教育とは―その6 すべての生き物を尊ぶ教育 

2011年01月26日 19:30



2回にわたって、トム・ブラウン・ジュニア著の「ヴィジョン」をご紹介しましたが、今回でとりあえず終わりにしようと思います。
なぜなら、高校生のインディゴさんのように、すでに「ヴィジョン」の本を買った方もおられるからです。あとは、自分で楽しみ、感動していただきたい! と、切に思うからです。

「自分が読みたい!」と思ったら、すぐに買って読む。
これは、まちがいなく「真の行動」です。
こういう人は、自分に素直で、気づきが早いです。

わたしは、読みたい本がつぎつぎと現われてくるときは、それが「わたしにとって有益な本であるかどうか」をハイアーセルフに尋ね、「YES」の場合は、インターネットで即注文することにしています。
その時期によって、自分に必要な内容があるので、「読みたいけど、今お金がないしなぁー」なんて考えて放置していると、大切なものが得られないままになってしまうからです。
結果的には、「やはり買ってよかった!」と納得ができます。

ハイアーセルフが「NO 」と言う場合は、「それは有益ではないから、読む必要はないよ」と言っているわけですから、わざわざ買いませんが、「読んでも読まなくても、どちらでもいいよ」という場合は、半分くらいは試しに買っています。でも、満足度は、「今いち」というのが真実です。

本を読むというのは、アクティブなことです。
外側に向かって行動できないときは、じっくりと本を読んで、内側を充実させ、自分に豊かさを与えることです。

内側が十分に充電されると、また外側に働きかけたくなってきます。
わたしの人生は、これが交互に来て成り立っています。
今までは充電期間でしたが、そろそろ外側に向かいかけているところです。
雪の下でじっとその瞬間を待っている新芽さながらです。

この「ヴィジョン」に登場するグランドファーザーの教えのすばらしさは、至る所にちりばめられていますが、特にわたしが感動した箇所を要約してご紹介します。


★ すべてが先生 ★



12歳になったトムは、グランドファーザーから初めて狩りを経験するときが来たことを告げられます。
先祖の儀式に従って、近距離から自分の手で大きな動物を狩るというのは、一人前の男となるために必要だったからです。

トムはたびたび断食をおこない、祈りの時間を持ち、スエット・ロッジによる浄化をし、動物をしとめるための槍を作る作業に何時間も費やします。
秋におこなう狩りを、彼は早春の頃から準備したのです。

しとめる動物はシカでした。
自然の法則に合わせ、弱いものや病気のもの、冬を越せそうにないシカを探したのです。

トムが選んだのは、その年の春に生まれた小さなオスのシカでした。
その小ジカはケガを負い、脚を引きずっていて、走ることができなかったのです。

初秋を迎えるまで、トムはその小ジカの後を追い、観察しつづけます。
彼はその小ジカと母親のシカといっしょに暮らしているといってもよいほど、接近していたのです。
そのうち彼らはトムの存在に恐怖心を抱かなくなっていき、トムを受け入れるようになっていきます。

狩りは自分の中の「動物」と「本来のマインド」によっておこなうのだと、トムは言います。
彼はマツの木の上から小ジカがやってくるのを待ち、木の下に来たら飛び降りて、槍で首の動脈を切ることを何度もシミュレーションするのです。

そして、とうとう狩りをおこなう瞬間がやってきます。
そのようすを、つぎのようにトムは記しています。


やぶから出てきた小ジカが、マツの木から数メートルのところで立ち止まり、木の上にいる私のことをじっと見つめていた。
小ジカはとても弱々しく見えた。
人間の存在に当惑してしばらくがたがたと震えていたが、それが私だとわかると、これまでのように信用して、ためらうことなく私の方へと歩き出した。
私はそれまで一切攻撃的なことも脅すようなこともしなかったので、よろよろ歩くシカの足取りには恐怖を感じているようすはなかった。

私は何も考えず、シカが進んでくるのをじっと眺めていた。
分析も、時間や場所の観念も存在しなかった。
私と小ジカと、そして狩りだけだった。



トムは木の上から飛び降りて、小ジカを地面へと押しつぶし、首の後ろあたりを槍で切りつけます。その激しい動作によって、槍は折れてしまうのです。
つぎの描写には、そのときの凄まじさがうかがえます。


小ジカは痛みのために激しくのたうち回った。
その瞳にはものすごい虚不信が宿っていて、私の魂へと訴えかけるようだった。
にもかかわらず、私の中の「動物」はシカの首をつかみ、窒息死させようと力を込めた。
動脈から噴き出した血が、地面や私の顔や体を真っ赤に染めていった。
さらに、唸り声を上げながら、私は小ジカの頭を地面に激しく叩きつけた。
私の体は恐ろしい興奮状態に震え、噴き出す汗やシカの血がどろどろと身体から流れ落ちていった。

