これからの男性の生き方を考える―サムライ・戦士の光と影

2011年08月29日 09:37


★ サムライが身だしなみに気をつけていた理由 ★



サムライがどれほど身だしなみに気をつけていたか、皆さんはあまり気に留められたことはないだろうと思いますが、ほんとうに驚いてしまいます。

山本常朝の「葉隠」には、男のたしなみとして、
写し紅粉を懐中したるがよし。酔い覚めか寝起きなどは顔の色悪しき事あり。斯様(かよう)の時、紅粉を出し、引きたるがよきなり」とあります。
切腹の際にも、死んだ後の顔が見苦しくないように、事前に紅をさしたようです。
顔色が悪くて、人に不快感を与えないために紅をさすというのは、現在の男性は考えもしないことではないでしょうか。
(いつもすっぴんのお姉さん方も、見習わなくてはいけませんね~)

また、武士は登城する前には必ず朝風呂に入り、その身をいつも清潔に保っていました。
毎朝髪を結い、ときには月代(さかやき)も剃り、季節に応じた礼服を着用し、刀や脇差とともに腰に扇(おうぎ)を差し、立ち居ふるまいに気をつけていたのです。(すばらしいですね!)

大道寺友山という人は、「武道初心集」で、
武士という者は、正月元旦の朝、雑煮の餅を祝う箸を手にしてから、その年の大晦日の夜に至るまで、毎日毎夜、常に死を心に覚悟することを心がけの第一とするものである」と述べています。

いつ死ぬかわからないからこそ、いつ死んでも恥ずかしくないように身を美しく保つことが重要とされたのでしょう。身だしなみに気をつけていた大きな理由のひとつが、そこにあると思います。

そして、常に死を意識していれば、いつもこれが最後だという気持ちで人に接することができるし、それだけに人を大切にもできます。(まさに一期一会の精神ですね)
死の自覚ゆえに貪欲もうすくなり、人品がよくなるというわけです。(一石二鳥!)
心身ともに健康な人が、毎日今日が最後だと思い、よい死に方を考えて生きるというようなことは、現代社会ではなかなか無いことでしょう。(そうありたいものですね)

武士の死生観が、彼らの心身や生活を厳しく律していたことは、残された過去のさまざまな文献から知ることができます。
サムライは、自分自身の精神と肉体を常にコントロールし、心理的にも肉体的にも苦痛に耐える訓練をし、その能力を身につけていったのです。
自己にも他者にも恥じない自分づくりに日夜励んだのです。
まるで僧侶並みにストイックな生活ですね。

文献では、すばらしい精神のもとに日々の生活を送っていたように記されていますが、実際の彼らの生きざまはどうだったのでしょうか? 
(サムライにもピンからキリまであるでしょうからね)
タイムマシンがあれば、見学してみたい気がします。(笑)


★ 恥と名誉 ★



サムライにとって、いわゆる「名」や「面目」、「外聞」というものは、大変重要な位置を占めていたようです。

新渡戸氏はつぎのように述べています。

廉恥心(れんちしん)は少年の教育において養成せらるべき最初の徳の一つであった。「笑われるぞ」「体面を汚すぞ」「恥ずかしくないか」等は、非を犯せる少年に対して正しき行動を促すための最期の訴えであった。
少年の名誉心に訴うることは、あたかも彼が母胎の中から名誉をもって養われていたかのごとく、彼の心情(ハート)の最も敏感なる点に触れたのである。


羞恥の感覚は人類の道徳的自覚の最も早き徴候であると、私は思う」と新渡戸氏は言っています。
そして、「恥はすべての徳、善き風儀ならびに善き道徳の土壌である」と言ったカーライルや、
羞悪(しゅうお)の心は義の端(はじめ)なり」と教えた孟子などの言葉を記しておられます。



花菖蒲2
    武士を思い起こさせる花菖蒲     
                  撮影 光の仕事人





★ 名誉に敏感すぎるサムライたち ★



サムライは、自分に与えられた〈侮辱〉に対しては、とても敏感に反応したようです。
サムライが〈名誉〉を重んじたために、〈名誉〉の名において遂行された争闘や殺害も多くあったということです。

極めてささいな〈侮辱〉によっても、短気な慢心者は腹を立て、たちまち刀に訴えて多くの無用なる争闘を引き起こし、多くの生命を絶ったということを、新渡戸氏は述べられています。
(現代でも、すぐにカーッと頭に血が上って、暴力に及ぶ輩は五万といますね。彼らは、そういう短気なサムライの生まれ変わりなのかもしれませんが)

恥辱に対する恐怖感が、サムライにとってどれほど大きかったかが、うかがえますね。
結局自信がないんですね。真に自信がある人は、何を言われたってびくともしませんから。
(わたしから見ると、侮辱されてすぐに怒って刀を抜くようなサムライは、ほとんど病気、あるいは乱心、とどのつまりは悪霊にとり憑かれているとしか思えません。笑)

よって、ささいな刺激によって立腹することは、〈短気〉として、嘲笑されたということです。(さもありなん!)

