「未熟な魂」と「成熟した魂」―あなたはどっち?

2012年07月05日 18:25


★ あなたはどんなカルマをもって
    生まれてきたのか ★



わたしが行なっている「数秘リーディング」では、まず「どんなカルマをもって生まれてきたか」ということをごく簡単に調べます。(調べたらきりがないので、超簡単にしか調べませんが)
それは、「1~9までの数字のエネルギー」として表し、知ることができます。
ひとりひとりに過去生があって、多数の人生を送ってきているわけですから、当然解消されなかったカルマというのがあるわけです。

たくさん学んで体験してきたエネルギーほど、カルマもまた多く残っている場合が多いのですが、まだ納得がいかず、満足ができないために、それを今生でクリアーしたいがために、さらに学びを求めて、再び同じ数字のエネルギーを選ぶ場合があります。

1~9のエネルギー」のなかで、全く学びや体験のないエネルギーがいくつもあって、その人の分霊もまったく体験していないという場合は、『若い魂』である可能性が高いです。
若い魂』というのは、『古い魂』に比べて転生が少なく、未経験者ということです。これは、返ってきたレポートの「気づき」などを読みますと、たいていわかってしまいます。

では、『若い魂』と『古い魂』は、どんなちがいがあるのでしょう。

これから述べる話は、今から18年ほど前に『マイケル』という存在をチャネルするホセ・スティーブンスという人から聞いた内容がベースとなっています。
とても同感し、納得できる内容であると感じたので、わたしなりの表現方法で、皆さんにお伝えしていきたいと思います。



紫のあじさい
梅雨の晴れ間にひらいた紫のあじさい  撮影 光の仕事人




★ 自分の魂が若いか古いかの見分け方 ★ 


     ~「未熟な魂」と「成熟した魂」のちがい~


さて、自分の魂が若いか古いかを、どのようにして見分けたらよいでしょうか?
その見分け方のいくつかをお話ししたいと思います。

たとえば、あなたが動物たちをどう取り扱っているか、動物にどう接しているかということでも判断できるのです。

世の中には、動物を危険な存在だとして、すぐに殺そうとする人って、いますよね。
ただ単にエサがほしくて山を下りてきたクマさんを、すぐに撃ち殺せと命じたり、実際に殺したりするハンターたちがいます。
自分たちの日々の食べ物としてだけではなく、常に大量の動物を殺したり、大量の魚類を獲ることを生業にしている人たちは、幼い魂の持ち主であるということができます。
また、動物をわたしたちの仲間としてではなく、人間の生活に役立てるために利用しようとする人たちは、やはり若い魂の持ち主だということができます。
(実際に人間の子どもたちというのは、平気で虫類や小動物を殺したりしますね)

では、古いおとなの魂の持ち主というのは、どうなのでしょうか?
成熟した魂を持った人たちは、動物たちと共存することができます。
動物たちをいのちある友人として、親しくコミュニケーションをとることができるし、思いやりと理解、尊敬の気持ちを持って関わることができるのです。

★動物と話せるハイジやムツゴロウさんなどは、古いおとなの魂の持ち主と言えるでしょう。
ただ単に自分が好きで動物を飼育している人や、番犬のように四六時中繋いで拘束しているような人たちは、動物を利用しているだけですね。動物をどう扱い、どのように触れ合っているかは千差万別です。
動物の要求がわかり、気持ちがわかるかどうか、最終的には動物と話せるかどうかを目安にしてください。


いかがですか? 
あなたはこの地球上に存在する動物や鳥類たちに対して、どのような思いを抱いておられるでしょうか?



カモのお散歩2
     カモのお散歩   撮影 光の仕事人



もうひとつは、「あなたはいつも何を食べているか?」ということです。
このことについて、ホセ氏は触れていませんでしたが、牛のような動物の肉を毎日食べないと満足できないという人たちは、やはり『未熟な若い魂』ということになるでしょう。
地球の仲間を平気で殺して食べるなどということは、真に『成熟したおとなの魂』なら、できっこありませんから。
また、同じものばかりを食べて、新しい未知のものを食べてみようとはしない人も、『未熟な若い魂』だと言えるでしょう。

ナチスのヒトラーは、毎日同じ朝食しかとらなかったということを思い出しますが、同じものばかりを食べて、新しい未知のものを食べてみようとはしない人は、なぜ未熟な若い魂なのでしょうか? 

新しいものにチャレンジしようという意欲が、『未熟な若い魂』には無いからなんですね。
経験のないことは不安で恐いし、慣れ親しんだものしか受け入れられなくて、それにしがみついているからです。
魂が成熟すると、これまでにいろんな体験をしてきているので、新しい料理でも何でも喜んで食べることができるし、楽しむことができます。そして、いちいち料理の本などを見なくても、どんなものでも作ることができるのです。

魂が若ければ若いほど暴力的であり、狭いものの見方しかできません。動物を恐がるだけではなく、自分とは全く異なった人や、知らない人たちに対しても恐れを抱きます。そして、他の人たちも自分と同じ程度の存在であってほしいと望むのです。

それに対して、魂がおとなであればあるほど、考え方が柔軟で大きく、広くなります。自分とちがった人や、異なったものの考え方に対して恐れを抱かないし、むしろ「ちがう」ということに喜びを感じるのです。そして、いのちあるものに対して、より尊敬の念を抱くことができます。だから、人にも動物にも、やさしくしてあげられるのです。

また、魂が未熟だと、教えられたことに対してまったく疑問をもたないで、簡単に受け入れてしまいますが、魂が成熟していると、教えられたことや、他人が信じていることなどをそのまま鵜呑みにはしないし、自分自身の独創的なものの見方、考え方ができるのです。



青い玉



★ カルマは学ぶために必要な課題 ★



若い魂たちはたいていカルマを解消するのではなくて、まずカルマを創りだすという転生を送る」とホセ氏は言っていました。つまり、「こういう行動の結果、こうなる」というレッスンを学ぶために、カルマは必要なんですね。

カルマの最中にいるとき、わたしたちは混乱した状態になり、解決するのがとても難しいと感じます。
でも、カルマが解消されたときは「あー、ようやく終わった!」と明確に感じることができ、混乱からとてもクリアーな気持ちに変わりますね。
カルマをもっていることはつらいことだとか、恐いことだとか、否定的に捉えている人はたくさんおられるかもしれませんが、カルマを持つということは悪いことではないということを知ってください。
むしろカルマがないと、学ぶことができないのです。

幼児が歩くときに転ぶのは、悪いことではありませんね。転びながら歩くことを学んでいくわけですから。
学ぶためには必要な課題なのです。ですから、カルマを嫌がらないことです。

自分を許していけると、より学びが速くなる」とホセ氏は言っています。
子どもが転ぶたびに、おとながその子を「だめだ」と言って叱ったり、叩いたりしたら、その子はけっして歩くことを覚えないでしょう。だから、自分自身をけっして否定したり、苛めたりしないようにすることです。
問題を抱えているからといって、自分を責めないこと。自分自身に対して、許したり、癒したり、優しくなることを学ぶことが大切だということです。

そして、だんだん年を重ね(転生を繰り返し)、おとなの魂となってくると、「カルマを解消する」ということを学ぶのです。
おとなの魂にとって、人生というのはなかなか難しく、自分に起きてくることに対して、「これは不公平だ!」と感じることがたくさんあると思います。でもそれは、すべての原因があっての結果なんですね。

若い魂』は、カルマというものを非常に原始的なやり方で取り扱っていきます。「目には目を、歯には歯を」という言葉がありますが、その通りを行なうのです。
たとえば、あなたがある帝国の民で、支配者をものすごく嫌悪し、軽蔑していたとします。そうすると、次の生であなたは支配者となって、自国の民をものすごく嫌悪し、軽蔑するという人生を送ります。そしてこれを完全に自分が理解するまで何度もこのことを繰り返すのです。
(過去記事を思い出してください。異星のオリオン人たちも同じことを繰り返していましたね)

でも、『おとなの魂』は、カルマを解消するのにもう少しクリエイティブな方法をとるのです。
たとえば過去生で、もし誰かを殺してしまったとしたら、今生においては、逆に殺した人に殺されるのではなくて、あなたがその人の魂を救ってあげるとか、そういう方法で解消するのです。
『おとなの魂』はだんだんやさしくなり、他の人を助ける存在になっていくんですね。

