単独者となること―天国に入るための必要条件 

2010年12月22日 10:00

 

人はたいてい寂しがりやで、常にそばに誰かがいてくれることを望みます。
恋人たちはいつも寄り添っていますが、考えていることは必ずしも同じではありません。
押し黙った男性に耐えられなくなった女性は、彼に尋ねるかもしれません。
「ねえ、何を考えているの? 何か言ってよ……」と。

ふたりでいても、寂しさを感じることはあるものです。
しかし、ひとりになったとき、孤独感はさらに募り、またすぐに会いたくなり、いてもたってもいられなくなります。
そして、互いに安心感を得るために、彼と彼女は両者の合意のもとに結婚という契約を交わすのです。

ところが、一緒になったらなったで、相手に束縛され、しだいに不自由さを感じるようになり、ひとりになりたいと思うようになっていきます。
他者と一緒になりたいという願望と、他者から完全に自由になりたいという相反する願望は、人間の魂の矛盾する衝動です。

愛か、自由か……。
その選択に悩む人も少なくないでしょう。
その人の最も深い魂の欲求が「自由」である場合は、親密な関係性の中にあって十分なスペースを持っていなかったり、自由が感じられないとイライラして、何かまちがっているのではないかと考え始めます。
そういう人たちは、結婚よりは、親密なフレンドリーネスをもとにした人間関係のほうがうまくいくのです。
絆にからめとられるのではなく、自分自身のスペース、真の自由を与えてくれる大きなスペースを持つことが可能な関係であれば、うまくいくからです。


★絶対的な自由は、独りにならなければ獲得できない★



何よりも自由を望み、ひとりでいることの幸せを感じるタイプの人は、他者という存在がトラブルを生み、苦悩を作り出すことを知っています。
そういう人にとっては、「他者こそが地獄」なのです。
絶対的な自由は、独りにならなければ獲得できない」ことを、生まれつき知っているからです。

イエスは次のように言っています。

イエス、言う。
「選ばれて独り立つ者は幸いである。
その人は〈王国〉を見出すだろう。
なぜなら、人はそこから出てきて、ふたたびそこに戻ることになるからだ」       

(マ・アナンド・ナルタン〈中沢藤胡〉訳版「トマスの福音書」より)



★ 独り立つ者、単独者とは? ★



★「独り立つ者」あるいは「単独者」とは、自分自身と共に生き、自分自身で満ち足りている人のことです。
他者を必要とせず、他者からも必要とされることを求めない人であり、自分ひとりで楽しむことのできる人です。
その人は、完全な自由人といえるでしょう。

絶対の自由、究極的な解放が、魂の到達点です。
イエスはそれを〈神の王国〉と呼んでいるのです。
つまり、〈絶対的な自由〉は、〈絶対的な孤独〉でなければならないのです。
中途半端な孤独は、中途半端な自由しか得られないということですね。



世の中には、自分ひとりでいると心が落ち着かないという人が多く存在することを、あなたもご存知のことでしょう。
ひとりで部屋にいると、「どこかに行かなくては…」とか、「誰かに会わなくては…」「何かしなくては…」と、そわそわし、いてもたってもいられなくなる人たちのことです。

彼らにとって独りでいること、独りで生きることは大変困難です。
彼らの存在は、他者に認められ、他者に必要とされることにあるからです。
相互に依存することで満足している限り、自分独りだけで幸福感に満たされることなど、とうてい理解できないでしょう。
彼らは「自分の存在意義は、他者から来る」と思い込んでいて、「自分の存在意義は、自分自身の存在そのものから来る」ということがわからないのです。


★ひとりでいるときに孤独感や不安感が生まれるのは、〈真実の神〉、すなわち〈内なる源泉〉とつながっていないからです。

ほんとうの安心感は、人と一緒にいるときに得られるような質のものではありません。
実際、人は人と一緒にいては、〈内なる源泉〉にたどり着くことはできないのです。
そのことは、おそらく〈内なる源泉〉にたどり着こうとしている人や、すでにたどり着いた人たちだけが知っていることですが。



わたしたちが人と関係を持つことは、自分の内にある「自分が認めていない隠された部分」に気づき、それらを受け入れることを学んでいくためには必要です。
すべての人間関係は、自分の中にある影の部分」だと言ってよいでしょう。
たいていそれは発育不十分(未熟)の部分であって、自分が認めたくない嫌な部分です。
それに目を背けずにしっかりと見つめ、認めるということは、すなわち自分自身を丸ごと受け入れるということです。

光の部分も影の部分も、すべてひっくるめて愛するのです。
それができたら、もう関係性による学びは必要ではなくなります。
もう他人を必要とはしなくなるのです。
それだけではありません。自分が他人に必要とされたいという気持ちも消え失せるのです。

★自分自身の中で、光と影が、善と悪が、男性と女性が出会い、統合されてひとつになったとき、わたしたちは自分が〈内なる源泉〉とつながり、一体となっていることを感じます。
独り立つ者」とは、そのような〈男女両性具有を成した人〉のことなのです。

そうすると、もう孤独を恐れることはないし、ほかの何をも恐れることはなくなります。
そして、ひとりでいることの至福を感じることができるのです。


イエスは言います。
「選ばれて独り立つ者は幸いである。
その人は〈王国〉を見いだすだろう。
なぜなら、人はそこから出てきて、ふたたびそこに戻ることになるからだ」



自分自身であること(独りあること)を選んだ人は、絶対的な自由を獲得し、自分がやってきた〈命の源泉〉に再び戻っていくことができるのです。
       

自分自身を信頼し、愛し、ひとりでいることの喜びを感じられたなら、もう彼や彼女、あるいは悟った人や宗教家たちに依存する必要はありませんね。
人に依存することなしに、自分自身のほんとうの愛を実現することができるのです。

独りあること…。
単独者となることこそが、天国に入るための必要条件なのです。




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