「エゴの思考」から「愛の思考」へ

2012年11月17日 01:17


★ 最近の気象 ★



11月14日は新月でしたね。
オーストラリアの北東部沿岸で14日早朝(現地時間)、皆既日食が観測されました。
NASA(米航空宇宙局)によりますと、皆既日食は平均すると1年半ごとに起きているのだそうです。(ただし特定地域で皆既日食が起きるのは、平均すると375年に1度だとか)
前回は2010年7月にチリのイースター島で観測されましたが、次回は14年にアフリカの赤道付近で見られるそうです。


日食


11月13日~15日くらいのあいだに、地震や何らかの異常気象が見られる可能性があることは、随分前から予想していたのですが、確かにこの数日間は日本の天気は大荒れに荒れていました。
つい最近見つけた「地震予測情報一覧」Hazard Lab(ハザードラボ) にも中国地方を除いてほぼ全国的に地震の予測がされており、どこでいつ起こっても不思議はない状態だということがわかります。
しかし、地震がこの数日間に起こることはありませんでした。今後については、今のところわかりません。

わたしの住む地域では、14日~15日にかけて、ときどき雷の轟音が響き渡り、15日の早朝は雷とともに雹が降りました。大山では23センチの積雪が見られたようです。11月に入って一番の寒さを感じましたが、空には夏に見られるような白い積乱雲が広がり、不思議な光景だと感じました。
皆さんのお住まいの地域はいかがでしたでしょうか?


★ 豊かな収穫を得られた2012年 ★



この秋は、大きな台風も来なかったので、果物の収穫も順調だったように思います。
大好きなりんごが、種類も豊富に店内にずらりと並べられていることには、大きな喜びを感じているしだいです。
昨年は原発事故の影響で、青森からのりんごが届かず、どこのお店にもあまり置かれていませんでした。どれもできの悪い状態にもかかわらず、高い金額で少量売られていただけだったのです。
そんな昨年に比べると、「月とすっぽん」ほどの違いですね。今年のりんごはとても大きくて、味もよく、価格も安いです。りんごだけではありません。いろんな果物が豊かに実りました。

わたしの家には柿の木が1本あるのですが、昨年、一昨年共につぎつぎとカラスに食べられて、たったの数個しか収穫ができなかったのですが、今年はカラスから柿の実を守るために夫がCDをぶら下げておいたせいで、無事収穫することができました。ちなみに段ボール箱3個分あり、数えてみたら何と380個以上もありました。消毒をしていない自然の柿で、熟すと深みのある甘い味がして、市販されている柿よりも美味しいのですが、種がたくさんあります。カラスのかんたろー君のために、木にはまだ実が少量残されております。


収穫2
       収穫1  撮影 光の仕事人


わたしは柿が好きですが、柿を好まない人も多いようですね。どこの家も今年は実りがよいようで、他家の庭にできたしぶ柿を無理やりもらってくれと言われるほどで、夫が仕方なくもらってきたりして困っている始末です。(苦笑)
この柿を人にお分けしたり、ジャムや柿酒にしてみたりしましたが、まだたくさん残っています。
何かよい保存法をご存じでしたら、ぜひ教えてください。


収穫1
     収穫2  撮影 光の仕事人


さて、日本の天気が大荒れになっていた頃、政界でも同時に大荒れになっていましたね。
自民党の安倍総裁との党首討論で 野田首相が「定数削減確約なら11月16日に解散する」と言ったのは14日でした。そして、衆議院選挙は来月12月4日に告示、16日に投開票ということになり、東京都知事選と同日選となりました。
「捨て身の提案で正面突破を果たした野田首相だが、衆院選での苦戦は必至で、政権維持の展望はない」という記事を目にしましたが、それを契機に民主党から離党していく人が続出している現状です。
皆さん、これからの日本はいったいどうなっていくと思われますか? あなたの予想は?