わたしたちは生まれてきて、最初の35年間でカルマを解消しようとしたり、創りだしたりするのだそうです。最初の35年間が大変だというのは、そこにあるのだとホセ氏は言っています。
数秘リーディングでも、36歳以降は「成熟数」としてのエネルギーがあり、その影響が強まると考えますが、そういう理由があったのです。
(現在「成熟数」については、特に必要だと感じた人にしかお伝えしておりませんので、ご了承ください)


青い玉



★ あなたが抵抗を感じているものに
      あなたはなる★



マイケル』という存在は、
いつでも自分が抵抗を感じているものに自分はなってしまいます。あなたが好きでないものにあなたはなるのです。これは単に学ぶための方法なのです。もしあなたが、女性が好きでないとしたら、あなたは女性としての性を選ぶでしょう。もし男性になりたくないと思っていたら、あなたは男性になって生まれてきます。常にそうある状況というのはどういうものかというのを学ぶためにそれを経験するのです
と語っています。

もしあなたが貧乏であるということを受け容れられないとしたら、あるいは、お金をたくさん持っている人を嫌っているとしたら、その嫌いなものになって、あなたは自分でその問題を抱えることになりますよということです。
もしあなたが別の宗教をもった人、別の人種を嫌いだとしたら、あなたはその存在になるということなのです。

あなたが抵抗を感じているものにあなたはなる」ということ。
先ほど述べたように、この法則に従って、あなたは両方の役割をくり返しくり返し、交替して演じているということです。

役割を替えて、相手の気持ちになってみるということ。これによって、あなたは慈しみの気持ちを学ぶことができるわけですね。そして、しだいにあなたは統合されていくのです。

ですから、ひとつのことに対して、非常な嫌悪を感じているとしたら、あなたは過去生において、実はその存在だったということ。そして、もしその感情を今生でクリアーできない場合には、また逆の立場で、来生で経験することになるということを覚えておいてください。

魂の未熟な人たちは、地球という名の場所を借りて、もっともっといろんな体験をして、魂を成長させる必要があるということなのです。また、地球に限らず、宇宙の生命体は、みんなそんなふうにさまざまな体験をするために、くり返し生まれ変わっているわけですね。
それは、皆さんがどうやって全体性を取り戻すか、完全な存在になることを思い出させてくれるゲームなのです。

ふう~む、な~るほど。そう言われれば、そうかもしれないな~と、思われたでしょうか?
それはあなたが判断してください。その判断力は、やはり魂の成長度によってみな異なってくるのですから。


ピンクの玉


ハート
わたしたちは、自分が最初は誰であったのかを完全に忘れています。
わたしたちはこの肉体のなかにいる個人が自分だと思っていますが、
だんだん転生を重ねていくと、自分はこれだけの存在ではないということに気づきます。

そして、少しずつ自分と自分以外の存在とのあいだに隔たりはなく、
わたしたちは皆ひとつのものだ」ということに気がつきはじめるのです。

そして、最終的に、もうお互いに「わたしたちには隔たりがないのだ」と完全に理解したときにゲームは終わります。つまり、ゲームに勝ったということですね。


人生は自分自身を思い出すゲームだ
マイケルはそう言っていますが、その通りだと思います。

今生じている問題、カルマを通して、自分自身を思い出してください。
それが、今生であなたの為すべきことなのです。




「セルフカルマ」を受け容れること

2012年07月09日 03:00


★ あなたが生まれる前に交わした契約とは? ★



わたしたちはひとつひとつの転生において、新しい物理的な肉体と、新しいパーソナリティを選んで生まれてきます。あるひとつの目的に向かって、自分の人生をデザインして誕生するのです。
新しい人生でまとう身体も、自分にふさわしいものを選びます。
そして、ひとつの転生において、ひとつの契約を決めて生まれてくるのです。

このブログの読者さんのなかには、お子さんをもっておられる方々もいらっしゃると思いますが、あなたにお子さんがいるのは偶然ではありませんね。またお子さんのほうも、あなたのもとに生まれてきたのは偶然ではありません。夫婦、友人、兄弟姉妹も同様です。
わたしたちは他者としっかりと契約を結んで、お互いの仕事を一緒にしようとか、こういうレッスンを学び合おうとか、いろんなことを決めて生まれてきているのです。

契約というのは、ともすると失敗することがあります。生まれる前は、人生はもう少し楽なものだと思っていたわけですが、実際に生まれてみると、「えっ? 何これ?」「こんなはずじゃなかった、随分大変だ!」と感じるわけです。
生まれてきた人生の状況において、契約を成し遂げるのが難しいときがあるんですね。
でも、わたしたちはできるだけこの契約を遂行しようと思ってがんばっているのです。
あなたも、おそらくそうですよね?


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★この世に偶然というのはありません。すべて起こるべくして起こっています。
今このような結果として表れているのは、そうなる原因があったからこそです。
そして、それは必要があるから表出してくるわけですね。
よいことでも悪いことでも、すべて学びのための現象なのです。

このことだけでもしっかりとマスターしていれば、たいていの問題は解き明かすことができます。

このブログの全記事を読んでいても、応用がまったく利かない人というのは多々存在します。
ひとつひとつのことは何となく理解できたように思っていても、新しい問題にぶち当たると、忽ちわからなくなるのです。
つまり、ひとつひとつの事柄は記憶されてはいても、それらを全体として統合して物を見たり考えたりすることができないんですね。ですから、応用問題となると苦手で解明できない人がたくさんいるわけです。

★新しく生じた枝葉を問題として見るのではなく、土の中に隠れた木の根っこの部分と全体を見てください。
ひとつひとつの回路をつなげて、大きな高い見地から見てほしいのです。
そして、問題は目に見えない部分にこそあるのだということ。そこに気づいていただきたいと思います。




    オーキッド



★ セルフカルマを受け容れること ★



★さて、あなたには、自分の肉体のなかで好きでないところ、気に入らないところがあるでしょうか?

カルマには、自分と他者とのあいだにあるカルマのほかに、自分が自分に与える『セルフカルマ』というものがあります。わたしたちはそれを決めて生まれてきます。

たとえば、背が高すぎるとか、低すぎるとか、太りすぎているとか、痩せすぎているとか、容貌が気に入らないとか…。もしそういうところがあるのなら、それがセルフカルマのひとつであると言えるわけです。

★それで、あなたは、その自分が気に入らない部分を、受け容れることができているでしょうか? 

たとえば、あなたが今生で太った肉体を選んだとします。そうすると、その太った肉体をどうやって使って動かしていくかということを学ばなければなりません。そして、その肉体を愛するということも学ばなければならないのです。

また、自分の顔が気に入らなかったり、さらに美しくなりたかったりして、整形手術をする人がいますね。
それは持って生まれた素の顔を受け容れることを拒絶している一例です。
ほんとうは、その顔で生きていく必要があるのに、それでは嫌だと言って、別の顔で生きようとしているわけですから。
実際に自分の容貌は、自分でちゃんと選択しているのです。参考のために、その証言となる内容をお伝えしておきましょう。

「次女の転生の記憶」の箇所で少し触れましたが、誕生する前に、次女が少ない選択肢の中から選んだのは、もっともスピリチュアルな学びができること以外に、じつは容貌が一番よかったことだと本人は言っております。お金持ちの家に生まれることを選択することもできたようですが、その代わりに両親の容貌が気に入らなかったりして、結局トータル的に満足できそうな肉体と人生が過ごせる両親を選んだのだというわけです。
ですから、本人はそれを承知で生まれたのですから、後になってから文句は言えませんね。(笑)

★もし自分自身のなかのものを受け容れられないとしたら、そして、受け容れないままでその人生を終わってしまったら、もう一度つぎの人生でそれを繰り返すことになるのです。
受け容れられるまで、何度も何度もトライすることになるのです。
そしてそれが終わったら、さらにつぎの課題へと向かっていくわけです。


