今というこの瞬間のなかに生きる    

2010年11月06日 01:25



前回『マイヤースの類魂説』をお伝えしたのは、「自分の前世というものが、必ずしも自分自身のものではない」ということ、「その多くは類魂の生涯である」ということを、皆さんに知っておいてほしかったからです。

但し、マイヤースをはじめ、霊的世界を伝えるあらゆる通信、霊能者やチャネラーが語る内容を、参考にはしても、けっして妄信しないでいただきたいということを、重ねてお願いしておきたいと思います。


\ピンクの玉


あなたは思うかもしれません。
みんながみんないろんなことを言っていて、何が何だかわからなくなってきたよ。
共通している内容もあるけれど、違っている内容もいっぱいあるし、全く逆のこと、正反対のことを主張している人たちもいる。
いったい何が真実で、何を信じたらいいのか? 

世界中にこれだけいろんな情報が氾濫していると、混乱してくるのはあたりまえです。

思いが現実をつくる」ことは、科学が証明していることです。
わたしたちが想像したり、空想したりしていることも、現実です。
それらは、はっきりとした目的をもった思考によって築かれたものだからです。

たとえば、「この世」の刑法では、みだらな思いを思っただけでは罪とはなりません。
でも、「内なる世界」では、実際にはその行為をしていなくても、思っただけでその行為をしたのと同様で、罪になるのです。
つまり、わたしたちの意識のなかにあるものは、物質化(現実化)しているか否かにかかわらず、すべてが真実であり、現実であるということです。
イエス・キリストは「思いの罪も罪である」と、はっきり言っていますね。

わたしたちの世界(外の世界)で起こることは、すべて想像(内なる世界)によってつくられたものです。
「あの世」では、思ったことがすぐに叶うため、「思いが現実をつくる」のはたやすいことです。
ですから、さまざまな思いが現実をつくり、思いでつくられた世界が無数に存在しているのです。
それらは無限に広がっていると言ってもよいでしょう。
そのような世界は、すべて幻想の世界なのですが…。


「真実」とは、個々の人にとって「真実と見える」こと


★「真実」というのは、それぞれ個々の人にとって、「真実と見える」ことでしかありません。

Aさんの真実とBさんの真実が同じではなく、Bさんの真実がCさんの真実と同じではないのは、各自の魂に刻んできたこれまでの体験や理解度が異なっているからです。
その体験や理解のなかには、さまざまな誤解に基づいたものもあるでしょう。
誤解で成り立った真実も、たくさんあるということです。

このように、霊人の真実もひとりずつ異なっているため、霊界通信の内容や主張が違っていて当然といえます。
独自の真実」は、霊界に存在する霊人の数だけあるのです。
もちろん、神々と呼ばれる存在も同様です。
そして、「この世」のわたしたちも、わたしたちの頭数だけの真実を持っているということです。

あらゆるものが真実」であり、「あらゆるものは現実」であるけれども、「唯一の真実というものはない」ということを認識しておかなければなりません。

★「自分の真実だけが唯一正しい」と主張することは、「自分が制限された真実しか持っていない」と主張していることと同じで、「わたしは無知です」と言っているのと同じことなのです。

宗教でも同様のことが言えますね。特に一神教は他の神を絶対に認めません。
ところが、同じ一神教を主張するユダヤ教・キリスト教・イスラム教がお互いに酷い不調和を起こしています。
同じ神を崇めながらも、敵として長い歴史のなかで闘いつづけてきていますね。
人類の不和と戦争の原因となっているのは、同じ神を信仰する者同士なのです。
なんのこっちゃ!と言いたくなりますね。
信仰者は、ほんとうに自分の信じている神の言葉だけが唯一正しいのかどうかをしっかりと吟味してみることが必要です。

以上のことは、「ごあいさつ」や「プロローグ」でもお話ししていますが、わたしがこのブログを立ち上げたときの中心テーマでもあります。



★ 今というこの瞬間のなかに生きる ★



★わたしたちが誕生する前には、多くの人生コースから自由に選択できる機会が設けられています。

ランナーとしてわたしが走るコースは、自分自身で決めたものです。
初級コース、中級コース、上級コースと、障害の設定もさまざまですが、自分で選んだ以上、何があっても文句は言えません。あとは全力で走るのみです。

次女曰く、わたしが地上に誕生する前、かなり多くの選択肢がありながら、もっとも困難だと思われる人生のうちの2番目を選んだのだそうです。(1番困難なコースは遠慮したようです。苦笑)

「えーっ、こんなに高いハードルのあるコースだったの?」
「なんでまた、こんなにハードルを高くしたのよー!」と悔やんでも、あとの祭りです。
そのとき志を高く掲げて、「困難を乗り越えて、これを成し遂げるんだ!」と意気込み強く、自分が選んだのですから、他者のせいにはできません。

ということで、わたしの場合は、分霊の過去生を知ったところで何の足しにもならず、ただひたすら自分が選んだコースを走るのみです。
結局何も知らないほうが走りやすいのです。
だから、たいていの場合は、生まれた途端に忘れるようになっているんですね。
過去生を知ったとしても、どうってことないんです。
「だから、どうなの?」って感じです。

自分が過去を振り返っているときには、今この瞬間を体験することはできません。
自分が過去生でだれであったかを知ることよりも、
今の自分がだれであるのかを知ることのほうが重要であると思うのです。

そして、今というこの瞬間のなかに生きること
今この瞬間瞬間を、自分の望む通りの現実にしていくことのほうが大切だと思うのです。
アセンションのこともあるし、もう時間がないのです。

何とか、当時(地上に誕生する前)抱いていた情熱を忘れることなく、
この人生を全うできればよいのですが……。


ハート
今というこの瞬間のなかで全力を尽くしたい。
つくづくそう思う今日この頃です。




わたしがブログを書く理由 その2

2010年11月08日 19:30



★2010年6月12日に始めたこのブログの記事も、おかげさまで113回目を迎えました。
わたしが皆さんに知っていただきたかった内容は十分とは言えないかもしれませんが、基本的な部分はお伝えできたのではないかと思っています。



★ わたしがブログを書く理由 ★



★じつは先月(10月に入って)、わたしのハイアーセルフと守護神は、「もうそろそろブログは終了してもいい」と伝えており、他の書き物に専念することを勧めていました。
わたし自身も先月で終了する予定でした。
ところが、ここで止めてしまうのは、大変寂しい気がしてきて、もう少し書きつづけようかと考え直したのです。

じつはこのブログは、同じ訪問者が毎日定期的に訪れて読まれるというよりも、グーグル検索などで初めて訪れた人が、いっぺんに数十回クリックして読んでいかれるケースが断然多いのです。
1日のクリック数が60回以上という訪問者もおられます。(すごいなと感心します)

訪問者のなかには、たくさんの気づきが得られたという感謝の気持ちを「アンケートのお便り」などを通して表してくださる方もいらっしゃいます。
そういう殊勝な人は、数百人にひとりぐらいなのですが、それでも「気づいていただけて、よかった!」と、大変うれしくなります。

わたし自身も、これまでにいろんな方々の記事から多くの気づきを得てきています。
情報を与えてくださった方にはとても感謝しているのですが、たいていは一方通行となっていて、何か情報泥棒みたいで悪いなーと思ったこともしばしばあります。

ホームページやブログを通して「自分の真実」を伝えようとしている方々の多くは、無償の愛で情報提供をされています。
その厚意に対して感謝し、その愛のエネルギーを、わたし自身もまた多くの方々に放射することで、これまでいただいた恩恵をお返ししていけたら幸いであると考えます。
これが、わたしがブログを書くもうひとつの理由です。(過去記事「わたしがブログを書く理由」参照)


★ ブログのメリット デメリット ★


★書籍よりもブログにしてよかったと思う点は、海外の方々にもすぐに読んでいただけるという点です。

デメリットは、わたしの伝えたいことが適切な表現方法で翻訳されないと、おおいに誤解を生じる可能性があるという点です。
過去記事「神秘の世界を究明する―『空』の正体」を書いた際も、そのむずかしさを実感しました。

海外の作品を、自分の国の言語にする場合、十人十色の訳し方があります。
その文章は、それぞれ訳す人たちの意識レベルによってさまざまに変容します。

たとえば、わたしの手元には3人の日本人が訳した「ジェームズ・アレン」の作品がありますが、読み比べてみれば、一目瞭然です。
あまりに3人の訳者さんの表現方法が異なっているために、まったくちがう内容を読んでいるかのように感じられるのです。

訳者の意識レベルによって受け取り方が異なるため、訳して伝えることばのニュアンスもそれぞれ異なってきます。3人3様のジェームズ・アレンができあがるわけですね。

ですから、どの訳が自分にもっともフィットするか、または、心に響くかということで、訳者選びをすることは非常に大切です。
訳者によって、原作者の意図することや、原作者のかもしだしている雰囲気までまったく変わってしまうからです。

一番まちがいないのは原語で、しかもジェームズ・アレンと同じ意識レベルになって読むことでしょう。
そうすれば、アレンがどんな気持ちでその文章を書いていたのか、当時の彼の心情が伝わってくることでしょう。


★ 自分をインディゴ・チルドレンだと思うあなたへ ★


わたしの次女がインディゴであることは、過去記事でお伝えしておりますが、今のところわたしが知っている1980年代に生まれたインディゴは、次女だけです。
それ以降の子どもたちとは出会う機会もなく、なかなかインディゴ・チルドレンの実態が把握できません。
これからの時代は、インディゴたちがおおいに活躍するようになってほしいと心から願っているのですが、実情はどうなのでしょうか?
彼らは今何を考え、何をしているのでしょう?

