「高い振動数の人」&「低い振動数の人」 

2013年09月03日 00:00


★ 地球人の振動数はどれくらい? ★



あなたは、この地球上で生きている人の振動数がどれくらいか、ご存じでしょうか?

振動数」というのは、単位時間内に一定の周期をもって繰り返される振動の回数のことで、単位はヘルツで表します。周波数とも言います。一秒間に何万回振動するかということですね。
(★過去記事―「神秘の世界」を究明する量子力学 「すべての物質は振動し、固有の波動を持つ」参照)

意識の進化や霊的な成長を探求している人」の多くは、約10万回/秒以上で振動しており、なかには17万~18万回/秒に達している人もいると、ある本の中でバシャールは言っています。(バシャールはダリル・アンカ氏がチャネルするエササニから来た異星人のこと)

今、地球上の大部分の人々は、平均7万6000回/秒~8万回/秒となっているそうですが、多くの人々が10万回/秒を超えているということでした。

これはわたしのハイアーセルフに確かめた上、実際にペンジュラムで調べており、バシャールの言っているそれぞれの数値が正しいということがわかっています。
この異星人の言っていることは信憑性があるので、今回は彼の話の内容を紹介したいと思います。

バシャールによりますと、レムリア、すなわち「ムー」の人々の平均的な振動数は17万から18万回/秒、アトランティスの人々の平均的な振動数は、初期の段階では14万から15万回/秒で、その後、多くの変化が生じ、振動数は下がってしまったということです。また、何千年ものあいだ、人類の平均的な振動数は3万から4万、5万回/秒くらいしかなかったということです。

マスターと呼ばれている人々、仏陀やイエス、クリシュナなどは20万回/秒以上ということで、明確な数値は語られていませんでした。
以上」というのは際限がなく、大変いい加減な言い方ですね。わたしの調べでは明確な値が出ておりますが、何か断定しないほうがよい理由があるのでしょうか? 



ナサ提供 アンドロメダ銀河


★ 自分よりも振動数が高い存在の浄化はできない ★



バシャールは「私たちの文明は平均して約25万回/秒で振動しています」と語っています。 

彼はまたつぎのように述べています。

「私たちの振動数と地球上の平均的な人の振動数のあいだには大きな違いがあることがお分かりになるでしょう。だからこそ、私たちと人類との交流の大部分は別の次元で行なわれるのです。
別の次元においては、人類が霊的な振動に近い、より高い振動数をもつことができるからです。
しかし、18万回/秒で振動しているような人は、20万/秒以上になって私たちと交流することは、さほど難しいことではありません」と。

★「私たちと人類との交流の大部分は別の次元で行なわれる」と、バシャールは言っていますね。別の次元とは、いかなる次元なのでしょうか? 夢の世界でということでしょうか?

このバシャールの言葉から、わたしたち地球人が、高い振動数をもっている異星人を説得したり、「光の浄化箱」に入れたりする場合、その異星人よりもさらに高い振動数を持っていなければ不可能であるということ。この現実世界では、わたしたちが異星人よりもさらに「意識レベルを高めることが必要」であるということを再確認したしだいです。



  オリオン星座

★ 異星の存在が来る理由 ★



皆さんのなかには、異星の異質な存在に悩まされている人も多いのではないかと思うのですが、いかがでしょうか? 
あまりそちらのほうの情報を聞かないので、いつもわたしの長女を例に挙げてお話をするしかないのですが、今回も長女の過去生からわかったことを少しお伝えしたいと思います。

わたしの長女のところに入れ替わり立ち替わり異星人が訪れ、大変難儀をしていたことは、以前から時々記事で触れてきましたが、最近長女の過去生回帰をして、その原因が明らかとなりました。
長女は過去生で異星人だったことが大変多く、ニビル人、オリオン人のほかにも、さまざまな星に転生していました。
そのうち、優秀な化学者であったことがあり、当時星と星との戦争で、自分の星の統治者に頼まれて恐ろしい核爆発を起こす兵器を造っていたことがあったのです。一回で星一個分が完璧に消滅するような恐るべき兵器です。
まばゆく光ったと思ったら、一瞬で星が跡形もなく消えてしまったという映像を、長女は過去生回帰中にはっきりと見ていたのです。調べてみて驚いたのですが、全部で7つもの星を消滅させていました。

自分の星を守るためにやむなくとった策でしたが、本人は誇らしくもなく、疑問にさえ思っていたようです。
そんな過去生があったため、長女は銀河系宇宙の異星人のあいだでもかなり知られており、「銀河系のおたずね者」さながらの人物だったことが明らかとなったのです。消滅させられた星の存在たちが現在地球に肉体を持った長女のところに来たとしても、別に不思議ではなかったということです。

まるで知らない銀河系からの「人間型ではないカマキリに似た存在」たちや「恐竜やイグアナのような様相の存在」たちが母船でやってきましたが、結局は母船ごと浄化箱に入れて宇宙へ返しました。グレイ系は執拗でとても悪影響が強く、長女がわたしに接近すると、わたしまで頭痛をもよおすほどでした。

銀色の鎧に包まれた軍隊が続々と浄化箱に入っていくのを皆さんが見られたら、さぞかし驚かれることであろうと思います。まるでSF映画のようですが、見えない世界では実際に起こっていることであるのです。

そんなふうに、長女はいろんな星の存在から目をつけられており、昨年あたりから堰を切ったようにつぎつぎと押し寄せてきておりました。彼女は異星だけではなく、地球上でも随分戦争や殺戮に関わってきているため、地球で殺された霊体などが続々とやってくるのです。異星人にしても、異星で亡くなった霊体にしても、非物質のエリアから来ているので、肉眼では見えません。あまりにもさまざまな種族がやってくるため、わけがわからなくなってしまいます。

過去生回帰をして原因がわかってからは、長女も観念したようですが、自分自身ではどうしようもなく、結局はすべてわたしが面倒を看なければならず、大変な人物を請け負ったものだと、毎回ため息が出るほどです。
心身ともに大変辛い状態であるのがわかるので、彼女に憑いている異星の存在たちを浄化箱に入れては宇宙へ返すという作業を、一日に何回もおこなっているわけなのです。
憑依体質で苦しんでいる長女の課題は「試練」そのものでした。自業自得ということですね。 
もしわたしの周波数が地球人並みであれば、きっと気がおかしくなっていたことでしょう。こういう状況の中で平然と生きていくことは不可能だったにちがいありません。長女はちゃっかりとそれを知った上で、生まれる際にわたしを選んだような気がします。(苦笑)

他の人を見ていてもわかることですが、憑依する存在との周波数の違いが大きければ大きいほど、頭がひどく痛み、心臓の鼓動がおかしくなって耐えられないようです。
ちなみに長女は10万回/秒台で振動していることがわかっておりますが、それくらいの振動数では異星人のひとりでさえも自分の手で浄化箱に入れることはできません。
長女は、自分では浄化箱らしきものをつくっているつもりでいるのですが、実際に異星人や最下位の領域に存在する悪霊が入ったことは一度もないのです。まず浄化箱自体が満足につくれていないことがあるのですから。


画像を見つめるリーラ
     画像を見つめるリーラ 撮影 光の仕事人



★ 猫は浄化箱に入った存在を見ている ★



黒猫のリーラと縞猫のミッチェルは、いつもわたしが長女の前に立って、長女に憑いた異星人に対して浄化箱に入るよう促しているところを見ると、しきりに声を出して鳴きます。
リーラはまんまるい目を大きく開けてじっと浄化箱を見つめていますが、ミッチェルはそのなかの存在たちを見るのが嫌なのか、目を反らしたまま、あるいは目を閉じたままでクウクウと小声で鳴くのです。
浄化箱をつくるたびに、猫たちが必ず鳴くということに気づいたのは長女でした。

それで、長女が両手を広げて浄化箱をつくり、「早く入れ!」と言っていても、リーラやミッチェルはいつも何も反応しないので、自分が浄化箱をつくれていないということがわかったようなのです。

果たして、長女は浄化箱がつくれていませんでした。つくれていないものには、当然のことながら何も入りませんね。皆さんも、真に浄化箱がつくれているかどうか、真にそこに何かが入ったかどうか、お家に猫がいるなら聞いてみてください。
ただし、ごく一般の猫ちゃんではわかりません。たいていの猫は第3密度の意識レベルしか持っておらず、周波数も平均6万回/秒くらいだからです。

     黒猫1

ちなみに黒猫のリーラと縞猫のミッチェルの意識レベルは7.4次元で、周波数は26万回/秒です。
彼らはたいていわたしと一緒にいることが多く、長女の愛猫だったリーラは、今では毎晩わたしのベッドで一緒に眠っており、すっかりわたしの猫になってしまいました。一緒にいるとオーラはたいていわたしと同じ色になりますが、生まれつきのカラーをずっと維持している猫もいます。

リーラの2匹の子どもたちは長女に飼われておりますが、二階の長女の部屋にはありとあらゆる存在が行きかっているため、大変なストレスを抱えています。異常波動になって、意識レベルが測定不能になっていることも多々あります。
子どもたちは、わたしの部屋にもよく来るのですが、挙動不審で状態がよくないことは一目瞭然です。とても可哀そうですが、それも何かの縁(カルマ)なので、仕方がないかなと思っています。

もし、あなたが飼っている猫ちゃんが、あなたが浄化箱をつくって何かを入れている様子を見て、おおいに反応したならば、その猫ちゃんには霊体がはっきりと見えているということです。
うちの猫のピャーラは、妖怪によく反応していました。妖怪によく反応する猫は、妖怪は見えても異星人の霊体は見えない場合が多いようです。
ピャーラが異星の存在に反応したことはありません。ピャーラの周波数は8万回/秒くらいなので、どちらかというと一般的人に近いです。

                   
バシャールによりますと、物質的な現実と非物質的な現実の境となる振動数は、33万3000回/秒だそうです。死後、肉体の振動数は限りなくゼロに近づきますが、「スピリット」としての振動数は33万3000回/秒を超え、それ以上に上がっていくというのです。

また、バシャールは「多くは人間として再び生まれ変わってくるときに、自分がその人生で探求していくことにふさわしい振動数になるのです。平均的な人として生まれ変わり、平均的なことを探求する場合は、振動数はある程度低めになるでしょう。しかし、ティーチャーやマスターとして戻ってくるならば、肉体をもっていてもかなり高い振動数になるでしょう」と言っていますが、そうであるなら、周波数もある程度は生まれつきのものであり、自分で決めてきていると言ってもよいでしょう。

もちろん仏陀のように目覚めたら、意識レベルも周波数も高くなることはまちがいありません。
覚醒」することがもっとも手っ取り早い方法だと思います。

             黒猫2


★ 第3密度と第4密度以降の振動数 ★



皆さんは「3次元」と呼んでいる現実があることは、ご存じですね?
それは、実際には「4次元的な現実」だということも、ご存じだったでしょうか?