★ 病気とカルマについて ★


★前回の記事で、読者さんから「生まれながらにして病気だったり、身体に障害がある場合は、その病気や障害が過去生と関係するのでしょうか? これもカルマなのでしょうか?」というご質問がありました。
生まれながらの病気の場合はカルマによるものが多いと思います。その人の体質というものも、その人のカルマによって決められるようです。

障害児の場合は、カルマのせいだけとは一概には言えません。自分が自分の学びのためにそういう肉体を自ら選んできている場合もあるからです。障害をもった肉体でどんなふうに生きるか、チャレンジしてみようというわけです。それは個々によって異なり、ケースバイケースです。
シルバーバーチはつぎのように言っています。

地上的観点から見れば、つまり物的見地からのみ人生を見つめれば、病弱な身体で生まれてきた人のほうが、健康な身体で生まれてきた人より辛い思いをすることでしょうが、それは宿っている霊については当てはまりません。身体が病弱だからといって霊も貧弱ということはなく、身体が健康だからといって、霊も健全というわけではありません。それどころか、霊的進化にとってかけがえのない体験である痛みと苦しみを数多く味わっただけ、それだけ霊的に豊かになっているとも言えるのです。

また、シルバーバーチは「病気の治療とカルマとの関係」について、つぎのように言っています。

患者のなかには、前世でこしらえたカルマをもち越している人がいます。そのカルマ、つまり因果律が成就されずに残っている場合は、治療効果が出ないでしょう。
霊的進化の過程で因果律が成就している場合、つまり、原因に対する結果が出切って、カルマが清算されている場合は、治療は成功するでしょう。魂に霊的治癒エネルギーを受け入れる準備ができているからです。


シルバーバーチは「治るためにはそれだけの霊的な資格がなければならない」と言い、「魂が真の自我に目覚めれば治る資格ができたことになり、そうなったときに、治療が効を奏するのだ」と言っています。

要するに、その人の魂の霊的意識がひらかれるまでは、ヒーリングをしても効果はありませんよと言っているのです。ヒーリングは患者の魂を目覚めさせることが本来の目的なのです。ですから、魂に受け入れる準備ができていれば、治癒は可能となるということなのです。

カルマと過去生と病気や障害の関係性」についての説明は、非常に難解です。人それぞれ千差万別で、その説明が適切であるかどうかもわからないからです。ですから、これ以上の詳細な説明はあえてしませんが、これまでお伝えした内容から判断していただければ幸いに思います。


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わたしたち自身が自分のためにさまざまな問題を創り出しているのです。
肉体のことだけに限らず、自分は虚栄心が強いとか、頑固であるとか、自分には価値がないとか思い悩むのも、自分自身のカルマで、個人のレッスンなのです。
これらの課題を乗り越えることができればできるほど、人生において、より大きな成功を収めることができます。そうすると、つぎの転生では、そうした分だけ自由になることができるのです。

★あなたが気に入らないところ、それを好きになることができますか?
あるいは、今、しっかりとそれを認め、受け容れられますか?


前回紹介したマイケルかつて地上でいくつもの人生を生きたことのある非物質的な存在で、千以上の魂のグループソウルの仮の名称)は言っています。
魂がおとなになればなるほど、自分が交わしてきた契約を深く感じることができるようになるけれども、魂の若い者には自分の契約というのが理解できない」と。

ですから、いわゆるひとつの人生で子どもがおとなになっていくのと同じように、魂がおとなになればなるほど、いろんな経験が積まれていろんなことがわかるようになるということなのです。



エクローサ リラ紫


ハート
最後に、もっともつらい最大の苦痛と苦悶を受けたイエス・キリストについて、お話ししましょう。

イエスは『セルフカルマ』によって、十字架にかかったのだということができます。

しかし、最初からそうなることがわかっていたのだとしても、「何もまちがったことをしてきていないのに、なぜこんなひどい目に遭わなければならないのか?」という葛藤はあったことと思います。

父なる神に、イエスは問うています。
「なぜです? なぜこんなことが私に起こるのです?」
「私は見放されたのですか? 私は見捨てられたのですか?」と。

イエスが自分に与えたカルマは、「その受難を受け容れられるかどうか」というカルマであったのです。
彼は最初それを拒否しました。
「なぜ?」という問いは、拒否の反応ですね。

しかし、この問いのあと、彼は言いました。
「あなたの御心のとおりになさいますように」

その瞬間、彼は受け容れたのです。
彼は自分が誰であったのかを理解したのです。
永遠なる魂が、自分を通して現れることを許したのです。
彼は全面的にレットゴーし、明け渡したのです。

受け容れたことで、彼は自由になり、永遠の生となることができたのです。

イエスは言っています。
苦しんできた人は幸いである。その人は〈生〉を見いだした」と。

苦しみを受け容れるということ。
自分が与えたカルマを受け容れるということ。
全面的に受け容れるということ。
これが、わたしたちの『セルフカルマ』へのチャレンジなのです。

★参考過去記事「光の花束〈不滅の詩〉― 苦しんできた人は幸いである」



あなたが生まれる前に選んだ『真の仕事』とは?

2012年07月11日 14:10


あなたが生まれる前に選んだ『真の仕事』とは?


       ~『真の仕事』かどうかを見分けよう~


今現在、皆さんは何らかの仕事をなさっていると思います。
主に家事に専念する主婦もいらっしゃるでしょうし、務めに出ている人、自営業の人もいらっしゃるでしょう。
それらの仕事は、もしかしたら本意ではなく、生活のためにとりあえず従事しているだけで、ほんとうはあまり好きではない内容なのかもしれません。

わたしたちはそれぞれの人生において、『真の仕事』というものを選んで生まれてきています。
その『真の仕事』が、今就いている仕事なのかどうかということは、たいていご自分で何となくわかっておられるのではないでしょうか?

マイケルをチャネリングするホセ・スティーブンス氏は、
自分にとって、真の勉強とか研究とかいうのは、『真の仕事』をするためのもので、『真の仕事』に関わっているときは、寝食を忘れ、喜びをもって行なうことができる
と語っていましたが、その通りだと思いますね。

それでもなおかつ「いや、これがほんとうに私の選んできた真の仕事なのかどうか、さっぱりわからない」と言う人のために、ホセ氏が語っていた内容をベースとして、真の仕事の見分け方を簡単にお伝えしておきましょう。


★まず、その仕事に対する才能が、あなたに備わっているかどうかということです。さほどの努力もなく、それができるかどうかです。

★つぎに、それをやっていることが楽しいかどうかです。
そして、あなたがその仕事をやっていることで、他の人がそれを真に喜んでくれているかどうかということです。

★最後に、『真の仕事』をやっているのであれば、あなたは真に満足で、幸せなはずです。



いかがですか? とても当たり前のことですね。
皆さんひとりひとりにとって、『真の仕事』というのは、それぞれ異なります。
あなたがどのライフステージにいるのか、どのレベルにあるのか、どんな個性や人柄をもっているのかによっても違ってきます。
何であれ、その仕事をしているとき、真に楽しく、満足できて、幸せなら、それはあなたの『真の仕事』なのです。

さて、今のお仕事は、あなたが生まれてくるときに決めてきた『真の仕事』だと思えましたでしょうか?