さまざまなインディゴの悩み、実態を知りたいと思っています。
もし、あなたがインディゴなら、ぜひあなたの率直な心情を聞かせてください。

インディゴ・チルドレン」についての本はアメリカ人によって書かれていますが、日本人には当てはまらないところもあるとして、胎話士の南山みどりさんがつぎのようにまとめておられます。
もし、あなたがインディゴかどうか自分ではわからない場合は、つぎの特性を参考にしてみてください。


★ 自尊心が高く、自己評価に重きをおく。
★ ウソを見抜く能力があり、ごまかしがきかない。
★ 根拠はないのに、「知っている」「わかっている」という感覚がある。
★ 命、生きること、または死に対して、特別な思いがある。
★ すべてを理解しているかのような、さめた、または思慮深い目をしている。
★ 世間一般には、我が強いと思われがちな言動をする。
★ 人生の先が見えているような言動をする。
★ 戦士のように激しい気性の半面、かぎりなく優しいという二面性がある。
★ 羞恥心が強く、自分の存在そのものを恥と思いがち。
★ 何事も挑戦したがるが、すぐにあきてしまう。(見極める力がある)
★ 直観力が強く、他人の心の変化に繊細に反応する。


(南山みどり著『宇宙チルドレン』ビジネス社 P17参照)

インディゴといっても、人によってさまざまだと思います。
あくまでも上記の特性は参考です。
自分がインディゴだと思う人で、ここにはない性質があれば、ぜひ教えてください。
お待ちしています。


★ コメントに対するお答えについて ★


★各記事のコメント欄から非公開での感想や質問をされる場合、それに対するお返事はとてもむずかしいのです。

当然のことながら、非公開文を他の読者が読むことはできません。
ところが、管理人がそれに答えようとしたとき、管理人の回答のみがコメント欄に表示されてしまうので、他の読者には何のことか、わけがわからなくなるからです。

コメントは公開してもよい内容、質問は不特定多数の読者にとっても有益で、参考となるような内容にしてくださるとありがたいです。
そうすると、その回答を記事にも掲載しやすくなるからです。
どうしても非公開にしたい場合は、アンケートの「お便り」のほうをご利用ください。


★ アンケートをご利用ください ★


できれば、ブログの左側に設置した「アンケート」に答えてくださって、感想や今後のご要望などをお知らせくださると、うれしいです。

ご自分のメールアドレスを記入してくださると、fc2ブログを通さずとも、管理人から差出人に返信することが可能となり、ご質問などにも、直にお答えすることができます。
ただし、個人の詳細な調査を必要とするような内容については、安易に回答することは避けたいと考えます。どうかご了承ください。

★また、質問される前には、今あなたがしようとしている質問に答えているような過去記事がないかどうか、このブログの「全記事一覧」をクリックして探してみてください。

まだ読まれていない記事があったり、読んでいても忘れてしまっていたりして、もしかしたらどこかの記事にあなたの質問に対する答えが記されているかもしれないからです。
(結局全部読んでいただくことになりますね。笑)
それでも、答えが見つからないのであれば、ご遠慮なくお尋ねください。



★蛇足ですが、ネット検索をしていると、よくご自分のブログに「毎回他人のブログ記事を全て掲載して公開している人たち」をみかけます。
たとえがよくないかもしれませんが、「人の褌で相撲をとる(To wrestle in other's outfit.)」ようなことはしないで、自分は自分にしか書けない記事を書いてほしいと切に願います。
常に自分のオリジナルを表現することが、この世に生をもった目的でもあるのですから。

ご自分のホームページやブログをお持ちの方で、もし自分のブログ読者にも「思いの制限をひらく」を紹介したいと思われましたなら、ぜひリンクを張ってください。
よろしくお願いします。


ハート
今後はどのような記事になっていくのか、わたしにもわかりません。
読者の皆さんの思いの制限をひらくお手伝いができるよう、
わたし自身の思いの制限も、さらに大きくひらいていきたいと思っています。

これからは週に1~2回のペースになるかもしれませんが、
楽しみながら書いていく予定です。
書くからには、さらに充実した内容を皆さんにお届けしたいと思います。

これからもよろしくお願いいたします。





インディゴへのメッセージ 自由と責任

2010年11月11日 03:00



先日インディゴ・チルドレンについて次女と話していたとき、わたしの脳裏に思い浮かんだ人がいました。それは、かつてのシンガーソングライターで、若者たちのカリスマ的存在となった尾崎豊さんでした。

その尾崎さんのライブの映像が、たまたま夜につけたBSのテレビ画面に突然現われたため、「これは何かの縁かな?」と思ったのです。
それで、今回彼について、わたしなりの感想を書いてみることにしました。


★尾崎豊さんはインディゴ・チルドレンだったのか?★


彼は1965年に生まれ、1992年に26歳でこの世を去った人です。
絶対的な権威を受け容れない」という意味で、まさしくインディゴ・チルドレンの先駆者ともいうべき青年であったと感じます。

尾崎さんを思い浮かべるとき、いつも言い知れぬ悲哀が伝わってきて、とても淋しい気持ちになります。

彼は一生懸命に生きようとしていました。
けれども、彼にとっては、何でも自分の思い通りになる人生ではありませんでした。
10代後半に全盛期をむかえ、早くも20代で燃え尽きてしまった彼は、おそらくこれ以上生きることに何の意味も見いだせなかったのでしょう。
この世を去る時期は自分で決めるわけですから、本人はそれでよいと了解していたのでしょう。

死因は「肺水腫」で、致死量の覚せい剤を飲んでいたことが影響したと伝えられています。
肺水腫」が生じたのは、彼が「自分の考え方、生き方を変える必要があった」ことを教えてくれています。

★「肺」というのは「生命力」、「生きる意欲」、「生きる欲求」に関係しているところです。
心臓と同様、生命にかかわるもっとも重要な器官なのです。
そこにトラブルが生じるのは、生きることに困難を覚えて苦しんでいることを表していると考えることができます。
悲しみ、失望、絶望感……。

息がつまって思うように呼吸ができない状態、息苦しい思いは、当時の彼の生活そのものであったはずです。
彼はそういう生き方しかできない自分を、自分で攻撃していたのかもしれません。自虐的行為がそれを物語っています。

「肺」は、粘膜や液体に関係することから、「深い悲しみ」をあらわすとされています。
確かに彼の瞳はいつも深い悲しみをたたえていて、はるか彼方を見つめているように見えました。
自分の人生と世の中に嫌気がさし、足早にこの世を去ってしまったという感じがして、残念です。



★ 自由と責任 ★


尾崎豊さんの歌には、「自由とは何なのか」、「正しいものは何なのか」を追求し、「愛の大切さ」を謳う半面、「世の中」や「学校」がつくった規則に対して、また「先生」という名の権力者に対しての熾烈な非難が表現されています。

高校在学中、喫煙で停学になった彼は、その日同級生と飲酒したあげくに乱闘騒ぎを起こし、警察沙汰となって無期限の停学処分を受けたといいます。
それらの事件は自らが引き起こしたもので、だれのせいでもなかったはずです。
喫煙したのが見つかって、停学処分になったことに腹を立て、自分の仲間と酒を飲み、大学生たちとの喧嘩を引き起こしたのだとしたら、彼はただの「きかん坊」にすぎなかったということです。

歌にある「夜の校舎の窓ガラスを壊してまわった」ところで、教師は痛くもかゆくもないだろうし、ガラス業者が繁盛するだけのことだと、わたしなんかはつい思ってしまいます。
どうせガラスを壊すなら、なぜ堂々と昼間壊さなかったの? って、思うわけです。
(これはただの歌詞なのか、願望なのか、実際におこなった行為なのかはわかりませんが)

★反逆するのなら、それをする自分自身に対して、責任を引き受けなければなりません。
責任を取りたくなければ、自由を得ることもできません。
そして、自由を獲得することなしに、自らの成長はないのです。


毎日学校でいつもの席に座り、「何に従い 従うべきか考えていた」という彼は、
「とにかくもう学校や家には帰りたくない」、「誰にもしばられたくない」
と、盗んだバイクで、暗い夜のとばりのなかへと走り出します。

闇のなかで「自由になれた気がした」と歌っていた彼は、光のなかではどうだったのでしょうか?

