自己を光として認識せよ

2012年04月15日 01:18


★ 心を閉ざし、耳をふさぐ人たち ★



皆さんは、過去記事「光のキャッチボールをしませんか?」を読まれましたか?
そこで、つぎのように書いていたのを、覚えておられるかと思います。

もし、あなたがこのブログを読まれて、何か気づかれたことがあるのなら、これまで知らなかったことをひとつでも知ったのであれば、その自分が気づいたことや知ったことを、また気づいていない人、まだ知らない人に伝えていってください。
この世界には、見えない世界や見えない存在について、無知な人たちが数多います。また、これまでのものの考え方が限界に来ていて、もうその考え方ではアセンションする地球に伴っていくことができないということに、まったく気づいていない人が多すぎるのです。ほんとうに驚き、あきれるほど、実態を知りません。
ですから、その実態を少しでも知った人たちは、ぜひ光のネットワークにご参加いただき、世界中にその「新しいものの考え方」を広げていくのを助けてください。


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これを読まれて、自分もそういう人々に真実を伝えたいと思った方がいらっしゃったことと思います。
しかし、気持ちは十分にあるのだけれども、なかなかそれが実現しなくて、難関だと実感されている人もいらっしゃるでしょう。
たとえば、霊の世界のことなどを伝えるとなると、「何言ってるの? あなた、精神病院にでも行ったらどう?」と言われたり、相手にしてもらえないということもあるのではないかと思うのです。

「バカじゃないの?」と一笑に付してしまう人たち、かたくなに心を閉ざし、聞く耳を持とうとはしない人たち、世の中には真実を知るのが怖くて、真実に直面することから逃げている人たちが大勢います。


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もう随分前のことですが、ある法律家から「あなたはとてもいい人だけど、頭がおかしいんじゃないの? 精神病院に行ったら?」と言われたことがありました。
そして、「おかしなことを書いた本なんて出さないほうがいい」と言ったのです。「思想、信条の自由」、「言論、出版の自由」があるにもかかわらずです。
人権を擁護する側の法律家がそういうことを平気で言われるので、とても驚いたことがありました。これは、まちがいなく言葉の暴力ですね。
人の話を聞こうともせず、人をバカにしたり、おかしいと決めつけたり、人権を無視するような人たちというのは、世の中に数多存在するのです。それで何か罪を犯せば、すぐに法律に照らし合わせて人を罰します。罰するということ自体も、一種の暴力だと思うのですが。

人間が勝手に作った法律で人間を拘束し、裁いて罪人にしているような人たちは、左脳ばかりが発達して、右脳の機能が働かないのです。ハートで感じることができないのです。目に見えない世界が目に見える世界の基盤となっていることなど、考えてみることもできないのです。

病気を繰り返しているその人に、「あなたの意識があなたの現実をつくっているのですよ、だれのせいでもない、自分のせいなのです。他人のことばかりに目を向けて、人を裁いたりするのはやめて、もっと自分自身を見つめてみられてはどうですか?」と言ってあげたいのですが、それを聴く耳は持っておられないでしょう。

貧しい人、恵まれない人のために尽くすような弁護士やボランティアは『復讐者』の象徴であり、犯罪者を告発したり、社会に害を与える企業を訴えることは、社会のために正義感に燃える、地球規模での『復讐者』の見本である」と、キャロライン・メイス(アメリカの直観医療の第一人者・神学博士)は言っています。
実際に弁護士でなくても、人のために主義を守る行動をしたかどうかで、その人が復讐者の元型をもっているか判断できると言い、また、自分自身や家族への不当な行為に復讐したいという人も、その元型をもっていると彼女は言っています。
どんな職業を選ぶかで、その人の元型がわかってしまうとしたら、とても興味深いと思いませんか?


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皆さんは、法律や規則などがたくさんある国ほど、国民の意識が低いのだということは、おわかりになりますよね?
そこに生きている人たちの意識が高ければ、規則なんてまったく必要ないからです。犯罪が多くて、治安が悪く、監獄に入れられている人が多い国ほど、その国の政治が悪く、政治家の意識も低いということがわかります。
天国に規則などあるでしょうか? 

