自らを権威者として生きること

2014年04月05日 16:12


★ 東京のセミナーを終えて ★



当日(3月30日)の東京は大荒れだったようですね。
雨と風の神さまは、どうしても東京に雨と風が必要だと判断されたのでしょう。
但し、わたしとの約束があったので、できるだけ雨風に遭遇しないよう計らってもらったように思います。

午前8時35分に羽田空港に到着したときには、まだ曇り空で、雨が降っていませんでした。
飛行中は霧に包まれ、ほとんど何も見えない状態でしたが、最高に上昇したとき視界がひらけ、真っ青な空に太陽がまぶしくかがやいているのが見えました。
下界は雲だらけで、雨が降っていても、雲の上では太陽がいつも輝き、光に満ちた世界があるのだということを目の当たりにして、人の精神世界も同じだな~とつくづく思ったしだいです。

10時40分頃、北千住のホテルに着いたときも雨は降っておらず、セミナー会場に向かう頃からポツリポツリと降り始めました。しかし、傘はなくても歩けるくらいで会場に着きました。
雨と風は、セミナー中にかなり強くなっておりましたが、セミナーが終って、皆さんと交流会のお店まで歩いて移動する頃は、すでに雨は上がっており、風もなくラッキーでした。
歩きながら、何かしら清々しい空気を感じましたが、同行された皆さんはいかがでしたでしょうか?

交流会では時間がすぐに経ってしまい、さほど多くを語った記憶がないのですが、きっと皆さんも、もっともっと語り合いたいと思っておられたのではないでしょうか? 次回はもっとたっぷりと時間をとりたいと思いました。
交流会が終わった時点で雨が降っていましたが、お店の方が「使ってください」と古傘をくださったので、それをいただいてホテルまで戻りました。結局雨に濡れることはなく、30日が過ぎました。

31日は晴れで、帰る日の4月1日も快晴でした。
どこへ行っても満開の桜が出迎えてくれて、とても華やかな光景が見られて幸いでした。
4月1日はまる一日空いていたので、葛飾柴又の寅さんゆかりの地を散策しました。
江戸川沿いにひらけた柴又公園はとても静かで、東京にもこんなに広々とした公園があるのだと驚いたしだいです。

4月1日の自由時間で体験したことは、すべて予行練習していたようで、どこに行ってもデジャヴが起っていました。
つまり、すべて経験したことを思い出し、既に知っていたということです。
前もって魂が決めたことを再度現実で体験した面白い一日だったのです。



桜 大根島
             大根島の桜

★オーラとチャクラを閉じる練習はいかがでしたか?★



佐賀県からの参加者さんは雨のために飛行機の到着時間が遅れ、会場に着くのも遅くなるということでしたので、その間にオーラとチャクラを閉じる練習をしてお待ちすることにしました。
佐賀県の男性は日ごろからしっかりと閉じておられるため、練習の必要はなかったので、とても良い機会を皆さんに提供してくださったと感謝しております。

その後、わたしが「来られました」と声をかけるまで、彼が会議室の戸を開けて入って来られたのが全く気づかなかったと、参加者のおひとりが言っておられました。オーラが閉じられていると、ほんとうに気配が消えるのです。オーラもチャクラもしっかりと閉じると、「忍者になれますよ」ということですね。(笑)

当日の練習では、なかなかスムーズに閉じることができない人が多かったのですが、霊的なエネルギーに影響されやすい人は、毎日練習して自分の気配を消すよう、実践に努めてください。
今回はオーラとチャクラを閉じる内容がメインではなかったので、全員が完了するまでの時間はとりませんでしたが、次回セミナーを開催するときは、閉じたり開いたりする練習をおひとりずつ徹底して行なう必要があると思いました。

過去生回帰の個人セッションでは、ネガティブな霊的存在が来ることが多かったので、必要のある方には、オーラとチャクラを閉じていただきました。
閉じたことによって、身体に感じていたしびれや頭痛が緩和された方もいらっしゃいました。
「気合いをかけることで、閉じやすくなった」という体験者もいらっしゃるので、イメージだけでは閉じられない場合は、自分なりの閉じ方を見つけ出すことが大切です。とにかく毎日実践あるのみです。

セッション後、人によっては好転反応と思えるような症状がしばらく続くかもしれません。
これまでの毒素が抜けたのですから、必ずよくなっていくと、ご自身を信頼してください。
また、別の分霊が影響していることもありますし、わたしが事前に予想し、当日登場してほしかった人物がまだ出ていないときにも不快感が生じてくることがあると感じましたので、ご遠慮なく状態をお知らせいただきたいと思います。



   
★「見ざる・言わざる・聞かざる」とは何のこと?★



セミナーのなかで、明智光秀の話から「見ざる・言わざる・聞かざる」の深遠な意味を考えておいてくださいと申し上げておりましたが、皆さん、お解りになりましたでしょうか?