ならぬ堪忍するが堪忍」や「己を責めて人を責むるな」といった教訓の言葉があるのも、名誉を重んじるための行きすぎの行動を〈寛大〉と〈忍耐〉、〈我慢〉の教えによって相殺(そうさい)しようとしたわけです。

しかし、寛容、寛大、忍耐などの境地の崇高な高みにまで到達した人は、ごく稀であったと、新渡戸氏は述べています。
名誉は「境遇より生ずる」のではなく、「各人がよく自己の分(役割)を尽くすことにある」と真に気づいていたのは、ただ少数の知徳に秀でたる人々だけだったということなのです。
いつの世も、真に気づいている人というのは、稀少だということですね。


また、名誉を重んずる念は、「自己の生命をも絶つ」十分な理由となったようです。

名誉の失われし時は死こそ救いなれ、
死は恥辱よりの確実なる避け所


このガ―ス(イギリスの詩人)の言葉のように、サムライは名誉の問題や複雑な問題を解決するカギとして、〈死=切腹〉を受け容れたのです。



★ サムライ・戦士の光と影 ★



武士道」は、その文字の通り、〈武士の道〉であり、〈男の行く道〉です。
サムライ、すなわち〈戦士エネルギー〉は、〈男性エネルギー〉そのものです。
その特徴は〈攻撃性〉にあります。
力、技、正確さ、明晰な思考力、死の覚悟などがなければ、戦いに飛び込んでいくことはできません。
いったい何のために飛び込んでいくのでしょうか?

それは、大いなる〈正義〉のため、自己超越的な〈忠誠心〉ゆえにであり、個人的なエゴのためではありません。
これは、会社のために心身を日夜惜しみなく投入している現在の男性たちにも当てはまることではないでしょうか?
肩衣に袴というサムライのスタイルが、背広とネクタイに変わっただけですね。
さすがに刀はもっていませんが、代わりに携帯電話とパソコンをもっています。(笑)
彼らは仕事のために命をかける職業戦士といえるでしょう。


しかし、今現在の男性たちは、必ずしもこのような職業戦士であるとは限らないでしょう。
会社のためというよりは自分のため。かなり個人的なエゴで固まっている人たちも多く存在するように感じます。実際のところ、どうなのでしょう?
 

★「武士道」というのは、サムライのいわゆる光の部分を説いています。
しかし、かがやいて見えるサムライにも影の部分はあるわけで、特に女性側から見れば、こんな男たちを愛した女は悲惨であるといわざるを得ません。
ともかく彼らの愛の対象は〈戦い〉であり、〈仕事〉であって、けっして女性ではないのですから。(笑)



じつは、影の戦士の影響下にある男性は破壊的で、残酷なのです。
そのエネルギーが外に向けられた場合、仕事場では部下を冷遇したり、家庭では女性や子どもに対して暴力をふるったりして、虐待するのです。
そのエネルギーの方向が内に向かうと、臆病な自分自身を虐待することになります。

先ほど述べましたが、サムライは本来ささいな刺激によって腹を立てるのは恥とされ、忍耐づよくあること、堪忍することを強いられていました。
己を責めても人を責めるな」と教えられてきたわけです。
しかし、怒りたいときにも怒れず、泣きたいときにも泣けずでは、素直な感情の表出はできません。
それが爆発すると、ひどく残虐な行為に及ぶのです。
抑圧が最悪の状態を引き起こす」ということは、もう皆さんはおわかりですよね?


悪をくじき、正義のために剣をとる」などと言って、いくらサムライを美化したところで、究極の仕事は「人殺し」です。
自国を守るために、他国の人の命を奪うことは当然あります。
光の戦士であろうと影の戦士であろうと、剣を持って戦えば、結果的には同じです。

人を大根やニンジンのように、バサバサと斬りまくっているサムライというのは、決してカッコよくはありません。
ラストサムライ」という映画がありましたが、合戦の様子などはあまりにも悲惨で、眉をひそめたくなりましたね。
サムライのカッコよさは、あの場面にはありませんでした。

真のサムライは、やたらに人を斬り殺すということはしません。
相手が斬りかかってきたとき、やむなく相手の刀を奪う「無刀取り」という技がありますが、その精神に到達できたサムライこそ、真のサムライと呼べるのではないかとわたしは思っています。
(柳生流『兵法家伝書』〈活人剣〉に「無刀の巻」があります)

JIN-仁-』(村上もとかによる漫画をテレビ化)の主人公である南方仁(みなかた じん)は、戦(いくさ)で傷ついた戦士たちを敵味方なく介抱していました。
さすがに愛深く、「仁」という名前をもっている人だけのことはあるなと思い、感動しました。
敵と言っても、ただ敵側にいるだけのふつうの人たちであって、その人たちに対して恨みがあるわけではないのです。

問題があるのは、いつも戦を企てる大将や側近たちです。
悪者はいつも頂点に立っているだけで、自らの手を汚しません。
多くの人の命を無駄にしないためにも、闘いは大将同士ふたりきりでやってほしいものですね。
そうすれば、すぐにけりがつきます。(笑)

いつも死と向き合っていたサムライたち。
生のプロセスに明確な倫理観や宗教観をもっていなければ、なかなか生きづらかったのではないでしょうか。 (次回につづく)


ハート
戦士のエネルギーは、かつて葛藤の星であったオリオンから来ています。
サムライ・戦士は、オリオン帝国に対して元々「他者への奉仕」を実践していた人たちで、
その後帝国に反旗をひるがえした人たちの魂が転生したものだと思われます。
(これは、直観で得た内容です)

殿様に仕え、忠義を尽くすサムライの姿は、まさに「他者への奉仕」そのものです。
「自己奉仕者」は、まちがいなくサムライにはなれません。
自己にしか奉仕できない者たちは、一時栄華を極めるかもしれませんが、
やがて滅亡していく運命にあるのです。 

太陽系でも銀河系でも、何処も同じ。
これが、宇宙の法則です。






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