純粋無垢な清らかさで世界を清めましょう!

2013年03月03日 12:00


三月に入りました。今日はお雛祭りですね。

青空から太陽の光が射して春のような陽気となり、心もパーッと明るくなったと思ったら、次の日は急変して雪が降ったり、厳しい寒さがやって来たりと、最近は天気の変化が激しいですね。
同様に、人の心も悲喜こもごも、毎日めまぐるしく変わります。
落ち込んでみたり、ハイ状態になってみたり…。
まさに波乗り人生ですね。



★ 承認されることは奇跡です ★



前回の記事は、正直申し上げて、とても後味の悪いものでした。
なぜなら、人々の嫌な部分に焦点を当て、負のエネルギーをたくさん込めた内容であったからです。
その内容をあえて皆さんに提示することで、皆さんがどのように感じ、受け止められるだろうか? というのがひとつの実験でした。

慌てて掲載したために、あとで不適切な表現があるのを発見したり、付加したい箇所などができて、その後いくつかの部分を修正しました。記事をアップしてまもなくお読みになった方々は、よろしければ再度読み直してみてください。きっと少しエネルギーが異なっているのに気づかれるのではないかと思います。

当初の予想通り、拍手はあってもコメントがひとつもなく、し~んと静まり返っていましたね~。やはりコメントがしにくかったのでしょうか?

破廉恥な人たちと良心のない人たち。
無責任で乱暴なメールを無意識で押しつけてくる人たち。
「もしかしたら、これって私のことかしら?」と、ドキッとされた方もいらっしゃったかもしれませんが、ほんとうに伝えたい人には伝わらないというのが、真相です。
ですから、他人事としてではなく自分のこととして、しっかりと自己を顧みられた人は、良心と廉恥心が備わった正常な人であると言えるでしょう。
それが証明されたということです。


ピンクのバラのライン


言葉の力というのは、とても大きいのです。
だからこそ、言葉遣いには慎重になることが大切ですし、その言葉に責任を持たなければなりません。
無意識で言葉を使うのではなく、どんなときでも意識して、全身全霊を傾けて書くことが重要だということです。
それが少しでも伝わったのであれば、あの記事はある意味で成功したと言えるでしょう。

ネガティブなことを書くときも、ポジティブなことを書くときも、わたしは自分のなかの権威者の同意を得て、自分の真実に責任を持って書き綴っております。ですから、誰に何を思われてもよいという決心のもとに、皆さんにさまざまな問題提起をしているのです。

この二元の世界では、すべての人から信じ、認めてもらうことは最初から無理なことであるのです。それは重々承知の上です。
たびたび申し上げておりますように、偉大な聖者であったゴータマ・ブッダやイエス・キリストでさえ、同じ国の人々に受け容れてもらえず、迫害に遭っています。
イエスは大切にしていた弟子にまで裏切られ、同じユダヤ人に疎まれ、殺されました。

また、アポロンの神託所において、巫女に「ソクラテス以上の賢者は一人もない」と答えられたというソクラテスも、彼に無知と言われて憎悪を募らせた人々が敵となり、結局裁判の結果、死刑となり、毒を飲んで死に至っています。
このことからも、どんなにすばらしい賢者であっても、聖人であっても、誰からも全面的に信頼されるということはなかなか難しいことであることがわかります。

この次元での人の意識レベルは千差万別です。
この次元にいるかぎり、意識の異なる万人に承認されること自体、ありえないのです。
ですから、記事を読んで賛同してくださる方がおひとりでもおられたら、真に「ラッキー!」なのです。
『拍手コメント』にたくさんの感謝の気持ちが書かれていたりすると、「お伝えしてほんとうによかった!」とわたし自身も感謝の気持ちで歓喜に満ちあふれます。

            ありがとう


そんなふうに互いに感謝をもって接することができることは、わたしにとっては奇跡です。
奇跡と愛はいつも一緒にあるのだと『ガイアの愛に応え、ミラクルを起こしましょう!』の最後に書きました。

奇跡は、愛があるからこそ起こるのです。



ピンクのバラのライン


★ 問題の原因は過去生にある ★



世の中では、日夜悲劇が起こっています。
希望に満ちて、これから頑張って一生懸命生きようとしていた若い女性が、ある日突然刺殺されるということが起こります。東京・吉祥寺で起きた女性殺害事件がそれですね。
「複数でいる人は見過ごして、一人で歩いている人を狙った。誰でもよかった。脅して金を取ると騒がれるので、刺した方がいいと思った」と語ったというルーマニア国籍の17歳の少年。

この若い女性が、いったい何をしたというのでしょうか? 
金欲しさに、前途有望なひとりの人間の生命を容易に奪った少年たちに、わたしたちは憤りを感じます。
少年は、どうしてこんなふうになってしまったのでしょうか。

前回の記事に書いたようなネガティブな性質を持った人々は、特別な人たちなんかではなく、どこにでもいる人たちです。人を愛せないのは、どこかで愛することをすっかり忘れてしまったからなのです。
ほんとうは人の何倍も愛を求めている人たちなのです。

           抱っこ

こういう人たちがなぜこうなってしまったのかを知るためには、彼らの過去生を知る必要があります。
彼らが過去生でどんなことをしてきたかを見ることで、たいてい原因をつきとめることができるからです。

自分の過去生を知ることは、自分の現在の問題を解決するために、とても重要な要素となります。
しかし、そう簡単にわたしたちは過去を思い出すことができません。
何かのきっかけが必要なのです。

わたしのふたりの娘たちは、自分の過去生を思い出すことに成功しています。
特に次女は多くの過去生の断片をはっきりと見ています。
それは、たいていわたしの何気なく言った言葉に反応することから始まります。その言葉が妙にひっかかったり、とても嫌だったり、不快に感じたりするときは、必ず過去生と関わっているからです。本人が嫌がっていても、それをどんどん掘り下げていくことで、いくつかの過去生が驚くほどの明確さをもって思い起こされていくのです。

今の問題の根が過去生にあったこと。
それを認識することで問題は癒され、解放されていきます。
わたしたちは過去生の自分の生き方を認識し、それを赦すことで、新しい人生を始めることができるのです。
この方法は、なかなかひとりでは難しいでしょう。
でも、瞑想をすることで、思い出すことだって、できるのです。
自分が本来純粋無垢であったことを思い出せれば、この世界に苦悩と残酷さをもたらしている原因を解消することができるのです。



天使

★ 純粋無垢な清らかさで世界を清めましょう! ★



前回の記事を載せたあと、わたしはハイアーセルフからひとつのギフトを受け取りました。
それは後味が悪く気分が冴えなかったわたしに、大いなる癒しを与えてくれました。

ハイアーセルフがくれたメッセージは「神の眼で見なさい」、そして「清らかさを思い出しなさい」でした。

わたしは自分の「純粋無垢さ」、「清らかさ」を思い起こすことで、地球のネガティブな存在すべてを赦すことを思い出すことができました。そして、心地悪さからすっかり解放されたのです。


  わたしたちひとりひとりが純粋無垢で、

  清らかな存在であったことを思い出しましょう。


  『みにくいあひるの子』の真の姿は何だったでしょうか?

