自己を整えてこそ自分の得難い主となる 

2013年07月11日 00:15


今回は、先日行ないましたセミナーに参加されたM.Yさんのレポートの一部を掲載します。彼女の気づきが、皆さんの参考になれば幸いです。



区切りのライン

    ~「7月 蓮の花セミナー」のレポートから ~


                         49歳 女性 兵庫県 

今回のセミナーでは、まず、カヴィーシャ様が小学生や中学生の頃に出会った「ブッタのことば」などの書籍などをご紹介いただきながら、その頃に出会ったその美しい言葉に感銘を受けられたお話などをお聞きでき、とてもわくわくして聞き入っていました。

セミナー後に、早速三冊の書籍を購入しました。一語一語、一文一文の意味が深く、すぐには深く理解し難い内容が多そうですが、少しずつ読んでいこうと思っています。
小学生の頃から、この様な本を好んで読んでおられたカヴィーシャ様に頭が下がる思いです。

後のブログで語り足りなかったと書いておられましたが、また、カヴィーシャ様の経験談などをお聞きできるのを楽しみにしております。


そして、「自分自身を最高の友とするために」では、人間の内側にある最も深い衝動が「自由」であることを知り、自分自身が真に「自由」でなかったことに気づきました。
まだまだ他人の目を気にしたり、人から頼られることをさほど何とも思わない自分がいて、そんな自分は逆に他人に依存しているのだと思いました。
自分の存在意義を他人の中に求める傾向があり、自分の存在意義を自分の中に求めることができれば、自分自身で満ち足りた人になることができるのですね。
これからは、「自由であること」を意識して、真に「独りで在る人」でいたいと思います。
そして常にそう意識していることができれば、これから自分が何をどう選択していけば、自分が真に自由で自分自身で満たされていくのかを考える時の道標となると思います。

これを、小さなことから始めて習慣化し、大きな選択をするときにもすぐに当てはめることが出来るようにしていこうと思います。

自分の「自由」に焦点をあてて考え始めると、何だかとても開放感があって、これからは縛られた自分の考えや枠、思いの制限から開放され、自分の求める人生を送ってもいいのだという安心感が生まれました。

思いの制限を開いているつもりでもできていませんでした。子どもたちの為にこうしようという考えを少し横に置き、自分はどうしたいのかを最優先に考えるようにしようと思いました。
そう考えた時に、まず自分はこうしよう、そして、そうすることにより子どもたちのことはこうしようと、順番を変えるだけで、その他の行動も変わってきますし、自分を優先して考えることが出来るようになると、他の人のことも、より大切に、より愛を持って行動できるのではないかと思います。


また、自分自身が独り在る人で、自由に行動できるようになると、他人に対して不満を感じたり、怒りを感じたりすることが少なくなり、人それぞれの真実として受け入れる寛容さが生まれてくると思います。
自由に行動することによって、自分が自分に寛容になることが出来るから、人にも寛容になれるのだと実感しました。


自分自身を光で満たして光を送る瞑想では、自分が今まで光を送ることが出来ているかどうかが確認できていませんでした。でも、カヴィーシャ様に調べて頂き、自分がどうすれば光を送ることが出来ているかを確認することができたので、これからは、その感覚で送っていきたいと思いました。


★カヴィーシャ: 今回のセミナーでも、オーラとチャクラを閉じるエクササイズをやりましたが、その際になぜあなたのオーラが閉じなかったのか、光の放射ができにくかったのか、理由がおわかりになったと思います。
「ここが痛い」と言って手で押さえられた身体の場所を調べると、オーラが破れていることがわかりました。
背中の下の辺りが疲れると直ぐに痛くなり、その日も少し痛いということでした。

オーラが破れている(あるいは穴があいている)とオーラを閉じることができないのです。コントロールがきかなくなると言ってもよいでしょう。そこから光が漏れてしまうので、まず光を呼んでも光に完全に満たされることができないのです。
それで、あなたの場合、その破れを修復した途端に、すぐにオーラは閉じられましたし、そのあとのエクササイズで光の放射をして対象物にも届きました。

ご自分の身体にはかなり敏感な方ですが、ご自分のオーラが破れているということに気づくということがまだできていませんし、光の放射もできにくい状況なので、「できている」という思い込みをしないよう気をつけていただきたいと思いました。
なぜ、オーラが破れるのかも、考えてみてくださいね。


★これは大切なことであり、皆さんにも参考となることであると考えましたので、コメントを付加しました。(7月14日更新)



ハイヤーセルフに出会い、ハイヤーセルフから贈り物を受け取る瞑想では、引き出しを開ける前から虹色に輝く貝に入った大きなパールが見えました。
引き出しを開けても同じで、パールは白く輝き、よく見ると部分的に色んな色に輝いて美しかったです。
私は、彫金を学びながら、体力的なこと、金銭的なことなど不安が出てきていたので、それらの経験を通してパールのように美しく輝く未来が待っているということだと受け取りました。
そして、色々な色に輝くことが出来る可能性も感じました。
カヴィーシャ様から「パールは自分の中に異物を受け入れる苦しみに耐えて作られる」と仰って頂き、正に、今の自分のことだと、これからも自分を信じて頑張ろうと思いました。 
(中略)