論語に「礼にあらざれば視ることなかれ、礼にあらざれば聴くことなかれ、礼にあらざれば言うことなかれ、礼にあらざれば動くことなかれ」という言葉があります。

顔淵(がんえん)という弟子が、「仁(じん)とはどういうことを言うのですか?」と質問すると、孔子はつぎのように答えました。
「私心に打ち克って、礼(真の道)に立ち返ることが仁というものである。上に立つ者がもし一日でも私心に打ち克って真の道に立ち返るなら、天下の万民はこれを見習って仁に回帰するところとなるだろう。
仁を実践するかどうかは本人の自覚によるのであって、他人の力でどうこう出来るものではない」と。

顔淵が「実践のポイントを教えてください」と言うと、
孔子は、「礼儀にはずれたことを見ていてはならない! 礼儀にはずれたことを聞いてはならない! 礼儀にはずれたことを言ってはならない! 礼儀にはずれたことをやってはならない! つまり、間違ったことに対しては、見ざる・聞かざる・言わざる・為さざるを心がけなさい」と答えました。
顔淵は、「私にできるかどうかわかりませんが、今の先生のお言葉を終生の自戒としたいと思います」と言ったということです。

孔子は「礼にあらざれば」と言っていますが、この「」を「道理」とか「真(まこと)の道」というふうにとらえるとわかりやすいのではないかと思います。

それが真の道にあらざれば視ることなかれ!
それが真の道にあらざれば聴くことなかれ!
それが真の道にあらざれば言うことなかれ!
それが真の道にあらざれば行なうことなかれ!


すなわち、

真の道に背いたり、反したりしていることを見ていてはいけない!
真の道に背いたり、反したりしていることに耳を傾けてはならない!
真の道に背いたり、反したりしていることを言ってはならない!
真の道に背いたり、反したりしていることを行なってはならない!

ということです。

しかし、何が「真の道」なのかということを把握し、理解していない人にとっては、とても難しいことですね。
多くの人たちは、「真の道」ではないこと、すなわち「偽の道」を「真の道」と思い込んで、それを見たり、それに耳を傾けたり、それを言ったり、行なったりしている場合が多いのではないでしょうか?
人のために善かれと思ってしたことが、かえって相手によくない結果をもたらすということはあるものです。
親切の押し売りや自分勝手な思い込みは禁物です。

こうした「不見・不聞・不言」の教えは、八世紀頃、天台宗系の留学僧を経由して日本に伝わったということですが、それが「見ざる・聞かざる・言わざる」の所以なのではないかと思います。
いかがですか?  
あなたの答えはどうだったでしょうか?



     hana


★ 自らを権威者として生きること ★



仏陀は言っています。
偽りを偽りと見抜き 真実を真実と見定めよ
胸のなかをのぞきこみ みずからの本性にしたがえ
」と。

彼は経典や道徳や師に従えとは言っていないのです。
みずからの本性にしたがえ」と言っているのです。

あなたの人生で、誰があなたの権威者となっているのですか? 
誰が自分の主(あるじ)なのですか? 

けっして他者が権威者なのではありませんね。
あなたが自分の主であり、権威者なのです。
自分の責任を他人に委ねるようなことをしていないかどうかを考えてみてください。

みずからの本性にしたがえ」とは、「あなたの内側に存在する神に従え」ということです。

あなたの本性は神なのです。
あなたが聖典なのです。

あなたのなかに永遠の「真の道」が存在しているのです。
あなたの人生に起こるすべてのことを、その「真の道」に照らし合わせてみながら、それに反したことに気をとられずに、あなた自身を愛し、あなた自身を信頼して流れていきなさいということです。 
すなわち、あなたのなかの「真の道」をしっかりと見て、それに耳を澄ませ、それを伝え、それを実践していきなさいということです。



チューリップ白


何が真実であるのかを教えることはできませんが、何が真実ではないかを伝えることはできます。
また、皆さんのおひとりおひとりが「自分が真の権威者であることを自覚することができた」なら、他者に対して賢くみられようとしたり、いい人にみられたいという願望は消え去るでしょう。

そのことを、今回のセミナーでもっともわかっていただきたかったのですが、いかがでしたでしょうか? 
もしそのことが皆さん方の腑に落ちたのであれば、幸いに思います。

カヴィーシャから参加者さんへのプレゼントはいかがだったでしょうか?
皆さんが自らの手で選ばれたカードには何が書かれていたのでしょうか?
今のあなたの心情に合致していれば、ぜひそれを実行していただきたいと思います。

皆さんとお会いできたことはミラクルです。
いつかまた再会できますことを楽しみにしています。


春の坊や

2014年4月5日  愛と感謝  カヴィーシャ・光の仕事人


自己への愛は永遠の課題

2014年04月14日 19:20


★ 桜を満喫しました ★



先週、「とっとり花回廊」の桜を見てきました。
曇りがちの肌寒い日でしたが、花が風に舞い、幻想的な美しさが
かもし出されていました。



桜のじゅうたん


           しだれ桜2


★ 過去生回帰で自己の問題を確認すること ★



これまで多くの方々の「課題の個人レッスン」並びに「過去生回帰の個人セッション」を行なってきましたが、問題の根底として存在するものが、どの方もほぼ共通していることを知ることができました。
過去生回帰を実際に行ない、過去の自分の姿を垣間見た人たちは、十分に思い知られたことと思いますが、それは、皆さんが「いかに自分自身を愛せていなかったか」ということです。過去も、そして今現在も、です。

3月のセミナーでも「自分を愛するとはどういうことか」を瞑想中にお伝えし、実際に自分自身に対して「わたしはわたしを愛してる」を何度も繰り返して言い聞かせていただきました。
しかし、ほんとうに心の底からそう言えた人がどれくらいおられたでしょうか?