  ほんとうは美しい白鳥であったことを思い出してください。

  わたしたちは純白の清らかな羽をまとった白鳥さながらの存在なのです。


 
白鳥



  その純粋無垢な清らかさで、この世界を清めましょう。

  そうすれば、すべての人類に愛が甦ってくるでしょう。




★この記事の補足として光の花束〈不滅の詩〉 (3/3記事)に
ゆるしは花が踏みつけられたときに出す芳香』を載せました。
よろしければ、ご覧ください。




4月のセミナーについて

2013年03月09日 10:40


★ 過去生回帰で自分の問題を癒し解放する ★



4月に開催予定の『過去生回帰で自分の問題を癒し解放する』について、少しわかりにくい点があるかもしれないと思いましたので、今回はその補足をしておきたいと思います。

このセミナーでは、「あなたの過去生はだれだれで、どこどこに住んでいて、こんな人生でした」と言いきってしまういわゆる「過去生リーディング」をするわけではありません。
わたしは霊視者ではありませんから、他人のそういうものを映像で見ることはしません。ハイアーセルフに訊いてわかったことなどを、必要であればお伝えすることはあるかもしれませんが。
また、その人が赤ちゃんとして生まれてくる以前まで、年齢を徐々に退行させていくというような催眠の誘導をするわけでもありません。

はっきりとお伝えしておきたいことは、「過去生を思い出すのは、あくまでもあなた自身なのですよ」ということです。
あなたの魂に刻み込まれているのですから、あなたが一番知っていることですね。
ですから、もし瞑想中にだれかが映像として現われたなら、それは過去生のあなた自身であった可能性が高いのです。分霊であっても、大きな意味では、あなた自身ですね。

あなたの内側から現われ出たものにまちがいはないのですから、それを信頼することが大切です。
また、ここでは、自分の過去生を知るために深いトランス状態に入ったりする必要もありません。
わたしが行ないたいのは、皆さんの周りにまとわり憑いている「過去生から持ってきたエネルギーの解放」なのです。

わたしたちはだれも過去生で身につけたパターンやこだわり、執着や条件付けを、潜在意識のなかに蓄えてきています。
それらがいろんな制限や障害となって、今の人生に持ち込まれているのです。
災いの種を宿して生まれてきたわけですね。

ひとつの過去生、あるいはいくつかの過去生を思い起こすことで、自分の潜在意識のなかに潜んでいたものをまず見つけることが必要です。
今の自分を制限していたのは、ここにあったのだ!」と知ることで、その原因を解放することができるからです。

過去生を知ることは、自分という人間を知るための重要なカギ」であると言ってもよいでしょう。



青いハートのライン


★ 「過去生回帰」の実験の成功例 ★



多くの過去生に問題点を見いだしたわたしの長女は、「過去生回帰の瞑想」をぜひ誘導してほしいというので、わたしはあるひとつの実験をしてみました。それは、幽体離脱をして過去世へとんで行き、自分にまとわりついている過去の人を見つけて、しっかりと切り離す作業をしてもらうという試みでした。

長女の瞑想中に現われたのは、アラジンのランプに出てくるようなターバンを巻いた若い男性でした。
その人は若くして亡くなってしまい、自分のやりたいことが中途挫折してしまったので、今生でそれを実現したくて再生した長女にずっと憑いていたのです。

瞑想中に見た走馬灯のごとく流れる映像のなかで、長女はその男性のたどった人生を、そっくりそのまま自分も生きてきたことに気づきました。まるでこれまでの自分の人生が、その男性の人生そのものだったと、瞑想後に長女は語ったのです。
長女が新たに日本人として生まれ、別の人生を生きようとしているにもかかわらず、その男性は、自分の思うがままの人生を実現しようとして、完全に長女の邪魔をしていたのです。

しかし、もうその男性の人生は終わっているのですから、そのことを彼にはっきりと告げる必要がありました。そして、彼の現世への執着を解き放ち、自由な光の世界へ還ってもらう必要があったのです。
そこで、霊的なつながりを完全に切り離すという作業を、長女にしてもらったわけです。
なかなか切れなかったようですが、それでも彼は離れ、消えていきました。

それ以来、長女は新しい感覚で生きている感じがすると言っています。
そんなふうに自分にまとわりついている過去生の自分は、一人だけではなく、まだまだたくさんいるわけです。
そういう作業をひとつひとつすることによって、問題となっていた過去を解放していくことができるのです。

ですから、いっぺんにすべての過去生を癒したり、解放したりすることはできませんが、そのひとつの手順さえわかれば、あとは他の人の手を借りずとも、つぎつぎと自分自身で解決できていくわけです。
その方法を、このセミナーでお伝えしたいというのが、第一の目的なのです。




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★ 参加者が主体のセミナー ★



わたしが行なうセミナーの特徴は、あくまでも「参加者が主体」だという点にあります。
主催者が一方的にいろんなことを教えるのではなく、参加者自らが進んでそれをしていくこと。それが何よりも重要だと考えるからです。
受け身ではなく、積極的な姿勢で臨むということですね。

事前の準備が必要」と書いておりましたのは、「ただそのときに興味深いと思って参加してみたけれど、その後たいして役にも立たず、あれは何の意味があったのだろう?」ということが、決して無いようにしていただきたいためです。

同じ交通費を使って来られるのであれば、有意義で価値あるものにして帰っていただきたいのです。
ですから、それなりの心の準備をして、当日に臨んでいただきたいと思っているわけなのです。




ハートのラインピンク


★ 事前の準備とは? ★



これについては、過去記事にて繰り返しお伝えしてきておりますが、今回新しい項目として「自己アピール」をつけ加えたいと思います。
事前にたくさんご自分のことを語って、カヴィーシャにあなたのことを知らせていただきたいのです。特に今まで交流がなかった初めての方々とは、事前に親しくなっておくことが大切だと思うからです。

セミナー当日に「初めまして」と言うのではなく、「やぁ~、あなたが○○さんなのね!」と、百年の知己に出会ったような親しみをお互いに感じ合えたら素敵だなと思うからです。
そんな人々に出会ったら、わたしも俄然やる気が沸いてくるでしょう。

自分のことをどれだけ知っておいてもらうか…。
どれだけ自己アピールができたか…。
それがセミナーを成功させる秘訣のひとつでもあるのです。

これまでに、わたしは『気づきのコース』の前段階として、『数秘リーディング』を行なってきました。
リーディング後の「気づきのレポートへのコメント」や「質疑応答」に応じてきましたのは、わたしから皆さんへのご奉仕のつもりでしたが、そのメールでのやりとりがあったからこそ、わたしと皆さんが親しみを感じ合い、心を通わせ合い、しっかりと結びつくことができたのだと思います。


まず皆さんが心をひらいて、すべてをさらけ出した状態になってくださること。
これが一番大切です。

心をひらかずして、どうして新しいものが入っていけるでしょうか? 
心を閉じていながら、どうして新たな気づきが生まれるでしょうか?

「私の醜態をさらしたくない」などと思って、ぴったりと閉じていたら、何も生まれないし、前進しないのです。
まずひらいて、すべてを見せて、すべて出してしまうのです。

空っぽの状態にすると、どんどん入りますね。気づきがどんどん生まれます。



        ハートきらきら


カヴィーシャに対して、真に自分自身をひらいてくださること。
それは、宇宙に対してひらかれた状態になっているのと同じです。

宇宙に対して、無防備な状態になること。
そんな状態になるためには、さまざまな防御を落とす必要があります。

防御を落とすことに恐れを感じないでください。
防御することは自分の弱さの象徴であることを自覚してください。

鎧兜に身を固め、完全武装していたら、自由自在になることができません。
鎧の下に深い傷を隠していれば、その傷はいつまで経っても癒されることはないのです。
仮面を外し、ほんとうの自分を見せましょう。
ほんとうにつよい人は、自分を無防備な状態にし、さらけだすことに、決して恐れを感じないはずです。
 



       クマとネズミとハート


無防備な状態になると、たくさんのものが与えられるのです。
それを体験してください。

そして、そうすることで、どれほど自分にとって満足感を得られるか、実験してみてほしいのです。
頭で理解しようとしなくてもよいのです。ただ、それを体験するだけです。
素直に体験してみればいいだけなのです。

ということで、
過去生回帰で自分の問題を癒し解放する』のセミナーに臨んでくだされば、
幸いです。




「正しさ」はその人の意識レベルによって異なる

2013年03月14日 13:10


「正しさ」はその人の意識レベルによって異なる



『「真実」はその人の「意識レベル」によって異なる その2』
            を読まれたT.Sさんの拍手コメントから



人によって「真実」…正しいと思うことが違う。そのことは仕事を通じて毎日のように感じることでもあります。
私は人によってその人の正しいは違うと思うので、私が思うことは伝えますが、押し付けることはしません。
ですが、人の「正しい」を振りかざす姿勢に相手を思う気持ちのない時にはそのことが本当に正しいのか?と、考えてしまうこともあります。
私は人を傷つけるとか、人そのものを大事にしない言動や思想が正しいとは感じられないです。
これも、偏った考え方なのでしょうか?