最後に
『都大路に棄てられし
塵芥の堆の中より
げに香り高く、
こころ楽しき白蓮は生ぜん』

清浄なる蓮のような人に

カヴィーシャ様から頂いた上記カードの言葉と美しい白蓮のように、どんな状況の中でもこの蓮のようでありたいと思います。

ありがとうございました。

愛と感謝をこめて



★カヴィーシャ: 瞑想中にハイアーセルフから贈られた「虹色の真珠」は、あなたのなかにある宝物です。その宝物は、苦しみに耐えれば耐えるほど、うつくしい虹色の光を纏い、その輝きを増していくのです。
パールに秘められた「流れと変化を促す神秘の力」を感じてください。
虹色の真珠」は、あなたの自己の核心にフォーカスし、真のあなたを理解するための助けとなるでしょう。どうぞその素敵な贈り物を大切にしてください。

真に「独りで在る人」でいたいと書いておられたあなたを心から応援します。
「独りであること」の意味を深く受け止め、実践してください。




トルコキキョウ4


★ 自己を整えてこそ自分の得難い主となる ★




    己こそ 己れの寄る辺

    己をおきて 誰に寄るべぞ

    よく整えし 己にこそ
    まこと得難き 寄る辺をぞ得ん

    (法句経 160番)



上記は、7月の『蓮の花セミナー』でお伝えした重要なゴータマ・ブッダの言葉のうちのひとつです。
この言葉は、ブッダが亡くなられる前に、嘆き悲しんでいたアーナンダ(阿難)に対して語られたものだと伝えられています。

では、わたしなりの解釈で、お伝えしましょう。
このアーナンダはいつもブッダの身の周りの世話をして、ずっとブッダと一緒にいた人ですが、ブッダが亡くなられる前となっても少しも悟ってはいませんでした。

ブッダは尋ねました。「アーナンダよ、おまえはなぜ泣くのか?」と。
すると彼はこう答えたのです。「あなたは私が悟りに至らない前に死んでしまわれる。あなたを見失った後、一体どうすればよいのかわかりません。師よ、私はどうすればよいのでしょうか?」

ブッダは答えました。
「嘆いてはいけない。おまえがおまえ自身の寄りどころではないのか? おまえはおまえの灯火である。おまえ自身のほかにおまえはどこに寄りどころをさがすというのか?」と。
 

先に書いた言葉は文語体なので、わかりにくいかもしれませんが、現代訳にしますと、つぎのようになります。

この世では自己こそが自分の主(あるじ)であり、救護者である。
他人がどうして(自分の)主や救護者であろうか?
(この自己のほかに救護者になりうるものがあろうか?)
よく制せられた自己にこそ、ほんとうに得難い主、救護者を見いだすことができる。


自分にとって、「自分を救えるのは自分だけだ」とブッダは言っているのです。
これは、意識レベルが高くなければ、かえって誤解を招く可能性があるかもしれません。
たとえば、「自分が自分の主なのだから、自分の思うがままの言動をしたらよいのだ」と、人の迷惑も省みず勝手気ままなふるまいをしてしまうというようなことです。
これは意識レベルがかなり低い人の発想ですね。

自分を救うことのできる自分になること

それは非常に難しい課題ですね。


トルコききょう3


★ わたしの人生の根底にあるもの ★



先日の9日は、わたしの60回目の誕生日でした。
「光陰矢のごとしだな~」と、幼い頃から今日までを思い起こしながら、独りでとても心地良い思いに満たされておりました。
わたしがこの地球に誕生する前、数多い人生の選択肢のなかで、下から2番目を選んだということを次女から聞いていましたが、そのようにあえて酷い人生を選んだ割には、自分の思う通りの人生を歩んできたのではないかな? と不思議にも感じたのです。

自分が自分であること。
この「自分という意識」が数えきれないほどの輪廻転生を繰り返していることに気づいたのは、11歳のときでした。これはMさんも書いておられましたが、「蓮の花セミナー」でお話をしましたね。
このしくみを知ってしまった以上、「どうしたらこの世界で気持ちよく生きて行くことができるだろうか?」と、幼いながらも考えたのです。

そして、この「決して逃れられない自分という存在」を、まずは大好きになろうと思い立ったのです。わたしがわたしと未来永劫つきあっていかなければならないのなら、自分で自分を大好きになれるよう自己改革をしようと考えたわけです。他人に好かれるためではなく、ほんとうの自分を生きるためにです。
自分自身が嫌いでは、生きていく気力なんて湧いてくるはずがありませんから。
そんなふうに、自分のことが大好きで、深く自分を信頼し、真に愛せる自分づくりを、その頃から始めたわけです。これは正解でしたね。

