「セルフカルマ」を受け容れること

2012年07月09日 03:00


★ あなたが生まれる前に交わした契約とは? ★



わたしたちはひとつひとつの転生において、新しい物理的な肉体と、新しいパーソナリティを選んで生まれてきます。あるひとつの目的に向かって、自分の人生をデザインして誕生するのです。
新しい人生でまとう身体も、自分にふさわしいものを選びます。
そして、ひとつの転生において、ひとつの契約を決めて生まれてくるのです。

このブログの読者さんのなかには、お子さんをもっておられる方々もいらっしゃると思いますが、あなたにお子さんがいるのは偶然ではありませんね。またお子さんのほうも、あなたのもとに生まれてきたのは偶然ではありません。夫婦、友人、兄弟姉妹も同様です。
わたしたちは他者としっかりと契約を結んで、お互いの仕事を一緒にしようとか、こういうレッスンを学び合おうとか、いろんなことを決めて生まれてきているのです。

契約というのは、ともすると失敗することがあります。生まれる前は、人生はもう少し楽なものだと思っていたわけですが、実際に生まれてみると、「えっ? 何これ?」「こんなはずじゃなかった、随分大変だ!」と感じるわけです。
生まれてきた人生の状況において、契約を成し遂げるのが難しいときがあるんですね。
でも、わたしたちはできるだけこの契約を遂行しようと思ってがんばっているのです。
あなたも、おそらくそうですよね?


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★この世に偶然というのはありません。すべて起こるべくして起こっています。
今このような結果として表れているのは、そうなる原因があったからこそです。
そして、それは必要があるから表出してくるわけですね。
よいことでも悪いことでも、すべて学びのための現象なのです。

このことだけでもしっかりとマスターしていれば、たいていの問題は解き明かすことができます。

このブログの全記事を読んでいても、応用がまったく利かない人というのは多々存在します。
ひとつひとつのことは何となく理解できたように思っていても、新しい問題にぶち当たると、忽ちわからなくなるのです。
つまり、ひとつひとつの事柄は記憶されてはいても、それらを全体として統合して物を見たり考えたりすることができないんですね。ですから、応用問題となると苦手で解明できない人がたくさんいるわけです。

★新しく生じた枝葉を問題として見るのではなく、土の中に隠れた木の根っこの部分と全体を見てください。
ひとつひとつの回路をつなげて、大きな高い見地から見てほしいのです。
そして、問題は目に見えない部分にこそあるのだということ。そこに気づいていただきたいと思います。




    オーキッド



★ セルフカルマを受け容れること ★



★さて、あなたには、自分の肉体のなかで好きでないところ、気に入らないところがあるでしょうか?

カルマには、自分と他者とのあいだにあるカルマのほかに、自分が自分に与える『セルフカルマ』というものがあります。わたしたちはそれを決めて生まれてきます。

たとえば、背が高すぎるとか、低すぎるとか、太りすぎているとか、痩せすぎているとか、容貌が気に入らないとか…。もしそういうところがあるのなら、それがセルフカルマのひとつであると言えるわけです。

★それで、あなたは、その自分が気に入らない部分を、受け容れることができているでしょうか? 

たとえば、あなたが今生で太った肉体を選んだとします。そうすると、その太った肉体をどうやって使って動かしていくかということを学ばなければなりません。そして、その肉体を愛するということも学ばなければならないのです。

また、自分の顔が気に入らなかったり、さらに美しくなりたかったりして、整形手術をする人がいますね。
それは持って生まれた素の顔を受け容れることを拒絶している一例です。
ほんとうは、その顔で生きていく必要があるのに、それでは嫌だと言って、別の顔で生きようとしているわけですから。
実際に自分の容貌は、自分でちゃんと選択しているのです。参考のために、その証言となる内容をお伝えしておきましょう。

「次女の転生の記憶」の箇所で少し触れましたが、誕生する前に、次女が少ない選択肢の中から選んだのは、もっともスピリチュアルな学びができること以外に、じつは容貌が一番よかったことだと本人は言っております。お金持ちの家に生まれることを選択することもできたようですが、その代わりに両親の容貌が気に入らなかったりして、結局トータル的に満足できそうな肉体と人生が過ごせる両親を選んだのだというわけです。
ですから、本人はそれを承知で生まれたのですから、後になってから文句は言えませんね。(笑)

★もし自分自身のなかのものを受け容れられないとしたら、そして、受け容れないままでその人生を終わってしまったら、もう一度つぎの人生でそれを繰り返すことになるのです。
受け容れられるまで、何度も何度もトライすることになるのです。
そしてそれが終わったら、さらにつぎの課題へと向かっていくわけです。


★ 病気とカルマについて ★


★前回の記事で、読者さんから「生まれながらにして病気だったり、身体に障害がある場合は、その病気や障害が過去生と関係するのでしょうか? これもカルマなのでしょうか?」というご質問がありました。
生まれながらの病気の場合はカルマによるものが多いと思います。その人の体質というものも、その人のカルマによって決められるようです。