人はカルマによって再生(再誕生)し、さまざまな悪いことが起こるのも、すべて自分のした行ないの結果なのだと気づいていたら、人を裁くことなどしなくなるでしょう。
過去生で人を殺した人は、現生で殺されることを体験するかもしれません。今度は殺される人の身になってみなさいという学びなのですから、それを傍の者がとやかく言う筋合いはないのです。成るべくして成っているということです。人間が作った法律ではなくて、宇宙の法則によってすべてが現われ、廻(めぐ)っているのですよということです。
だから、それを知った人は、その真実を伝えていく必要があると思うのです。


★ 無知な人間が起こしているさまざまな問題 ★




~平気で臓器移植をする医者たち~



とにかく、権威をもっているとされる政治家、法律家、学者、医者などの多くは、左脳マインドでガチガチにコリ固まっているので、スピリチュアルな内容はなかなか浸透していきません。もちろん正常な方々もいらっしゃいますが、霊的世界を理解し、感知できる人は少数だと思います。
たとえば、ペンジュラムで診断し、患部に手を当てるだけで病気を治しているような医者がいたら、きっと西洋医学の医者からは変人扱いされるでしょう。

過日、読者さんから「臓器移植の問題」を取り上げてほしいというご希望があったので、ここで少し触れさせていただきたいと思います。

人間の身体の構造については、過去記事「神秘のボディ」にも書いておりますが、医師の多くがそのようなしくみを知りません。
ですから、脳死したとわかれば、その人の内臓をさっさと切り取って、平気で他の人に移植したりできるのです。脳が死んでいると言っても、心臓はまだ鼓動を打ち、生きているわけですから、その人が真に死亡したわけではないのですが…。

わたしたちのボディは、見えないボディである「生気鞘」と「肉体」が、銀色のコードによって、へその部分でつながっています。
「生気鞘」がまだ肉体とつながっているのに、臓器を切り取ったりすれば、当然のことながらその人はパニックを起こします。
よって、シルバーコードが完全に切れているかどうかを見極めることが大切です。シルバーコードが完全に切れて、本体が肉体から離れてしまえば、肉体はただの物質となりますから、その後に臓器を取ろうが、肉体を焼こうが、大丈夫なのです。ただし、自分の肉体の死をはっきりと知り、肉体の執着から完全に開放された人に限ると思いますが。
そういうことがわかっていないのに、「脳死」を「死亡」とみなしているという恐ろしい事実に、医師たちは気づいていないのです。


シルバーバーチは、つぎのように言っています。

私は臓器の移植には賛成できません。また輸血も賛成できません。
私の考えでは――私はあくまで私の個人的見解を述べるだけですが――
肉体的生命の維持ということが唯一の目的であってはならないと思います。
心に宿す考えが正しければ行為も正しく、したがって肉体も正常となります。
問題の解決は臓器の移植ではありません。
本当の解決は各自が神の意図(摂理)にのっとった生き方をすることです。
                  『シルバーバーチの霊訓(9)』(潮文社)より



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臓器をもらって、生きながらえた人は、臓器提供者に感謝するかもしれません。でも、その臓器がどんな人のものなのかがわからない(知らされない)ということも問題です。
特に心臓などをもらった場合、提供者の意識や記憶が心臓に残っているため、移植後、提供者の想いに大きく影響されることがしばしばあることが、既に多くの事例からわかっているからです。

臓器にも意識があることは、このブログでもお伝えしているので、皆さんはもうよくご存じのことと思います。
他の意識を持った臓器が自分の体内に入ってきたら、拒絶反応を示しても不思議はありませんね。そのあたりのことを考えれば、やたら臓器を移植することはできないのではないでしょうか? 
そこまでして(他者の意識に影響されてまで)生きる必要があるのかどうかということです。
「臓器を移植する」という発想は、「人間の生は一度きり。死んだら終わり。だから、生きられるのなら、他者の臓器をもらって置き換えてもよい」という考えが、根底にあると考えます。
「生きたい」という気持ちはわかりますが、ほとんどの場合、本人のエゴと言うよりは、家族のエゴのような気がします。肉体を去っても、つぎの生があることを知っていたら、こんな世界にいつまでも留まっていたいと思うでしょうか?


