員からは問題視されているような子どものことがいたたまれなくて、そういうこどもによく目をかけていましたが、たぶん自分のことのように感じていたのだと思います。インディゴの記事をみて、自分はそういう魂の出身であって、自分が悪いというわけではない、と感じて心の底から安心したのでした。うれしくてうれしくて、そのころその感覚を共有していたアメリカ人の友人たちにも教えたところ、涙を浮かべて聞きいった人もいれば、自分のこととはとらえていない様子な人もいました。私にとってこの出来事はとても大きな転機でした。ある夜、これからは日常的な事物に振りまわされるような生活は一切送らない、人の目を一切気にしない、自分のハートの真実にのみ従って生きていく、と強く宣言しました。宇宙にたいして。この宣言をしてしまったばっかりに、その後「あのとき宣言したじゃない?」的な試しのようなことがしばしばおこります(笑)

論文など忙しい日々ではありましたが、時間をみてブログの記事を読みつくしました。一度読んで、すっとのみこめるタイプではないので、何度も何度も。また時間をおいて読みなおしたときに、こういう意味だったのか、と再度気づくことが多いです。インディゴの次に興味をもったのは小食は地球を救うの記事、でした。ひとつひとつ細かくは申し上げませんが、光の仕事人様のブログに関して感じたのは、とにかく、そのときの自分の気づきや、宇宙から受け取っているメッセージらしきものにシンクロしている記事がみつかる、ということです。気づきのヒントになることが多いです。
大学では森林科学専攻でしたが、学業を通じて、とにかく動植物に対するいとしい気持ちが強い自分、を発見しました。環境破壊に心が痛みますが、自分個人がそれに加担しないために何ができるだろう?と考えていました。住んでいたコミュニティーは、そういう意識が高い人たちがたくさんいるところで、そのせいもあってか、私にとっては自分の衣食住の見直しは自然なかたちで受け入れました。ハイヤーセルフにつながり生きることも。

2011年の5月に大学を卒業して、山々にその報告のための登山をしましたが、そのときに山からも「おめでとう、卒業」というメッセージを受け取った気がしました。そのままアメリカに残りたくて就職活動をしましたがかなわず、それもまた意味のあることだろうと思いつつ、去年の夏に東京に戻ってきました。自然により近い環境でとりもどした自分らしさを東京の生活で維持することが、とても難しくて初めは「帰りたい」状態になっていました。しかしよく感じてみるならば、アメリカの片田舎にいても東京の粗い波動の中にいても、自分の中心(ハイヤーセルフ)によくつながっているならば、かわりはないのではと思いました。今は満員電車の中でも目をつむってアリゾナの山や森、セドナの岩山の意識につながりを感じることができます。公園の木々や鳥のさえずりが美しい。そういう感じる練習に帰ってきたのかもしれません。せっかく日本にいるので、日本を味わえたらいいなと思えます。

★カヴィーシャ: そうですね。しかし、環境というものは人体に大変影響を与えるものです。わたしは東京を旅して、ここには絶対に住めないと思いました。人間の多さに疲れました。波動が悪いなかで生きていると、正常・清浄を維持するのは大変です。
あなたのハイアーセルフに尋ねてごらんなさい。「東京が好きですか? それとも、セドナやアリゾナの山や森のほうが好きですか?」と。


帰ってきて感じたことですが、日本という国は、神々に(もしくは宇宙のエネルギー、光に)相当しっかりと守られている場所だと思いました。とてもギリギリのところで災難をまぬがれている感じです(このままではいけないですが)そういう再発見はありつつも、やはりそこで接する人々は神性を忘れている、もしくは表現しきれていない人が多すぎで、そういう人の間にいて自分を保つのが難しい。光の仕事人様のブログを訪ねて記事を読み返すことで、自分が宣言した自分の生き方をくりかえし思いだすことができているのです。本当に、本当にありがとう。

★カヴィーシャ: どういたしまして。しかし、神性を忘れた人々が多々生きている日本は、ほんとうに神々に守られているのでしょうか? 守られるような意識を皆が持つことを求められているのではないでしょうか?