★ 人間には遊びと休養が必要 ★



お仕事をされている方々は、きちんと定期的に休養をとったり、また、休日には遊んだりしておられるでしょうか?
最近は週休2日制が定着してきましたが、それでも自営業やサービス業などでは、なかなか休日がとれないことがあるかと思います。

遊びは子どもだけの特権ではありません。人間にとって遊びというのは、とても必要で大切な要素なのです。
おとなだって、一日中仕事のことを忘れて好きなことだけをしていると、生き生きとして、とても楽しいですよね。
真の遊びは、わたしたちを安定させてくれるのです。もしまったく休養をとらず、遊ぶということをしないのであれば、生きていくことに何かとても困難を感じるようになるはずです。

OSHOは言っています。

働くのは、ただ遊べるようになるため
―遊びがゴールだ
働くのは、くつろげるようになるためにすぎない
あくまでもくつろぎがゴールだ
仕事はゴールではない



真の遊びや休養というのは、人によってさまざまに異なります。
それは、独り静かに自然のなかや公園のなかを歩くことかもしれないし、花を観賞したり、映画を観賞したりすることかもしれないし、あるいは瞑想することかもしれません。
大切なことは、働く時間と同じくらい休養をとるということ。勉強する時間と同じくらい遊ぶということです。
今の社会では、このような必要性は感じられていないようで、仕事と勉強ばかりが強調される傾向にありますね。

皆さんには、魂がおとなになっていけばいくほど、魂が成熟すればするほど、遊びと休養がより必要となってくるということを理解し、大いに遊んでいただきたいと思います。



ジャスミン
   香り高いジャスミンの花  撮影 光の仕事人



★ 日本という国に生きるわたしたちのあり方 ★


戦後の日本は、アメリカの影響を受け、自由競争をしてどんどん発展してきました。お金をたくさん儲け、世界に影響を与えるようになり、国的な魂レベルで言うならば「児童期」に当たっていたと思われます。
「児童期」の魂レベルの国は、世界のなかでもっとも強い国々です。
人より学問ができて、優秀かどうかとか、給料が多いとか少ないとか、とにかく人と自分を比べては、自分が勝ちたいと思うレベルです。そこでは、ある程度自由があって(制限された自由ですが)、個人の努力が認められます。

これまで「幼児期」だった中国などの国は、現在「児童期」に入って、かつての日本のように経済界でどんどん発展していっています。
「幼児期」の国々というのは、たいてい暴力的なものに支配されており、ひとつの政府やひとつの政党、ひとつの宗教しかないケースが多いのです。ひとつのことを信じさせ、自由を認めない国の意識レベルが低いことは、誰でもわかりますね。
現在はそういう国々の人々がどんどん目覚めて、長く続いた独裁政権が崩壊し、独裁者が失脚していく時期が訪れているように思います。
昨年(2011年)は、チュニジアにおける『ジャスミン革命』に触発された国民が始めたという『エジプト革命』がありましたね。

未発達の魂をもった人に抑圧されてきた国というのはたくさんあると思いますが、そういうところに住む人たちは、その国を統括している人たちよりも、より進んだ魂をもっていて、すばらしい芸術などが見いだせると、ホセ・スティーブンス氏は語っていました。
彼らはおとなになる前の「思春期」の魂をもっていると言うことができるでしょう。

スウェーデンやノルウェー、デンマークなどは「成人期」に入っているようですが、おとなの魂をもった国は、あまり多くはありません。戦時中立の立場をとってきたスイスなどは、おとなの意識レベルをもった国だと言えるでしょう。

これらの区分は、大きな国や民族として、大ざっぱに分けただけです。同じ国に住んでいても、当然のことながら、そこにはいろいろな魂の時期をもった人たちがいるわけです。さまざまな意識レベルの、さまざまな魂の年齢をもった人たちで構成されているわけですね。

もしあなたが「おとなの魂」を持った人であるのなら、「児童期」の後半に当たっている日本のような国で生きることはなかなか難しいのではないかと思います。
競争に喜びを見いだし、金銭をいかに獲得するかということに明け暮れている人たちのなかでは、息苦しいのではないかと感じるのです。きっとあなたは、この社会のなかでは「自分は理解されていない」と感じているはずです。
そこで、あまりにもこの社会になじめないことに対して、「なぜ自分はこんな国に生まれてきたのだろう?」「なぜこんな未発達の意識レベルの国を選んだのだろう?」という疑問が生まれてきますね。

もしあなたが成熟した「おとなの魂」の人であるのなら、まだ未熟な「子どもの魂」の人たちに何か伝えていくことがあるのではないだろうか? と考えてみてください。
そうすれば、自分がこのような国に生まれてきたのは、もしかしたら、何か彼らの助けをするためなのではないだろうか? と思えるようになるかもしれないからです。
もしそう思えたのなら、少しでも早くそれを実践してください。

日本語の『教育』、つまり英語の『Education(エデュケイション))は、その語源であるラテン語の『Educare』から生まれた言葉です。

子どもたちの内奥に存在する英知と美徳を内面から引き出すという意味があるといわれていますが、OSHOは、さらに「教育とは人を闇から光へと連れていくことだ」と言っています。



オレンジ色のバラ
元気が出るイエローオレンジのバラ 撮影 光の仕事人



人間は闇の中に
無意識の中に生きている
―そして、人は光に満ちることができる

炎はそこにある
ただ、それは燃え立たせなければならない

意識はそこにある
ただ、それは目覚めさせられなければならない

人は、すべてを与えられている
あなたたちは、それを自分の中に持ってきている

だが人間の肉体を持っているというだけで
自分が人間になったと思っているのは
まったくまちがっている

そして、その考えが何世代にもわたって
途方もない災いの原因となってきた
人はひとつの機会として好機として生まれてくるにすぎない
そして到達する人はきわめて少ない

                        ~OSHO~



OSHOは「イエスのような、仏陀のような、ほんのわずかの人々しか、それも、ごく稀にしか、本当の人間にはならない」と言っています。

そして、本当の人間になるのは、「その人が光に満ち、そこに、どんな闇も残されていないとき、その人の魂のどこにもどんな無意識もまとわりついていないとき、すべてが光となったとき、その人が意識そのものになったとき」だと言うのです。


ハート
あなたの『真の仕事』を見つけてください。

この地球に、あなたは何をしたくてやってきたのでしょうか?




宇宙はいつもあなたの望みを叶えている

2012年07月15日 23:10


★ 仕事が見つからないのは、だれのせい? ★



前回は『真の仕事かどうかの見分け方』について、お話ししましたね。
それに付加して今回は「今仕事をしていない人」、「したくても、仕事が見つからない人」に対して、少しお伝えしておきたいと思います。

この「仕事」というのは、「社会的に職に就いて報酬をもらっている」あるいは「何らかの貢献をすることによって、少しでも収入を得ている」という意味での仕事です。

以前にわたしの長女について、お話ししたことがありましたね。
長女は過去さまざまな仕事に就き、ある程度何でもこなしてきたように思います。しかし、職場の人間関係にうんざりして、「もうやってられない!」と思ったり、あるいは、職場に霊的な磁場があって体調を崩したりということが多々あり、自ら辞めるということを繰り返してきました。そして、現在は自宅にいて、まるでご隠居さんのような生活をしています。(笑)わたしから言うと、大きなパラサイトですね。
現在は貯金も底をついてきて、「そろそろ仕事をしなければ」と思っているようですが、自分がやりたい仕事は見つからないまま、時は刻々と過ぎていっているという状態です。

今まで仕事をしてきたけれども、どれももうひとつ自分の才能を生かせなかったし、楽しくなかった。だから、これまでやってきたような仕事はもうしたくはない」、
職場の人間関係でいつもうんざりするから、勤務する気持ちになれない
というのが、長女が仕事に就かない理由なのです。

「それなら、ただお金を稼ぐためだと割り切ればどう?」と言うと、
「わかっている。そう思って始めるのだけれども、しばらくするとやっぱり嫌になってくる」と言うのです。
「それって、ほんとうに割り切れていないからでしょう?」と言うと、「その通り」だと応えました。

もしかしたら、長女と同じような理由で仕事に就かない人も、読者さんのなかにはいらっしゃるのではないでしょうか?

★まず、今仕事をしていない人は、なぜ仕事をしていないのか考えてみてください。 
(「仕事をしなくても、生活ができるから」という人たちは除外です)

過去自分の考えが取り入れられず、評価されなかった
給料がよくなかった
本当に楽しんでやることができなかった
実際に仕事はしたいのだけれど、自分にふさわしい仕事がまったく見つからない

だから、「前とはまったく異なった新しい仕事をしたい」というわけなんですね? 

仕事に就いたとき、また前と同じような環境や同僚だったら、すごく嫌だな~」と考えているのかもしれません。長女のように…。

先日わたしは「なぜ、仕事が見つからないのか」を、長女に伝えてみました。
それを聞いた長女はおおいに頷き、ひどく納得したのです。
わたしが語ったことは、きっと同じように仕事が見つからない人たちにも共通していることだと思うので、ここでお伝えしておきましょう。


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★まず、現在仕事がないのは、「仕事をしたくない」という自分の願望を、宇宙が支持しているからであるということ
それを知って、理解してください。

宇宙は あなたが「したくないこと」は、してほしくないのです。
あなたの邪魔は決してしませんよ」ということなのです。
ただあなたの「仕事をしたくない」という願いに応えているだけなのです。

仕事はこれからもおおいに必要だ
でも、「過去のようなことはもう繰り返したくない。だから、もうそんなことはしたくないんだ!

