気づきはその人の魂の年代と段階によって異なる 

2013年12月01日 12:00


12月に入りました。
日本列島では、先月から早くも雪が降りつもった地域があり、冷たい風が吹く非常に寒い日が続いておりましたが、この数日は晴れ間も出て、寒さも少し和らいできたように思います。
2012年があまりにも過ごしやすかったために、このまま穏やかな日々が続くのかな~と思った人たちも多くいらっしゃると思いますが、今年起きている異常気象を思い返すと、それは甘い考えだと言わざるを得ません。

日本や海外の政治の状態を見ていますと、表と裏が浮き彫りになっているのがわかります。いつまで経ってもウソで固められた社会のあり様は変わりませんね。昔ながらに国民は真実を知らされないまま、一部の人間にコントロールされ続けています。非常に嘆かわしく、また悲哀さえ感じてしまいます。

繰り返し申しあげておりますが、皆さん、もっと賢くなりましょう。
表があれば、必ず裏があることを忘れず、表に出ていることだけを決して信じないことです。
政治をよくするためには、国民が賢明になることが一番です。あやつり人形でいたくない人は、早く精神の自己確立を成し遂げていただきたいと思います。



        塔


★ 今年のセミナーがすべて終わりました ★



先日行ないました11月のペンジュラムセミナーをもって、今年の「気づきのコース」のセミナーのすべてが終了しました。
今回は東京をはじめ、沖縄からの参加者もおられて、ペンジュラムと共に成長したいという強い意志と情熱を感じることができました。

ペンジュラムの作業中に異星のネガティブな存在がつぎつぎとやってきて、浄化しても浄化してもすぐに部屋の波動が悪くなるという前代未聞の事態が発生しました。
この現象は、いかに異常波動を呼び寄せない自分自身になっていなければならないか、過去生の問題を解決し、常に自分自身を整えておく必要性を、各自に気づかせるものであったと思います。

ネガティブな異星生物が一体でも訪れることによって、その引き寄せた人の身体や気分が非常に悪くなるだけではなく、部屋全体をはじめ、そこにいた人たちの心身にも影響を与えるということ、ペンジュラムの波動や、クラスターの波動、その部屋に置いてあったすべてのものの波動がいっぺんに悪くなるということを直に体験し、実感されたのではないかと思います。

身体に悪影響を与えるのは人霊も同じですが、ネガティブ系の異星生物はさらに強烈です。(こめかみの辺りが痛くなったり、心臓が痛くなったり、とても重苦しくなる)
自分が異星からやってきた魂であったり、過去生で異星人と関わりがある場合などは、周囲に多大な害を与え、迷惑をかける場合があるということをしっかりと肝に銘じていただきたいとつくづく思ったしだいです。

異星の生物が来るたび、わたしが光の浄化箱に入れて飛ばしている姿を見ながら、「あんなふうにするんだ」ということも直に目で見てお解りになったと思いますし、ご自分の作った浄化箱に入ってきたことを感知できた人もいて、実際に本物で練習ができました。
「ここに来たら、必ず浄化してもらえる」ということがわかると、そういうルートが創られて、ひっきりなしにどんどんやってくるようになります。よって、授業は中断ばかりで、予定通り進むことができませんでしたが、あまり異星人を引きつけた事のない人や、霊体を感知したことのない人にとっては、なかなか体験できない大変面白い学習となったのではないかと思います。

★ セミナーのご感想 ★



この一年間、セミナーの参加者さんにはその日の感想を色紙に書いていただくという作業をお願いしてきました。
2013年最終のセミナーの記念として、今回色紙に書いてくださった参加者さんの言葉をご紹介したいと思います。

「ペンジュラムセミナーを経験できて、本当に良かったです。ペンジュラムと付き合うということは、自分としっかり向き合うことだと思いました。とにかく課題はたくさんありますが、今日一歩踏み出せた事に喜びを感じています。これからも自己探求を続けます。本当にありがとうございました!  愛と感謝を込めて  Y.Ⅰ」


「今日は初めて宇宙人がその場にいるという体験ができて新鮮でした。私も引き続き、ペンジュラムを通して自分の意識を高めたり、心身のコンディションを整えたり、人生の方向性を見出すことができるよう頑張っていきたいと思います。どうも有難うございました!  K.M」


「今日は初参加でしたので、とても楽しみでした。ペンジュラムを扱うための心身を整えることだけでなく、いかに場を整えるのが大変かを理解することができました(異星人浄化体験)カヴィーシャさんや他の参加者の方のお話もきけて、とても貴重な体験ができました。これからも私自身と向き合い、魂を進化させていきたいと思います。ありがとうございました。愛と感謝を込めて  M.S」


皆さんが思わぬ異星人の訪問を、「貴重な体験ができた」とポジティブにとらえてくださったことを嬉しく思うと同時に、心から感謝しているしだいです。
ありがとうございました! 

ねずみとハート



気づきはその人の魂の年代と段階によって異なる



今年は個々の読者さんの意識レベルを上げ、個人の魂の成長のためにわたしなりに真剣にサポートをしてまいりましたが、なかなか思うような成果が得られなかった人たちもおられ、気落ちしたこともありました。
それは、特に「個人レッスン」における中途挫折者が多かったためです。

最初から「覚悟して臨んでください」という旨を執拗なくらいお伝えしていましたし、わたしのハイアーセルフが「卒業」を宣言しない場合は、翌月に繰り越されることも申し上げていたはずなのですが、やはりご理解いただけていない人が実際におられました。第1回目のレポートしか出されず、仕事が忙しいからと早々と終了されたり、「終了します」の自己申告もなしに自然消滅していかれた人たちは、やはり記事をよくお読みになっていない、読んでも理解がまったくできていなかったと申し上げるしかありません。
これからレッスンを受けようとされている方、あるいは、途中で終了された方、『2013年10月31日の記事「課題の個人レッスン」を受ける人たちへ』を再度お読みくださいね。

「課題の個人レッスンをしてみられませんか?」と、わたしからおススメをした人も中にはおられました。その人の守護霊がそれをとてもススメていたり、お便りなどの内容からその人の生き方に何らかの問題を感じたからこそススメたわけですから、本当はその深い意味を汲み取らなければいけないのです。
ところがそういう人に限って、そこら辺りに全然気づいていないために、課題をろくすっぽ掘り下げないうちに、止めてしまわれるわけです。
このように非常にお粗末な結果で終わっていることに対して、正直言ってがっかり感はありましたが、「さもありなん」と、とても納得できる点もあったのです。

