「単独者」が選んだものとは?

2013年08月04日 17:50


★ 写真はリアルタイムに変化している ★



皆さん、お元気でしょうか? 
現在体調がすぐれない人も、けっこういらっしゃるのではないでしょうか?

暑さも厳しいですが、目に見えない存在たちの出没も激しく、それらの悪影響のために、生きるのが相当困難な人たちが増えてきているのではないかと感じるのですが、あなたはいかがでしょうか?

最近、悪霊に憑依をされる人が多くなっていることを記事でも何回かお伝えしておりますが、さらに増えてきているので要注意だということを、今回もお知らせしておきたいと思います。
今現在日本人で「正常波動を維持できている人は30%」だとハイアーセルフは言います。明日になればまた変化しているかもしれませんが。

わたしの目の前にいない人のオーラやチャクラの状態、ネガティブエネルギーの有無や意識レベルなどを調べるときには、主にペンジュラムを使い、自分のハイアーセルフに尋ねますが、その人の写真があると確実にわかります。
写真は撮影したときのその人の状態を教えてくれるだけではありません。その人の状態がその後変化すると、写真にも変化がはっきりと現われます。写真はリアルタイムでその時々の様子を知らせてくれるのです。
ハリーポッターの映画にそんな場面があったように記憶していますが、ほんとうに変化するのです。じつに面白いですね。

たとえば、ある人の写真を見てネガティブな存在が憑いていることがわかったとき、確認のためペンジュラムをかざすと左回りに回ります。ネガティブな存在に憑依されている人は、オーラやチャクラが必ず開きっぱなしで、オーラの色も黒く濁っています。当然のことながらオーラの健康状態はよくありませんし、各チャクラのプラーナのエネルギー量も大変減少しています。

今までわたしの娘たちに対して、数限りなく実験してきましたが、悪霊などに憑依されているときは、心臓の第4チャクラが0に近い状態になっていることが多いのです。だから、胸がバクバクしたり、呼吸困難に陥ったりするのです。頭がくらくらして、意識が遠くなるようなこともあるようです。
ただし、憑依によって第1チャクラから第7チャクラまでのすべてのチャクラのプラーナ量が0になるようなことはありません。もしそうなっていたら、その人は既に死んでいるということになります。人間はプラーナで生きているのですから、プラーナが0になれば死んでしまいます。

さて、写真上で憑依霊の存在を発見したとき、その写真に向かって光を放射し、浄化をします。そのあと、同じ写真上にペンジュラムをかざすと、今度は右回りに回ります。異常波動が正常波動に変わりましたよという合図です。すると、先ほどいたはずのネガティブな存在が消えているのがわかります。
そのあと、再度その人のオーラやチャクラのようすを調べてみると、すべてのチャクラのプラーナ量が100%になっていることがわかります。憑依霊がいなくなるだけで、その人はまったくの健康な状態に戻っているわけですね。
ですから、嘘のように苦しかった症状が消えるのです。それが悪霊にプラーナを吸い取られ、悪影響を及ぼされていたという証明です。

わたしは毎回セミナー終了後に、参加者さん全員の記念撮影をしてきました。
参加者さんの写真を撮るのは、皆さんの意識の変化を見させていただくためです。それが必要でない方や嫌な方は写真に入らないでくださいというお断りをしていますが、皆さんいつも気持ちよく撮らせてくださっていますね。
セミナー後一カ月くらいは時折見させていただき、その後はしまっておくようにしています。

じつはちょっと気になったので、本日これまでの記念写真をすべて調べてみたのですが、少数の人を除いては、皆さんネガティブ波動となっておりました。測定不能となって、ペンジュラムが大きく左に回った人たちが非常に多かったということです。よって、何らかのネガティブエネルギーの影響を受けておられますよということを、この場を借りてお伝えしておきたいと思います。

もしセミナーの参加者さんで、この記事を読んだ方がおられましたら、自分の体調や精神状態、意識レベルが下がっていないかどうかをしっかりとチェックしてみてください。ネガティブ度がかなりひどい人は、憑依されていることに早く気づいていただきたいと思います。

「少数の人」というのは、今現在もメール交換を頻繁にしている人たちのことです。
一週間に一度でもメール交換をしている人は正常波動で、意識レベルが下がっていませんでした。
この事実が何を意味しているのかは以前の記事にも書いておりますので、繰り返しては申し上げませんが、意識レベルが下がってネガティブエネルギーに影響されている人は、セミナーの時の心境をすっかり忘れてしまった証拠だと言ってもよいのではないかと思います。

「自分は何も感じないのでわからない」などと言っている場合ではないのですよ。
最近は、厳しいことを言うとすぐにめげてしまう人が多くなっておりますが、そのように軟弱な意志と意識では、この先の人生の厳しさに耐えていくことは難しいでしょう。大変な時代になりそうな予感がしますね。

今現在も人類は闇の存在に支配されており、また常に目に見えない存在に影響されているということ。
そのことに気づき、それらにコントロールされないよう自己を確立し、独立した個人として自分の人生を生きていっていただきたいと思うしだいです。



   neko to mado



★ 「単独者」が選んだものとは? ★



前回の記事で、「独り立つ者=単独者」が選んだものとは何か? という質問を皆さんに投げかけました。
そうしたら、答えがつぎつぎと届きました。
記事を読んだ人が自らに問いかけ、自らの答えを投げ返す。この試みがとても大切だと思います。
「光のキャッチボール」に参加してくださった有志の皆さん、真にありがとうございました。

下記は、拍手コメントに書かれていたお答えです。

「神や光とともにあることを選んだ」
「在るがまま、に抵抗しないことを選んだ」
「愛されることより愛することを選んだ」
「自らを愛し、尊重し、他者も自身と等しく愛することを選んだ」
「自分が自分の一番の味方になることを選んだ」
「自身が宇宙になることを選んだ」
「真に今この瞬間に生きることを選んだ」
「完全に満ち足りて自由な人は、与えることを選ぶ」
「いつも神さま(創造主)とともにある感覚と充足感に満たされた人は何も選ぶ必要がない」
など。

受け取り方も、それぞれ考えられた理由も千差万別で、興味深く読ませていただきました。(それぞれその答えを選んだ理由について知りたい人は「拍手コメント」をクリックしてお読みください)


海のライン


★「独り立つ者=単独者」が選んだものとは何か?