これって、宇宙に「願望」と「拒否」、「OK」と「NO」を同時に言っていることになりますよね。それでは宇宙だって、どうしていいのかわかりません。
だから、何もやって来ないのです。

あなたが今までに体験しなかったあなたの可能性を信じ、心から楽しめ、愛せるすばらしい仕事に就きたいと真に願うのなら、そして、自分の才能を活かせる仕事を真剣に探す勇気を持つのなら、宇宙はきっと何らかのかたちで手助けしてくれるでしょう。

あなたが知らないうちに、あなたは宇宙に自分の思いを発信しているのです。
要するに、すべてはあなたの思いしだいだということです。



☆☆.。.:*・゚*:.。.☆☆.。.:*・゚*:.。.☆☆.。.:*・゚*:.。.☆☆.。.:*・゚*:.。.☆☆


これまでは、自分が「社会的にどう見られるか」、「社会的に認められてなんぼ」という世の中でした。
会社のトップに認められると、「私はできるんだ!」「みんなより優秀なんだ!」「偉いんだ!」「給料も多いんだ!」「どうだ!」と自慢するような世界だったのです。
(何が偉いのかわからないし、からだがエライだけなのかもしれませんが)

「社会」や「社会的」というのは、幻想であり、実態など何もないのです。
幻想の中でもがいていただけなんですね。
でも、もうそういう世の中は終焉を迎えつつあります。
もうそんなことでは満足しない目ざめた人たちがたくさん出現しているからです。
あなたも、きっとそのひとりですね?



ルリ玉あざみ



★ 嫌いなら嫌いとはっきり言うこと ★



さて、自分と合わない「すごく嫌な人」というのは、職場でもどこでも必ずいますね。
「この人さえいなければ、私の心はきっと平和でやすらかだ」なんて思うような人がいるわけです。

わたしの次女も、自分の言うことを全然きいてくれない部下に毎日悩まされているようです。
相手のことをヘンに思いやり過ぎて、はっきりと自分の言いたいことを言えないでいるため、どんどん怒りや不満が蓄積し、悶々としているわけです。
それで「どうしたらいい?」などと姉やわたしにしょっちゅう相談してくるわけですね。
気に入らない本人には言わずに、別の人に言う」というドラマを、次女は延々と繰り広げているわけです。

ほかの人には滅茶苦茶はっきりと言えるのに、当の本人には何も言えない人」って、けっこう多くいますよね。
自分の気に入らない相手に、きっぱりと「あなたのそこのところがわたしは嫌いです」と言えば済むことなのです。
そうすれば、他の人々にイヤな愚痴を聞かせずに済ますことができます。
毎日のように愚痴を聞くのは、ほんとうに気分が悪いですから。

相手に自分の気持ちを正直に話すこと。
嫌いなら嫌い、気に入らないなら気に入らないと伝えることです。

頭であれこれと考えたことを言っても、相手には伝わりません。
ウソも見破られます。お互いに感じ合えないのは、正直な自分の気持ちを語らないからです。説明しようとしないで、感じたことをそのまま言うことです。

それはけっして相手を傷つけるためではありません。
自分の感じていることを正直に伝えるということ。
そのままの自分を話すと、予期もしない新しい発見が生まれるのです。

★参考過去記事 「本音で話すことの大切さ」 「真の愛は、自分の真の姿を見せること

どうしても本音を言えないのは、たいてい相手に嫌われたくないからですね。
しかし、どうせ相手は自分のことをよく思っていないのですから、嫌われたって全然気にしないことです。
なぜか、これができない人が多いのです。

弱々しき善人」というのは、人の悪いところを見たり、それで人を嫌ったりする自分が大嫌いなようです。
だから、そういう自分のほうがよくないのだと勝手に決めつけて、「こんなことを言ってはいけないのだ」という制限を設け、がんじがらめになって一歩も前に出られないでいるわけです。
そして、不満を募らせ、どんどん嫌な人間になっていくのです。

そんな大嫌いな自分でいると、そのうち大嫌いな現実が引き起こされてきます。
当然ですね。よい状況がやってくるはずがありません。
嫌いなあなたがますます嫌いになっていくようなことが起こってきます。
宇宙はあなたの望みを叶えるのです。

それでも「私は大丈夫」なんて言っている人ほど、着ている鎧(よろい)を脱げばキズだらけで血だらけになっているのです。
それで、これ以上痛みを感じるのが怖くて、「こっちに来ないでよ~。わたしに近づかないでよ~」と遠く逃げてしまったりするわけです。

逃げないで、まず鎧をはずすことです。そして、あなたの意識を変えてください。
自分に正直であろうとしてください。本音を言ってください。
あなたの意識を変えない限り、宇宙はあなたの望む現実を与えつづけることでしょう。


サンダーソニア



★ あなたの教師に心からの感謝を! ★



職場での大嫌いな人や、これまであなたを苛めてきた人というのは、あなたの教師です。
よって、教師に心から感謝すること。これをおススメします。

教師というのは、自分の人生に加わってくれて、深い気づきや学びを与えてくれる人のことです。そして、何らかの形でその恩恵を受けて、感謝する必要のある存在のことです。
そのなかには、自分を傷つけるような人たちも入っています。
皆それぞれの人が、わたしたちの魂の成長と学び、変容の目的のために貢献してくれているのです。

感情のレベルで最も厳しい状況になっている人たち、現在自分にとって問題の対象となっているような存在は、まさに『教師』と呼ぶことができるでしょう。
その人が存在するお陰で、自分自身を高い意識レベルへといざなってくれ、すばらしい学びの機会を提供してくれ、もっと強く生きていけるように鍛えてくれるからです。

教師たちは皆何らかの方法で、あなたを祝福しているのです。
ですから、その人たちに感謝することは、大きな調和をもたらすことになるのです。

自分を愛してくれる人に感謝するのはたやすいことですが、自分を傷つける人に感謝するのは、なかなか難しいかもしれません。
でも、あなたの人生の旅路に一緒に参加して、あなたの魂の学びや成長や変容をもたらす役目を引き受けてくれている存在をしっかりと認めることはできますね。
そう考えると、その相手を憎めなくなるはずです。

相手に面と向かって言えないのなら、心のなかで「ありがとう」を言うことです。
感謝のまなざしをそそぐことです。
それが真の感謝であり、エネルギーのお返しなのです。


ハート

感謝』はそのまま『許し』につながります。
感謝』するということは『許す』ことでもあるのです。
そして、その人との霊的な繋がり、過去から繋がっていたエネルギーを解き放つのです。

おそらくその相手との繋がりは今生だけではないでしょう。
何回も何回も約束して、自分の人生に立ち現われてきてくれたはずです。
この輪廻を今回の生で完了して、その人たちや自分をも許し、開放することです。
相手だって、もうそろそろあなたから解放されたいと思っているかもしれませんよ。

光の仕事人の体験から言いますと、
ここで『霊的な繋がりを断ち切る祈り』をすると、大変効果があります。

あなたの人生に立ち現われた教師たちに、心から感謝してください。
そうすれば、あなたのこれからの人生はとてもちがったものとなるでしょう。




読者さんからの体験談 ~気づきのレポートより~

2012年07月20日 18:45


★ 読者さんからの体験談 5 ★




今までは、『気づきのコース』の数秘リーディングを受けられた方々の感想文を掲載させていただくことが多かったのですが、今回はレポートそのものを記事にさせていただきました。
なぜなら、「過去のカルマ」や「職場の人間関係」について悩んでいる人たちの参考になるのではないかと感じたからです。

このレポートを書かれたのは、ある専門職に就いておられる36歳の女性です。
リーディングで、彼女の今の職業はとても適していると出ていたのですが、彼女自身のなかでつぎのような疑問が生まれていました。
向いている仕事なら、今なぜこんなに楽しくないのか、喜びを感じないと思うのか?」ということです。
彼女の一番の悩みがそこにあることは、リーディング以前から気になっていたことでした。

