十一月の散策 ―奈良の旅③

2011年11月19日 00:00


★ 山の辺の道~狭井神社 ★



前回はアマテラスが最初に来た笠縫邑の桧原神社について、お伝えしました。
その桧原神社から再び山の辺の道を狭井神社の方向へと戻る途中、靴底が薄いために非常に足の裏が痛くなり、何とかならないものかと思い、「視えない山の助け人」を呼びました。
わたしも地球の人間としては半世紀以上生きており、けっして肉体的に若くはありません。田舎の生活が長くなると、車ばかりで移動するため、自ずと歩かなくなり、足が弱ってくるのです。だったら、歩けばいいのですが、それがなかなかできないんですね。それで、急に山道を歩いたりすると足が痛くなるわけです。困ったものです。(笑)

この「視えない山の助け人」というのは、たいてい天狗さんです。
天狗さんには、特に京都の鞍馬山を登るときにいつもに助けられていました。長い石段がつづき、体力的に厳しくて、しかたなく休憩をとっていると、サーッとさわやかな風が吹いてきて、元気づけてくれるのです。
そうすると、驚くことに身体が軽やかになって、足がどんどん前に進み、石段を飛ぶように登って行けるのです。
そんな様子を見た中年の男性が「元気やなぁ」と、驚いて声をかけるほどです。(笑)
これまでにわたしと一緒に鞍馬山に登った人たちも、そのエネルギーを感じたのでしょう。どの人もわたしのことを「まるで天狗そのものだ」と言っていました。

確かに自分でも明確に実感できる不思議な現象です。
鞍馬山ばかりではなく、どこの山に登っても同様なのです。心の中でお願いすると、急に身体が軽くなるので、来てくれたのだとわかるんですね。
きっと天狗が身体を持ち上げてくれているのでしょう。山に行くと俄然元気が出てくるので、山歩きはわたしを癒してくれる最適の場所です。

天狗さんは、今回もやっぱり来てくれました。急な下り道などはスピードが出過ぎて、ほとんど走っているような状態でした。ブレーキをかけても、足が止まらないんですよ。(笑)
最後まで一緒にいてくれるようお願いしていたのですが、なぜか龍神のお宮があるところ辺りで戻って行ってしまいました。お陰さまで、予定よりもかなり速く到着しました。



もみじ2



狭井神社大神神社の摂社で、正式名は「狭井坐大神荒魂(さいにいますおおみわあらみたま)神社」です。
社伝によれば、創祀は垂仁天皇の時代とされており、大神荒魂神(おおみわのあらみたまのかみ)を主神として祀り、大物主神(おおものぬしのかみ)、媛蹈鞴五十鈴姫命(ひめたたらいすずひめのみこと)、勢夜多々良姫命(せやたたらひめのみこと)、事代主神(ことしろぬしのかみ)をお祀りしています。

荒魂(あらみたま)というのは、荒ぶるような猛々しい働きをもって現れる霊魂のことです。

三輪山の山頂には高宮神社があり、信仰者の登山が認められています。登拝口は拝殿の右側にありました。社務所に願い出て、住所・氏名・入山時間・性別を記入し、登拝口で祓いをすませれば、木綿のタスキを肩にかけて誰でも登頂できるそうです。(登頂は有料で、厳しい制約もあるらしい)

山に登る人が多すぎるのか、狭井神社のいずこにもよい波動を感じることはありませんでした。なぜ三輪山全体を禁則地域にしないのか、わたしにはよくわかりませんが、山の清浄さを保つためには、人間を入れないほうがよいですね。
わたしはこの山に登る必要性を感じてはいましたが、今回はあえて登りませんでした。いつか日を改めて登ることになっているからです。

昔から三輪山の神は大物主神で、出雲の大国主神とイコールだとされていますね。
古事記』によりますと、大国主神とともに国造りを行っていた少彦名神が常世の国へ去り、大国主神がこれからどうやってこの国を造って行けば良いのかと思い悩んでいた時に、海の向こうから光輝いてやってくる神様が表れ、大和国の三輪山に自分を祀るよう希望した神ということになっています。
大国主神が「誰か?」と尋ねると「我は汝の幸魂(さきみたま)奇魂(くしみたま)なり」と答えたということです。

日本書紀』の一書では、大国主神の別名としており、大神神社の由緒では、大国主神が自らの和魂を大物主神として祀ったとあります。
その神の正体は「ニギハヤヒ天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(あまてる くにてる ひこ あめのほあかり くしたま にぎはやひ の みこと)だという説が一般的ですが、「大物主神」も「大国主神」も「ニギハヤヒ」も人間が勝手に想像し、つけた名前であって、実在の信憑性もありません。