じつは、この答えはすでに過去記事のなかにあるのです。

カテゴリ「 男性性と女性性を統合する―天国に入るための条件 」にある記事を全てもう一度読んでみてください。
男性性と女性性を統合する」というこの「見出し」を見られて、ハッとされませんか?


天国に入るための条件。
それは、「男性性と女性性を統合すること」だと、何度も繰り返して書いていますね。
それが「単独者」が選んだものであるのです。



ふたりの子ども



★ 神の王国に入る条件 ★



過去記事「純粋無垢となること―天国に入るための必要条件」の箇所の冒頭には、つぎの言葉を載せていました。


イエス、子たちが乳をふくむのを見て
弟子たちに言う
「乳をふくむこの子らこそ〈王国〉に入る者のようだ」

弟子たち、イエスに言う
「では私たちは子供らであって〈王国〉に入るのですか?」

イエス、彼らに言う
「あなたがたが二つを一つとなすとき
内なるものを外なるものと
外なるものを内なるものと
上なるものを下なるものとなすとき
そしてあなたがたが
雄性(おとこ)なるものと雌性(おんな)なるものを
おとこはおとこではなく
おんなはおんなでなくなるように
ひとつ単一なるものとなすとき
そのときに
あなたがたは〈王国〉に入る―」



神の王国に入る条件」として、イエスは言っていますね。
あなたがたが、ふたつのものをひとつにし、内を外のように、外を内のように、上を下のようにするとき、あなたがたが、男と女を一人(単独者)にして、男を男でないように、女を女でないようにするならば」と。

「ふたつのものをひとつにする」というのは、二つのものを融合させて「第三の別のひとつを創る」ということではありません。(過去記事参照)
たとえば、人間は今現在「男性」と「女性」というふうに、性別が「ふたつ」に分裂していますが、原初は男と女が対状態の「男女両性具有」であったのです。(人間の原型は男女両性具有)

つまり、「ふたつのものをひとつにする」とは、原初的「男‐女」の対(つい)状態に戻すということなのです。


     アルダナーリーシュヴァラ像


上記のシヴァ神(右半身)とその妻パールヴァティー(左半身)の合体した姿は、「アルダナーリーシュヴァラ」と呼ばれます。男らしさと女らしさを兼ね備えた男女両性の神を表わしています。

しかし、イエスが言っているのは、このような「肉体の男女両性具有」ではなく、「精神の男女両性具有」のことであると捉えてください。イエスがよく譬えに出す「幼子」、「小さな子ども」というのは「性別を超えた両性具有の象徴」なのです。
心の内側に「男性性」と「女性性」の両性を併せ持つという意味に解釈していただければと思います。ユングの言う「アニマとアニムスの統合」を表しているわけですね。


もちろん、イエスが言っているのは、「男‐女の対状態」を達成することだけではありません。
内-外」「上-下」「光‐闇」「ポジティブ‐ネガティブ」などのすべてにおける対極(二極性)を統合すること、すなわち「すべての対極(二極性)の統合の達成」ということを語っているのです。

男女両性具有」になることは「原初の単独者」となることですから、過去記事を読んでしっかりと記憶しておられたなら、『男女両性具有になることを選んだ』という答えがあってもよかったのではないかな~と思います。



さて、『独り立つ者は〈自己の統合の達成〉を選んだ』というのが、わたしの答えです。

原初の統合されていたときの自己〉となることを選び、それを取り戻したなら、当然のことですが、自分が生まれてきた〈神の王国=命の根源〉に還っていくことができますね。

だからイエスは言っているのです。
単独なる者、選ばれた者は幸いである。その人は御国(天の王国・神の王国)を見いだすであろう。なぜなら、人はそこから出てきて、ふたたびそこに戻ることになるからだ」と。 




ふたつのハート

単独者」は、〈原初の統合されていたときの自己〉に戻ることを選んだ人です。

原初の統合された自己〉は「宇宙の源」、
宇宙全体」あるいは「」のなかにあります。

人が〈統合された自己〉となることを選んだとき、
」もその人を選ぶのです。
神に選ばれた人」となるわけですね。

それ以上に完璧な選択があるでしょうか?



★カテゴリ「男性性と女性性を統合する―天国に入るための条件」に書いた内容は、
わたしが皆さんにもっとも伝えたいことのひとつであり、
これさえ真に理解されたなら、もう他の記事を読む必要はないのでは? 
と思うほどです。
何度もお読みになって、ぜひ自分のものとしていただきたいと思います。




◆ お知らせ ◆

8月8日~12日までは旅行中ですので、
拍手コメントのお返事やメールのお返事ができません。
コメントのお返事は13日以降となりますので、ご了承ください。


ありがとうカエル



八月の旅の思い出

2013年08月16日 12:40


日本列島が猛暑につつまれていた先週の木曜日(8月8日)、わたしは鳥取県の自宅から三重県の松阪市へと向かいました。
数ヶ月前に伊勢の内宮のご祭神に招かれたからであり、同じご祭神が祀られている瀧原宮へ行くためでした。
今回の記事では、少しその旅のお話をしたいと思います。



★ 内宮での出来事 ★



内宮の真のご祭神は「天照大神」という名の女神ではありません。
エネルギーを感知できる人なら、「古事記」に登場する「アマテラス」が、偽装された神であることはわかるはずであり、外宮のご祭神もまた然りです。一般人がそれらの正体を知ったら、さぞかしびっくり仰天することでしょう。
真のご祭神に関心のある方は、ご自分で発見しておおいに驚いていただきたいので、ここで真のご祭神の名を伝えることは致しませんが、どちらも男性のエネルギーであることだけ申し上げておきます。

