「バレンタインデー」からの考察

2014年02月13日 18:45


★ バレンタインデーからの考察 ★



明日はバレンタインデーですね。
すでにチョコレートを用意されている女性もいらっしゃると思いますが、
今回は、ちょっと「バレンタインデー」について考えてみました。




       プレゼント
      


皆さんもご存じの『バレンタインデー』、もしくは『セントバレンタインズデー』(St. Valentine's day)は、現在世界各地で『男女の愛の誓いの日』として2月14日に祝われていますね。
しかし、元はローマ皇帝の迫害下で殉教した聖ウァレンティヌス(テルニのバレンタイン)に由来する記念日(269年2月14日)だったという説があります。

ローマ帝国の皇帝だったクラウディウス2世は、「愛する人を故郷に残した兵士がいると、士気が下がる」という理由で、ローマでの兵士の婚姻を禁止したといわれています。
兵士の婚姻が禁止されていたにもかかわらず、当時秘密で兵士を結婚させたということで捕らえられ、処刑されたあるキリスト教司祭がいました。それがウァレンティヌス(バレンタインのこと)だったというわけです。

処刑の日は、ユノ(すべての神の女王であり、家庭と結婚の神)の祭日であり、ルペルカリア祭の前日の2月14日があえて選ばれました。バレンタイン司教は、ルペルカリア祭に捧げる生贄とされたというのです。
このためキリスト教徒にとっても、この日は祭日となり、恋人たちの日となったというのが一般論のようです。

このことからしますと、バレンタインデーの歴史は、ローマ帝国の時代にさかのぼる頃から始まっていたということが言えましょうか。
2月14日が「バレンタイン司教の処刑された記念日」というのは、主に西方教会の広がる地域において伝えられていたようですが、恋人と関連付ける習慣は、正教会では特に行われてはいないようです。




      聖バレンタイン


~バレンタイン( San Valentino )についてのエピソード~

ローマ皇帝クラウディウス2世は、戦士の士気の低下をおそれて兵士たちの結婚を禁止していました。
バレンタインはこの禁令に背いて恋人たちの結婚式を執り行いました。
結婚したばかりのカップルに、彼は自分の庭から摘んできたばかりの花を贈ったのです。
そのことが発覚し、彼は捕らえられました。

バレンタインが監獄にいたとき、彼を訪れては説教を聞いていた看守の召使の娘がいましたが、その娘の目があるとき見えるようになったというのです。
この奇跡を信じた彼女の家族がキリスト教に転向したため、皇帝は怒って彼を処刑したといいます。
処刑の前日に、彼がこの娘に宛てた手紙には「あなたのヴァレンタインより」と書かれていたのだそうです。

素敵なお話ですね。



   ピンク2


★ 日本に定着したバレンタインデー ★



日本でこの行事が定着したのは1970年代後半だったといわれます。
その内容は皆さんもご存じのように海外とは異なり、「日本独自の内容」になっていますね。
つまり日本の社会に、主に「女性が男性に親愛の情を込めてチョコレートを贈る」という「ジャパニーズ型バレンタインデー」の様式が定着したということです。
「バレンタインデーにチョコレートを渡すのがいいのでは?」と最初に考案して実践したのは、大田区の製菓会社なのだそうですが。

ウィキペディアからの情報によりますと、「現代日本社会におけるバレンタインデー文化の、起源、普及過程、社会的機能、歴史的意義などについては、民俗学、社会学、宗教学、歴史学(文化史、商業史)の各分野から研究されるべき事項であるが、バレンタインデーに関するまとまった研究は存在しない」ということのようです。