ここでは、バイクを盗まれた人の気もちなどは、一切考えていませんよね。そんな余裕は、この歌詞からは一切感じられません。頭の中は、自分のフラストレーションをいかに解消するかということでいっぱいです。

盗んだバイクで走るよりも、一生懸命バイトして、自分が稼いだお金で買ったバイクで走るほうが、ずっと爽快で自由な気がしたにちがいないと思うのですが。


★「卒業」という歌詞のなかに、
「逆らい続け あがき続けた 早く自由になりたかった」、
「うんざりしながら それでも過ごした ひとつだけ 解ってたこと この支配からの卒業」とあります。

つまらない授業に、わかり合えない教師たち。
そんなに嫌でたまらなかった高校に、なぜ停学になるまで、彼は通いつづけていたのでしょうか? 義務教育でもないのに。
これは、じつに不思議な現象ではないでしょうか。

わたしの次女は、小学校5年生くらいからほとんど学校には行っていません。
中学校に行っても保健室にいて、教室に入ることはほぼありませんでした。学校に行くのは、好きな部活をするためで、勉強をするためではなかったという変わり者です。

それをわたしは認め、校長をはじめ、その時々の担任教師たちをいつも説得してきました。
学校で新しい教科書をもらってきても、そのすべてをわたしの部屋に置き去りにして、いつまで経っても取りに来ないほど、学校と教師と勉強が嫌いな次女でした。

義務教育といっても、問題のある学校、問題のある生徒たちのなかで、問題のある教師によって、学ばされる義務などはありません。児童生徒には、健全な環境の下で、楽しく学ぶ権利があるだけです。

次女とは異なり、尾崎豊さんが学校に行くことをやめなかったのは、おそらくそこで勉強以外の何か大事なことを学び、もっとも倦厭(けんえん)する現場で自分をいかに表現するのかという課題があったからなのでしょう。


★ 6と7の数字がもつエネルギーの狭間で ★


あらゆる制限から自由になることを望んでいた尾崎さんに、果たして真の自由は訪れたのでしょうか?

人を愛することの大切さを主張しながら、けっしておとなたちを愛せなかった尾崎さんの相反する心情は、どこから生まれたのでしょうか?

彼の誕生日と名前を数秘術で調べると、その謎をある程度は解明できます。
彼の〈軌道数〉は7で、〈表現数〉は6でした。

★〈軌道数〉は、その人がこれから明らかになっていく人生の地図、その人が人生を通して学んでいくものをあらわします。

7の本質は、自分自身の内側に入っていって、自分自身とともにあり、自分自身の道、自分自身の理解というものを見ていくことのできる能力です。
智恵、瞑想、独りであること、知性、観察、識別力、眼識、尊厳、気高さ、洗練された、頭とハートを併せ持つという質をもっています。

7の人の学びというのは、意識とハートが組み合わさって、ほんとうに起こっていることを経験していくことにあります。

7の人にとっては、「愛というものが何なのか」、人との「関係性というものが何なのか」を、ただ頭でわかっただけではだめなのです。
自分が愛や関係性を通して、その経験から学ばなければ、真にわかったことにはならないからです。


ですから、彼はいろんな体験をして、自分の思い通りにならない人生について、いやというほど思い知らされていったのだと思います。


★〈表現数〉は、その人が世の中でどんなふうに自分を表現しているのかを示す数です。その人が出生時につけられた名前が、その人の人生を動かしていて、その人の仕事やしていることに影響を与えていくと考えます。

尾崎さんの表現数は6でした。
6は、無条件の愛、ハートの真実、責任、調和、世話、配慮、真実、家庭と家族、奉仕、信念などをあらわすエネルギーです。


子どものころ、母親はよく子どもに言います。
「これをしたら、あなたはいい子ね。でも、これをしたら、あなたは悪い子」と。
子どもは「これがやってはいけないこと、悪いことなんだ」ということを学びます。
学校に行ったら行ったで、厳しい校則のなかで、教師から「していいこと、悪いこと」を学びます。
子どもたちはおとなになるまでに「正しい、まちがっている、するべき、するべきでない」ことを、すべて学ばされるわけです。

だから、子どもたちは「何をするべきか」、「何をするべきでないか」ということは知っていますが、「ほんとうに自分が何をしたいのか」ということは知らない、わからないのです。

いつでも「こうすべき」とか「これが正しい」という状況に入っていくと、ことばにならない契約で、相手がどうふるまうかを期待するようになります。

「私はあなたにこのようにしているのだから、あなたも同じようにちゃんとしてね」と望むようになっていくのです。
そして、その期待が満たされないと、「あなたはあなたのするべきことをしていないじゃないの。だったら、私だって、そうしないわ」と、とても恨みを感じてしまうのです。
自分が相手を愛したり、与えたり、シェアするのは、自分がそうしたいからであって、他人から認められたいからするのではありませんね。

ところが、6の人というのは、「何が私にとって正しいか、私にはわかっている」だから、「わたしは~すべきだ」というところで動くので、つい無理をして「いい人であるふり」をしてしまうのです。


尾崎さんが「正しいことは何なのか?」を探求しつづけたのは、軌道数が7で、表現数が6だったことが大きく影響しているように思います。
彼は6と7のエネルギーの狭間で葛藤し、苦悶していたのです。

彼は学校の先生やおとなたちから与えられた「正しさ」に対しては、つよい反発心をもっていました。
おとなたちを否定し、批難したのは、自分のなかにある「正しさ」という「ものさし」で測っていたからこそです。そうでなければ、やみくもに反発することなんてできません。
彼の心の中に、彼が一番嫌っていたはずの「学校の先生」が存在していたことを、彼自身気づいていたでしょうか?

それでは、お互いに攻撃し合うだけですね。
この「自分だけの正しさを主張する者同士が戦争をつくる」のです。
ですから、ほんとうは平和を求めていたはずの彼の心は、苦悶だらけだったにちがいありません。

歌のなかに、「愛」ということばをふんだんに使ってはいても、真の愛がいかなるものであるかを、彼は知らなかったのかもしれません。

少年のころから煙草を吸い、酒を飲み、覚せい剤におぼれていた彼は、完全な「中毒者」でした。
「中毒者」が求めているのは、「躁的状態」の連続です。
「耽溺」という一瞬の快楽に生きるようになるのは、苦痛から逃れるための手段なのではないでしょうか。

苦悶と恍惚に交互にひたっていて、そこから抜け出せない人の結末は、悲惨です。
破壊的な結婚生活や人間関係から一生を棒に振ってしまうのは、このような中毒者に多いのです。

彼はまるでクモの巣にからめとられた蝶々のように、苦しみ、もがいていたのではないでしょうか。
自分の苦しみの脱出口を見つけようとして、狂乱の状態で身をひねったりよじったりして「おれは自由になりたいんだ!」と叫んでいたのです。

彼は冷静になって脱出口を見つけるかわりに、あくまでももがきつづけたために、事態をさらに悪化させてしまい、二度と自由な空へと舞い上がることはできませんでした。

制限されるのをもっとも嫌った彼は、「自分でつくった制限」の網にからめとられたまま、この世を去ってしまったのです。
彼はこの世で「真の自由」を味わうことはできなかったのです。


