これからの男性の生き方を考える―少年(王子)がおとな(王)になるとは?

2011年08月31日 10:40


皆さんは子どもの頃、ディズニーの「眠りの森の美女」を読んだり、映画を観られたりしたことがあるでしょうか?
そこに登場する王子さまは戦士であり、いわゆるヒーローですね。
勇敢にドラゴンと戦い、勝利を治めたあと、百年間眠りつづけていたお姫さまを目覚めさせ、結婚します。

しかし、そのあと彼らが幸せに暮らせたかどうかは、謎です。
「王子と王女が結ばれてめでたしめでたし」というのは一時的なもので、「その後も一生幸せに暮らしました」なんて、ほぼありえないとわたしは思っております。
なぜなら、戦士である王子は、戦ってお姫さまを手に入れ、結婚することまではできるのですが、そのあとの家庭生活を営むことは、非常に苦手(笑)で、困難であろうと推測できるからです。


★ 王子が王女を幸せにできない理由 ★



なぜ? と、不思議に思ったあなた、なぜ王子は家庭生活が苦手なのだと思いますか?

それは、敵を征服したあとの平和なときをどう過ごしてよいのか、王子は学んできていないからです。
王子は敵と戦うために日夜身体を鍛え、ハードな訓練に耐えてきたのです。
そして、何よりも王子が愛するのは「戦うこと」なのです。(戦うのはひとつのゲームみたいなものなんですね)
特に少年ヒーローともなれば、スタンドプレイが大好きで、常に他人を感心させ、他者をコントロールしようと苦心します。

どうやって名誉を得ようかと、頭の中はそのことでいっぱいなんです。
まだ未成熟な坊やなのです。(そんな政治家や実業家さんたちが、世の中にはわんさか(笑)いますね~)
ですから、女性を一心に愛することなどできっこありません。(笑)

もし、万が一愛しでもしたら、最後です。彼は戦場に行けなくなってしまいます。おそらく他の戦士たちも皆同じでしょう。
こんなことを言うと、お叱りを受けるかもしれませんが、多かれ少なかれ、戦士たちは女性をメイドか娼婦くらいにしか見ていなかったのではないでしょうか。(これは戦士に限ったお話です)

昔のおとぎ話や、ヒーローとお姫さまの物語が、結婚式、あるいは結婚する直前で終わっているのは、無理もない話です。
そのあとを描いても、全然面白くも何ともないからです。(笑)
先ほど述べたとおり、実際に彼らの関係性はそこで終わりになるであろうと推察できます。

それまで王女を獲得するために命をかけて勇ましくドラゴン敵・悪者の象徴)と戦い、それに打ち勝って彼女を手に入れたにもかかわらず、彼は彼女をどう取り扱ってよいかわからず、戸惑っているうちに破局を迎えるのがおちなのです。
王女も、そんな王子にまるで魅力を感じることなく、「なーんだ。こんなにつまらない男だったの?」と失望するのは目に見えています。

男性が何か崇高なる目的に向かって、命をかけて真剣に邁進している姿に、女性は惚れ惚れとし、カッコよさを感じるわけで、毎日何もせずにぶらぶらして、一日中寝ころんでテレビを見ている亭主には、何の魅力も感じません。(笑)
ですから、物語の最後は「王子と王女は、とうとう離婚してしまいました。おしまい」というふうになるわけです。(ゲーム終了!)
非常にネガティブな後味が悪い結末ですね。

では、どうしたら、王子はポジティブな豊かな生産性のある方向へと向かうことができるのでしょうか? 
今回は、それを考えてみたいと思います。


     夏の花1
           可憐なトルコ桔梗  撮影 光の仕事人



★ 少年(王子)がおとな(王)になるとは? ★



王女を真に愛せないこのヒーロー(王子)は、破局を迎えたことで初めて自分自身に限界を感じることでしょう。
それまでは、自分に限界があることなど知らなかったのです。
不死身だと思っているんですね、ヒーローというのは。

一旦死んで、〈少年〉から〈おとな〉へと変容しなければ、彼は王女を真に愛することも、またわが子を愛することもできないのです。
真に成熟した男性は生産的であり、生殖的であり、養育するエネルギーに満ちあふれています。 
でも、王子にはそのエネルギーがありません。
要するに、愛する能力がないということなのです。



★「王子=少年ヒーローが一度死んで、おとなの王になる」とは、どういうことでしょうか?
そして、「死ぬ」とは、どういうことでしょうか?
(ヒーローの最期というのは、必ず「死んで天に召される」というシナリオがあるのです)

