支援する人、される人―その2 相手の力を弱めてしまわない支援を考える

2011年03月19日 11:20


★ 支援する前に考えること ★



まず支援しようとする人は、つぎのことをよく考えてみることが必要だと思います。
ひとつには、自分が相手に対して共感を得て、何かしてあげたいと思ったとき、「相手を真に助けるための最善の方法とは何だろうか?」と深く考えてみるということです。
それが、まずは食べ物であったり、生活に必要な物資であったり、ときにはお金であったりする場合もあります。
世界的におこなわれている支援、特に災害時の支援は、こういった物質的な支援が主ですね。しかし、これには限界があります。

たとえば、飢餓国に限って毎日どんどん子どもが生まれていますが、この人たちがおとなになるまで、またおとなになってからもずっと支援しつづけることなど、不可能です。
震災などの緊急時には、当面の食物と生活物資が不可欠ですが、長年にわたって難民生活を送っている人びとの場合などは、ただ物資を与えるのでは、何の学びもありません。
彼らには自立することを教える必要があるのです。
最大の援助は、相手が自分の足で立てるようにすることだからです。

たとえばアフリカなど、水がない地域なら、井戸を掘ることを教えたり、食物がないなら、農作物を作ることを教えたり、日本人はけっこうそういう支援をおこなってきていますね。
それらは当地の人びとが支援物資をあてにせず、自分たちで生きていくために必要なポジティブな支援です。

★相手を助ける最善の方法は、支援者側の意識レベルによっても変わり得るものです

ときには、難民たちが自分で自分のとるべき道を選び、自分の足で立ちあがり、しっかりと歩いてもらうことも必要でしょう。
そういうときには、わたしたちは何も介入しない(援助をしない)ということも大切です。
場合によっては、「放っておいてあげることが最高の贈り物となる」ということもあるということですね。
とにかく支援者は、相手に「自分のことは自分でする力をつけてもらうためにはどうしたらよいか?」を常に念頭に置いておくことが大切です。もちろん寝たきりの高齢者や重度の障害者に対しては別ですが。


★支援者のなかには、自分の人生で「だれかを助ける約束」をしてきている場合があります。
特定の相手に対して支援をしているような人は、たいてい生まれる前に相手と契約を交わしてきている場合が多いのです。
それは、両者の過去生の関係性を調べれば、わかることです。
たとえば、ヘレン・ケラーをサリバンが支援したように、また、ゴッホを弟が支援したように…。

ただ、どんな場合であっても、相手を甘やかさず、相手が自立していけるような方法で、最善の支援策を考えるということが大切です。


★ 相手の力を弱めてしまう支援とは? ★

 

『神との対話』という本に、つぎのような興味深い質問が載っていました。

★どんなときに支援の手を差しのべると、相手の力を弱めることになるんでしょうか? 
相手の成長をうながすどころか、じゃまになるのは、どんなときですか?


それに対して、「神と名のる存在」はつぎのように答えています。

あなたの助けが、自立ではなく、「ひとをあてにする気持ち」を助長するときだ。
相手が自立するのではなくあなたに依存しようとするのを、同情のつもりで許したときだ。
それは同情ではなく強迫観念だ。
その種の手助けとは、ほんとうは権力欲なのだ。
そのちがいは非常に微妙で、自分でも権力欲だと気づかないことがある。
相手を助けようとベストをつくしているのだと本気で思う……
だが、ほんとうは自尊心を満たしているだけではないかと、つねに自分を振り返りなさい。
相手に対する責任を引き受ければ引き受けるほど、あなたは相手に対して権力をもつことになる。
もちろん、あなたは良い気分になるだろう。
だが、そんな援助は、弱者をまどわす媚薬だ。

(二―ル・ドナルド・ウォルシュ著 『神との対話』 サンマーク社 参照)



★「ひとをあてにする気持ち」というのは、だれにでもあることです。
特に災害に遭ったとき、「何で私がこんな目に遭わなければならないのよ!」とまでは思わないにしても、
「緊急に救援活動をお願いします」から始まって、
「水が足りない。食物が足りない。物資が足りない。だれか何とかお願いしますよ」とか、
「物資はまだなの? なぜここには来ないの? 政府はいったい何をしているの?」となり、
最初は生きているだけでもありがたいと思っていたのが、しだいに「あれがほしい、これがほしい」と要求がエスカレートしていき、それが叶えられないと、どんどん不安と不満が募っていくわけです。
救援、支援されて当たり前、それに依存する…というようなことは、「カルマの法則」や「引き寄せの法則」を知らない、あるいは信じない人だからこそできることです。