★尾崎さんの〈魂の衝動数〉は3でした。
喜び、表現、創造性、熱情…。

喜びがあまりにも強くなると躁状態になり、それが反対になるとウツ状態になり、意気消沈してしまいます。
アップダウンが激しくなると、躁ウツ病になってしまいます。

もし創造的なエネルギーを表現していかなかったなら、ファンタジーの世界に入り込んでしまい、大地とのつながりを失ってしまうのです。
憂愁に閉ざされながらも、彼は夢を見ている少年だったのです。

初めてギターを抱いて、ちょっと恥ずかしそうに微笑んでいた彼の顔が印象的でした。



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インドの神秘家OSHOは、つぎのように語っています。


「反逆者」が意味するのは、絶対的な自由、絶対的な愛、絶対的な創造性だ。

彼は過去においてほんのわずかの人々、ほんのわずかの詩人たち、ほんのわずかの哲学者たち、ほんのわずかの神秘家たちによって夢みられてきた、まったく新しい種類の人間だ。

が、それはいつまでも夢にとどまったままだった―
ゆえに人々は、それらの詩人や神秘家たちを夢想家(ユートピアン)と呼ぶようになった。
  
ユートピアということばは、語源からすると「けっして来ないもの」という意味だ。
それを夢見ることはできるが、その夢はまったくむなしい努力に終わる。
それは夢想であり、けっして実現することはない。
それはまったく望みのない希望だ。
それは人々に現在の苦しみやみじめさを忘れさせ、夢を見させ、幻想を与えておくための阿片にすぎない。

反逆者は、夢ではない。
反逆者は、現実だ。彼はユートピアではない。
彼は、人間の潜在的可能性の具体的な実現であり、
果たされた約束、具現化した夢だ。

当然、彼は既存のいかなるカテゴリーにも属していない。
反逆者は自らのカテゴリーを創造しなければならない。
きわめて多くの知性的な、若々しい、生き生きとした人々に
未知なる未来の挑戦を受けて立つ用意ができるとき、
まさにその事実が新たなカテゴリーを創り出す……。



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ハート
反逆者は何よりも自由を愛するけれども、道に迷うようなことはありません。
自分を制限するものなど、ほんとうは何もないことを初めから知っているのです。
尾崎豊さんは反逆児ではなく、夢想家だったのだと思います。

クリスタル・チルドレンと呼ばれる現在の子どもたちは、インディゴの激しさを求めることはありません。
彼らは穏やかで、暴力や不調和を嫌い、自分の身体に悪いものや動物を食べない菜食主義者が多いといいます。
生きとし生けるものを愛する霊性が備わっていると言ってもよいでしょう。
インディゴとクリスタルの気質は異なってはいますが、どちらも感性豊かで心やさしいニュー・チルドレンです。



インディゴは、母の愛を求めている 

2010年11月15日 19:00


★ 母さん子と夢想家 ★



先日、あるインディゴさんからつぎのようなメッセージをいただきました。

尾崎豊さんについて、「ガラスを割ったり、タバコを吸ったりなどの幼い反逆行為は、『愛されたい!』と絶叫する程の思いを素直に口で言えないがゆえの精いっぱいの表現ではないかと思う。なぜなら自分がそうだったから…」という内容でした。
(自分の心の真実を伝えてくださったことに感謝しています。ありがとうございます!)

また、「これは勝手な私の憶測ですが、インディゴは母親の惜しみない愛が必要です。HOMEがあるという実感が必要です」とインディゴさんは記しておられました。

尾崎さんが「お母さんの愛を心から欲していたのではないか?」というご指摘は、大変貴重だと思いました。わたしも同感であったからです。
前回わたしは「尾崎さんは反逆児ではなく、夢想家だったのだと思います」と書きましたね。
「母親との関わり」はあえて述べなかったのですが、彼を「夢想家」だと感じたのは、彼のウツ状態の影に隠されているものが、「母という存在」なのではないかという直観があったからです。

★「夢想家」というのは、「男性心理の元型」から分類すると「未成熟な男性の元型」のなかの「少年心理」に該当します。
少年心理」にもいくつかの分類がありますが、彼はそのなかの「エディプス児」に相当するのではないかと思うのです。

エディプス児」はさらに「母さん子」と「夢想家」のふたつに分けられています。
夢想家」というのは、「エディプス児の逆機能である『影』のもうひとつの極」なのです。

母さん子」にとりつかれた少年は受け身だけれど、少なくとも「」を能動的に求めます。
でも、「夢想家」にとりつかれた少年は孤立して、あらゆる人間から切り離されているのだと感じるのです。
少年が関わる人間関係は雲をつかむように漠然としたものであったり、自分の内にあるイマジネーションの世界だったりするわけです。いつもひとり夢見ている孤独な少年であるわけですね。

尾崎さんはお母さんが亡くなったあと、そのあとを追うように亡くなられたようですから、母の死は痛手だったのでしょう。

人はみなたいてい母の愛を求めますが、特にインディゴはそれが強いのかもしれません。
そして、ほんとうに求めているのは、肉体を持つ限界のある母ではなく、無条件の愛のなかで抱いてくれる霊的な母なる神、永遠に自分を愛しつづけてくれる女神なのではないでしょうか。



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★ インディゴとシジジィ ★



インディゴを思うとき、わたしは20年ほど前に読んだ詩人 山越龍美(やまお たつみ)氏の記事「現代のミュータントたち」を思い出します。
(別冊宝島 『性格の本』に記載)

そこに「シジジィ」ということばが頻繁に出てくるのです。
(「シジジィ」というのはギリシャ語で、正確にはSYZYGYと発音します)
本格的な「シジジィ」についての詳細は、分析心理学者C.G・ユングの「アニマ、アニムス」や「転移の心理学」などに譲り、今回はほんの少しだけ「シジジィ」の性質について触れておきたいと思います。

★山越氏は、「シジジィ」を「愛情乞食」と比較しながら綴っています。

愛情乞食」というのは、一人の指導者のもとに集まり、集団的に行動することを好み、仲間うちでは非常に情に厚く、外に対しては攻撃的であって、家父長的な世界に生きている人たちを指すのだそうです。
社会性はあるけれども、集合的で自立していない人たちというわけですね。

それに比べ、「シジジィ」は自分の身ひとつで行動するアウトサイダーの一匹狼です。
孤独で傷つきやすく、頼りとするところは、現実に存在するしないにかかわらず、おそらく母の胸しかないであろうというものです。

シジジィは、淋しさに堪えかねて、愛情乞食の群れと行動を共にすることはあるが、長続きはしない」と山越氏は言います。
なぜなら、両者は対極的な存在であり、本来は絶対に合わない種類の人間であるからです。

生まれながらにして自己完結型である「シジジィ」は、完全主義者であり、自己充足的です。
彼らは共感能力を持っていて、相手のことがよくわかり、シジジィは他のシジジィを見分けることができるのだといいます。

シジジィは詩人や芸術家に多く、非常に繊細で傷つきやすい心を持っているので、防衛上自閉的にならざるを得ないし、神経質で気難しいのだそうです。
彼らはやさしいけれども、そこに秘められた激しさもあります。
山越氏はつぎのように記しています。

やさしいというのは、弱いということでも、能力がないということでもない。
彼らは憎しみは持たないが、正義の怒り、
あるいはやさしさを引き裂くものに対しては殺しもあえて辞さない。


★シジジィって、どこかインディゴに似ていませんか?

もちろんシジジィといっても、いろんなタイプのシジジィが存在するのでしょうが、インディゴと共通しているところがあるのではないかと思います。

若い頃、わたしは自分のことを「シジジィ」だと思っていたことがありました。
わたしの夢は、スカイダイビングと自由自在に操縦できるUFOに乗ることでした。
空を飛びまわること、上昇することへの憧れは、シジジィの特徴でもあります。
山越氏の文を読むと、なおさらそうだと確信するようになりました。
まあ、SF作家のシオドア・スタージョンに言わせれば、シジジィは地球外からやってきた宇宙人なのだそうですから、「さもありなん」という感じですね。

地球外から来た者は、多かれ少なかれそういうところがあると思います。
故郷がなつかしいんですね。
地球で生きているのがいやになると、早く還りたいと思うのです。
E.T うちに帰る!」って言いたくなるわけですね。
そんな気持ちがわかるというのなら、きっとあなたもE.Tなのでしょう。



天の川



★ 教えることと学ぶこと ★
 



★次回より、「宇宙創造主のもくろみ」というテーマで「人が地球に生まれた理由」や「人類を創成した神の正体」「宇宙創造主の意識と意思」について、お話ししたいと思っています。

これらは、わたしが5年ほど前に『分離から統合へ』というテーマで、将来本にする予定でまとめた内容の一部です。
その内容を再度吟味し、新たに編集しながら、今回からブログとして発表していこうと考えています。
そのあいだに、皆さんからの要望などがあれば、とりあげたいと思います。

若い人たちから、もっといろんなメッセージをいただけると、うれしいです。

★「教えることと学ぶこと」は一貫しています。

若い頃、わたしは子どもたちに学びを提供する教師だったことがありました。
その間、教え子から与えられた学びもたくさんありました。
自分が学んだことを、人に教えれば教えるほど、自分自身のなかでの学びもさらに増え、深まっていきます。

わたしは自分の知っていることを皆さんに提供しています。
今度は、わたしの知らないことを皆さんが教えてください。
そして、学びあいましょう。

Teaching and Leaning.
これが、わたしの人生の目的なのです。

あなたはどこからやってきた?  