過去生回帰のセッションでは、「自分を愛するって、どういうこと?」、「いったいどうすること?」と、わからない人たちが続々と登場しました。
今回セッションを受けられた方々の過去生は、みな「自分を愛すること」を知らない人たちばかりだったと思います。
もし、自分で自分を認め、自分を愛することを体験できていたのなら、「過去生の課題」として今生に持ち越してくるようなことはないということです。

「課題」のテーマは人それぞれちがうのですが、その根底にはまちがいなく自己への愛の欠如があり、いずれも「自分を愛していない」ことから生じている問題であるということです。
今回の過去生回帰のセッション中に登場した人物のなかで、他者に愛を求めていた例をあげてみましょう。

自分を愛してくれない夫を裏切って不貞を働いた女性がいました。彼女は「私は愛されたかったのだ。あなたは愛してくれなかったじゃないの」と強く夫に主張し、口論の末、女性はその夫によって殺されてしまいました。
また、別のケースでは、自分の顔が醜いために愛されないと思い苦しみ、尼になるしかなかった女性が登場しました。結局投身自殺をしてしまいましたが、その原因は何だったのでしょうか。
ふたりの女性に共通していることは、他者に愛されたいという願望が人生の根底にあり、他者に愛されないと生きていくのがつらいと感じる点にありました。自分自身で自分を愛する術を全く知らなかった人たちでした。

紫の泡・ライン

過去生回帰では、課題の人物が解放され、去っていく際に、その人物のエネルギー、感情やフィーリングのすべてがご本人の中心からロープのように抜け出ていく瞬間があります。そのロープのようなものにドロドロした粘着質の不快なものがいっぱい付着している場合もあります。

自分と分霊とが繋がっていたその長いロープを胸の辺りからすべて引っ張り出したあと、二度と戻って来ないようにそのロープに火をつけて燃やしてしまう作業をおこなうのですが、今回はロープが長すぎて全て出し尽くすのに時間がかかったり、なかなか燃えなくて時間がかりました。
それだけ絆が深く、過去生の人物の影響を受けていたということがよくおわかりになったかと思います。



アプリコットビューティ


★ あなたの存在理由は何ですか? ★



ご承知のように、皆さんの過去生は数えきれないほどあります。
本体のみでなく、分霊の数を合わせたら、何千回何万回と生まれ替わって来た人もおられるでしょう。
そのなかで、現在出された「課題」に深く関わっている人物を一人か二人解放したからといって、すべての過去生の課題がクリアできたわけではないということを、承知しておいていただきたいと思います。

人それぞれクセのようなものを持っていて、何度生まれ変わってもそのクセが直らず、同じ過ちを繰り返している人たちが大勢います。登場してきた過去生の人たちが、自分とよく似ていて、同じような境遇であったりするのは、たいてい怠惰のために現状維持を続けている、あるいは、冒険ができない、今生で未踏の道を歩む勇気が持てないからであり、情報や知識がないためにどうやって変容してよいのかわからないからなのです。

自分の人生は生まれたときに決まってしまっているのだから、どうしようもないのだと思い込み、今何かにチャレンジしてみようということさえ思いつかず、現状にじっと耐えていた人たちも多くいました。生まれた家が貧しく、誰からも学ぶ機会がなかった人にその傾向が多く見られたように思います。

皆さんは、過去には試みたことがない新しい実験、冒険をしようと思って、この世界に生まれてきたのではないのですか? 

皆さんは、いつも生き生きとして、喜びにあふれ、生を満喫しておられますか?


もし「いいえ」という答えなら、なぜそうではないのかを考えてみてください。

今、前進することを躊躇している理由は何ですか?

わたしたちは、思う存分自己表現をしたくて、この世界にやってきたのです。
それなのに、過去世で十分に満足して生きられなかった者たちに足を引っ張られ、その人たちの人生を再現させられ、自分本来の人生を満足に表現できないでいるのです。

それを今もなお続けているあなた、貴重な時間をそんなことでつぶしていてよいのですか? 
あなたは自分のやりたいことを、やりたいときに、思う存分楽しみたいのではないのですか?

まずは恐れと不安を解放してください。
人生はあなたの選択によって、良くも悪くも、幸せにも不幸にも、どうにでもなるのです。
あなたの人生において、あなたが何を選ぶのか、何を体験するのか、それを決定するのは、あなたの価値判断なのです。

すでに体験して理解したことを、再度体験する必要はありません。
理解ができていないから、また体験する機会が訪れるのです。
何度も何度も、わかるまで体験を繰り返すのです。
「自分を愛すること」も、それをしっかりと理解できるまで、体験の機会は何度でも訪れるでしょう。

紫の泡・ライン


あなたの存在理由は何ですか?

なぜ輪廻転生を続けているのですか?


それは「自己への愛」のためなのではないでしょうか?
そして、「自己という究極の存在」を愛し、理解するためなのではないでしょうか?

それは永遠にあなたから離れることのない課題なのではありませんか?

