自立するということ

2011年11月07日 00:00



前回は「自分を観ること」について、また「自分とは何ぞや?」と、だれに頼ることなく自らが追及していくことの大切さをお伝えしました。

つまり、他者への依存や、片時も離したくなかった大好きな「くまのぬいぐるみ」を手放し、自分自身を確立しましょうということです。


★ 一方的なパラサイト人間 ★



依存」というもの全てがよくないわけではありません。
当然のことながら、わたしたち人間はさまざまなものに頼って生きています。
第一に空気や水や食べ物がなければ、生きることはできません。
多くのものを地球が与えてくれているからこそ、人類は生き続けてこられたのです。
人類がその恩恵に深く感謝して、地球と調和した生き方をするのであれば、何も問題はありません。
地球も豊かな資源を惜しみなく与えてくれるでしょう。

しかし、地球に対して何の貢献をすることもなく、地球の資源を一方的にむさぼり、使い果たす人間たちがいます。おまけにネガティブな悪想念をまき散らし、清らかな大地と空気を汚し続けているのです。
悪想念だけでは事足らず、生命を死滅させる放射線物質までまき散らし、今もなお懲りずに原子力発電を稼働し、維持し続けています。
こういう人間たちを悪性の「パラサイト」と呼びます。
(過去記事 悪性のパラサイトとなっている人類への警告―地球に寄生する人類のあり方 参照)


それは、地球に対してだけではありません。
子どもがおとなになっても依然として親に依存し続けたり、誰かにやたら依存し続けたりする人たちも「パラサイト」です。相互に依存するのではなく、一方的に依存し、エネルギーを吸い取るバンパイアみたいな存在です。

そういう人間が地球上に文明を創り、社会を作り、そして人間関係をつくってきたのです。
東北で大震災が起こったあと、被災地の人たちが、ある放送会社のインタビューに答えていました。
ある若い女性はこう言いました。「早く復興させてほしいです」と。

復興させてほしい」とは、どういうことなのでしょうか?
一体だれに対しての希望なのでしょうか? そう、政府です。

当時、政府に対して、対応が遅いだの、早く支援物資を送れだの、仮住まいを建てろだの、早く復興させろだのと注文をつけていたのです。
自分たちは被害者で、被害者に対して責任を持てというわけです。
すべて受け身の姿勢です。全面的な国に対する依存状態です。

なぜ、自分たちの手で復興させようと立ち上がらないのか?
自分の生きてきた土地を自分たちの手で甦らせるのが自立した人間の姿ではないのか? 
そんな疑問が残りました。


★ 政府に支えられるひとは政府を支えている ★



現在は、政府の対応のまずさも加わって、ようやく自らの手で町を甦らそうという動きが出てきました。
「そうでなければね」と思います。

政府があまりてきぱきやってしまったり、支援しすぎると、人々はそれに甘んじて、自ら何の行動を起こさなくなってしまうのです。
人はますます政府に依存し、弱者となっていきます。
政府はできるだけ多くの人を支援したいと考え、被災者が喜ぶように、借金をしてまで膨大なお金を使おうとします。
何のためにですか? 政府のためにです。
大勢の国民を助ければ、大勢の国民が政府を助けなければならなくなるのです。

政府に支えられるひとは政府を支えている
これは、二―ル・ドナルド・ウォルシュ著「神との対話」のなかに出てきた言葉ですが、じつに的を得ていると思いますね。

そんな弱者を惑わす援助などに頼らず、自ら立ち上がるべきなのです。
自分にふりかかった火の粉は自分ではらわねばなりません。人にはらってもらおうと待っていたら、そのうち焼け死んでしまうかもしれません。

過去記事「支援する人、される人―その2 相手の力を弱めてしまわない支援を考える」にも詳細は書きましたが、アーリオ―ンも同様のことを言ってます。


自ら立ち上がり歩もうとしない者に、
手を差し伸べ、歩ませようとする努力は、
見ようによっては美しく見えるが、
これはお節介だと知りなさい。

自ら立ち上がる努力を放棄し、他者に依存して立たせてもらいたい者は、
自らの手で得るものは何もないのだから、
何も得ないという結果を持つことが、学びとなる。

自ら立ちたいが能力的に立てない者、
最善の努力を払ったが立てない者には手を差し伸べよ。
自ら立つことが歩みの第一歩だ。 



いわゆる「可哀そうな人たち」に手を差し伸べればいいというものではない、それが必ずしも立派な行為であるとは限らないということを、再度知っていただきたいと願うしだいです。




  赤いコスモス   撮影 光の仕事人



☆ アーリーオ―ンからのメッセージ ☆



人よ、人としての誇りを失うな。
己を高めるためには己の足で立ち、
己の目で見、
己の手足で触るしかないのだ。

それが物理的に可能であるにも関わらず、
己の足ですら立とうとしない者たちよ、
あなたがたが依存し続けている人間関係、
そして基盤にある社会は
すでに壊れはじめている。

それらを壊したのは、
依存し甘えの相互享受を望み続ける
あなたがたの心だ。




コスモス2
 ピンク色のコスモス  撮影 光の仕事人



つぎに記載する言葉は、わたしがこのブログを通して、これまで皆さんに伝えてきたことを端的に表現してくれている内容です。
ここで、わたしに代わってアーリーオ―ンが、未だ扉をひらくことができず、扉の前で昏迷し、茫然とたたずんでいる人たちに送る『とどめのメッセージ』です。


愚かなる者たちよ、
扉の前でたたずむか。
扉の材質について、形状について語り、
それで扉を知ったつもりになるか。


扉を知って、それで終わりか?
扉は、何のためにあるのか。
こちら側と向こう側に出入りするためのものだろう。


扉の向こう側には、どんな世界があるか。
わからないから、扉を開けるのは怖いと言う。


わからないなら、なぜ、怖いのか?
真実は、分からないから怖いのではなくて、
自分が「わからないもの」に対応したくないだけのことだ。
対応しても、立派にこなせるかどうかわからないから、怖いのだ。


立派に対応できなかったら厭だ、
そんな自分を想像しただけで傷つく。
ならば、わからないものには立ち向かわないほうが良い、と考える。
愚かなことだ。


わからないものに勇気をもって対応しようとする者に、
惜しみない賛辞を与えながら、
心の奥底には嫉妬の炎が燃える。
そして、頭の片隅で一生懸命に自分が対応しない理由を、
だれに話しても納得してもらえるような、
美しい正当な理由を考える。
愚かなことだ。


長年、これを繰り返すと、
自己暗示によって、
わからないものに傷つきながら対応することを
嘲るようになる。
さらには、そうした行為をしようとする者を説得しようと試みる。
最後には、相手の可能性を潰してまで阻止しようとする。
愚かな…。


自立しなさい。
自立とは、わからないことの連続だ。
一瞬一瞬の行為を自らの決断で選び取り、
その結果起きるであろう全てのことに責任を持ちなさい。
だからといって、排他的になる必要はない。
だれの意見であれ、自らの意志で選んでいるんだという自覚がなければ、
自らの能力を試す結果である責任も自分の手には入らない。
自立とは、そういうことだ。 
                    
                         「アーリオ―ンメッセージ」より




ハート
悟り」とは、「自分を知る」ということです。

自分を知らないことを「無知」といいます。(笑)
わたしたちがここにいる最大の目的は、「真の自分を知る」ためです。

自分を知らないでは、何も始まりません。
死んでも「ここはどこ?」「わたしはだれ?」状態になります。

「わたし」とは、だれか?

宇宙と自己との関係を知り得た者こそが、
真に「悟りに到達した人」なのです。 
己を知り、立ちあがりましょう。





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