インディゴは、母の愛を求めている 

2010年11月15日 19:00


★ 母さん子と夢想家 ★



先日、あるインディゴさんからつぎのようなメッセージをいただきました。

尾崎豊さんについて、「ガラスを割ったり、タバコを吸ったりなどの幼い反逆行為は、『愛されたい!』と絶叫する程の思いを素直に口で言えないがゆえの精いっぱいの表現ではないかと思う。なぜなら自分がそうだったから…」という内容でした。
(自分の心の真実を伝えてくださったことに感謝しています。ありがとうございます!)

また、「これは勝手な私の憶測ですが、インディゴは母親の惜しみない愛が必要です。HOMEがあるという実感が必要です」とインディゴさんは記しておられました。

尾崎さんが「お母さんの愛を心から欲していたのではないか?」というご指摘は、大変貴重だと思いました。わたしも同感であったからです。
前回わたしは「尾崎さんは反逆児ではなく、夢想家だったのだと思います」と書きましたね。
「母親との関わり」はあえて述べなかったのですが、彼を「夢想家」だと感じたのは、彼のウツ状態の影に隠されているものが、「母という存在」なのではないかという直観があったからです。

★「夢想家」というのは、「男性心理の元型」から分類すると「未成熟な男性の元型」のなかの「少年心理」に該当します。
少年心理」にもいくつかの分類がありますが、彼はそのなかの「エディプス児」に相当するのではないかと思うのです。

エディプス児」はさらに「母さん子」と「夢想家」のふたつに分けられています。
夢想家」というのは、「エディプス児の逆機能である『影』のもうひとつの極」なのです。

母さん子」にとりつかれた少年は受け身だけれど、少なくとも「」を能動的に求めます。
でも、「夢想家」にとりつかれた少年は孤立して、あらゆる人間から切り離されているのだと感じるのです。
少年が関わる人間関係は雲をつかむように漠然としたものであったり、自分の内にあるイマジネーションの世界だったりするわけです。いつもひとり夢見ている孤独な少年であるわけですね。

尾崎さんはお母さんが亡くなったあと、そのあとを追うように亡くなられたようですから、母の死は痛手だったのでしょう。

人はみなたいてい母の愛を求めますが、特にインディゴはそれが強いのかもしれません。
そして、ほんとうに求めているのは、肉体を持つ限界のある母ではなく、無条件の愛のなかで抱いてくれる霊的な母なる神、永遠に自分を愛しつづけてくれる女神なのではないでしょうか。



sea


★ インディゴとシジジィ ★



インディゴを思うとき、わたしは20年ほど前に読んだ詩人 山越龍美(やまお たつみ)氏の記事「現代のミュータントたち」を思い出します。
(別冊宝島 『性格の本』に記載)

そこに「シジジィ」ということばが頻繁に出てくるのです。
(「シジジィ」というのはギリシャ語で、正確にはSYZYGYと発音します)
本格的な「シジジィ」についての詳細は、分析心理学者C.G・ユングの「アニマ、アニムス」や「転移の心理学」などに譲り、今回はほんの少しだけ「シジジィ」の性質について触れておきたいと思います。

★山越氏は、「シジジィ」を「愛情乞食」と比較しながら綴っています。

愛情乞食」というのは、一人の指導者のもとに集まり、集団的に行動することを好み、仲間うちでは非常に情に厚く、外に対しては攻撃的であって、家父長的な世界に生きている人たちを指すのだそうです。
社会性はあるけれども、集合的で自立していない人たちというわけですね。

それに比べ、「シジジィ」は自分の身ひとつで行動するアウトサイダーの一匹狼です。
孤独で傷つきやすく、頼りとするところは、現実に存在するしないにかかわらず、おそらく母の胸しかないであろうというものです。

シジジィは、淋しさに堪えかねて、愛情乞食の群れと行動を共にすることはあるが、長続きはしない」と山越氏は言います。
なぜなら、両者は対極的な存在であり、本来は絶対に合わない種類の人間であるからです。

生まれながらにして自己完結型である「シジジィ」は、完全主義者であり、自己充足的です。
彼らは共感能力を持っていて、相手のことがよくわかり、シジジィは他のシジジィを見分けることができるのだといいます。

シジジィは詩人や芸術家に多く、非常に繊細で傷つきやすい心を持っているので、防衛上自閉的にならざるを得ないし、神経質で気難しいのだそうです。
彼らはやさしいけれども、そこに秘められた激しさもあります。
山越氏はつぎのように記しています。

やさしいというのは、弱いということでも、能力がないということでもない。
彼らは憎しみは持たないが、正義の怒り、
あるいはやさしさを引き裂くものに対しては殺しもあえて辞さない。


★シジジィって、どこかインディゴに似ていませんか?

もちろんシジジィといっても、いろんなタイプのシジジィが存在するのでしょうが、インディゴと共通しているところがあるのではないかと思います。

若い頃、わたしは自分のことを「シジジィ」だと思っていたことがありました。
わたしの夢は、スカイダイビングと自由自在に操縦できるUFOに乗ることでした。
空を飛びまわること、上昇することへの憧れは、シジジィの特徴でもあります。
山越氏の文を読むと、なおさらそうだと確信するようになりました。
まあ、SF作家のシオドア・スタージョンに言わせれば、シジジィは地球外からやってきた宇宙人なのだそうですから、「さもありなん」という感じですね。

地球外から来た者は、多かれ少なかれそういうところがあると思います。
故郷がなつかしいんですね。
地球で生きているのがいやになると、早く還りたいと思うのです。
E.T うちに帰る!」って言いたくなるわけですね。
そんな気持ちがわかるというのなら、きっとあなたもE.Tなのでしょう。



天の川



★ 教えることと学ぶこと ★
 



★次回より、「宇宙創造主のもくろみ」というテーマで「人が地球に生まれた理由」や「人類を創成した神の正体」「宇宙創造主の意識と意思」について、お話ししたいと思っています。

これらは、わたしが5年ほど前に『分離から統合へ』というテーマで、将来本にする予定でまとめた内容の一部です。
その内容を再度吟味し、新たに編集しながら、今回からブログとして発表していこうと考えています。
そのあいだに、皆さんからの要望などがあれば、とりあげたいと思います。

若い人たちから、もっといろんなメッセージをいただけると、うれしいです。

★「教えることと学ぶこと」は一貫しています。

若い頃、わたしは子どもたちに学びを提供する教師だったことがありました。
その間、教え子から与えられた学びもたくさんありました。
自分が学んだことを、人に教えれば教えるほど、自分自身のなかでの学びもさらに増え、深まっていきます。

わたしは自分の知っていることを皆さんに提供しています。
今度は、わたしの知らないことを皆さんが教えてください。
そして、学びあいましょう。

Teaching and Leaning.
これが、わたしの人生の目的なのです。



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