「神との対話」で「神と名のる存在」が言っている通り、「ひとをあてにする気持ち」を助長したり、相手が自立するのではなく支援者に依存しようとするのを、同情のつもりで許すことは、けっして相手のためにはならないということです。
ですから、相手のいいなりになって、何でもしてあげなければならない(~すべき・~せねばならない)という思いは捨てることです。


★大変冷たい言い方になるかもしれませんが、その人たちを幸せにする義務など、だれにもないのです。
真の幸福は、自分の困窮した状態をほかのだれかに頼って解決しようとすることから来るのではなく、自分自身の内なる豊かさを育むことからやってくるからです。
 

このようなピンチに陥ったのは、自分の底力を試すチャンスだととらえれば、不平不満は絶対に生じないはずです。1個のおにぎりと少量の水がもらえたら、ただただ、ありがたいという感謝の気持ちが湧き起こるのみでしょう。

私事で恐縮ですが、わたしは旅先ではあまり食事をとりません。
特に一人旅の場合は、それこそコンビニのおにぎり1個と少量の水だけで一日中歩き回りますし、食べないときもあります。それで、元気が出ないかというと、逆に身軽で元気なのです。
小食に慣れていると、基本的につよいです。
だから、皆さんにも小食をおススメしています。
(過去記事「小食は地球を救う―その1 一日二食のススメ」を読んでくださいネ)

また、若いころ、自らを試すつもりで7日間断食をしたことがありました。
それも、家族の食事を作りながら、自分だけは食べないという厳しいものでした。
さすがに7日目には目から光が飛び散るような状態でしたが、死にませんでした。

人間は水さえ飲んでいたら、そう簡単には死なないものです。
光と水(プラーナ)だけで生きている人たちも存在するのです。
「食べ物を食べないと死んでしまう」と思い込んでいる人たちは、その通り食べないと死にます。
思いを制限していると、その通りになってしまうのです。

わたしたちは自らが思うところのもの」だからです。
心ひとつですべてを創る」からです。
すべてのものごとは自らの思いによってたちあらわれる」からです。 

思いの制限をひらいてください。

あなたが恐れと不安で震えていたら、心がネガティブエネルギーでいっぱいであれば、たとえおにぎりを3個与えられたとしても死んでしまうでしょう。
要するに、意識をどこに持っていくかのちがいです。
思いの方向をポジティブかネガティブか、どちらに持っていくかで、生と死が決まるのです。
まったく真逆の方向になるということです。


★ わたしたちにできること ★



★わたしたちが不運な人たちに何をしてあげられるか? と考えたとき、唯一できることがあります。

それは、自分自身が何者かを思い出させてあげることです。

あなたはだれなのですか?」と。

そして、どこから来たのかを、思い出させてあげることです。

あなたはどこからやってきたのですか?」と。

最後に、何をするためにここにいるのかを尋ねることです。

あなたはいったい何をするために生まれてきたのですか? 
ただ何もせずに人から与えられたものを食し、死んでいくのを待っているだけですか?
」と。

あなたは自分がだれであるのかを緊急に思い出す必要があります。それを思い出してください」と投げかけることです。

あとは、その人たちに任せればよいでしょう。
彼らの選択の自由を認めてあげればよいでしょう。

★わたしたちは、いつも自分の思考を現実化している創造者です。


わたしたちが災難に遭った人たちを、不運な人、可哀そうな人と思えば、彼らは不運な人、可哀そうな人たちになってしまいます。
わたしたちが自己満足のためや、だれかに認めてもらうために援助をするのであれば、援助を必要とし、それに依存するような不幸な人たちをどんどん創造していくことになります。

不幸な人を援助することで、さらに相手を不幸にしているのだとは、だれも思わないでしょう。
でも、そういう「逆の現実を創っている」という事実も、おおいにあるということなのです。
わたしたちはそういうことに気づいている必要があるということです。


どうか「相手の力を弱めてしまわない支援」をお願いしたいと思う次第です。




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