「気づきのコース」からのメッセージ その5

2011年07月01日 18:50


★「気づきのコース」の感想文 (続)



~ 北京から愛を込めて~    47歳 中華人民共和国 北京市 女性



あれは今年の春、ちょうど東日本大震災が起きた頃でした。その頃の世界情勢もあいまって、現在住んでいる地域でのネット規制がさらに厳しくなり、これまで閲覧できたブログも読めなくなる状況になりました。そんな折、こちらでブログを開設していらっしゃる方がプロキシ経由でつながる可能性があることとそのURLを公表してくれたのです。私は、前々から気になっていた「ミッチェル・メイ」で再度検索を試みました。それが、光の仕事人さまのブログ「思いの制限をひらく」との出逢い、そして、「意識の進化への旅」の始まりでもありました。

数ヶ月前まで閲覧できなかったブログが開けた喜び、またいつ開けなくなるかもしれないとの思いも手伝い、冒頭での約束事になっている幾つかの記事を拝読した後は、興味のある記事から夢中で読ませていただきました。拝読する度、私の心は喜びを感じていました。そんなある日、拍手クリックだけでは物足りなくなり、どうしても拍手コメントを書きたくなったのです。何度入力しても確認画面で文字化けになってしまうのに気づきながら、確認画面を経ずに送ってしまい、光の仕事人さまのお手を煩わせる結果となりました。光の仕事人さまは、ご親切にもブログの冒頭で私へのメッセージをくださいました。

その頃の私は、周期的に繰り返してしまうカルマの波に翻弄されていました。繰り返す過ちでまたしても大事な人を傷つけてしまい、カルマという言葉が重く心にのしかかっていた時期でした。ただそういう状況の中で、これこそ見えない世界からの恩寵、そして今回がラストチャンスだぞ!と言われているようにも思え、暗闇の中で僅かな光(希望)を感じてもいたのです。
ブログの主である光の仕事人さまに頼りたいという気持ちが全く無かったとは申しません。何かに頼りたい、すがりたいという気持ちはあったと思います。自分を救えるのは誰でもない、私自身であるということは頭ではわかっていました。

文字化けは解消せず、2日試みた後、ローマ字ならと思いつき、私は中国に住んでいますというメッセージを文字化けの漢字の中に英語で折込み送信したところ、光の仕事人さまがメールを返してくださったのです。
一年余にわたってお書きくださったブログの内容―それは私の人生にとって言葉では表現できないほど価値ある光を放っている大切なものだと感じています。日々暮らしていく中で、ある時は気づき、励まし、時に慰め、そして勇気を与えてくださり、とても感謝しています。

ブログの記事を参考に、私は5年ごとに過去の自分を振り返ることを始めました。思い浮かんだ光景、激しい感情、そして、あの日あの時の彼女、彼らに心から詫びて、自分を許すという作業です。心の垢は次から次へと出てきます。終わりがあるのかと思えるほどに。日々更新してくださる光の仕事人さまのブログの中、或いは過去の記事の中から、心に響くお言葉を見つけ心の糧にしながらの作業だったと思います。それは今でもまだまだ終わりは見えません。

ブログの中で登場する数秘に関しては、私は全く知識を持ち合わせていませんでした。ただ、カテゴリーの中の[★私がブログを書く理由 インディゴ・チルドレンへのメッセージ]の「インディゴへのメッセージ 自由と責任」は、拝読した時から気になっていました。私は尾崎豊さんに同じ匂いを感じたのです。彼の気持ちがわかると感じました。数秘に興味を持ち出したのは、その頃からでした。知って生きるのと知らずに生きるのでは大きな違いがある、知って生きたほうがよいと感じるようになっていったのです。
リーディングを受けて最終的にわかったことですが、私と尾崎豊さんは、7、6、そして3までも同じ数字を持って生まれてきた者でした。人生コースが同じというわけではありませんが、同じ匂いを感じた直感は間違ってはいなかったのだと思いました。

ご紹介しました出会いの経緯もあり、「気づきのコース」を申し込む前に、光の仕事人さまとは何度かメールでやりとりをさせていただいておりました。ご返信いただいたコメントの中には私の魂が打ち震えるほどのお言葉がありました。メールを頂戴したその日数時間、私は声をころして赤子のようにひたすら泣き続けました。孤児(みなしご)に帰る故郷があった、母がいた、それがわかった時のような気持ちと申しましょうか、私の心(魂)が深く安堵した瞬間でもありました。

