分離から統合へ

2011年12月24日 04:00


☆ 太陽は再びよみがえる ☆



今日はクリスマス・イヴですね。
さっきから、ボーンボーンと、降り積もった雪が地に落ちる音がしきりにしています。
どうやら今年は、ホワイト・クリスマスになりそうです。


   ツリー


12月22日は冬至でしたね。一年で昼の長さがもっとも短い日、つまり夜の長さがもっとも長くなる日です。
昔の人は、冬至の日は「死に一番近い日」とか「生命の終わる時期」とか考えて、その厄(やく)を払うために身体を温めたり、無病息災を祈ったりしました。
栄養を補給するために太陽の恵みを受けたカボチャを食べたり、香りに邪を祓う霊力があると信じられている柚子を湯船に浮かべて、お風呂に入る慣わしなどは現在も続いていますね。

ローマ帝国時代におけるミトラス教では、大々的に冬至を祝う習慣があったようです。これは、短くなり続けていた昼の時間が冬至を境に長くなっていくことから、太陽神ミトラ(ミトラス)冬至再び生まれるという信仰によるものでした。
この習慣を、後にキリスト教が吸収して、イエス・キリストの誕生を冬至に祝うようになったのです。

*昔は「月齢28日間で1ヶ月」という「陰暦」を採用していたので、昔の冬至の日は12月25日頃となっていました。現在は「太陽暦」を採用しているので、「約30日間で1ヶ月」となり、現代の冬至の日は12月22日頃となっています。

☆このように、ミトラの誕生日は冬至の日の12月25日で、これはイエス・キリストの誕生日に置き換えられましたが、「ミトラ=ミトラス」教と「キリスト」教との類似点は数多あります。いくつか抜き出しますと、つぎのようになります。

☆キリスト教の「復活祭」は、「ミトラの勝利を春分の日に祝う」ということがもとになっているといわれています。

☆ミトラ教では、水に身体を浸す洗礼という儀式がありますが、これはキリスト教の儀式そのままのようです。

☆「復活の日」と「最後の審判」は、ミトラ教におけるこの世界の終末に先立つ「死者の復活とその最後の審判」のことであるそうです。

イエスはメシアだとされていますが、ミトラも救世主だとされていました。イエスは自らを「世の光」と言い、「義の太陽」と称されましたが、ミトラは「光明神」で、「太陽神」と伝えられています。(十字もミトラ信仰起源です)

ほかにもたくさんの類似点がありますので、興味ある人はご自分でお調べくださればと思います。
ミトラの正体は、ここでは明かさないでおきましょう。明かしたところで、何も変わらないからです。
(ちなみにエジプトのホルスの誕生日は12月25日で、神に反逆した者とされるニムロドの誕生日も12月25日です。また「太陽神」はみな12月25日となっています)



    花回廊1



☆ 神は神を、仏は仏を救えない ☆



キリスト教では「イエスは人類を救うために自分の命を投げ捨てた」と言っています。わたしたちの罪を贖(あがな)うために十字架につけられたのだと。
ほんとうにそうなのでしょうか?

OSHOが、ある本のなかでこんなことを語っていました。

OSHOが、ご自分のごく親しいキリスト教の伝道師の説教を聴きに行かれた時のお話です。
その伝道師があまりに「イエスはただひとりの救世主です」と繰り返したため、彼は立ち上がってつぎのように言ったそうです。

余計な口をはさむようですが―それに私はキリスト教徒ではないし、会衆にも属していませんから、教会のなかではいかなる邪魔もすべきではないのですが―あなたがあまりにも何度も意味のないことを言われるものですから、私も一言申し上げたくなったのです。あなたは『イエスが十字架上で自らの命を投げ捨てたので人類は救われた』とおっしゃっています。でも、その救われた人類はどこにいるのでしょう。彼は自分自身を救うことすらできなかったのですよ

わたしはOSHOの言いたかったことがよくわかります。
イエスがこの世界にやってきた真の目的については、そのときOSHOは何も語られてはいませんでした。
しかし、よい機会だと思いますので、ここで少しわたしの見解をお話ししておきたいと思います。