2010年11月17日 00:45


★ 自分がどこからやって来たのかを知りたがる子供は、
    人間となる第一歩を踏み出している ★




            われら何処より来たるや?
             われら何者なるや?
              われら何処へ行くや? 

 

これは、フランスの画家ポール・ゴーギャンの作品(下記の絵の左上方)に書かれた画題です。
彼は病苦と生活苦と孤独の絶望状態でその絵を描き上げ、署名した後大量のヒ素を飲みました。
結局自殺未遂に終わりましたが、そのとき決死の思いで描いた傑作のテーマが、
われわれは何処から来たのか、われわれは何者か、われわれは何処に行くのか」だったのです。


      350px-Woher_kommen_wir_Wer_sind_wir_Wohin_gehen_wir.jpg


自分の生がどこから来て、どこへ帰っていくのか、自分とは一体何なのだという彼の問いかけは、地球人類全体の問いでもあります。
ゴーギャンほどに切羽詰まっていないにしても、その問いは深遠なる普遍性を持ち、だれの心にも響いてくるものがあります。

まさにシェルドン・S・ヘンドラーのことばのごとく、「自分がどこからやって来たのかを知りたがる子供は、人間となる第一歩を踏み出している」といえるでしょう。


★ あなたはなぜ地球に生まれたの? ★



さて、あなたは毎朝目覚めたときに、今日も一日無事過ごすことができるようにと祈ったり、夜眠りにつくときに、無事に過ごせたことを感謝したりすることがあるでしょうか? 
そういう気持ちを持っている人は、何か目に見えない高次元の存在によって、自分は生かされているのだという自覚があるからだと思います。

自分が何のために生まれてきて、何のために生きているのかと、これまでに一度も考えたことのない人はいないのではないでしょうか。
なぜなら、ここにこうして生きている意味がほんとうにわかっている人間など、稀だからです。皆、わけがわからず生きていると言っても過言ではありません。

★あなたはどうでしょうか?


あなたはなぜ地球に生まれたのですか?

あなたは何をしにここに生まれてきたのですか?

あなたはいったい何者ですか?

あなたはどこから来たのですか?


今一度じっくりと考えてみてください。


ほとんどの人は、朝目覚めたら顔を洗い、ご飯を食べ、仕事や学校に出かけ、夕方家に帰ってきて、またご飯を食べ、お風呂に入って寝るという繰り返しです。
もちろん昼間にその人なりの有意義な出来事を体験して、人生を楽しんでいる人もいるでしょう。
でも、起きて、寝て、食べて、働いて……というパターンは、どこの国の人もさほど変わりはないはずです。

★人は生きるために毎回食べ物を食し、その食べ物を買う貨幣を得るために働かなければなりません。

貨幣制度の導入は、人類に多大な不幸をもたらしました。
地球には、すべての人が生きるために必要な食べ物や資源が豊富にあるにもかかわらず、全く行き届いていないのが実情です。
ポール・ゴーギャンのように、今日食べる物がなく、明日に希望を持つことができないほどの飢餓に直面している人々は、現在も世界中に数多存在するのです。

けれども、それとは逆に、驚くほどの広大な土地と多くの労働者を所有する富める人々がいます。
彼らはだれの許しを得て、大地を独り占めしたのでしょうか? 
いったい地球はだれのものなのでしょうか? 
真の所有者はだれなのか…。 

だれの許可もなく手に入れた大地なら、土地を持たない人々に無償で分け与えるべきですが、彼らは高い代価を要求して私腹を肥やすことに専念しています。
お金を増やすためなら、他の人々の不利益など一切考えない。自分以外の人間を動物としてしか見ていない支配階級も、存在するのです。

何者かによって意図的につくられた世界経済の仕組みは、完全に「分離の考え方」に基づいています。国々の現状を見ればわかりますね。
支配する側とされる側。貧富の差は歴然としています。

貧しい多くの人々は、貨幣の奴隷となって一生を終えます。
昔からそのようにしてきたからなのか、先人の敷いたレールに乗って、ひたすら走りつづけているのです。
目指す真の目的地もわからないままに、毎日同じことを何十年と繰り返し、やがては死んでいきます。

死ぬ前に、「私の人生って、いったい何だったのだろう? 今までやってきたことが、果たして私の一番やりたかったことだったのだろうか?」と振り返ったとき、たいていは「?」なのではないでしょうか。
「ああ、わたしにとっては、何もかもが思い通りになったすばらしい人生だった! 思い残すことなんて何もない!」と思える人は、ほんとうに幸せ者ですね。

そう簡単に自分の思い通りにはならないのが、この三次元の世界です。(自分勝手な制限を設けているからなのですが…)
物が欲しくても、お金がないと手には入らないし、鳥さながらに空を飛びたいと思っても飛べない。病気になりたくなくてもなることはあるし、死にたくなくてもいつかは死ななければならない。(人間は生まれたら死ぬと思い込んでいるから、死ぬわけですね)

究極的には、自分の現実は自分で創っているのですが、自分の思い通りにならないと思っている現実があるわけです。
さまざまなものを創り出してきたわたしたちでも、不可能だと思えることは山ほどあります。(これも制限しているのです)
「わたしたちは決して万能の神ではない。よって、人間がその万能の神に何か理由があって生かされている存在だ」と考えるのは、自然な発想なのかもしれません。(現在の地球人の集合意識がそうなのであって、集合意識を変えることが現在の課題です

もし、目的もなく地上に自然発生した動物であるとするのなら、なぜこれほどまでに自然界から遠のいてしまったのでしょうか。いまや他の動物たちと同様に、自然のなかで、自然と共に生きていくことなど、とうていできない状態となってしまっています。

人間が他の動物と異なっているのは火を使うことですが、さらに違う点は金銭を使うことですね。
お金を欲しがり、物質欲があるのは、人間だけです。
その物質欲が、貨幣を生み出し、その貨幣の奴隷となって一生を終えるような、つまらない人生のレールを作ったのです。


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二千年という長きにわたって多くの人々が信じ、敬ってきたイエス・キリストは、当時の人々に次のように語っていました。


あなたがたは、神と富とに兼ね仕えることはできない。
それだから、あなたがたに言っておく。
何を食べようか、何を飲もうかと、自分の命のことで思いわずらい、何を着ようかと自分のからだのことで思いわずらうな。
命は食物にまさり、からだは着物にまさるではないか。

空の鳥を見るがよい。
蒔くことも、刈ることもせず、倉に取り入れることもしない。
それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていてくださる。
あなたがたは彼らよりも、はるかにすぐれた者ではないか。

あなたがたのうち、だれが思いわずらったからとて、自分の寿命をわずかでも延ばすことができようか。
また、なぜ、着物のことで思いわずらうのか。
野の花がどうして育っているか、考えてみるがよい。
働きもせず、紡ぎもしない。

しかし、あなたがたに言うが、栄華をきわめたときのソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。
きょうは生えていて、あすは炉に投げ入れられる野の草でさえ、神はこのように装ってくださるのなら、あなたがたに、それ以上よくしてくださらないはずがあろうか。  

ああ、信仰の薄い者たちよ。
だから、何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。
これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。
あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存知である。

まず神の国と神の義とを求めなさい。
そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。
だから、明日のことを思いわずらうな。
あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう
一日の苦労は、その日一日だけで十分である。
 
(新約聖書 マタイによる福音書 6章24―34)
 


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金銭は「この世」でしか通用しないものです。
多くの人間が追い求めている金銭は、「あの世」や「アセンション後の地球」には必要ないものです。

「豊かさ」は必要です。
わたしたちが欲しているその「豊かさ」が、「物質的な豊かさ」なのか、「精神的な豊かさ」なのか、そこが分かれ道となるのです。
だからこそ、イエスはこう言っていたのです。


「あなたがたは自分のために、虫が食い、さびがつき、また、盗人らが押し入って盗み出すような地上に宝をたくわえてはならない。
むしろ、自分のため、虫も食わず、さびもつかず、また、盗人らが、押し入って、盗み出すこともない天に、宝をたくわえなさい。
あなたの宝のある所には、心もあるからである」と。
(マタイによる福音書 第6章19-21)

 


ハート
先祖から受け継がれてきた、金銭による金銭のための生活。
果たして、それは「人間の魂の成長と進化に必要なもの」だったのでしょうか?