彼女は「喜びを感じない理由」をご自分で4つ挙げておられたのですが、そのなかの「1番目の可能性」として記されていた『私が生み出した状況(人間関係)』をさらに深く掘り下げてみられることをおススメしました。

果たして、彼女はその探究から大きな変容を遂げられるのです。
2回目と3回目のレポートを記事にすることを快く承諾してくださったので、ここに全文を載せさせていただきます。


      昼下がりの光の中で2
       昼下がりのくつろぎ  撮影 光の仕事人



★ ~気づきのレポートより~ ★



~職場の人間関係について 1~    東北 女性



前回のレポート提出後、自分でも今一番苦労している仕事について掘り下げてみました。
職場の人間関係です。

同僚との関係
考えなくても一番の問題なのは、約2年半ほどろくに口も聞いていない同僚との関係でしょう。同期で同い年の男性です。今の職場は4年目ですが、1年そこそこでギクシャクし始めました。最初は、さけられているなというあいまいな感じだったのが、あいさつをしても無視、視界にはいる場所にいると背をむけられる、書類を渡す際には話かけないで、だまって置いていってほしいという依頼のメールが届く、という行為等を通じて嫌われているのだなと確信を強めていきました。
堪り兼ねて本人に「なぜ、そのような態度をとるのか。仕事をする上でも支障がでているし、関係を改善できないだろうか。」というようなこと直接伝えたのですが、「あなたに特別にそのような態度をとっているつもりはない。」という答えでした。確かに彼は社交的なタイプではありませんが、周りもおかしいと気づいていたようなので、わたしの考えすぎということでは処理できませんでした。原因ははっきりとはわかりません。5人しかいない職場なのですが、同期で、仕事を覚え、同じ資格試験にチャレンジするものとして、上司から比較されることも多くライバルのような一面もあったので、そのような中でささいな出来事が溝をつくっていったのかと思います。

しかし、当初の自分を振り返ると、このような関係になる前から私は彼を嫌っていました。
おどおどして、自信なさげで、いつも受身で言われるまで行動しない・・・。
そのせいか、上司も私に仕事を振ったり、私に意見を聞いたりすることが多くなっていきました。
でも、それって彼の立場から考えたらどうだったでしょうか。
疎外されたような気がするだろうな・・・。
私が嫌っていたのも波動で伝わっていただろうな。
今ではそう思います。人の立場になって考えてみるという思慮が足りないのです。
当時は、そんな無視するなんて器の小さい人間に負けてられるかとばかりに、この問題に蓋をし、お互いに感知しないという状態のまま時間がたってしまいました。

以前、「反逆のスピリット」を読んだときの感想文にも書いたように、自分で状況は変えられるのだとわかっても、本人を目の前にすると、みぞおちの辺りが石のようになって、自分も相手も赦すどころではありませんでした。

この不快感をもとに自分を観察してみて、気づきがたくさんありました。
前回のレポ-ト提出時には、リ-ディング結果にあった手放すということにあまり注意がいっていませんでした。「手放す=あきらめる」のように感じていました。
そうではなく、物質的なものに執着しないだけではなく、~すべき~、すべきでない、正しい、正しくないという観念を手放すことなんだと気づきました。エゴを手放すということでしょう。

赦すというのも、対象は罪ではないのだなと気づきました。
エゴが下した罪という判定を手放したら、赦すのは罪ではないからです。
私は自分を正当化するために、彼のあら捜しをしている自分に気づきました。
自分の何が間違っているのか、何が悪いのか考える一方、彼の行為を観察して、ほら、やっぱり彼が悪いと裁いているのです。
好きでもないものにこんなに執着しなくてもいいじゃないかと可笑しくなりました。

私の何が悪かったのか、考えるのはヤメにしました。
「光の花束」の黙って赦すことを読んで、私が答えをみつけても人によって真実が違うのだったら、ここでグルグルしててもしょうがないやと思ったのです。自分を観察して「あっ、裁いてる。」と思ったら、彼もそう思った自分も赦そう(ゆだねるような感じ)と思いました。しかし、ここまできても、なかなか、この赦すというのができませんでした。
ぐっと握りしめてしまってどうしたらいいかわからないのです。

そこで!最近思いついたのが、流しそうめん方式です!!
エゴに気づいたら、黒いそうめんが竹の中を水とともにスーッと流れていくのを見送ります。光る泉に吸い込まれて黒いそうめんは消えます。泉は清んだままです。
(ハートから出てくる美味しそうな白いそうめんは食べようということにしてますが、いまのころ、流れてくるのは黒そうめんです。エゴにフォーカスしているのでしょうがないですが。)

こうやって書くと、随分ふざけたように見えますね。
でも、赦せない、どうしよう、自分はダメだなと深刻になってしまっていた私には今のところ良い方法のようです。
それでも、毎日顔をつきあわせて(向かいあわせで座っているんです)、ずーっと同じ態度で無視されていると、通りすがりのある行為を赦すのとはわけが違うなあと思ってしまいます。そうめん流しまくりです。

自分が拒絶しているから無視されているのだと思います。
私は昨年、眼底出血を起こして視野が欠けてしまいました。
これも、現実をちゃんとみなさい、というメッセージだったと思います。
この状況は成長するためのイベントです。
状況は目に見えて変化しなくとも、自分の変化を目指して自分が拒絶していると感じなくなるまでやってみようと思います。

先般いただいたメールで、「内側に永遠につながる安全性」を忘れないようアドバイスをいただきました。
内なる神性とつながる、光とつながる、ハイヤーセルフとつながるということですね。
メールを読んでハッとしました。
私は職場にいると、自分が小さく硬く、イヤな自分になったように感じます。
今、職場では正反対の状態になってしまっているようです。
「光の花束」の黙って赦すことにもハッとしました。
記事中のアファメーションはリーディングでプレゼントしていただいた6と9のアファメーションとともに、プリントして仕事中いつも持ち歩いているファイルにはさみ、唱えられるようにしています。

もうひとつ。
私は上司の、毎日遅刻する、個人情報をなくす、クライアントとのアポイントや書類の期日を守らないというのにかなりイラついていました。
これは私の~すべきが問題なのか!?と悩みましたが、本音で注意するということで対応しようと決意しました。(どうでしょうか?)

カヴィーシャ様のメールの中の言葉やブログ記事は、光の目印のようです。自分の向かいたい先に続く道は暗いのですが、自分より少し先に目印のように光を灯してもらったような感じがします。ありがとうございます。
(それを頼りに先に進むのは自分ですけど!!)



昼下がりの光の中で1
      昼下がりのくつろぎ  撮影 光の仕事人



~「カヴィーシャ 光の仕事人」より~



★このレポートに対するわたしのコメントとして、「彼とは過去生でも仲が悪かったこと」や、「今生でこの関係をどうしたいのかは、あなたしだい」というような内容をお伝えしました。彼女なら、ここで必ず気づき、感じられるものがあるだろうと思ったからです。
下記はその後のレポートですが、彼女の心境の変化が表れているのがよくわかります。
 

 

~職場の人間関係について 2~

 レポートへのコメント&ブログ記事を読んでの変化



先日提出したレポート(2)へのコメントと「未熟な魂」と「成熟した魂」-あなたはどっち? を読んで新たな気づきといいますか意識の変化が感じられましたので、レポートとしてご報告します。

同僚との関係について、過去生でも仲が悪かったということ。
私が感じていたみぞおちが石のようになる、なんともいえない感覚のように、彼もしっかりとした理由なく不快感を感じているのかもしれないと思いました。
今生でのきっかけはささいなものであっても、そうだとすれば、彼の態度も納得できます。
あなたもモヤモヤを感じていたのね・・・と。その後、ブログを読ませて頂きました。

私は未熟な魂だなと判りました。
今回の同僚との関係のように、カルマへの対応の仕方でもわかります。拒絶と対立です。修復したくて、上司にサポートをお願いしていましたが、それは表面的な偽善だったように思います。
そして記事中のきらいなものになるという部分を読んだとき、私が拒絶して、対立という姿勢をとっている人物は、過去生や来世では私である可能性があるんだと思いつきました。
私は同僚のような男性だったかもしれません。上司のようにルーズで周りの人間に迷惑をかける男性だったかもしれません。女性や他のグループに属するものに敬意をはらわない男性だったかもしれません。(←これ、なんとなくそうだろうなと思うんです。)
今朝目に付いた、「道路の真ん中を自転車で走って、周りの車にガンを飛ばしまくるおじちゃん」も私の可能性があるのです。
現在私が、私自身と思っているパーソナリティも、生まれる前に決めた設定なら、今、自分が自分と感じてこだわりをもっているものって、自分じゃないんだ。
そういうものをとっぱらったのが自分だったら、他人もそうなのかと思いました。