障害児の場合は、カルマのせいだけとは一概には言えません。自分が自分の学びのためにそういう肉体を自ら選んできている場合もあるからです。障害をもった肉体でどんなふうに生きるか、チャレンジしてみようというわけです。それは個々によって異なり、ケースバイケースです。
シルバーバーチはつぎのように言っています。

地上的観点から見れば、つまり物的見地からのみ人生を見つめれば、病弱な身体で生まれてきた人のほうが、健康な身体で生まれてきた人より辛い思いをすることでしょうが、それは宿っている霊については当てはまりません。身体が病弱だからといって霊も貧弱ということはなく、身体が健康だからといって、霊も健全というわけではありません。それどころか、霊的進化にとってかけがえのない体験である痛みと苦しみを数多く味わっただけ、それだけ霊的に豊かになっているとも言えるのです。

また、シルバーバーチは「病気の治療とカルマとの関係」について、つぎのように言っています。

患者のなかには、前世でこしらえたカルマをもち越している人がいます。そのカルマ、つまり因果律が成就されずに残っている場合は、治療効果が出ないでしょう。
霊的進化の過程で因果律が成就している場合、つまり、原因に対する結果が出切って、カルマが清算されている場合は、治療は成功するでしょう。魂に霊的治癒エネルギーを受け入れる準備ができているからです。


シルバーバーチは「治るためにはそれだけの霊的な資格がなければならない」と言い、「魂が真の自我に目覚めれば治る資格ができたことになり、そうなったときに、治療が効を奏するのだ」と言っています。

要するに、その人の魂の霊的意識がひらかれるまでは、ヒーリングをしても効果はありませんよと言っているのです。ヒーリングは患者の魂を目覚めさせることが本来の目的なのです。ですから、魂に受け入れる準備ができていれば、治癒は可能となるということなのです。

カルマと過去生と病気や障害の関係性」についての説明は、非常に難解です。人それぞれ千差万別で、その説明が適切であるかどうかもわからないからです。ですから、これ以上の詳細な説明はあえてしませんが、これまでお伝えした内容から判断していただければ幸いに思います。


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わたしたち自身が自分のためにさまざまな問題を創り出しているのです。
肉体のことだけに限らず、自分は虚栄心が強いとか、頑固であるとか、自分には価値がないとか思い悩むのも、自分自身のカルマで、個人のレッスンなのです。
これらの課題を乗り越えることができればできるほど、人生において、より大きな成功を収めることができます。そうすると、つぎの転生では、そうした分だけ自由になることができるのです。

★あなたが気に入らないところ、それを好きになることができますか?
あるいは、今、しっかりとそれを認め、受け容れられますか?


前回紹介したマイケルかつて地上でいくつもの人生を生きたことのある非物質的な存在で、千以上の魂のグループソウルの仮の名称)は言っています。
魂がおとなになればなるほど、自分が交わしてきた契約を深く感じることができるようになるけれども、魂の若い者には自分の契約というのが理解できない」と。

ですから、いわゆるひとつの人生で子どもがおとなになっていくのと同じように、魂がおとなになればなるほど、いろんな経験が積まれていろんなことがわかるようになるということなのです。



エクローサ リラ紫


ハート
最後に、もっともつらい最大の苦痛と苦悶を受けたイエス・キリストについて、お話ししましょう。

イエスは『セルフカルマ』によって、十字架にかかったのだということができます。

しかし、最初からそうなることがわかっていたのだとしても、「何もまちがったことをしてきていないのに、なぜこんなひどい目に遭わなければならないのか?」という葛藤はあったことと思います。

父なる神に、イエスは問うています。
「なぜです? なぜこんなことが私に起こるのです?」
「私は見放されたのですか? 私は見捨てられたのですか?」と。

イエスが自分に与えたカルマは、「その受難を受け容れられるかどうか」というカルマであったのです。
彼は最初それを拒否しました。
「なぜ?」という問いは、拒否の反応ですね。

しかし、この問いのあと、彼は言いました。
「あなたの御心のとおりになさいますように」

その瞬間、彼は受け容れたのです。
彼は自分が誰であったのかを理解したのです。
永遠なる魂が、自分を通して現れることを許したのです。
彼は全面的にレットゴーし、明け渡したのです。

受け容れたことで、彼は自由になり、永遠の生となることができたのです。

イエスは言っています。
苦しんできた人は幸いである。その人は〈生〉を見いだした」と。

苦しみを受け容れるということ。
自分が与えたカルマを受け容れるということ。
全面的に受け容れるということ。
これが、わたしたちの『セルフカルマ』へのチャレンジなのです。

★参考過去記事「光の花束〈不滅の詩〉― 苦しんできた人は幸いである」





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