思いの制限をひらいて、真の自己で在りたいです。自分の中の制限は気が遠くなるほど何層もあるようです。自分でいうのもなんですが、私は相当数の自分の思い込みに気づき手放す作業をしてきました。はじめは心理学的な手法で。ヒーラーと呼ばれる人の力もかりましたが、今はもっぱら、直接ガイドスピリットやエンジェル、宇宙に直接お願いしています。しかしまだまだあります。きっと人生かけてずっと取りくむ修行なのですね。
この前、成田山新勝寺にお参りにでかけて御護摩の炎をじっとみていたときに、僧として炎を見ていたような感覚を思い出しました。この人生では寺社、修道院など隔離された世界にはおかれていません。そういう自由が与えられていて、その中であなたらしく学んでいったらいいのだと、言われたような気がして泣きたくなりました。慈悲の怒り、のような炎のエネルギーをいただいてきました。

ところで光の仕事人様のブログにも似たようなエネルギーを感じとります。私が住んでいたところの近くにはセドナという町がありましてハイキングによくでかけていました。土地のエネルギーが神聖で背筋が伸びる感じがとても好きでした。しかし町自体にはニューエイジといいますかスピリチュアルビジネスが広がっていて、人間の欲のエネルギーが強くあります。なかには良質なライトワークがあるのでしょうが、そういうビジネスの中の、ありのままの自分でOK、エンジェルからのメッセージ(それもとことん甘い)、というようなものについては、どうしても本物ではない、という違和感がありました。

★カヴィーシャ: 上記の内容に同感です。
ありのまま」という言葉をどう解釈するかですね。たとえば「ありのままの自分でOK」を「今のままの自分でOK」とするなら、魂の成長と進化などはありませんね。
また、とことん甘いエンジェルからのメッセージも、「それで前進できるのかな?」と思うことがあります。
糖分の多いジュースや甘い物ばかり摂っていたら、いつかは病気になるように、耳触りのよい甘い言葉ばかりを求めているなら、人生にチャレンジする意欲も湧かないままで終わってしまいます。
良薬口に苦し 忠言耳に逆らう」ということわざがありますが、よく効く薬が苦いように、身のためになる忠告は素直に受け入れにくいのでしょうね。人の多くは、苦い薬は飲みたがりません。

塩が抜けた身体には塩が必要だし、チャクラにプラーナが不足していれば補うことが必要です。ハートのチャクラのプラーナ量が常に枯渇している人は、自分や他者に対する愛がないのだと気づき、自分に愛を注ぐことが大切となります。
もし「今のままの自分でOK」であるのなら、病気になったり、災難が降りかかったりすることはないはずです。
Eさんの直感はすばらしいと思いますよ。


富を引き寄せる、というのも胡散臭い。アリゾナのあの土地にいて、ネイティブアメリカンの人たちの、生活と見えない世界とのつながりを重視している生き方といいますか、彼らの世界観の方に真実を感じていました。私自身は何かが視えたり聞えたり、という力はありません。たぶんそういう力があると傲慢になりうる要素があるので敢えてそういう力は伸びないようにシールドでもはって生まれてきたような気がします。私にとっての手がかりはguts feeling、おなかの底で感じる体感のみです。これは小さい時からありました。12歳で母から押しつけられた宗教を「なにかがちがう」という理由で拒否しました。家庭の雰囲気がそれ以降何十年と険悪になろうとも、断固拒否しました。こういう感覚があるので、世のスピリチュアルをうのみにはしていません。
それにしても読者歴のたぶん長い部類に入る私にとっては、思いの制限をひらくと光の花束には、深い信頼を感じています。