わたしたちは「次元」と「密度」を混同して使用していることが多いのではないかと思います。多くの人々が「第4密度」「第5密度」を、「4次元」とか「5次元」というふうに認識していて、「密度」と「次元」を混同しています。厳密に言いますと、それらは同一の概念ではなく、両者を置き換えることはできないものだということです。

縦・横・高さ」という「3次元の空間」に、「時間」という要素が加わると、それは「4次元の現実」ということになります。よって、皆さんはすでに「4次元の現実にいる」ということなのです。ここは、まちがいなく「物質的な現実」です。実際にそうですよね?

ですから「第3密度」というのは、「3次元」とはちがうのだということ、実際には「4次元」なのだということを念頭に入れておいていただきたいと思います。

現在わたしたちは、この「4次元的な現実」から「第4密度に移行(アセンション)」しようとしているわけですが、それを「3次元」から「4次元」に移行するのだと混同していた人もいらっしゃるのではないかと思います。
現在すでに「4次元」にいるわけですから「4次元に移っていく」ということはありえないということです。
第4密度に移行する」ということは、実際には「5次元に移行していく」ということなのです。


バシャールは各々の「密度」の振動数について、つぎのように述べています。

いわゆる物質的な現実と呼ばれている密度の振動数は、現在約6万回/秒から33万3000回/秒まであります。これは物質的な体験全般の数字です。
しかし、いわゆる第3密度は、一般的に言って約6万から約15万回/秒です。
そして第3密度から第4密度に至るあいだあの移行領域では、約15万から約18万回/秒です。
第4密度の物質的な現実では、約18万から約25万回/秒。
そしてまた移行領域があり、そこでは約25万から33万3000回/秒です。

その移行エリアから非物質の現実、つまり第5密度に入っていきます。
非物質である第5密度では、33万3000から50万回/秒です。
第6密度では、約50万から66万6000回/秒。
第7密度では、約66万6000から約82万5000回/秒。
第8密度では、約82万5000回/秒から約100万回/秒の振動数です。

それ以外にも、もっとずっと高い振動数の次元、段階がありますが、今日のところはこれ以上はお話ししないことにしましょう。



いかがですか?
わたしたちが感知できないような高い振動数の次元や段階がさらに存在しているということがおわかりいただけましたでしょうか?
物質的な現実と非物質的な現実の境となる振動数は、33万3000回/秒だそうですから、わたしがそれに達したときには、非物質となって姿が消えるかもしれませんね。
楽しみです。(笑)

   

         クマと本


「高い振動数の人」&「低い振動数の人」



あなたは何をするにも億劫で、「面倒くさい!」と思ったことはありませんか? 

うちの長女はしょっちゅう「面倒くさい!」を多発しています。
仕事も人間関係も、恋愛までも、すべて面倒くさいと思っているようなのです。
身体が不調だと、そういう気持ちになるのは、わからないでもありませんが。

もしあなたが何に対しても「面倒だ!」と思うようになったら、「どうして、こんな面倒くさがり屋になっているのだろう?」と考えてみてください。そういうとき、あなたの身体と心がどんな状態にあるのか、まずじっくりと感じてみていただきたいのです。

★「面倒くさい!」と思うのは、あなたの意識レベルと振動数がかなり低下している証拠なのだと思ってください。
意識レベルが高ければ、面倒だなんて思いもしませんし、自らの能力をフルに発揮したいと思い、能動的に行動ができるはずですから。


キノコ狩り


★バシャールと坂本政道氏との対談「人類、その起源と未来」の「振動数の違いと人間性、行動パターン」のなかで、バシャールはつぎのように述べています。

坂本 では、7万6000回/秒の平均的な人間と、18万回/秒の人間の差はどういうところに現れるんですか。人間性や行動パターン、あるいは欲に対する考え方、その辺の違いを教えてください。

バシャール
 これから私たちが言おうとしていることは、とても一般化されたことです。
明らかに一人ひとり個人差があります。
しかしながら、一般的に申し上げると、物質的な現実の低いレベルの振動数で生活している人々は、自分自身を力づけるというセルフ・エンパワーメントのレベルといまだにつながっていません。
人生の多くの分野においてそうです。
彼らの決断は、その多くがおおむね怖れを土台にしています。
それ故、より強いネガティブな信念体系にもとづいた、より強いネガティブな感情を経験することがあるでしょう。
また、彼らはこの物質的な現実がすべてであると信じているかもしれません。
あるいは、たとえ何らかの宗教やスピリチュアルな信念をもっていたとしても、自分は非力なのだという思いや怖れにもとづいた信念をいまだにもっているでしょう。たとえば、死んだあとには罰を受ける、というような信念を。



★以下、バシャールの言葉を引用し、「高い振動数の人」と「低い振動数の人」の相違点をまとめてみました。
皆さんの参考となれば、幸いです。


★高い振動数の人は普通、バランスや自由、選択、誠実さ、責任に関連した信念をもっている。


★低い振動数の人は、悲観的な傾向があり、高い振動数の人は楽観的な傾向がある

★低い振動数の人は、より困難な状態を生み出すような信念をもつ傾向があり、下向きのらせんを描く。

★高い振動数の人は、ものごとを簡単に楽に創造することができるという信念をもち、上向きのらせんを描く。


★低い振動数の人は、何かを起こすためには物事をコントロールする必要があると信じている。

★高い振動数の人は、自分がすべきなのは、それが起きてくることをただ許すこと、それが起きるのにまかせることだと理解している。

★低い振動数の信念体系をもっている人がポジティブな方向への変化を望んでいるとき、その変化を大変動、破滅的なかたちで体験する傾向がある。

★高い振動数を持っている人がさらに拡大し、よりポジティブな変化が起きることを望むときには、彼らのもっている信念体系のために、シンクロニシティー(共時性)やミラクル(奇跡的)なマジックのようなかたちで変化を体験する傾向がある。


★出典 バシャール×坂本政道 「人類、その起源と未来」より抜粋・要約



ふたつのハート

★皆さんはご自分の周波数や意識レベルがどれくらいであるかをご存じないと思いますし、知る術もないのではないかと思います。

10月のセミナー」に参加された方々で、「知りたい!」というご希望があれば、個々にお伝えしたいと考えております。
光の浄化箱」がつくれているかどうかも、おひとりずつお調べして、完璧な浄化箱がつくれるよう練習をしていただく予定です。

それには、いつも意識を高く保ち、振動数を上げる努力することが必要です。
セミナーでもそのエクササイズをおこないますが、記事にも書いておりますので、日々実践してください。

遠路はるばると「セミナー」に来られる方々には、記事ではお伝えできないことなど、できるだけ有益な情報をお知らせしたいと考えております。ふるってご参加くださいね。



ねずみとハート



<無意識><自我><超自我>あなたの生き方はどれ?

2013年09月09日 00:00


東日本の皆さん、お元気ですか?

東日本大震災からまもなく2年半になりますね。
メルトダウンを起こした東京電力福島第1原発では、放射性汚染水漏れが止まらず、事故収束がいまだに見えない状態です。
昨日は2020年の夏期オリンピックの東京開催が決まったことが報道されていました。
「汚染水問題はコントロール下にある」などと安倍首相が安全性を訴えたのが勝利に導いたようですが、果たして真にコントロール下にあるのかどうか、大変怪しい発言ですね。

先週は台風、秋雨前線、雷に竜巻と、日本列島の各地でさまざまな被害が生じましたが、皆さんのお宅は大丈夫でしたでしょうか? 
今は何が起こっても不思議はないので、毎日を意識的に、一日一日を大切にお過ごしくださいね。


                         飛ぶ鳥
★ 読者さんからのメッセージ ★ 


今回は、アメリカにお住まいの画家さんからのお便りをご紹介いたします。
以前にディズニー映画「ラマになった王様」の観賞を、皆さんにおススメしたことがありましたが、その感想文を届けてくださいました。
ラマになった王様』は2011年12月30日の『風のように去りぬ』に掲載していました。
よろしければ、再度お読みになってみてください。



  秋の収穫


◆ 自己紹介&映画の感想 ◆


                  46歳  女性  M.T  VIRGINIA州 U.S.A


私はアメリカバージニア州に住んで20年、ここで出会ったアメリカ人と結婚し今年16年めになりました。心も体も身の回りも飾り気がなくさっぱりとした田舎生活をしております。
ある日、日本に住んでいる妹から誕生日に赤いバラの花束が届き、とても感動した私の体が(絵に描いてみたら?)と言っているように感じ6年前から絵を描き始めました。絵を描くことはとても自然に自分を表現できる素晴らしい 手段だと感じています。楽しむとともに、彼のサポートに感謝しながら毎日もくもくと家で1人で制作している芸術家です。象徴画を描いています。

カヴィーシャ様のページを読み始めたのはここ何ヶ月か前からで私の体の調子がとても悪くなり、どうにかして治したいといろいろ調べていた時です。とても綺麗に整理され見やすいカテゴリーに文章、とても丁寧で愛に溢れた波動がやわらかくでも凜としていて素敵だと思いました。今の自分に自然な感じで入ってくるので毎日少しずつ読み、いろいろ勉強させて頂いております。自分が憑依体質そしてスポンジ体質であることを知り克服しようと、今自分の<魂の成長>を意識して生活しています。そして<何事も意識して行う>ということを肝に銘じて過ごしているところです。それから愛する地球のために何が貢献できるかを考え(みつけて)少しずつ実践しています。
カヴィーシャ様そして<思いの制限をひらく>に出会えたことを本当に嬉しく存じます。



ライン ノスタルジック


           ~「ラマになった王様」を読んで~



私はよく彼といろんな国の映画やアニメ鑑賞をするのですがこの間<ラマになった王様>のことをカヴィーシャ様の記事を読んで知り、さっそく2人で楽しみました。
ラマになった王様の感想ですが、この映画を見終わった時、王様という一人の人間の成長過程映画だと思いました。