そして、14~15歳の頃、「白蓮のごとく生きること」をブッダから教わり、「己こそ己の寄る辺である」というすばらしく力強い言葉をいただいたのでした。

わたしは自己を整えるために座禅会に参加してみたり、自分があやかりたいと思える存在を見つけるために、世界中の聖人・偉人と呼ばれてきた人たちの伝記をたくさん読みました。
当時のわたしの師やお友だちは、ゴータマ・ブッダやイエス・キリストであったのです。それも、あとで人間が考えてつくった仏教やキリスト教という教えではなく、初期のブッダやイエスの本物に近い言葉のみを選択し、自分独りで学んだのです。

その当時からわたしの根底にあったのは、このブッダの「己こそ己の寄る辺」という「自灯明」の精神であり、イエスが語った「独り立つ者」の心境だったのです。



★ 独りで歩むこと ★



ひとり座し、ひとり臥し、ひとり歩み、なおざりになることなく、自分ひとりを楽しめ。常にひとりで林の中に住め」とブッダは語っています。

彼の言葉が集められた「スッタニパータ」や「ダンマパダ」には「サイの角のようにただ独り歩め」とか、「愚かな者を道連れ(伴侶)とするな。ただ独りで行くほうがよい。孤独で歩め。悪しきことをするな。求めるところは少なくあれ。林の中にいる象のように」とか、「○○のように」と動物に譬えた句がたくさん出てきます。

わたしはいつもその言葉を脳裏に刻み、「サイの角」のように学びの林を独り歩んできたのです。

ブッダは「旅に出て、もし自分よりもすぐれた者か、または自分にひとしい者に出会わなかったら、むしろきっぱりと独りで行け。愚かな者を道連れにしてはならない」と語っています。
彼は、常に「独りで歩むこと」を奨めた人でした。



愚かなる者と道を共にするは
長途(みち)に憂いあり

愚かなるものと
居(すまい)を共にするは
怨敵(かたき)と共にすむがごとく
まこと苦しみなり

されど賢き人と共に住むは
親族(親しきもの)と相逢うがごとく
まこと楽しみなり

(法句経207番)



愚人と共に住むのは、つねに苦しくつらいことである」とブッダは言っているのです。
あまりにドンピシャなので、思わずうなずいて笑ってしまう句ですが、真に納得がいく言葉です。
ブッダはどちらかというと「分離」のほうを選択していて、「これって、人との調和から外れているんじゃないの?」と思う人もおられるかもしれませんが、ブッダの「独りあること」のススメには、測り知れない深遠さがあります。


★「統合」する前には、必ず「分離」を経験しなければならないこと。
分離したふたつの極」を、その「両極」を知りつくしてこそ、究極の「真の統合」ができるということを知っておいていただきたいと思います。
 

自己を確立するためには、多数の愚者と一緒にいては、達成することができないのです。
たいてい朱に交われば赤くなってしまうんですね。人間はそんなに強くは出来ていないのです。
家族と一緒にいれば、情にほだされて、自分自身を貫くことはできにくいのです。心や行動の自由が縛られてしまうのです。制限から自由になれないんですね。
だからこそ、ゴータマは妻子を置いて城を脱出したのです。

泥中の白蓮華のように、泥の中にいても泥水をはじき、けっして世間に汚染されないようになるためには、揺るぎない自己の構築が必要です。それには自分の身を整え、鍛えることが必須なのです。
だからこそ、「独りになりなさい」、「自分を拠り所にしなさい」、「自己を確立しなさい」と、ブッダは繰り返し繰り返し語っているのです。




この世では自己こそ自分の主である。
他人がどうして(自分の)主であろうか?
賢者は、自分の身をよく整えて、明らかな智慧を獲得する。

この世では自己こそ自分の主である。
他人がどうして(自分の)主であろうか?
賢者は、自分の身をよく整えて、悩みのうちにあって悩まない。

この世では自己こそ自分の主である。
他人がどうして(自分の)主であろうか?
賢者は、自分の身をよく整えて、いかなる束縛をも断ち切る。

この世では自己こそ自分の主である。
他人がどうして(自分の)主であろうか?
賢者は、自分の身をよく整えて、すべての苦しみから脱れる。




トルコキキョウ5


今回は、わたしのベースとなっているブッダの言葉をお伝えしました。
あなたも、自分自身を自分の主にするべく、わが心身をしっかりと整えてください。
ブッダが言う「整える」というのは、「自分を制御する」、「自己統制する」ということです。
御者が良い馬を調練するように自分を制御しなさいということです。

世の中には、自分で自分をコントロールできない人がたくさんいますが、それでは他のネガティブな存在の餌食にされてしまいます。他者にコントロールされて、自分自身を生きることができないんですね。
そんなふうに、他者に乗っ取られてしまい、他者の人生を自分の人生だとカン違いして歩むことのないよう、くれぐれも気をつけていただきたいと思います。

★「独りあること」に関しては、「光の花束〈不滅の詩〉」の『愛が可能になるのは独りあるときのみ』をお読みください。


探究者の皆さん、  
この心境を深め、どうか自己形成の道を力づよく歩んでいってください。





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