バレンタインカード



★バレンタインデーのチョコのやりとりに関する
       日本人の意識調査★



下記は、ウィキペディアからの情報です。
参考のため、一部を引用させていただきました。

2006年2月にインターネットで情報提供を手掛けるアイブリッジ社が実施したバレンタインデーに関する独身男女(20代〜30代)に対するアンケートによれば、回答した300人のうち「チョコレート受け渡しの習慣なんかなくなればいい」という回答がOLで70%、同じく男性社員は50%であった。ただし、OLの反対意見では、女性の側から贈る習慣に反対しているのであって、男性側から贈られるのであれば賛成とする「ご都合主義的意見」も多かったとされる。

同じく、男性側はホワイトデーのお返しが大きな金銭的な負担となっており、この義務的なイベントに対する不快感を強く持っている人が多い。妻子ある男性までも、他人の女性にプレゼントをすることを強要されており、その分のお金を妻や子供に対するサービスに費やしたいと考えている男性にとっても非常に人気がない。中には義務的なイベントを無理矢理作り出して、強制的にチョコを買わせるのは非人道的な卑劣な商法であるといった痛烈な意見もある。

また、労働法の専門家によると、職場内におけるバレンタインデー・ホワイトデー・おごりの強要は環境型セクシャルハラスメントの温床とされており、危険性を指摘する声もある。性別を理由に一定の義務を課し、本人の意に反する行為を強要するわけであるから、環境型セクシャルハラスメントにあたる。しかも、女性のみならず『男性が被害者』になるセクシャルハラスメントである(2007年8月30日 読売新聞)。

一方、同じく2006年2月にマクロミル社によって調査が行なわれ、全国の10代〜30代の1,030名の女性から回答を得た「バレンタインデーに関する調査」では、「日頃の感謝の気持ちを表す機会」が69%、次いで「コミュニケーションの円滑化」(49%)、「楽しい年中行事」(32%)という回答結果であった。
反対に「義務的なイベント」と回答した人は23%に留まっており、義理チョコに対してポジティブなイメージを持っている人が多いという結果となった。
しかし、2007年2月同社による20歳以上39歳以下の会社員女性515名から回答を得た「バレンタインデーに関する調査」では「会社での義理チョコのやりとり、あった方がいい」が26%、「ない方がいい」が74%とネガティブなイメージがあり、調査年齢層の年齢が上がるほど否定的傾向が顕著に強くなる調査結果となった。

チョコレート


~20世紀終盤から2000年代以降の日本人の意識~

日本のチョコレートの年間消費量の2割程度がこの日に消費されると言われるほどの国民的行事となっており、2000年代以降は後述のように多様化している。
女性が男性にチョコレートを贈ると同時に愛の告白をするといった主要目的以外にも、すでに交際中の恋人や、結婚している夫妻、子供同士でも行われるようになり、憧れの男性・女性に贈るケースや、上司や同僚、ただの友人などの恋愛感情を伴わない相手にもチョコレートを贈る「義理チョコ」という習慣が定着しているが、義理チョコは1990年代後半以降衰退傾向にあり、2000年代後半から2010年代前半においてもその傾向は継続している。

また、女性が女性へチョコレートを贈る「友チョコ」の動きが2000年代初旬より広まってきてバレンタイン市場・商戦を支える存在となっており、特に2000年代後半以降、友チョコの市場規模は拡大傾向となっている。

バレンタインデーにおけるチョコの売上停滞に危機感を抱いた関連業界の企業において、友チョコを重視したキャンペーンを行ったり、西欧・米国では当然でも日本では一般的でない行為、男性が女性にチョコレートを贈る「逆チョコ」といった様々な展開で消費活性化を図っている。

逆チョコは特に森永製菓が積極的に展開しており、1960年と同じく2000年代後半以降も大々的なキャンペーンを行っていて、逆チョコ仕様の「逆ダース」を期間限定発売するなど力を入れている。この時期はチョコレート販売店舗で特設会場が設けられたり、商品の種類が多様化するため、その試食を目当てにしたり、輸入品や高級品のように店頭在庫が珍しいものを自らのために買い求める「自分チョコ」を行う者も2000年代以降増えている。


さて、あなたはこれを読まれて、どのような感想を持たれましたでしょうか?

hana


皆さん、チョコレート関連業界における罠にハマってしまってはいませんか?