シカはそれでもなお必死に抵抗を続けた。
だが、やがて、動かなくなった。
そのとき、私の指の間からシカのスピリット、シカの命がすり抜けていった。
その目には恐怖だけが浮かんでいた。
死に絶えたシカは目を閉じた。



★シカの頭から手を離した瞬間にトムのなかの激しさは消え、突然感情が押し寄せます。
自分の手によって死んだ小ジカを見て涙があふれ、殺すという行為がもっとも残酷な破壊だと知るのです。
そして、小ジカと友だちのように仲良く一緒に過ごしてきたことを思い出します。

「一人前の男になるための儀式」のために、自分を信用してくれた友だち(小ジカ)の人生を奪ってしまった。そんな自分を軽蔑し、トムは激しい怒りを覚えるのです。
そして、この狩りを讃美し、トムにシカを殺すことを命じたグランドファーザーを、それ以上に軽蔑し、憎んだのです。

トムは決意します。
グランドファーザーの足元に小ジカを置いたら、永遠に森を去ろうと…。
もうグランドファーザーと関わりをもつのは、まっぴらごめんだと、彼は思ったのです。

キャンプ地でトムを待っていたグランドファーザーは、トムが言葉を発する前に、こぶだらけの指をトムに向けて、こう言います。


グランドサン、
その小さなシカに対する今のおまえの気持ちを、
地面から抜いた草の葉一枚に対しても
同じように感じることができたら、
そのとき初めて、
そうして初めて、
おまえはすべての存在と《一つ》になることができるであろう。

  

        こじか
              ソザイング提供 「振り向いた小鹿」より



★その瞬間、トムは気づくのです。

自分が、シカや一部の大きな動物だけを大切だと思っていて、他の小動物や植物の叫び声や痛みにまったく気づいていなかったことを…。

植物や小動物だって、シカと同じように大切だということを…。

彼らだって、ほかの生き物と同様に生きる権利があるということを…。

たとえどんな体に宿っていようと、命は命、スピリットはスピリットであり、自分たちと同じように痛いと感じるということを…。 

岩や水や土のスピリットは植物のスピリットよりも低く、植物のスピリットは動物のスピリットより低いと考え、知らず知らずのうちに、スピリットの階級を作り上げていたトムは、それがネイティブ・アメリカンの教えに反するものだったことにはっきりと気づくのです。



雑草
            雑草

         
★私事ですが、もう20数年前のこと、庭の雑草が生い茂り、かなりひどい有様になっていたので、しかたなく草むしりをしようと思ったことがありました。(草取りは夫が担当だったのですが)

「人間って勝手なんだよね。きれいな花を咲かせている植物は残しておいて、その他の雑草は全部抜いてしまおうなんて、ホント勝手だよ。ごめんね、悪いね」

そんなふうに心のなかで思いながらも、抜き始めたのですが、ある草に手を触れた瞬間、わたしはその草から発している悲痛な叫び声を聞いたのでした。
「わかった、もうしない!」
それ以来、どんなにむさ苦しい庭になろうとも、草むしりはできなくなりました。
部屋の観葉植物の黄色くなった葉っぱをとるときも、必ず「ごめん、とらせてね」と言ってからにしています。


グランドサン、
その小さなシカに対する今のおまえの気持ちを、
地面から抜いた草の葉一枚に対しても
同じように感じることができたら、
そのとき初めて、
そうして初めて、
おまえはすべての存在と《一つ》になることができるであろう。



このグランドファーザーのことばは、トムだけでなく、読む者の心にも大きな打撃を与えます。
一人前の男となるためにシカを殺す儀式」と「すべての生き物の生命を尊ぶ教育」とは、まるで逆説であるかのように思えます。しかし、そのパラドックスは、グランドファーザーの一言によってみごとにつながり、統合されるのです。


(人間は)宇宙の法則に従って生きるのではなく、
自分とほかのすべてを切り離し、
その一番上に立っていると感じている。

人間は本当のものを見失ってしまい、
自分の現実に対して無知だから、
自分が間違っていることもわからないのだ。

人間は自分と違う姿をしているものは劣っていると見なすので、
痛みを知ることもない。
血を流したり、音を発することがない存在には、
スピリットなど存在しないし
痛みも感じないと思っているのだ。


子どもたちよ、
その経験の有無にかかわらず、
すべての人や物事は先生なのだ。
もし、私たちが耳を傾けることができたら、
それぞれ何かを教えてくれるはずである。




ハート
グランドファーザーが、子どもたちに教えてきたこと。
それこそが「真の教育」と呼べると、わたしは思います。

ネイティブ・アメリカンやアボリジニ(先住民)と呼ばれる人たちは、
今もなお、このようなすばらしい教育方法を受け継いでいるのだということを、
わたしたちは真剣に思い返してみる必要があるのでは? と思います。

さて、あなたは、どう感じられたでしょうか?

この記事や、トム・ブラウン・ジュニア著の「ヴィジョン」から気づかれたこと、
感動された箇所などがあれば、ぜひコメントください。






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