水色のバラのライン


ごもっともなご質問であると思います。
人の「正しい」を振りかざす姿勢に相手を思う気持ちのない時にはそのことが本当に正しいのか?と、考えてしまうこともあります』ということ、わたしもさまざまなことに思いを巡らしてみました。
今回は、そこから発展した内容を少しお伝えしたいと思います。

過去記事のなかの『真実は探求者の数だけある』という箇所で、わたしはつぎのように書いております。

★真実は探求者の数だけあるのですから、どれが「正しい」と断定することはできません。
思い込みの度合いは千差万別ですが、それぞれがその人の真実なのです。
また、探求者たちも日々成長し、進化していきますから、それぞれの成長に応じて真実も変化していくのです。


上記の「真実」を「正しさ」に置き換えてみていただくとおわかりになると思いますが、「正しさ」も人の数だけあるわけですね。思い込みの度合いは千差万別ですが、それぞれがその人の「正しさ」なのです。そして、それぞれの成長に応じて「正しさ」も変化していくのです。

自分から見て、たとえ相手が自己中心的な「正しさ」を主張していると思っても、現在の意識レベルではそれが相手の「正しさ」なのですから、「今のあなたにとっては、それが正しいことなのね」と認めるしかないのです。「あなたの正しさはまちがっているよ」と言ったとしても、わからない人にはいくら説明したところでわからないし、言えば言うほど気分を害されるだけですね。

低い意識レベルから生じている「稚拙な正しさ」に対して、一時的に腹が立つことはあっても、結局、意識の高い者が許容してあげるしかないということです。
人の魂のレベルには、赤ちゃん・幼少時期から老年期まであるので、そういう「正しさ」しか認識できない段階があっても、不思議はないということを知っておくことですね。

人を傷つけるとか、人そのものを大事にしない言動や思想が正しいとは感じられない」ということについてですが、それらを正しいと感じるか感じないかは、もちろんあなたの自由です。
それを正しくないと感じるのは、あなたの意識レベルでの判断です。ですから、あなたと同じ意識レベルで考える人は、あなたに同感の意を示されるでしょう。

この世の中の「正しい」と「正しくない」の境目がどこにあるのか? と言いますと、そんな境目など「ない」と言うしかありません。
「人を傷つける」と言っても、同じ言葉で傷つく人と傷つかない人が、現にいるのです。それも意識レベルの違いでそういうことが生じるので、結局「正否」の判断はつけられないのです。

自分にそのつもりが全然なくても、相手を傷つけている場合もありますしね。
勝手に相手が悪く受けとって、傷ついている場合です。

自分が相手を傷つけようなどと微塵も思っていないのに、なにげなく言ったことが、相手に悪く受け取られてしまった場合、それで相手がひどく傷ついたとしたら、それはどういうことになるのでしょうか?
現に相手は傷ついてしまったのだから、「正しくないことをした」ということになるのでしょうか?
それとも、それは相手の受け取り方の問題だから、言ったほうには責任がないということになるのでしょうか?

それがほんとうに人を傷つけたいと思って表した言動なのかどうか? を考えたとき、自分自身のことならわかりますが、他者の気持ちまではわからないので、相手がどういう意図でその言動に至ったかを判断することは大変難しくなってきますね。



    水仙


★ 人そのものを大事にしない思想とは? ★



「人そのものを大事にしない言動や思想」というのは、世の中のいわゆる悪い人間、気に入らない人間、言うことを聞かない人間、有害な人間は殺してもよいという理念が基盤にあるいわゆる「戦争」とか、「死刑」とか、そういうもののことを指しているのでしょうか?
確かにそれは命というものを軽視した意識の低い段階での考え方であり、行為であると思います。

ひとつたとえ話をしましょう。
今ここに極悪非道の人がいて、そのために大勢の人たちが苦しんでいるとしましょう。その悪人を捕えて死罪にすることはどうでしょう? 正しいことでしょうか?

天下の将軍や副将軍に対して刃向かった人たちや、民衆を苦しめているような悪党と呼ばれる輩を「成敗!」と言って、つぎつぎと倒すのを得意とする時代劇が日本にはありますね。成敗中は、必ず軽快な音楽がながれていますが。(笑)
このように、悪玉は最後には滅び、善玉が栄えるという筋書きで、「勧善懲悪の思想」にハマった作品が多々あるのを、皆さんも十分にご存じのことでしょう。

最後に悪者が懲らしめられ、滅びなければ、何だか気持ちが落ち着かないのでしょうね。ですから、必ず善玉のほうが悪玉を成敗して、「めでたし、めでたし」で終わることになっています。そういうパターンに自らハマって、気分良く見ている人たちがいるからこそ、そういう番組が長期にわたって存続するわけですね。

善いことを勧め、悪いことを懲らしめること。これは、道徳的な見解ですが、仏教でも「善いことをして悪いことはするな」という教えがあります。
そういう単純な教えを目にするとき、「では、何が善いことで、何が悪いことなのか?」、「善いことと悪いことの境目はどこ?」と考えることがあります。

結論から言いますと、愛と憎しみが同じ線上にあるように、善いことと悪いことも、同じ線上にあります。どちらかの割合が多いか少ないかだけのことです。

先ほど極悪人を死罪にすることについて書きましたが、その結果みんなが平和で幸せになって「めでたし、めでたし」となったとしても、極悪人の命を奪うという行為は「人そのものを大事にしない」行為であることにちがいはありません。極悪人からすれば、「天下の将軍ほど極悪なやつはいない」と思っているかもしれませんしね。
宇宙から見れば、どっちもどっちということになりましょうか。

そこで、「罪を憎んで人を憎まず」というような言葉が生まれてくるのです。



菜の花



★ 「罪を憎んで人を憎まず」について ★



罪を憎んで人を憎まず」というのは、「罪を起こす人間にも、それなりの理由や覚悟があるわけだから、その罪を犯した人間を憎むのではなく、その人を犯行に及ぼした種や理由を憎みなさい」という意味に使われているようです。ことば辞典を調べると、そのように書かれています。

罪を犯す人々が多いのは、社会が悪いからだという人たちはたくさんいます。支配者の政治が劣悪で酷いから、そういう人たちがたくさん出現するのだということです。
生きるためにはパンが必要。でも、仕事にありつけず、お金がない。勤労意欲はあるのに、誰も雇ってくれない。政府は何もしてくれない。それなら、パンを盗んでもいいじゃないか、泥棒をしても致し方ないじゃないかということになるわけです。

それが、彼らにとって悪を犯した「正しい動機」であるとしたら、それに基づいて犯した罪は憎むべきではないということになりましょうか。
その悪人を死罪にするのではなく、仕事を与えてまともな生き方ができるように懇切丁寧に指導することこそが、緊急に必要なのではないかと、わたしなんかは思うのですが…。

「悪いやつは懲らしめるべきだ」とか、「悪いやつは地獄に堕ちて当然だ」とか思っている人が、かなり多いように感じるのですが、その人とその人が行なった罪を別々に考えることがなかなかできにくいように思います。
皆さんがどのように思っておられるのか、正直なところを知りたいです。



ume


★ 裁かないこと ★



ヨハネの福音書」の8章1節~11節を読まれたことがあるでしょうか?
おそらくこのお話を知っている人は多いのではないでしょうか? 