愛の気持ちを届けるのは何も2月14日に限らない 
ということくらいはおわかりですよね?

いつだってよいのです。
気持ちを届けたいとき、そのときが絶好のチャンスなのです。
贈り物はチョコレートでなくてもいいのです。
贈りたいものをさしあげたらよいのです。

それでもどうしてもチョコをあげたいのなら、
それはそれで自由です。
ご自分で食べたいなら、それもご自由に。

ただ、「バレンタインデーだからチョコレートをあげなくちゃ!」と、
チョコにこだわらないことです。

2月14日やバレンタインデーに便乗せずに、
常に主体的な行動をしていただけたらと願うしだいです。

2月14日はチョコのことよりも、
バレンタインという素敵な司教さんが過去に存在したのだということに
想いを馳せていただけましたら、幸いです。



バレンタインカード2


★この記事を読まれて何か共感を得られたこと、
気づかれたことがあれば、ぜひコメントを残してください。
卑近な日常生活における出来事から人間の意識レベルがわかるのです。
さて、あなたの意識はどのあたりにありますか?


「課題」のレポートから 

2014年02月17日 00:00


「課題」のレポートから ★



今回は、埼玉県にお住まいの女性、M.Kさんのレポートをご紹介します。
昨年の6月から「課題の個人レッスン」を始められ、途中休憩がありましたが、また今年の1月から再開され、1カ月間3回のレポートで、みごとにクリアされました。
彼女については、昨年の過去記事のなかで、素敵な詩とともにすでに紹介をしておりますことをお伝えしておきます。
下記は、M.Kさんのレポートから、皆さんにお伝えしたい部分をピックアップさせていただきました。



すみれ2


◆ 課題 『依存心
       M.K 37歳 埼玉  


~序文:家族と姉の関係からの気づき~


『コントロール』の課題を頂きましてから、他者とのコミュニケーションの問題であることに気づき、家族との会話(コミュニケーション)があまりないに等しいという事実に気づいた私は、家族と挨拶を毎日交わすということに決め、それも現在続いています。
挨拶は家族からしてくることはまずないので、自分からすることにしました。まずおはようからはじまり、いってきますからおかえりなさい等、一般家庭では当たり前だろうと思われていることが家ではされていなかったので、初めはすごい恥ずかしく、丁寧な言葉は使えなかったのですが、今では慣れてきて、挨拶も習慣になりつつあります。ささいなことでも感謝を伝えるようにしました。

★カヴィーシャ: 勇気あるすばらしい実践だと思います。

☆M.K: はい、ありがとうございます!母にせよ姉にせよあたりまえにやってもらっていたことでも、ありがとうと伝えることが大切だなと思いました。あたりまえを当然だと思っていては、成長が止まってしまうなと思います。そこに甘んじるのではなく、自分でやることで自立し成長するのだと思います。母が病気になって、自分も家事をするようになってから、あたりまえのことがとても助かっていると実感しました。実践することで、家族が明るく元気になることが、少しながら感じることができました。

ときどき母は、自分だけがやっている、自分ばっかりと主張することがあり、私や姉が反抗してしまうこともあるのですが、原因はやっぱり日頃の感謝がたりないのと、今までやってきてもらったことが多かった中で、あまりお返しをしてこなかったのが原因ではないかと思います。
非難に対しては感情的になるのではなく、そこでなにを気づかないのといけないのか、向き合い、文句ではなく、誠意を示したいと思います。


★カヴィーシャ: すばらしいですね! ぜひそうなさってください。


依存心について~


課題に『感情面で人を脅迫し、他者を操作する傾向がでます』とありますが、精神疾患をオープンにすること(休む時とか必要のあるとき)に抵抗がなくなってきたことから、自分の言動を観察してみて、精神疾患であるということで、それを理由にして、他の人に自分を救ってもらおうとすることがたしかにある。と気づきました。