フロイトが人間の精神機能を<エスー無意識領域><自我><超自我>という3つの機能の相互作用と捉えている、というのがあります。
ラマになった王様>は今この現実世界に生きる人間(が他の人と関わって生きていくうえで)にはこの<無意識領域><自我><超自我>の3つのバランスがとても大切だと教えてくれている映画ではないかと思いました。

王様は<無意識領域ー”~したい、~が欲しい”という本能的快感(動物的)欲望、生理的衝動、心のエネルギーの原子炉>そのもので成長し教育されていないまま、生きてきました。
バチャと出会い、いろんな体験をバチャとすることによって < 自我ー無意識領域を現実状況や対人関係に合わせてコントロールする機能>そして<超自我ー良心、善悪判断>などの今まで成長していなかった機能が起動し始めました。最後、一人の人間として必要な精神機能<無意識領域><自我><超自我>すべてが高まり精神的に成長していきます。ここで成長というのは精神分析学で昇華ー原始的本能のエネルギーを異なる方向に向けて、新たな建設的な目的や社会的に容認される行為に転換していく事と呼びます。

この映画で私が気がついたのは、人間の<心>とフロイトの3つの精神機能の関係です。”心が大きい””広い”なんていいますが、その<心>ってこの<エス><自我><超自我>が 起動し精神的成長をすることによってこそ、どんどん成長、そして大きくなっていくよ。ってことなのかなと。。。


★カヴィーシャ: Mさんは、「ラマになった王様」であるクスコの成長を、 精神分析学者フロイトによって提唱された<エスー無意識領域><自我><超自我>という3つの機能に置き換えて書いておられます。
とても当を得た表現で、すばらしい見方であると思いました。
主人公のクスコは【無意識】→【自我(ego)】→【超自我(super ego)】というながれで、わがままな自己奉仕型人間から慈悲深い他者奉仕型人間へと変容していきました。
とてもわかりやすいストーリーでしたね。



ぶどうのライン


そしてもうひとつ<ラマになった王様2>の感想ですが、

周囲からの要求(父)と自分の内なる要求との間で葛藤してきた人間(クロンク)が<自律ー他からの支配、制約を受けずに自分自身で立てた規範に従って行動、その精神を養う>し、<自立ー他からの支配、助力を受けずに存在する>した姿を楽しくコメディーをまぜながらの楽しい映画でした。

私は2つのメッセージに気がつきました。

1-若返り薬のプラシーボ効果ー暗示、思い込みの力で軽くダンスなどしていた老人たちの欲です。
貧欲ー万の物を必要以上に求める心をもつとステキな<幸福、平和、愛、健康>などの波動から離れていくよ、気をつけなさい。ということ。

2-愛を基本に笑顔で何でも楽しんで生きるとどんどん幸せになるよ。ということ。
クロンクが葛藤して生きながらも毎日心やさしく、思いやり深く、愛の心をもって笑顔で過ごしてきたからこそ最後たくさんの人が彼を助けようとレストランに来たのだと思います。和顔施ー人に対して穏やかな顔(笑顔)で優しく接するはそれにより人々の繋がりを強くし、信頼、思いやりが生まれるすばらしいものだということですが、本当にそのとおりだと思いました。

これらが私の今の魂の成長段階で気がついたことです。

この2つの映画はとても面白く家族みんなが一緒に楽しめる教育映画だと思います。子供の道徳心を育てるためにとても良い映画ではないかと思いました。

★カヴィーシャ:  わたしは、イズマの手下で、思考力はやや低めのマッチョなクロンクのことは、とても愛すべき存在だと思っています。彼は「ラマになった王様1」でも、なくてはならないキャラクターでした。彼が登場しなければ、クスコはすぐにおだぶつとなっていたわけですから。(笑)
クロンクは愚か者ではありますが、人間味あふれる素敵な存在でもあります。
まだ観ておられない方は、ぜひご覧いただきたい作品です。



最後まで御読み下さいましてどうもありがとうございました。

カヴィーシャ様をはじめ家族の皆様そして猫ちゃんたちにとって今日も楽しく素晴らしい1日となりますよう心からお祈り申しあげます。


絵画1
         教会に展示されたMさんの作品 左と中央


★カヴィーシャ: ディズニー映画の本場アメリカから感想を届けてくださって、ほんとうにありがとうございました。とても嬉しかったです。
Mさんのホームページを早速拝見いたしました。どちらかというとネガティブな作品が多かったように思いますが、それはそれで何かわけがあって(無意識かもしれません)描いておられるのではないかと思うのです。
ただ、そこでずっとそれに留まっているのではなく、あなた本来のポジティブな質を見いだしていただきたいのです。
それを目覚めさせ、もっと大胆に、もっと生に溢れ、深い愛に溢れ、遊び心を持ち、楽しんで表現していただきたいと思います。

教会に展示されていた作品の多くは、ポジティブな波動を放っていました。
見ているうちに、気持ちが明るくなって、幸せになったり、希望が湧いてきたりする絵を、これからもぜひ描いてください。



絵画2
     教会に展示されたMさんの作品 左と右



★ 快楽か、道徳か、
  あなたはどちらを選んで生きていますか? ★



今回はフロイトが登場しましたので、少しここで、フロイトの精神分析についての補足をさせていただきたいと思います。
フロイトは「なにやらわからない、意識されないけれども、人間に欲求・衝動を起こすもの」が、人間の心の根底にあると考えました。それを【エス】とか【イド】とかいう言葉で呼ぶことにしたのです。
この 【エス(es)】はドイツ語で“it(それ)”の意味で、ラテン語の【イド(id)】も同様です。
実体のはっきりしない、わけのわからないものには「名前」はつけられないので、フロイトはあえて「それ」という名前にしたようです。

以下、そのわけのわからない「それ」については、ラテン語の【イド(id)】を使いたいと思います。

とり1

「心理学基礎用語」の説明によりますと、【イド】は「人の精神エネルギーの源泉」に当たるもので、本能のままに「今すぐあれがしたい」「これがしたい」という欲求を出して満足を求めることを指すようです。
生存するために必要な「生物学的本能」のことです。この基本的な機能は、DNAによって祖先から子孫へと継承されているもので、善悪の判断や時間的な感覚や論理性がないのが特徴です。
リビドー(欲望)という「心のエネルギー」を発電所のように作り出しているのが、【イド】なのです。



自分が気に入らなければ、すぐに従者をお払い箱にしてしまい、相手に被害を与えても何の反省もない若き王様クスコは、「わがまま+いじわる+傲慢+自分勝手」という実に意識レベルが低い幼稚な人間として登場します。
クスコはまったく野蛮で原始的な本能の領域で生きているわけで、【イド】の状態そのままですね。

そして、そのクスコの気まぐれで、相談役をクビにされたイズマは、自分にとって都合が悪い邪魔なクスコを殺して問題解決を図ろうとします。その点で、イズマは【イド】に留まったまま、まったくその後の心の成長ができていない老婆ということになりましょうか。



この【イド】の上に存在していて、理性的に【イド】をコントロールするのが【自我(ego)】
です。
【自我】は本能的な欲求を実際にかたちにしてみたり、その欲求をかなえるために必要な計画を立てるなどといった準備行動をつくり上げます。例えば、「これは嫌いな仕事だけど、今は家族の生活のためにがんばろう。でも、いつかきっと自分の好きな仕事を立ち上げるんだ」と思って、嫌な仕事でも続けていくことなどは、【自我】の働きによるものだと考えられます。


             とり3

3つ目の【超自我(super ego)】とは、常に道徳的、意識的であろうとする部分です。
子どもは親から叱られたり褒められたりすることで、行動の善し悪しを学びます。親や教師などから条件づけられることがほとんどですね。
幼い頃は親の判断基準に従っていますが、成長するにつれて「これは、相手に迷惑がかかるからやってはいけない」という社会規範(道徳・倫理)に準じて、自分で判断ができるようになります。

丸飲みした躾や社会規範が【超自我】をつくるということで、この意識を【超自我】と呼んでいるようです。
「神の定めた掟に従って生きることが良い生き方だ」といった宗教的な戒律や、法律や規則、慣習や常識などの制約がそれです。【超自我】はそれらの「道徳原則」に従って活動するものだというのが、フロイトの説なのです。

【超自我】は【自我】の意識よりも強く、【イド】を律する働きをするといわれています。
【自我】は『~したい』『~が欲しい』という衝動的な【イド】と、『~してはいけない』『~すべし』の倫理的な【超自我】のあいだに立つ調停役で、精神構造全体のバランスを取る中心的機能だというのです。
『~すべき』『~ねばならない』と強く思い込みがちな人は、【自我】あるいは【超自我】が強く働いている人であるということになりましょうか。

 
イド】は「本能」そのものです。生まれたときから持っている自分自身のものです。
けれども【超自我】は、おとなになるまでに心の中に取り込まれ、植えつけられた外界からの「道徳」なので、元来、自分自身のものではありません。
それはまちがいなく「抑制・抑圧された自己」なのです。



とり4

抑圧は苦しみを生み出します。
わたしたちは元々『~したい』『~が欲しい』『~になりたい』といった本能的な欲望を充足させる事を目的にして生きている生命体です。
【イド】は人間のあらゆる意欲の基となるエネルギー源であるわけですから、全面的にそれを抑制・抑圧するのはまちがっています。それを全面的に否定されたら、死ぬよりほかはありませんね。

しかし、この世界では、本能的な自分を「抑制・抑圧」している人がたくさん存在しています。さまざまな宗教は戒律を守ることを強制します。
信仰者は『~してはならない』『~しなければならない』という観念にがんじがらめになっているため、本来の自由な生を生きることができません。
このように超自我】は「社会に適合した生き方をする自己なのです。

「あんなに良い子だったのに、どうしてあんな犯罪をしたの?」と言うケースが多々ありますね。
その子が外面的に社会にうまく適合したかのように振る舞っていたために、傍目には「よい子」に見えていただけのことなのです。そんな「よい子」の内側では、抑圧されたリビドーの強烈なエネルギーが「無意識」という闇のなかに溜まりにたまっていたはずです。それでついに爆発し、とんでもない犯罪を犯したというわけなのです。
ですから、フロイトが言う【超自我】は、あまり歓迎するような内容ではないのです。



花と蝶


★ どちらに偏ることなく、真中で生きること ★



あなたは、いつも何を基準にして行動していますか?
【イド】と呼ばれる「本能・快楽」でしょうか?
【超自我】と呼ばれる「道徳」でしょうか?


