両方の極を見ない限り、この世界の真実の姿を見極めることはできない 

2010年12月27日 23:00


カテゴリ「男性性と女性性を統合する」を書き進めてきましたが、「男女両性具有が人間の究極の姿である」ということを、ご理解いただけましたでしょうか?

わたしが述べる男女両性具有は、「男性性と女性性の統合」のみを指しているのではありません。
そこには、「すべてにおける二極性を統合する」という意味が含まれているのです。

この世界には必ず相反するふたつのエネルギーがあり、現象があります。
光と闇、男性と女性、霊と肉といった対立するもの同士は、両極化をたどります。

でも、それらはいつでもどこでも存在しているものであって、電池のプラス極とマイナス極のごとく、どちらが善くてどちらが悪いというものではありません。
両者に優劣はなく、どちらもこの世界になくてはならない必要不可欠なエネルギーなのです。

地球をつつむ銀河系宇宙に、相反する二元性が存在しているのと同様に、人の心にもそれらは内在しています。

優越感と劣等感、自立心と依存心、能動と受動、論理と直感、信頼と懐疑など。幾多の二元性から成り立っていますね。
一般的にはどちらかに偏っていることが多いようですが、それでも二律背反の葛藤に悩んだ経験は、だれにもあると思います。

そんなふうに、「だれにも光の部分と闇の部分が必ず存在している」にもかかわらず、自分はポジティブ志向だからと言って、ネガティブなことには一向に目を向けようとしない人たちがいます。
そういう人たちは自分の心のなかに存在する闇の部分を見るのが恐く、認めたくないために、その行為から逃げているのです。

彼らには、「光は善で、闇は悪」、「プラス志向は善にして優越」、「マイナス志向は悪にして劣等」という激しい思い込みがあります。
これは、道徳にこだわる人や宗教を信仰している人たちに多くみられるようです。
神は光で善なるもの」、「悪魔は闇で悪なるもの」というふうに…。

そういう考えに陥り、自分の内奥に闇の部分があるにもかかわらず、決して目を向けないという行為自体、ポジティブとは言い難く、そういう人こそネガティブ志向なのですが…。


★ 神と悪魔は一個のコインの裏表 ★
 

―両方の極を見ない限り、この世界の真実の姿を見極めることはできない― 


過去記事「宇宙創造主のもくろみ その1」で、最初全体でひとつであった〈大いなる宇宙の意識&意志エネルギー〉が分裂し、〈二〉を生んだことをお話ししました。

〈二〉が、もとは〈一〉なるものであったと考えることで、この宇宙に存在する対立物は、すべて〈大いなる宇宙の意識&意志エネルギー〉の側面であるということがわかります。


つまり、神と悪魔の出所は同じだということですね。
それを一個のコインの裏表と考えることもできます。
コインの表が神なら、裏は悪魔だということです。

表があれば、必ず裏がある。
裏のない表というものはない。
これは、宇宙の秩序であり、法則です。



となると、善にこだわり、ポジティブ志向にこだわる人は、ものの半分しか見ていないということになりますね。
彼らは、この世界にはもう片方の極が存在していて、それもOKなのだということに、全く気づいていないのです。

★両方の極を見ない限り、この世界の真実の姿を見極めることはできません。
何度も繰り返し言ってきたことですが、真理とは全体であり、〈一〉なるものであるからです。

善と悪、神と悪魔は、白と黒のふたつにきっちりと区別されるものではありません。
それを思い起こさせてくれるのが、中国の「二つ巴(ともえ)型太極図」です。


      innyouzu
           太極図


白と黒でできた巴形のなかに、半分の白い部分には黒の点が、
半分の黒い部分には白の点が表されていますね。

黒は陰なるもの(夜、大地、女性、静、受動)などの代表であり、
白は陽なるもの(昼、天、男性、動、能動)などの代表です。

それらの陰陽は、いずれもけっして完璧ではないことを示しています。
なぜなら、それらふたつの巴の中には、互いに互いの対立物が点として混入しているからです。

陰は陽に向かい、陽は陰に向かい、ふたつは限りなく回りつづけています。
どこからどこまでが陰で、どこからどこまでが陽なのか、
陰と陽の境目がどこにあるのか、断定することなどできません。

この未熟なままの陰陽ふたつの巴は、互いに補い合いながら合体し、
一個の統一された円を描いているのです。
見るからに美しい図ですね。

善悪は、陰陽と同じで、相対的なものです。
絶対的な善悪というものはありません。


道徳家は、どこからどこまでが善で、どこからどこまでが悪なのか……
いったいどのようにして見極めるのでしょうか?


★ 善悪は人の立場で簡単に変わりうるもの ★



人は実に自己中心的です。
菜食主義者は肉を食べる人を悪だと思っています。
牛を食べるのが悪だという国があるかと思えば、豚を食べるのが悪だという国があります。
その国では善とされていることが、どこかの国では悪だとされているわけです。

善悪は人の立場で簡単に変わりうるものです。
昨日まで悪とされていたことが、今日から突然善に変わったりもします。
勝てば官軍」とはよく言ったものです。
まちがっていることであっても、すべて正しいとされるのが勝利者に与えられた特権です。
そうやって世界中の歴史が、勝者が変わるたびに摩り替えられ、都合の悪い部分は塗りつぶされ、闇に葬られてきたのです。

思うに、この世に絶対的な悪があるなら、初めからその存在そのものが許されないはずなのです。
存在しているということは、その存在が許容されているということにほかなりません。
宇宙はすべてが許された自由意志の領域として、デザインされているからです。

★〈宇宙の大いなる意識&意志エネルギー〉がすべてを創造した創造主である限り、「悪魔の性質は創造主のなかにも内包されている」ということを、決して忘れてはなりません。
善いとか、悪いとかは、人間の観念です。
宇宙自体には、善も悪も無いというのが真実でしょう。



しかし、世界中にある宗教は善悪を教えています。
キリスト教も然り、仏教も然りです。
物事を「善と悪とに区別」し、「悪を為さず善を行なえ」と教えていますね。
それは道徳であって、宗教ではないとわたしは思っています。
なぜなら、真理を正しく伝えていないからです。


何が善で何が悪かはだれにもわからない。
実際何も善ではないし、何も悪ではない。
存在はひとつだからだ。
いかに二が存在しえよう?
それらはすべてひとつだ。

善は悪に変わり、悪は善に変わる。
何がどうなっているのか人にはまったくわからない。
ものごとは絶えず相互に入れ替わっている。
あなたはそれを見守ることができる。
                    OSHOのことば



何が善で何が悪かわからない人間が、至極簡単に「善いことをして、悪いことはするな」と言えてしまうところに、深い驚きを感じるのは、わたしだけでしょうか?




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