結論から言いますと、中途挫折する人は、やはり魂がそのような段階であるということなのです。

人によって、生まれる際に選んできた「役割」も異なりますし、「魂の年代」や「魂の段階」もそれぞれ違うので、Aさんがいろんな気づきを深めて合格できたからと言って、Bさんも同様に気づいて合格できるとは限らないということです。
つまり、乳児期や幼児期や若年期の魂の人に対して、老年期の魂のような気づきを持ちなさいと言っても、土台無理だということです。
わたしたちが赤ちゃんや幼児だったとき、完全に親に依存していて、自己中心的で自己奉仕型の生命体でした。生存欲ばかりで、自分が気に入らないと泣いたりわめいたりしていたのと同じことが、乳児期や幼児期のような若い魂には見られるということです。ですから、それぞれの魂にふさわしい誉め方や叱り方やサポートの仕方が必要だということなのです。
魂の段階がまだまだ下位の人には、寛容の精神をもって大目に見てあげる必要があるのだということを、「個人レッスン」を通して、しっかりと再確認させられた気がします。

もちろん、乳児期であったとしても、魂の段階が第7段階ともなれば、少しは成長しているので、乳児期は乳児期なりの合格というのはあります。しかし、それさえできていない場合は、また次の生でもやり直しをすることになります。そうならないうちに警告を発しているのですが、それに耳を貸さない場合はどうしようもありません。それはその人が好きで選んでいることなので、「ご自由に!」と言うしかないということです。

皆さんが、もし自分の魂について、客観的に知りたいと思われるなら、「魂のチャート マイケルが教える人類の進化と自己理解」(出版社 ナチュラルスピリット)をお読みください。
前回記しておりました「役割」の記事はマイケルのアイデアによるものです。信憑性が高い本ですので、おススメしたいと思いますが、読めば読むほど自分で判断するのが難しいと感じられるかもしれません。

来年の『個人レッスン』の項目には、『マイケルの分類による診断』を付加し、ご自分の「役割」をはじめ、「魂の年代」や「段階」を知っていただき、それに相応した生き方や、次の段階に行くための準備をしていただけるような内容にしていきたいと思っています。

今回のペンジュラムセミナーでも、個々の「役割」「魂の年代」「魂の段階」「態度」「モード」について調査していただきましたが、それがハイアーセルフからの智恵から出た答えであったかどうかは疑問なので、各自宿題にしております。あとは、本を読みながら何度も自分で調査をして確かめていただくことです。
ご健闘を祈っております。


まつぼっくり


★ 『個人レッスン』のレポートから ★



11月に開始された「課題の個人レッスン」で、早くも合格され、今回出た課題を卒業されたY.Oさんのレポートをご紹介します。「数秘リーディングレポート」として、以前にも掲載させていただいたことがあります。

当初、彼女は会社の新しいプロジェクトのプレゼンなどで大変忙しい毎日を送っておられ、身体も大変お疲れであることが届いたお写真からもうかがえたのですが、そんななかでも「気づきのレポート」をはじめ、わたしの質問からの気づきをも深められて、1カ月間でめでたく合格されました。
ほんとうに頑張り屋さんで、感心したしだいです。

彼女は最初のレポートにつぎのように書いておられました。

私は常に仕事においてベストを尽くさねばならない、結果を出さなくてはならない、率先して行動に移さねばならない、仕事は完璧にやり通さねばならない、人に迷惑をかけてはならない、時間に遅れてはならない・・そう思っています。この他にも山のように~ねばならないがあります。

特に仕事においては~ねばならない、という気持ちが非常に強く、仕事が終わった後、大きなプロジェクトが終わった後、常にやるべきことは出来たか?もっと出来た事はないか?あの時のやり方はもっとこうすべきだったのではないか?と常に自分のいたらない所を探し出し、自分の仕事に満足しません。時々、私の仕事に対するやり方や考え方は、まるで自分を鞭打つようだなと思った事もあります。また、同僚に対しても、自分と同じような仕事に対する姿勢とスキルレベルを求めます。


しかし、彼女はそのあと気づかれて、つぎのように記しておられました。

~ねばならない、という観念が、自分がどんなに頑張ってもそれを認めず自分を鞭打って来たという事実に初めて気がつきました。そして、それと同時に、私が同僚に対していつも求めていたものは仕事への姿勢などではなく、「おまえも私と同じように鞭打たれろ!」という気持ちなのだと気がつきました。
私はこれに気づいた時、椅子にまともに座っていられないほどに号泣しました。自分と他者に対し、ただただ申し訳ないと泣き続けました。トイレに行っても泣き、髪を洗いながら泣き、喉が乾くまで泣き続けました。課題が終わったら波動が上がるかな?などと思っていた浅はかな思いは木端微塵となり、泣き終わった後は放心状態となりました。


そこから、彼女の実践が始まりました。
今回掲載するのは、最終段階の「まとめ」のレポートです。
彼女と同じテーマの「課題」を出された人もけっこうおられるかと思いますが、これは彼女の人生の「役割」と「魂の年代」そして「態度」に相応した気づきの記録です。
では、「奮闘記のまとめ」をお読みください。



顔


~課題のレポート3 まとめ~ 
2013年11月24日

                        43歳 女性 東京 Y.O
               


課題のキーワード「観念」と「許し」

カヴィーシャ様から最初に頂いたキーワードは「観念」でした。「あなたの中に~しなければならない、という観念はないでしょうか?」それは私にとって自分を高める上で、そんなにプライオリティの高い課題だとは最初思っていませんでした。しかし、今回の課題を掘り下げて行く過程で、それは全くの思い違いであり、観念は私の心に深く食い込み、自分と他者を深く傷つけていたことに気がつきました。

私は仕事において常に自分は完璧でなくてはならない、とか、人の見本にならなくてはならない、などの沢山の~でなくてはならない、を作り上げ目標を達成するために自分を厳しく律し、それを他者にも強要してきました。カヴィーシャ様の課題のキーワード「観念」に関するコメントを読んだ時、私が自分で作り出した観念のもと、自分の期待に応えるため自分自身を鞭打って来た事、私が同僚に求めていた仕事に対する厳しい姿勢と言うのが、実は仕事に対する姿勢などではなく、他者にも自分のように鞭打たれることを強要しているのだという事に気がつきました。そもそもポジティブな思いから生じた観念だったのに、いつの間にか自分への期待をどんどん高めることとなり、期待に応えるため知らず知らずの内に頑張り過ぎ、自分を苦しめ、そしてそのストレスを無意識に他者に転嫁していました。

キーワードの「観念」は、私に自分が4のポジティブなエネルギーに偏っている事、それによって自分と他者を傷つけている事、また、~すべきという観念が、自分は常に正しいと思い込ませる形となり、新しいものを取り入れず真実から遠ざかり、他者への理解を怠っていたということを教えてくれました。