さて、8日は午前10時に自宅を出発して、近鉄松阪駅に到着したのは18時でした。
宿泊施設は5月の時点で伊勢の内宮・外宮周辺は満室となっていたため、少し離れた松阪でしか宿がとれなかったのですが、それでも松阪で2泊できたのはラッキーでした。
そこで、予てから約束していた知人と合流し、翌日(9日)内宮、外宮、瀧原宮へと向かいました。
じつは、今回の伊勢行きのもうひとつの目的は、知人の分霊をその地で解放することにあったのです。また、偽装されたご祭神の正体を見極めることも、今回の知人の第2の目的でした。

通常、伊勢参りは外宮から内宮へと参拝するのが習わしです。その理由がまったくわからないままに、日本人はその習わし通りに参拝されているようですが、なぜ何の疑問も持たないのでしょうか? 不思議ですね。

なぜ内宮よりも外宮が先なのかと考えれば、外宮のご祭神のほうが内宮のご祭神よりも、より高い神格を持っているからであるという結論にたどり着きます。
外宮のご祭神は、日本名で「豊受大神」とされていますが、「古事記」に書かれているような「天照大神」のお食事係などではないことは明白です。

わたしたちは従来の習わしには従わず、まず内宮へと向かいました。
そこで、思ってもいないハプニングがありました。そこでは、何千、何万人もの白い装束をつけた人々が内宮の境内で蟻のごとき行列をつくってひしめいていたからです。
今年は「第62回式年遷宮」のため、神宮での行事が多いのですが、わたしたちが行ったその日にも「お白石持(しらいしもち)」という行事が行なわれていたのです。交通規制もあって、レンタカーを通常の駐車場に止めることができず、炎天下のなか、随分遠いところから内宮まで歩くこととなりました。
わたしのハイアーセルフは、8月8日でひらき、9日でくくるということで、その日がいいよと教えてくれていたのですが、そんな行事があることまでは伝えてくれていなかったため、意外な光景に驚きました。

お白石持行事」というのは遷宮諸行事のひとつです。
新しい正殿の敷地に敷きつめる「お白石」をみなで奉献するのです。宮川で拾い集めた「お白石」を奉曳車・木そりに乗せて沿道や川を練り進み、神域に入ってからは、一人ひとりが白布に「お白石」を包み、通常は立ち入ることのできない新宮の垣内、新しく建てられた正殿近くまで進み、持参した「お白石」を奉献する民俗行事だったのです。。
(お白石持行事は、国の「記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財」として選択され、伊勢市の「無形民俗文化財」として指定されています)

歩くスペースもないくらい人が参拝するなかで、まだ御霊が移動していない旧の正殿周辺の波動は良好でした。
新しい正殿に向かって拝む人たちを見て、日本人は御霊というエネルギー体ではなく、建物という物質を重んじ、物質を拝む民族なのかな? と思ったしだいです。

大勢の人々のあいだをすり抜けて、何とか参拝をすませ、わたしたちは外宮へと向かいました。逆のコースをたどったため、車での移動もかなりスムーズでした。


新しい正殿(内宮)
        内宮の新正殿  撮影 光の仕事人



★ 外宮での出来事 ★



外宮は毎度のことながら、内宮に比べて波動が粗く、あまり気分がよくありません。
はるばると分霊を解放しに来た知人も、内宮との波動の違いを顕著に感じられていたようでした。

じつは、知人の親神の名前は、外宮のご祭神のなかにはまったく見当たらないのですが、境内にはまちがいなくその神のエネルギーが残っている場所があるのです。
現在、小さな祠(ほこら)しか建っておらず、見過ごしてしまいやすい場所にあるのですが、かつてはわたしの長女もそこで自分の分霊を解放したことがありました。

つまり、今回外宮に行ったのは、長女と知人は同じ親神のグループに属していたことがわかったからでした。
長らく知人にまとわりついてなかなか解放できなかった分霊を、その地で解放できるということを、わたしのハイアーセルフが教えてくれたので、わたしが一緒に行って彼女を誘導するというお役目があったのです。

外宮のなかにあるどの社が彼女の親神の社であるかということを、自分自身で発見したいということだったので、わたしはただ彼女の足が自然に向くところへついていくことにしました。
長女のときもそうでしたが、自分の親神のエネルギーは自分で感じ、自分で見つけることができるものなのです。
果たして、彼女は長女が見つけたのと同じ社を発見され、そこでめでたく我が分霊を解放されたのでした。

毎回皆さんにお伝えしておりますように、現在の自分が抱えている何らかの課題は、過去生の自分(本体部分)、あるいは分霊の課題でもあり、それが大きく強く影響しています。それは「過去生回帰」でほぼ解放できますが、自分の親神のエネルギーのある箇所で解放することも可能であるということです。

分霊たちは、そのエネルギー場から親神の元へ還るルートを知っているのです。
彼らは空へと上昇したのではなく、地下へと下降していきました。
どうやら他次元宇宙の通路は地下にあるようです。


知人はたまたま長女と同じ親神であったために、まちがいなく同じ場所(祠)から帰還していったのを、しっかりと見届けることができました。
しかし、人それぞれ親神は異なり、親神のエネルギーが存在する場所も違うので、それぞれの親神のエネルギーが残っている場所を見つけ出すのは、至難の業であると思います。何しろ、日本国内には気が遠くなるほどの神社と山と祠があるからです。
ただし、霊的な感覚が優れてさえいれば、分霊が欲している場所、帰りたがっている場所は、自ずとわかるものなのです。


★ 瀧原宮での出来事 ★



最後に向かったのは皇大神宮別宮の瀧原宮(たきはらのみや)でした。

瀧原宮は人に忘れられたかのようにひっそりと佇んでいました。
強烈な真夏の日差しは、鬱蒼とした木々にさえぎられてやわらいでおり、非常に心地よく参拝することができました。

