マザーテレサの生涯―彼女に起きた神秘体験とは?

2011年03月04日 00:10

マザー・テレサは18歳のときに、マケドニアを離れてイエズス会のロレット女子修道会に入り、そしてインドのカルカッタ(現コルカタ)で修道院生活を始めました。
それから18年経ち、テレサが36歳のときに大転機が訪れます。
それが“イエスを見、イエスの声を聞く”という神秘体験でした。

それはダージリンへ向かう列車の旅の最中に起きました。
そのときテレサは、イエスから「修道院を出て貧民街に行き、もっとも貧しい人に仕えなさい」との召命(しょうめい)を受けたといいます。
それが発端となり、38歳のときに修道院を出て、院外居住者としての生活を始めるようになり、その2年後に「神の愛の宣教者会」を開設したのです。

テレサの人生を大きく決定した神秘体験については、彼女自身も生前少しは語っていたようです。
しかし、テレサの死後に出版された書籍や “Come Be My Light”によって、さらに詳しい内容が明らかになりました。
では、どのような神秘体験をしたのか、数冊の文献に載せられたテレサの証言を参考にして見ていきましょう。


★ テレサの神秘体験とは? ★



インドのカルカッタ(現コルカタ)で修道院生活を送っていたテレサは、結核の兆候が見られたので、空気のきれいなダージリンに行って静養するようにと命じられ、1946年9月10日、ダージリンへと向かいます。
その列車のなかで、テレサが祈っていると、眼前に突如十字架につけられたイエスの姿が現れたのです。そのとき、イエスは “I THIRST” 「私は渇く」と叫ぶのです。
十字架につけられたイエスのそばには、母マリアや使徒ヨハネやマグダラのマリアの姿も見えたといいます。思いがけない光景に遭遇し、テレサはひどく混乱しました。

列車の中での神秘体験をどのように考え受け止めてよいのかわからず、一心に祈っていると、聖母マリアが現れて「イエスの言われることに“はい”と言って従いなさい。今はわからなくてもその言葉に従いなさい」と語りかけます。

それでも決心が固まらないテレサに対して、イエスは再び現れて呼びかけます。
イエスの声は、早く修道院を出て貧民街に移るようにと催促しました。
下記はイエスがテレサに語ったという内容の一部です。

「私はインドの修道女がほしい。マリアやマルタになることのできる、私の愛の犠牲者がほしい。人々に私の愛を輝かせるほどに、私と一体になるような者がほしい。十字架の私の貧しさに包まれた自由な修道女がほしい。十字架の私の従順に包まれた素直な修道女がほしい。十字架の私の愛に包まれた思いやりにあふれた修道女がほしい。
おまえは私のために、このことをなすことを拒むのか」

「おまえは、私のように人々のために死んではいないではないか。だから、彼らに何が起こっても気にならないのだ。
おまえの心は、私の母の心のように、悲しみにおぼれたこともない。私も私の母も、人々のためにすべてを与えたが、おまえはどうだ。おまえは私の呼びかけを、自分の召命を失うこと、世俗的になること、また辛抱強さを失うことのように考えているではないか。
何を恐れているのだ。おまえの召命は人々を愛し、苦しみ、彼らを救うことだ。そしてこの一歩を踏み出すことは、私の願いを満たすことになるということを知るがよい。それがおまえの召命なのだ。

おまえは粗末なインドの着物、私の母が着ていたような質素で貧しい服をまといなさい。
今のおまえの修道服は私の象徴であり、聖なるものである。
しかし、今度のサリーはいっそう私の象徴であり、聖なるものとなるであろう」


(五十嵐薫著『マザー・テレサの真実』PHP文庫参照)

このようなイエスの言葉に対して、「ロレット修道会でこれまで通りあなたのために努めていきたい」とテレサが述べると、イエスは次のように語ります。

「私は、インド人の神の愛の宣教者たちがほしいのだ。最も貧しい人々の中にあって、病気の人や死に行く人々、小さなストリート・チルドレンの中にあって、私の愛の炎となりうる修道女になってくれるような神の愛の宣教者たちがほしい。おまえに貧しい人々を私のもとへ連れてきてほしいのだ。そうしたら自らの命を私の愛の犠牲として捧げる修道女たちは、貧しい人々の魂を私のもとへ連れてきてくれるだろう。
私はおまえが最も無能で、弱く、罪に汚れていることを知っている。しかし、私はそういうおまえだからこそ、私の栄光のために使いたいのだ。
それでもおまえはこれを断ると言うのか」