次に頂いた「許し」のキーワードは、これまで私が無視し、いないものとして扱って来た同僚を通じて、気づきを与えてくれました。同僚は私が4のポジティブなエネルギーに偏っているのとは対照的に、4のネガティブなエネルギーを体現しているような人でした。私はこれまで、同僚が無責任で鈍感で仕事が出来ないから自分が彼を嫌っているのだと思っていました。しかし、深く考えると私はそのような人が会社に存在する事が許せないのだと思い、更に彼の嫌いなポイントが数秘の4のネガティブなエネルギーであることに気がつきました。私は彼の中に4のエネルギーのネガティブな側面を見出し、それを受け入れる事が出来ず、無視し、居ない者として扱って来ました。私は自分がこうあるべき、とか、自分への高い期待に応えるためポジティブな自分にだけ目を向け、自分の中に存在するネガティブな側面を同僚と同じように無視し、居ない者として扱って来たのだと思いました。
私は自分のポジティブな側面とネガティブな側面を分離させ、自分自身を分離させていたのだと気づきました。
「許し」というキーワードは、私の4のエネルギーがポジティブに偏っている事が自分自身を分離に招き、統合とは違う方向に進んでいると教えてくれました。また、数秘の4の数字が表すポジティブ・ネガティブとは、私が今回の人生でその両方を統合し、4の質を極めることが課題であるのだという事も理解しました。


私の役割「戦士」と行動の態度「皮肉主義」

カヴィーシャ様から教えて頂いた私の役割、「戦士」は私にぴったりだと思います。時間を守れない人がどうしても気になるのは、社内の士気が緩むような気がするので嫌なのですが、戦士と聞いて納得しました。私の人生で一番優先してきたものは、目的を達成することです。日々の細々した事から、仕事に関わる大きなことまで、目的を決めるとそれに向かって突き進みます。目的を達成する事が最優先なので、カヴィーシャ様の指摘される通り、それ以外の事がおざなりになることが往々にしてあります。人付き合い、家族への配慮など・・。普段は戦士のプラス面が前面に出ていますが、~べきである、という私の観念やポジティブな側面から外れた行動・考えを持つ他者に対しては、自分の観念を押し付けようとしたり、怒りっぽく不寛容になることが多々ありました。これは、軌道数4がポジティブ過ぎる弊害ですね。私は戦士という役割を通じて、4という数字のエネルギーを経験しようとしているのだな、と思いました。

私の態度である皮肉主義では、確かに人に反発したくなる傾向があり、ミーティングの席でも人の粗探しをすることがあります。そして、対処出来ないほど忙しくなったり、体調が悪くなったり自分に余裕がない時、自分の意見に反対された時は皮肉主義のネガティブ面がはっきりと出て来ます。自分の感情がコントロールできなくなり自分自身の真ん中に居られなくなると、忙しい私を気遣ってサポートを申し出た同僚に対して理屈のつかないひどい態度で拒絶したりしていました。皮肉主義とは自己防衛の態度なのですね。私は、こうあるべき自分の姿を守るために、または、現在の安全を守るために将来起こるであろう問題を考え見つけだす癖があります。そして自分の感情がコントロール出来なくなると、起こってもいない問題を取り上げて、問題の原因となるであろう他者を責め立てることがあります。これは自己防衛の典型であり、また4のエネルギーのポジティブが過ぎる事がもたらす私自身の問題点であると理解しました。

これらのキーワードを踏まえて、まず私は~であるべき、という観念を手放すことから始めようと思いました。そして、軌道数4のポジティブにだけ注目するのではなく、自分の中に存在するネガティブな側面にも目を向け、両極のバランスを取る努力をします。
その為には他者の価値観と成長を尊重し自分の思い込みだけでジャッジしない。自分と違う他者の価値観や言動から、自分が認識していなかった新たな気づきをみつけ、成長の機会とする。気づきの日記を続け、自分の感情がどのような状態にあるのか常に見つめ、意識的に過ごす。そうすることで自分が選んできたエネルギーの純粋な質を理解したいと思います。
そして、皮肉主義の態度は変えたいと思いました。自分のためにも、私に様々な気づきをもたらしてくれた友人たちのためにも、そのように思いました。もっと建設的な発言と調和的な態度で物事に臨むことで他者の力になり、それによって、周りから受け取るだけだった自分の人生も、与える側にまわれるような気がしました。

自分が感じる感情や起こる出来事を全て受け入れる。例えそれが到底幸せとは思えない事であったとしても、自分が考え設定してきた人生を信頼する。自分の人生に対する揺らぐ事のない信頼を自分の中に確立し、困難を苦難と思わず楽しく軽やかに乗り越えて行く人生へと転換する。それを自分の新しい課題にしようと思いました。


カヴィーシャ様
1ヶ月間本当にありがとうございました。
自分が知りたい事は本当に自分の中にあるんだ、と言う事を学んだ1ヶ月間でもありました。
本やネットで情報を得る事も重要だけれど、自分自身の情報と気づきは自分の中にしかない。そう思いました。
カヴィーシャ様のブログは、私が「真理」という意味を探している途中で見つけたのでした。本当にカヴィーシャ様のブログには私が探し求めていた真理がありました。

カヴィーシャ様との出会いに感謝を。
心から感謝を。   Y.O



コロボックル


★彼女は聡明な人なので、何でも理解が速い上、実践も速いのです。「打てば響く人」という言葉がぴったり合う人だと思っています。
わたしのコメントに対して、いつも素直に受容され、気づかれ、即実行されるところは、ほんとうに「素晴らしい!」の一言に尽きます。

「課題」は頭だけで理解できたとしても、それだけではほとんど意味がありません。これまでの考えがまちがっていたことに気づけば、すぐにそれらを解放すること、実際に別の行動に移してみること、これをしなければクリアすることはできません。
頭の中だけで、あるいは文面で、いくら「わかりましたので、これから~しようと思います」と言ったところで、思うだけで何も行動を起こさないなら、それはただの「絵にかいた餅」なのです。
おまけにその人の意識レベルがガクンと下がっていたら、「だめだ、こりゃ!」ということですね。カヴィーシャを騙すことはできません。(笑)

その点、彼女の意識レベルは少しずつですが、確実に上昇しているのがわかりました。彼女のレポートがウソ偽りでないことがそれでわかるのです。彼女にはまだ伝えていませんが、今現在は驚くほど上昇されています。その状態を保ち続け、さらなる上昇をしていっていただきたいと願っております。

彼女は今生では「戦士」の役割を体験学習しておられますが、すでに第6段階目なので、もうひと頑張りしなければなりません。態度は「皮肉主義」で、モードは「攻撃」であると、わたしのハイアーセルフは伝えておりましたが、そのことに気づいて別の態度やモードに変化させようと意識すれば、いくらでも変更ができます。すべては彼女の選択しだいだということです。

マイケルは、第6段階というのは「成長」を目標にし、それまでの段階で経験したさまざまなことを集約し、理解する段階であり、また、それまでの段階でやったことの責任をとり、多くのカルマと取り組む段階であると説いており、非常にやっかいな時期であると言っています。
その理由は「そもそも成人期全体が難しい年代なのに、さらに第6段階の困難が加わるから」なのだそうです。
とにかく「もう限界はわかった。今は一所懸命生きてカルマを返すときだ」というわけです。(詳細は「魂のチャート」をご覧ください)
よって、彼女は非常に困難な時期を経験されている最中だということなのです。まさにその通りですね!

