これからの男性の生き方を考える―死ぬ覚悟で誠実に生き抜くこと

2011年09月05日 17:20


★ 「葉隠」とは? ★



このところ、武士道や戦士を引き合いに出して、「男性の生き方」について考えてきましたが、このままだと「武士道談義」が延々とつづきそう(笑)なので、今回でとりあえず「武士道シリーズ」は終わりにしたいと思います。

皆さんは、「武士の聖典」とされている「葉隠(はがくれ)」を読まれたことがあるでしょうか?

男性女性にかかわらず、「男性エネルギー」を過去生で学び、体験してきている人は、興味が湧き、読まれているもしれませんね。
(近頃の男性は女性化しているので、別のほうに関心があるのかもしれませんが)
女性であるにもかかわらず、「武士道」精神に魅力を感じる人は、必ずどこか(過去生)で戦士エネルギーをしっかりと体験してきていると言ってよいでしょう。

ある女性がとてもこの「武士道シリーズ」の記事に刺激を受けておられたので、「あなたの分霊で、戦国時代の武将がいますよ」と伝えたら、確かに「もしタイムマシンで過去に行けるのなら、一番行きたいのは戦国時代だと思っていた」という返事がきました。
彼女はほんとうに戦国時代にしか興味がないようでした。(笑)

前回にも書きましたが、「武士道というは、死ぬ事と見つけたり」の言葉は、とても有名ですね。

葉隠」で、きわめて常識的な処世の知恵を披露している山本常朝(やまもと つねとも)という人は、江戸・元禄時代、佐賀の鍋島藩の二代目藩主、光茂(みつしげ)のお側役でした。
藩主が亡くなり、殉死が禁止されていたため、彼は頭を丸めて引退し、山里に隠棲しました。
後に彼の草庵を訪ねてきた田代陣基(たしろ つらもと)という若者が、山本常朝の後述を筆録した語録・回想録が「葉隠」なのです。


葉隠」に記された内容は、現代にも十分通用するので、参考のために彼の言葉をいくつか選び、現代語版(神子 侃 訳)で載せておきたいと思います。



極楽鳥花
         極楽鳥花  撮影 光の仕事人



★ 山本常朝の思想 ★



五、六十年以前までの武士は、毎朝、行水(ぎょうずい)を使い、髪に香をたきしめ、手足の爪を切って軽石でこすったうえ、こがね草でみがくなど、身だしなみをゆるがせにしなかった。とくに武具一式は錆をつけず、ほこりを払い、みがきたてて用意していた。

とりわけ身だしなみを整えるのは、伊達者(だてしゃ)のようであるが、そうした風流のためではない。今日は討ち死にするか、明日は討ち死にするかと必死の覚悟を決めていたからである。たしなみのない姿で討ち死にすれば、平生から覚悟していなかったことを敵に知られ、軽蔑されてしまうから、老若ともに身だしなみを整えたのである。
 
いかにも面倒で時間が無駄なようだが、これが武士のなすべきことである。面倒でも無駄なことでもない。

つねに討死の覚悟をし、死んだ気になって奉公し、また武術の鍛錬にも励むならば、恥をかくようなことにならないはずである。この点を考えようともせず、欲にかられてわがままに日を送り、事にぶつかって恥をかき、しかもそれを恥とも思わず、自分さえ満足すればよいなどといって、でたらめな行ないに堕してゆくのは、かえすがえすも残念である。平生から必死の覚悟をしていれば、どうして賤(いや)しい行動ができるだろうか。このへんのところを、よくよく工夫しなければならない。

三十年このかた、気風が一変し、若侍たちの対話でも、金銭のうわさ、損得の考え、暮らし向きの話、衣装の品定め、色欲の雑談、こういった話題ばかりである。そういう話題でなければ、みんな話に乗ってこないようになってしまった。困った風潮だ。むかしは若い連中でも、もともと賤しい根性がなかったから、そんなことはおくびにも出さなかったのである。年輩の者も、うっかりこのようなことを口にすると、しまったと後悔したものである。

これは、世の中が華美になり、生計にだけ関心を持つようになったからであろう。本来は、身分不相応な贅沢(ぜいたく)さえしなければ、生計などなんとかなるものである。
また、このごろの若い者に倹約心があるのを「世帯持ちがいい」などといってほめるのは、あきれたことである。しまり屋は、とかく義理を欠く。義理を欠く者は賤しいやつである。
                                    (「葉隠」聞書第一より)



★この後述は、常朝の基盤にある思想がよく表れているものであると思います。
彼は、「この世は夢」と言い、「」について、つぎのように語っています。


貴賎にかかわりなく、老若にもかかわりなく、悟っても死に、迷っても死ぬ。とにかく人間はみな死ぬのである。
このようにだれでも、やがては死ぬということを知らないのではない。だが、ここにひとつの逃げ道があるのだ。つまり、必ず死ぬと知ってはいるが、他人がみな死に果ててから、自分は最後に死ぬかのように考えて、さし迫ったことではないと思っているのである。はかない考えではないか。