倭姫命(やまとひめのみこと)世記」によりますと、第11代垂仁天皇の皇女「倭姫命」が、宮川下流の磯宮(いそのみや)より天照坐皇大御神(天照大神)を祀る地を探すために上流へ遡ったところ、宮川支流大内山川の流域に「大河の瀧原の国」という美しい場所があったので草木を刈り新宮を建てたということです。
その後すぐに神意によって現在の内宮のある伊勢市宇治館町に新宮(五十鈴宮)を建てたため、天照坐皇大御神御魂(あまてらしますすめおおみかみのみたま)を祀る別宮となったとされています。

神宮ではこの説を採用しているようですが、一般には伝説上の話であり、起源は明らかでないと考えられているようです。そういう物語が伝えられてきたということで、真相ははっきりしていないということなんですね。


\瀧原宮
  唯一波動が良好だった瀧原宮  撮影 光の仕事人


瀧原宮には天照大御神御魂の和御魂(にぎみたま)、瀧原竝宮には荒御魂(あらみたま)が祀られていました。
同じ並びに若宮(わかみや)神社、長由介(ながゆけ)神社、川島(かわしま)神社がありましたが、波動はよくありませんでした。
唯一波動が良好であった瀧原宮で、今回わたしを呼ばれた真のご祭神のエネルギーと出会うことができました。
「よく来てくれたね」ということで、わたしも念願の地にようやく来られたことを心から喜び、感謝して、松阪に戻ることができました。


瀧原宮の御手洗場1
    瀧原宮の御手洗場  撮影 光の仕事人


瀧原宮には自然の御手洗場がありました。
冷たく清らかな谷川の水で手を洗うと、汗も止まり、心身が落ち着きました。人の手が加えられていない自然の御手洗場での休憩は、今回の旅の記憶のなかで最も心安らぐ場であり、至福のひとときを過ごすことができました。



★ 京都での出来事 ★



10日は京都まで移動するために、知人とは午前中に松阪で別れました。
暑さと人の多さは京都でも同様で、駅周辺では人の多さにうんざりし、疲労感が急激に募りました。
疲れの原因は、まちがいなく人の多さと京都の波動の悪さでした。

その日の夕方からセッションを始め、夜遅くまで話し、翌日も3名の方のセッションを行ない、夜遅くまで話しました。
ホテルでは、ご自分がお泊りの客室からネガティブ霊を連れてきた方もおられ、セッション前に浄化をしなければならなかったり、その後もしばしば見えない存在、特に用もないのに執拗に来る異星人には迷惑をかけられました。
松阪でも、やはり邪魔な存在が多々来ておりましたし、人の多さもさることながら、見えない者たちの数もそれに劣らないほど多かったのではないかと思います。

過去生回帰」のセッションでは、今回もそれぞれご自分の本体部分や分霊の過去生が現われ、個々に納得して解放するに至り、成功したと思います。

異星人だったときの過去生が現れて、あまりにすごい映像や、異星人の正体を知って、思わず大声で叫ばれた人もいらっしゃったり、じつに興味深かったです。
また、それぞれの人が感想やその後の変化を語ってくださるのを、楽しみにしております。


今回の旅は、お盆前ということもあって、どこへ行っても人、人、人、そして霊だらけでした。
常日頃まったく歩かないにもかかわらず長距離を歩き、さらにいつにない猛暑のなかを足早に歩きまわっていたため、かなり日に焼けましたし、疲れました。よって、自宅に帰って来てから数日間は、昼間もよく眠ったと思います。
ハードスケジュールでしたが、いろんな方と交流ができたことはほんとうによかったです。

帰る日に「京都水族館」に行って、間近でペンギンやイルカを見ることができたことで癒されました。


京都水族館のペンギンたち
京都水族館のペンギンたち「暑いよ~」 撮影 光の仕事人



ふたつのハート

セッションの参加者さんたち、暑い中ほんとうによくいらっしゃいました。
京都に行っても、交流したのは他県の方ばかりで、(関西では大阪から一人来られました)京都の読者さんとは会見することができませんでした。

今回病気がありながらも、セッションに来られた方々のその強い意志と行動力には感心しました。
これからも、個々の魂の進化と発展のために励んでください。
わたしも陰ながら応援しております。 

★愛と感謝 カヴィーシャ 光の仕事人より




心を癒すとからだが癒される

2013年08月20日 00:25


★ 心を癒すとからだが癒される ★



2010年8月の過去記事『自分がつくった病気は自分で癒すことができる 』につぎのような文を載せました。
(下線をクリックすると記事にリンクします)


病気はすべて本人が播いた種の結果です。
自分がつくった病気は自分で癒すことができます。
なぜなら、その原因は必ず本人(意識)にあるからです。
本人がそれに気づいてその意識を変えさえすれば、自然に治るのです。

このことをしっかりと頭の片隅に置いていただきながら、読み進めてくださると、
現在医学の何が真実で何が虚偽かに気づくことができるでしょう。



あなたが癒す「心とからだ」』のカテゴリにある15の記事を読まれた皆さんは、「ほんとうにそうだな」と納得されたでしょうか?