Yさん、あなたの「軌道数」の目的は「プロセス」と「安定」です。
準備を十分におこなって、着実に前進し、辛抱強く最後まで仕事を成し遂げることにあるのです。衝動的な決断をしがちな自分自身との戦いが、心の内側に渦巻いていることでしょう。今のあなたの人生の「役割」が「戦士」だということが真に頷けますね。
行動を何よりも大切とする「戦士」であるのなら、最高の「戦士」となって、次の第7段階へと移行してください。
あなたが立派な「戦士」としての役割を終えることができたなら、また別の新しい役割が待っていることでしょう。
働き過ぎて早死にしないようにくれぐれも身体には気をつけられて、ご自分や他者を愛することを常に忘れず、日々を楽しみながら、お仕事に励んでいただきたいと思います。

ここにわたしが信頼できる地球人がまたひとり増えたことを喜び、心からエールを送りたいと思います。がんばってくださいね!


ふたつのハート

心の内側で成し遂げたことが、外側の世界に変化をもたらします。
あなたの内側が平和なら、外界も平和にならざるを得ないのです。

あなたが生まれる前に決めた人生の役割をしっかりと果たしましょう。
まずは内側のお掃除から始めてください。
要らないゴミを解放したら、清々しい風が通り抜けていくことでしょう。
年末に向けて、内側も外側もきれいにしましょう!



落ち葉集め


日本人よ、今こそ目覚めよう!

2013年12月17日 03:00


★ 不思議な日本人 ★



日本人はとても不思議な民ですね。
赤ちゃんが生まれたときは、たいてい神社にお参りに行きますし、子どもが三歳・五歳・七歳になったら、神社に行って御祈祷をしてもらいます。結婚式を行なう場所も圧倒的に神社が多いですね。

さる2
それから、日本人はクリスマスがとっても好きですね。
ニュースを見ていますと、「クリスマスが近づきましたね~」というアナウンサーの顔は、どなたもとても嬉しそうに微笑んでいます。
なぜそんなに嬉しそうなのか、わたしには全然わからないのですが、サンタクロースのプレゼントを待ってでもいるかのような感じです。
ですから、「あの人、クリスチャンなのかしらね~」とよく冗談を言います。
また、クリスチャンでもないのに、教会で式を挙げる人たちもけっこうおられますね。

                         さる1
クリスマスが終わり、お正月になると、今度は神社参拝に出かけます。伊勢の内宮や外宮をはじめ、出雲の大社は特に好まれるようです。
それなのに、死ぬ時はなぜか仏式で、たいてい先祖代々の墓がある寺の坊主を呼んで葬儀を行ないます。そして、永代供養をそこの寺に託すのです。
だからと言って、仏教を篤く信仰しているわけでもないようです。釈迦が説いた真の教えも知らないし、お経の意味だって知らない人のほうが断然多いでしょう。意味がわかって唱えている人が一体どれくらいいらっしゃるでしょうか?

寺の坊さんや仏教の学者さんでさえ、とんちんかんな解釈をしている人もいて、自分が葬式で経を唱えた故人が真にどこへ行ったかさえわからない始末です。成仏できていたら、その後の法要など必要ないのですが、自信がないから50年も法事を続け、「もうそろそろ終了してもいいでしょう」などと言っているわけです。そういう法事などの収入があってこそ、坊さんの生活も成り立っているわけですね。

お寺だけではありません。神社のご祭神がほんとうは誰なのかもわからないのに、記された神の名をそのまま信じて拝んでいる人たちの気持ちがよくわかりません。
日本人は信じすぎですね。特に神社のご祭神を疑いもしません。
「ご祭神の○○って、誰?」って、皆さん思わないのでしょうか?
なんていい加減な国民なんだろうと、わたしは思いますが。



コスプレ・サンタ


★ コスプレに騙されないこと! ★



皆さんは「コスプレ」という俗語をご存じだと思います。

コスプレ」とは「コスチューム・プレイ」の略ですね。
もともと「立派なのは衣装だけで内容が伴っていない演劇」に対する揶揄的な言葉を指すようです。
現代はゲームのキャラクターやアニメや漫画、主にビジュアル系のロックミュージシャンなどが着ているような衣装をマネして着て、「そのキャラクターになりきる」こと、更にそういった「格好」のことを指すようです。(上記の写真は、コスプレ・サンタの集団です)

わたしの長女はよくこんなことを言っております。
日本人はコスプレ坊主にまんまと騙されている」と。
お盆の時期だけ僧侶の格好をして家々を回り、お布施をたっぷりいただくアルバイトが現にあるのだそうですね。TV番組でもその実態を放送していたことがあったそうです。(この場合は、仮装と言ったほうが的確かもしれませんが)

お盆に僧侶が経を上げに檀家を回りますが、それに対して「ありがたい」と、やたらお布施を包む日本人の意識とその心境が、わたしにはまるで理解できないのですが、「確かに坊主のコスプレで儲けている人がいる」ということに納得致しました。

ほんとうに不思議な社会です。
故人が成仏していようがしていまいが、まるでその判断さえできない僧に対して、何の疑問もなく大金を差し出す日本人。もちろん世の中には貪欲のない方々もいらっしゃるでしょうし、そんな大儲け主義の商売人ばかりではないと信じたいのですが、内容が伴わない「コスプレ坊主」と呼べるような人たちは、まちがいなく存在するように思います。(その人たちが常日頃乗っている乗り物を見れば一目瞭然です。たいてい高級車に乗っていますから)
彼らの関心事は「死者をどう説得して霊界に行かせるか?」ではなく、「どうしたらもっと葬式や法事の供養で稼げるか?」なのです。ビジネスマンには神や仏や自分の意識などというものには関心がありません。そして、欲望から解放されているどころか、欲望に満ち満ちているのです。

世の中には「やることさえしておけば、しっかりと遺産がもらえる」として、「ただただ儀式をきちんと済ませればそれでよし」と考えるタイプの人たちは大勢います。心がこもっていなくても、儀式にだけは多大なお金をかけて、自己満足している人たちです。
当の故人がその後どうなったのかについては関心がなく、親戚が集まっても故人とは関係のない雑談ばかりをし、故人の話を懐かしげに語る人などは無いに等しかったりするのではないでしょうか?