その翌日同僚の前に座ったとき、みぞおちに感じるあの感覚がないのに気づきました。
あんなに、一日に何度も何度もそうめん方式を実行していたのに。
あれ?あれ?と戸惑いました。上司に対しても同じような感じです。
大目に見れるといったら、上から目線でちょっと違うのですが、余裕をもって客観的にその状況を見れるようになったというのが近いでしょうか。
この変化にびっくりして、「号外、号外!!」とカヴィーシャ様にすぐレポートを提出しようと思いましたが、すぐ、元に戻ってしまいました・・・ではシャレにならないからなーとしばらく様子を見てみました。
その間、もちろん、イヤだなと思うことやムカッとすることはありましたが、手放すのに以前より時間がかからないように思います。みぞおちのあの感じもやはりありません。
不思議です。

実は自分が未熟な魂であるということが判ったとき、ちょっと残念に思いました。
自分は何か特別なのではないかという思いがどこかにあったからです。
これもエゴですが、これが赦すを邪魔していたように思います。
以前は、同僚にたいしても、ゆだねるが精一杯でしたが、愛の波動を送るというのも不可能ではないと感じます。
未熟な魂の私は、カルマに対する原始的な対応の仕方から脱却しクリエイティブな方法で対応するために生れてきのだと思います。そのために“9”を設定してきたのです。
高尚な目的があるのではないかと思ってもいましたが、魂の成長こそ、目的です。
しかも飛び級するくらいの勢いで!!
拒絶して対立するの繰り返しではなく、赦して救って分かちあうを経験して理解するための今生と思います。

仕事は、まだ楽しいとは思えません。
どちらかというと「時間を無駄にしている」と感じてしまっています。

カヴィーシャ様には、いつも感謝の気持ちでいっぱいですが、わたしのような未熟な魂が、成長して、手助けをする側になっていくことこそが、恩返しなんだと思った時、自然に両目に涙がいっぱいになりました。そして、みぞおちより少し上の部分が熱く感じられました。私がハイヤーセルフだったら、親指をたてて「イイ線いってるよ」と笑うと思いました。ありがとうございます。
では。


        スイレンとカエル
            スイレンとカエルたち 撮影 光の仕事人



★ 素直って、すばらしい! ★



過去記事『「未熟な魂」と「成熟した魂」-あなたはどっち?』を読まれて、彼女はレポートに「私は未熟な魂だなと判りました」と書いておられました。
そして、「実は自分が未熟な魂であるということが判ったとき、ちょっと残念に思いました」とも記されていました。
その理由は「自分は何か特別なのではないかという思いがどこかにあったから」だと。

いろんな方のリーディングをして最近つくづくと思うことですが、「未熟な魂だと自分で感じた人」というのは、とても自分自身に対して素直であり、「成熟した魂だと自分で思い込んでいる人」よりも断然成長が速いということです。

成熟した魂だと自分で思い込んでいる人」は、たいていプライドが高いので、何か(コメントの言葉や内容などで)につまずくと、なかなか立ち直れないのです。
特に頭(左脳中心の)人たちは、言葉尻に囚われてしまい、大切なことを見失ってしまいがちです。(こういう人を「成熟した魂」とは呼ばないのですが、勝手にその人がそうだと思い込んでいるだけです)

ついでに、「異星から地球にやってきた魂」が必ずしも優れているわけではないということを、付け加えておきたいと思います。
地球外生命体」と言っても、ピンからキリまであるのです。
たとえあなたがシリウスやプレアデスから来たとしても、「だからどうなの?」ということです。「それで、地球でどうしたいの?」という感じです。
わたしの周囲には、オリオンから来た魂たちがけっこういるのですが、相変わらず「自己奉仕」に明け暮れていますね。少しでも「他者奉仕」に目ざめてくれることを願っているのですが。

地球にやってきた目的は千差万別でしょうが、何らかのカルマが残っているからこそ生まれてきたのです。(もはや「高次元の集合意識体」となってしまったような存在は、地上に生まれ出ることなどありませんから)
つまり、どんな異星から来た魂であっても、地球でカルマの解消をきちんとして、故郷、あるいは元の領域にお帰りくださいねということです。

地球外から来た人であろうと、地球人として長らく地球で輪廻転生を繰り返している人であろうと、とにかくプライドが邪魔をしている限り、魂の進化は臨めません。
なぜなら、真剣に聞く耳をもとうとされないからです。
プライドが邪魔をしていると、けっしてハートをひらくことはできませんし、自分に素直になれません。自分のネガティブな部分には目を向けようとせずに抑え込んでしまい、よいところだけを見ようと頑張ります。
それでは、最終的に病気になってしまいますね。(プレアデスの教訓を思い起こしてください)

ということで、だれだって、必ず子どもの時期を通っておとなになっていくのですから、「未熟な魂=若い魂」だからと言って自己卑下する必要なんて全然ありません。
若い魂」の人たちは地上(三次元)での経験が少ないというだけのことなのです。
「子どもの時代」には「子どもの時代」にしかない貴重な体験があります。
むしろ、その時期を大いに楽しめばよいのです。
そう考えれば、とても気が楽になりませんか?

この3次元世界に何度も何度も生まれ変わってくる人、すなわち「多くの過去生を持っている人」というのは、せっかく学びと気づきの機会がたくさん与えられているのに、まったく気がつかないままで人生を終えているということなのです。なかなか悟らないから、「もう一度学び直してきなさい」ということなのです。

老人を観察すればわかると思いますが、いくら年を重ねていても、精神のほうが全然成長していない人間はたくさんいますね。魂が古ければよいというものではありません。
ですから、何をもって『成熟した魂』と呼ぶのか、今一度考えてみていただければ幸いです。

彼女は言っておられます。
未熟な魂の私は、カルマに対する原始的な対応の仕方から脱却しクリエイティブな方法で対応するために生れてきのだと思います。そのために“9”を設定してきたのです。高尚な目的があるのではないかと思ってもいましたが、魂の成長こそ、目的です。しかも飛び級するくらいの勢いで!!
拒絶して対立するの繰り返しではなく、赦して救って分かちあうを経験して理解するための今生と思います
」と。

すばらしいですね!
彼女は着実に『統合への道』を進んでいっておられることがわかります。大いなる気づきと変容です。彼女はその時々にコメントした内容をしっかりと受け止められて、真剣に自己を掘り下げていく勇気をもっておられます。そして、何よりもすばらしいと感じるのは、素直であるということです。
幼子のようにならなければ天国に入ることはできない」とイエス・キリストは言っていますね。
この純粋無垢な素直さが、アセンションの秘訣なのです。

彼女のレポートで、わたし自身も学ぶことが多々あったことを感謝しています。
流しそうめん方式」はとても画期的な方法だと思いますので、ぜひ皆さんも試してみてください。
彼女のレポートは、まだ終了したわけではありません。これからどのように仕事を楽しむか…という課題があります。
魂の成長こそ、目的です。しかも飛び級するくらいの勢いで!!」と書いておられた彼女の今後の変容が、とても楽しみです。

ふたつのレポートの掲示、ありがとうございました。
あなたのハイアーセルフの代わりに、光の仕事人が親指を立てますね。

             イイ線いってるよ!

              goodbad[1]

        ~カヴィーシャ 光の仕事人より~




分離から統合へ

2012年07月26日 09:15


★ バリ島の世界観から ★



日本列島は夏本番の暑さとなりましたが、皆さん、お元気でいらっしゃいますか?

7月に入って、11~14日の4日間、各地に記録的な雨をもたらしたと報道されていました。
北九州地方、特に熊本と大分を中心に「これまでに経験したことのないような豪雨」という気象情報が発表され、被害が出た地域もありましたが、九州にお住まいの読者の皆さんは大丈夫でしたでしょうか?