☆それは、低次の意識から高次の意識へと変容することです。

真に成熟した「おとな」とは、わたしなりの解釈でいきますと、〈精神的に統合された人〉、すなわち〈男女両性具有〉になり得た人です。
そして、〈本物の愛とは何かを知った人〉と言えるでしょう。

あらゆる面で統合され、自分に対しても他人に対しても愛(慈悲)の心を持ち、義務と責任を果たしていくことができる人。
混沌とした感情や制御できない行動をも安定させ、冷静沈着をもたらすことができる人。
豊かさと歓喜をもたらしてくれる人。


それが「王子=少年ヒーロー」が変容すべき「」の姿なのだと思うわけです。
未熟でダークな暴君ではなく、真の成熟したおとなの「王」です。
それは、肉体を鍛えるだけでは達成できません。
精神的、霊的な学びがおおいに必要なのです。



★ 日本のサムライが培った精神性 ★



日本には「武士の道」という倫理観があり、特に戦乱のさ中にいたサムライたち(戦国時代の武士)は、自らの心に恥じない、また他者の前に恥じない尊敬に値する人として生きなければいけないという自覚を深めてきました。「自敬の精神」があったわけですね。
そして、その「自敬の精神」をもって、儒教を受け容れたのだといえるでしょう。

儒教は人間の一員としての武士のあるべき様を説いており、それはサムライにとって、自分という者を「人間としてのあるべき人間たらしめる道」であったのです。
〉は、人間の本質のみならず、宇宙の本質へとつながります。
〉はそこ(宇宙)から定められてくるものだということです。
〉を重視するサムライたちが「至誠天にあり」と思うに至ったのは、深遠なる真理として、それを捉えていたからだと思います。
〉、〈〉、〈〉、〈〉など、一文字のみを思ってみても、ひとつひとつが深遠で、人によっても感じとるものは千差万別であろうと思います。

江戸時代に多くの学者たちがそれぞれの自説を語っていますが、「いかに人には考え方の相違があるか」ということがわかりますね。
(『南総里見八犬伝』には「仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌」がありましたね~。また、読みたくなってきましたよ。笑)


★ 今いったい何が大切なのか ★



戦う」という最大の目的がなくなった現在の男性は、〈精神性〉と〈霊性〉をしっかりと取り戻す必要性があるのではないかとつよく感じます。
(残念ながら、現在の男性には、崇高な精神性と霊性を感じることができないのです)
男性たちは、早くそれに気づかなければ、次元上昇は果たせないと思います。

★今いったい何が大切なのか―

これは男性だけでなく、女性にも伝えたいことですが。
アセンションがらみの外側に関する知識や、天変地異のネガティブなニュースにばかりに気をとられていないで、日常生活で人としてやる必要のあること、自分自身が今生でやろうとしていること(クリアする必要がある課題)に取り組み、それをしっかりとやってくださいよということです。

マインドばかりでスピリチュアルを理解しようなんて思ってもムダなことです。
実際に頭ばかりで考えている人は、わかったようなふりをしていても、ほんとうはわかっていないのです。
その人の言動をみれば、会得できているかどうかはすぐにわかってしまいます。
スピリチュアルは、ハートでしか理解できないことだからです。

今「武士道」シリーズを載せておりますが、少人数ながらワクワク感と共にとても賛同してくださっている方々がいらっしゃるのと、わたし自身がとても楽しんで書いているため、なかなか終わりそうにありません。(笑)

「大和魂」といわれた日本人らしさが消えた現在、この精神はほんとうに大切です。
随分昔に天河神社を訪れ、宮司さんとお話をしたとき、「今、真の武士の姿を描きたくて、時代小説を書いています」と言ったら、「武士道こそが、今真に必要な精神です!」とおおいに賛同してくださったのを思い出します。
もし、皆さんが、本体や分霊を含めて過去生で日本に生まれていたのなら、特に戦乱の世に生きていたのなら、「日本人独特の死生観」というものを持っておられたことと思います。
当時の人々は死を前にして、死を見つめることで、今いかに生きていくかを考えたのです。
次回はサムライの「覚悟」と、仏教でいう「悟り」について、フォーカスしてみたいと思います。お楽しみに。


ハート
自己中心に陥った王子や王女が多い世の中、
ひとりひとりが真の王となり、
真の王女となっていただきたいと願います。





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