「僧侶」という名のコスプレイヤーが占めている日本の仏教界。現代の日本の仏教の僧侶は、葬儀でたった数回経を読むだけで50万円、100万円もの大金を「お布施」として請求しても問題にはならないようなのです。あくまでも「お布施」であるので、その名称に甘んじているわけです。
戒名代金も同様ですね。勝手に決められた戒名で呼ばれても、故人は全く気づかないということを、随分以前の過去記事に書いたことがありますが、「○○居士」とつけてもらっただけで何十万円も支払う人たちの気持ちが、わたしにはさっぱり理解できません。

★参考過去記事:『死者に対する意識改革―葬儀のあり方を考える

こんな詐欺まがいの職業が社会的に立派に成立している日本という国。
内容がどうであろうとも「儀式」を重んじる日本人。
こういう職業を疑う余地もなく、認めている日本人。
信仰心もなく、真の仏陀の教えも知らずして、坊主や寺や経や儀式という表面的なものだけを重んじるのは、もうやめにしませんか? 

ゴータマ・ブッダは自分の肉体を焼いて灰にして無に帰し、決して墓を造るなと言ったのです。そんなものに執着することを禁じたのです。にもかかわらず、師に執着した愚かな弟子たちがあちこちに仏舎利塔を造ったのです。
お墓など要らないというのが、真のブッダの教えなのですよ。

坊主が唱える経で死者を「あの世」へ送るという慣習を、なぜ「よし」としているのか、考え直してみませんか?
ほんとうに故人や先祖に対して愛の気持ちがあるのなら、自分が経の真の意味を学んで理解し、自ら声高らかに読んであげたらよいのです。
「コスプレ坊主」、あるいは「仮装坊主」よりも、あなたの読経のほうが、故人はよほどありがたくて、喜んでくれるのではないでしょうか?




あかり


★ 日本人がもっとも信じているもの ★



日本人がもっとも固く信じているものって、いったい何だと思いますか?
仏教、キリスト教、神道、その他の新興宗教……。
そんなものよりも群を抜いて信仰されているものがあるのです。

それは「西洋医学信仰」です。
日本人の「西洋医学」の医師に対する絶大な信頼には驚愕してしまいます。

会社などの仕事を休む際、病院に行って医師の診断書をもらい、それを提出して「医師に休めと言われた」と報告すれば、たいてい文句なしに休ませてくれますね。
いくら症状が重くても、病院に行かずに自己申告するだけでは、決して認めてはくれません。しかし、病院で薬をもらえば、病気だと信じてくれるのです。これは、まちがいなく「西洋医学信仰」です。

ちょっと身体の具合がおかしかったら、たいていの人は近くの医院か病院にかけこみます。くしゃみや鼻水が出て頭痛がすれば「風邪」だと思い、病院に行って薬をもらいます。
注射をすれば、必ず効くと思い込んでいる人もいます。予防接種で命を落としている人がいても、自分だけは大丈夫だし、その注射で予防ができると信じ込んでいるのです。
それほどまでに信頼されている医師と薬。それらを信じる根拠とは、いったい何でしょうか?

そんなに医師が信じられ、頼られているにもかかわらず、ガン(悪性新生物)による死亡者は一向に減りません。
厚生労働省の「人口動態統計月報年計」に日本人の死因一覧が公表されていますので、関心のある人はご自分でご覧ください。日本人の死因1位は悪性新生物(ガン)、2位は心疾患、3位は脳血管疾患となっています。(データは翌々年に発表されます)
これらは、医師の診断と治療を受け、病院で亡くなった人たちです。みんな医師の言うとおりに手術をし、放射線治療や抗がん剤で止めを刺したにもかかわらず、死んでいった人たちの数です。完治した人のほうが圧倒的に少ないのではないでしょうか? 

完治した人は、自分の内にある精神力と自然治癒力で治っているのです。医師ができることは、悪い箇所を切除することと薬を与えることです。つまり医師自ら患者の病気を治すことはできないということです。
判断ミスで患者を死亡させることも多々あります。超能力でもない限り、医師はそれぞれの患者の病気の真の原因を知り、どこを癒せばよいかという正確な判断をすることができません。

これは医師から聞いた人の話ですが、医師たちは「何人殺したか?」を平気で口にし、数百人殺していても、それで落ち込むようなことはないそうです。
「異常な箇所のみを除去すればいい」として、局部だけに焦点を当て、身体の全体を診て判断しようとしない西洋医学に対して、何の不信感も抱かないのは、まったく「信仰している」のと同じことではないでしょうか?
もちろん西洋医学を篤く信仰している人は、その方法で医師に自分の身体をお任せになればよいでしょう。
信仰の自由もあり、何を選択するかは個々に自由ですから。


紫の泡・ライン

日本の病院は、「西洋医学」の信者でいつも満員ですが、アメリカでは「代替医療」が主で、代替治療で効果がなかった人が、しかたなく西洋医学の医師のところへ行くのだということを聞いたことがあります。
欧米の先進諸国では、補完代替医療の利用頻度は、近年急速に増加傾向にあります。
たとえば、ガンの患者さんたちです。ガンの種類によって多少の差はありますが、およそ40~60%のガン患者が、補完代替医療を利用していることが明らかとなっています。(米国や英国では、国家レベルで補完代替医療の研究・情報発信に取り組んでいます)

最も補完代替医療が活用されているドイツでは、鍼治療、ハーブ療法、その他、さまざまな補完代替医療が医療の現場に浸透しています。詳細を知りたい方は、下記のHPをご参照ください。

★参考HP「代替療法とは何か」 
http://www.kenyo.net/21/21_1.htm



仏教の僧侶が着用している黒い法衣に金襴の袈裟。
西洋医学の医師が着用している白衣。
譬えてみれば、それらは日本のブランド商品のようなものです。
真にその商品をわかり尽くした上でそれを好み、多大な金銭をつぎ込むのか、あるいは、まるで知りもしないくせに外側だけ、見てくれだけの価値感でそれに金銭をつぎ込むのか、あなたはどちらを選んでいるのでしょうか?
見てくれだけ良ければいいと考える人は、ブランドものに見せかけた偽りの商品でも、きっと満足なのでしょう。