また「あくせくしても仕方がない、すべて夢の中の遊びだ」などと思って、油断してはならない。死は、すぐ足もとに迫ってくるのだから、精を出して万事を手早くかたづけておかなければならぬ。
                                    (「葉隠」聞書第二より)



★現在は「戦(いくさ)」というよりも、天変地異がもっとも恐れる事象です。
明日大地震が起こり、大津波が押し寄せてくるかもしれないのです。
今回の台風でも、死ぬことなど予期もしていなかった人がたくさん死んでいますね。
浅はかな考えですが、たいていみんな「自分は死ぬかもしれない」とは思っていないんです。
「自分は絶対に死なない」と思っているのです。(笑)
このことを、「はかない考えではないか」と常朝は嘆いています。
常に死ぬ準備をしておく必要性が、このことからもうかがえます。

★武士道は「男の生き方」を示すものであって、女性に関してはあまり語られることはありませんでした。
語られても、不公平な思想で女性たちはがんじがらめになっていたと思います。
ここで、少し「男尊女卑」について触れておきたいと思います。



★ 男尊女卑の思想 ★



日本の武家の女性は、家父長制のもとで虐げられてきた一番の犠牲者であるとわたしは思っています。
特に江戸時代の女性の地位は驚くほど低かったのです。
儒教的色彩が濃かった武家社会では、「幼いときは親に従い、嫁しては夫に従い、老いては子に従うべし」という有名な「三従の教え」が浸透しており、女性に自由など一切ありませんでした。
いわゆる「男尊女卑」の思想ですね。
たとえ生まれの身分が高くても、女性は人として尊重されていなかったのです。
(興味ある人は「女大学」などを参照してください)

これは、キリスト教圏の国やイスラム教圏の国も、たいてい同じです。
男尊女卑の思想は、キリスト教会から発されています。
(この思想はイエス・キリスト本人とは全く関係ありませんから、カン違いしないようにしてくださいね)

もともとキリスト教は、それを提唱した人間たちが、男性優位に創り上げた思想であるので、女性が虐げられていたことに間違いはありません。
日本の場合、女性が男性ともっとも対等であったのは平安時代であり、それ以降武士の世の中に入ってからは、しだいに不平等となっていきました。

欧米では、紳士が淑女を優先して丁重に扱う「レディーファースト」という文化がありました。それ自体が不平等であると批判する人たちもいるようですが。
レディーファースト」の起源は、騎士階級の人々の道徳規範であった「騎士道」にあったといわれています。
その目的が全女性に対してと言うよりは、主に貴婦人に対してであったので、純粋に女性全体に対する「敬の心」から生まれたものであるかどうかは甚だ疑問です。

日本の場合、農民や商人の家に生まれた女性は、どちらかというと男性と対等に近い感じで生活していたように思われますし、武家の女性に比べれば、よほど幸せだったのではないかと感じます。

それを考えると、今現在の女性はあらゆることで恵まれています。
女性ならではの特権も行使できる時代です。
親や夫や息子に対しても、自分の意見をはっきりと言えるのですから、何も戸惑ったり、遠慮することはありません。
今は、逆に男性の方が戸惑い、遠慮しているのかもしれません。(笑)

★現代の男性は「生きる目的」が失われてしまっているような気がします。
仕事に情熱を傾けるというよりは、ただ家族のために稼がなければならないので、毎日仕方がなく働いているだけといった感じです。
ほんとうはもっとちがうことをしたいのに、それができない毎日で、ストレスだらけなのかもしれません。

今まで男性のコメントがなかったために、そのあたりのことがつかめません。
これからの男性の生き方」についての記事を求めておられた男性の方、読んでおられたら、ぜひ感想を送ってくださいね。
男性はもっと積極的に表現する必要があります。

山本常朝も、「四十歳以前は、知恵や分別など無用であって、むしろ積極的すぎるぐらいのがよい。人により、性格にもよることだが、四十歳をすぎても、積極性はやはり必要だ。これがなければ、気の抜けたようになってしまう」と語っていますよ。


★ここで、世の中の男性にお願いしたいことがあります。

それは、もっと正直な自分を表現しなさい!ということです。
世の中の諸悪にながされていてはいけませんよということです。
そして、いつも死ぬ覚悟で生活し、人には自分の誠実さを示すことです。

昔のように「誠実さ」と「責任」を誇りとする男性が少ないように感じるのは、わたしだけでしょうか?


桔梗
     桔梗  撮影 光の仕事人



★最後に常朝の語った「人生の極意」をお伝えしておきましょう。


人間の一生は、まことに短いものだ。
好きなことをして暮らすのがよかろう。
夢の間の世の中で、好かぬことばかりして、
苦しみながら暮らすのはおろかなことだ。

このことは、下手に聞かすと害になるから、
若い連中にはついぞ語ったことのない極意である。

私は寝ることが好きだ。
いまの境遇にふさわしく、
ますます出歩かないようにして、
寝て暮らそうと思う。
               山本常朝 「葉隠」より




ハート
わたしもまったく常朝さんと同じ心境です。
最後の四行は、おかしいくらいぴったしですね。(爆笑) 






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