気づきを分かち合いましょう!

2013年07月16日 00:00


★ 過去生回帰の体験レポートより ★



今回は、7月1日の「過去生回帰」の個人セッションを受けられたKさんの「最終レポート」を掲載します。

わたしのハイアーセルフが出した彼女への「課題」は『犠牲』であったのですが、その『犠牲』は男尊女卑の思考がまだ現在も根強く残っている九州にKさんが誕生されたときから始まっていました。

男性であることは、もうただそれだけで皆から愛され、大切にされるのだということ。そして女性はその下の存在であるということを何の疑いもなく受け入れてきたのだということを、彼女は最初のレポートに書いておられました。
そのとき記されていた文章を、一部記載させていただきます。


区切りのライン


日常生活では明るく、いつも大丈夫よ!と振る舞っていても、とても深いところで人から愛される価値はないと、寂しくむなしいものがベースにあるのです。

この無価値観は、幼い頃から私の中にありました。
あまりにも普通にあるものなので、数年前までみんなそういうものだと思っていたのです。
でも、たくさんの人たちと時間を過ごす中、そうではないことを感じ、この無価値観に私なりにワークをしてきたつもりでいましたが、まだまだだったのですね。
なぜなら、こんなに動揺している私がいるのですから!
(私の中のどこかで「見破られてしまった!」という感じです)

そんな小さな女の子だった私は、せっせと女としての役割をこなし、そのまま大人になりました。
男性を立て、言いたいことは胸の内にしまい、自分の真の生き生きとした感情は見ないようにしていたのです。
とても小さな自分の欲求や、なぜ私がこんなことを?と感じても「 私さえ我慢すれば 」と無意識にその感情を押さえつけてきたのです。

そのように真の自分を無くし、外側に合わせることで自分を保っている私の回りには、あからさまに私を利用する人たちが出てきました。
仕事をさせるだけさせ賃金の支払いをしぶる人や、自分の思うように私を振り回す人。
すぐにでも距離を置けばよいものを、「 私がまだまだ未熟だから尊重される価値がないのね 」と、どのような状況も受け入れてきたのです。

私が私を下に扱い、自分から、
「 私を使ってください。それが私の価値となるのです。」
と強くエネルギーを発しているのですから、このような状況になってしまうのは当たり前ですよね。つらく惨めなものでした。



区切りのライン


「私なんて」と自己卑下のようなものが常に心のどこかにある。

そう書いておられた彼女は、上記の記載のあと、決心されました。

今回の生だけではない、過去からの思い癖、心の傷を真に癒す旅が始まりました。気づいていきたいと思います」と。

その決断から、彼女は大きく前進され、飛躍されました。
当日のセッションはとてもスムーズに展開しました。彼女がそれまでにも同じ「過去生の自己」の映像を断片的に見ておられたからです。そのセッションでこれまで気づきつつあったことのすべてが統合され、彼女をおおいに納得させるようなひらめきが起こったように感じられました。

そのKさんから先日届いた「最終レポート」です。


区切りのライン


~過去生回帰の個人セッションを終えて~(2013年7月13日) 

                        39歳 女性 神奈川県


カヴィーシャさま

先日の個人セッションでは本当にお世話になり、ありがとうございました。
今になって、私はあの日をずっと待っていたのだと思います。
セッションを終えて、私はとても力強く前向きになりました。


セッション前にいただいた『犠牲』という課題。
今までの私に最も暗い影を落としていた前世での記憶。
それを手放すために選んで下さったのですね。


(★4名の募集をしておりましたが、4人目がなかなか決まりませんでした。ハイアーセルフが「必ず必要な人が申し込んでくる」と言っていたのを信じて待っていたのですが、その待ち人がKさんだったのです)


セッション前に課題を下さったことで、今までの私の思考パターン、良くない人間関係を掘り下げ、客観的に気づくことができるよう導いて下さいました。
あの素晴らしいセッションを迎えられたのは、そのお陰であると感謝の気持ちでいっぱいです。


セッション当日、最初に出てきたヨーロッパ人の男性。
今までも私の魂がやろうと決めていたことを忘れそうになると、フワッと言葉を与えてくれた方だと分かりました。
カヴィーシャさまの誘導が始まってすぐに、右目と唇の右側が勝手にピクピクと動きだし、早く私に伝えなくてはと待ち構えていたようでした。(あのピクピクとした身体感覚は初めてだったのでビックリしました!)
その男性に対しては、ずっと真の自分に目を背けてしまって申し訳ない気持ちです。
少し時間がかかってしまったけれど、今回のセッションではっきりと認識し「やるぞー!!」という元気が身体中を駆け巡っています。