最近ですが、仕事が変わって同僚の仕事を私が手伝うことになりました。(今現在は忙しく手伝うまでには至りません)私は同僚に、どういう時に調子が悪くなるかだいだいわかっているので、それを理由に無理ですと仕事が無理なことを伝えることも多くなってきて、それは自分を助けてもらいたい、相手になんとかしてもらいたいという甘えがあり、それが依存なんだと気づいたときに、私には楽をしたい気持ちや誰か他の人がやればいいのにという自分のことしか考えていない、相手のことをまったく考えていない自己中心的で愛がない思いがあることに気づきました。

その仕事をするのかと思うといやだな~会社へ行きたくないな~と思う日もありましたが、朝瞑想をして、ふつふつと人は自分一人で生きているのではないという思いが湧いてきて、仕事はみんなでするもの、協力してやるものだ、だから自分ができることはできる限りやろう、と頭が切り替わりました。自分にはできない、というネガティブな思考が自分を甘えや依存へ引き込んでいるのだと気づきました。

ネガティブな考えは、病気を発症したことによって、もう社会では働けなくなるのではないかなという不安からくるものではないかと思います。なかなかネガティブな思考が抜けないのは、依存しているから、安心や安全を欲しがってばかりで、社会に依存しているからなのだと思いました。
働かなければ生計が立てられないという思いからくるのだと思います。でも、仕事をするにあたって、お金を得るために仕事をしなければならないという考えを取り払って、自分が少しでも役に立ちたいという思いで仕事をしたら、楽になりました。義務感からではなく、自分がしたいようにするのが依存心を克服できるのではないかと思います。会社にはなにも期待していませんでした。役に立てれば、リハビリでという思いで入ったので、初心を思い出して、会社に依存することなく自分主体で働こうとすればよいのだと気づきました。

★カヴィーシャ: これは大変ポジティブな考え方ですね。

☆M.K: 私もなんとなくそのような感じがしました。会社側からすれば自分の都合で使われているようで、あまりいい動機とはいえないのでしょうが、自分にとってはやるだけはやって、だめだったら他で探せばいいと、気持ち的にはとても開放されている気がします。会社に依存していないと、少しくらいつらいことがあっても乗り越えられるものだとも感じています。でもそれは周りの助けがあってこそ成り立っていると思います。
民間的な会社では考えられないくらいルールが厳しくて体質的に自分にはあわない会社なのですが、今の会社にはご縁を感じていますので、くるとき(辞める時)がくるまで精いっぱい働かせて頂こうと思います。


最近の会社での出来事なのですが、電話当番が毎週あり、(内容は自分の携わっている仕事外のことを説明することが多く、4人当番制で、頼りになる社員さんは電話にでてくれないので今いる会社に限っては苦手です)、もう他の人には期待しないで、自分が全部でるつもりでやろうと心に決めて、実際その心つもりで電話に出たら、他の人がでなくても気にならなく、達成感があって、はじめからこういう気持ちでやるんだったなと思いました。自分が責任を持つつもりで、やると決めれば、人の助けがあった場合にすごいありがたく、それが『受け取ることができた』ということなのだと思いました。 

『受け取れない』のはいつも、当たり前だと思っていて、人に期待していて、一時的に期待が満たされているときです。たしかに瞬間的に気分はよいですが、ありがたさを感じないときがあります。そこにはやってもらって当然という高慢さと自分本位であって自分を優先していて、そこに他者に対する愛ではなく依存心があるからなのだと思います。

以上のことから他者に期待や依存をするということは、期待が満たされないと不満になり、イライラになり、批判に繋がり、他者を思い通りにさせようとコントロールし、自分の欲求を満たそうとする行為のだということ、私はやろうと思ったことを、率先してすることで自信と自分に対する信頼を取り戻せるに違いないと思いました。信頼は自分ができると信じてあげることからだと思います。