自己への愛」の深遠な意味を知ってください。

他者から聞いて知るのではなく、自分自身で発見し、体得してください。
わたしは皆さんに、自分自身でその究極の意味を発見していただきたいと心から願っているのです。
自己への愛」は、わたしたちの永遠の課題なのです。


確信への唯一の道は、自分で体験することです。

体験する瞬間を惜しみなく自分に与えてください。




チューリップの船


★ これからのセミナーに参加されたい方へ ★



セミナーにつきましては、待ち望んでいてくださる方もいらっしゃるようですが、なかには自分自身に自信がなく、自己卑下からセミナーに参加できない方もおられます。
ネガティブなエネルギーに影響されがちな人は、自分が参加することで他の参加者に迷惑をかけるのでは? と心配されていることもあるようです。

参加者さんのなかには、霊的に大変敏感な方もいらっしゃいます。ですから、ネガティブエネルギーをくっつけてこられると、隣の人や前後に座った人たちに不快な思いをさせることになります。
だからと言って、参加することを躊躇していては、前進はできませんね。そういう人こそ、自分自身のオーラをしっかりと保護し、閉じる練習をしに来ていただきたいのです。

また、一般的な意識レベルでは理解できにくい内容のものも、今後出てくる可能性があります。
人の受け取り方、捉え方は千差万別ですが、この「気づきのコース」のセミナーの内容は、わたし独自で行なっている調査の数値で言うところの7.5次元以上のレベルでないと、理解するのが難しいかもしれません。

以前にも申しあげたかもしれませんが、たとえば、7次元以上の意識レベルの人たちの集まりのなかにひとりかふたり、5次元の意識レベルの人がおられると、どうしても全体的な内容に深さがなくなってしまうのです。つまり全体の平均した意識レベルに留まった内容にならざるを得ないということです。
それぞれの魂の段階に適したセミナーをするのがもっとも望ましいのかもしれませんが、それはいろんな意味でなかなか難しいことです。

わたしが参加していただきたいと真に望んでいるのは、意識レベルが高い低いということよりも、真っ白な状態で素直にハートをひらいて受け容れることができる人たちです。
たとえ意識レベルが高くても、自分は賢いというプライドがおおいに邪魔をしていたり、頭でばかり考えて、ハートで受け取れない人は、結局のところ、何も吸収せずに帰っていただくことになるので、参加されてもあまり意味がないと思うからです。

直観が来るのは、頭の良し悪しとはまったく関わりがありません。要は、素直な純粋な心が大切なのです。
天国に行けるのは、幼子さながらの純真な人たちだと、イエスが言っている通りです。
霊性は知性とは異なるものです。知性が優れていることよりも、霊性が優れていることが肝心です。

ほとんど感情を外側に出せない人は、非常に問題が深いということを自覚してください。
よくセミナーで涙を流して語られる方々がおられますが、そういう感情の表出がとても大切で重要なのです。おかしいときにはよく笑い、悲しいときや嬉しいときには素直に涙を流せるようになっていただきたいのです。
人間があの世にもっていくのは、感情なのです。感情がいつまでも残っているのは、恨みをもった霊などが実際に存在することで、わかりますね。

感情を忘れた異星人や感情を知らない天使よりも、人間は進化しており、優れている存在なのだという真実を知ってください。

自分の魂が喜ぶことをしたい!進化したい!成長したい! 
そんな純粋で、美しく燃え立つ炎を心に持っているのであれば、「自分なんて…」と、卑下したり、恥ずかしいと思うことなく堂々と参加してくだされば、嬉しいです。


紅しだれ桜



ふたつのハート

望みを現実化するためには、
自分の望んでいることをただ感じるだけでよいのです。
そうするとそのフィーリングが宇宙に送り返され、
望みは満たされていきます。

ハートを全開して、
あとは宇宙の贈り物を受け取るだけでよいのです。
望んだものが来なかったら、
それは自分には必要ではなかったと思うことです。

真の愛は、
あなたが欲しい物を与えるとは限らないのです。
真の愛は、
あなたにとって最善のものを与えるのです。

そのことを、
いつもいつも忘れないでいてください。

2014年4月14日  カヴィーシャ・光の仕事人より



孤独から「独り立つ者」へ

2014年04月20日 19:00

ちょうちょ2


★ 4月の課題の個人レッスンから ★



今回は、東京にお住まいの医学生、R.Sさんのレポートをご紹介します。
彼女はすでに数秘リーディングで自己探究を始められ、セミナーにも参加され、医学を学びながら、自己探究の真最中といいますか、奮闘努力中の心やさしいがんばりやさんです。

今回の課題は「個人の神話」という興味深い内容でした。
個人の神話」というのは、世界中にある神々の物語やおとぎ話、あるいは伝説、漫画の主人公などの生き方に沿ったその人の人生の「主なストーリー」あるいは「シナリオ」を表します。
たいていカッコいいヒーローやとてもポジティブな人物をイメージする場合が多いかと思います。そして、それは深い無意識層に潜んでいるもので、その人の人生の重要なトラウマと重なっていることが多いのです。

皆さんの心のなかにも、そういう「神話」が存在していないかどうかを確かめていただきたいと考え、彼女のレポートを掲載させていただくことにしました。
(レポートがいつも長文のため、重要な箇所だけをピックアップしております)

                   


◆「個人の神話のもとの人物」について


                       R.S 22歳 女性 東京


まずは、課題レポートに挑戦出来るOKサインが出て、とても嬉しく思います。22歳にして早くも課題が多いらしいことに笑ってしまいましたが、これは学びがいがあるな!とワクワクしています。時間はかかるかもしれませんが、一皮むけた自分に出会えることが楽しみです。お付き合い、よろしくお願いいたします!