★ 真の人は反社会的な存在となる ★



あなたは「心理学」を学んだことがありますか?
あるいは「カウンセリング」の方法などを学んだ方もおられるでしょう。

わたしも、教師をしていた20代の頃、教育委員会主催のカウンセリング講座をはじめ、さまざまな民間主催のカウンセラー講座で学び、夏休みには全国的なカウンセリングワークショップに毎年出かけていたことがありました。
しかし、それらに参加しても、これと言った気づきはなく、児童生徒に対して何か効果的なことができて、貢献できたという記憶もありませんでした。
大学でも「心理学」を学びましたが、「たいして役立たない」というのが、わたしの見解です。
「カウンセリング」も、その人自身のためになるからやっているというよりも、社会的な適応能力をつけさせるためにやっていることが多いように思います。

ここで、OSHOの言葉をあなたに届けたいと思います。

心理学は社会に奉仕するためにある。
心理学者たちは、あなたがたをふたたび社会に適応させようとあらゆる方法を試みる。
彼らは社会に奉仕している。

政治はもちろん社会に奉仕するためにある。
政治はあなたを奴隷に仕上げるためにちょっぴり自由を与える。
その自由はまさにワイロだ。それはいつでも取り上げることができるものだ。
もしあなたが自分はほんとうに自由だなどと考えたら、すぐにでもあなたは監獄に放り込まれる。

政治、心理学、文化、教育……、これらはすべて社会に奉仕する。
宗教だけが根本的に反逆的なものだ。
しかし社会はあなたがたをだましてきた。社会はそれ自身の宗教を創りだしてきた。
キリスト教、ヒンドゥー教、仏教、回教……、これらは社会の策略だ。
しかし、イエスは反社会的だ―。

イエスを見るがいい。
彼はけっして立派な人ではなかった。立派ではあり得なかった。
彼は不正分子と反社会分子と行を共にした。
彼は放浪人であり、フーテンだった。そうある以外なかった。
彼は社会に耳を傾けようとはしなかったし、社会に適応しようとしなかった。
彼は社会に代わるものを、ほんのわずかな信奉者たちの集団をつくった。

(中略)

庭のイエス


イエスは反社会的だ。
仏陀は反社会的だ。
が、キリスト教は反社会的ではない。
仏教は反社会的ではない。

(中略)

LSDだけがドラッグではない。キリスト教もまたドラッグだ。
しかもそれは、あなたに一種の盲目状態をもたらすような複雑で巧妙なドラッグだ。
あなたには何が起こっているのかわからない。
あなたには自分がどのようにして生を浪費しているか感じられない。
あなたには、何生にもわたって自分がためこんできた病気が見えない。
あなたは火山の上に座っているのに、彼らは何もかもうまく行っていると言いつづける。
天上の神と地上の政府……、何もかもOKだ。

そして聖職者たちはあなたに言いつづける。
「動揺することはない。私たちがついている。あなたはただすべてを私たちの手に任せればいい。私たちが、この世のことに関してもあの世のことに関しても面倒みよう。」

あなたは彼らに任せてきた。
あなたがみじめなのはそのためだ。




ふたつのハート

キリスト教も、仏教も、他の新興宗教も
みんなドラッグ同様ですよということです。
わたしたちは、みな騙されているのです。
社会科でウソの歴史を教えられているように。

有名な神社のご祭神の真の正体を知ったら、
きっとびっくり仰天されるでしょう。
上手くカムフラージュされ、隠された元の元を見抜けば、
世界中のからくりがわかってくるのです。

真の人は反社会的な存在」です。
あなたがその人を「真の人」であるかどうか判断する際、
その人が「社会的な人」であるか、
反社会的な人」であるかを見分けければよいのです。

社会に貢献している」のではなく、
個人に貢献している」のであれば、
その人は「真の人」だと言えるでしょう。


皆さん、ウソの甘い慰めの言葉や、
精神安定剤やドラッグなどには、
けっして頼らないように注意してくださいね!




マザー・テレサの生涯―「奉仕者」という役割を担っていたテレサ

2013年12月22日 14:45


★ 人間を洞察する目を養うこと ★



マザー・テレサについては、過去記事(2011年3月)に4回ほど掲載したことがありましたが、その内容を読んで、その真偽を疑う人がけっこうおられたように思います。
ある人は、その内容を別のサイトの管理人に質問した人もおられたようですが、他者にすぐに意見を求めるのではなく、自分の直感や感覚をもっと大切にして、人間を深く洞察する目を養っていただきたいなと思いました。

要するに、誰が何と言おうと、自分がマザー・テレサを素晴らしい人だと信じたいなら、そのように信じればよいということです。信じるということは、それなりの理由があるからでしょう。
もし後でそれが自分の勝手な思い込みや間違いだったことにはっきりと気づいたなら、自分の感性が鈍っていたのだなと、素直にそれを認めればよいのです。ただ、それだけのことです。

過去記事にも書いたと思いますが、わたしはマザー・テレサがまだ生きておられた頃に、ドキュメンタリーを見て、その映像から「深い陰を持った人」という印象を持ちました。

洗濯機を寄贈されても、それらは一切使わず、シスターたちには、毎日素手でシーツを何枚も洗わせていたという話や、シスターたちが寒さに耐えきれずにお願いしても「私は使っていないのだから、あなたたちも我慢しなさい」と、ストーブを与えなかったという話は、今も記憶に残っております。

何よりもマザー・テレサと共に働くシスターたちの生の声が、彼女がどういう性格の持ち主で、どういう信念を持っていたかを教えてくれていたのです。
また、当時の彼女の意識レベルや振動数、オーラの様子などは、生前の彼女の写真から判断できますし、死後どんな領域に行かれたかの調査をして、それを知れば、彼女の真相は一目瞭然なのです。
そこまで調べれば、「信じる」とか「信じられない」とかいう問題ではないことがわかりますね。


先日、長女が珍しくマザー・テレサのことを話していました。
今年(2013年)の3月2日、インドの日刊インターネット新聞に、「Mother Teresa 'saint of the media', controversial study says」というタイトルで、「マザー・テレサのこれまでのイメージがメディアによって作られたものであるという研究結果が出た」という記事が掲載されていたという内容でした。

それについては、次のようなサイトで詳細に語られておりますので、マザー・テレサに関心がある人はじっくりお読みくださればと思います。

★参考サイト:ハピズム 聖女ではなかったマザー・テレサ 「洗脳看護」「カルト施設」、その実態とは!?  

