何が気づきの邪魔をしているのか

2011年12月17日 02:35


★ 読者さんからのメッセージ ★



最近の記事内容に対し、気づきのコメントがたくさん寄せられています。
皆さんの心の琴線に触れ、そこから新しい気づきが生まれているようで、うれしく思っています。
今回はハンドルネーム虎徹さんのお便りを記載させていただきます。



☆ 虎徹さんより ☆

いつもブログを読ませて頂いています。読むたびに新しい気づきや迷っている事について助けになる記事に出会う事を不思議に思うと同時に、いつも感謝しています。
最近は自分の中で葛藤がある事は間違っている気がしていました。イエスやブッダ…「良い人」は、葛藤もなく優しい気持ちで起きてくる事を受入れるのだろうと思い込んでいました。
今回ブログを読んで自分の成長の為には葛藤は必要であり葛藤は悪い事ではないのだと気付かせて頂きました。反逆のスピリットにあるOSHOの言葉を読みながら社会の中で自分に真正で戦い生きる事を願う一方で、戦うという事は容易ではなく余計なカルマを背負うのではないかとも恐れてさえいました。
今日ブログを読んで、先の自分より今この瞬間の自分の生を真正に生きたいと強く思いました。まだ起きてもいない事を考えてるより、物事が起きてから考えれば良いのですよね!OSHOの言葉にある『真正な人間は結果を気にしない。この瞬間の行為だけを考える。「これが私の心を動かすものだ。私はそれをやるつもりだ。」そうしたら何が起ころうと歓迎される』の言葉と共に光の仕事人さまの言葉も大切にしていこうと思います。

慰めか葛藤か…私は葛藤を選びます。戦う事を選びます。特に今は仕事の中で葛藤を感じています。マイナスのカルマは作りたくない気持ちもありますが、ブログを読んで今の自分が後悔しない『真正』な自分であろうと思います。
勇気を頂けました!葛藤という言葉が好きになりました!今までは悶々と悩める葛藤が好きではありませんでした。でもブログを読んで葛藤という言葉はステキな言葉だと思いました!
また、反逆のスピリットの中でOSHOが話す老子のように、森や山に逃げる事なく社会の中で戦い続ける『真正』である自分でいたいと思うばかりです。


☆ 光の仕事人より ☆

☆真正(ほんもの)であること、リアルであること。それらは、思考、感情、行動のすべてが同調している存在の状態から機能することを意味します。
このスペースからは、いかなる理由であれ、自分の内なる真実に対して妥協することはありえません。
あなたはありのままでいて、何であれ、ただ起こってくることを許すだけです。
あなたの身体、マインド、そしてハートが調和し、内なる開花が起こってくるでしょう。
内なる誠実さをもって、その開花を楽しみにしていてください。



金色の光の中の花
    金色の光の中の花  撮影 光の仕事人



★ 準備とは何か? ★



最近、ある若き男性がこんな質問をしてこられました。
「準備」とは、自分を見つめなおす行為そのものなのでしょうか?

準備とは何か?」については、過去記事にも書いておりますが、今日は異なった視点からお答えしたいと思います。

素空慈(ソ・コンジャ)氏が書かれた『悟りの瞬間』という書につぎのような話が載せてあったので、参考のひとつとして、お伝えしておきたいと思います。


昔、法達(ほうたつ)という禅僧がおりました。
法達は六祖慧能の跡を継いで悟りを開いた人です。
彼は七歳で出家し、幼いときすでに法華経をすらすらと暗記しておりました。
彼は法華経三千部を読破し、つっかえる所がありませんでした。
彼の知識は周囲の誰も及ぶ者がありませんでした。

しかし彼は、何かに心満たされないものがありました。
悟りが何であるか、自ら体得することができないでいたからです。
それで彼は、あちこちの立派な禅師たちを訪ねて回りました。

ついに彼は六祖のところにやってきました。
ところが六祖の前に進み出て礼をするのですが、彼の頭が地面に着かなかったのです。

六祖がいさめて言います。
地面に着かない礼をするのなら、礼をしないのと何の違いがあろうか。
お前の心の中にきっと何かが詰まっているに違いない。それはいかなるものか?