私の現況ですが、2012、2013年のこの時期は、これから先の生き方を決める重要な時期にさしかかっているようです。そしてそれが私のアセンションの理解でもあります。以前の自己宣言について、本当の本当にそのつもりなのか、生命をかけての決意を問われているような感覚があります。そして私には宇宙に対する(光、神、といってものですが)全面的な信頼感という課題が残っています。これがとても難しいです!ひとつ最近のエピソードを話させてもらっていいですか? 自分の身に起きていることはすべて自分の鏡のようなものですが、特に仕事・お金が思うように手に入らない、という問題に直面していました。周辺から読みとったメッセージは「宇宙に豊かさはふんだんにあり、それを思いのままにつかめるのに、自分でシャットアウトしている」ということでした。これに関してはいくつかの思いこみに気づき、手放す、という作業をしたのです。特に今生の父母との関係で受け継いだ思い込みが大きいことに気づきました。これはこれでとても大きな手放しだったようで素晴らしい開放感を感じました。宇宙には豊かさがあふれている、という感覚がすんなりと感じられるようになったのです。

ある日、近くの大きな公園に行き、そこにある木々草木、そこにいる人たちすべてに宇宙の神性が宿っている、というイメージを浮かべつつ散歩していました。ふと思いついて4つ葉のクローバーを探してみました。周辺をよく見ましたがみつかりませんで、ガッカリしましたが、その時に気づいたのです。ガッカリの陰に「私には4つ葉のクローバーを受けとるような価値がない」という感覚があることを、です。思いもかけずみつけたその思いのワークをしました。
後日、また公園に散歩に行ったときには全くクローバーのことは忘れていたのですが、歩いていてふと足元にピンと一本の4つ葉が飛び出ていることに気づきました。あれ?探さなくてもちゃんと見逃さないで受け取っている、とうれしくなりました。宇宙からのおくりものを見過ごすことなく受けとっている。

さらに後日、豊かな気持ちで公園に行き、何気なくこのあたりだ、と感じたところを見ましたら3本立て続けに4つ葉をみつけたのです。そのとき心から嬉しかったかというと、そうではなくて、「こんなにみつけるなんてそんなに珍しいことではないのかもしれない」「放射能の影響かも」などと考えている自分に気づきました。しばらくして座って心落ち着けてみて、とことん疑っている自分に嫌気がさしました。試しに時間をかけてよく探してまわりましたが、1本もみつかりません。このときには宇宙に対して謝りました。ごめんね、宇宙、おくりものを疑ってしまって。こういう疑いがすぐ上ってくるようでは、宇宙に信頼をおいている、自分に信頼を置いているなどとはいえないですね。信頼をおいているつもりになっていただけでした。その後、信頼に関する学びがいくつか浮上してきました。
それらを終えたとき、すがすがしい気持ちで公園に行ったのです。こどものような気持ちで宇宙にオーダーしました。今度はいままでみつけた小さいのじゃなくて、大きな葉っぱで白い線のくっきりした4つ葉をみてみたいな、と。見つかる期待も、見つからない予想もなにもなくです。それと同時にぱっと、足元にみつけたのはイメージどおりの大きな4つ葉でした。その瞬間、心の底から、その美しさと宇宙の返事の早さに笑いがとまらなくて、そして感謝しました。みつけたクローバーは押し花にして大切にとっておいてます。宇宙からのおくりものです。

★カヴィーシャ: 素敵な贈り物に感謝ですね!

このことがあってから、すべての生き物、無生物にも宇宙のエネルギーが流れていること、すべての人に光の存在が内包されているイメージをすることがだいぶ楽にできるようになりました。その後、また公園に行きまして、クローバーの群れをみていましたら、クローバーが私に話かけてきたような気がしました。4つ葉さがしているの?と。4つ葉じゃなくても3つ葉のクローバーたちもかわいらしいことに気づきました。大体、4つ葉に幸運をむすびつけているのも人間が作った思い込みですね。