本能と快楽だけを追いかけていると、「ラマになった王様クスコ」のように人々に嫌われ、ついには王国(社会)からはじき出されることとなります。
あるいは、道徳ばかりを追いかけて、自分を厳しく律し、善業ばかりに目を向けていると、やがて苦しくなって、自由と解放を求めるようになります。

世間の人たちは【超自我】に芽生えているとはとても言えませんね。
もし「道徳」や「倫理」や「交通ルール」などの規則をしっかりと守るような人々ばかりであるなら、人殺しも犯罪もなく、交通事故も少なく、真に平和な世界ができあがっているでしょうから。
今の世界の有様を見ていたら、大きな深いため息が出るばかりです。なんとかならないものでしょうか?

この世界は、「本能・快楽で生きている人」と、そんな人たちのせいで「規則に縛られながら苦痛を感じて生きている人」の領域なのです。
しかし、「自分自身」が中心軸にいると、【イド】や【超自我】を上手にコントロールして生きていくことができます。「生の欲求」に従いながらも、健全な「リビドー」を生きることができるのです。
これは「中道を行く」と言葉で表すことができると思います。


とり2

中道」というのは、どちらにも囚われない、偏らない立場のことを言いますね。
自分だけのことを考えず、相手(他者)のことも考えることが大切だということです。
自分が幸福になりたいのであれば、自分の利益は客観的に判断することが必要です。
自分の主観で考えていても、それが実現するとはかぎらないからです。

ラマになった王様」では、クスコが他人の土地を勝手に取り上げてクスコリゾートをつくろうとしたとき、「それはゆるさない!」と主張して頑固に立ちはだかるパチャという存在が出てきて、なかなか実現ができないという問題が起っていました。
クスコが主観的に判断すること自体がまちがっているからですね。
やみくもに自分の利益を追求しようとしても、自分だけの利益を目指しているあいだは、実現はできませんよということなのです。

自分のためにもなり、他者のためにもなることを目指すこと。
それを「ラマになった王様」は教えてくれていたのではないかと思います。



ありのままに生きるって、こういうこと!?

2013年09月17日 00:00


大荒れに荒れた台風18号が、近畿から東海、関東、東北を通過し、ようやく北海道で温帯低気圧に変わりましたね。それぞれの地域の皆さん、大丈夫でしたか?

わたしが住んでおります境港市は、16日は爽やかな風が吹く晴天となっておりました。昼間は運動会、夜は花火が上がっていました。これまでにあまり台風が到来したことはなく、被害に遭ったことはありません。また、川がないため、たとえ大雨が降っても、洪水が起こらないのです。地震は過去に何度かあったようですが、日本列島の中では比較的安全地帯であるように思っています。

テレビのニュースを見て、京都の川が増水して大変なことになっていたのがわかり、驚きました。これまでになかった降水量だったそうです。
嵐山のあたりは、桂川がよく氾濫することで知られていますが、わたしが京都に住んでいる頃によく散歩した渡月橋から中の島辺りがすっかり水浸しになっているのを見て、今回の大雨の凄さを感じました。

今年の9月にはきっと台風も多く、大雨が降るだろうなと予想していたのですが、その通りになっております。しっかりと「川」と「雨」という「水での浄化」がおこなわれているのを知って、それも必要なのだと納得したしだいです。



落ち葉集め


★ 「数秘リーディングレポート」より ★



今回は9月の「数秘リーディング」を受講されている東京のY.Oさんのレポートを登載させていただきます。
今はまだ自己探究の最中なのですが、最初の段階から大変すばらしい気づきと変化を得ておられ、その感動を読者の皆さんにもお届けできたらと思います。

じつは、8月22日に「気づきのコース」を申し込まれ、わたしが了承した段階から、Y.Oさんの身体にさまざまな変化が起こっていました。パソコン上でも文字化けなどの不具合が起こっていましたし、他人にやたらイライラしたり、スピリチュアルな友人たちとの葛藤などもあり、ご自分でもいろんな面で意識が下がっていることに気づかれ、何とかしたい!という思いが募っていたのでした。

この準備段階があったからこそ、わたしのリーディング結果をとても冷静に楽しく読む事が出来たと、Y.Oさんは後々書いておられ、わたしもそれが大変重要な「準備期間」であったと感じましたので、まずは「リーディング受講前の気づきのレポート」から載せさせていただくことに致しました。どうかご了承ください。

彼女のレポートはどれも大変長いため、全文より特に必要と感じたテーマをピックアップさせていただきました。連続して3つのレポートを載せております。彼女の心境の変化を感じ取っていただければ幸いです。



ぶどうのライン


◆ リーディングを受講する準備段階の気づき ◆

                        Y.O 43歳 女性 東京

 

私は常に人に自分のいい面だけを見せようとする癖があります。最近では特にスピリチュアルな面でその傾向が強かったように思います。人に意識が高い面だけを見せようとするのです。しかし、それは相手だけでなく自分自身を騙し、事実を認めようとしない全く傲慢な態度であり、自分の心に汚れを付けて行く結果となりました。気がつけば私は焦りと自分に対する偽りから、かなり心に汚れが溜まった状態となっておりました。
私はそれを何とか解消しようと瞑想の時間を増やしたり、OSHOやバーソロミューの言葉を読み返したりしました。でも、固くなった心にそれらの素晴らしい言葉が私の心にしみ込んでくることはなく、ますます気持ちは焦るばかりでした。

スピリチュアルな世界に目覚めた私の友人たちはいち早く私の状態に気づき、最近私の心に壁が出来ていること心配してくれました。私は表面的には、少しエネルギーが下がっているけど一時的だから大丈夫だと言い続け、そのじつ心では、なんであなたたちのような未熟な人間にそんな事を言われなければならないのか?と心配してくれる人に対しそのような事を思っていたのです。私の友人はかつて私がそうであったように、純粋にスピリチュアルを学び、自己探究に謙虚に励んでいたことでとても意識が高くなっていました。私はそんな彼女たちに嫉妬し、彼女たちの未熟さを粗探しする有様でした。

私はそんな自分のネガティブな気持ちに気づいてから、自分の真理を探究しているつもりで間違った道に入り込んでしまったのだと理解しました。しかし、理解はしたものの、容易に受け入れる事はできません。私は彼女たちより長い時間スピリチュアルを学び(と言ってもカヴィーシャ様の学んで来られた時間に比べれば何百分の一ですね。今となっては笑える話しなのですが・・)、瞑想などを行って来たというなんとも未熟な自負があったのです。自分の不安定さを彼女たちに指摘されたことや、意識の高さと言う面において、自分が追い越されたように思えたことを素直に受け入れる事ができず、私がそんな事を受け入れられないような人間であるはずがない、という思いでぐちゃぐちゃになっていました。頭では自分が彼女たちに見出す問題点は、自分の問題点だとわかってはいるものの、自分の心(マインドでしょうか?)が納得しないのです。こんなに学んでいるのに、彼女たちより時間をかけてやっているのになんで!?と。

私は気づきのコースが、このような自分を正すきっかけになればと思い、(1年くらい前は申し込みを躊躇っていたのに)迷うことなく申し込みました。そして、気づきのコースを申し込んだ後、私は焦りと自己欺瞞と、カヴィーシャ様に自分の情けない所を見られるのは嫌だ、こんな葛藤を抱えていてどうするんだ!という自分に対する怒りを抱えながらカヴィーシャ様のブログをひたすら読み続けました。

レポートがあと1日、2日で来る頃(8月29日ごろだと思いますが)、自分に対する怒りと情けなさがコントロールできなくなり、私一体なにやってるの!?本当に何やってるの!と思い、そして更に私を心配してくれる友人を逆恨みしていました。
しかし、その日の夜、不思議なエネルギーを感じました。ぐちゃぐちゃになっている私を愛のエネルギーが包んだように思えたのです。わかっていますよ、と幼い子供に言い聞かせるような深い愛のエネルギーを感じ、私は思わず号泣してしまいました。その後・・・カヴィーシャ様のブログで、私はたまたま「自分自身を征服すること~天国に入るための必要条件」を読み返しました。自分の抱えている葛藤が必要なことなんだと不思議なくらいスコンと納得でき、落ち着いた精神状態になりました。
  

そして翌日の通勤電車の中で、昨日のエネルギーはカヴィーシャ様の光のエネルギーかな・・気づきのコースを申し込んでから、私の中のマインドが暴れ回っていたなぁと考えました。私はマインドは認めてほしかったのかな?不安な思いを私にわかって欲しかったのかな?と気づきました。その時、初めて私は自分の思いを本当に理解し、ごめんね、ごめんね、と自分に自然に心から謝りました。そうしてようやく私は、自分の中にある怒りや他人への嫉妬といったネガティブな思いの一部をリリースすることが出来ました。
恥ずかしながらリーディング結果を頂く前から、私の心はこのように自分勝手なエゴでアップダウンを繰り返しておりました。そしてリーディング前からずいぶんとカヴィーシャ様のお力をお借りしていたのだと感じました。
数秘リーディングを申し込んだ際の文字化けは、私がカヴィーシャ様に心を開いていなかった、または自分の状態を隠そうとしたことがあのような文字化けの形であらわれたのかな、と感じています。

★カヴィーシャ: 「自分の抱えている葛藤が必要なことなんだと不思議なくらいスコンと納得でき、落ち着いた精神状態になりました」と書いておられましたね。その通りだと思います。あなたはご自分の今必要な「課題」に取り組む準備を、しっかりとしておられたのです。
あなたの自己探究が本格的に始まったことを嬉しく思うと同時に、これから気づきが深まり、あなたの魂がきらめきを取り戻せるよう応援したいと思っています。



ぶどうのライン


         うさぎと赤とんぼ

     
   ◆ 「数秘リーディング」からの気づき ◆

              ~Y.Oさんのレポートより~ 


カヴィーシャ様、リーディングを読み返し、日々その内容を考えては、それを象徴するようなことが現実で起こる、ということを繰り返しています。学びから生じるシンクロ?と思いつつも、もしかしたら私が気づいてなかっただけで人生はこれの繰り返しだったのかな、などと思ったりしました。それぞれ示して頂いたリーディング結果(点)が線となり、より緻密な私と言う地図を描きだしているわけですが、毎日読みこむと、あ、ここも繋がってる!という感じで、日が経過すればするほどまとまらないという状態でした。でも、これまでのところで私の気づきを報告させていただきます。