海のライン


病気を引き起こす原因―ふたつの論争』の記事では、ルイ・パスツールやロベルト・コッホが主張したような「人や動物が病気になるのは、体内に入ってきた菌が原因」なのではないということ。
もしすべて「細菌やウイルスが病気の原因」だとしたら、地球上に数えきれないほど存在している細菌とウイルスのために、人類はすべて病気になってしまうでしょう。

フランスの生理学者クロード・ベルナールやドイツの衛生学者ペッテンコーファーが主張したように、「病気は外部から侵入することによってではなく、わたしたち自身の内部にその原因があり、健康は体内の環境、内部環境の中の適切なバランスによる」ものだということ。

つまり人の身体の内部環境(精神的なもの・意識、心の持ち方、考え方などを含めて)が良ければ、細菌に抵抗、対抗できるのだということをお伝えしました。

また、「気を病むこと」で、知っておいていただきたいことは、病気の原因のひとつに「霊の影響」があるということ、「病気の大部分には霊が関わっている」ということもお伝えしました。

そして、恐怖心。これがわたしたちにとって「最大のストレス」であり、わたしたちの思いを制限させる「最もネガティブな要因」なのだということもお伝えしましたね。


病気の原因はすべて自分にある―自分を癒す方法』では、つぎのように書いておりました。 


★さて、昔から言い伝えられてきた「病は気から」ということばは的確です。
ほとんどの病気は心が癒されていないところからやってくるからです。
病気の背後には、その人の意識や感情的なもの、ものの考え方などが潜んでいることがわかります。
現れてくる症状によってメッセージは異なっていますが、必ず大切な何かを知らせてくれています。



現れてくる症状によって、メッセージは異なります。

その症状が自分に何を伝えているのかを明確に知ることができれば、癒すことも可能です。
昔から言われてきた『病は気から』は真実の言葉であるということを理解された人たちは、きっと自分で癒すことができるでしょう。


ひまわり1


10月のセミナーでは、
心を癒すとからだが癒される」というテーマで、
つぎのような内容をお伝えしたいと考えております。

なぜ病気になるのか?
「病気とは何か?」という真の理解をもたずに「痛い」「苦しい」とその症状を恐れたり、嫌がったりしていても、何の解決にもなりません。
健康法や食事療法を試みても、「健康とは何か?」を真に知らないでいては効果は上がりません。よって、「病気の原因」について、皆さんとご一緒に深く掘り下げて考えてみたいと思っています。
(病気は肉体から生じるのではなく、見えない身体(アストラル体)から生じるのだということ)

それぞれの病気は何を伝えているのか?
その病気からのメッセージをお教えします。
(病気の原因となっている問題点を癒し解放することから始めなければならないこと)

問題の箇所をどのように癒すのか?
自分で癒す方法」をお教えします。

★病気には「霊が関わっている」ことが大変多いため、
霊に憑依されない心身を保つにはどうすればよいか」を個々に考えます。
光を放射する」ことや「光の浄化箱を創る」練習をします。

今病気でお悩みの方、あるいは関心のある方はぜひご参加ください。
症状が現れた際、あわてずに行動ができるようになるでしょう。




鳥1



「信頼」という名の宝物

2013年08月26日 14:00


◆ 過去生回帰を終えて ◆


今回は8月11日に京都で行ないました「過去生回帰」のセッションを終え、これまで出されていた「課題」をめでたく終了された女性のレポートを掲載させていただきます。


~過去生回帰を終えて 8月23日の最終レポートより~ 女性  40歳  東海
  

6月から個人レッスンを始め、過去生回帰のセッションを迎えるまでに、順に「無価値感」「期待」「復讐」「裁き」と、実に4つものキーワードをいただき探究を深めていきました。
それぞれのキーワードが、どんな心理によって引き起こされるのか、その仕組みと自分の性質を知ることができ、自分に未熟な面が多々あることを思い知りました。
「無価値感」からは、いかに自分を粗末に扱い、他者から「褒められたい」「認められたい」と、自分の存在意義を求めているかということを知りました。自分や他者を認めないから「期待」する気持ちが起き、期待に満足できないとエスカレートして「復讐」に走り、「○○であるべき」と自分の価値観を押し付けて他者を「裁き」ました。
自分のネガティブな面を知り、それに抵抗せずに認めることにより、気づきが深まっていったように思います。

今回の課題の総決算として過去生回帰を受けました。総決算にふさわしく、私は忘れていた過去を思いだすこととなり、そこで輪廻転生、因果応報は紛れもなく宇宙の法則に則り、誰もが平等にその報いが用意されていると、実感することとなりました。

私はかつて異国で乳飲み子を抱えたシングルマザーで、貧困に喘いでいました。元夫は今でいうDVでした。
今生の私は父が母にDVをする家庭に育ちました。20歳の時に私はよりによって、どういうわけかDVをする人と付き合っていました。別れたくても執拗に付きまとわれ、逃げて身を潜めた先で、建物のガラスをぶち破って中に侵入してくる凶暴な人でした。あの当時、生きる希望がなく悲壮感を抱えて生きていた私と、過去生の私が醸し出す雰囲気がまるで同じでした。つらくて生きているのが精一杯。相手に翻弄された日々。過去生であんなにつらい思いをしたのに、なぜ今生でもDVと縁があるのでしょうか? 

★カヴィーシャ: あなたがなぜDVと縁があるのかということですが、暴力ではなく、嫌がらせをしていた過去生があったことと関係しているのではないかと思います。
おそらくあなたは、自ら嫌がらせを受けて、嫌がらせを受ける人の気持ちを考える機会を与えられたのではないかと思います。そして、過去生でも今生でも、十分にそれを思い知ったということです。


★そうでしたか、嫌がらせをして人につらい思いをさせてきたのですね。この事実を真摯に受け止め、この経験を無駄にせず、同じ過ちを繰り返さないよう注意深く、自己を観察し、律する努力を続けていきます。

★カヴィーシャ: たいていの場合、その人生の終わりで自分がやってきたことを裁くと、つぎの人生で今度は同じようなことで裁かれる自分を演じることとなります。過去生で自分が相手にしたことを、今度は逆にされて自ら存分に味わってみようという試みです。それでも納得できなければ、また次の生でも繰り返し味わうわけです。それによって、行為のバランスをとろうとするわけですが、そんなふうに自分のしたことを許せずに、執拗に自分を裁き続けている人も多くいます。
過去生と今生の自分が一緒になって、自己を裁くのですから、苦しいはずですね。
だからこそ、過去生の自分も今生の自分も真に許し、癒し、解放する必要があるのです。