(五十嵐薫著『マザー・テレサの真実』PHP文庫参照)

テレサは恐くなって、イエスが求める使命を自分から取り除いてくれるようイエスに頼んでほしいと、聖母マリアに懇願します。
しかし祈れば祈るほど、イエスの声はますます鮮明なものになっていき、駄目押しするかのように、テレサに語りかけるのです。まるで脅迫しているかのようにです。

テレサはイエスの言葉を記した手紙をペリエール大司教に送った後、ダージリンからアサンソールに移動します。そして徐々に、イエスの召命に従って生きていくことを決意するようになるのです。
そして、アサンソールで瞑想の日々を過ごし、そこでイエスとのさらなる神秘体験を続けていくことになります。

テレサは「アサンソールでは、まるで主(イエス)が私に自分を丸ごとくださったようでした。しかし甘美で慰めに満ち、主と固く結ばれた6カ月はあっという間に過ぎてしまいました」と述べています。


★ テレサに現れたイエスとは? ★



★さて、ここで重要な点は、テレサが見たり聞いたりしたイエスの姿や声が、本物だったかどうかということです。
あなたはこのイエスの言葉を読んでどう感じられましたか?
本物と思いましたか? それとも偽物と感じましたか?
これは、あなたの直観的知覚力を試すのによい材料になるかもしれません。

テレサは最初の頃はイエスのことを「だれかが」と言っています。
何者かわからないものが自分に対して「インドで貧しい者のために働け」と言っていると、恐怖さえ感じていたのです。これは、正常な感覚だったとわたしは思います。
しかし、度重なるその声をイエスと信じるようになっていったのです。

★では、実際その声はだれのものだったのでしょうか?

わたしはその真実をハイアーセルフに尋ねてみました。
その声は本物の「イエス」でしたか? 
答えはノーでした。
洒落ではありませんが、答えはイエスではなかったのです。
実際には、それはイエス本人のものではなかったということです。
では、だれの仕業かということですが、「かつてインドで生きていた貧しい霊人の集団」とだけ言っておきましょう。(これは、あくまでもわたしの意識レベルでの調査なので、鵜呑みにはしないで、自分で判断してくださいね)

テレサは「イエスとの合体」という体験をしたと言っています。
これは昔から「神との合一体験」や「接神体験」として知られてきたものです。
これは、神と一体になったかのような感覚のなかで、霊的エクスタシーを体験する神秘現象です。
このエクスタシーの世界を一度体験すると、魂にその強烈な刺激が刻印されて、再び最高の歓喜、幸福感を味わいたいと渇望するようになるようです。

わたしもそれらしき体験をした記憶がありますが、一度で十分満足感がありました。
ただ、私の場合は、神やイエス・キリストではなく、ハイアーセルフとの一体、男性性と女性性の合体というものでしたが。

テレサはこの体験をしたために、病みつきになってしまったというのが実情でしょう。
とにかくその至福の体験がそれ以降得られなくなったことで、彼女の「心の闇」が始まり、深くなっていったのですから。
ただし、その相手は本物のイエスではなかったということです。
(テレサから相談を受けていた5人の司祭、神父たちは、テレサが言っている「イエス」が本物か偽物かという判断ができなかったのでしょうか?)