家族に対しても、感情で相手を納得させるということは、相手を自分の思い通りにさせたい、納得させたい、一時的にすっきりさせたいという欲望を満たす行為であり、それを他者にコントロールすることは他者を尊重していないということで、他者が満足しているはずないのに自分が満足できるはずはないなと思います。

★カヴィーシャ: その通りですね。


アネモネ


~最近の出来事から~


家族に感謝を伝えるようになり、細かいことまで聞くようにしてからは、自分はほんとコミュニケーションがなかったんだなということを気づかせられて、人のありがたさをわかっていませんでした。
やはり考え方や価値観の違いがあること、自分が思っていたこととは違うこと、視点が違うこと、さまざまな考え方があるのだと思いました。それはやっぱり話をしたり、聞いたりすることでしかわからないことだなと思い、自分の思い込みや判断で物事を決めてはいけないなということを学びました。

★カヴィーシャ:貴重な体験ができたのですね。

☆M.K: はい。自分には考えつかないことに、たびたびびっくりします。
最近ではとくに自分はこう思われているという事実にとても驚きます。自分で思っていること(ネガティブに考えていること)には正反対であることが多いので、もっと自分を信じてあげようと思うことが多くなりました。コミュニケーションをすることや、自分がしたいと思って他者にしたことで、自分とは人から見てどんな感じのする人間か?ということを知る機会がとても増えたような気がしました。人にも喜ばれて、自分を客観的に感じることができる、そういうことを体験させていただいているような気がします。

自分自身のことや本当にそうであるのか、知りたい欲求が強くて、それを外に求めていて、外から答えを得たとしてもけして満足することはありませんでした。どんなにたくさん答えがあっても、体験することでしか知ることができないそれが答えだと思いました。


★カヴィーシャ: そうです。体験して知ったこと、気づいたこと。それがあなたの真実の答えなのです。もうそれを信じる必要などはありませんね。すでに実感して知ったのですから。

☆M.K: 体験して知ることが真実なのですね。自分自身を信じること!腑に落ちました。
答えが自分の中にあるのにそれを疑い、他者に求めて、認めてもらったら満足するのかと思ったら、まだ足りなくて、欲求は際限がないです。
小さい頃から家族に、~してほしいと言ったことがなかったような気がします。自分の欲求を表現できなかったのだと思います。ですので、我慢しないで自分にやってほしいことは自分にやらせてあげることだと思いました。

人に感謝を伝えること、それは自然と愛情が湧いてきて、動物を抱きしめたくなったりしました。父に御線香をあげたくなったりもしました。


★カヴィーシャ: 実際にそれらを行ないましたか?

☆M.K: 行いました。愛情が湧いてくるときは人に触りたくなったり、猫に限りますが、抱きしめたくなったりします。それと、感謝も湧いてくるものなのだということも知りました。今ではここまで、ということはありませんが、以前、空(天)に祈りを捧げたいくらい思わず手を組んで感謝を祈ったことがありました。

私はそんな風に人を愛することができるといいなと思います。またそんな風に自分も愛してあげたらいいなと思いました。手を自分の子宮のあたりにおいて自分の体温を感じながら自己流ハンドヒーリングをしています。なんだか自分の体温っていいな、暖かいな、愛されているなと感じました。自分を慈しむ思い(ごめんね、ありがとうといった気持をこめて)がじわじわっと身体にしみ込んでいくように思いました。まずは自分を愛すること、そして期待を相手に求めないこと、それが依存心を克服する第一歩だと思います。

人はひとりでは生きられないこと、助け合って、でも寄りかからないで、自分のことは自分でなんとかする、助けが必要な時には素直に借りるそして相手にも手を差し伸べること(協力し合うこと)を心がけていきます。