あなたは、いかがですか? 
これからも、やはり金銭を含め、物質を追い求めていきたいでしょうか?
ここに生きている理由を、今一度考えてみてほしいと思います。




人類を創成した神の正体 

2010年11月18日 16:20


★ 人類の先祖はだれ? ★



人間というのは、地球に誕生した数多の生物のなかで、ほかに類を見ない特殊な生物ですね。
このホモ・サピエンスという名のわたしたちの祖先は、突如としてこの地上に姿を現し、驚異の知的生命体として生き始め、幸か不幸かわからないような物質文明を今日まで築いてきました。

21世紀の現在、わたしたち人類が猿から自然に進化していったのだというダーウィンの進化論は、今では通用しなくなっています。
猿から進化したのなら、いつだって人間になりかけている猿が必ず存在するはずだからです。でも、そんな進化途中の猿人を未だかつて見たことはありません。人間は、どう考えても突然変異したとしか考えられないのです。
また、現代人が太古の人たちよりも智恵があり、技術が優れているとは、とても思えません。手作りを機械化しただけで、むしろ退化しているようにさえ思えるのは、わたしだけでしょうか?

★さて、この優れた生き物である人間は、だれに似せて造られたのでしょうか?
人類を生み出したのは、いったい何者なのでしょうか。

旧約聖書の「創世記第1章」には、こう記されています。
神は言われた、『われわれのかたちに、われわれにかたどって人を造り…』と。



★約二千年前に、竹内真鳥(たけうちのまとり)という人が神代文字から漢字カナ混じりに書き改めたとされる「竹内文書」が、今も残されています。

そこには、人類の先祖は「天空浮船(あめのうきふね)」という名の宇宙船に乗って、他の天体から来たということが記されており、天から下りてきた異星人のことを「神人」とか、「神星人」と呼んでいたと語られています。

人間には赤人、黒人、黄人、青人、白人の五種類があって、総称五色人と呼ばれていたようです。
(ちなみに赤人はユダヤ人、アメリカインディアン、アラビアやエジプトの民を指し、黄人とは日本人、中国人、朝鮮人などのアジアモンゴロイド系民族を指します。
青人は北欧人やスラブ人、白人は欧州のコーカソイド、黒人はインド、アフリカ、パプアニューギニア圏やメラネシアの民を総称しているといわれています)


★ 幣立神宮の五色人祭について ★


熊本県阿蘇郡蘇陽町にある元伊勢神社日の宮「幣立神宮」には、「五色人の面」が神宝として伝わっており、「住古、世界の五色の民の代表が参拝に訪れていた」という社伝が残っているのだそうです。

随分前のことですが、知人が「五色人祭」に参加したとき、そこである霊能者に「元は黒人だった」と言われたと聞いたことがありました。(まあ、人類の発祥の地はアフリカ東部であると言われていますから、黒人というのはまちがいないのでしょうが…)
そのとき、「五色人祭」に参加すると、自分がもとは何色の人として生まれていたのか、自分のルーツがわかるかもしれないなーと思ったのです。
それで幣立神宮にお参りしたいと考え、毎年「五色人祭」がおこなわれる8月になると、九州行きの計画を立てていました。でも、不思議なことにいつも途中で気が変わり、結局行かなかったのです。

今まで行きたいと思っていた場所には、つぎつぎと案内人が現われて、望みを果たすことができたのですが、(過去記事 「心の量子力学 その3 ほんとうに必要なことは成就する」 参照)この幣立神宮だけは未だに叶わないままです。

それを不思議に思って、あるとき、ハイアーセルフに尋ねてみました。
そうしたら、わたしは「五色人祭」に参加する必要がないのだというのです。
なぜなら、わたしは人類として創られた側ではなく、創った側だからというわけです。
要するにわたしは「五色人」のなかに、自分の魂のルーツがないということだったのです。


人類を生み出したのは、天から下りてきた異星人


★宇宙考古学者の高坂数導氏は、「原始地球人に天孫降臨した神人が遺伝子を与え、変化させることによって生み出したのが、五色人、つまり人類だったのではないだろうか」と述べています。
つまり、人類を生み出したのは、天から下りてきた異星人だということです。
人類の祖アダムも、この神人と呼ばれた異星人たちのうちのだれかに創成されたといえるでしょう。

近年は「異星人による地球人類創成説」が前面に出てきており、しだいに真実が明かされ始めていますね。
地球人が異星人の手によって生み出され、奴隷として所有されていたというのは、けっして新しい考察などではありません。
それは、人類最古のシュメール文明によって表明されており、その記憶は円筒印章に刻まれ、今日まで残されてきているのです。
シュメールの古文書は、天から来た神々が自分たちの仕事をやらせるために人類を造ったのだと語っているのです。
 
★言語学者で考古学者のゼカリア・シッチン氏は、旧約聖書や近東の歴史と考古学を学び、シュメール語を解読できる世界でも数少ない学者として有名です。

彼は著書(『人類を創成した宇宙人』『神々との遭遇 上下』 徳間書店)のなかで、人類を創成したのは太陽系の十二番目の惑星ニビルから来たネフィリム=アヌンナキ(天から地球にやってきた者たち)だと述べ、その証明となるシュメールの古き物語をベースに、詳細な説明を展開しています。

ただし、異星人に関する種々の文献からすると、地球に来ていたE・T(地球外生命)は一種族だけではなく、さまざまな星からやってきていて、その数も大変多かったことがうかがえます。

地球人種を造ったのは異星人である」と説く数々の書のうち、リサ・ロイヤル氏とキース・プリースト氏共書の「プリズム・オブ・リラ」が、今のところはもっとも説得力があると思われます。

1993年にヴォイスが主催したリサ・ロイヤル氏のチャネリングセッション「プリズム・オブ・リラ」の内容を聞いたわたしは、彼女がチャネリングするジャーメインの話に大変興味を覚えました。
チャネリングされた内容は膨大にあり、その大部分はカセットテープとして販売されているので、それらを繰り返し聞いてきました。これまで入手できた書籍などで調べたことと照らし合わせてみると、やはりジャーメイン説がもっとも信憑性があるように感じられます。
 

★ 地球人種の創造にかかわった異星人 ★



★「プリズム・オブ・リラ」には、つぎのような内容が書かれています。

すべての魂は、〈大いなるすべて=宇宙創造者〉の一部であるということ
分裂を生んだ〈大いなるすべて〉の思念の力が、銀河系宇宙創造の原動力となったこと
多様な宇宙文明の発生
この銀河系宇宙における人間型生命体発祥の地はリラ、すなわち琴座であったこと

ジャーメイン説」では、地球人種の創造にかかわったのは、つぎの存在たちです。

☆〈大いなるすべて〉の一部から発生した肉体のない意識集団「創造の礎たち
☆肉体をもった「琴座系グループ
☆肉体をもった「シリウス系グループ
☆肉体を持った「プレアデス系グループ

それぞれのグループが異なる動機を持ちながら、「地球における人間型生命体の創造」にかかわったのだとしています。



★ 人間型生命体が初めて誕生した領域 ★
 



★頭と胴体と二本の手足を持つ「人間型生命体が初めて誕生した領域」は、「琴座」です。そこから派生したのが「ベガ」、「シリウス」、「オリオン」などの種族だとされています。 

やがて、思考(志向・指向)が「ネガティブとポジティブ」、あるいは「男性原理と女性原理」に分かれ、そのために闘争が起こり、爆発的な両極の分裂を生みました。 
なかでもオリオンの気が遠くなるような陰陽闘争の歴史は、ジャーメインによって克明に語られています。