私は過去生で、この悲惨な体験から何も学ばなかったのでしょう。ただ、「こうなったのはあの人と結婚したばっかりに」と悔やんでいただけだったのでしょう。常に「無価値感」を抱えながら必死に生きてきました。現状を受け入れられずにいつも「こんなはずではない」と否定し続け、平和な生活に「期待」しました。これっぽっちも元夫の幸せを願ったことはありません。「私をこんな目に合わせて」と怒りと恐怖が私を支配し、悪い念波を出し「復讐」していたのでしょう。そして「なぜ、このような状況になっているのか?私に原因はないのか?」と省みることなどなく、「あいつが悪いのだ」とただ相手を「裁いて」いたと思います。
そして私は乳児とともに餓死して、この人生を終えました。
今生に生まれる前に私は、不仲でDVが日常茶飯に行われている夫婦の子供になりたくて、そして成人の頃に再びDVをする男性と付き合うことに決め、今度こそ、そこから何かを学ぼうと決心したのか、同じような道をたどり私は結局、過去生の時と同じように何も学びませんでした。起きた出来事から「気づきなさい、学びなさい」というメッセージがそこにあることに気づく準備さえ、私には出来ていませんでした。

個人レッスンでキーワードをいただき課題に取り組んでいる最中は、今生で私はDVを受けていたことを忘れていました。そんな目にあったのに忘れていたの?と不思議に思われるかもしれませんが、忘れなければ生きていけませんでしたし、その時の私は忘れることしかできませんでした。
過去生や今生で私がDVにあっていた記憶がまるでない状態で過去生回帰を受け、「無価値感」「期待」「復讐」「裁き」は過去生でDVの夫を持った経験から来るもので、この経験こそが私の思考の多くを支配していたと知りました。この出来事を忘れたままで、これらの感情を真から手放すことは出来ないでしょう。今、私はDVの彼とは、なんとか別れられ、時間はかかりましたがDVとは無縁な人と出会い結婚をしました。しかし、私は別人になったわけではありませんから、過去生から持ち越した気質がそのまま今生でも発揮されています。

★カヴィーシャ:「無価値感」を抱えていた過去生のあなたは完全に解放されていますから、もう別人ですよ。
そんな思い出にいつまでも浸っていて、何か良いことでもあるのでしょうか? 
もう忘れることです。忘れないと、せっかくの新しい人生を生きることができませんよ。


私がなぜ過去生から成長していなかったのか、ポイントがわかりました。私はDVの経験、過去生で乳児を餓死させてしまったこと、今生ではお腹に宿った天使を産まない選択をしたこと、これらを受け入れ、認めて自分を赦していなかった。いつも惨めさが付きまとい、今生で最後にとった手段は忘れる努力をしました。それでは何の解決にもならないことは、その当時の私にはわからないことでした。

思いの制限をひらくに出会い、学びを続けさせていただいている今の私のとる行動は、私の魂の成長にこれらは必要な出来事で、それらを引き寄せたのは私の思考によるものであり、この事を謙虚に受け入れ反省すべき点は反省し、過ちを犯して後悔したことも、そんな自分も出来事も、すべてひっくるめて受け入れ、認め、赦し、愛し、癒し、自分を責めず、裁かないことだと思います。

★カヴィーシャ: その通りです!
但し、ここで読者の皆さんにも思い違いをしてもらってはいけないことがあるので、お伝えしておきたいと思います。
自分を責めず、裁かないこと」とつよく思い込みすぎて、反省することをやめてしまうようなことはしないでくださいねということです。

皆さんの多くは、「自分を責めず、裁かないこと」についてお伝えすると、絶対にそれは悪いことで、してはいけないことだと思い込まれる傾向にあるような気がします。
それはまちがいなく「思いの制限」です。

自分を責めたり裁いたりすることがあってもよいのです。それはある意味、正常な行為です。但し、それをいつまでも執拗に思い続けているのではなく、赦すことが必要で、そこから前進することが大切ですよと言っているのです。

皆さんの多くは、ひとつひとつの言葉にとらわれ過ぎているところがあります。
どうか言葉を狭く捉えないで、広く自由に捉えるようにしていただきたいと思います。

「反省」することは大切です。そして、相手に対して悪いことをしたなら、素直に謝罪することが必要です。

人に危害を加えておきながら、悪いとも思わず、自己を正当化して、平気で生きている輩は地球だけではなく、銀河系宇宙には多々存在しますが、そういう存在は、自分自身で自分を裁くということはありません。善悪の判断能力がなく、自分を客観的に観るということができないのです。
自分さえよければいい」という「自己奉仕型」人間には、他者への奉仕や愛の思いが欠落しているのです。
そういう輩は、結局は相手に恨みを買い、恨みをもった過去生の霊体に幾世にもわたってさんざん苦しめられることになります。
やはり、借りはいつか返さなければならないわけで、自業自得播いた種は自ら刈り取らねばならなくなるのです。
そうでなければ、不公平であるし、バランスがとれませんね。それが「宇宙の法則」なのです。


帰宅後に改めてブログ記事「過去生回帰のセッション」を受ける際の心構えを読み、今回、総決算にふさわしい過去生の記憶が用意されていたな、と完璧な宇宙の法則に感服です。
今生の肉体とのお別れはいつやって来るかわかりません。(今の気持ちは光の花束「善を為すなら急げ」がぴったりです。)
今までに作ったカルマを、過去生や今生で解消しようと選択した方法とは違う形で来生にトライ出来るよう、今からその下準備をこつこつとやっていきます。来生の私はどんな決心をし、どんな人生の選択をするのかすごく興味があり、楽しみでもあります。
ブログ記事「未熟な魂」と「成熟した魂」-あなたはどっち?のように。