これは、オリーブ山に行かれたイエスが朝早く宮に入ったとき、民衆が寄って来たので、教えを説いておられたときに起こったお話です。

イエスが人々に教えていると、律法学者やパリサイ人たちが、姦淫の場で捕えられたひとりの女をひっぱってきて、女を中に立たせて、イエスにこう言いました。
「先生、この女は姦淫の現場でつかまえられました。モーセは律法の中で、こういう女を石で打ち殺せと命じましたが、あなたはどう思いますか」と。

彼らがそう言ったのは、イエスをためして、告発する理由を得るためであったと、聖書には書かれています。
ユダヤ人は、モーセが語ったことは神の言葉だと信じていたので、もしイエスがこの女を赦したなら、イエスは神の使者ではないと判断することができましたし、モーセの律法通り、「石を投げなさい」とイエスが言ったとしたら、死刑執行の権利は当時ローマ人にあり、ユダヤ人はその権利を持っていなかったので、それに違反することになります。どちらにしても、イエスを告発することができるように企んだわけですね。

しかし、イエスはただ身をかがめて、指で地面に何か書いているだけでした。それでも彼らが問い続けるので、イエスは身を起こして彼らに言います。
あなたがたのうちで罪のない者が、まずこの女に石を投げつけるがよい」と。
そして、また身をかがめて、地面に何かを書き続けます。

それを聞くと、彼らは年寄り(年長者)から始めて、ひとりひとり出て行き、ついにイエスだけになり、女はそのまま残されます。イエスはその女に尋ねます。
「婦人よ、あの人たちは今どこにいますか? あなたを罰する者はいなかったのですか?」

彼女は言いました。「主よ、だれもいません。」

そこで、イエスは言うのです。
「わたしもあなたを罰しない。お帰りなさい。今後はもう罪を犯さないように」


\ピンクの玉


あなたがたのうちで罪のない者が、まず石を投げつけるがよい」とイエスは言っています。 イエスは「石を投げてはならない」とは言わず、「投げつけるがよい」と言っているのです。「モーセの戒めを実行してもよい」と言っているのです。
「姦淫するな」という戒めは、モーセの十戒のうちのひとつです。死罪をもって罰せられる重大な罪のひとつで、姦淫の罪を犯した男女は共に死に定められていました。(レビ記第20章10に記載)
イエスがその罪をけっして軽く見ているわけではないことがわかりますね。

但し、「罪のない者がこの女を裁きなさい」と言っているのです。
もし律法学者やパリサイ人たちに同じ罪があるのなら、彼らも石打ちの刑を受けなければいけないわけです。ですから、「罪のない者だけがこの石打ちの刑を執行する資格がありますよ」と言ったのです。
だいたい女だけ連れてくることにも問題がありますね。女の相手はどうしたのでしょうか?

これは、唯一石を投げる資格を持っていたイエスでさえ、罪として定めず、罰しなかったというすばらしいお話ですが、イエスを嵌めようとした律法学者やパリサイ人たちに対して、気持ちよいほど上手に言い交わしていますね。さすがです。イエスのすばらしさをここで感じますね。

よくよく考えてみるに、わたしたちはエゴに支配された存在であり、罪だらけの人間です。生まれてから何ひとつ罪を犯したことがないと言い切れる人間が存在するでしょうか?
その「罪だらけの人間」が「罪を犯した人間」を裁くことなどできるわけがありません。もちろん、裁判官であってもです。この地球に生まれてきている者たちは、だれも人を裁くことなどできないのです。

しかし、この世では、罪を犯した人は当然のことながら、罪を犯していない人までを罪に陥れ、死刑執行をするようなことが多々行なわれております。皆さんは、冤罪がいかに多いか、その真相をご存じでしょうか? 

この物理次元では、いくら悪行をしたところでお金を積めば容易に釈放が適いますし、ないことを勝手にでっちあげられて無実の人のほうが逆に罰せられるような、そんなおかしなことがまかり通っている世界なのです。
低い意識レベルによって都合よく作られた法律に照らし合わせ、人間を裁くことがどんなに罪深いことなのかに気づいている人は、さほど多くはいないように思います。
この世は、権力によって人殺しが平気でできる世界なのです。
このような世界に「正しさ」などある筈がありません。


\ピンクの玉


マタイによる福音書第7章に、イエスの言葉が書かれています。

人を裁くな。自分が裁かれないためである。
あなたがたが裁くその裁きで、自分も裁かれ、あなたがたの量るそのはかりで、
自分にも量り与えられるであろう。

なぜ、兄弟の目にあるちりを見ながら、自分の目にある梁(はり)を認めないのか。
自分の目には梁があるのに、どうして兄弟にむかって、あなたの目からちりを取らせてください、と言えようか。

偽善者よ、まず自分の目から梁を取りのけるがよい。
そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からちりを取りのけることができるだろう。



       アネモネ


わたしたちは、皆これまでに身についてしまった考え方や尺度、また、魂の成長度、意識レベルのちがいによって、人の「善し・悪し」や「正しい・正しくない」を判断しています。
これが「目の中の梁」なんですね。

★最近の過去記事に、わたしのハイアーセルフから「神の眼で見ることの必要性」を教えられたと記しました。

もしイエス・キリストならどう考えるだろう? 
神の眼から見たら、どうなのだろう?
宇宙から見たら、どうなのだろう? 

と、考えてみることで、皆さんもさらに意識が広がり、上昇するのを感じられることでしょう。

汝の敵を愛しなさい」、「汝の隣人を自分のように愛しなさい」というイエスの言葉の深さを考えるとき、素直に「然り」とうなずき、頭が下がりますね。
なぜなら、それ以上の愛はないからです。

自分のことや相手のことが好きだから愛する、嫌いだから憎む、愛さない。それは、多くの人がやっていることですが、たとえ好きになれない自分であっても、自分のことを大切にすることが必要だし、どうしても好きになれない相手であっても、やはり人として大切にしなければならないということです。

わたしたちは「すべての人を大切にし、また大切にされなければならない存在」だと、イエスは語っているのです。
これ以上の愛の言葉があるでしょうか?



ふたつのハート
「正しさ」はその人の意識レベルによって異なる……。

よって、だれが何を思っても自由ですが、
その思いに責任をとるということだけは忘れないようにしていただきたいと思うのです。

自分が責任を取ることができないような言動は慎む。
それは必要であると思うのです。

ものごとを二元で考えないこと。
どんなことでも、どんなものでも、
すべては同じところから、ひとつのところから生まれている。


それを忘れなければ、他者に対しても批判することなく、
愛を持って接することができるのではないかと思います。


これは、あくまでも今現在のカヴィーシャの意識レベルでの見解なので、
さらに進化したものの見方があるかもしれません。
また何か気づきがあったときには、お伝えできればいいなと思います。

とても長くなってしまいましたが、
Tさん、これでお答えになりましたでしょうか?



「流れに乗る」ことで成功を得ましょう!