◆ 軌道数4について ◆



4という軌道数は、私と言う地図をあらわしている数字だと感じました。私の特徴をあらわすという意味では、自分でも非常に納得でき、自分に与えられたエネルギーを理解する事ができました。4の数字の本質が示す本質から生じる問題点において、私は見事に左半分の項目がほとんど当てはまります。しかし、右にある項目も良く見れば全て私が内包している問題でもあり、つまりはコインの裏表、両方が私であって良い悪いの話ではないと言う事を実感しました。カヴィーシャ様のブログでも本などでもよく言われていることですが、ようやく自分の中に落ちた、という感じです。私自身が分離の世界をあらわしているという事ですね。そして更に踏み込むと、私はカヴィーシャ様のご指摘通り、劣等感から来る不安により人を見下す事があります。また、精神的・経済的安全(安定)性を最優先するために、やりたい事がやれなかったりします。
私の不安や恐れを解消するものは「あるがままを受け入れる。自分を信用する」ということですよね。しかし、私はこれが軌道数4の一番重要なポイントであると言う事は理解できましたが、ここだけどうしても腑に落ちませんでした。

★カヴィーシャ: よくわかります。きっと腑に落ちないだろうなと予想しておりました。「今のままのあり方で、それは正しい」という言葉自体にとらわれてしまわないことが大切です。

私は理解するために自分が感じた事をリーディング結果に書き込み始めました。例えば、「今のままのあり方で、それは正しい」というのは向上心が不要だということだろうか? 意識的に意識を高めようとする事は「ありのままを受け入れる」と相反するのではないのか? ありのままを見るだけならば、それはありのまま以上でも以下でもない。そこから何か見出すことがあるのか? ありのままを見るのは空っぽの箱を見ると同じなのではないか? 等々。様々な疑問からリーディング結果は書き込みで一杯になってしまいました。かろうじて、「自分を信頼する」ことが「自分が望む事が起こる事ではない」、ということは理解しましたが・・。そして、他の項目のレポートは全く手つかずだわ、軌道数はまとまらないわで頭を抱えました。

★カヴィーシャ: そうでしたか。マインドでは理解できなかったのですね。ということは…つまり、ハートで受け止めてはおられなかったということでしょうか?

Y.O: 意識しておりませんでしたが、確かにハートで受け止めておりませんでした。もう少し正確に言いますと、最初はハートで捉えていたと思うのですが、何度もレポートを書き直しているうちに、段々とマインド主導になっていった・・ような気がします。そうですね。頭で考えるのではなく、ハートで捉えるべきでした。

考え込んだ翌日、私は仕事で嫌な事がありました。仕事の出来ない同僚の尻拭いを私がやることになったのですが、当の本人は他人に迷惑をかけても何ら悪びれておらず、詫びの言葉もありませんでした。私は、一体彼女はどういうつもりなのかしら?あんな態度だから彼女の回りも仕事が出来ない人間ばかりなんだ。そういえば私のカルマに6の無条件の愛があったけど、これってカルマのせいでこのような結果になったのかしら?給料をもらう会社において、無条件の愛って成り立つの?などと考えイライラしました。私は自分の正当性を誰かに言いたくてたまりませんでしたが、それが自分の波動を低下させる事はわかっていたので、イライラしながらもこらえて帰りました。

そして、帰りの電車で、今日の出来事って軌道数で考えるとどういうこと?と考えてみました。そのように考えると不思議と心が落ち着いてきました。私って、起きた事以上に色々と考えてしまうな・・。私は彼女が謝って来る事を期待したけど、それは起こらなかった。でも彼女は自分がやるべきことを人にやらせたことで、いずれ彼女自身が困る事が起こるかもしれない。自分の望む事は起こらなかったし、私の正当性の話なんて私が勝手に考えたことであってどうでもいいのかも。なら、それはそれでいいんじゃない?と思えて来ました。そして、ふとバッグに入れてあるリーディング結果を取りだして、これまで意味を理解していないからと読み上げた事の無かったアファメーションを小さな声で読み上げました。すると、何故か涙が溢れて来ました。しばらく思考停止になって、ありのままを受け入れる、信頼するってこういうこと!?と突然、腑に落ちました。
思わず、カヴィーシャさん、I’m Ready!! 私ほんとに準備ができました!!と叫びそうになりました。まだちゃんと意味を理解していないけれど、こういうことでしょう!?と何度も何度も思いました。

★カヴィーシャ: そういうことですよ! あのアファメーションが役立つような気がしておりましたが、ほんとうに役立ったようで、嬉しいです。

私はほんの少しだけ、一瞬だけ、ありのままを受け入れる、という事を理解したように思いました。不思議なもので心にあった重いものも消えてしまいました。

★カヴィーシャ: おめでとうございます! 素晴らしい体験でしたね!

Y.O: ありがとうございます!アファメーションにあのようなパワーがあるとは・・。本当に驚きました。自分の中で何かがカチっとはまった瞬間でした!ただ、はまったものがまだ小さいというかもろいので、これをしっかりとした物にしていきたいと思います。

私が理解した(ように思える)のは正に少しで一瞬です。これからの人生で常に同じように思えるかはわかりません。ですが、この理解と感覚を大切にし、他人を見下したり不安を感じる自分を信頼で満たし、「あるがまま」を自然に体現出来るようになりたいと思いました。

★カヴィーシャ: 「ありのまま」というのは、大変誤解しやすい表現方法だと思います。
わたしの解釈では、あなたが「このままの自分ではいけないから、数秘リーディングで自己探究をしよう!」と思い立って実行されたことも、やっぱり「ありのまま」なんです。
あなたが何を思い、何をされても、それは偽りのないあなたの「ありのまま」の姿なのです。物事は常に「あるべきよう」に流れていっているからです。
それは、自らの意志や意識が現実をつくっているのだということがベースにあってこその解釈です。
自分が望むことや考えたことを自分の意志でおこなって、その通りの結果が出ている場合、それは当たり前のことですね。でも、自分の思い通りの結果にならないことも、けっこうあります。それは、それで何か理由があってそうなっているのですから、「どうしてよ!」と憤慨しないで、とりあえずそれを受け容れてみることが必要ですよということです。
宇宙があなたにしていることを「信じてみましょう」と言っているわけです。
そうしたら、その理由がいつか明確にわかってくるかもしれませんね。

何であれ、ありのままに起こったことを、ただ受け入れるということ、それに対してOKと言うこと、というのは、どんなときも「宇宙を信頼する」ということがベースにあるのです。


Y.O: すごくクリアになりました!!

★カヴィーシャ: 蛇足ですが、ユング派分析家の河合隼雄氏は、その著作「明恵夢を生きる」でこんなことを語っています。(明恵上人は「あるべきようわ」という言葉を語った僧で有名です)

『「あるべきようわ」は、日本人好みの「あるがままに」というのでもなく、また「あるべきように」でもない。時により事により、その時その場において「あるべきようは何か」と問いかけ、その答えを生きようとする。極めて実存的な生き方を提唱しているように思われる』と。

戒を守ろうとして戒にこだわりすぎると、その本質が忘れられてしまいますが、本質が大切で戒などは副次的であると思うと、知らない間に堕落が生じてくるわけで、これらのパラドックスをよくよく承知の上で、明恵上人は「あるべきようは何か」を問いかけていったのではないか、と河合氏は語っていました。そこに何かヒントがあるかもしれませんね。


Y.O: 早速、アマゾンで「明恵夢を生きる」を注文しました♪私がグルグルと考えてしまったことのヒントがあるといいなぁ。教えて下さりありがとうございます!


       きのことわんこ


◆今の自分の意識レベルで感じた私の人生について◆

             ~Y.Oさんのレポートより~


精神的・経済的安全(安定)性を保つために、不要な心配や行動を取る事を止め、あるがままを受け入れる事。自分の望まぬ事が起こってもジャッジせず、自分の人生を信頼すること。これが私の人生を通じて達成する大きな目標であり、幸せなのだと思いました。

★カヴィーシャ: その通りです。

そして、その目標は仕事を通じて実現されると感じています。私の人生で重要な位置を占める仕事をしていく中で、現実を体験し、人間関係において誠実さと忠誠心を学ぶ。誠実さと忠誠心が自分の安全性を守るために損なわれる事のないよう自分を信頼する。そのプロセスで経験するであろう様々な感情を「あるがまま」に受け入れ、4のエネルギーと人生をエンジョイしていくことが私の人生であると思いました。

そして、今月から「気づきの日記」をつけ始めました。日々の出来事で私が感じた事、気づいた事を書きとめる日記です。思いつきで始めてまだ数日ですが、読み返すとその時自分が何を考え何を学ぶ時期だったのか、ということを客観的に見出すことができると気がつきました。日記をつけ読み返すことで、自分の思い癖や意識の成長度合いも理解できそうです。

★カヴィーシャ: 「気づきの日記」をつけるのは、グッドアイデアですね。

また、軌道数4の「ありのままを受け入れる」ことに関しては、まだ気づいたばかりですので、これから日記に書いていく事によって自分の気づきがどのように変わっていくのかを追っていければと思っています。

★カヴィーシャ: そうなさってください。楽しみにしております。

今週一週間、苦しくも楽しい時間でした。自分を知りたいと思っていたわりに、こんなに自分の事を考えたのは生まれて初めてでした。他人の言動や態度など、いかに自分以外の事に時間と気を取られているかということも理解しました。
このようなチャンスを与えてくださったカヴィーシャ様(私のハイアーセルフさんにも!)に心からお礼申し上げます。本当にありがとうございました。カヴィーシャ様に、もういらない!というくらい宇宙から祝福がありますように

★カヴィーシャ: ありがとうございます!


今後もカヴィーシャ様のブログを読み続け、自分自身の探究を深めてまいります。
これからもどうぞよろしくお願い致します。

★あなたはとても聡明な人だと感じています。聡明な人はつい頭で考えてしまいがちなので、できるだけ頭をとってハートで感じてみるようにしてください。
とりあえず、これまでの不必要な条件付けや考えは取り払い、独創的なあなたを表現してください。
これからはおおいに冒険しましょう。実験しましょう。
結果など気にせずに、そのプロセスを楽しみましょう!