テレサはイエスその人につぎのように言っています。

主よ(イエス様)、あなたは幼少期より私を召命され、あなた自身のものとしてこられました。
私たちは共に同じ道を歩んできましたが、今、私はそれに背いて別の道を行こうとしています。
地獄にいる者は、神を見失ったために永遠の苦しみを味わうようになると言われていますが、そうした彼らでも“神がいる”というわずかな希望があるならば、あらゆる苦しみを耐え忍ぶことができます。
しかし私の魂は神を見失い、神が私を必要としていない、神が存在していないという魂の激痛に苛(さいな)まれています。
主よ、どうか私の不敬をお許しください。
私は「すべてを語るように」と言われました――私をすっぽりと取り囲んでいる闇の中で、私は自分の魂をあなたに向けて高めることができません。
光もインスピレーションも私の魂に入ってきません。
私は人々の魂に向けて、神の慈愛を語っていますのに……。

私は、いったい何のために働いているのでしょうか? 
もし神が存在しないとするなら、魂は存在できません。
もし魂がないのなら、主よ(イエス様)、あなたも真実ではありません。
 

私の心には信仰がありません。愛も信頼もありません。
あまりにもひどい苦痛があるだけです。

あなたと私との間には、恐ろしいほどに高い垣根(分離)があります。
私はもうこれ以上、祈ることはできません。
あなたと私を結びつける祈りは、もはや存在しません。
私はもう祈りません。私の魂はあなたと一つではありません。

私はあなたが、大きな愛と力をもって私を今の仕事に召命された事実を疑ってはいません。
私を呼び寄せられたのがあなたであったことを、私は知っています。
この仕事は、あなた自身がなすべきものであるからです。
しかし私には信仰がありません。
私は信じていません。
イエス様、私の魂を惑わせないでください。
 
(“Come Be My Light”より)


★ 霊能力の危険性 ★



★テレサには霊能力があったと言う人もいますが、霊能力というものは、あっても災いをきたすだけだとわたしは思っています。
記事にも度々書いていますが、実際のところ、霊視や霊聴が可能だったとしても、それが本物であるかどうかの証拠などはどこにもないからです。
霊界の人たちは、光輝いてイエスのように本物らしく装うことなど、朝飯前なのです。
そのようなものを信じることによって、とんでもない方向に行ってしまうことは少なくありません。ですから、霊視や霊聴ができるようになりたいと思っている人に多大の危険性を感じるのです。

わたしがかつて過去生で可能だった透視能力や透聴能力を止め、今生では「見えない存在」に対して、直観と超感覚知覚力のみでとらえるようにしているのはそのためです。
その直観と超感覚が正しいかどうかを確認するために「クリスタルのペンジュラム」というツールを常に使っていますが、これも「ハイア―セルフとのつながり」と「守護神たちの守り」、そして「クリスタルとの深い信頼関係」がないと危険性が伴うために、一般の人にはお勧めすることができません。これについては、またいつか別の記事に記載する予定です。


★霊的な存在の意識レベルを判断する上で大切なことは、高級霊であればあるほど、「~せねばならない」とか、「~するべき」とか、指図や命令するようなことはけっして言わないということです。(守護霊はときどき希望を示すこともありますが、あくまでも希望であり、強制はしません)
まして神に対する服従を強いたり、マインド・コントロールしたりなど、するはずがありません。もともと自由意志を与えたのは神なのですから、相手の選択の自由を認めるのがほんとうです。
そして、意識レベルが高くなるにつれ、集合意識化して、個々人に対する望みなどはなくなり、「だれが何をしようとすべてはOKである。あなたの人生なのだから、お好きなように」というふうになっていきます。


テレサに「おまえは私のために、このことをなすことを拒むのか」とか、「私の栄光のために使いたいのだ。それでもおまえはこれを断ると言うのか」というような脅しのような言葉を繰り返し投げかけてくる者が、意識の高い存在でないことぐらい判断できるはずですね。

★もうひとつ、大切なことをお伝えしておきたいと思います。
それは、そういうものが見えたり聞こえたりしても、マザー・テレサのように執着してはいけないということです。
もし何かが見えたとしても、それは所詮は仮相なのだと知ることです。
決して本質を見ているわけではないということです。
本質は「空」以外の何ものでもありません。
「空」は目に見えません。
ですから、だれの目にも「本質」が見えるはずがないのです。
この世で起こっていることはすべて幻想なのだということです。
そして、意識レベルが異なれば、同じものがちがって見えたり、感じられたりするということです。


ということで、今回は「マザー・テレサの神秘体験」について触れましたが、次回は彼女が生涯つづけた「奉仕活動」というものにフォーカスしてみたいと思います。



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