2013年03月18日 16:00


先月末、このブログの読者歴も長く、最近はメール交換で親密となっているMさん(男性)が、長年従事してこられた公的なお仕事をお辞めになり、新しいライフワークへ向かって準備をされることとなりました。

心機一転して新しい道を歩み始める前に、ゆっくりと休養を取り、そこまでに至ったプロセスを整理して書き記すことは彼にとって必要なことであると感じ、体験談を書くことをおススメしました。
またタイミングよく、休憩できる時間がたくさんあったので、その作業をされるには大変よい時期でした。

下記は、先日いただいたMさんのレポートです。
彼は、5月のセミナーにも参加を希望され、やる気満々です。
今仕事を変えたいと思っている方、自分にふさわしい生涯の仕事を見つけたい人にとって、このレポートは大いに勇気を起こし、行動することの大切さを思い起こさせてくれることでしょう。



ライン ノスタルジック


~K.Mさんの退職に至るまでの体験談~
 
 


当初、役所に入ってからの約10年間は、毎日深夜まで働きつつも充実感を感じていましたし、自分の成長にとっても勉強になっていました。その頃の私は、職場の人々と考え方や意識がおそらくほとんど同じだったために、仕事にも違和感なく満足を見出すことができていたのではないかと思われます。

しかし、2008年にリーマンショックが起こって世界経済が頓挫したのをきっかけに、私の意識は変わり始めました。それはつまり、世界で実際に何が起こっているのか突き詰めて調べていったら、これまで持っていた常識的な世界観は表面的な理解に留まったものであり、リーマンショックを含め世界の政治経済は各国政府ではなく実は国際金融資本のような少数の支配勢力によって長年コントロールされてきたことなど世の中の裏の部分を認識するようになったからでした。

さらに驚いたのは、そのような裏の勢力がどうやら阻もうとしているにも関わらず、今の時代に地球と人類は次元上昇という宇宙レベルの大きな変化を経験しつつあるのを知ったことでした。私は、地球史上こんな激動の時代に自分は生まれてきて、今何をやるべきなのか、今のこの仕事に人生を使っていていいのかということを考え始めるようになりました。

一方、自分の職場もその一部となっている政府はといえば、リーマンショック以降の経済危機に対してはその場しのぎの対策しか講じず、毎年税収を大幅に上回る予算を組んで既に一千兆円を超える財政赤字を更に増やすことによって国民への負担を増やし続けていたり、2011年の東日本大震災に伴う原発事故に対してはネットや報道を見る限り情報の隠蔽や自己保身に動いていたりして、その姿勢や在り方に失意を抱くようになっていきました。

これまで長い間、私は世界を変えていくためには例えば政府のような一定の組織に入って世の中に働きかけていくことが必要と無意識に思っていたのですが、今の政府の状況を前にして、もはやそれが真実だとは思えなくなり、むしろ自分自身がまず変わることによりその結果として外界である世界も変わっていくのではないかと考えるようになっていきました。したがって私は、もっと自分自身に集中することの必要性を感じるようになりました。

そんな矢先の2012年に、たまたまカヴィーシャさんのブログを見つけ、その内容に引き込まれるようになっていきました。なぜなら、それは私が普段から問題意識をもっていた様々な事柄について、ブログ記事で広範かつ深遠に取り扱われていたからでした。記事を片っ端からから読みあさっていくうちに、自分も自己探究をもっと進めたいと考えるようになり、5月に数秘リーディングを受けさせていただきました。その結果、私の今生の課題は自己を確立し直観を究めることであるとカヴィーシャさんから指摘いただきました。

私は、これまでの役人人生のように頭で考えて慎重に生きていくよりも、今後は自分も直観に基づいて感覚で判断し自由に生きていきたいと思うようになりました。数秘リーディング以来、私はカヴィーシャさんのブログ記事についてメモを取りながら繰り返し読み直し、霊性に関する理解を深め、意識を高めるよう努めました。しかし、それは努力したというよりも、むしろワクワクするプロセスであり、魂が成長できることの喜びを与えてくれるものでした。

10月には東京・千葉の交流会に参加しましたが、そのとき行われた個人セッションでは、今の仕事についてもカヴィーシャさんに相談させていただきました。その結果、自分の決断を引き延ばし続けても何も変わらないし、やがては行き詰まるだろうというご指摘をいただきました。私は、もう自分の人生について方向性をはっきりさせよう、もしこれに対処できなければ今生ずっと思い悩み続けてきっと後悔して人生を終えるだろうと考え、これを機会になんとしてもケリをつけようと決心しました。


葉っぱ


そうなると必要な出来事がやってくるもので、そのきっかけが無農薬・無化学肥料の農業研修に応募するということでした。私は年齢制限など応募の資格用件を到底満たしていなかったものの、かねてからの願望として自然栽培に携わってみたかったので、不合格となるのを承知で応募しました。すると、意外にも書類審査を通ってしまい面接でも合格してしまったのでした。

日本や世界の農業や食は深刻な問題を抱えていますが、少なくとも現時点ではまだ人間の生存・生活や経済にとっての基本であるし、今後行き詰まっている資本主義が一旦頓挫したり東日本大震災のような大災害が再び発生したりすれば、食料の問題はより切実にもなってくるだろうと私は思っていました。

したがって、古い世界が終わりを迎え新しい世界が生まれつつある今の時代に、自分もそのような問題に取り組んで、その立て直しに貢献してみたいと考えるようになっていました。また、仕事や生活の環境として、都会よりも波動の高い自然に囲まれた中で自分を成長させたいという気持ちもありました。

私は想定外の農業研修に合格したことに縁と導きを感じたので、この際決断することにしました。この決断は、公務員という職業に留まり世間的な安全と安定を選ぶのか、あるいは先行きが分からないながらも心の声に従って取り組んでみたいと思う仕事に新たに踏み出すのか、という人生上の生き方の選択でもありました。


葉っぱ


私は自分の考えと意志について家族と両親に真摯に説明しましたが、この間、カヴィーシャさんからは愛と誠意をもって説得すればきっと理解してもらえるはずと励ましていただきました。また、2013年1月に鳥取にて開催されたセミナーではペンジュラムにより言葉のギフトをいただいたのですが、それは「流れ」に乗ることが大事というものでした。私にとっての流れとは、当時仕事を転向するよう動いていましたので、引き続きそれを進めても差し支えないという高次からのメッセージであると受け取りました。

なんとか家族や両親の理解を得た後、私は自分の辞意を職場に伝え、了承を得ました。役所勤務の最後の方は、ちょっとした追加的な仕事でも困難に感じたり、すぐに体調を崩したりして、頭で考えている以上にその職場が私の心身にとって負担となっているようでした。

過日、長年勤めた役所を円満に退職し、まずは農業研修に向けて一歩を踏み出すことができました。来年にはマクロビオティックをベースとしたオーガニック・レストランで働くことについても、先方から良い返事をいただいています。まずは食や農に関するキャリアを蓄積していってから、その後独立して事業をやってみたいと考えています。現在の心境としては、自分が鈍感だったり世間知らずだったりするのかもしれませんが不安や心配というものはなく、今までのように大きな組織に自分の力を預けることから解放されて、これからは自身で人生を創造していくことに期待と喜びを静かに感じています。

今後は自分の内なる声に従いつつ意識を高めながら、自然と共生し宇宙と調和するようなライフスタイルを目指して、それを世の中に広めていくような仕事ができればいいなと思っています。

このように新たな人生のスタートラインに来るまでは、前述のようにカヴィーシャさんには、ブログで勉強させていただきながら、セミナーやメールなどでご助言をいただいたり励ましていただいたりしました。昨年からの不思議なご縁のおかげで、私の人生は大きく展開し始めました。本当にありがとうございました。(了)


(Mさんの心情がよく表れている箇所をカヴィーシャが太字にさせていただきました)