Y.O: カヴィーシャ様、お返事を頂きありがとうございました!
カヴィーシャ様のコメントは何故だか声が聞こえて来そうな気がします。
おっしゃる通り、ついつい頭で理屈を考えてしまいますが・・ハートで感じるようにしてみます。
結果は気にしない、ですね。そうですよね、自分に成長をもたらすのは結果ではなくプロセスですね!小心者の自分を取っ払って、冒険&実験してみたいと思います!!
またレポートさせていただきます(^^)/



クマと本

◆ 「気づきの日記」から ◆
      
    ~Y.Oさんのレポートより~


カヴィーシャ様、今月から気づきの日記をつけ始めて約2週間経ちました。特にカヴィーシャ様にレポート(事前のレポートを除く)を提出した後、私の中で様々な変化がありました。

ありのままを受け入れる」ことを少しだけ理解したあとも、私は会社の同僚たちにイライラすることが続きました。毎日のように始業時間から数分遅れてくる人、仕事の依頼メールに締切や目的や背景を知らせて来ない人、自分で考える事を諦めて、私にクライアントの依頼を丸投げする人、こういった人が後を絶たないため、せっかく軽くなった心も、再び重くなりかけていました。ただ、「ありのままを受け入れる」ことを少し理解してからは、以前ほどのストレスは感じなくなっておりました。

★カヴィーシャ: それはよい兆候です!

イライラが2日続いた日の夜、特に理由はなかったのですが、瞑想の時に久しぶりにホオポノポノをやってみようと思いやってみました。会社で不満に思った人、迷惑をかけたと思った人に対し、●●さん、私の価値観を押し付けてごめんなさい、許して下さい、いつも側にいて支えてくれてありがとう、あなたのこと愛してます、と唱えました。唱えるのが3人目になった時、急に心臓の部分に熱が発生しました。本当に身体に熱というか、5センチくらいの大きさのはっきりとした暖かさがともったような感じがしたのです。そしてその部分にピンク色の光が見えました。

私はリーディング結果にあった、肉体的なフィーリングで持って直感に作用して行きます、という項目を思い出しました。すぐに、これだ!と思いました。身体で感じてる!と思いました。それに伴いインスピレーションが湧いてきました。身体がそうだよ!と返事をした気がします。この瞑想のやり方というか、感謝の仕方は合っているんだと思い、私の周りにいる人達に思いつく限り、許しと感謝と愛の言葉を送りました。

そうやっているうちに、どんなに嫌な感じのする人に対しても、私の側にいてくれてありがとう。私の反抗的な態度を許して下さい。悲しい気持ちにさせてごめんなさい。あなたを愛しています、と言葉を送るようになり、指先が時々痙攣するような、電気が走るような感じになりました。私は何故か、これは正しいことが起きている、と思いました。続けて行くうちに、この人たちは私なんだと思うようになりました。右耳に耳鳴りが始まり、この人たちが皆幸せになれば私ももっと幸せになれるんだ、と思った時、耳鳴りが痛みに変わりました。私は、今感じてる事、やっていることがとても正しいような気がしました。
ここで4のアファメーションを口にしてみました。閉じた目に涙が自然と浮かびます。何だか身体から、そうだよそうだよ、そんな声が聞こえるような気がしました。私はその時、なんだかとても自分の身体とつながったような気がして、感じていたイライラした気持ちが消え去り、穏やかな気持ちになりました。

★カヴィーシャ: 「身体で感じる」という実体験ができたことは、ほんとうにラッキーでしたね。
これは偽りのない体験です。「肉体的なフィーリングで持って直感に作用していく」ということを、あなたはもう体験して知っておられるわけです。これほど貴重な気づきはありませんね。


次の日の会社に向かう電車の中で、私は自分の日記を読み返しました。同僚にイライラした日の日記には、同僚の未熟で気の利かない行動に対する私の批判がくどくどと同じような内容で書かれています。それを読んで、またも私は思考停止になりました。・・・これって問題あるのは私のほうじゃん・・、と思いました。人に対する不満や批判は自分の中にある問題だ、という事は自分でも理解しています。しかし、この日は日記を見て、自然に穏やかにそれに気づかされ、受け入れることが出来ました。私は、よし、今日また同僚がイライラするような事を言ってきたら、違う対応をしてみよう、と思いました。2日も3日も同じような事でイライラしている自分のパターンがよくわかりましたので、自分の対応を変えてみて、生じる結果がどうなるか見てみようと思ったのです。

まず、毎回毎回仕事の依頼メールに不備のある営業に対して、穏やかな口調で(今までは攻撃的でした・・)、出来るだけ依頼の内容を細かく書いてくれると、こちらも仕事にプライオリティをつけて進められるし、依頼の仕事に追加の付加価値をつける事も可能になるかもしれませんよ?と話してみました。すると、私の言っている事に対し営業は喜んで協力すると言い、これまでは自分の依頼はわかりにくかったよね?と自らを振り返り反省までしてくれました。私はその日の出来事を日記につけ、今日もいつも通りイライラするような事が起こったけれど、対応を少し変えただけで結果が変わった。しかも、イライラする事がすごく少なかった!と書き込みました。イライラすることは昨日と同様に起こっているのに、です。

その後も私は極力、同僚に対し穏やかな態度で建設的な提案とコミュニケーションを試みました。もちろん全てがうまくいくわけではありませんが、多くの事がスムーズに受け入れられ、受け入れられなかったとしても、私はイライラしなくなっていました。
気がつけば日記の内容もどんどんシンプルになってきました。批判を止めるとネガティブな言葉が自然と減り、次はこうしよう、とか、嬉しい、楽しいなどの前向きな言葉が増えてきて、日記がどんどん楽しくなりました。

★カヴィーシャ: 実験を開始されて、早くも良好な結果が得られましたね。ものごとが良好にながれていくようになったことは、あなたのなさっている方向がポジティブだからです。
You are right! すばらしい実験です! これからも続けてください。



ぶどうのライン


◆気づきのレポート提出以降の気づきについて◆

            ~Y.Oさんのレポートより~


ありのままを受け入れる」ことを少し理解し、日記をつける事で予想していた以上に私の中で変化が起きたように思えます。日記の内容がシンプルになると、自分の心もシンプルに、軽くなるのがわかりました。一昨日の金曜日には仕事中に、私って幸せだなー、仕事をやらせてもらっているんだなー、という思いが勝手に湧きあがってきました。そしてとても大きな何かに見守られているような気がして、感謝の気持ちで心が一杯になりました。例え何も起こっていないように感じられたとしても、自分が生きていること自体が奇蹟であり、幸福な事なんだと感じられました。

最近、朝の雰囲気の良くない超満員電車で、人の意識が変わったように思えました。見ず知らずの他人に対しても思いやりを持つ人が急に増えたように感じます。私はそれが、自分の意識の変化がもたらした何かのような気がします。自分のちょっとした意識の変化が、波紋のように広く世界に広がったような・・気のせいですかね?(笑)でも、そうだとしたら、世界を素晴らしいものに変えることも可能ですね。未熟(と私が勝手に思っている)な同僚に対し、彼らには彼らの設定してきた人生の目標があるのだから、それを相対比較しても意味ないな、と自然に思えるようになり、相手を尊重できるようになったことも収穫です。

本当はこの二つ目のレポートは、瞑想の時に起こった事だけをカヴィーシャ様に報告するつもりだったのですが、その後、私に起こる変化がとても大きくて、瞑想の話しは出来事の一つとして報告させていただきました。今、私の心は気づきのレポートを申し込んだときと比べて、とても穏やかで心が軽いです。それはカヴィーシャ様とハイヤーセルフさんのお陰であると心から感じています。

まだ9月も半ばを過ぎたところです。また新たな気づきがありましたらレポートさせてください。
カヴィーシャ様、何度も私のレポートを読んでくださりありがとうございます。
引き続きどうぞよろしくお願い申し上げます。


★カヴィーシャ: いつでもどうぞ。
新しい気づきがつぎつぎと生まれているようすが具体的に書かれていて、読んでいるわたしまで楽しく、とても嬉しくなってきます。

★今思い出したのですが、あなたの今年の「個人周期」は2のエネルギーでしたね。
まさしく川とともに流れ下っていくという感じです。ただ流れていくのを許していく。ただリラックスして、起こってくることに対して、そのつど応答していく。心をひらいて、起こっていることに対して、応答していく年です。バッチリですね!
ながれに乗れたなら、その先には成功が待っています。
それまでにはまたまたいろんな出来事が待ち構えているかもしれませんが、それはそれで楽しんでクリアしていきましょう。



ぶどうのライン


     落ち葉

ありのままに生きること。この言葉の解釈は難しいですね。
前回の記事にも書きましたように、本能のままに自己奉仕ばかりして生きると、人に迷惑をかけるし、自分以外の他者のことばかり優先していると、自分自身を有意義に生きることができないし、本音と建前のはざまで葛藤することも多いのではないかと思います。
しかし、その葛藤があるからこそ、人は成長できるのです。

人生はゲームです。すごろくです
苦しいネガティブな不快な人生を送るか、楽しいポジティブな快適な人生を送るかは、すべてあなたの意識で起こるのです。
神はサイコロを振りません。サイコロを振るのは、あなたなのです。
さあ、つぎに出るサイコロの数は何でしょうか?

人生すごろくのサイコロの目は6個だけではありません。1~9まであるのです。
どんな数が出ても、その純粋な性質を学び、体験していくこと。
人生ゲームの醍醐味は、ゴールに辿りつくまでのプロセスをいかに楽しんで冒険していくかということにあるのです。
休憩したり、後戻りしたり、突然ポーンと跳躍してみたり。

どんなことが起こっても、このすごろくゲームをリタイアしないで続けてください。
あなたは人生の途中で「光の仕事人」という存在に出会うひとつの「すごろく」を選んだのです。

地球でこうして出会えたことは奇跡なのです。
せっかく出会えたのですから、フルに活用していただきたいと思いますね。(笑)

今回のすごろくの最終まで行かなければ、また来生で同じ様式のすごろくゲームが待っているかもしれません。
また同じゲームなんて、そんなの飽き飽きしてしまいますよね。
そして、そのときに「光の仕事人」に出会うことは、もうないかもしれません。
なぜなら、わたし自身が、「地球のすごろく」に飽きてしまったからです。
わたし自身がきっとつぎの生では「地球のすごろく」を選ばないであろうからです。

宇宙は限りなく広く、多次元です。
もっともっと高度なすごろくに挑戦しましょう。
もっともっとスリルのある冒険に挑戦しましょう。

★愛と感謝 カヴィーシャ・光の仕事人



あなたはどのタイプの愚か者?