     チューリップの妖精1


私の人生における重要なストーリーというのが、自分の中でピンと来ていないのですが、おとぎ話のもとになる人物は、心あたりがあります。

私は小さい頃から戦う女の子の話、特にアニメのセーラームーンが大好きでした。
セーラームーンだけではないのですが、好きな話に共通していたのが、純粋で真っ直ぐな主人公が、周りを変えていって、仲間との絆を深め、権力や悪と懸命に闘う所です。しかも、最後は悪さえも愛で包み込むんです。小さい子は憧れる子が多いと思うのですが、私は今見ても心躍ります。活力をもらえるのです。
そんな姿にいつも勇気をもらっていました。

多感だった小中学時代、熱心に物語を書いていた頃があったのですが、どの話を思い返してみても、大きな軸は、トラウマ(心の傷)を抱えた登場人物Bを、真っ直ぐでひたむきな主人公Aが様々な経験をしながら癒していくうちに、強い絆で結ばれるというものでした。(これは正直カヴィーシャ様に言うのも少し恥ずかしいのですが・・笑)

Bは、初めは暗く、悲観的で、自信がなく、自分には何かが欠けている、自分を愛してくれる人などいないと思っています。明るくふるまっていたとしても、どこか影のある人物です。
Bには、傷ついた自分自身を重ね合わせていたと思います。物語を通して、だれかに「そのままでいいんだよ」「そのままのあなたが大好きだよ」と言って欲しかったんだと思います。
無条件に受け入れてくれる人を、求めていました。

★カヴィーシャ:あくまでも他者にそれを求めていたのですね?

★R.S:はい、そうです。自分で自分を完全に受け入れるという発想がなかったというか、そういう相手がいてくれて初めて完成するものだと思っていました。
「自分こそが自分を完全に受け入れること、愛す事ができる」ということ、ハートでは感じていたと思いますが、マインドではその意味が理解できない感じでした。それでは、自分で慰めているだけじゃないか、と思っていたんです。そこに寂しさと言うか、虚しさを感じていました。

本当は、自分でそう心から言えることが、一番嬉しいことですよね。誰よりも自分自身に心から「そのままの私が大好きだよ」と言ってほしかったんですね。今ならそれが虚しいことではないということが分かります。とても満たされることなのだと。もっともっと、自分自身に語りかけるように、ハイアーからロウワ―な自分に言い聞かせてあげるように、愛の言葉をかけてあげたいと思います。
物語だったり、アニメだったりの場面に自分を投影しすぎて、肝心の自分自身にそう言った言葉をほとんどかけていなかった事に気付きました。


Aは明るく、少し強引な所がありますが、ひたむきで一生懸命です。間違った時には反省する素直もあり、Bのようなタイプにもとにかく正面から向き合います。
Aには、私のなりたい自分、理想の自分の一部分を投影していたと思います。傷ついた人を癒す、光のような存在に憧れていたので。そして、自分にもそういう部分が眠っていると信じていたかったと言う面もあります。そして、Aのような人に、無条件に受け入れて欲しかったという部分があったと思います。

実際の生活でも、理想の自分なら、どう考えるだろう?どう行動するだろう?と考えて動いていた時期もありました。そうすると、自分が物語の主人公になれたようでワクワクしたのです。
ですがそれは、私の人生ではなく、空想のAの人生を生きていたということなのでしょうか。そうだとしたら、少し悲しいです。

★カヴィーシャ: そうですね。 
さきほど「大きな軸は、トラウマ(心の傷)を抱えた登場人物Bを、真っ直ぐでひたむきな主人公Aが様々な経験をしながら癒していくうちに、強い絆で結ばれるというものでした」と書いておられましたね。
物語のなかで、AはBを癒していたのですよね? そうすることで、バランスをとっていたのではないでしょうか? それは、あなたの内側でも真に起こってほしかったことですね。

AとBは、ポジティブなあなたとネガティブなあなた。光と影。
あなたは二極に分裂したあなたを統合しようという試みをしたかったわけですね。

ただ、それがどんなにポジティブな内容であっても、補償行為であるのなら、物語に登場させる理想の人物にいくら才能やパワーを与えたとしても、それに対する承認や賞賛をあなた自身が受け取ることができません。
なぜなら、単に役割として演じ、あなたのネガティブな観念を否定して、埋め合わせをしているだけだからです。


★R.S: その通りだと思います。これからは、物語で演じていた役割ではなく、自分自身でやってみようと思います。調子のいい時は出来るのですが、調子の悪い時こそ忘れてしまうので、そんな時こそ丁寧に、自分に愛をあげたいと思います。「ずっと気付いてほしかったんだね、ごめんね」「大好きだよ」と言ってあげると、なんだかとても嬉しい気持ちになりました。


     ねずみ3


紫の泡・ライン


★このレポートが届いたあと、わたしのハイアーセルフから、今回の課題である「個人の神話」をさらに深める新しいキーワードが出されました。それは「観念」でした。

観念」は「過去からの固定した考え方」、つまり「凝り固まって柔軟性を失い、停止している思考」のことであり、「自分の世界を形作り、行動に影響を与えるもの」です。
たとえば、親から拒絶されたという「解釈」「判断」を経験すると、「自分は人から拒絶する人間だ」という「観念」ができます。そのせいで、その後も家族や友人から拒絶されるのではないかという怖れをもったり、いろんなかたちでそのことが行動として現われるようになるのです。


