癒しは自然のなかにこそある 

2011年06月05日 23:00


★ 出雲大社の波動 ★



昨日、娘たちと島根県にある出雲大社に赴きました。
わたしは独身時代から今日に至るまで何回か参詣しておりますが、魂の系統としてはあまりご縁がない神さまであるためか、いつ行っても感動が湧いてこないというのが正直な感想です。
伊勢神宮の内宮から感じられる軽く精妙でやさしい波動とはまるで異なっていることがわかります。
しかし、娘たちには今回ある意味で必要であると感じたので、遠路を車で向かいました。


出雲大社


出雲大社の境内は、つぎつぎと押し寄せてくる観光客で騒々しい空気に包まれていました。
改修工事のせいもあって、空間に全く広がりが見いだせず、落ち着きのない不快な感覚を味わいました。
別殿では婚礼の式典も行なわれており、こんなに大勢の人を見たのは今回が初めてで、非常に疲れました。

霊媒体質の娘たちにとっては、ありがたいパワースポットどころか、人々の願いごとによる欲望や悪想念のエネルギーでめまいが生じ、人が群れているところには立っていることができない場所になっていたのです。

現在、出雲大社は六十年に一度の「平成の大遷宮」で、すべての社殿の屋根を葺き替える作業が行われている最中です。
2008年4月20日から本殿の大規模な改修に伴い、御神体を御神輿に乗せて仮殿に遷したということです。

仮殿の前、つまり、人々がかしわ手を打ってお参りをする場所は、かなり波動が悪かったので、裏に回って、もっとも波動がよいと感じられた場所にしばらく立っていました。
この出雲大社がある「山陰地方」や「日本国」の守護をお祈りするというよりも、ただただ「御心のままに」という言葉しか出てこなくて、早々にその場を立ち去ったしだいです。

このように、有名な神社ほど参詣する人が多いので、実際のところ聖域ではなくなっている可能性が大きいのです。
ですから、サイキックスポンジや霊媒体質の人は、そういう場所に行かないほうが賢明なのです。かえって、ヘンなものをもらって帰ることになるからです。

また、どこでも神社に神さま(ご祭神)はいらっしゃらないとわたしは感じています。
ただ、そのエネルギーが今もなお残留しているだけです。
神社がパワースポットと言われているのは、未だにその神さまのつよいエネルギーが残っているからであり、ほんとうにそこに神さまが存在しているわけではないのです。
もし何千年ものあいだ、その地に実際に鎮座しているのだとしたら、まったくその神々は成長していないということになりますね。
神さまだって、時が経つほどに成長されるはずですから、いつまでもそんなところに留まっているわけはないのです。

また、神さまと言ってもピンからキリまであり、とどのつまりは宇宙からやってきた存在たちであるので、神さま自体にもさまざまな「クセ」というものがあるということを知っておくことが大切です。

その波動(周波数)の違いによって、神さまの性質や意識レベルをある程度感じることができるわけです。
全く気配がない神社もたくさんありますが、もうそのエネルギーも残っていないということになるでしょうか。

よく神社で神さまとお話をしたという人がおられますが、「一体どなたと話しているのかしら?」と思いますね。(きっと神サマになりすましている輩もいっぱいいることでしょう)


★ 神社めぐりの一長一短 ★



★島根県には「出雲大社」のほかに「熊野大社」と呼ばれる一宮があります。
さすがにこの土地にはスサノオ系の神社がたくさんありますが、「熊野大社」はダントツ一位に挙げられる神社であると思います。
ご祭神の名は「伊邪那伎日真名子 加夫呂伎熊野大神 櫛御気野命(いざなぎのひまなご かぶろぎくまのおおかみ くしみけぬのみこと)」とされていて、「素戔嗚尊」の別名です。
「伊邪那伎日真名子(いざなぎのひまなご)」は「イザナギが可愛がる御子」の意で、加夫呂伎(かぶろぎ)」は「神聖な祖神」の意としています。

ここの神社の境内はさほど広くはありませんが、境内に入る手前に川があり、渡された橋の上から川のながれを眺めていると、とてもさわやかな気分になります。
境内でも、とても力強い崇高な波動が感じられましたが、それはわたしだけでなく、感じやすいふたりの娘たちも同様でした。
島根県の神社の中で、「熊野大社」は気持ちがよくて、「また来たいな」と思った場所のひとつですが、今現在はどうなのかわかりません。

このように、神社によって波動が千差万別であることは、感じやすい人であればきっとおわかりになることでしょう。
やわらかい温和な波動を感じる神社もあれば、強烈な波動や、暗くて重い波動を感じる神社もあります。
そして、人間の参拝者が多ければ多いほど、汚れたネガティブなエネルギーがさまよっているため、気分が悪くなることが多いのです。

ですから、皆さまにやたら神社参拝をおススメすることはできません。
行かれるなら、くれぐれも気をつけて行ってください」と言うくらいですね。
光とつながっている人は、逆に「光をお届けする」という気持ちで神社に行かれたほうが正解かもしれません。



★ 癒しは自然のなかにこそある ★



「出雲大社」からの帰りに「宍道湖自然観ゴビウス(水族館)」に立ち寄って、島根県内に生息する水辺の生き物たちを見ました。
娘たちは泳ぐ小さな魚たちを熱心に観察し、彼らに癒されたと言っておりました。
「ゴビウス」周辺の環境がすばらしく、芳しいみどりの香りを乗せた風が吹きわたるやさしい田園風景に、わたしもようやく癒された気がしました。


       水クラゲ
        美しく神秘的な水クラゲ ゴビウスにて撮影



神社よりも、自然や生き物との出会いのほうが、癒しの効果が断然高かったということですね。
神の社(やしろ)に行ったからと言って、光とつながれるわけではないし、体質によってはむしろ悪影響があると言ってもよいでしょう。
人間のもつ波動がいかに汚れているかということを、しっかりと実感することができた日となりました。


     ゴビウス
               ゴビウスの水族館にて撮影


★癒しを求め、光とつながるために、人間の悪想念だらけの神社や、観光客だらけのパワースポットにわざわざ行かなくても、人のいない静かな自然のなかで、木や草花や小鳥たちとともに過ごすほうが断然有益だとわたしは感じています。

目を閉じて、風の音を聞き、その心地よさを全身で感じてください。

周りの生き物たちの息吹を感じてください。

川のせせらぎに耳を傾けてください。

太陽の暖かさ、明るさ、光の恩恵をしみじみと感じてください。

自然と溶け込み、一体となったとき、初めて地球の想いも知ることができるでしょう。

そして、新たな気づきが生まれるでしょう。

わたしたちを生かしてくれている存在は、太古の昔に人間を創成した神々などではなく、
この母なる大地(地球)なのだということを。






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