そして今回私にとっての本命である遊女の女性であった私自身の前世。
セッションでカヴィーシャさまが光に帰る誘導をして下さったお陰で、手放すことができました。
その女性とはずっと一緒にいたんですね。
私はその女性そのままの、まさに犠牲的精神、感情、思い癖を引きずって生きていました。
本当に光に帰ってくれたからこそ分かるのですが、あのセッション以来、意味なく虚しい感じや悲しくなることが本当にないのです。
今までの私の陰鬱な気持ちはどこへ行ってしまったのでしょう、という感じです。
それまでの私は、一人で二人分の気持ちを持って生きていたのだと気づきました。
今までも瞑想や色々な書物を読み、自己改革を試みてきましたが、ほんの2時間ほどのセッション「過去生を手放す」ことでこんなにも変わるものなのですね。
今までの習慣や思い癖は何十年も私が使ってきたものなので、これからも気を引き締めていくつもりですが、過去生とはどれだけ今に影響を及ぼすのか、計り知れないなと強く思いました。

また個人セッションもとても素晴らしいものだったのですが、カヴィーシャさまに直接お目にかかる機会をいただき、そのオーラ、エネルギーの清らかさに言葉ではない大切なものを教えていただきました。
凛とした佇まい、強さは真の優しさということ。
セッションをしていただいた会議室も結界が張ってあるような、完全に守られている空間になっていて、とても安心していられました。
ピンと張りつめた空気とあたたかくそこに居て下さったカヴィーシャさまの美しさが今も目に焼き付いています。本当にお会いすることができて、良かったです!

今回『犠牲』という課題を通して、自分をまったく信頼せず、回りの期待に応えてばかりの上辺だけの生き方に気づかせていただけただけでなく、私の闇の部分にも光をあててはっきりとその輪郭をみせていただきました。
これをきっかけに、まずは自分を愛することに集中してみようと思います。
自分を信じ、たとえ独りになっても笑顔で立っていられるようになります。

セッションで光に帰ってくれた私の前世である女性のように、今生きている私が未来の私に悪影響を与えることのないよう、カヴィーシャさまのブログを始め、季節の移ろいや大自然の中から、書物やささいな出来事の中からも気づきを得れるよう、前進していきたいと思います。

本当にありがとうございます! 
    


ゆり


~カヴィーシャからKさんへ~


あなたが日本で未だに「男尊女卑」で女性が「犠牲」となっているような地域を生誕の場所として選び、そういう意識を持っている家族を選び、また男性が明らかに優位を占める職業をあえて選ばれたのは、『犠牲』という課題を再度体験するためであったということが、今回の『課題』と『過去生回帰』のワークではっきりしましたね。

つまり、過去生で家族のために身売りして遊女となり、『犠牲』というものをいやというほど味わっていた女性(ご本人の本体部分)は、もう一度今生であなたに同じ体験をさせたがっていたということ。
過去生回帰の最中に、あなたに対して「同じ目に遭わせる」と言って笑っていたあの遊女さんは、定められた枠から一生脱出することができませんでした。だからこそ、同じような境遇のなかに置かれた今生のあなたに、それを真に克服してほしいと心の底では願っていたのです。

あなたがセッションの最後に選んだ三枚のカードのうち、一番目は「強さ・精神力」でした。ほんとうの「強さと精神力」をもってくださいねということです。

7月のセッション前に、わたしは次のようなコメントをあなたのレポートに記しました。 

あなたは今現在、ご自分を真に愛し、信頼しておられますか?
そして、ご自分の価値を見いだしておられますか?
今回はここをしっかりと掘り下げて考えてみてください。

「犠牲」は自分に価値を見いだせていないことから生じることですから、
あなたがおおいに自分を愛し認めることができるようになれば、
それは解決できると思います。


それに対して、あなたはこう応えておられました。

ここ数日、とても静かな時間が流れています。
今生での私自身のあり方が客観的に観えました。
『あなたは今現在、ご自分を真に愛し、信頼しておられますか?』
カヴィーシャさまのこの問いこそが、私の決意になります。

今まで私は私を愛していなかった。自分を信じていなかった。
これからは、たとえ独りになっても自分を裏切らず(私は独りになることが怖かったのだと気づきました。本当は独りも大好きなのに!)、自分を信じ、回りに合わせるだけの生き方はやめます。
(人にも環境にもネガティブエネルギーにも!)