私の分霊が中国に多く生まれているため、私も今回何か(カルマの精算)をするために中国にいるのではないかと感じるとのメッセージも頂きました。
「気づきのコース」への誘い、「アンケート」は現在もカーソルを持っていきましても反応しないままですが、どうしても「数秘リーディング」をお願いしたいと思った私は、思い切ってメールで光の仕事人さまにお願いをしました。ブログの内容が私の心に響いたことを大事にしたい、そして、そのブログの主である光の仕事人さまにリーディングをお願いしたいと強く思ったのです。快くお引き受けくださった光の仕事人さまのお蔭で、私自身の終わりなき学びの旅への扉は開かれました。
「気づきのコース」も今月末、本日で終了のようですが、いつの日か私や受講された皆様の総集編、魂の進化と喜びをこれからの旅のどこかで分かち合えたら幸せだと思っています。



中国の山1
 中国の山々 撮影 今回感想文をくださったI ・Sさん


リーディング結果を拝見して、約1週間になります。
一番大きな気づきは、自分を信じるということに尽きるかもしれません。リーディングを申し込むということは、光の仕事人さまを信じた私自身を信じるということでもありました。誰かに頼ることなく内なる自己につながって自分の人生を自分でデザインするのだという勇気を頂けたように感じます。自分自身を信じて魂の学びの旅を続けようと思えたことが一番の収穫です。
本来は、それほど時間の猶予はないもののようですが、光の仕事人さまに出逢うきっかけとなった「許し」、その気づきについて書かせていただきたいと思います。

頂戴しましたリーディング結果の最後には、光の仕事人さまからの素敵なギフトがありました。「成熟数」という項目の4のアファメーション『物事は必要な通りに起こる。わたしはなんであれ ありのままに受け入れる。信頼とは、ものごとがすべてうまくいくという意味ではない。信頼とは、すでに「あるがままでいい」ということだ。』です。信頼そして愛、このアファメーションを胸に生きていくことで、本来の光り輝く私を生きていける、そんな気がしています。
そして、金貨の表と裏だと教えていただいた私の条件付け5のエッセンスー表の「自由とトータリティーと生き生きした感じ、本質的に自分自身のエネルギーと常にコンタクトしている能力」、それを妨げる裏の「恐れ」は同じエネルギーですと教えていただきました。「あなたの人生は、どれだけ恐れのなかに入っていく準備ができているかというところにかかっているわけですね。」と。

つい最近の記事、「恐れを落とすこと」の中のOSHOのお言葉がとても心に沁みました。「恐怖を落とすがいい 恐怖とは、あなたが子供のときに無意識に取上げたものだ 今度は意識的にそれを落として成熟しなさい そのとき 生は成長によって深まりゆく光になることができる」というお言葉です。
私には、子供の時確かに取上げてしまったものが幾つかありました。無意識だったにせよ、今は意識できているのだから、それを落としていくことはできると確信しています。これは私にもできる!と呟く私がいます。そしてまた、その過程を楽しむ、進化を喜ぶのだということを光の仕事人さまに教えていただいたように感じています。ここに、これからの人生の目的があるのだとも感じます。

私が気質として持っている「感情」の中にある学校の先生「わたしはこう感じるべきだ。こうやるべきだ。あなたもこうやるべきよ。」の枠を取り払い、「恐れ」の中に思い切ってダイビングする、そして、起きてくる出来事を知っていると頭でブロックせずに知らないことを自分自身に許して、一つ一つをハートで感じる、受け止めていく、それが私の本来生きる道だということがわかりました。そして、まさに今がその時であることも。
そう気づいた時、やはり最初に「思いの制限をひらく」というブログに出逢うきっかけとなった「許し」というテーマは偶然ではなかったということがわかりました。

私には20代の頃に経験した一つの出来事があります。まだ入籍していなかった夫との間に授かった子を産まないことにした行為です。要らないと言った夫、産まないという選択をした私。アダムとイブの物語が頭に浮かびます。蛇が食べろと言ったからと言い訳する姿が私の中にもあったのです。私は、それまで持っていた授かった子は産むべきだという自分自身のポリシーでもって、激しく自分自身を責め続けました。そして、こんな私を神様は許してくれないのではないかと怯えました。何かの権威に許しを強く求めながら、自分で自分を許していなかったのです。許されて生きていることに目を向けず、狭い心で判断を下してしまう私がいました。

6の数字の学校の先生の顔を持つ私が「あなたは人生において失敗した。これは一生ものだ。」と烙印を押したのです。自らがなした行為に怯えながら、心のどこかで私がここまで苦しんでいるのは当時要らないと言った夫のせいだと責任を転嫁し恨みを抱く私がいました。そのことに気づいたのは、リーディングレポートを拝見した直後ではなく、つい一昨日のことでした。大きな大きな盲点に、これまで気づかず生きてきたのです。気づいた時、夫に対して、そして自分自身に対して申し訳ないという思いが湧いてきました。

