創造者として自覚し、自分自身を表現しよう!

2011年03月24日 18:05


★ このブログを訪問された皆さまへ ★

 

はじめに、このブログの訪問者さんにお伝えしておきたいことがあります。
このブログはトラックバックや無断転載をお断りしております。
訪問者さんのなかには、自分のブログを書いている人たちも多く、ネタ探しにやって来られる方々もいらっしゃるようです。

以前にも少し触れましたが(「わたしがブログを書く理由 その2」参照)、だれかが書いたブログ内容(全文、あるいは一部)を、そのブログ提供者の名前を紹介しないで、そっくりそのまま自分のブログ内容として載せている人がけっこう存在しています。

「この記事どこかで読んだなぁ」と思って調べると、全然違った人のブログ記事だったりするのです。
どっちが最初に書いた当の本人なのかは、更新の日付を確かめるしかないですね。
同一人物が別のブログを作って掲載しているのならともかく、別人が「だれかさん」のブログ内容を毎回記載する必要などあるのでしょうか? 
そこまでしてブログを出す意図が、わたしにはほとんど理解ができません。

今現在のような特別な時期、考えていること、思っていること、感じていることが同じなら、記事も似たような内容で、似たような言葉を使って書かれる場合は確かにあります。
意識レベルや周波数やフォーカスしている部分が同じところにある人なら、可能性は非常に大です。
公的な内容や、さまざまな説明文などは、全く同じものを掲載したとしても問題はないでしょう。
しかし、同じものを採用したとしても、その人なりの文章の書き方やリズムがあって、そこには必ず個性があるはずです。その個性が人を引きつけるのです。



★ 他者の記事を転載するときのマナー ★



★昨日「タグ検索」をしていたとき、最近更新したわたしのブログテーマと似かよったテーマが載っていたので、ひらいてみました。
すると、わたしの記事の一部と書籍の引用箇所が、そっくりそのまま載せてあったのです。
そのブログ名や管理者名については、その人の名誉のために、ここに載せるのは控えたいと思います。
ただし、この管理者が一般人ではなく、「児童放送作家として活躍中」とプロフィールにあったので、この場を借りて、わたしの感じたことをお伝えさせていただくことにしました。


★あなたは児童放送作家としてご活躍中だそうですが、他人のブログ内容を無断転載し、公開されることについて、お考え直しいただければと思います。

あなたご自身の文章はほとんどなかったので、もしかしたら、あなたの場合は「覚書」のような感じで自分のブログを公開されているのかもしれません。
しかし、不特定多数の人が自由に閲覧できるわけですから、使用された文章のブログ提供者名やURLを記載すべきではないでしょうか? 
そうでなければ、自分しか見ることができないようカギをかけておかれることです。
他者の記事を転載するときのマナー」を守るのは、あなたのお名前(管理人名)からすると、当然の作業だと思われるのですが。

同じことを伝えるにも、表現方法は無限にあります。
もし読者に何かを提供したいのであれば、あなたがあなたなりに考え、脳裏にひらめいた内容を提供してください。プロの作家であるのなら、なおさらですね。
以上ですが、よろしくお願いいたします。


ということで、この方に限らず、多くの皆さんに自分にしか書けない表現方法で記事を書いていただきたいと、心から願うしだいです。



★ 盗作は自分の力をさらに弱めている ★



★わたしはなぜか子どものころから、自分の書いたものがそのまま他人に使用されるという体験を多くもっています。

たとえば小学生のとき、こんなことがありました。
習字の時間にわたしの書いた字をほしいと言う子がいたのです。
「お手本にしたいから、1枚ちょうだい」というわけです。
わたしは気前よく自分の書いたものをあげたのですが、その子はわたしが書いた字をそのまま清書として提出したのです。
どうやら、最初からそのつもりだったようです。

その後、集めた子どもたちの清書を先生が丸つけするのを、数人の子どもたちに混じってわたしも見ていたのですが、「あ、わたしのだ!」と思ったら、なぜかそこにはわたしとは違う名前が書かれておりました。
つまり、「お手本にしたい」とわたしの書をもらっていった子の名前が書かれていたわけです。

その子の清書を見た担任は、「上手に書けたね」と言って、珍しくたくさんのマルをつけていました。
わたしは唖然としました。
「それって、わたしが書いた字なのに…」と。

教師はその子にだまされていることに気づきませんでした。
教師なんてその程度なのだと、すこぶる失望しました。
まったく同じ字体の清書が2枚出てくれば、「おかしい!」ということくらい、子どもにだってわかりますよね。
書いた当の本人がどんなにショックだったか、想像がつきますか?

わたしはそのことを担任に黙っていました。
その子本人にも言いませんでした。
言う気すらしなかったのです。

また、あるとき、先輩の家で中学校の卒業文集を読ませてもらったとき、愕然(がくぜん)としたことがありました。
ある女の子の文章の一部が、わたしが小学校の卒業文集に載せたのとまるで写し取ったようにそっくりだったからです。
それは、わたしの気持ち(情緒的なもの)を最大に表現したものだっただけに、ショックが大きかったのです。
小学生が書いた内容を、中学生が盗作するなんて、ほんとうに情けないなと、子ども心に思ったものです。

盗作をする人に対しては、「怒り」よりも「気の毒」だという気がします。

あなたは、だれですか?
あなたは、わたしですか?

わたしが、ふたりも必要ないでしょう。
わたしがわたしであるように、あなたはあなたであるのです。

あなたは、だれかの表現方法をマネることしかできないのですか?
あなたなりの表現ができないのですか?
もっと自信をもって、自己表現をしたらどうですか?

