わたしたちから始めよう! ―大好きなことを仕事にしよう―

2011年01月09日 01:00


あなたは今何かの仕事に携わっていらっしゃいますか?
そうであるなら、自分の仕事に生きがいを感じておられるでしょうか?

あなたは、自分の仕事が好きでしょうか?
仕事を楽しんでおられるでしょうか?

もし、答えが「NO 」であるなら、なぜ好きでもなく、楽しくもないその仕事をしているのでしょうか?

給料がよいからですか?
家から職場が近いからですか?
人間関係が他に比べてよいからですか?
その仕事しか、なかったからですか?

いや、どれもちがうというあなた、では、いったいなぜその仕事を選んだのでしょうか?

そこでなら、自分の能力が少しは発揮できて、人からも認められ、社会的にも一様受け容れられるから…と考えたからでしょうか?

わたしの長女は、学校を卒業して以来、さまざまな仕事を転々としてきました。
数多の資格をもっているためか、どこでも重宝がられ、軽い気持ちで面接を受けても、たいてい合格し、募集をしていないにもかかわらず社員として入社できたり、不思議と優遇されたりするのです。

ところが、どんなに優遇されても、本人は一向に嬉しくもなく、3日も行けば社内の雰囲気がいやになり、仕事が退屈で、もう早々と辞めようかと考え始めるのです。

「こんなところで、こんな人たちと、こんな安月給で、とてもやってられないわ」というわけです。
そうすると、翌日から会社に行くのがイヤでイヤで、たまらなくなるのです。
心がネガティブになっていますから、体調もしだいに悪くなります。
登社拒否ですね。その繰り返しです。

なぜ、そんなことになるのでしょうか?

それは、仕事を始める動機が、まったく純粋でないからです。
ただ、お金がほしいから仕事を探しているからにほかなりません。
目的が仕事ではなく、お金のほうにあるからですね。

本人もそれは重々承知していることなのです。
長女には、ほんとうはしたいことがあるのです。
それは、本人にとってはとても楽しい創造性のある仕事です。
しかし、自分にしかできないその楽しい仕事を、無一文から始める勇気や気力が持てないのです。
だから、とりあえず、手っ取り早く、給料をもらえる所を探すわけです。

給料をある程度もらうためには、当然その仕事に拘束されます。
そうすると、自分のしたいことをして楽しむ時間が失われていきます。
それは、本人にとっては一番いやなことで、最もしたくないことなのです。
でも、なぜかそれをしているのです。
危険に満ちた生を生きる」という選択ができないんですね。


★ 大好きな仕事をして生きたゴッホ ★



画家であったフィンセント・ファン・ゴッホは、1853年オランダに生まれ、1890年に亡くなりました。
自分の家もなく、食べるものもなく、着るものもない貧しい境遇のなかで、精神的な病に苦しみながらも、絵を書きつづけた人です。

ゴッホは自画像をたくさん描いていますね。
あれだけ自画像を描いた人はいないのではないでしょうか?
おそらくモデルを雇うお金がなかったからだと思われますが、
絵の練習には、自分を描くのが一番手っ取り早かったのでしょう。


     ゴッホの自画像
     ゴッホの自画像(1888年 ゴッホ美術館蔵)


絵に関しては、彼が生きているときには、たった一枚しか売れず、彼の才能はほとんどだれにも認められなかったといわれています。
唯一彼の弟だけが、ゴッホのきらめく才能を知っていたのです。

そんな弟に金銭的に世話になりつづけながらも、自分が描きたいものを描くことができたゴッホは、とても幸せであったにちがいありません。

しかし、ゴッホは37歳で自殺してしまいます。
彼は弟夫婦に迷惑をかけていることを随分苦にしていたようですから、それが原因なのかもしれませんし、彼の精神的な病(狂気)が原因なのかもしれません。

とにかく、ゴッホは大好きな絵を描いて生きたのです。
今では、ゴッホの名前や絵を知らない人はいないほどで、絵は何百万ドルの価値がついています。
彼が生きていたら、さぞかし驚愕することでしょう。

でも、当のゴッホは、人々に認められようと認められまいと、「絵を描く」という仕事に価値を見出し、それを愛しつづけたのです。

大好きな仕事をして生きたゴッホ
彼の満足感は、人に認められることなんかではなく、自分の好きな風景や人物をキャンバスの上に自分らしく表現することにあり、それを楽しむことにあったのです。



ゴッホ




夜空に輝く星々の独特な表現は、
ゴッホ自身の言葉によると
夜空に咲く「天国の花」なのだそうです。

カフェテラスの黄色と夜空の青色、
杉の木の緑色の鮮やかな色彩描写は、
最も注目すべき箇所。
石畳の複雑な色彩表現も、すばらしいですね。



夜のカフェテラス(アルルのフォラン広場)
(1888年クレラー=ミュラー国立美術館)



★ 自分のハートの鐘を鳴らす何かを選ぶこと ★



インドの神秘家OSHOは言います。

人に感心されたり、認められたりしなければならないということが、あらゆる人間の問題であることを思い出さなければならない」と。 
  
私たちは社会のなかで、つねに人に認められないかぎり、自分は無価値なのだということを教えられてきている。為す仕事が重要なのではなく、認められるということが重要なのだ」と。


これがものごとを逆さまにしている。
為される仕事が重要であるべきだ。
それ自体が喜びであるべきだ。

人は認められるためにではなく、
創造的であることの喜びゆえに、
その仕事を愛しているがゆえに、
仕事をすべきだ。



彼はまた、こうも言っています。


便利さや居心地のよさを、
名誉や社会に受け容れられること、
尊敬を選んではいけない。
自分のハートの鐘を鳴らす何かを選ぶのだ。
どのような結果になろうとも、
自分のしたい何かを選ぶのだ。



★もしあなたが居心地のよさを、快適さを選んだら、そのときには、あなたはけっして自分らしく、強烈に生きることはできなくなります。
簡単」、「便利」、「ここちよい」という、社会が支持するそれらを選んだなら、あなたは心理的なドレイになるということを意味するからです。
好むと好まざるとにかかわらず、あなたからあなたの自由や個性は失われていくことになるということです。


★自由を失いたくないのなら、個性を失いたくないのなら、ゴッホのように生きることです。
たとえ、自分の家がなくても、食べるものがなくても、大好きなことをして生きることです。
自分のハートの鐘を鳴らす何かを選ぶのです。

結果を気にしていては何も始まりません。
この瞬間瞬間に、したいことだけを全面的に実行するのです。
そうすれば、あなたはけっして後悔することはないでしょう。

なぜなら、毎瞬毎瞬が、あなたの最高、最善の行為となっているからです。
わくわくするような生のきらめきが、そこにあるからです。

危険に満ちた生」の裏には、「至福に満ちた生」が存在するのです。



さて、あなたは今どちらを選びますか?

やはり、便利さや居心地のよさ、名誉や社会に受け容れられることを選びますか?

それとも、どのような結果になろうとも、自分のしたい何かを選びますか?
危険に満ちているけれども、自分のハートの鐘を鳴らす何かのほうを…。




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