★地球を自分たちの楽園にし、自分たちが後に転生するための理想的な種族を創造しようと目論んだのは「琴座星人」で、肉体労働者となる種族の創造に関心があって、地球人種創造のプロジェクトに参与し、琴座星人を援助したのが「シリウス星人」、ほかに地球土着の霊長類に組み込む遺伝子を提供したのは「プレアデス星人」、その結果として、ホモ・サピエンス(クロマニヨン人)であるアダムが造られたのだと、ジャーメインは語っています。



★どのような目的でつくられたのかは、異星人グループによってさまざまですが、地球を自分たちの楽園にしようと考えたのも、自分たちが後に転生するための理想的な種族を創造しようとしたことも真実です。
当時、地球では、彼らがそのままの肉体をもって生きられない状態であったため、元々地球に生息していた霊長類(猿類)と自分たちのDNAを組み込んだのです。それは何世代にもわたっておこなわれました。
ですから、異星人が人間を創成したというのは事実であり、それを受け入れることが人類には必要です。


と、自信をもって言えるのは、わたし自身がそのプロジェクトに関わっていた種族のひとりだったからです。
それは、わたしのハイアーセルフや母神からインスピレーションで伝えられた真実であり、また、わたし自身(魂)がそのことを知っているからなのです。(つづく)

次回は赤色人種アダムについてお話しする予定です。



「男女両性具有なるもの」への探究

2010年11月21日 01:00


わたしたちが生きているこの「地球」という名の惑星には、男性と女性という異なった二種類の人間が存在しています。

昔から男性と女性は、一対となってはじめてひとつの完成された人格をなし、ふたりで一人前だと考えられてきました。そして、お互いに自分にないものを求め、それが互いをひきつけるのだと。

しかし、両者の心理構造が異なっているために、男は女を理解することができないと言い、女は男の心理がわからないと言い、互いに互いを理解できないことからくるもどかしさを味わい、そのために生じた愛憎の葛藤に両者共々苦しんでいるというのが実情です。

愛によって求め合い、結合し、憎悪によって反発し、離散する。
すなわち「分離と結合」です。
これは、地球上に男と女の性に分かれて生まれたときから始まった人類最大の課題なのではないでしょうか。

この地球上では、「男」と「女」は切り離されて存在していますが、「男女両性具有 Androgyny」は存在しなかったのでしょうか? 
そんな疑問が、わたしを「男女両性具有なるもの」への探究へといざなったのです。


★ 「男女両性具有なるもの」への探究 ★



今から10年ほど前、「男女両性具有なるもの」について興味津々で調べ始めたわたしは、早々とその存在の可能性を探し当てました。

★オルフェス・ファイロス氏がチャネルした「大天使ミカエル」は、*「初代レムリア人は完全に両性具有であり、霊的で〈一なる法〉のなかにいて、二元的な現実の痛みとはまったく無縁だった。それは歴史が幕を開けて早々のころで、仲間うちで戦争を始め、いまや進化のすべてのレベルで見られるネガティブな思考形式をつくりあげるより以前のことだった」と語っていました。

*ヴァージニア・エッセン編著『アセンションするDNA』《2章 大天使ミカエル……channeled by オルフェウス・ファイロス―P48》出版社ナチュラルスピリット 参照)

★また、エドガー・ケイシー氏は、*「約20万年前にアトランティスに降り立った神の子たち(第三根源人種)は、男女ふたつの魂がある両性具有であった」とリーディングで語っていたのです。

*W・H・チャーチ著 石原佳代子訳『エドガー・ケイシーの魂の進化』中央アート出版 参照)

プラトンの著「饗宴」にも、形態や名称から見ても男女の両性を結合した「男女(おめ)」という一つの性があったことが書かれていますが、大天使ミカエルやエドガー・ケイシーに比べると、その信憑性は10%くらいです。

また、世界には、男女両性具有なる神々が存在していたという伝説が残っており、少なくとも男女両性具有なるものが存在した可能性が濃いことをうかがい知ることができたのです。

最初地球にやってきた次元の異なった人たちのあいだでは、「性の分化」はまだ始まっていなかったようです。
彼らは創造の力を持っていて、ふたつの魂と両性の身体を持つ子孫を生み出すことができたので、男女間の生殖行為は必要なかったのだといいます。


旧約聖書の「創世記」には、
神は自分のかたちに創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された
われわれのかたちに、われわれにかたどって人を造り……」とあります。

その後地球にやってきて、直接地球人類の創成に関与した「神」という名をつけられた異星人は、どうやら別々の性を持った存在で、彼らは男女両性具有ではなかったことがうかがわれます。

しかし、彼らが造り上げた「アダム」という名のわたしたちの祖先は、初めは「男にして女」、すなわち「男女両性具有」だったのです。

最初からアダムが男であったと思い込んでいた人は、衝撃的かもしれませんね。
でも、原初のアダムが男女両性具有であったことは、さまざまな文献からうかがい知ることができます。
(アダムについての詳細は、次回お伝えします)

★では、なぜ異星人たちは「男女両性具有の人間」を造ったのでしょうか? 

そして、なぜその後、両性具有の人間が存在しなくなった
のでしょうか? 

その理由は、次回の記事で明らかになっていくでしょう。



★ 精神の男女両性具有とは? ★ 



★わたしは、「精神の男女両性具有」を人類の理想と考える人間のひとりです。
それは、男性性と女性性、陰陽のエネルギーが調和された人格を指しています。
肉体ではなく、そのような「精神的な統合の状態」を言っているのです。
あくまでも形而上での意味です。

古くからよく言われてきた「半人前の男(アンドロ)と半人前の女(ジニー)が夫婦になって、ようやく一人前になる」という考えは、もはや時代遅れです。
今や、もともと一個人の心に内在する男性性と女性性を統合し、ひとりで完全な一人前の人間になることに目覚め、それを志すときが来ているのです。

統合された一個人と一個人であれば、相互理解は可能となり、調和されたすばらしい関係が生まれるはずであるからです。

男性と女性は、根本的に正反対の性質を持っています。
ふたつの正反対のものというのは、必ず対等です。
その対等なふたつの質とはどのようなものなのか、
それらはどこから来たのか、
また、相反するふたつの質をどのように自分自身の内側でひとつに統合していくのか……。
自らが「精神の男女両性具有」となっていく術をお話ししていければと思います。
そのなかで、読者は自分自身を深く見つめ、自分がどのような人間であるのかに気づいていかれることでしょう。

そして、過去記事「宇宙創造主のもくろみ あなたはどこからやってきた?」に書きましたように、「自分はどこから来たのか?」「自分はいったいだれであるのか?」と、自分自身の魂のルーツを想起し、「この地球に生まれ、生きている理由と目的」を思い起こし、「では、今どう生きていくのがベストなのか?」と考え、「個々の魂が目指している方向性」へと発展させていってもらえれば、うれしく思います。

ここに記す内容は、けっして現実離れした机上の空論ではなく、今後あなたが生きていく上で必要不可欠な「意識」の目覚めを促すためのものです。
よって、何かひとつでも興味が湧いた箇所に出会ったら、それをもっともっと深めていっていただきたいし、そのためにできるだけ裏づけとなり、参考となる文献も紹介したいと思っています。


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★ このブログを読む上でのお願い ★



わたしのブログを最初から読んでくださっている方々はすでに御承知のことであり、何度も繰り返しているので十分理解されていると思いますが、初めてこのカテゴリを見つけて訪問された方もいらっしゃると思うので、今一度お伝えしておきたいと思います。

まずは、頭を柔軟にして読んでいただきたいということです。

たとえば、UFO(Unidentified Flying Object)こと未確認飛行物体や、地球大気圏の外に生息する生命の総称であるE・T(Extraterrestrial Life)の存在を信じない人にとっては、受け容れがたいものとなるであろうことが予想されるからです。

神秘を直感で素直に受容し、認識していく能力が何よりも必要です。
つまり、意識の焦点を、従来の「頭からハートに切り替える」ことが必要なのです。


★初めて訪問された方は、このブログの趣旨を知っていただきたいので、まず下記の過去記事をお読みくださるとうれしいです。

★はじめに
★プロローグ「真実」はその人の「意識レベル」によって異なる
★「目に見えない世界」を信じる人&信じない人



真理を探究することは、精神世界を探究することです。
精神世界は、視覚不可能な周波数(多次元)が存在する未知なる領域です。
神秘を受容することなしには、不可能な領域なのです。
よって、「目に見えないものを感じることができるかどうか」、あるいは「信じることができるかどうか」が鍵となるわけです。