イエスがこの世界に誕生した大きな理由のひとつ。
それは、自分のDNAを子孫に受け継がせるためです。意識レベルが低くなった人類に対して、イエスのような優秀なDNAを受け継ぐ人間が必要とされたからです。それが、天空から来た異星人が意図した目的でした。

聖杯」が、「マグダラのマリアの子宮」を表していることは、「ダヴィンチ・コード」の作品などが示唆しています。
イエスが独身であり続けたことなどは考えられません。彼はこの世で、できるだけ多くの子孫をつくることが目的だったのですから。だからこそ、彼が残した子孫を守り抜く秘密の団体が存在していたのです。
ナグ・ハマディ文書を読めば、イエスとマグダラのマリアの関係がわかります。

イエス(イェシュア・ベン・ヨセフ)が人類に伝えたかったこと。
それは、「わたしたちはみな神である」ということです。
「自分一人が神の子である」などとは思ってもいなかったのです。
それは、あとでイエスを利用した人間たちの作り話です。

考えてみてください。
かつて「救世主」と呼ばれた存在が、世界人類を救ったことがあったでしょうか?
あるいは、神は、神々は人間を救ってきたでしょうか?
「仏」となったゴータマ・シッダールタは、人類を救ったでしょうか?
また、ほんとうに未来仏とされている弥勒菩薩は「救世主」としてやってくるのでしょうか?

ヘブライ人が信じていた「エホバ」あるいは「ヤーウェ」は、彼らを守護したでしょうか?

自称「選民」と言っていたヘブライ人たちが散り散りバラバラになってしまったことは歴史上有名ですね。
古代イスラエル王国はソロモン王の死後、(紀元前930年頃)北のイスラエル王国と南のユダ王国に分裂しました。
北のイスラエル王国は紀元前721年にアッシリアによって滅ぼされ(失われた十支族と呼ばれています)、さらに南のユダ王国は紀元前586年に新バビロニアの侵攻により滅亡し、多くの人民が奴隷としてバビロンに囚われました。
イスラエルの人たちが崇め奉っていた「エホバ」という神は、その信奉者たちでさえ救ってはおらず、救うどころか滅亡させているのです。

OSHOは伝道師に言っています。

あなたは『イエスが十字架上で自らの命を投げ捨てたので人類は救われた』とおっしゃっています。
でも、その救われた人類はどこにいるのでしょう。
彼は自分自身を救うことすらできなかったのですよ。



★イエスやブッダ、唯一神をはじめ、多くの神々は、これまでに人類を救ったでしょうか?

だれも、救っていません。
わたしたちは、だれかに救ってもらうことなどはできないのです。
救えるのは、自分自身のみです。

わたしたちは本来皆神なのです。
皆仏なのです。
神が神を、仏が仏を救うでしょうか?

できるのは、目覚めた人が、未だ目覚めていない人、
つまり自分が元々は神だったと気づいていない人に対して、
目覚める手伝いをしてあげることくらいのことなのです。


プリンセチア



☆ 分離から統合へ ☆



分離から統合へ」は、わたしの20年近い研究のテーマでもありました。

精神の男女両性具有」となることが、人類の理想であるということを、イエスのことばなどからお伝えしたことがありましたが、それらは「分離から統合へ―原初のアダムに出会う旅」というテーマで書き記したわたし自身の論文から抜粋したものです。

このブログでは、異星人が創成した人類最初のアダムなどではなく、もっと以前に存在した「真の原初のアダムに出会う旅」にまで、皆さんをお連れすることができませんでした。

また、いつか別のサイトで、もしお会いできた暁には、そういう内容をお伝えすることができるかもしれません。(予定は変わり得るものですから、確定ではありません)

過去記事「慰めか、葛藤か、あなたはどちらを選びますか?」で、「魂の成長は、葛藤を通して達せられる」という内容を書きました。
それで、「葛藤」することについての罪悪感というものは、かなりなくなったのではないかと思います。
但し、「葛藤することはよいことなんだ」と、単純に思い込まないでほしいのです。
わたしは「葛藤状態」になっていることを、けっしてススメているわけではないからです。
それは、オリオンの気が遠くなりそうな長い年月の激しい闘いとオリオン人たちの葛藤のドラマを思い出せばわかることですね。
(★過去記事 わたしたちの生の目的は両極を学び、体験し、統合すること 参照)