~霊魂を信じない僧たち~



わたしがまだ中・高校生の頃だったと思いますが、日本の坊さん(禅僧)の90%以上があの世の存在を信じていないという結果を出したテレビ番組を見たことがあり、驚いたことがありました。
(過去記事「死者に対する意識改革―葬儀のあり方を考える」参照)
では、最近の坊さんはどうなのでしょう? 

先日「曹洞宗総合研究センター設立記念オープンフォーラム」というサイトを見つけました。「現代に問われる葬祭の意義」とタイトルがつけられていたのですが、〈パネリストの発表〉の箇所につぎのように書かれていました。

霊魂を信じているかという質問に対し、40パーセント近くの僧侶が分からないと回答しており、分からないまま死者への葬儀を行っている僧侶の多いことが分かった。また、葬儀に自信を持っているかという質問に対し、42パーセントの僧侶が自信を持てないと回答しており、自信を持てずに葬儀を行っている僧侶の多いことも分かった。
霊魂を信じられない、死後の世界が分からない、このことが葬儀に自信を持てなくしているのではないだろうか。霊魂の問題を如何にクリアーするかが問題である。死後の世界を信じないで、どうして死者に向かって授戒することができようか。私は、檀信徒の方に対し、信仰上の信念として、道元禅師のお言葉を信じて『霊魂はある』『来世はある』と説いている。


発表された僧侶は、「霊魂を信じているかという質問に対し、40パーセント近くの僧侶が分からないと回答しており、分からないまま死者への葬儀を行っている僧侶の多いことが分かった」と言っておられます。
その答えは「信じている」か「信じていない」かのどちらかであるはずです。それなのに、「分からない」というのは、どういうことなのでしょうか?

自分が「霊魂を信じているかどうかわからない」と言う坊さんが経を読み、葬儀で高額のお布施を受け取り、その後も、故人に対して営まれる法要を繰り返しおこない、それに対するお布施をもらい、お盆にも施餓鬼供養をして、またお布施を受け取っているのです。それが日本の坊さんの仕事、職業です。何かヘンだと思いませんか?

霊魂や死後の世界を知らない、あるいは信じてもいない人が、法要を行なう意味がわからないし、それは詐欺行為に近く、罪にならないのだろうか? とさえ思います。
当然のことながら、このような人がいくら経を読んだところで、霊魂は浄化されず、救われることなどありません。日本は、こういう職業がまかり通っている国なのです。

霊魂があるかないかわからない人は、供養のまねごとをするのはやめて、釈迦の説かれた法則などを信者さんに教えてあげればよいと思うのですが、霊の世界がわからないのなら、釈迦が真に伝えたかったこともわからないかもしれません。
自信が持てずに葬儀を行なっているような人は、僧侶という職につくこと自体がまちがっているのでは? と思います。あの世に旅立てない霊が、僧の後ろに数多くっついていることなど、きっと感じたこともないのでしょう。

坊さんも坊さんですが、そういうことを気にもかけず、坊さんならだれでもいいという感じで葬儀や法要をお願いする一般人のほうも問題であるとわたしは思います。
形ばかりの法要などしたくないけれど、義理で仕方なく行なっている人たちや、法要の前後で身体の具合が悪くなる人がとても多いのです。法要が近づいてくるとウツ状態になる人を、何人も知っています。
法要をしたくなければ、やらなければよいのです。行きたくなければ行かなければよいのです。
今までやってきたから、世間体がどうのと、迷いつづけているあなた、意識改革はまずあなたからです。


ちょうちょ



~読者さんのご質問から~



「…こんな話を周りにしてもキチガイと思われる世の中と感じていますが、このことを一人でも多くの人にうまく伝える方法はないものかと考えています
こうした人たちに気づいてもらうために、光を放射する瞑想のほか、どのような日常的な言動や行動でのアプローチがあるかを記事にしていただければ幸いです