★カヴィーシャ: そうですね。「正常波動と異常波動」の記事にも書いていましたように、四つ葉がほんとうは異常な状態なのだと知ると、少しがっかりしますね。


四葉のクローバー
公園で見つけた四葉のクローバー 撮影 光の仕事人


風変りでも普通でも、すべてにひとしく神は光や水、栄養を与えてくれているのですね。そういう恵みを感謝し存分に受けとり、いきいきと生きていきたいものです。

自己紹介にしてはとても長くなってしまいました。長文失礼いたしました。地上に光をもたらす存在になるように修行中の身です。つい先日東京での仮の仕事はみつかりまして(生活のための)間接的にではありますが環境保護にもつながる仕事なので、しばらくはよし、としています。新しい職場で出会った人たちはある意味「仲間」だと思うので、どういった学びがあるのか手探り中です。

ハイヤーセルフにつながっている(できるだけいつでも)練習中です。光の仕事人様のサポートをお願いすることがあるかもしれません。職場の人間関係について、といった生活の部分的なことに関するサポートではなくて、私のいま、さしかかっている人生の転機、意識のシフト、に関するようなことになると思います。宇宙への、自分の魂への完全な信頼感を感じることを妨げている原因をみつけ、とりのぞきたいので。

光の仕事人様がブログでシェアしていただいている教えにいつも感謝しています。
尊敬の気持ちをこめて。


★カヴィーシャ: あなたのオリジナルの表現を届けてくださったことに感謝します。
あなたの文章を読んでいて、アメリカで読んでくださっている人が数名いらっしゃったということを思い出しました。あなたがそのうちのおひとりだったのですね。長いあいだブログを読んでくださって、ありがとうございます。

宇宙への、自分の魂への完全な信頼感を感じることを妨げている原因をみつけ、とりのぞきたい」と書いておられたKさん、それが今生のあなたにとってもっとも大切な課題なのでしょう。
それを探してください。ぜひ見つけてください。
そのもっとも近道は、あなたご自身がイエスの言うところの「単独者」となることです。ブッダの言うところの「独り在る者」になることです。
そうすれば、宇宙があなたを見つけ、手を差し伸べてくれることでしょう。




ピメリア


   
 
★ 「独り立つ人」が選んだものとは何か? ★



7月のセミナーでは、参加者さんに対し、「単独者」すなわち「独り立つ人」は、「何を選んだのでしょうか?」という質問を宿題にしました。
全員の答えがそろうのを待って記事に書く予定でいたのですが、なかなか答えが届かず、タイミングがずれたため、とうとう7月も末になってしまいました。

待っている間に、参加者さんだけに答えを尋ねるのではなく、読者さんにも尋ねてみようかという気持ちが湧きおこりました。
皆さんは過去記事の「単独者となること―天国に入るための必要条件」をすでにお読みになったことと思います。
再度思い起こしてみてください。そこにつぎの言葉を記していましたね。


イエス、言う。
「選ばれて独り立つ者は幸いである。
その人は〈王国〉を見出すだろう。
なぜなら、人はそこから出てきて、ふたたびそこに戻ることになるからだ」



まず「選ばれて」とは、誰に選ばれた人かと言いますと、それは一般的にいう「」ですね。
「神」ということばが人間臭いなら、「宇宙を創った根源」と言ってもよいでしょう。「大いなる宇宙の意識&意志エネルギー」のことです。

そして、「独り立つ人」とはどんな人かというと、他者に必要とされる必要が落ちてしまった人であり、独りであって完全に満ち足りていて、真に自由である人のことだと言えるでしょう。
(「光の花束〈不滅の詩〉」7月9日更新の記事参照)

わたしたちはたいてい誰かに必要とされるために生きている、あるいは、生きようとしていると言ってもよいのではないかと思います。

もし誰かがあなたを必要としていたら、その人のために生きなければならないと思うでしょう。子どものため、夫のため、妻のため、親のため、職場の人たちのため…。
しかし、もし逆に誰もあなたを必要としなかったら、「あなたがいようがいまいがどうでもいいよ」と言われたら、どんな感じを受けるでしょうか? 
きっと、自分の存在意義が失われたようで、損なわれたようで、自分の生を無意味に感じ、悲しくなるのではないでしょうか?