先日、「力強く、たくましく生きなさい」と、心から湧き上る内なる声が聞こえました。
セッション中に別の時代の本体や分霊が私に暖かい声をかけてくれたり、手助けをしてくれたように、私は日々、目に見えない存在たちに応援されていると実感しました。本体よ、分霊よ、守護霊さん、いつもありがとう。
急に「タイタニック」という映画の後半シーンが思い出されました。
ジャックは息絶え死んでしまいますが、ローズは生きようと力の限りを尽くし救助を求め、無事助け出されます。
私は映画を観た当時、私はジャックを追って死ぬことを選択すると思いましたが、今の私はローズと同じように生きることを選択するでしょう。
私は途中で(人生)ゲームをあきらめません。私は途中で何があろうともチャレンジし続けます。

セッションの終わりにカヴィーシャさんから貴重なギフトが用意されていました。
そのギフトは私にとって宝ですが、それは宝石のような原石で、磨いていくことによって輝きが増していきます。そのメッセージを常に意識して、少しでも近づけるように自分を磨き、その原石がいつか光り輝いて、本物の金言にしたいと思います。
カヴィーシャさん、貴重なお時間を共有していただき、本当にありがとうございました。

今、私は不必要な感情を手放したり、今回思い出した今生のDV体験のことを少しずつではありますが、湧き上ってくる感情に、わだかまりが残らぬよう向き合い、心と対話しています。とにかく逃げずに作業を進めていくつもりです。
個人レッスンをやっていただく前の私は、ネガティブなことや、自分の過去を嫌い、嫌な出来事はなかったことにしようとしていましたが、それはあまりにも未熟で幼稚でした。この二か月間レッスンをやっていただき、やればやったことだけのことはある、と確かな手ごたえを感じることが出来ました。
カヴィーシャさん、2か月間、ご指導ありがとうございました。

★カヴィーシャ: どういたしまして。
ハイアーセルフに尋ねたところ、今回の『課題―無価値感』はクリアできているということでした。
つまり『無価値感』はしっかりと解放できましたよということです。おめでとうございます。


★ありがとうございます。あきらめずに挑戦してきてよかったです。それもこれもカヴィーシャさんのお力添えがあってのことです。

★カヴィーシャ: しかし、『課題』がまだ他にあるということを忘れないでくださいね。

★はい、漠然としてではありますが、今それを感じています。

★カヴィーシャ: 誰もみなたくさんの過去生をもっているわけですから、一人の過去生を解放できたからと言って、それですべてよしというわけではないということです。

★はい、私もそう思います。
なんとなく、次の人が「癒されたい」と待っているような気がします。


★カヴィーシャ: まだ過去生回帰にでてきていない問題の人はいます。
以前に少し出てきた「子ども」もそうです。また、他者に嫌がらせをしていた人もいます。


★他にも今生の夫とは何度も夫婦をやっているということを、カヴィーシャさんから教えていただき、このことも何らかの問題を抱えていると思っています。

★カヴィーシャ: しかし、ここであなたがもう終了したいということでしたら、それはあなたの自由ですからそうなさればよいと思います。そのように申告してください。
わたしは、『課題』にチャレンジしたいという人のお手伝いをするだけです。
ですから、あなたの選択を尊重いたします。


★今日現在、解放したい思いが消化しきれていないと感じています。
もしかしたら、その次なる人の影響があり、このまま続けるのが近道なのかもしれないという思いがなくはないですが、もう一方では、ここで一旦、整理(心もしかり、ハード面ではPCのファイルや資料)しようという気持ちがあり、少し寂しい気持ちもありますが、9月はお休みしようと思います。終了ではありませんので、再開できる段階になりましたら改めて申し込みをさせていただきます。
今、カヴィーシャさんの声が聞こえました。「再開したいときに、レッスンをやっているかわかりませんよ」と。
はい、ごもっともです。


★カヴィーシャ: そのときはそのときのことですね。あなたが再開したいときに、もしまだレッスンをやっていたら、「ラッキー!」と喜んでください。(笑) 

いつも申し上げておりますように、あなたには子どものように純粋な心がおありです。まるで鉄砲をもった子どもさながらにとても「無鉄砲」なところがあって、危険を感じるときもありますが…。(笑)
あなたはもともと自由な発想を持った意識の跳んだ人であり、その上自己の魂の成長に対して意欲的であるため、わたしが発する毎度の厳しい言葉にもめげずにわたしを信頼し、素直に自分を省み、よくついてきてくださいました。
根がネガティブ思考であっても、そういうポジティブさを内に秘めている人であることを知っていたからこそ、生まれた結果であると思います。
心に宝を持っている人」と言うのは、そういう人のことを指します。

やればやったことだけのことはある、と確かな手ごたえを感じることが出来ました」と書いておられましたね。
ほんとうに、あなたはがんばりやさんなので、きっと今生でいろんなことが癒され、クリアされていくことでしょう。
あなたの成長を楽しみにしていますね。




ロジーナブルー


★ 真実の指導者と偽りの指導者を見究めること ★


         ~信頼するに値する人を見つけること~


これまでの記事の中で「すぐに鵜呑みにしないように」とか「自分で実際に確かめた上で」ということや「真実と偽りを見究めること」について再三皆さんにお伝えしてきました。
異常波動を発した書籍やブログについても繰り返しお知らせしましたね。特に異星人や目に見えない霊体からの通信は、信憑性がないものや異星人側の都合ででっちあげられた話が多いので要注意だということです。異星人からの情報を得て、それを講演会や著著などで伝えているようなスピリチュアル系の指導者たちは、異星人に騙されているケースがけっして少なくはないということを忘れないでください。

近年アセンション関係の本を数えきれないほど出し、多々講演会を開催してきた人で、実際に2012年末に何も起こらなかったことで、2013年新年早々皆さんに「お騒がせしました」と謝っておられるようすを「YouTube」で見たことがあります。ほかにも「なぜ天変地異が起こらなかったのか、さっぱりわからない!」と、自分でも首をかしげる著名人もおられました。

自分の信じていたことがまちがっていた。それは皆、自分の内側から得た情報ではなく、外側から得た情報を信じた結果だったのではないでしょうか? 異星人の言うことを鵜呑みにしたからですね。
彼らは、自分のハイアーセルフには尋ねなかったのでしょうか?
そこまで確信していたことが外れたにもかかわらず、なぜ未だに異星人の言うことを信じておられるのか不思議です。