すみれ5


依存心を克服するために~


期待を相手ではなく自分に、愛する自分に変化することで、自分を信頼して自分で自分の欲求を満たしてあげられるように自分の好きなことをすることです。自分を表現させてあげること、いつまでも執着しないで、心を切り替えられる自分になること。相手のことは気にせず、自分は自分で、相手にどう思われようが、嫌われてもいいと思えるくらい自由に心を開放してあげたいとそう思っています。
ハイアーセルフもそう望んでいると思います。

自分は感情も愛もない冷たい人間だと思っていましたが、思い込みがとれました(はずれました)。
10年前に病気を発症したきっかけと同じことをしました。悩んでいる方にコメントを入れたくなって、それで、コメントしました。
そのとき気づきました。私は冷たい奴なんかじゃなかったんだーと。自分が何だか愛しい感じになり、愛するってこんな感じなのかと少し感動しました。『コントロール』はもしや10年もかかっていたのかなと思いました。自分を『認める』とは愛すること、思い込みからはずれることなのだなとやっと腑に落ちました。でも、やっぱり人を救えることはできないなとその時実感しました。自分のことは自分でしか救えないと思いました。なにもその人は変わっていなかったから。救いたいと思ってやったことではありませんが、自分には悩んでいる人(?)には手を差し伸べたい欲求があるようでそれが優しさなのだなと気づいた時には冷たい人間だと思っていた自分に謝りたくなりました。インターネットで『他者を自分の欲求を満たしてくれる安全な供給源』としていたのかもしれません。依存にはならないように気をつけます。


すみれ1


上記のレポートが届いたあとに彼女のためにハイアーセルフが選んでくれたテーマは『喜び』でした。これは「恩恵」のカードであり、「実現」のカードで、「課題」の受講者さんたちにこのようなポジティブなカードが出ることは滅多にありませんでした。
わたしは彼女につぎのようなメッセージを届けました。

★どんなときに『喜び』は生まれ、どんなところに『喜び』はやってきますか?
それを見つけましょう。どんどん見つけていきましょう。
それがあなたの最終の「課題」です。

喜び』は癒しをもたらし、より真実に近い現実への扉をひらいてくれます。
喜び』で満たされているとき、あなたは神からも、人々からも愛されているのです。
そのことをしっかりと認めましょう。
それを認めたなら、今度はあなたからさまざまなものに愛を与えることができますね。
喜び』がどんどん増えていきますね。

このすてきな「課題」にチャレンジしてください。



ピンク1
 

  課題 『喜び』

                       


『喜び』素敵なメッセージをありがとうございます。

喜びについて日常生活の中から、毎日ひとつは喜びをみつけて、ノートに書き留めることにしました。
数日間の間ですが、気づいたことをレポートします。

私自身、日常生活の中で『喜ぶ』ことが少ないことに気づき、唖然としましたが、どんなに些細なことにでも、喜びは見つけられるということを実感しています。

数日間の間から、私の喜びが生まれる時は、人を褒めているとき、いいね~と分かち合っているとき、気づきを共有しているときだと気づきました。
母がめずらしく新しい洋服を購入したときのこと、母と姉が一緒になって喜んでいるとき、私は嬉しくなり、会話に入りたくなっていきます。(めったにないことでしたので)
そのとき気づいたことは、私は褒めることが好きだ、ということでした。

★カヴィーシャ: 素敵なことですね。

褒めることは私にとって嬉しくて、なんだか自分がとても満たされている感じがしました。
そして、いいね、と言って一緒に喜ぶこと、それは気づき(お互いの気持ち)を分かち合うことなんだと気づきました。
そこには期待も何もなく、ただ与えたいという気持ちがあるのではないかと思います。
そういう気持ちが自分の中にあるのだと気づきました。

