純粋無垢となること―天国に入るための必要条件 

2010年12月20日 15:40



イエスは乳を与えられている小さな者たちを見た。
彼は彼の弟子たちに言った。
「乳を与えられているこの小さな者たちは、王国に入る人々のようなものだ」。

彼らは彼に言った、「私たちが小さければ、王国に入るのでしょうか」。

イエスが彼らに言った、「あなたがたが、二つのものを一つにし、内を外のように、外を内のように、上を下のようにするとき、あなたがたが、男と女を一人にして、男を男でないように、女を女でないようにするならば、― そのときにあなたがたは[王国に]入るであろう」。

(荒井献訳 ナグ・ハマディ文書Ⅱ 「トマスによる福音書」22より)


イエス、子たちが乳をふくむのを見て
弟子たちに言う
「乳をふくむこの子らこそ〈王国〉に入る者のようだ」

弟子たち、イエスに言う
「では私たちは子供らであって〈王国〉に入るのですか?」

イエス、彼らに言う
あなたがたが二つを一つとなすとき
内なるものを外なるものと
外なるものを内なるものと
上なるものを下なるものとなすとき
そしてあなたがたが
雄性(おとこ)なるものと雌性(おんな)なるものを
おとこはおとこではなく
おんなはおんなでなくなるように
ひとつ単一なるものとなすとき
そのときに
あなたがたは〈王国〉に入る―」

(和尚ラジニーシ著 マ・アナンド・ナルタン訳 
「愛の錬金術―隠されてきたキリスト(上巻)」より)



これらは、同じ「トマスによる福音書」にあるイエスのことばですが、翻訳者によって受ける印象が違っているのが感じられると思います。

これはイエスの言辞のうちでは最も深いもののひとつで、達成するのがいちばんむつかしいもののひとつ」だと、和尚ラジニーシは言っています。
なぜなら、「もしこれが成就されたら、そのときにはほかに成就すべきものは何もないから」だと言うのです。


★イエスは「幼子のように純真であること」を説きました。
でも、わたしたちはすでにそれを失ってしまっています。
子どもに戻ることは、もはやできないのです。

ひとたび知識の味を覚えたら、後戻りすることはできない」と和尚は言います。
なぜなら、一旦知ってしまったことを失うことなどできないからです。
だから言葉どおりに真似してはいけない。イエスを文字どおりに理解しないこと。それは象徴にすぎない」と和尚は言うのです。

一度知識の味を覚えたわたしたち」は、もう一度もとの子どもに帰ることなどできないのです。
イエスが「子どものようであれ」と言ったからと言って、わたしたちが子どもの真似やふりをしても、それはニセモノだというわけですね。
それは演じているだけで、真の子どもではないからです。
また、演じるということ自体が打算的です。
では、どうすればいいのでしょうか?
つぎに記す和尚のことばが、きっとあなたに気づきをもたらしてくれることでしょう。


★ あなたはもう一度生まれる ★



聖者、賢者は、まったくちがった意味合いで子どものようになる。
彼は超えたのだ。彼はマインドを超えた。その不毛さを理解したからだ。
彼は、この世で成功者であることの無意味さを理解した。
彼は成功への欲望を棄てた、他者に印象づけたいという欲望を棄てた。
偉大になりたい、重要人物になりたいという欲望、自我を満たすための欲望―。
彼はその無意味さを完全に理解するに至った。

そう理解することそれ自体によって、即座にあなたは別な次元のなかに変容する。
と、そのときにはふたたび子供時代がくる。

それは第二の子供時代と呼ばれるものだ。
ヒンドゥーの人たちはこの段階を「二度生まれる」、ドヴィジと呼んできた。

あなたはもう一度生まれる。
が、これはちがった誕生だ。
父親母親からの誕生ではない。
これは、あなた自身の〈自己〉からの誕生だ。
二つの肉体の出会い、あるいは二元性から生まれくる誕生ではない。
あなたはあなたの〈自己〉を通して生まれる。                     

(和尚ラジニーシ著 マ・アナンド・ナルタン訳 
「愛の錬金術―隠されてきたキリスト(下巻)」より)



★イエスが言う「小さな子ども」とは、性別を越えた「男女両性具有」の象徴のことです。
二つのものを一つ」にし、「男は男ではなく、女は女でなくなるように」、「ひとつ単一なるものとなすとき」とは、「統合者」、「単独者」となったときのことを言っているのです。

では、イエスのことばをもう少し読み解いてみましょう。


★ あなたがたが二つを一つとなすとき ★



★「あなたがたが二つを一つとなすとき……」というのは、物事を分離・区別しないということです。

そして、「内なるものを外なるものと、外なるものを内なるものと、上なるものを下なるものとなすとき……」も同様です。
「内なるもの」も「外なるもの」も、「上なるもの」も「下なるもの」も区別に他なりません。
それは分離の考え方から来ています。

もし「内なるもの」が存在しなければ、「外なるもの」も存在しないでしょう。
「外なるもの」がないと思えば、「内なるもの」もありません。両方ともないのです。
自分のなかから「内なるもの」も「外なるもの」も落ちて、分割するものが何もなくなったとき、その人は一つとなったといえるのです。

また、自分のなかの男性と女性が出会ったとき、和尚が言うところの「アルダーナリシュヴァール」、すなわち「男女両性具有」になったとき、王国に入れるとイエスは言っているのです。 

人間の原型が男女両性具有」であるということや、それが「始原の〈一〉なる宇宙創造主の姿」であることが、このイエスのことばからうかがい知ることができますね。


ともかく片方(半分)だけではバランスがとれず、所詮全体を知ることなどできないのです。
前回もお伝えしましたように、「全体なるものは陰陽を併せ持つ男女両性具有」であるからです。
イエスが「男性性と女性性が統合された全一の存在」だったことを、深く知ることのできる一節だと思います。


★人間の頭(マインド)はずる賢く、打算的で利口です。
この世では、ずる賢くあればあるほど成功します。

もしあなたが頭(マインド)ばかりで生きていたなら、
けっして純真にはなれませんね。
その利口さのために、あなたは取り逃がします。
神の王国〉を取り逃がすのです。


     ラッパの天使 
      花のラッパを吹く天使 
             写真撮影 光の仕事人


純真無垢の上にのみ、〈神性〉は降臨するからです。
あなたが純粋であれば、〈神性〉に向かって上昇できるからです。
純真さ…。それが〈神の王国〉へ入るカギなのです。





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