これまで偽りの指導者に騙されてつづけてきた人たちは、「もう安易に信じないぞ!」と考えておられるかもしれません。何事も「すぐに鵜呑みにしない」ことは必要です。
しかし、だからと言って、「信頼できる人など世の中にはいない。信じられるのは自分だけ」と思い込んで、自己確立ができていない段階の自分自身の感覚や判断のみを信じようとするのは無謀というものです。

それぞれその人の意識レベルに見合った指導者というのはいるものです。
そういう指導者が見つかったなら、謙虚に学ぶことです。その指導者よりも自分の意識レベルが高くなったなら、さらに意識レベルの高い指導者を選ぶことです。
信頼するに値する人」を、まず直感で見極められることができる自分になることが必要です。
イエスやゴータマ・ブッダなどは地球上では最高の指導者となっていますね。
しかし、自分の意識レベルが彼らよりも高くなったとき、そのときほんとうに自分自身を信頼することができます。そのとき初めてハイアーセルフ状態になったと言えるでしょう。

「信頼するに値する人」への「信頼」まで喪失しないようにしていただきたいと願います。



りんどう


★ 現に癒される過去生回帰 ★



過去記事で「過去生を変えることができる」ことをお伝えしましたが、未だにどう変えてよいのかわからない人がたくさんおられるのではないでしょうか? 
「もう既に終わった過去生の問題をどのように解決するのか?」と。

「過去生回帰」をすることについて、「そんなことをする必要は全くない。過去は終わったもので、もう無いのだ。今が大事だ。今を真剣に生きればそれでよいのだ」と言っている指導者はおられます。

確かに「今という瞬間瞬間を大切に生きること」は大切です。わたしもその大切さを何度か過去記事に書いております。しかし、「過去生を思い出す必要は全くない」とは思わないのです。
「過去生回帰」をすることの必要性を否定し、小馬鹿にするような人は、今現在と過去と未来が同時に存在すること、同時に並行して存在することを真に理解できていない、実感できていない人です。

今を真剣に生きようとしているのに、過去生の自分に足を引っ張られて、今生を自分の望んだように生きられない人たちが今ここに現にいらっしゃるのです。
過去生の自分が今生の自分に重なり、憑依霊さながらにまとわりついていることを実感した人たちが、まちがいなくいらっしゃるのです。
人類のほとんどはそうなのです。何もカルマがなくて、この世に生まれた人はいません。ただ、どんなカルマがあるのか、どんな課題をもって生まれたのか、知らないだけなのです。

現在、自分自身がどれだけ多くの過去生を背負って生きているか、どれほどさまざまな過去生を引きずってきているか、「今の課題」と「過去生回帰をして登場した人物」が、どれほどぴったりと合致しているか、過去生回帰を体験された人たちは真に思い知られたことでしょう。毎回驚愕するほどです。

つまり、わたしたちの多くは、過去のカルマがクリアされていないために宿題を残し、またその宿題をクリアするために誕生しているということなのです。今生で過去を思い出しやすいよう、いろいろと思い出すための手立てを、自分で創って生まれてきているのです。顔や身体につけた生まれつきのアザや、生まれつきの病気。「ここを刺して!」と心臓の部分にマークをつけたりして。それでも、その「しるし」にどんな意味があるのか、思い出せない人のほうが圧倒的に多いのです。

せっかく過去生で分霊がカルマを解消してくれていたのに、今生での新しい学びを怠けていたせいで、新たにカルマをたくさん創ってしまう人たちもいるでしょう。そんなふうにして、カルマのバトンタッチが連綿と続いていくのです。

わたしが「過去生回帰」のセッションを始めて、未だにやめられなくなっているのは、「過去生回帰」をすることが「今生の課題」をクリアするのにとても有効的であることを実感したからです。

今生の自分にまとわりついて足を引っ張っていた存在が癒されて解放されると、急に人生が明るくなり、元気になる人が現にいらっしゃるからです。その効果が現にあるからこそ試みているのです。
どうしても今の自分が変えられない人は、とにかくやってみられることをおススメします。
実体験してみること。そして、実体験したものを「信頼」することです。



ロジーナピンク


信頼」は宝物です。
それがなければ、人間関係は空しいものとなってしまいます。
同じことを、OSHOはつぎのように語っています。 



愛が信頼の一部としてもたらされるときは美しい
なぜなら、信頼は愛なしにはあり得ないからだ

あなたが「愛している」と言っても
それは明け渡しではなく
あなたにはまだ融け込む準備ができていないというのは本当だ
あなたには未知で不可知の空間に導かれる準備ができていない
あなたが「愛している」と言うと
あなたは相手と対等の立場にあり
そこには一種の押しつけがましい平等がある

ところが、あなたが「信頼している」と言うとき
それは深いところからの明け渡し、解放、受容性―
自分と宇宙に対して
「この人が私を地獄に連れて行くとしても構わない
私はこの人を信頼する
それが地獄のように見えても それは私の見方が間違っているに違いない
この人が私を地獄に連れて行くはずはない」と宣言することだ

信頼において、あなたはつねに自分に過ちを見つける
愛において、あなたはつねに愛する相手に過ちを見つける

信頼においては、ことばに出さないまでも
「私は無知です 私は眠りに陥りやすく無意識です
何か誤ったことを口にし、あやまちを犯す可能性があります
だから私を哀れんでください 慈悲をかけてください」と、
つねに謝罪する心境にある

信頼には非常に多くのことが含まれている
信頼はそれほどの宝だ  
                 ~OSHO~




ふたつのハート

宇宙への信頼… 
ハイアーセルフへの信頼… 
自己への信頼…
他者への信頼…

信頼には愛のすべてが、
その関係の美しさが込められています。

「信頼」という名の宝物
今一度あなたの心の内に見つけてください。

           カヴィーシャ・光の仕事人 






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