うまく書きたいとか、丸をたくさんもらいたいからとか、
そんな理由はすべてあなたの自信のなさから来ているのです。

盗作は、「自分の力や表現力をさらに弱めるもの」だということに気づいてください。 
それは相手の尊厳だけでなく、自分というものの尊厳を否定することであり、創造者である自分自身に対して恥ずかしい行為です。




どんな記事も鵜呑みにせずに吟味することが重要



「多くの人がそう書いているから、わたしもそう書いておこう」とか、
「この人の言っていることはマチガイないだろうから、自分もそれを書いておけばマチガイはないだろう」とか、何となく他者に合わせて書いている人も少なくないように感じます。
しかし、それが大マチガイなのです。

真実は人の数だけあるのです。
そして、その人の意識レベルによって、まったく異なった世界が展開しているのです。
このことは、「思いの制限をひらく」の最初の記事から繰り返しお伝えしてきていることですが、新しい訪問者がつぎつぎと来られているので、再度申し上げておきたいと思います。

その人が語っていることが正しいかどうかなど、正直言ってだれにもわからないのです。
ウソかホントかわからない都市伝説」みたいなものです。(笑)

当の本人はそれを真実だと信じて書いていますから、マチガイなく自信もあるでしょう。
(スピリチュアル系のブログは、すべて自信がなければ書けない内容ばかりです)

ネガティブ系異星人がその人の身体を借りて書いていると感じられる記事が実際にあり、マインドコントロールされる危険性が多分にあって、恐ろしいといつも思います。
何者かに操られていることなんて、本人にはわからないでしょうが、客観的に調べる方法はあります。
それで調べると、危険信号が強烈に点滅して回りつづけていることがあります。

ですから、表面的にはその人の文章となっていても、ほんとうのところは、異質の者の意図する内容にすり代わっている可能性があるということを、いつも頭の片隅に置いて読むように心がけてほしいと思います。
「あれ? 今日のこの人の文章、何かおかしいゾ!」と。

★特にスピリチュアル系のブログを読む人は、その信憑性をしっかりとご自分の直観で見極めてほしいと切に願います。
とにかく何でもかんでも鵜呑みにしないで、自分の直観力、判断力を大切にし、きちんと吟味してくださいということです。


当然のことながら、政府やマスメディアが言っていることを真に受けてはいけません。
こちらは「都市伝説」よりも、信憑性が低いと思ったほうがよいかもしれません。


★ あなたが最高の権威者 ★
 



★あるブログ読者がつぎのような質問をしてこられたことがありました。

「最近おっしゃられる通り、食べ物、飲み物には細心の注意をしていますが、その中にカフェインもとあります。
日本茶や紅茶、ウーロン茶もそれに含まれるんでしょうか?
個人的にはお茶が大好きでよく飲むものですから(笑)」

わたしは下記のようにお答えしました。

「あまりそこにばかりこだわりすぎないほうがよいと思いますよ。
わたしが引用したその著者たちの書いていることは、万人に当てはまるとは限りません。
あくまでも、参考として書いているだけです。
飲みたければ、コーヒーや紅茶など、飲まれたらよいと思います。

わたしは自分の身体に聞いて『OK』なら、コーヒーだって飲みます。
わたしのハイアーセルフは、わたしがコーヒーを飲むことは禁止していません。
自分が最高の権威者です。現実は自分自身で創っていくものですよ


★「本にこのように書いてあるから、そうしなければならない」というような強迫観念は解放することが大切です。

とにかくこのブログは「思いの制限をひらく」ために書いているのですから、そのことをけっして忘れないでください。

あなたが最高の権威者にならなくて、いったいだれがなるのですか?」 ということです。
自分の直観や判断力に自信がないなら、自信が生まれるよう、最高権威者となるよう、日々自分の意識を高めつづけてください。

大宇宙の源からやってきたわたしたちひとつひとつの魂は、千差万別です。
だれかと同じような魂の傾向(ソウルカラー)があっても、まったく同一ではありません。
皆ユニークなのです。
その個性をさまざまに表現するために地上にやってきています。

わたしたちは「創造者としての自覚」をもっと持つべきです。
「創造者」にできないことがあるでしょうか?

創造したら、当然その責任は自分が負うべきです。
他者に責任転嫁するくらいなら、最初から実行しないことです。

多くの人たちが通った大道を行くのは、たやすいことです。
それは整備されていて安全かもしれません。
でも、そんな道は、未知なる遭遇もなく、冒険もなく、面白くも何ともありませんね。

(二番煎じは美味しくないヨ)


インドの神秘家OSHOは、このように語っています。

知識は確実なものだ。
個人的な〈知〉の探求は、危険をともなう非常に、非常に不確かなものだ。
それを保証することは誰にもできない。
もし、保証できることがなにかあるのかと聞かれたら、
私はなにひとつ保証できないと言うしかない。
私には危険しか保証できない。
それだけは確かだ。

道に迷ってしまい、けっしてゴールには行きつかないかもしれないという、
そのあらゆる可能性をともなった長い冒険しか保証できない。
だが、ひとつのことは確かだ。

探求そのものが、あなたの成長を助けてくれる。
私には、成長しか保証できない。
そこには危険があるだろう、犠牲があるだろう。

あなたは毎日、未知なるもののなかへと、
地図に描かれていないもののなかへと進んでいくことになる。
辿る地図もなく、従うガイドもいない。
その通りだ、数限りない危険があり、あなたは道に迷い、
自分を見失ってしまうこともありうる。
だが、人はそうやって成長するしかないのだ。

不確実だということが、成長するための唯一の道だ。
危険に直面することが、成長するための唯一の道だ。
未知なるものの挑戦を受け入れることが、成長するための唯一の道なのだ。 

( Dang Dang Doko Dang, Ch.7より )



自分が表現したことに責任をもちながら、新しいあなたの道を切り拓いていっていただきたいと思います。




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