真の自分で人生を生きていきます。



★この気持ちをどうか忘れないでください。
Kさんのこれからのご活躍を心からお祈りいたしております。



トルコききょう


★ 分かち合うこと ★



皆さんは、ゴータマ・ブッダが正覚(悟った)したとき、その深遠な気づきを、すぐに誰かに伝えようとしたと思いますか?

ある経には、こんな言葉が残っているのです。

苦労してやっと悟りを得たものをなぜまた人に説かねばならないのか。むさぼりと怒りに焼かれる人々にこの法を悟ることは容易ではない

自分が今悟り得たこの思想は、はなはだ微妙なものである。賢者にしてはじめて理解できるような内容のものである。この世の中の人々は欲望にふけり、欲望を喜びとし、そればかりに夢中になっているのであるから、とてもこの思想を理解できるとは思えないし、それを説いても理解できないだろう。もし彼らがこれを理解しなかったなら、わたしは疲労と困憊をもって酬いられるばかりである」と。

自己の課題を解決したばかりのゴータマが、なぜそれを人々に向かって説かねばならないのかと考えたことは確かなようです。
悟ったばかりのとき、彼は民衆に説法をすることについてはとても否定的で、消極的でした。
それどころか、どうもひとりだけでは不安であるから、もしも真に優れた尊敬のできる思想家がいるなら、その人のところへ行って弟子になり、仕えたい。そんな人はいないだろうか? とまで考えていたというのです。
それが真実かどうかは別として、そういう葛藤があったということを伝えられた経典があるのですから、不思議な気がしますね。
悟った人でさえ孤独の不安と葛藤があったというのですから。

そのとき、梵天(インドの最高神のひとつで、梵天界に住んでいるという存在)が現われます。このままではこの世界は滅びてしまうと考えた梵天は、ブッダに言いました。

世尊よ、法を説きたまえ。ブッダが法を説かれれば、必ずそれを理解するものがあるでしょう。もし聞くことを得なかったならば、彼らもまた堕ちてゆかねばなりません

それで、ブッダはもう一度世の中の人々のようすを観察して考え直してみたのです。
そうしたら、ブッダの心のなかにつぎのような情景が浮かんできました。
これは美しい蓮の花の池を譬えにしています。

そこにはさまざまな蓮が、さまざまな咲き方をしていた。
ある蓮の花は、泥の水のなかに咲いていた。
ある蓮の花は、水面に浮かんで咲いていた。
またある蓮は、はるかに水面をぬきんでて、その美しい花びらをひらいていた。
それと同様に、人間の世界もいろいろであって、そこには、世間の塵に汚されないでいる人々も、けっしていないわけではなかった。


そこでブッダは説法をする気持ちになって伝道の決意をし、梵天に答えてこう言いました。

見よ、甘露の門はひらかれたり。耳あるものは聞け。古き信を去れ」と。

そこからブッダの「伝道」がはじまったのです。



スイレン



わたしが皆さんの『気づきのレポート』をこのブログで公開させていただいているのは、
自分が得た学びや気づきを「みんなで分かち合いましょう」という精神からです。

もちろん読者さんの意識レベルも千差万別ですし、気づきの度合いも皆異なります。
しかし、どんな内容からも、何らかの気づきは必ず得られると思うのです。
これまでに公開したレポートを読んだ人たちから「参考になりました!」というコメントをたくさんいただいていますし、提供してくださった人も自分の体験談が役に立ったということで、喜びもさらに広がるのではないかと思うからです。


書く人も、読む人も、
ハートがひらかれた状態を味わってください。

ハートがひらかれている人の文章は、
つい微笑んでしまうような楽しさと軽快さがあります。
読んでいて幸せな気持ちになります。

「気づき」を分かち合うことです。

ブッダほどの深遠な気づきではなくても、
惜しみなくそれを提供することです。

学びながら、伝えていく。
それが菩薩の道なのです。



ハートきらきら




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