今、古い観念を解放し、自由になることを求められている彼女に対して、「あなたが持っているネガティブな観念はきっとたくさんあるでしょう。どんな観念があるでしょうか? 愛や人間関係に対して、また人生について、どんな観念を持っているのか、まずは書き出してみましょう」ということで、第2回目のレポートを書いていただくようお願いしました。
下記は、つぎに届いたレポートの一部です。



ちょうとつくし


*キーワード「観念」*
 ~私のもつ「ネガティブな観念」~



まずはカヴィーシャ様のコメントを受け、私の持つネガティブな観念を書き出してみました。自分が気付いていないもの含め、細かいことを挙げるときりがないほどある気がするので、まずは今私が一番違和感を感じていて、辛いのにやめられない行動のもとになっている観念を考えてみることにしました。

今、私が一番気になっているのに思わずしてしまう行動、「自分の主張を弱めに、他の人を立ててしまう癖」「周りに気を遣いすぎる癖」です。

★カヴィーシャ: わかりますよ。こういう人は傍から見ると、いわゆる「心優しい いい子ちゃん」ですが、本人は損ばかりする憂き目に遭いがちですね。

他にも「楽しくもないのに思わず笑ってしまう癖」がありましたが、これは最近なくなってきたように思います。
これをすると、自分でも本当に居心地が悪くなって、心臓が締め付けられるようになります。そう何度もある訳ではないですが、付き合いが浅い人、タイプが違う人と関わる時によく起こります。特に年が近い人達に対してです。

私の経験上、この癖が出た時事態がよくなったことはなく、それこそ、一般的にいうオーラがない人になる感じです。いてもいなくても気付かれない、変わりがない存在です。
「無視は最大の嫌い」と同じく、その場に存在がなくてもいいように感じるのは、私にとっては人間関係においてとても辛いことです。
自分に対しての自信もなくなって閉鎖的になっていきます。
このあたり、感情表現の3と協調性の2が上手くいっていない時の5の質がでているのかなと感じました。

そのもとになっている観念を考えてみました。
主張のつよい、気の強い自分を出すと、誰も周りに残ってくれないのではないか」という漠然とした不安もあるように思います。
また、しなければならない観念の中に、「人の痛みが分かる人間でなければならない」というものがあると思います。自分は我慢しても、相手を立てなければというような。
(中略)
それから、同年代の人間関係においては「自分のためより人のため」ということをずっと意識してきたように思います。「自分のために動くことは自分勝手な行為」だと思ってきました。

★カヴィーシャ: 奉仕の役割を担った人はたいていそうですよね。だからといって、あなたの魂の役割が「奉仕者」というわけではありませんが。

★R.S: 自分でも役割は「奉仕者」ではないような気がします。今のところ、自分の全てを他の人のために捧げることに最大限の喜びは感じられないからです。

★カヴィーシャ: では、「自分のために動くことは自分勝手な行為」と、なぜそんなふうに思うようになったのでしょうか?

★R.S: 道徳でいういい子を演じようとしていたのでしょうか・・。「自分勝手な子は嫌われる、直すべきもの」という刷り込みがあったのかもしれません。自分が自由にする分、他の人は自由に出来なくなると思っていたのだと思います。

自分はいくらでも我慢が出来るけど、他の人に我慢をさせるのはかわいそうだと。

★カヴィーシャ: 我慢をさせることが大切なこともありますよ。
獅子は子を産んで三日経つと,その子を千仞(せんじん)の谷に蹴落とし、生き残った子を育てるという言い伝えがありますが、あなたはこのままでいくと、きっと過保護なママになるのでしょうね。


★R.S: 自分自身が割と過保護に育てられてきたと思っているので、自分は過保護な母親にはならないぞ!と思っていましたが、しっかりその素質はあったのですね・・。傷ついたり、我慢したりすることが相手の成長になることもありますよね。長い目で見て、相手のためになるように行動できるようになりたいものです。

それは私の勝手な思い込みで、相手がどう思っているのかなんて実際は分からないのですが、少し勘違いをして捉えていたというか、過度の思い込みをしていました。
よくよく考えてみると、自分の事をおざなりにしてきたというか、自分の事を大切にしてなかったなと思いました。これからは、本当の自分勝手にならない程度に、自分を甘えさせてあげてもいいんじゃないかと思います。

お互いの主張をして、共に納得いく落とし所を見つけるというのと、一方が我慢をして一見平和的解決をするというのは、全く意味が違います。自分より相手を立てることで悲しい気持ちになったのは、他の人をいじめないかわりに、自分をいじめていたからなんだと気付きました。

★カヴィーシャ: すばらしい気づきに拍手を送ります!