宇宙の万物は、陰陽から成り立っています。
陰陽は、万物を形成するふたつの相反する性質のものを表すことばです。
宇宙の「」は陽性の「時間」を表し、「」は陰性の「空間」を表します。
「宇宙」という文字にも、陰陽は内包されているんですね。


男性なるもの」と「女性なるもの」を探究し、理解することは、宇宙創造の意図を知るということです。
真に陰陽を理解することができれば、両極の調和と統合は困難ではなくなります。

まずこの二元の世界に生まれたわたしたちは、陰と陽の性質をしっかりと見極めることから始まります。
そうすると、その陰陽のなかで、しだいに葛藤が生まれてきます。
ネガティブとポジティブ、精神と肉体(物質)、光と闇など、わたしたちは、これまで長きにわたって二極性の原理に翻弄されて悩みつづけてきました。
でも、あるとき、ふと気づくはずです。
これは同じ線上にあるものであって、けっして分裂してはいないのだということを。
陰陽の太極図がそれを的確に表していますね。


     innyouzu
        陰陽太極図


陰極まれば陽となり、陽極まれば陰となるのです。
究極までいったとき、それはくるりと反転します。
「なーんだ。どっちを究めても、同じことだったんだ」と気づけば、もう葛藤は終了です。

陰と陽の二極があってこそ、新しいものが生まれるんですね。
新しいものをたくさん生みだしたいがために、ひとつだった宇宙は、陰陽という相反するふたつのものを創ったのです。
どちらも絶対に必要不可欠なものなんですね。
それに気づけば、おのずから葛藤は消え失せていることでしょう。

よく「葛藤はいけないから解放しなさい」とか「葛藤を手放しなさい」という人がいますが、それは未だ「分離」の次元にいる人にとっては困難なことではないかと思うのです。
どちらの立場も理解していないうちから解放しろと言われても、どうしていいかわかりませんよね。
結局自分の嫌いなほうを捨て去り、好きな方を選ぶという結果になるだけです。それでは、いつまで経っても分離を繰り返してしているだけで、統合は起こりません。
以前にマインドの機能は分割することだとお伝えしましたね。

二元性のなかで、マインドはいつもどちらかを選ぼうとするのです。
好きか嫌いか。損か得か。
善か悪か。光か闇か。
ポジティブかネガティブか。愛か憎しみか。
正義のための戦争は、正しいか否か…。

マインドにとっては、「ふたつが同時に正しいこと」などはありえません。
「これが正しい」か、「その反対が正しいか」、「あれかこれか」のどちらかです。
マインドはひとつのものをふたつに分離し、対極の現実に分けるだけです。


思い出されましたか?
(詳細は、過去記事 マインドで考えることVSハートで感じること 参照)


陰と陽を理解し、その相反するふたつが元々ひとつのものから生まれたことに気づき、それを再び統合しようという試みは、最初から混沌として陰陽が未分化な低次の意識とは違いますね。月とスッポンほどの違いがあります。

「葛藤」が必要なときもあるのです。それも、ひとつの学びだからです。
但し、「ずっとその状態では分裂したままですよ」ということを、今回はしっかりとお伝えしておきたいと思います。
もしアセンションするのなら、「統合というさらなる段階に進む必要がありますよ」ということなのです。



ポインセチア2


ハート
心=マインドには、突破(ブレイクスルー)と崩壊(ブレイクダウン)の両方が起こります。

崩壊はわたしたちをマインド以下の状態にまで落としますが、
突破は思いの制限をひらき、大いなる気づきのもとで、
心(マインド)を見守ることによって起こります。
深い深い静寂のなかで…。

そのとき、わたしたちは心を超えるのです。
突破するのです。

OSHOは言っています。
心を超えることは、真正な正気を達成することだ」と。

葛藤突破すること。
統合という悟りに辿り着いたとき、
あなたはつぎなるステップへと上昇したのです。





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