このようなお便りをくださった方がいらっしゃって、とてもうれしかったのですが、それについてはわたし自身も同様に悩んでいるわけなのです。(笑)

もっとも正常な人は、精神病院に入っている人だ」と言った学者さんがおられるそうですが、そうかもしれないと思いませんか? (もちろん、それを言ったのは日本人ではなく、海外の人です)
もし「自分は気が違っている」と気づいて、自ら病院に入っているのなら、その人はかなり正常な人でしょう。

悟りを得た人たち(正覚者)は、みんな気が違っています。狂人です。一般人と比べれば、明らかに気(波動・周波数)が異なっているからです。非常に正常波動値が高い(周波数が高い)のです。
だから、一般人には考えつきもしないことをしゃべりますね。

もしあなたが、ある日突然目覚めて宇宙の理を知り、誰も知らない見えない世界のことをしゃべり始めたら、気が狂ったと思われるのではないでしょうか?
でも、それって、何も不思議ではありませんね。当然のことです。
ですから、人に「精神病院に行ったら?」と言われても、腹を立てないで、むしろ喜べばよいのです。
だって、相手と自分とはまちがいなく「気が違う」のですから。
「キチガイ、おおいにけっこう」、「キチガイさん、万歳!」です。

異常な人ほど、自分は正常だと思い込み、自分以外の人がおかしいと思うものです。
要は「キチガイ」と思われてもよいという覚悟があるかどうかです。
人の反応を怖れていては、光のネットワークは広がっていきません。

光と至福に満たされて、いつもニコニコしている「キチガイさん」がどんどん増えていったなら、キチガイでない人たちは、「もしかしたら、自分のほうがおかしいのだろうか?」と考えるようになっていくでしょう。
だから、皆さん、ぜひ自信を持って「キチガイさん」になってください。(笑)

今も昔も、偉大な「キチガイさん」があまりにも少なかったために、日の目を見なかったのです。もう目覚める人がどんどん出てきてもよい時期だと思いますよ。
(関連記事 光の花束〈不滅の詩〉―冬から春へと移り変わる星たちを眺めて 参照)

「キチガイ」という言葉は、放送界では差別用語となっており、一般的にもあまり使うことは好ましくないので、これからは「気高い人」と呼ぶことにしましょう。

気づいてもらうために、光を放射する瞑想のほか、どのような日常的な言動や行動でのアプローチがあるか?」という読者さんのご質問ですが、方法というものはないような気がするのです。
「どうしたら、人にうまく伝えられるか?」ということをあれこれと模索しても、何も思いつかないからです。

それを考えることよりも、「まずあなたが『気高い人』になることですよ」と言うしかありません。
自分自身が気づき、悟って、光に満ち満ちることです。
光に満ちた人は自信に満ちて、堂々としているはずです。
そうすれば、自分のオリジナルが生まれるでしょう。
それはあなた次第だということです。

つぎのOSHOの言葉を参考にしてください。


反逆にはつねに伝染性がある。
それは野火だ。
だが、まずあなたがその炎を手にしなければならない。
そうなればどこに行こうと、
あなたは人々に炎を燃え移らせることになる。
――そうなれば人々は、新しい光、新しいヴィジョン、新しい考え、
人間とその未来についての新しい概念に炎と燃え立つ。

              ~OSHO 「反逆のスピリット」より~




ハート
このOSHOが言っている野火の「炎」のことを、わたしは「光」と言い、
「反逆者」のことを「キチガイさん=気高い人」と言っているだけです。
同じことです。

くれぐれも、ネガティブで、気の低い人にはならないように。
カチカチの氷ではなく、さらさらとながれる水に、
そして、さらに空中に上昇していく気体へと変容してください。

読者の皆さんが、光かがやく「気高い人」になってくださることを、
光の仕事人は心から願っています。



★「光を放射する瞑想」は、
光の花束〈不滅の詩〉」の光を呼んで自分自身を光で満たしましょう
自分自身を光で満たし、光を放射しましょうを参照してください。






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