あなたはいかがですか? 
あなたは「自分が他者に必要とされる強い願望」を持っている人でしょうか?

しかし、「存在意義」というものは、本来自分のなかにあるものであって、他者にそれを見つけてもらうようなものではないのです。 

もしあなたが「あなたが必要だ」と言われるために他者を愛し、他者の面倒を看ているのだとしたら、あるいは、自分が愛されたいがために他者の面倒を看ているのだとしたら、あなたは天の王国を見いだすことは難しいでしょう。

特に「奉仕をすることに喜びを感じている人たち」は、一度自らの行為が、真にやりたいからしているだけなのかどうか、問うてみていただきたいと思います。



青いハートのライン


さて、ここで質問です。
イエスが言う「独り立つ人」は、いったい何を選んだのでしょうか?

この質問の捉え方は人それぞれです。読者さんのコメントを読み、誤解を生まないよう、付加しておきたいと思います。これは、「単独者」となった人は、何を選択したがゆえに「独り立つ人=単独者」となり得たのでしょうか? という意味です。 7月31日更新

 
セミナーの参加者さん4名は、そろって「自由を選んだ」とレポートに書いておられました。

セミナーでは、上記の質問の前に、「人間の内部にある最も深い衝動とは何でしょうか?」という質問をしました。
正解が「完全に自由になること」、「解放されること」であると知った皆さんは、てっきりそのことだと思われたのでしょうか?

また「覚えておいてほしいこと」として、「独りであること=自由」、「絶対的な自由は、独りにおいてのみ存在しうる」ということを伝えていたので、「独り立つ人」は「自由」を選んだのにまちがいはないと思われたのかもしれません。
もちろん「自由を選んだ」と言っても大きなまちがいではありませんが、しかし、それでは答えが簡単すぎると思いませんか?

まだ別の言葉がありますよということです。
それを皆さんにも考えていただきたいと思います。
皆さんからのお答えを募集します。「お便り」か「拍手コメント」に、その答えとなぜそう思ったのか、理由を書いてみてください。

独りあること…。
単独者となることこそが、天国に入るための必要条件」です。

さて、あなたは真に「独りで在る人」でしょうか?





大木.


★ 真の成功とは? ★



『5月の気づきのセミナー』で、「成功の本質」とは何でしょうか?
真の成功」とはどんなことですか? と問いかけました。

自分の才能を伸ばし、認めること。
自分を愛すること。
他者を愛し、貢献すること。
 

お金さえ貯まればよいとか、店が繁盛すればよいとか、
そういうことではありませんでしたね。
光の源泉」となりたい人は、自分にとっての成功の中に
必ず「人の役に立ちたい」という気持ちがありました。

けっして「押しつけがましい愛」なのではなく、
純粋に人の役に立つ仕事をしたいと思っておられたと思います。


光の源泉となりたいと願っている皆さん、
何かで成功したいと願っている皆さん、
よく考えてみてください。


今現在自分の旅のプロセスを楽しむことさえできていないのに、
他者からどう思われるかばかりを怖れ、不安で自信がなく、
自分を真に愛することも、信じることさえできていないのに、
自分の全身全霊を惜しみなく他者に与えることもできないでいながら、

そして、真の目的地がどこにあるのかもわからないのに…
それを目指そうとしてはいませんか?


もう一度考えてみてください。
あなたにとっての「成功」とはどんなことでしょうか?

けっして目的志向にならないこと。
自分の人生の旅路そのものを楽しむこと。


その旅路で見つけたさまざまなもの
野に咲く花の健気さや、人知れず咲く花の可憐さに感動し、
自然の摂理に従って生きているものたちの生死に涙する
だれもまだ体験したことのない地に分け入り、新たな発見に胸を踊らせる
そんな旅路を楽しんでいただきたいと思います。 






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