今年に限らず毎年梅雨が終わる頃に大雨が降り、日本のどこかで洪水を引き起こしていますが、やはり浄化される必要があると感じていた地域に起こっています。日本にはまだ大きな現象が起こる必要があるようなので、遅かれ早かれそれはやってくることと思います。
豪雨の後は気温の上昇ですが、熱中症などにならないよう常に意識して生活していただきたいと思います。



海


さて、わたしは最近『バリ島の世界観』について考えていて、バリは今頃どんな気候なのかと思い、調べてみました。
今は「乾季」に当たり、7~8月ごろは南国らしい眩しい陽射しが降りそそぐけれども、湿度が低いため、過ごしやすいそうです。さわやかな風に吹かれながら、バリの風景を満喫してみたいものですね。

これまでにバリ島のことがときどきTVで放映されていて、見る機会があったのですが、たいていの番組はあまり深い内容には至らなくて、伝統的な舞踏を披露する程度で終わっています。
しかし、スピリチュアルな観点からしますと、バリ島は地球上でも珍しくバランスのとれた文明のひとつとして、非常に興味深い地域であるとわたしは思っています。

今回は、インド洋に浮かぶ小さな島『バリ』に生きる人たちの世界観から、『二極性と統合』についてフォーカスしてみたいと思います。


バリ島の位置

(この地図は「バリ島」よりお借りしました。 http://homepage3.nifty.com/akapon/travel/bali/bali02.htm)



★ 闇を認めることによってバランスをとる文明 ★



インドネシアはイスラム教徒が多いといわれますが、バリ島はヒンズー教徒が大変多い島のようです。およそ90%の人々が、「バリ土着の信仰」と「インド仏教」や「ヒンドゥー教」の習合によって成り立つ「バリ・ヒンドゥー」なのだそうです。バリ島は「神々の島」という印象がありますね。

このバリ島には、『三つの世界』が共存しています。
神々の世界』と『人間が住む世界』と『鬼たちが住む世界』です。
バリ島の人たちが家を建てるときは、その敷地内に「三つの存在」に捧げるために「三つの寺院」を建てるのです。

ひとつは「」に、ひとつは「人間」に、そしてもうひとつは「闇(鬼や魔物)」に対して捧げられる寺院です。
バリ島の文明では、「闇があってこそ調和がとれる」という考え方があると、高次の意識から聞いたことがあります。
ですから、神と人間と、闇に対しても同様に捧げものをするわけです。バリでは、それらに対する供え物がとても重要となっています。
「わたしたちは闇や悪霊、鬼たちのことをけっして忘れてはいませんよ」という想いから、闇の存在と呼ばれるものたちにもお供えを欠かさないわけですね。そうすれば彼らも悪いことをしないからです。

闇を認めることによってバランスをとる」ということは、『バロン』という神話のなかに表現されています。
それは『バロンダンス』と呼ばれていて、皆さんもよくご存じのことと思います。
バロン』は代表的なバリの舞踊で、善の象徴である『聖獣バロン』と悪の象徴である『魔女ランダ』の「終わりなき戦い」が描かれている作品です。
バロンとランダの戦い』は、バリ・ヒンズー教のもつ「生と死」や「善と悪」などの相対する二極性(二元性)の概念を表しているのです。


     聖獣バロン       
       バロンダンスに登場する『聖獣バロン』



★ 決して終わることのない「善と悪の戦い」 ★



オズの魔法使い』という童話には、「善い魔女」と「悪い魔女」が登場しますね。
眠りの森の美女』というおとぎ話にも、やはり相反する質の魔女が登場します。

王さまに待望のお子さま(お姫さま)が誕生した際に、魔女たちが祝いの席に呼ばれます。ところが、ひとりだけ呼ばれなかった魔女がいたのです。彼女はそれを妬んでか恨んでか、呼ばれてもいないのにお城にやってきて、お姫さまに死の呪いをかけます。そして、他の魔女がそれを何とか善い方に修正しようとするのです。
もし最初からそのネガティブな魔女も呼んであげていたら、どうだったでしょうか?
たとえ悪い魔女であっても気をよくして、呪いなどかけなかったかもしれません。

これは人々が闇(悪)を恐れて、あるいは、闇(悪)を嫌がって、闇(悪)を認めないと、こういうことになりますよという教訓かもしれませんね。
善い魔女」と「悪い魔女」、あるいは、「白い魔法使い」と「黒い魔法使い」はファンタジーには必須のキャラクターで、最終的には「白い魔法使い」は「黒い魔法使い」を滅ぼし、善は悪に、光は闇に打ち勝つということで、めでたしめでたしとなります。

ところが、実際はそう簡単に決着がつくものではありません。
この白と黒、光と闇、善と悪との戦いは、尽きることがないのです。一旦滅ぼされたように見えても、また復活するんですね。
善と悪はいつもわたしたちの周り(外側)に、そしてわたしたちの内側に存在しています。
両方の極で成り立っている世界に生きている限り、両極性から生まれる問題は雑草のようにつぎとつぎと表れてきます。
光だけの世界、善だけの世界などありえないのです。もしそれが実現したなら、それはもう光の世界ではないし、善の世界でもありません。それはまた別の現実があるだけです。
光は闇があってこそ光であり、善は悪があってこその善なのですから。(闇がなければ光はなく、悪がなければ善もない)

童話や物語では、勧善懲悪を描きたいばかりに、善が必ず悪を懲らしめて征服するというストーリーを創り上げています。ですから、それを読んだ人たちは、そうなることが理想であると勝手に思い込んでしまうわけですね。あるいは、そうなることを強く待望してしまいます。半面だけの真理なのに、あたかもそれ(光や善)のみが真理であるかのような錯覚を起こしているのです。みんな騙されているのです。

先ほどご紹介したバリ島の『バロン』の物語のなかには、決して終わることのない「善と悪の戦い」が描かれています。
闇を克服することはできるけれど、決して終わることないサイクルのように、それは別のかたちで必ずまた表れてくるということです。

バリでは、「光と闇のバランスをとること」を、子どもの頃から教えられるようですが、彼らは「闇を否定することは、さらに闇を創り出す」ということを知っています。宇宙の陰と陽のバランスを、とてもよく理解している人たちなんですね。

皆さんに覚えておいてほしいのは、闇を認めてあげると、それが自分に対して力(影響)を持たなくなるということです。
逆に、それを認めずに嫌がって逃げようとすると、闇は自分に対して力を持つようになるということなのです。(過去記事のどこかにそんなことを書いたことがあったと思いますが…)


バリ島の人たちのほかに、アボリジニやアメリカインディアンたちも、自分たちの内側にある光と闇のバランスをとるために、手の込んだ儀式や祭りごとをおこなっているということを聞いたことがありますが、その詳細はわかりません。
ただ、そういう意味を知っている人たちは地球上でもごく少数であり、彼らは大変貴重な存在です。
ですから、『バロン』は善悪・陰陽のバランスをとることを教えてくれるすばらしい舞踏なのです。


ハート
真実はいつだって二つ(両方)の極を含んでいるのに、
多くの人々には一つ(片方)の極しか見えないのです。
両方の極を同時に見ない限りは、物事のありようを知ることはできません。
物事の片方だけを見ることは、とても危険なことなのです。

あなたがもし闇や悪を嫌っていて、光や善の世界で生きたいとあこがれているのなら、
それは偽りの世界に生きるということにほかなりません。
なぜなら、宇宙を創造した意識は、両極性をもった存在だからです。

宇宙にはホワイトホールとブラックホールとがあります。
光と創造は宇宙創造主の側面であり、闇と破壊も宇宙創造主の側面なのです。
真理とは全体なのです。
統合する」というのは、この両極性を認め、どちらも同様に受け容れること、
宇宙意識のあらゆる側面を受け容れることなのです。

映画『マトリックス』の最終章を見ればわかりますね。
敵と思い込んでいた存在は、じつは自分のなかにいたということです。
ネオはそれとひとつになったんですね。
二極性と統合』を理解するのに、とてもわかりやすい作品だったとわたしは思っています。

皆さんも、もうそろそろ『マトリックス』から『自由な領域』へと飛びだしませんか?






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