川の流れ1

 
「流れに乗る」ことで成功を得ましょう! ★



もともと私的利潤のためではなく公的利益のために働きたいと思い、希望をふくらませて就職されたMさんでしたが、めまぐるしい社会情勢の変化とともに、しだいに政府が国民の利益を追求できているとは考えられなくなり、自分の行くべき道(方向性)がちがっているのではないかという疑問とともに、心境が変化していかれたことが綴られており、そのプロセスが大変よくわかります。

Mさんは、
これからはハートで感じ直観で生きる時代がやって来ようとしているのに、役所の人々はひたすら頭ばかりを使ってあとは体力勝負であると考えていて、ハートで捉えればもう時代遅れの政策でも、頭で理屈を正当化できてしまうし三次元的思考に囚われているので、これからも従来の政策を踏襲し続けると思われる
と語っておられました。

そして、「今の政府は、これからより高い次元に向かって社会を作っていく導き手となる資格に欠けており、壊れゆく古い社会秩序を維持するのに精一杯であり、結局はその混乱の中に巻き込まれていくだけではないか」とも。

的確なご指摘であると思いますね。
昨年は、Mさんの苦悩はしだいに身体にまで現われるようになっていましたが、心よりも先に身体が拒絶反応を起こしていたんですね。そのことを、彼は身を持って知らされたということです。
その後、自分にとってもはや役に立たなくなったもの、古いものとの決別をおこなったことによって、Mさんは「流れに乗る」というすばらしいギフトをもらわれることになります。
まさに宇宙からの贈り物ですね。


流れる


「流れ」とは、前進しようとするときに、一生けん命に努力をしなくても、あらゆるものがひとりでに、ごく自然にやってくるということです。
それは自分の選んだタイムラインにつながっているため、とてもうまくいくのです。

木の葉が川の流れに乗ってさらさら流れていくような、とても楽な状態ですね。
そして、そこにはタイミングの良さと、待ち遠しくてワクワクするようなうれしい気持ちがあります。
流れていくプロセスのなかに、すばらしい恩恵が待ち受けていることを予感するからです。 

これまでじっと寒さに耐えていた草木が芽吹き、陽光を浴びて生き生きとし始めたように、Mさんの新たな人生が始まっています。
もしかしたら、木の葉が何かにひっかかって、暫しのあいだそこに留まらせられるような課題が、これからもつぎつぎと生まれてくるかもしれません。

けれども、それらの問題は自分の成長のために必要なのだと思い、すべて受け容れてください。
そして、ギフトのほうにいつも目を向けていてください。

流れに身をまかせ、コントロールすることをやめて、起こることを受容しましょう。
それが成功への近道なのです。 


★過去記事「高い意識が組み込まれた食物が意識の変容を促す」のなかで、『意識の高い生産者が緊急に必要であること』、『新しい意識をもった生産者が、質のよい生命力のある食べ物を生産し提供することで、わたしたちの意識の変化が促されるのだという真実を知ってほしい』ということ、『食べ物による意識改革をしましょう』ということを書きました。

Mさんのように直感とハートを大切にしたいという方が、農業や食に関するお仕事をなさることは、ほんとうにうれしいことです。
Mさん、これからですよ。がんばってくださいね。

★参考記事「高い意識が組み込まれた食物が意識の変容を促す
まだお読みでない方は、ぜひお読みください。


ふたつのハート

この記事を読んでおられる皆さんも、
もし「自分が流れに乗る」ことができていないと思うことがあっても、
心配しないでください。

そういう体験が、さらに深遠な気づきをもたらすこともあるからです。
今障害があるのは、さらに大きな成功を得るために、
まだまだ気づくことや、学ぶことがあるからですね。

物事は、必要があるからこそ起こっているのです。
そのメッセージに気づくことが大切なのです。

今自分がまったく楽しめないこと、楽しくないこと、楽しんでいない物事を
やめる第一歩は何でしょうか?

聡明な皆さんなら、もうお解りですよね。

          こぐまとハート

解らない人は、どうしたら楽しくないことをやめられるかを学ぶことです。
そして、自分をもっと愛し、尊敬することの大切さに気づいてください。
それが答えです。





自分の感性を研ぎ澄ませ、多次元を認知しましょう!

2013年03月28日 10:50


★ 花粉と黄砂とPM2.5 ★



皆さん、こんにちは!

2月あたりから、花粉が大変多く飛来しており、昨年よりも花粉症の症状が重いというデータも出ているようですが、あなたは大丈夫でしょうか?

黄砂の被害も多いですね。この時期には外に洗濯物が干せません。車のフロントガラスにも黄砂は付着し、洗車しても、きりがないですね。
黄砂アレルギー」という言葉もあるようです。黄砂の主成分のシリカというものによって肺や気管支、鼻や目の粘膜を傷つけられた状態、すなわち黄砂が付着することによって引き起こされた炎症状態をそう呼んでいるようです。しかし、黄砂自体は蛋白質や金属ではないので、アレルギーを起こすアレルゲンにはならないということですから、実際には「黄砂によるアレルギー」は無いということになります。

また、今年はPM2.5の被害も重なり、それによって花粉症が悪化するなど、三重苦となっています。
参考までに、エコノミックニュース 2013年3月1日 10時23分 (2013年3月11日 12時55分 更新) の記事を紹介しておきたいと思います。 



青い蝶のライン



 中国で問題となっている大気汚染。その大気汚染の原因の一つとされているのが、直径が2.5μm以下であることからPM2.5と呼ばれる微小粒子状物質である。PM2.5には、ディーゼル車や工場の排ガスに含まれるすす成分をはじめ、硫黄酸化物や窒素酸化物など多様な物質が含まれており、人が肺の毛細血管に取り込むと、呼吸器や循環器系に悪影響を及ぼす可能性がある。

 中国で発生したPM2.5は、気象条件に応じて日本へ飛来。夏場や冬場は比較的少ないものの、春先は西から東へ進む移動性高気圧に運ばれてやってくるため、PM2.5の日本への飛来は3~6月が最も顕著になるとされている。

 こうした状況を受け日本気象株式会社が、PM2.5に関する日々の予測情報を、携帯、スマートフォン向けのサイトにおいて無料配信するサービスを開始した。配信されるのは、携帯電話・スマートフォン向けサイト「お天気ナビゲータ」内の特設コーナー。PM2.5の飛来予測は、日本における環境基準値に照らし合わせ「非常に多い」「多い」「やや多い」「少ない」の4段階で提供。首都圏や近畿、九州北部など全国12エリアの予測を1週間先まで提供し、今日明日の予測に関しては時間帯別にも配信する。また、アジア域でのPM2.5予測をアニメーションでも配信するとのこと。

 空気清浄機やマスクを生産・販売する企業などにとっては成長・回復の端緒となるのかもしれないが、いずれにせよ歓迎すべき事態ではない。今回発表されたようなPM2.5に関する予測情報配信サービスが必要とされること自体が異常と言うべきであろう。また大気汚染だけでなく、水質汚染も大きく報じられている。汚染された川の水や地下水はいずれ海へと流れ込み、海流にのって日本にも届くであろう。そして、いずれの公害に関しても、有効な対策が見受けられる状況にはない。中国の安価な労働力や高い経済成長、内需の大きさなどに目がくらんだ代償としては、あまりにも大きすぎる代償と言えるであろう。(編集担当:井畑学)



黄色の蝶のライン


PM2.5とは、大気中を漂う物質のうち、直径2.5マイクロメートル(マイクロは100万分の1)以下の特に小さな粒子のことです。工場の排ガスなどに含まれるすすが主成分で、吸い込めば肺の奥や血管に入り、ぜんそくや心疾患などのリスクを高めるとされています。環境省は2009年、人の健康を守る目安となる環境基準を、年平均で大気1立方メートルあたり15マイクログラム以下、1日平均で35マイクログラム以下と決めています。 
                         『朝日新聞掲載「キーワード」の解説』参照