カヴィーシャ様が、私のオーラに輝きがなく、「もっと自分に愛を与えてあげてください」とおっしゃっていたことを思い出します。自分には、本当に最低限しか愛を送っていなかったと思います。どんなに頑張っても、「まだまだ!」と過度に要求(期待)していたような気がします。私はずっと自分に甘いと思っていましたが、ある意味スパルタだったのかもしれません・・。

★カヴィーシャ: そうですね。人にやさしい分、自分に厳しかったわけですね。

       
他にも、
男は基本的に信用できない」と言う観念もありました。

★カヴィーシャ: 信用できる男性は今も見つからないのですか?

★R.S: いえ、しっかり考えている男性もいるのは見てきていますし、信用できる人柄の人もいました。ただ、男女関係のもろもろにゆるいというか、適当な人をみると少し呆れてしまいますが・・。それでも、昔のような激しい怒りに近い感情はあまり湧かないようになったと思います。男の人というだけで必要以上に拒否するということはなくなりました。 

女の人を軽蔑視する男の人に、強い反感を覚えるのです。もしかすると過去生で自分がそうだったのかもしれませんね。汗
これは自分の中にも、男女差別の気持ちがあるからなのだと思います。

また、理由はよく分からないのですが
「例え自分が自分を愛しており、また、どんなに相手を愛しく思っていても、相手がありのままの自分を同じように愛してくれる自信がない。たとえ相手が自分を同じように愛してくれなくても、相手を恨んだりはしないし、愛するよう強要するつもりもない。ただ、やっぱりそれは寂しいことで、虚しいこと」という観念もあるように思います。これは、男女愛に限らず、友情などもそうです。

上に書いた事と矛盾する気もしますが、これは、自分が自分を愛している仮定からくる観念です。ただこれは、まだ完全に自分を愛しきれた所に達していないために出てくる観念のような気もします。もっと自分を愛せるようになれば、この観念は変わるかもしれません。★その通りです!!

私の場合、どんなに自分で自分を愛していたとしても、一人(独身)で生きていくことは今のところ考えられないのです。どこかで「誰かと共に生きてゆきたい」という思いがあるのです。★正常な願望だと思いますよ。

カヴィーシャ様自身結婚されて、お子様もいらっしゃるということで、自立する=独身で生きるということではない事に非常に安心し、勇気をもらいましたが、開き直った私はわがままな部分や気の強い部分も多々あると思います。そんな私を前面に出した時、皆自分の周りから離れていってしまうのではないか、誰がそんな私の周りにいてくれるのかという観念もあります。★実験してみられてはいかがでしょうか?

★R.S: そうですね・・!意外と自分を臆せず出せた時の方が、仲良くなれた気はしています。頑張って実践してみます!
       
        ねずみ1


独立と自由は心から渇望しています。反面、孤独を恐れているのです。
真に自由と独立をすれば、孤独を感じることがまずなくなるだろうとも思いますが・・。


孤独が嫌だから誰かと共にいたいわけではないのですが、将来、喜びを分かち合う人がいたら幸せだろうなーという空想です。
ですが、自分の世界は自分で作っているわけですから、自分で自分を愛せば、周りの世界におのずと反映されてくるものなのかも、とも思います。「スピリチュアル系の人は独身が多い」というのは、少し気になる話ではありますが・・笑 

★カヴィーシャ: 嫌われオーラが出ている人が多いからかもしれませんね。


★R.S: 自分で「今嫌われオーラだしちゃったな~」と思う時はあるので、気をつけておきます! 人を下に見るような気持ちや、自分への変なプライドがあったりすると、嫌われオーラが出てしまうような気がします。あくまで自分の感覚ですが・・。

話が前後しましたが、第2回目のレポートを通して、自分をもっと可愛がってあげよう!という気持ちになれました。やっぱり、私にとって一人しかいない私は、とても愛おしくて、大好きな存在です!そこに気づけたことで、周りに対しても前向きになれそうな気がしています。
自分への愛が足りていないから、周りの人や世界にも愛が足りないような気がしていたのですね。やっと、自分のものとして腑に落ちたように思います。

★カヴィーシャ: 何度も何度も「自分を愛しているか?」ということを自分自身に問うてみることです。
すぐにまた「愛していない自分」に戻ってしまわないよう、意識をしておくことですね。 
あなたが解放したい観念を、どんどん解き放ちましょう。
「わたしはもう○○という観念は要りません。今わたしが選ぶのは、○○です」と宣言してください。
次回は実践体験談を書いてください。楽しみにしています。





ちょうちょ1


*実践体験記からの考察*
(体験談は長文のため、省きます)



私は今まで、「自分を愛さなければ、他人を愛す事はできない」という意味が全く分かりませんでした。自分自身を愛していなくても、他人を愛す事は出来るだろうと、本気で疑問に思っていました。そもそも他人に愛してもらうことで、自分も愛せるようになるもので、それは相手もおなじだろうと思っていました。
うまく言い表せませんが、今なら心から「そうだな」と納得出来ます。自分を大事に出来て初めて、相手も無条件に大事に出来るのだろうなと思います。

★カヴィーシャ: その通りです! 思うだけでなく、体験してくださいね。


自分に愛を注げるのは究極的には自分しかいないので、それがない状態で人を愛するというのは、相手に何か求めた結果の愛になってしまうかもしれません。
自分を愛で満たして初めて、他の人も愛する余裕が出来るというか、何も相手に求めない愛になるのかな、と今は思っています。 

自分で自分を愛す事、認めることの幸せに少しでも気付けたことがとても嬉しいです。
ここから、私自身で進む人生のスタートラインに立ったような気がしています。
自分の足で歩むことで生じる責任に、時に逃げたしたくなることもあるかもしれません。
ですが、自分で決めたことに対して取る責任は、とてもポジティブなことのように思えます。


★カヴィーシャ: すばらしいですね!