★ だれが代表になっても政治は変わらない ★



最近は世界の国々で政権交代が起きていますね。オバマ氏はそのままでしたが。
最初はみな現状が悪いために何とか良くしようとして革命的運動を起こしたり、選挙で闘ったりするわけですが、今の世界の仕組みのなかで、だれがその国の政治の代表者になったとしても50歩100歩で、結局は同じになり、仕組みから脱却することはできません。
日本も全く同様です。長期にわたって政治をおこなってきた自民党に嫌気がさした人たちが数年前に政権を交代させ、民主党の時代を創ったわけですが、やっぱりその民主党はだめだったから、またちがう政党に期待をし始めているわけで、いつまで経ってもぐるぐると回っている感じです。

政治・思想・行動・方法などにおける大変革のことを、英語で「レボリューション」と言いますね。
革命」とは、権力体制や組織構造の抜本的な社会変革が、比較的に短期間に行われることとされ、ウィキぺディアには「レボリューション」の語源は「回転する」の意味を持つラテン語で、ニコラウス・コペルニクスの科学革命で使用され、後に政治的変革に使用されるようになったとあります。

革命が回転するという意味だとするなら、それは少し微妙な感じがしないでもありません。なぜなら、180度回転したならよいのですが、360度回転する場合もありうるということです。
つまり、改革してすっかり変わったと思っていたら、じつは変わったのは人間(支配者)だけで、中身は同じだったという場合もあり得るからです。これは、太古の昔からまったく変わっていない真実であるように思うのですが。


★ 平清盛の政治改革 ★



今、大河ドラマで「平 清盛」の生きざまの物語をやっていますね。
皆さん、見ていらっしゃいますか?

ご存じのように、平清盛は平安時代末期に天皇の政権から武家の政権へと変革し、中央政界のトップについた初めての武士です。
平家一族は最終的にはすべての官職を独占するようになっていき、清盛の娘の徳子を高倉天皇の妃とし、のちの安徳天皇を生ませて外戚とまでなりました。清盛の妻である時子の兄の平時忠が、「平家にあらずんば人にあらず」と言ったのもその頃です。
そんな平家の繁栄に対して反感を抱く人が出てくると、清盛は「禿髪(かむろ)」と呼ばれる少年の密偵を京に放ち、平家の悪口を言う者がいると、「禿髪」たちがその者の家に押し入り、逮捕や連行を繰り返したのです。清盛は平家へ不満の声を浴びせる者たちに対して恐怖心を抱かせ、彼らを徹底的に封じ込めたのです。
この傲慢なやり方が行われてから平家の没落は始まっていきましたが、そんな清盛がいなければ武士の世は成立しなかったかもしれません。

ところで、最初は清盛に味方していたかにみえた後白河法皇も、平家の繁栄ぶりを見てしだいに疎ましく感じるようになり、やがて清盛と対立しますね。そして、平家打倒をめざした鹿ヶ谷での謀議に加担したり、重盛(平清盛の長男)の四十九日が終わっていないうちに、石清水神社に行幸して音楽の遊びをしたり、子々孫々まで保証すると約束されていた重盛の所領を、彼の死後すぐに取り上げたりしたため、清盛は激怒し、とうとう後白河法皇を幽閉するに至るのです。
大河ドラマでは、ちょうどこの辺りまで放映されましたね。今後、どのような展開になり、どのような結末を迎えるのか、もう皆さんはおわかりのことでしょう。下記の平家物語の冒頭に語られるような状況が起こってくるのです。


祇園精舎の鐘の声
諸行無常の響きあり 

沙羅双樹の花の色
盛者必衰の理をあらわす 

おごれる人も久しからず
ただ春の夜の夢のごとし

たけき者もついには滅びぬ
偏に風の前の塵に同じ



全国各地で平家に対する反乱が起きますが、その中心人物である源頼朝の討伐に向かうことを決めた清盛は、突然激しい熱病に襲われて倒れます。平家物語に書かれている清盛の病状の描写はあまりに大げさすぎて信憑性に欠けるのではないかと思いますが、皆さんはどんなふうに感じられているでしょうか?
現在では、その病気はマラリアだと言う人もいますが、わたしは彼の病の原因はほかのところにあったと思っています。もっと感情的、精神的なレベルで起こっていたと感じるのです。