★下記は、「中国の大気汚染PM2.5のPAH・NPAH」の記事からの抜粋です。

中国では、殺虫剤の原料になる安いVOC(揮発性有機化合物)で薄めた殺虫剤ガソリンで走る車や、硫黄分の多い軽油で走る整備不良のディーゼル車なども存在していて、PAHだけでなく、より毒性の強いNPAHを大量に排出しています。
PM2.5を構成する主要な微粒子である硫酸塩エアロゾルと黄砂とPAHがブレンドされた空気が、日本に飛んできて、花粉症や咳を悪化させています。

~PAHとは、毒性のある「多環芳香族炭化水素」のこと~

PAHとは、英語名が、Polycyclic Aromatic Hydrocarbon で、ベンゼン環を多数持つ、多環芳香族炭化水素の総称です。
PAHは、化石燃料の他、木材、タバコ、焼肉、お香などの不完全燃焼や熱分解によって生成されるほか、天然物として原油にも含まれています。
PAHは、PCBやダイオキシンと同じように、人体の組織(多いのは肺や肝臓)に存在するAhR(芳香族炭化水素受容体)に結合することで、毒性を発現して、生体に害を与え、肺気腫を引き起こすこともあります。

発癌性
突然変異誘発性(催奇形性)
免疫低下(胸腺の萎縮)
ストレス感(抑うつ感)を増す
呼吸器・循環器・アレルギーなどの悪化
咳喘息
花粉症の悪化
エストロゲン(女性ホルモン)撹乱作用(環境ホルモン)
不完全燃焼時、ダイオキシンの数万倍の量が発生
大気中では、ガス状または粒子状として存在
降雨や河川などにより水質汚染や土壌にも移行
海水1リットルに数μグラムの濃度で、プランクトンに害
光や微生物によっても分解されにくい
食物連鎖による蓄積



さらに詳細を知りたい方は、http://kobe-haricure.net/health/e83.htm をお読みください。

PM2.5の発生原因については、中国のせいではないという意見もあるようですが、そうはっきりと断言できるかどうかは疑問です。中国の人たちにとってもPM2.5は有害であるわけですから、近隣の国が智恵を出し合って対策を考えるのが緊急に必要なのではないかと思います。中国の人たちは、もっと謙虚さをもち、協調性をもつことが大切ですね。


        たんぽぽの妖精2女の子


★ 花粉症はどうして起こる? ★



せっかく暖かく過ごしやすい季節になったにもかかわらず、このようにさまざまな現象が起こって体調が悪くなったり、外に出られなくなったり、生活しにくい状態が続いていますね。

わたしも、花粉症が例年になくひどいです。
ほんとうはスギやヒノキなどの花粉症ではありませんし、原因となっているような思い当たる樹木もないのですが、やたらと鼻水が出たり、目がかゆくなったりするのです。だからと言って、ハウスダストが原因でもないのです。
うちには、ご存じのように猫が6匹もおり、わたしの部屋には四六時中猫がおり、猫の毛もたくさん空中に舞っていると思います。でも、わたしは猫アレルギーではありません。そうであれば、一年中そういう症状があってもよいと思うのですが、冬のあいだはまったくそういう兆候はみられなかったのです。

ところが、花粉症の症状がひどくなった3月、わたしはその大きな原因のひとつを知ることとなりました。
同じ部屋にいて、窓も戸も閉め切られているにもかかわらず、突然くしゃみが出始めたことがあったのです。同時に目がかゆくなり、鼻水もどんどんながれてくるような感じでした。そのとき、何かおかしいと思い、ハイアーセルフに尋ねてみたのです。「花粉が、このような症状を起こしているのですか?」と。
すると、「ちがう」と言うのです。それで、わたしは再度尋ねました。「もしかしたら、ここに妖精がいませんか?」と。
すると、「確かに妖精がいる」と答えたのです。

妖精は花粉を持ってくるので、妖精が来ると、そういう症状が起こるということは以前から知っていたのですが、さらに今回はっきりとわかったことは、症状を起こすのは花粉そのものではなく、妖精のネガティブエネルギーであるということでした。
妖精はたいてい4次元にいる存在で、妖怪とほぼ変わらないほどの意識レベルのものが多いのです。
その妖精たちが、人間に対して多大な憎しみを持っており、その波動が来ると、敏感な人たちはそのよくないエネルギーを身体に取り入れるのを拒否してそういう症状を引き起こすと考えられるのです。
霊的に敏感である人は、花粉症にもなりやすいのではないでしょうか?

もちろん、人によっては様々な要因があるので、妖精だけがその原因だと断定することはできません。ただ、少なくともわたしに関しては、そうなのだということがわかったのです。

まずわたしの部屋に、いつの頃からか住み始めた妖精がひとり? 一体いたのは事実です。その妖精を次女が見つけたとき、次女自身も突然目のかゆみを覚えたと言っています。
以前から、他の部屋では何ともない長女や次女が、わたしの部屋に来るたびに目のかゆみを感じていて、急に鼻水が出たりしていたのです。大方部屋が玄関に近いため、花粉が多く入ってくるのだろうと考えていたのですが、どうもその妖精が原因だったように思われます。


妖精


妖精はとても小さな長い金髪の女の子で、次女の目の前を急スピードで通り過ぎたときに、次女に見つかったのです。
その後も、やはり次女が台所で見つけ、「妖精はお母さんのことが好きみたいだよ」と言ったのです。
なぜなら、わたしの後をついて回っていたからです。まるで、うちの猫たちのようにです。
しかし、そのために花粉症になっているのですから、全然うれしくはありません。何とかならないものかと思いました。
それで、「あなたがいると、こんなに鼻水が出るし、とても不快で迷惑だから、この家から出てくれないか?」と、その子に頼んでみたのです。

そもそも妖精がなぜわたしの部屋に来たのかということですが、「住むところがなくなったから」だとその子は言うのです。確かに、その子が来る一週間くらい前から、夫が毎日庭中の草むしりをしており、最近はとてもきれいに清々しくなったと思っていた矢先のことでした。

「日本国中どこに行っても山はあるし、自然はいっぱいあるのだから、どこへでも好きなところに行ったらいいでしょう?」と言うと、その子はとても聞きわけがよく、すぐに出て行ってくれました。

ところが、ホッとしたのも束の間のことで、その子はまた戻って来たのです。そして、「私の住みたいところがない。ここが好き」と言う始末。次女が言うのは、どうやらその子は、わたしのところで何か学びたいことがあるとのことでした。

その子の意識レベルはめずらしいことに5次元だったのですが、この子の波動をさらに上昇させれば、症状は出なくなるのではないかと思い、その子に光の放射をしてみたのです。あとで調べると、5次元から7次元の意識レベルに上昇していることがわかりましたが、確かにその子の波動が良くなると花粉症が出なくなったのです。

その子は花ではなく、樹の妖精だと言うので、樹にちなんだ名前をつけてあげようと思ったのですが、それは嫌だと言うので、「ライトフラワー(光の花)」という名をつけました。彼女はその名をとても気に入ってくれたようです。
でも、もうその子はいません。7次元の意識レベルになったら、どうやら学ぶことも終了したらしく、どこかへ行ってしまったようなのです。
「なーんだ、他の妖精が来たら、彼女に追っ払ってもらおうと思っていたのに、残念!」って、感じです。(笑)

妖精たち


それからというもの、わたしの花粉症は治まってしまったのです。
ときどき、別の妖精たちが来ると忽ち花粉症が出ましたが、彼らが去るとピタリと治まるのです。
ですから、花粉症が始まると、ライトフラワーちゃん以外の妖精が来ていることがわかるので、来ると彼らを早速追い出すことにしたのです。
これは大変興味深い実験だったと思います。
妖精たちに出て行くように言い、すっかり追い出してしまうと、症状がなくなるということを毎回繰り返し、それがわたしに関してはまちがいのない事実であることを知ったのです。

皆さん、妖精というのは人間の数の何百倍も数が多いのです。そんな連中が人間に害を与えているのはなぜだと思いますか?
人間が自分たちだけの利益を考えて、森林の樹木をむやみやたらに伐採し、自然を破壊しているからですね。
妖精たちはそういう人間たちに対して、ものすごい怒りや憎悪の波動を出しているのです。

何とかやめさせて!