これからは自分を手放さないように、うっかり手放しそうになった時はまた引き寄せられるように、わたしの人生を歩んでいきたいです。
カヴィーシャ様にはいつも本当に温かく見守っていただいて、感謝の思いでいっぱいです。
本当に人生うまくできているなというか、私は運がいいです!

カヴィーシャ様が見守って下さっているからこそ、今まで考えてもいなかった方向へ臆せずに踏み出すことが出来ているのだと思います。いつも、本当にありがたいです。

ここでカヴィーシャ様に頼り切ることなく、いつかは自分自身で自分を導いていけるようになりたいです!巣立ちまでは時間がかかるかもしれませんが、これからも頑張っていきます! 



虹


★ 孤独から「独り立つ者」へ ★



◆ 軌道数5について ◆
  ~今回のレポートに取り組んで感じたこと~  R.S



2回目のレポートを書いた後カヴィーシャ様のブログを読み直していたところ、「独り立つ者」というワードが目に留まりました。一度は読んでいたと思うのですが、あまり気に留めていなかったようです。

2回目のレポートで、私は孤独について気にしていました。それは、他者を権威者にすることで湧いてくる恐れであったと思います。そんな中、「独り立つ者」に関する記事を読み、ハッとしました。やっぱり、自分はここを目指しているんだろうなと思ったのです。

愛が可能になるのは孤独な時ではなく、独りあるときのみ」「自分が持っていないものを人に与えることはできない」この言葉を見た時、そうだったのか~と思わずため息が漏れました。

また、カヴィーシャ様の「自分で満ち足りている(独りあること)事こそ自由」、「独り立つ者は、統合されていた時の自分を選んだ者」という言葉を見て、なにかスッと繋がって腑に落ちたような気がしたのです。
今までの経験で体験した自分自身の分離した気持ちも統合をするための前準備であったし、精神的な男性性と女性性の統合に強く惹かれ憧れたのも、すべては独り立つ者として生きる道を選び、真の自由を体感するために生まれてきたからだったのか!と。

★カヴィーシャ: そうですよ。すばらしい気づきです。


そう思うと、この5という軌道数はなんて素晴らしいんだろう!と、この軌道数を選んだ自分に感謝の気持ちでいっぱいになりました。

独り立つ者こそ、私が一生かかってでもなりたい、憧れのように感じるのです。
そして是非とも、自分も独り立つ者になり、独り立つ者である相手や子供と共に歩んで行けたら、これ以上ないくらいの幸せです。

独りある者へのスタートラインとしても、自分を愛す事は本当に大事なことだったんだ、と実感しています。何一つ、無駄なことはないんだな、と嬉しくなりました。


私としてはまとめも兼ねたレポートとなりましたが、これを第3回目のレポートとさせていただきたいと思います。


          ねずみ大


★カヴィーシャのコメント: まだハイアーセルフから課題終了のサインは来ていませんが、とても大切なことを短期間で学ばれ、気づかれたと思います。

彼女は将来喜びを分かち合う人がいたら幸せだし、自己確立ができたパートナーがほしいと思っておられますが、現在独身者で彼女と同様のことを考えている人はけっこう多いのではないかと思います。

昔は男女半人前同士で夫婦になって、一人前になると考えられていましたが、そうではなくて、「自己確立ができた独り立つ者」同士が夫婦になってこそ、真に愛しあい、人生の喜びを分かち合える存在となれるのだということを、再度繰り返して皆さんに伝えておきたいと思います。
そして、そういう夫婦であってこそ、子どもを過保護や過干渉、あるいは放置する(放任とは意味が異なります)ことなく、適切に育てることができるのです。

まだ責任をとりたくなくて、真のおとな、真の親になれない魂の未熟な人は、準備ができていないので、なかなか子どもを持つことができません。持てば、持ったで、親子共々苦しい学びの体験をせざるをえなくなるでしょう。しかし、そういう段階を繰り返し体験していくことが、この世界での学びなのです。
「過去生の縁」というのもあるので、カルマの解消のために再度夫婦になる人は大勢います。さまざまな辛苦を臆せず体験し、それを来世に持ち越さないようにクリアしていくことが必要です。

まずはR.Sさんには自己探究を重ね、「独り立つ者」になられることを心から願います。

自分を全面的に愛することができるようになったなら、「自分の全てを他の人のために捧げることに最大限の喜び」を感じることができる「真の奉仕者」となることができるでしょう。

今はもっとも近い目標である医学の学びを極めてください。
そして、高い見地から心身の全体を把握し、病気の原因を見通せる霊性の高い医師を目指していただきたいと思います。がんばってくださいね!



ふたつのハート

★さて、あなたのなかに「個人の神話」は存在しているでしょうか?
あるいは、「ネガティブな観念」は存在していないでしょうか?

自分自身を見つめること。
自分自身を知ること。

これが、あなたがこの世界に誕生した大きな理由のひとつです。
毎日の忙しさに埋没していくのではなく、
静かな時間をもって自己を探究してください。






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