清盛が病に罹ったのは、彼がかつて命を助けた頼朝が中心となって反乱を起こしていることを知ったからです。激しい熱に襲われたのは、それに対する怒りを溜め込んでいたからで、清盛の心の中に頼朝に対する深い怒りが大きく渦を巻いていたからではないかと思うのです。かつて清盛が若い頼朝の命を奪わなかったために、後になって自分に反逆してきたのが憤怒の原因だったのでしょう。
清盛は、「思い残すことは何もないが、頼朝の首を見なかったことだけが無念である。自分が死んだら仏事供養などする必要はない。頼朝の首をはねて仏前に供えてくれ。それが最高の供養である」という言葉を残してこの世を去ったということですから、その最期の言葉がすべてを物語っていますね。

しかし、怒りを起こした原因は頼朝にあったのではなく、ほんとうのところは清盛自身にあったのです。
相手の行動をどのように受け止めるか、それに対してどう反応するかというのは、人それぞれ異なります。自分が長年学んできたさまざまな経験によって反応の仕方は異なるということです。
そのとき清盛は頼朝の行動を、憎しみや怒りとして受け止めたということですね。これは清盛に限らず、わたしたち皆が常にしていることなのです。
清盛はそのことに気づかないまま亡くなってしまいました。そして、彼の死後、壇ノ浦の合戦を最後に平家は滅亡し、源氏の世となるのです。

大河ドラマではどのような結末を迎えるのか、ちょっと楽しみですね。


秋の植物の寄せ植え
    秋の植物の寄せ植え 撮影 光の仕事人



★ エゴの思考から愛の思考へ ★



平安時代末期に武士の時代をつくって栄華を極めて以来、江戸に幕府を開いた徳川家の時代になるまでの間、つぎつぎと天下分け目の戦いが繰り広げられていくわけですが、実に目まぐるしい政権交代がありました。
平家にしても源氏にしても、そして天皇家にしても、結局のところは、皆自分と自分の家族の繁栄のみを願っていることに変わりはありません。天皇などは親子や兄弟であっても、気に入らなければ激しく反目しあっていたわけで、エゴが非常に強すぎるように感じますね。そこには愛と安らぎは全くなく、対立、不調和、恐怖、不信、攻撃、防衛という分離の思考があるだけです。

政治を行うと言っても、国や民のためというよりは、自分が思うように国や民を支配することを望んでいるだけのことです。要するに、究極的には支配力、権力がほしいだけなのです。そして、本人たちはまちがいなくエゴに支配されており、それに気づいていない愚かな存在なのです。

地球上に語り継がれているさまざまな国の歴史は、すべて戦いの歴史です。支配者の歴史です。民の実態など、まるで書かれてはおりません。民無くして支配者は存在しないのですが、この物理次元の世界とは、そうした闘争と勝者の支配で成り立っている世界なのです。
このような「分離(エゴ)の思考システム」で成り立つ世界では、いくら改革しても、少し変わったように感じるのはほんの初めだけです。基本的なものが変わっていないから結局のところ変わらないのです。つまり、「エゴの思考」を消滅させ、「愛の思考」にならないかぎり、何も変わらないということです。

やすらぎ療法」という本があります。
この記事を書いてから、20年ぶりに手にとってパラパラとめくりながら読んでみました。
そこに、今まで述べてきたことのまとめのような文章を見つけました。
それを最後に皆さんにお伝えしたいと思います。


ハート
心のやすらぎがあるときには、
心の中で相反する考えが戦いを起こすことがないのです。

心の中の戦いが激しくなると、
エゴはこれらの葛藤を外の人々や状況に投影します。

そこで、私たちはだれか他の人の落ち度を見つけ、
自らの怒りを正当化しようとするのです。

こうした事態では、エゴの言うことを信じやすく、
「いま体験していることの原因は自分の心の中にある」とは思えなくなります。

今日私は、自分に言い聞かせます。

「怒りを味わうとすれば、その怒りは自分の心の中の戦いがその原因です。
私はその怒りを他の人々に投影しないことを選びます」







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