それが、妖精の女の子がわたしにうったえていたことでした。
「それなら、直接木を切っている人にうったえなさい」と言ったところで、そういう人間たちに妖精の気持ちなんてまったくわかりませんから、わたしのような、少しでも波動の読める人間のところにやってくるしか手がないわけなんですね。
ということで、皆さん、自然破壊から植物や動物を守るという意識をもって生きていただきたいと思います。

スーパーなどで買い物をしているとき、突然くしゃみを連発し始め、止まらない人をよく見かけます。
花粉が飛来しているのなら、そこら辺にいる人たちの幾人かは何らかの反応を起こしてもよさそうなものですが、実際にはその人だけだったりしますね。不思議な現象です。

突然自分だけくしゃみが止まらなくなり、目がかゆくなり、鼻水が流れだしたら、もしかしたら妖精が魔法の粉をふりかけたのかもしれません。
今ここに妖精がいるのです。だったら、ちょっと話してみたらどうでしょうか? 
あるいは、光で包んであげたらどうでしょうか?
妖精がそれを喜んでくれたなら、もしかしたら、あなたの花粉症は治るかもしれません。



ピンクの蝶のライン



★ 当ブログ「思いの制限をひらく」について ★



ブログを始めた当初から申し上げている通り、このブログの内容につきましては、まったく鵜呑みにする必要はありませんので、わざわざ「鵜呑みにできない」とコメントされる必要はありません。
また、初回訪問者の方々には《プロフィール》の箇所で、カテゴリ「真実はその人の意識レベルによって異なる」をお読みくださるようにお願いをし、「これは、わたしの意識レベルでの真実ですから、あなたの見解とは異なっているかもしれません」と申し上げておりますので、その旨を理解できてさえいれば、あれこれと記事の信憑性を疑われる必要もないでしょう。
(あとの詳細は《プロフィール》の~はじめて訪問された方へ~をお読みください)

皆さん、この幻想の世界では、何が存在してもおかしくないのですよ。
目に見える世界にだって、まだまだ人間が見知らない生物たちが生きているのです。こんな生き物がいたのかと思うほど、様相が不可思議なものたちが星の数ほどいるのです。見えない世界なら、なおさらですね。

「こんなものはいない!」という思いの制限を取り払いましょう。
そのためにこのブログはあるのですから。


皆さんのなかに、多次元世界を認知できている人がどれくらいおられるかわかりませんが、感知能力が優れていればいるほど、いろんなものの存在を感じられているはずなので、たとえキチガイと言われようが、何と言われようが、気にしないことです。

(過去記事参照 「気づきの度合いはその人の意識レベルに比例する」)


また、愛と感謝の波動を持ち、少しなりともマナーを心得ている人ならば、たくさんの情報をもらっておきながら、黙って立ち去ったり、わざわざ批判的なコメントを残したりされることもないでしょうし、自分は悟りの境地を得たと自負されるほどの意識レベルの高い人なら、まずこのブログを訪問されるようなことはないでしょう。
ブッダが、ネットのブログを探しまわる必要性などあるでしょうか? 

ご質問なども、全ての記事をお読みになって、それでもわからないことがあればどうぞと言っております。
日本の教育は子どもたちにじっくりと考えさせることなく、すぐに答えを与えてしまうので、大人になっても何でもかんでもすぐに訊く癖がついてしまった人が多いように思います。

次女は子どもの頃、わたしのことを生き字引だと思っていたようで、それこそ何でもすぐに訊いてくる子でした。
そこでわたしは「これで、自分で調べてごらん」と言って、彼女に辞書を与えました。それ以来、言語に関することは質問することはなくなったように思います。今はネットがあるので、辞書は必要でなくなりつつありますが。

皆さんは考える能力をお持ちのはずですから、まずは自分で考えてみられてはいかがでしょうか?
そして、感じてみてください。

それもしないでいて、すぐに答えを欲しがっても、結局それは身につかないのです。
深遠な答えを差し上げたとしても、結局は無駄だということです。
自ら実験もしないでいて、とやかく言わないこと。まずは自分で体験して知ってください。
知ってしまえば、わざわざ信じる必要性はなくなりますから。
わたしの「ブログの趣旨」を把握していただく前に、まずは日本語を理解できるようになっていただきたいと心から願うしだいです。

過日、思いきってこのブログに掲載されていた「コメント欄」を総て無くすことに致しました。(「拍手コメント」とは別のものです)
良質な波動と意識レベルを保つためには、全ての人のご質問やコメントの記載ができにくいのです。よって、これまでコメントをくださって、表示させていただいていた内容もすべて消えておりますので、悪しからずご了承ください。
現在は、記事に対して魂が共鳴した人たちが書き残してくださっている「拍手コメント」のみとなっております。

じつは、これまで読者の皆さんが書かれた感想文や体験談などの中にも、ネガティブな波動を放っているものがあり、すべてが良質な波動の内容ばかりではありません。それは、読む人が敏感であれば感じとられるであろうし、その波動の違いというものを感じとる練習にもなるだろうと考え、今はまだ敢えて残したままにしております。
次女や長女のように、波動に敏感であればあるほど、ネガティブ波動を発した文章は読めなくなるのではないかと思います。

思いの制限をひらく」と「光の花束〈不滅の詩〉」。
このふたつのブログにまだ触れていないような内容は多々あるのですが、はっきり申し上げて、それをさまざまな意識レベルの人が集うインターネット上で公開するのはどうかな? という思いがあります。
それはどういうことかと言いますと、今でさえカン違いが多く、理解していただくのが難しいなかで、それ以上の内容を書いても全くチンプンカンプンになる可能性が大ありだということなのです。
おそらく多次元を認知できる意識レベルでないと、全く理解されないということが起こってくるということです。

ですから、これからは「真剣に学びたい、気づきたいという人たち」がおられれば、「セミナー」や「個人レッスン」を通してお伝えするというかたちをとっていきたいと思っています。
その時々にお知らせする内容をご覧になって、「知りたい! 学びたい!」と思われたなら、ご参加くだされば幸いに思います。



 ピンクのバラのライン

     狭き門から入れ。
     滅びにいたる門は大きく、その道は広い。
     そして、そこからはいって行く者が多い。
     生命にいたる門は狭く、その道は細い。
     そして、それを見出す者が少ない。 

     (マタイによる福音書 7章13~14)



 ピンクのバラのライン


   ふたつのハート
       
    いい加減な気持ちで臨む人には、
    いい加減な答えしか与えられないでしょう。
    真剣さがあり、知りたいという意志があればあるほど、
    深遠な答えがその魂に届けられるのです。

    いつの世も、狭き門を見つけ、
    そこから入ってくる人たちだけが
    真実の生命の救いに到達できるのです。 
       
    これからの地球人は、
    多次元世界を感じることが真に必要となります。
    皆さん、もっとアンテナを伸ばし、
    感性を研ぎ澄ませましょう。



  


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