2013年09月19日 19:30


今日は満月で、仲秋の名月ですね。
すっかり秋らしくなり、朝夕はとても涼しくなりました。 
虫の音も聞こえてきます。




     お月見とうさぎ


◆ 数秘リーディングレポートより ◆



今回も、前回に引き続き、9月の「数秘リーディング」の受講者さんのレポートをご紹介します。

前回ご紹介したY.Oさんと同じく、S.Kさんもまだ自己探究をされている途中ではあるのですが、まだ「扉を開けることができない人たち」を力づけるよいお手本となるのではないかと思い、掲載させていただくことにしました。

S.Kさんの1回目のレポートには「扉を開けることを怖がり、すぐ保身にはしる臆病な自分がいて、扉を開けることはとても苦痛に感じる」ということや「失敗を恐れてしまう心が自分自身を扉から遠ざけていた」こと、「どこかで体裁を繕う自分もいたし、成功できるかどうか分らないのに挑戦することは無駄なことではないかと思う自分もいた」ということが書かれていました。

それに対して、まだやってもいないうちから、その結果について心配されているS.Kさんに「やってみないと結果は出ないし、また、やってみないと成功することもできないのですよ。『失敗は成功の基』という言葉の意味を知ってくださいと申し上げ、「失敗をなぜ恐れるのでしょうか? 失敗することはいけないことですか? 悪いことですか? それを掘り下げてみてください」とコメントしました。 

今回は、その後に書かれた第2回目のレポートの内容です。




* 扉を開けられなかった本当の理由 *  
  

                  S.K  31歳  女性 埼玉県
 
 


1週間が過ぎ、もう一度数秘リーディングの結果を振り返りました。1のエネルギーの質について考え、掘り下げた後の気づきをご報告致します。

<自立の本当の意味を教えてくれたアーリオーンの言葉>

愚かなる者たちよ、
扉の前でたたずむか。
扉の材質について、形状について語り、
それで扉を知ったつもりになるか。

扉を知って、それで終わりか?
扉は、何のためにあるのか。
こちら側と向こう側に出入りするためのものだろう。

扉の向こう側には、どんな世界があるか。
わからないから、扉を開けるのは怖いと言う。

わからないなら、なぜ、怖いのか?
真実は、分からないから怖いのではなくて、
自分が「わからないもの」に対応したくないだけのことだ。
対応しても、立派にこなせるかどうかわからないから、怖いのだ。

立派に対応できなかったら厭だ、
そんな自分を想像しただけで傷つく。
ならば、わからないものには立ち向かわないほうが良い、と考える。
愚かなことだ。

わからないものに勇気をもって対応しようとする者に、
惜しみない賛辞を与えながら、
心の奥底には嫉妬の炎が燃える。
そして、頭の片隅で一生懸命に自分が対応しない理由を、
だれに話しても納得してもらえるような、
美しい正当な理由を考える。
愚かなことだ。

長年、これを繰り返すと、
自己暗示によって、
わからないものに傷つきながら対応することを
嘲るようになる。
さらには、そうした行為をしようとする者を説得しようと試みる。
最後には、相手の可能性を潰してまで阻止しようとする。
愚かな…。

自立しなさい。
自立とは、わからないことの連続だ。
一瞬一瞬の行為を自らの決断で選び取り、
その結果起きるであろう全てのことに責任を持ちなさい。
だからといって、排他的になる必要はない。
だれの意見であれ、自らの意志で選んでいるんだという自覚がなければ、
自らの能力を試す結果である責任も自分の手には入らない。
自立とは、そういうことだ。 

                    
                「アーリオ―ンメッセージ」より~       
                *カヴィーシャ様のブログより抜粋



   月の窓辺


このアーリオーンのメッセージを読み、自立のできない、この愚かな者はまさしく私自身であると気づかされました。
石橋を叩いて渡るタイプの私は、失敗を恐れて扉を開けられないことが多いけれども、人が自立しようと行っていることを嘲るようなことはしていないと思っておりました。
しかしそれは自分がそんな人間ではないと信じたかっただけで、本当の私は恥ずかしい程の高慢な人間であることに気づかされました。
カヴィーシャ様が教えて下さった『失敗は成功の基』。その通りだと思います。その言葉も知っているはずなのに自分の中で素直に受け入れられずにいました。

なぜ失敗を恐れるのか?
今まで私は成功するであろう扉を選び、失敗しそうな扉は避けていました。扉が目の前にあっても成功できると思えるまでは開けることはなかったし、失敗すると分っていながら扉を開けることはまずありませんでした。
自分の中で成功体験が多いほど優れているという思いの制限があったのです。
失敗が少なく成功体験が多いことで優越感に浸り、自己陶酔していたのだと思います。
今まで得られてきた成功体験など、とても狭い範囲のものだということには目を向けず、それを自分の自信にしていたのです。

本当は失敗を恐れているのでは無く、失敗することにより愚かな人間だと思われることを恐れていたのです。私自身が自分の愚かさに気付かず、勇気ある人が失敗する姿をみて無様だなと嘲っていたからです。本当に愚か者ですね。
失敗を他人に評価されることが恐く、自分の高慢さや自尊心を傷つけたくないという思いから、失敗を避けていたのだと気づきました。

失敗は悪いことなのか?
勿論答えは、いいえです。失敗しなければ成功に近づくことは出来ませんし、失敗することで自分自身を見つめ直す機会を貰っているのだと思います。失敗がなければ成長しようと努力をしなくなってしまいますし、失敗も自己の成長に必要な学びなのですよね。失敗と成功もまた一直線上にあり、表裏の関係なのですね。


月の窓辺イエロー


~アファメーションについて~

カヴィーシャ様から頂いた、アファメーションで“感じることの真実に責任を持つ”という意味がよく理解できずにいたのですが、意識的であるということは自分の感情に振り回されず、感情の上に立ち自分自身を見つめる観察者になることができるということなのですね。また感情を統合するための必要なプロセスなのだと理解できました。
しかし、意識的である状態をつくることは、とても難しく、中々その状態を維持できずに、すぐに自分の感情の中に入ってしまったり、意識的になることに時間差が生じたりします。
無意識に習慣化された思考や感情に流されないように、意識的である状態をもっと持続させ観察者となれるよう努力していきたいと思います。


~創造エネルギーについて~

1の創造エネルギーに関してですが、少し理解できるような出来事がありました。
私は以前に自ら連絡を絶ち、距離を置いた友人がいたのですが、その理由は鉄輪の女と一緒のものでした。
自分との真実を分かち合いたいと思いながら、それが出来ず、自分の至らなさもあるけれどもと思いながらも、自己を顧みることよりも友人の方が悪いと相手のせいにしたのです。

大人になり、偶然(必然に)カヴィーシャ様の数秘リーディング結果を頂いた後、その友人と会うことになりました。会って色々話をし、友人から私が連絡を絶った理由が気になっていたと言われ、私も過去の自分の想いを解放できる機会だと思いました。きちんと本音で話そうと思ったのですが、相手の反応を気にしてしまい、結局その場では核心に触れられず、少しの本音と、半分ほどの自分を明け渡し取り繕うかたちで別れました。

その後、そのことを考えるたびに、もやもや感があり、このまま付き合うことに意味があるのだろうかと考えました。自分がどうしたいのか自分の気持ちに向き合った結果、やはり自分の真実を分かち合う関係になりたいのだと確信しました。
その為には、以前の様な自分のネガティブな部分を隠す付き合いではなく、過去の出来事に対する自分のネガティブな面を話さなければ前に進めなかったので、友人に私の本音を伝えました。友人は私のネガティブな面を理解し、受容してくれました。そしてお互いに真実を分かち合う関係でありたいと思っていることを確認し、再スタートすることができました。

この出来事がきっかけで私が感じたのですが、真実を分かち合う関係、これはきっと私が創造したもので、本当は初めから用意されていた。だけど、その扉を開けることが出来なかった。開けるためには、恐れや不安など自分の感情をコントロールし、自立しなければこの扉を開けられなかったのではないかと思うのです。
勿論、扉を開けないことも、選択の自由として許されているから、過去の私は感情に支配され、その扉を開けられずにいたけれども、本当はその扉はいつでも私次第で開けることが出来たのだと気づきました。
この出来事は私にとって本当に貴重な体験です。扉を開けることの楽しさ、恐れや不安などのネガティブなものを乗り越えた後に、感じるこの幸福感は、次の扉を開けるときの勇気になったと感じています。一つずつ、このように扉を開けて、色々な自分を発見していくことを楽しみ、それによって魂が成長していけたら一番いいなと思っています。

★カヴィーシャ: 今回はほんとうによい体験をなさいましたね。



~最近の気づき~

最近理解できたことは、魂は同じところからきているので、私たちは皆同じであり、それぞれが自己の成長を目指して進んでおり、私たちの違いは学んでいくエネルギーの質や、学びに必要な表現・気質のエネルギーによるものだということです。

他人の良いところも悪いところも、全部自分であり、他人から傷つけられたと感じるときは、しっかり自分自身を愛せていませんよと教えてくれているのだと気づきました。
始めは自分を傷つける相手を嫌な人だと思っていましたが、その人はただ気づきを与えてくれただけの人で、他の人でも良く、たまたまその人がその気づきを与えられる条件にいたから、そういう言動をとってくれたのだと解釈することができました。


★カヴィーシャ: そのように解釈できたことは、大きな前進だと思います。

 
そう考えると、誰がどうだとか、個として周りが動いているのではなく、自分の魂の成長のために、周り全体が一つとなって自分の成長を促す為に動いてくれているように感じます。

★カヴィーシャ: とても視野の広い見方をなさっていると思います。


今回のリーディングの結果で、1のエネルギーに沢山カルマを残しているという意味が良く解りました。まだ結果を頂いて1カ月も満たないのに、これだけの思いの制限があることがわかり、枠を設けていることに気づきました。
まだまだ気づいていない思いの制限がいったいどれほどあるのだろうと途方に暮れてしまいそうですが、いつか真の自由に辿り着けるように、一つ一つ思いの制限を取り払っていきたいと思います。
その為にも、しっかりと自分自身を愛し、成長できるように沢山の扉を開けることを楽しんでいきたいと思います。

このような機会とたくさんの気づきを与えて下さったことに、本当に感謝しております。
また新たな気づきがありましたらご報告致しますので、どうぞこれからも宜しくお願い致します。

★カヴィーシャ: 第1回目のレポートに比べ、随分前進されたことを心からお喜びします。

あなたは自分が愚か者だと気づかれた点で、もうすでに愚か者ではありません。
愚か者というのは、自分のことをまったく知らないで、自分が愚かであることでさえ気づいていない人のことを指します。
ですから、そのことをはっきりと知り、はっきりと述べられたあなたは、「愚か者」のなかにはもういないということです。そうですね?