下記は、そこに記載されていた文面の一部です。
皆さんの参考になるかと思いましたので、一部抜粋をして載せさせていただきます。


ノスタルジック・ライン


マザー・テレサといえば、貧困や病気にあえぐ弱い人たちの救済活動に生涯を捧げた、カトリック教会の修道女。修道会「神の愛の宣教者会」の創立者でもある彼女は、"無償の愛"の代名詞のように伝えられており、今なお、世界中の人々から崇め、慕われている。しかし、カナダの宗教学専門誌「Religieuses」最新号で大学の研究者が発表した論文によると、マザー・テレサの美談や名声は、カトリック教会の誇大宣伝のためにデッチあげられたものであり、聖人には程遠い人物だったというのだ。
(中略)
1971年に、教皇・パウロ6世から勲章「ヨハネ23世教皇平和賞」を授章されたのを皮切りに、ノーベル平和賞など数多くの賞が贈られた。1997年に、87歳で亡くなった時には、インド政府が国葬を行い、死後5年目にはヨハネ・パウロ2世が「彼女は福者である」と宣言した。そして、なにかと問題の多いカトリック教会において、清く正しく、いつまでも輝き続ける聖人のような存在として、マザー・テレサは人々の記憶に残ることとなった。


◆明らかになりつつある、マザー・テレサの素顔!

しかし、実像は異なるのではないか、と疑問を投げかける者が現れた。
今回「Religieuses」に論文を寄稿したのは、モントリオール大学とオタワ大学の研究員たちである。
彼らは、マザー・テレサに関する文献資料、約300件を調査し、「マザー・テレサが世界中に開設した517もの『死を待つ人々の家』ホスピスは、衛生状態が悪く、医薬品も慢性的に足りず、満足な治療が施せなかったと報告されている。しかし、彼女の修道会『神の愛の宣教者会』は何百万ドルもの多額の寄付金を受けており、金銭的に困っているわけではなかった」という事実を突き止めたと発表。
そして、「マザー・テレサは、患者の痛みを和らげることはせず、痛みに耐えることを賛美して癒やすという、怪しげなことをしていた。多くの病人が、彼女の元を訪れれば、医師が治療をしてくれると思っていたにもかかわらず、彼女は、イエス・キリストの受難のように、痛みに耐えることは尊いことだと繰り返し言うだけだった」「人気が低迷しつつあったバチカンは、劣悪な環境で痛みに苦しむ人たちに『あなたは素晴らしい人間なのよ』と優しく接している、マザー・テレサのことをまさに“生きる聖女”だと大げさに宣伝することで、カトリックのイメージアップを図ろうとした」と指摘した。

また、「バチカンは異例の早さで彼女を福者だと宣言したが、“痛みに耐えろ”という、怪しげな看護方法、問題点の多い政治家とのコネ(ハイチやアルバニアの独裁者を支持し多額の寄付金を得たという説がある)、多額の寄付金の管理に関する疑問点、そして、中絶、避妊、離婚に関して過度に批判していた点などは、一切、問題としなかった」とも綴っており、事実を知れば知るほど、マザー・テレサの神話はでたらめだということが明確になるとしている。

なお、マザー・テレサは晩年心臓病を患い、ペースメーカーを入れる手術などを受けていたが、自身は衛生的で設備が整った近代的なアメリカの病院で、痛みを和らげる麻酔薬を投与されながらの治療を受けていた。まさしく、聖人からは程遠い人間だったというのである。

マザー・テレサは聖人ではない、うさんくさい人間だという意見は、実は昔から出ていた。
2年前に62歳の若さで食道がんでこの世を去った無神論者のジャーナリスト、クリストファー・ヒッチンズは、長年、マザー・テレサはとんでもない食わせ者だと主張し続け、それに関する本まで発行。「彼女が世界中から集めた寄付金を使えば、ベンガルにファーストクラスの病院を建てることだってたやすいことだった。しかし、彼女はそうせず、衛生状態の悪い、あまりにもひどい施設に患者を収容し、ろくに治療を施さなかった。痛みを和らげるなど嘘だ。死ぬこと、痛みに耐えることを賛美する、まさしくカルトのような施設だったのだ」「信仰する宗教に関係なく看病したというが、それも嘘。朦朧とした患者に、痛みに耐えれば天国へ行けると、繰り返し言い、洗脳した」と厳しく批判している。

今回発表された論文だが、「聖人的なイメージを持つマザー・テレサの創られた神話が、貧困にあえぐ人々の救済を目指す人道活動家たちを励ますことになっているのは確かだ」「しかし、マザー・テレサに関するメディア報道は、もっと慎重に、事実に基づいたことを伝えるべきだ」という言葉で締めくくられている。

衝撃的な論文であるが、マザー・テレサの人気は不動のものだとされており、カトリック教会への打撃はさほどないだろうと、米メディアは見解を示している。今から10年前、2003年にローマ教皇庁はマザー・テレサの列福式を行ったが、世界中から25万人を超える人々が集まり祝福。実像がどうであれ、カトリックが全力を注ぎ創り上げたマザー・テレサの"聖人としての神話"は、揺らぐことのない、不動のものなのである。



ノスタルジック・ライン


★マザー・テレサを「聖女」と奉っていた多くの人々は、カトリック教会に騙されているなんて、思いもしなかったでしょうね。
しかし、2011年10月22日の記事『アンフェアなのは誰か?―表があれば裏がある』の「キリスト教が産児制限に反対する理由」に書きましたように、多かれ少なかれカトリック教会というところはそういうところなのですよ。

★参考過去記事:『アンフェアなのは誰か?―表があれば裏がある


下記は、「シスターの暴露で明らかになったマザー・テレサの実態」というタイトルで書かれていた文章です。
★参考サイト:ハピズム http://happism.cyzowoman.com/2013/06/post_2483_2.html


ドイツの人気週刊誌「Stern」は、200を超えるチャリティー団体がコルカタで活動をしているが、現地スラム住民たちに取材したところ、「マザーの施設は大したことをしていない」「金はたんまりあるはずなのに、助けてくれない」と証言。マザーの施設全てを合わせても、キリスト教プロテスタントのペンテコステ派世界最大の一派、アッセンブリーズ・オブ・ゴッドが配っている食料の方が、はるかに多いと指摘した。
そして、150を超える国と地域にあるマザーの施設で働く4,000人のシスターと30万人を超えるボランティアは、給与など一切受け取っておらず、一体、何に金は使われているのかと疑問を投げかけた。

この雑誌が発売される少し前にも、1979年末にマザーの「神の愛の宣教者会」に入り、9年半に渡り、ブロンクス、ローマ、サンフランシスコの施設で働いた、スーザン・シールドという元シスターが、米ヒューマニスト誌『Free Inquiry Magazine』に、宣教者会の酷い実態を暴露している。
ニューヨーク支部に送られた寄付金を、銀行口座に振り込み、寄付してくれた人たちに礼状を送るという仕事を担当していたという彼女は、「一度に500万円以上の寄付金を送ってくる人が沢山いた。貧しい人たちからも、寄付金が寄せられた」「みな、貧困や病に苦しんでいる人たちに使って欲しいと送ってくれるのに、会は貯金にまわし、現場で使うことはほとんどなかった」と明かした。