★カヴィーシャ: 嬉しい気づきですね。

本を読んでいるとき、新しい考え方が入ってくるとき、喜びが生まれてきます。それは今年初め、本をこれからたくさん読むぞと決意したときから、本という存在はとてもポジティブなものに変わりました。
もともと何もなかった私の思考の中から、解決策の糸口や気づきが生まれ、友人の姿が思い浮かんでくると、本を友人にプレゼントしたくなりました。これも分かち合いの気持ちからくるものだと思いました。友人はどう思うかわかりませんが、本をプレゼントしてみようかなと思います。

掃除をしたり、浄化をしたり、部屋や物をすがすがしく整えることに喜びを感じます。
やりきったとき、ものの空間や石がリセットされたなと感じると嬉しくなります。
そして綺麗にものを並べたくなり、飾りたくなり、そしてそれを写真に撮りたくなり、人と共有したくなります。

詩と写真があわさったときそこに喜びを感じます。なにもなかったところから、作品(?)ができあがると偶然ではなくそこに神の意志を感じるからです。
神の意思を伝えていきたい、そのように思いました。同時にそれは自分が伝えたい意思でもあるのだと思います。

★カヴィーシャ:これからも、詩を通して伝えていっていただきたいと思います。

植物が元気に育っていること、自分の身体によいものを見つけて購入したりすること、自分の生活にはなかった新しいものを試したりすること、インターネットでいいものや勉強になるブログを見つけること、働けること、生活できていること、数えればきりがないのですが、なによりも病気の母が元気に病院へ行って、笑顔で帰ってきてくれること、その笑顔を見れることが嬉しいです。(透析は疲れると聞いています)

喜びは、何かに打ち込んでいるときや、ひとりの世界に入っていて喜びに満ちているときにふいにやってくることにも気づきました。それは自分の思いを伝えているとき、気づきを伝えているとき、なにも期待がないときです。そして自分の湧いてくる思いを素直に伝えているとき、思わず笑ってしまうような答えが返ってきて、嬉しくなります。

★カヴィーシャ: その通りです。至福の瞬間ですね! すばらしい体験ですね。


そういうときはきっとハートが開いているときだと思いました。
ハートが開いていないとコミュニケーションできないし、私もずっとそれを避けてきました。
でもハートが開いているときに『喜び』は生まれハートが開いている心に喜びがやってくるのだと気づきました。
ハートを開いて、喜びを受け取れる自分でありたいと思いました。そしてそれを人にどんな形でも返していきたいなと思います。
分かち合うことが私の喜びです。広げていきたいです。


以上、『喜び』のレポートでした。ありがとうございました。


★カヴィーシャ: 喜びに満ちあふれたレポートを読んで、わたしも歓びをいただきました。
今回の課題「依存心」と「喜び」は、クリアできましたよとハイアーセルフが言っております。
これからも、どんな小さな喜びでも見逃さずに、書きとめておかれるとよいと思います。
きっと幸せな気持ちになれるでしょう。


☆M.K: はい^^

★カヴィーシャ: Mさん、今回の課題はこれで終了です。
おめでとうございます!
わたしも、とっても嬉しいです。


☆M.K: 嬉しいです(泣)




ふたつのハート

★Mさんに、そして、今日この記事を読んでくださったあなたに
つぎのことばを贈ります。


喜びとは
何かを成し遂げることにあるのではない

喜びとは、あなたがそれを望み、
全一的な強烈さで望み、それをしているあいだ
すべてを――、
全世界を忘れていたことにある
それはあなたの全存在の唯一の焦点になっていた

そこにあなたの至福と報酬がある
成し遂げることにも、やりつづけることにもない

存在というこの変化しつづける流れのなかに
毎瞬毎瞬、それ自体の報酬を見いだすべきだ

私たちはすべてに最善を尽くし
中途半端な気持ちでやっていたわけではない
何ひとつ出し惜しみすることなく
その行為に全存在を注いでいた

そこに私たちの至福がある

               OSHOのことばより






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