法達は答えました。「法華経を読むこと三千部に及びます

慧能は法達のようすを見ました。
法達は聡明ではありましたが、うぬぼれに満ちていました。
それでこう言いました。

お前が地面に着かない礼をするのは、お前の中に何か知っていることが強く根を張っていて、それを放そうとしないからだ。それをわしの前に出してみよ

法達はそれを出して見せました。
私はこんなにたくさんのことを知っています。先生は私が博識なのをよくご存じでしょう

すると六祖が偈をひとつ詠みました。
礼は元来、うぬぼれを捨てんとすること。何ゆえ頭が地面に着かないのか。
『自分』という考えに囚われれば罪が生じ、功名心を自ら捨て去ればその功徳は量り知れない


(「悟りの瞬間」―禅の奥義書「伝灯録」を解くより 抜粋編集)




   青い光の中の花
    青い光の中の花  撮影 光の仕事人



★ 頭を置きなさい ★



素空慈氏は、自分のお弟子さんに対してこう言っておられます。

悟りの道において、皆さんは自らこうべを垂れなければいけません。
深く深く下げなければなりません。
氷から見ると、日差しは恐ろしいかもしれません。氷はさっと自分の身を日差しから遠ざけようとします。
しかし皆さんはその恐れを克服して、前に進み出なければなりません。日差しの前に進み出て、このように誓うのです。「今からあなたの前に自分を投げ出します。こうして頭を下げて、あなたの光によって解(融)けようと思います」


また、素空慈氏はつぎのように語っておられます。

頭が人々を支配しています。
あなたを支配しているのは自分の観念、思考体系、自尊心、自己原則など……すべて頭に属するものです。
それは皆エゴに属するものであり、カルマに属するものです。
そのような頭こそ、あなたは下げなければなりません。

誰でも自尊心を逆なですると怒ります。
自尊心が強ければ強いほど、いかりも一層増大するものです。
これが最初の壁です。
自尊心とはつまるところ、想念のかたまりであり、その想念のかたまりが引っぱっている引力のようなものなのです。

その自尊心という頭を下げる術を知らなければなりません。
それを自ら下げたとき、おのずから現われる感覚……それが神聖さなのです。

氷が自らの冷たさを主張し続けるなら、暖かさを感じることはできません。
氷が自ら融けようとするとき、日差しの下に自らを任せるとき、氷は思う存分暖かさを感じることができます。
だから、我々は礼をするのです。師匠に進み出て、頭を下げるのです。




★ 何が気づきの邪魔をしているのか ★



六祖はさらに言いました。
お前たちは、ただ苦労して途方もなく執着することを勉強だと思っているが、
狐がしっぽばかり大事にして命を落とすのとどこが違うのか


法達が訊きました。
ならば理のみを明らかにし、経を読む必要はないとおっしゃるのですか

六祖は答えました。
経に何の落ち度があってお前の考えの障碍(しょうがい)になるというのか。
ただ迷いと悟りは人にあり、損益はお前によるのみである


六祖は、偈をもうひとつ詠みました。
心が迷えば法華が我を読み、悟りが開かれればわが法華を読む。
長時間読んでも心を明らかにできなければ、理とは永遠に仇同士となる


(「悟りの瞬間」―禅の奥義書「伝灯録」を解くより 抜粋編集させていただきました)



じつは、法達はまだ法華経を読むことができなかったのです。法華経に読まれていたんですね。
心が迷えば法華が我を読み」状態だったのです。

本を読むとき、その本に埋没してしまうと、本がその人を読む。
その人はその本に感動するが、その本に到達することはできない。
法華経を通じて慰めを得ることはできるが、法華経が言うところのその状態に入ることはできない。
たくさん本を読んだところで、数多の経典を読破したからといって、自分の心の状態に進展がなければ、悟りから遠ざかってしまう。
知識をためこんでそれに縛られれば、自分と知識とは仇同士になる。
経には何の落ち度もない。
経を読んで何かを知ったということ、自分の知識を自慢する心、それが邪魔をするだけである。
そのことを、六祖はたしなめたわけですね。

それで法達は、文章として読んで理解し「わかった」と考えている慢心をすべて捨て、慧能の門下に入門したのです。
ようやく頭が地に着いたのですね。
そして、ついに悟りを開きました。
法達はすべてを捨てたのです。それゆえにすべてを得たのです。


ハート
      光のハート  撮影 光の仕事人 


「準備」とは、自分を見つめなおす行為そのものなのでしょうか?

そう質問された学生さん、再度過去記事「アセンションとは内なる自己の大爆発―自己探究の準備とは?」と「存在を信じ、自らゆだねる勇気を持つこと」をお読みになってください。
きっと、伝えていることが同じであることがおわかりになるでしょう。

何か、響くものがあったら、それを実践してください。
そして、法達禅師のように悟りを得てくださいね。


★参考記事  
アセンションとは内なる自己の大爆発    
存在を信じ、自らゆだねる勇気を持つこと





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