スーザンは、「シスターに与えられた服は3セットだけ。継ぎはぎも出来ないくらい、ボロボロになるまで着た。服は手洗いで、ホームレス用のシーツも手洗いした。沐浴はバケツ1杯の水だけで行い、歯科検診や健康診断は「贅沢」だとして受けさせてもらえなかった」「シスターたちは、商店をまわり、食べ物を寄付して欲しいと頼みこまなければならなかった。飛行機に乗るときは、ただで乗せて欲しいとお願いした。病院で治療を受けるときも、キリスト系の病院を選び、ただで受けさせてもらった」
「必要以上に欲しがってはいけない、必要なものだけを譲って欲しいとお願いするようにと言われていたが、銀行口座にたんまりお金があるというのに、なぜ、ここまでしなければならないのか。シスターたちも、ボランティアの人たちも、長時間働かなくてはならず、疲労困憊していた」とも暴露。

「マザーは、とにかく、貧困の精神を保つことに強いこだわりを持っていた。貧困を保つために、寄付金を使わなかったのだ。ハイチの施設では金を使いたくないからと、注射針を繰り返し使っていたほどだった。まるで貧困を、聖なるもののツールとして使っているようだった」と言い放った。

マザーは、妊娠中絶だけでなく、避妊にも強く反対していた。しかし、貧困層が避妊せずに数多くの赤ん坊を出産するため、いつまで経っても恵まれない子供たちが減らないのだという意見もある。現地で活動していたマザーも、そのことは良く知っていたはず。それでも、避妊を反対し続けたのは、貧困をなくさないため、「貧困がなくなれば自分を崇める人が減ってしまう」という偽善的な考えからという説を唱える者もいる。


◆聖人ではなかったマザー・テレサ 本人も自覚

今から6年前の2007年8月、米大手誌「タイム」が、マザーが親友の牧師に宛てた手紙の一部を発表した。66年の間に書かれた40通以上の手紙には、神の存在を確認できず苦しい気持ちを抱えていたことが記されており、「ほほえみは仮面である」と明かしたこともあった。また、「神が存在しないのであれば、魂の存在はあり得ない」とし、「もし魂が真実でないのならば、イエス、あなたも真実ではない」とイエスを否定するような言葉まで記載されていた。 

この手紙は、『Mother Teresa: Come Be My Light』というマザーの自叙伝にまとめられ、通して読むと、信仰の深さゆえ苦悩し、このような言葉が出てきたとも捉えることができる。しかし、マザーは生前、手紙のうちのいくつかを破棄して欲しいと頼んでいたと「タイム」は伝えており、世間に公表されるとマズイと認識していたのは、間違いないと見なされている。この件で、彼女はアンチたちから、「やっぱり、計算高い偽善者だ」「神さえも信じていなかったとは」と叩かれるハメになった。



ダイアナ妃との話は、同サイトの「マザー・テレサは“王室かぶれの偽善者”だった!? ダイアナ妃との癒着も」のほうに記載されております。
http://happism.cyzowoman.com/2013/06/post_2483.html 

★このような記事は、探せば多々出てきます。
今回は世界各国で公の情報として出されているものを取り上げましたが、彼女の名誉のためにこの辺りに留めておきたいと思います。

マイケルの「魂のチャート」には、役割として「奉仕者の有名人」の箇所に彼女の名前が書かれていますね。本を買われた方は、ご覧になったことと思います。
わたしの調査では、彼女の「魂の年代」は〈幼児期の魂〉で、「魂の段階」は〈第6段階〉です。
この時期は、「カルマの影響が大きく、人は権威に従うべきだと確信している」と表(4-3)にも書かれていますね。
彼女の「目標」は〈服従〉で、「モード」は〈忍耐〉。「主特性」は〈頑固〉で、「主義」は多様性があってひとつに絞れない感がありましたが、「実用主義」の陰極が優勢だと感じました。

マイケルは「奉仕者」のことを「奴隷」と呼んでいたそうですが、彼女は「神の奴隷」というよりは、「教会の奴隷」となっていたのかもしれません。「幼児期の魂」の箇所に「キリスト教」のことが書かれていますので、関心がある方はお読みになってください。

今回は、マザー・テレサのことをまた書いてほしいという読者さんのご希望で書きましたが、マザー・テレサについての記載は、これで終了させていただきたいと思います。
彼女が次回の誕生で「奉仕者」という役割の「幼児期―第7段階」を迎えられ、見事にクリアされることを祈ります。



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信仰とは、ただ自分を欺くための策略にすぎない



OSHOは「信仰とは、ただ自分を欺くための策略にすぎない」と言っています。
今回は、つぎのOSHOの言葉を皆さんにお届けします。


人は、求め、探究し、発見する道を歩み続けたくはない。
それは骨の折れることだ。
なぜなら、たくさんの迷信を捨て、真理を知り、
自分自身を知ることを妨げている過去からのたくさんの条件づけから、
自分を外さなくてはならなくなるからだ。

どんな信心も助けにはならない。
そしてあらゆる宗教は、信心に基づいている。
それゆえに「信仰」と呼ばれている。

真理は探究だ、信仰ではない。
それは問いかけだ。
信心ではない。
それは問いだ。探索だ。
この探究を避けることで、人はたやすく騙される。
人は、たやすく誰でも食いものにしようと、
手ぐすねを引いている者の犠牲者になってしまう。

そして当然、群衆のなかは、居心地がいい。
六億のカトリック教徒がいる。
それは、居心地がいい。
そして、六億の人びとが間違うはずはないように感じられる。
自分なら間違うかもしれないが、六億の人間が間違うはずはない。
だが、それこそ彼らのひとりひとりが考えていることだ。

四億のヒンドゥー教徒たちは、自分たちは正しいと思っているし、
同じことがイスラム教徒や仏教徒や、そのほかの宗教についても言える。
宗教は死んだ組織ではなく、全存在に対するある種の宗教性、
愛情深いハート、親しみ深さであるべきだ。
そういうもののためには、どんな聖典もいらない。




ふたつのハート

この数年間、光の仕事人がこのブログで伝え続けてきたことを、
再度思い起こしてください。
あなたがたが「独り立つ者」になったとき、
そんなさまざまな思いを理解していただけることでしょう。

何度も「ブログを書くのはもういいかな?」と思う時期がありました。
また、そういう時期が来ているように思います。
基本がわかれば、あとはすべて応用です。
どうか応用力のある人となってください。
そのためにも、自己の探究と自己確立に全力で臨んでいただきたいと願うしだいです。


今日もたくさんの愛を皆さんにお届けしたいと思います。


花束


2013年12月22日  カヴィーシャ・光の仕事人 






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