時の経過とともに激しい感情は薄まっていきます。でも、それは解決をみたわけではなく、長い間気づかぬふりをして、棚上げにしてきただけなのです。自分を許せない者、即ち自分を心から愛せない者がどうして他人を愛すことなどできようか?答えはNO!頭ではわかりすぎるほどにわかっています。でも、どうやって?心は頭ほど簡単には納得してくれません。祈り、内なる存在に問いかけ、一昨日、これが今回のリーディングで得た一番の気づきだということに気がつきました。自分を許すことに目覚めた時、ハートに空間の広がりを感じました。慈しみ、愛の思いが広がるようなイメージです。そして、光の仕事人さまに対する新たな感謝の思いが湧いてきました。いつもいつも愛と光をありがとうございます。
リーディングで得た一番大きな変化は、これからの自分自身に対する覚悟だと思います。時間がないとはいえ、気づいたところから一歩一歩着実に歩んでいきたいです。その気づきもまた恩寵です。

私を見つけてくれた光の仕事人さまに心からの感謝と自己精進の決意を捧げたいと思います。2011年6月30日今日のこの日に。
そして、私と同じブログ読者の皆様には、私がそうであるようにブログの中にちりばめられた貴女(貴方)ご自身の光り輝く宝石を探していただきたいと切に望みます。光の仕事人さま、そして読者の皆様といつの日か光の世界で喜びを分かち合えたら幸せです。


みつばち
      花と蜂  撮影 I ・Sさん (中国にて)



★ 光の仕事人より ★



sorry鐃緒申I鐃緒申live鐃緒申in鐃緒申Cina鐃緒申now.鐃緒申

この文字化けが、わたしとあなたとの縁を結んでくれました。
三度も続けて長い拍手コメントをくださったことに対し、「読みたいけれど、文字化けで読めないんですよ」と、どうしてもお伝えしたかったのです。
ほんとうに不思議なめぐり合わせでしたね。
出会うべき人とは、必ず出会うように仕組まれているんです。

あなたが早くもさまざまなことを気づかれたのは、あなたご自身が元々すばらしい質をお持ちだったからです。
あなたはこの感想文を送ってくださった際のメールに、「私の魂に光を灯してくださり、ありがとうございます。大切な宝物をありがとうございます」と 書いてくださっていましたね。
わたしがあなたの魂に光を灯す前に、すでにあなたの内側には情熱を秘めた清浄なる火種があったのです。
その火種があったからこそ、「わたしのブログ」を契機として、突如あなたの魂が光り輝いたのです。
もしかしたら、その火種は、自分自身を心から理解してくれる同じ故郷の火を、長い間待っておられたのかもしれませんね。

一番大きな気づきは、自分を信じるということに尽きるかもしれません。自分自身を信じて魂の学びの旅を続けようと思えたことが一番の収穫です」とありました。

また、「祈り、内なる存在に問いかけ、一昨日、これが今回のリーディングで得た一番の気づきだということに気がつきました。自分を許すことに目覚めた時、ハートに空間の広がりを感じました。慈しみ、愛の思いが広がるようなイメージです」と。

そして、「リーディングで得た一番大きな変化は、これからの自分自身に対する覚悟だと思います。時間がないとはいえ、気づいたところから一歩一歩着実に歩んでいきたいです。その気づきもまた恩寵です
と書いておられましたね。
このような気づきと変化が得られましたことを、わたしもご一緒に喜びたいと思います。

遠い国から、たくさんの素朴な山村のお写真を送ってくださって、ありがとうございました。
読者の皆さんにも見ていただきたくて、ここに載せさせていただきました。(谢谢!)



ゆり
     野に咲くゆり  撮影 I ・Sさん (中国にて)


今回お贈りするOSHOの言葉です。


人間を除いて、
―海、雲、星、石、花―
すべてが真実を生き
仮面をつけずに
真実以外の何ものでもなく
それ自身以外の何ものでもない……
ただ人間だけが他の人々を騙し
自分を欺くことができる―

私がそう言うとき
それは大いなる機会でもあるということを覚えておきなさい
それは非難すべきことではなく、賞賛すべきことだ
なぜなら、バラの茂みや蓮の花が騙そうとしても
それはできないからだ
その真理は自由ではない
その真理は束縛だ
自分の限界を超えることができない

人は真実に背く特権、特典を持っている
つまり選択の自由を持っているということだ
真実であることを選択すれば
人は束縛を選択しているのではなく
真理と自由を選択している
自由は人間の特権だ
この存在全体で
ほかの誰も自由を手にしてはいない
だが機会を持つことは危険でもある

自由があるときは 
道を誤ることもあり得る

いかなるバラも道を誤ることはできない
いかなる岩も道を誤ることはできない
あなたは道を誤ることができる
だから、ひとつひとつの行為
ひとつひとつの思考
ひとつひとつの感情に対して
深い気づきがあなたを貫いていなければならない

真理を探求しなければならないのは人間だけだ
ほかのすべてのものはすでに真理を手にしているが
そこに自由の栄光はない
あなたは真理を探求し
それを見いださなければならない
だが、真理を探求し、発見すること自体において
あなたは栄光に輝いている
あなたは存在の王者だ

                   by OSHO 






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