あなたはとてもすばらしい資質をもっていらっしゃいます。
ですから、着実に今回得た「気づき」を体験化していくことができるでしょう。
ひとつひとつ扉を開けることの感動と喜びを知ってくださって、うれしいです。 
どうかその調子で未知なる扉をどんどん開けていってください。ワクワクしてきますね。

では、つぎの扉をひらくことができたら、またご報告ください。
ともに喜びを分かち合いたいと思います。




南泉斬猫
      「無門関」 南泉斬猫 より


★ あなたはどのタイプの愚か者? ★



S.Kさんのレポートに出てきた「愚か者」にちなんで、今日はその「愚か者」について、別の視点からお話をしてみたいと思います。

上記の写真は過去記事『猫にちなんで―禅問答』のなかの「猫に仏性があるや否や」のテーマで取り扱ったときに使用した写真です。見覚えのある方もいらっしゃるかと思いますが。
このときにくだらない問答に明け暮れている僧たちのことを書きましたが、彼らはまちがいなく頭でっかちの愚か者たちでした。
あまりに論争がばかばかしくて、南泉禅師はとうとう猫の首をちょん切ってしまったというお話ですが、愚かな者たちは今自分たちがする必要があることもしないで、時間を無駄に過ごしていたわけです。

OSHOの著書のなかに、つぎのような質問が載っていました。

「愛する和尚、学のある愚か者と学のない愚か者のうち、どちらが良い弟子になれるでしょうか?」

皆さん、この質問をどのように思われましたか? あなたはどちらでしょうか?

まず「何種類の愚か者がいるか説明しよう」と、OSHOはつぎのように語りました。

第一は、知らないうえに自分が知らないことも知らない者、単なる愚か者。
第二は、知らないのだが、知っていると思っている者、複雑な愚か者、学のある愚か者。
そして第三は、自分が知らないことを知っている者、祝福された愚か者。


じつに面白いですね。
第一の愚か者、第二の愚か者、第三の愚か者、あなたはどの愚か者でしょうか?
つぎの言葉を、じっくりとハートで受け容れてみてください。


誰もが、単なる愚か者として生まれて来る。それが「愚者」の意味だ。
子供は皆単なる愚か者、知らないことを知らない。まだ知の可能性に気づいていない。
それがキリスト教のアダムとイブの話だ。

神は彼らに言った。「知恵の木の実を食べてはならない」
知恵の木の実を食べるという事件が起こる前、二人は単なる愚か者だった。
何も知らなかった。当然、知らなければ不幸になるのは難しい。
だから、とてつもなく幸せだった。
不幸になるには少し訓練が要る。不幸を生み出すには少し熟練が、ちょっとした技術が必要だ。
知識がなければ、地獄は造れない。知識なしにどうやって地獄を造る?



OSHOの話は面白いですね。
子どもは皆、「単なる愚か者」から「複雑な愚か者」へと向かいます。そしてさまざまなことを学び、いろんな程度の違う愚か者になっていきます。多くの知識を身につけ、頭だけの存在となり、感性や気づきをすっかり失った愚か者になっていくわけです。そこから地獄が生まれてくるわけですね。

イエスは「幼子のような人々だけが神の王国に迎え入れられるだろう」と言いました。
幼子のような」というのは、けっして「幼子」ではないということ。子どもではないけれども、「子どものような人」ということですね。

つぎにOSHOはこのように語ります。

子供は聖者だが、罪の誘惑をまだ体験していないから神聖であるに過ぎない。
その神聖さは極めて単純だ。大して価値はない。手に入れたわけでも、努力したわけでもないし、まだ誘惑されてもいないからだ。
誘惑は遅かれ早かれやってくる。世の中には千と一つの誘惑があり、子供はいろんな方向に引っ張られるだろう。そうした方向へ行くべきでないと言っているのではない。もし自分を押さえ、そうした方向へ行かないように抑圧すれば、子供はいつまでも最初の愚か者に留まる。
イエスの王国の一員にはなれない。マホメッドの天国には入れない。それはできない。無知でいるだけだ。
その無知は抑圧に過ぎぬものであって、知識からの解放ではない。

まず知識に達し、罪を犯さねばならない。罪、知識、神への不服従、そして世の中という荒野に下り、道に迷い、己の自我の生を生きてはじめて、すべての知識を落とせるようになる。

誰もが落とせるわけではない。子供は皆、最初の愚か者から二番目の愚か者に移っていくが、二番目から三番目にいくのは、ごく小数の祝福された者に過ぎない。だから、祝福された愚か者と呼ばれるのだ。

祝福された愚か者は、理解に達する最も大きな可能性を持つ。
なぜなら、知識は不毛であり、あらゆる知識は智への障害であると知るに至ったからだ。
知識は智への障害だから、知識を落とし、ひたすら理解する人となる。まさに、物事がはっきり見えるようになるということだ。
その目には理論も思考もない。そのマインドは、もはやマインドではなく知性そのもの、純然たる知性、もうガラクタや借り物の知識は散乱していない。
その人は、ひたすら気づいている人、気づきの炎だ。

テルトリアヌスは知識を二つの範疇に分け、その一つを、無知なる知と呼んだ。
それは第二の愚か者、無知でしかない知だ。
学識者は、知っているにも関わらず知らない。
自分自身の体験として知ったのではないからだ。
学識者は聞いた、記憶した。
彼はオウム、良くてコンピューターだ。

                 By OSHO




愚か者を表すインドの言葉はbuddhu(ブドゥー)と言い、それは仏陀(ブッダ)に由来しているのだそうです。
仏陀が王国を捨て、多くの人が彼に従いはじめたとき、人々は「ブドゥーになってはいけない、愚か者になってはいけない、この男についていってはいけない」と言い、仏陀についていく者を人々は「ブドゥー」と呼ぶようになったそうです。

OSHO曰く、第三の愚か者はとても速いのだそうです。
天使が恐れをなして歩けないところも平気で歩き、とても速いため、その跳躍を彼は「量子的跳躍」と呼ぶのです。第三の愚か者は、勇気とエネルギーそのものから飛び出してくるからです。

限りない勇気を持たなければ、第三の、祝福された愚か者にはなれない」とOSHOは言っているんですね。
皆さん、勇敢でありましょう。
ぜひ祝福された愚か者の状態に跳躍していただきたいと思います。



        水の星



★宇宙に共振共鳴して生きる時代がやってきた★



過去記事でも何度かお伝えしてきておりますが、今現在二極化が進み、その差がどんどん開いてきておりますね。

「高い振動数の人」&「低い振動数の人」』の記事で「振動数」のお話をしましたが、それはじつにタイムリーな内容なのです。

速くて軽い振動数の現実」と「遅くて重い振動数の現実」が大きくふたつに分かれていっていること。
地球上の世界の出来事や日本の出来事だけではなく、読者さんとの関わりで、わたしはそれをとても身近に感じています。

意識レベルが人によってそれぞれ異なるように、振動数が人それぞれ皆異なっていることは、すでに過去記事を読まれてご承知のことと思います。
この意識レベルと振動数は比例しています。意識レベルが上がれば、当然のことながら振動数は上がるし、意識レベルが下がれば、振動数はまちがいなく下がります。

そして、振動数が異なると、見ている現実までが異なってくるのです。
わたしが見ている現実と、Aさんが見ている現実と、Bさんの見ている現実はそれぞれ違っているということです。それぞれの意識が、自分が見る現実を選択し、決定しているわけです。

同じ人であっても、日によって振動数はまったくちがいます。憑依されているときとされていないときは雲泥の差です。

あなたは、自分がとてもハッピーなときは、すべて目に映る光景が明るくきらめいて見えるけれども、落ち込んでいて苦しいときにはすべて目に写る光景がうす暗く、不快で嫌な世界に見えてくることを経験されたことがあるでしょう。
心の持ち方で、目に見えるものがいかに変わってくるかということ、振動数が変わると、いかに見える現実が違ってくるかということ。
そのことをしっかりと実体験し、知っておいてくだされば、いつでも自分を正しく診断することができるのではないかと思います。

わたしたちはみな同じ現実を見て体験しているわけではありません。
登山口から見ている人の現実」と「山中から見ている人の現実」と「山頂から見ている人の現実」が存在しているということ。
これは、「第一の愚か者」と「第二の愚か者」、「第三の愚か者」にも同様のことが言えると思います。
たとえ同じ空間に一緒にいても、見えているものが異なるため、話がすれ違ったり、通じなくなることも多々生まれてくるということですね。 



最近、読者さんとのメール交換で、あるファイルを添付して送信したにもかかわらず、ファイルが消えて相手に届いていなかったり、あるいは届いていてもその人の目には見えなかったり、あるいはメールの着信があったことさえ気づかない人も増えてきています。
いくら待っていても返事が来ない人は、もうその時点でご縁が遠のいたということです。つまり周波数が違いすぎて、出会えない状態になっているということなのです。

最近は大切なメールを送ってもすぐに返事が来ないケースが多いのです。
ご面倒でも、ファイルを開くことができた人は、できるだけ早く返信をしていただきますようお願いしたいと思います。

周波数的には「打てば響く」関係がもっとも良好であると言えますね。
このブログを読む方々の意識レベルも、随分変化していっていることがよくわかります。
先の者が後になり、後の者が先になり」とイエスは語っていますが、このブログから遠ざかっていく人と、新たに発見されて親密になっていく人と、今後さらに波動がはっきりと分かれていくでしょう。
そして、後から来た人たちが先を進むことになるのです。

地球に共振共鳴しているかどうか、
宇宙に共振共鳴しているかどうか、
ハイア―セルフの振動に共振共鳴しているかどうか、
正常波動に共振共鳴しているかどうか、
それは今現在のあなたの振動数でわかるのです。
内臓の病気もそれぞれの臓器の振動数でわかります。
あなたの振動数は健康のバロメーターでもあるのです。

 





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