幸せの条件づけを外そう!

2011年08月15日 10:51


★ お盆の「送り火」の悲劇 ★



はじめに、最近のニュースで感じたことをお伝えしたいと思います。

京都市で16日に行われる伝統行事「五山送り火」の一つ「大文字」の護摩木として、東日本大震災の津波で流された岩手県陸前高田市の景勝地「高田松原」の松を使うことを大文字保存会が計画したところ、放射能汚染を不安視する声が京都市などに寄せられたため、急遽(きゅうきょ)中止となったというニュースがありました。

送り火」というのは、盆に迎えた精霊(亡くなった人の霊)を送り出す宗教行事です。
京都で生まれ育って、幼少の頃から毎年欠かさず「大文字」をはじめとする「五山の送り火」を見届けてきたわたしにとって、今現在京都から遠く離れた土地にいて、懐かしく思い出される行事のひとつでもあります。
それだけに、今回のこのニュースにはがっかりさせられました。

7月下旬、当時集まっていた約300本(陸前高田市の鈴木繁治さんが中心となって集めた護摩木)を京都市と保存会がすべて検査したところ、放射性物質は検出されませんでした。
それにもかかわらず、「子供に後遺症が出たらどうなるのか」「琵琶湖の水が飲めなくなる」といった声が京都市などに寄せられたため、保存会は8月に入って中止を決めたというのです。

新聞によりますと、この企画が報道されると、「放射性物質は大丈夫か」「灰が飛んで琵琶湖の水が汚染される」などと不安がる声が、保存会や京都市に電話やメールで数十件寄せられたということです。
それで、市と保存会はすべての薪を検査し、放射性物質が検出されないことを確かめたのです。
これで大丈夫」という意見が出る一方、牛肉などの放射能汚染が問題になる中で、「放射能への不安を完全に取り除くことは、世論をみると難しい」という慎重論が消えず、保存会では苦渋の決断をしたといいます。

この「世論をみて難しいと判断した」ということについてですが、放射性物質が検出されてもいないのに、なぜ、そういう判断をするのか、あるいはそういう判断しかできないのか、わたしには理解ができないところです。

被曝医療に詳しい鈴木元・国際医療福祉大教授(放射線疫学)は「放射能を怖がるレベルが極端になりすぎている。護摩木から放射性物質が検出されていないのに、中止を求めたりしたことは過剰反応に間違いない」と話していたということです。

案の定、その後その中止について、抗議の電話やメールが京都府と京都市に殺到しました。
風評被害に加担するのは日本人として恥ずかしい」「五山の送り火なんて見たくない」などという抗議が全国から相次ぎ、その数は千件を超えたといいます。
当然でしょうね。
 
中止された松はというと、8日の夜、陸前高田市で「迎え火」として燃やされました。
鎮魂と復興への思いを込められた護摩木が、被災地から遠い京都ではなく、当の被災地で「迎え火」として燃やされたことについては、それはそれでよかったのではないかとわたしは思います。

その後、京都市は考えを改め、被災松の割木を500本調達することにしました。
もちろん、理由は被災松を使う計画の中止に対して批判が殺到したためでしょう。
五山の各保存会でつくる京都五山送り火連合会に受け入れを打診したところ、大文字保存会が一転して受け入れを決め、五山全ての送り火で燃やされることになったらしいのです。

ところが、12日になって、新たに陸前高田より届いた松から放射性セシウムが検出されるという事態が起こります。
薪の表皮を削って検査したところ、セシウムを検出したため、取り寄せた500本全てについて、送り火での使用を取りやめることにしたというのです。
結局京都市は「五山送り火」での使用を断念することになってしまったわけですね。

この問題をめぐっては、大文字保存会の理事長が「多くの方に心配と迷惑をかけ、われわれの都合で被災者を振り回したことを心よりおわびしたい」と謝罪し、決定が遅れた理由については「いろんな意見を集約できなかった」と釈明していたということです。

この一連の問題は、京都市民の放射性物質を懸念する声を受け、大文字保存会(京都市)が薪の受け入れを取りやめたことにありました。
京都市民と言っても、一部の人なのでしょうが、心の狭さ、過剰反応の異常さを感じますね。
せっかく被災地で亡くなった霊たちをなぐさめ、お送りしようという試みについて、ケチがついてしまいました。

頭をかしげたくなるのは、なぜ京都市は最初から、陸前高田市の鈴木繁治さんが中心となって集めた護摩木について、当地で検査をしてほしいと依頼しなかったのかということです。
そして、陸前高田市のほうでも、京都市に出荷する前に、なぜその護摩木を検査しなかったのかということです。
まるで牛のときと同じですね。
出荷する前にしっかりと放射線物質の有無の検査をしておけば、問題発生はくい止められたはずなのですが、そのもっとも重要な点をいつも押さえられていないのです。
繰り返し、同じ過ちをすること。これは、どう考えても、おつむが悪いとしか思えません。だから、このような情けない結果になったのです。