余談ですが、『古事記』は日本最古の歴史書などと言われていますが、ほぼ天武天皇のフィクションですから、『歴史小説』と言ったほうが正解ではないかと思います。
古事記』が献上されてから1300年を迎えるということで、最近は古事記関係の本のコーナーが設けられている書店もありますね。
まだ読まれていない人は、一度読んでみられてはいかがでしょうか? 
きっとさまざまな疑問が生まれてくるでしょう。
自分自身を探究するにあたって、「日本人って、なんぞや?」と考えてみることも必要です。
古代の日本列島には、どんな人間がいたのでしょうか?
渡来人ばかりが目立って存在していたことはまちがいありませんね。



柿の木



★ 狭井神社~大神神社 ★



狭井神社の拝殿の左後ろに、この神社の由来となっている神水の井戸・狭井がありました。
ここから湧き出る水は「薬水」と呼ばれ、昔からその水を飲むといろいろな病気が治るといわれているようです。
薬水を汲みにくる参拝者も多く、常にそこにはペットボトルに薬水を入れる光景が見られました。わたしも備え付けのコップで2杯ほど飲み、持参していたペットボトルに薬水を入れ、京都の父へのお土産に持って帰りました。
この「薬水」がほんとうに効くかどうかは謎ですね~。プラシーボ効果は期待できそうですが。(笑)

狭井神社から大神神社まではさほどの距離はなく、10分ほどで着きました。
大神神社から受けた印象は、7年ほど前に来たときとあまり変わりませんでした。

拝殿までの途中に「祓戸社」がありました。
祭神の祓戸大神(祓戸神・ハラエト)とは、心身についた罪穢を祓い浄める神のことです。そこには、瀬織津比(セオリツヒメ)・速開津比(ハヤアキツヒメ)・気吹戸主(イブキドヌシ)・速佐須良比(ハヤサスラヒメ)の4柱の祓戸大神と称される神々が祀られていました。

瀬織津姫神はその名を見たときになつかしさを感じましたが、罪汚れをお祓いするところであるからなのか、周囲の波動は残念ながら大変悪かったです。
「祓戸社」とは言っても、そこには人々の汚れを払うようなエネルギーは全くないと感じました。
拝殿の中では七五三の祈祷などで大勢の人がいて、やはりよくなかったです。ペンジュラムでも各所確認してみましたが、左まわりに回るだけでした。
とにかく境内に神聖な気が感じられないので、そこにたたずんでいる気にもなれず、早々に立ち去りました。よって、今回は残念ながら写真を載せることができませんでした。


紅葉
    十一月の紅葉  撮影 光の仕事人 

        
予定よりも1時間も早くすべてのコースが終了したので、近くの風変わりなコーヒーやさんで休憩し、オーガニックコーヒーとこだわりのシフォンケーキをいただくことにしました。
若いご夫婦ふたりで経営されているようで、家庭的な雰囲気がとても心地よく感じられました。
先客がいなくなると、広い室内にわたし一人だけとなりました。
ケーキに添えてあった生クリームには洋酒が入っていて、とても口当たりがよく、ゆっくりと飲むコーヒーのぬくもりが疲れを癒してくれました。
心休まる静かな時間。この時間を取るために予定が早く終わったのかもしれません。
その日、無事計画が終了したことを感謝し、帰路に着きました。

今回の急な旅で立ち寄ったのは、わたしのハイア―セルフが勧めてくれた場所のみであって、「必要ない」と知らされた神社には、道すがら頭を下げただけで、通り過ぎています。
山の辺の道には、たくさんの神社や天皇陵、遺跡があるので、次回行く機会があれば、ひとつずつ寄ってみたい気がしました。と言っても、自分に関わりがなかったり、行かないほうがよい場所は、結局のところ行けないのであろうと思いますが…。



ハート
もし、あなたがいつもここにいると気持ちが落ち着き、
気分がよくなるよという場所や神社があるなら、
そこがあなたの魂のルーツに何らかの関わりがあるところだといってもよいでしょう。
人によって、感じ方は千差万別です。
神々にはそれぞれ系統があり、人にも霊統がありますから、
その神社が気に入ったからといって、他の人も気に入るとは限らないということです。
自分の親神の系統を知っておくことは、神社めぐりをする上でおおいに役に立つことでしょう。

「記紀」をお読みになれば、ある程度おわかりになると思いますが、
「天つ神」と呼ばれた存在、あるいは古代の「大王(おおきみ)」と呼ばれた人たちは、
自分が気に入った土地を治めたいばかりに、元からそこで平和に暮らしていた人々を立ち退かせ、山や僻地へと追いやり、倦厭し、彼らの身分を貶めてきました。
あるいは、政治や統治者に不満があれば、乱を起こし、我が親族をも平気で暗殺してきたのです。

いつの世も、自分にとって都合の悪い神々や人物はすべて封じ込めたり、抹殺するというのが、国を治めてきた者たちのやり方です。

皆さんも、偽りの歴史ではなく、真の歴史を探求(探究)していただき、
なぜ自分がこの日本に生まれたのかを考えてみていただきたいと思うしだいです。





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