意識を変える試み―自分のなかの観念を変える

2010年10月10日 08:20



今回は「意識的にいるとは、どういうことなのか?」という次女の質問に対する答えと、次女との対話を通して得た結論、わたし自身の見解をお話ししたいと思います。


 ★ 意識的にいるとは? ★ 


次女  
お母さんは「瞑想しなさい」って、よく言うでしょう。
OSHO(オショー)は「瞑想は意識的にいることです」って言ってるけど、常にわたしが意識的にいれば、瞑想状態にあるってことでしょ。

その「意識的にいる」ってことが、わたしにはよくわからないんだけど、ちょっと離れたところから自分を見下ろしているような感じなのかしら?

*OSHO(和尚)・ラジニーシは、インドに生まれ、二十一歳で究極の覚醒を得、人間の意識の覚醒と瞑想の必要性、新しい人類のヴィジョンを説いた神秘家。
OSHOは「生の目的は意識的になることだ」と言っている。



筆者  
意識的にいる」ってことは、「常に自分のしていることや感情や心の動きに気づいている」ってこと。
今、「自分はすごく苛立(いらだ)っているなぁ」とか、「いやな自分がそこにいるなぁ」とか、自覚できて、そういう自分を客観的に観ることができているってこと。

行動するときも同じ。
歩くときには、気づきをもって歩く。手を動かすときには、手を動かしていることを意識しながら動かす。
食べるときには、テレビを見たり、新聞なんか読んだりしないで、今食べていることを意識しながら食べる。
いつも自分の心や身体の動きに、油断なく覚めているってことね。
*「ヴィパサナ」っていう瞑想法があるけど、まさにそれだよね。

*ヴィパサナ(ヴィパッサナー)とは「よく観る」、「物事をあるがままに見る」という意味を持つインドの最も古い瞑想法のひとつ。
ヴィパサナ瞑想は、妄想から離れるため、まず身体の動きに集中し、その瞬間瞬間をとらえ、感じて、気づき、ひとつひとつ確認していく行為のこと。



筆者
ブッダは、「呼吸を意識しなさい」って言っている。
いつもはすっかり忘れている「呼吸」に気づいていなさいということね。
自分を四六時中よく観察していることが大切。

次女  
自分を見ていて、「もっとこうすればいいのにな」とか思ったりするけど、それはどうなの?

筆者 
自分を客観的に見ることができているから、自分のことがよくわかるわけね。
そこでハイアーセルフがロワーセルフに伝えるということができるわけよ。

そこで両者が合体してバランスがとれたら、自分(肉体)がやっていること=ハイアーセルフがやっていることになる。

何かにすごく熱中しているときは、ハイアーセルフそのものの状態になっていることが多いんだけど、意識はハイアーセルフにあって、ロアーセルフも一緒になってやっている。

一般の人は自分にハイアーセルフが存在していることさえ知らないから、ハイアーがいろいろ教えようとしても、ロアーはそれに気づかないわけね。
でも、ロアーがハイアーに気づいていろいろ発信すると、直観が来て、いろんな気づきが生まれてくる。
常にハイアーセルフに語りかけることは大切だね。

次女  
それは心のなかでもいいの? 実際にしゃべらなくても。

筆者  
心でただ思っているよりも、声に出したほうがさらにいいと思う。
祈りも同じだよ。

次女  
だったら、常に「愛してるよ」って言わなきゃ。

筆者  
そう。だから、いつも自分の身体、肺や心臓や胃や腸などをひとつずつ手で撫でながら、「いつもありがとう、愛してる」って声を出して言っているわけよ。毎日言ってますよ。

次女  
そうか、やっぱり口に出して言わないといけないんだね。
お母さん、ありがとう。(笑)


  花 1



★ 自分のなかの観念を変える
 


★「自分の意識を変える」というのは、「自分のなかの観念を変える」ということです。 
これまで自分が持っていた「好ましくないと思われる観念」を、自分が望む「好ましい観念に新しく置き換える」ということです。
ネガティブな思考をポジティブな思考へと恐れを喜びへと闇を光へと置き替えるのです。


次女の場合は、「人のふりを見てわがふりを直す」ことで意識が変わり、波動が変わり、ネガティブなエネルギーから脱却することができました。

自分のなかに愛がないと、同じように自分のなかに愛がない霊たちを呼び寄せることになるため、常日頃から『愛をもつことが必要不可欠』であるということを、自ら次女は悟っていったのです。


高級霊と低級霊の明確なちがいは、「無条件の愛・無償の愛があるか、ないか」です。

その人の霊的成長が高いレベルにあるか、低いレベルにあるかは、自分をどれほど真に愛しているか、またどれほど他者に対する愛を持っているかによって決まってくるといってもよいでしょう。 

ですから、「霊的成長を促すためには、無条件の愛の実践が必須」だということです。
とにかく、お返しを求めず、愛を与えるということですね。

また、苦痛が生じたり、期待していたことが思い通りにいかなかったり、思わぬ障害が起こったりしても、そこで「狼狽しないこと」、「平静さを失わないこと」、「被害者意識をもたないこと」、そして「不屈の精神を失わないこと」です。



★いろいろと「悪いこと」、「困難なこと」を体験すると、それらの要素がそのときの自分にもっとも必要であり、大切であったことがわかります。
そして、それを乗り越えることで意識が高まり、精神的な理解がつぎの段階へと移ったことや、自分がより強い人間になっていることに気づくのです。

相手が自分を辛辣(しんらつ)に非難したり、否定的になって理不尽な怒りをぶつけてきたりするときは、相手自身がとても苦しんでいて、ほんとうは愛され、癒されたくて叫んでいる場合が多いのです。
もちろん、相手に憑依した悪意を持った霊の影響がある場合もあります。

ですから、そんな相手に悩まされて非常にいやな思いをしているときでも、冷静さを失わず、怒りを手放して、逆に相手に『愛』と『光』を放射してあげることが必要だということです。
そうすると、相手の心が和らいでくるのが波動として感じられるようになってきます。

たとえ相手が自分の善意を素直に受け入れられなくて、依然として態度が変わらなくても、悲しむ必要はありません。少なくとも、最善を尽くして対応した自分自身は、心穏やかに過ごすことができるからです。


    海と魚


     穏やかな心は、真実の海のなか…
     水面から遠く離れた、
     いかなる嵐の影響もおよばない永遠の静寂のなか…に住んでいます


      このジェームズ・アレンのことばさながらに。


次女の場合は、憑依霊から解放される方法を自ら試し、またネガティブなエネルギーを浄化することによって、確固とした『自信』や、他者に対して愛を与えられるような『魂の偉大さ』や、『忍耐力』を培(つちか)われているのだと思われます。
これは高次の世界の認識を通して得られるすばらしい贈り物であると、わたしは自らの体験からも常に感じており、心から感謝しています。


ハート
人は正しい目的・目標を持っていなければ、前進することはできません。
ほんとうの自分とはいったい何なのか?
真の自分を見つけ、その真の自分がこの世で何をしたいのかを明確に知ることが、
人生における最大の課題です。

真の自分を見いだせたなら、どう生きるかは自然にわかってきます。
意識が変わり、波動(周波数)が変われば、当然生き方は変わっていきます。

このブログを読まれた皆さんには、死後の行き先に困らないよう、
この世の人に憑依して迷惑をかけたりしないよう、毎日意識を高く持ち、
自分を光り輝かせて生きていってほしいと願います。







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