京都は昔から霊的に護られている土地であり、地震なども今のところ起こっていません。
誰かが起きないように霊的な力で止めてきたのでしょうが、災難も小出しに出さないと、危ないなと思います。
問題をいつも封じ込めていると、噴出したときに恐ろしい大災難となるからです。

実母が亡くなって以来、この数年間、京都に足が向かないままでおり、すでに過去の地となっていますが、それでも故郷の良きイメージが壊れていくのはとても残念です。


白カノコユリ
         白カノコユリ  撮影 光の仕事人



★ 自分の幸せを決めることができるのは、自分のみ ★
      ―幸せの条件づけを外そう!― 



最近よく思うことは、自分の幸せに条件をつけている人がいかに多いかということです。
わたし自身も、昔はたくさんの条件をつけていました。

わたしが日々生きていくなかで幸せを感じられないのは「騒音のせいだ」「この地域のせいだ」「理解力のない頭の悪い数多の人間たちのせいだ」、等々、全て環境と人のせいにしていたのです。
都会では、深夜から夜明けまで暴走族が発するバイクの音で眠れなかったし、田舎では朝早くからの地域の頻繁な放送で目が覚め、睡眠を妨害されたし、どこへ行ってもわたしが求める静寂さがなく、結局離れ小島か、山奥くに独りで住むしかないと思うに至りました。未だにその望みは適っていませんが。(笑)

「周りに家がなくて、人工的な騒音が一切なくて、自然のなかで、自然に咲く可憐な花々を愛(め)で、美しい星空を眺めながら静かに暮らせたら、きっと毎日が幸せだろうな」なんて思うことはよくあります。
でも、独りで山奥に住んでいたら、良いことばかりがあるとは限りません。困ることだって生じてくるはずです。何かあった時、独りでできないこともあり、やっぱり人に助けてもらわなければならないことはあるだろうと思います。

せっかく自然のなかで暮らせても、イヤな虫や動物に悩まされるかもしれないし、欲しい物があってもすぐに買いに行くことができず、とても不便で難儀をするかもしれません。
それで、不幸せを感じることだってあるわけです。
どこへ行っても一長一短があるということですね。

ここで、わたしは考えたのです。
幸せか不幸せかどうかを決定するのは、ほんとうに外側の何かのせいなのだろうか?
わたしたちは自分自身の「幸せ」に対して、「○○だったら、幸せ」「○○さえなかったら幸せ」「○○が○○してくれたら、幸せ」というふうにいろんな条件をつけているだけなのではないだろうか?
だから、外側の人たちとの関係では、自分を幸せにしてくれなくなっているのではないだろうか? 
わたしを幸せにしてくれるのは、いったい誰なのだろうか?と。

そう考えたとき、もちろん、わたしを幸せにしてくれるのはほかの誰でもない、わたし自身だということに気づきます。
外の世界(他者)がわたしを幸せにしてくれるわけではないということです。
すべてのものは、わたしの幸せのために存在しているわけではないのだ、ということを肝に銘じること。
わたしがわたし自身を幸せにすることで、それが外の世界に反映されていくのだ、ということを知ることです。


「わたしの幸せ」を決めるのは、「わたし」です。
「わたしの幸せ」を決めること、選択できるのは、「わたし」だけなのです。
わたし自身を無条件に幸せにするには、いつも何があろうと、起ころうと、外側がどうであれ、幸せでいることなのです。

すべて外側のせいにしたいけれど、しないことなのです。
責任は外側のせいにしている自分にあるのです。
すべては自分の心の持ち方によるということですね。
ですから、「○○だったら、わたしは幸せにちがいない」ということは考えず、たとえ「○○ではなくても、わたしは幸せだ」と思うことですね。

何事もポジティブに捉え、ハッピーでいること。
たとえ逆境にいても、ハッピーでいること。
今この瞬間瞬間をハッピーにすること。
これしか、ないんです!

だから、今現在定められた枠内で、もっとも自らの心が求めること、ワクワクすることを選んでいくことです。
選んだひとつがだめなら、もうひとつのほうを選ぶことです。それがだめなら、また別の何かを選ぶのです。
そうすれば、ほんとうに幸せな自分が常に存在していることに気づくでしょう。



ハート
いつも「幸福」のお面(お多福?)をつけていることです。
そして、自分が毛嫌いしている人や物の何もかもを愛することです。

自分自身の魂に喜びと平安をもたらすシンプルなことばがあります。
それは、Ⅰlove me.
そして、森羅万象すべてに向けたⅠlove you!です。





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