本来「精神世界と科学はイコール」であったはずなのですが、近代の科学は目に見えるものが対象の物質科学に留まっていました。21世紀になった現在、ようやく量子力学の分野において、「不可視の世界」がひらかれるようになりましたが…。

しかし、科学で解明されなくても、自己の内奥ですでに知っていることはあるのです。
その内奥に刻み込まれたあなたの記憶を甦らせていただくのが、このブログの目的でもあります。

よって、ここで述べる内容を、「頭」ではなく、あなたのハートを全開にして「フィーリング」で受け取り、理解していただければ幸いに思います。



sea


★ 大切なのは、自分にとって有益な情報であるかどうかということ ★



地球上に存在するどの書についても言えることですが、そこに書かれている内容が真実かどうかを確かめる術はありません。
信じるか信じないかは、個々の自由意志に任す以外にはないのです。
そして、その内容が信じられるからと言って、真に正しいかといえば、そうでない場合もあります。
また、信じられないからと言って、それが正しくないとかまちがっているとか、断定することはできません。

大切なのは、それが自分にとって有益な情報であるかどうかです。 
あなたの魂の目覚めや成長に何か役立つのであれば、それはあなたにとって生きた内容となるでしょう。


銀河系宇宙の長い眠りの時節から目覚め、アセンション(次元上昇)しつつある地球。
世界中に起きている急激な異変は、地球が成長するためのプロセスです。
そのなかで、わたしたちはどう生きるのか……。
人類にはさまざまな選択肢が残されていますが、あなたはどの道を選ぶでしょうか? 

このブログを読み進めていかれるあなたの魂が、真に希求する「明確な方向性」が必ず見出されることと信じて、わたしはハートを全開にして書き進めていきたいと考えています。


ハート
自分自身を知ることは、地球を知り、宇宙を知るということです。
自分と宇宙は決して切り離された存在ではありません。
耳を澄ませば、宇宙の声は聞こえてくるのです。



「原初のアダム」に出会う旅

2010年11月22日 22:00



アダム」を語ると言っても、奥が深すぎて、何から話そうかと、この数日間思案していました。

アダムを語るためには、宇宙創世期から、つまり万物を生み出した「宇宙創造意識の意図」から説明しなければならないし、最初のアダムである「天上の霊的なアダム」から「肉体をもったアダム」へと光を落としていったプロセスを語らなければならなくなるからです。
それは「とてつもなくややこしい」ということばで表現できます。
そして、それを語るには、膨大な紙面が必要となるでしょう。
ですから、ここでは「人間アダム」に限定して書きたいと思います。

★まず「人間アダム」が正式に登場したのは、紀元前1万2000年頃のことで、アトランティス最後の崩壊以前のことでした。
これは、わたしの守護神のひとりに確認したことであり、エドガー・ケイシー氏がアカシックレコードから得た情報でもあります。

「アダム」という名の人類の祖先は、一人だけではありませんでした。
このプロジェクトは世界の各地でおこなわれており、「アダム」とつけられた人間は、大量生産されていたのです。


彼らが創造されたとき、神は彼らを祝福して、その名をアダムと名づけられた
という文面から、アダムという名前が個人的なものではなく、地球上にたくさん存在していた原型の総称であったことがうかがえます。
そのとき、イヴはまだ誕生していませんでした。

★最初の人間につけられたアダムという名は、ヘブライ語のアダマに由来する「大地から造られし者」を意味することばです。
また、古代シュメール語では「人の雛形」を意味するアダパと呼ばれていたようです。
アダムは赤、つまり赤色人種の原型であることを表しているのです。


★ イヴがアダムの中にあったとき、死は無かった ★



地球にやってきた異星人たちは、自分たちに似た人間を造りました。
ただし、最初彼らは「男にして女」、つまり「男女両性具有の人間」を造り、それらを「アダム」と呼んだのです。   

《創世記第1章―27》や《第5章―2》には、「神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された」また、「神が人を創造されたとき、神にかたどって造り、彼らを男と女とに創造された」とあります。

これは、同時に男女を創造したというふうにとれますが、それでは《創世記第2章―18~23》の内容、神は「人がひとりでいるのは良くない。彼のために、ふさわしい助け手を造ろう」とアダムのあばら骨から女性なるものを造ったという文面とに矛盾が生じてしまいます。

★この「男と女とに」というのは、アダムが男女(おめ)であったことを語っていると、わたしは考えます。
最初、アダムのなかには女性性なる〈イヴ〉が存在しており、イヴはまだ創造されてはいませんでした。
イヴをアダムから分離し、引き出したことで、未分化だったアダムは初めて男性の片割れとなったのです。
そして、アダムに死が訪れたのです。

イヴがアダムの中にあったとき、死は無かった。彼女が〔彼から〕離れたとき、死が生じた」という『フィリポによる福音書』に記されたことばが、そのことを語っています。(旧約聖書には、アダムは930歳で死んだと書かれています。イヴと分離しなければ、アダムは永遠に生きたのかもしれません。)
(*荒井献訳「ナグ・ハマディ文書Ⅱ 福音書『フィリポによる福音書』」参照)

アダムのなかにイヴが存在していたとき、つまり男女両性具有の原人だったときは「正のアダム」であり、このアダムは「男と女が統合された単独者の原型」だったということです。


これは蛇足ですが、1945年、エジプトで見つかった「ナグ・ハマディ文書」と呼ばれる写本のなかに、『トマスによる福音書』があります。
そこに残されているイエスが語った『単独者』という表現。
これは、「トマスの福音書」のキーワードのひとつにもなっている重要なことばです。
「単独者」つまり、「一人で立つ者」、「自立者」に成ることはわたしたち人間がいつか成し遂げなければならないことなので、また別の機会に書きたいと思います。


★ 異星人が最初に男女両性具有を創った理由 ★



★では、異星人たちは、なぜ最初に「男女両性具有の人間」を造ったのでしょうか? 

それは、彼ら(異星人たち)が、もともと男女両性を具有しない生命体であり、「両性具有が彼らの理想」であったからです。
彼らが誕生した星は、相反するもの同士が争う二極性の世界でした。
それが苦悩の種だったのです。

長い年月、陰陽両極の分裂に悩まされてきた彼らは、地球を両極の分裂のない惑星にしたいという願望を抱いていました。
肉体を持っていながら「分裂されていない意識」、すなわち「統合された意識」をつくりたい。というのが、目的だったのです。

全く別の惑星で、彼らは新たに生まれ変わろうとしていたわけですね。
だからこそ、彼らは自分たちがやがて転生するための、より進化した理想的な種族の肉体を創成することに長い年月を費やしたのです。

ところが、両性を具有した人間はいくら長生きしたとしても一代限りで終わる運命にあります。
子はクローンでしか造れないし、どうやって生殖して子孫を造るのか、彼ら(異星人たち)にもわからなかったのです。
というわけで、別に子宮を持つ女性なるものを造らなければならなくなったのです。
それがイヴの誕生の理由です。


★アダムたちは地球環境に適応するかどうかを調べるために各地に送られ、適応したことを確認すると召集されました。
後世イヴと呼ばれるようになった女性のプロトタイプ(原型)も、クローン技術と遺伝子工学によって造られました。
そして、アダムと共に自然環境に戻され、入念に観察されたのです。

当時の地球では、さまざまな遺伝子実験が同時進行的に行われており、その地域は主にアフリカとアジアだったようです。
そこでは白人、黒人、アメリカインディアンのような赤い人種が造られていたようですが、アジア人はまだ誕生してはいませんでした。
彼らが日本人を含むアジア人種の創造に踏み切ったのには、それなりのわけがあったのです。

★では、なぜまた新たな人種が造られることになったのでしょうか?
これはわたしたち日本人にとっては大変重要なことであると思われます。
アジア人種を造ったわけは、次回で取り上げたいと思います。(つづく)


異星人がアジア人種を造った理由 

2010年11月23日 19:25


 
古代の地球上で、琴座星人をはじめとして、シリウス星人、プレアデス星人たちがさまざまな遺伝子実験をしていたとき、同時に彼らはお互いに葛藤を抱え、闘争のさなかにありました。
だからこそ、彼らは新しい種族を造る目的のひとつとして、最初から統合が可能な人種にして、自分たちの葛藤を収拾したいと考えていたのです。(そのことは、前回述べましたね)

ところが、その遺伝子実験が成功しないことを、見通していた存在がいたというのです。
遥か未来に生きるゼータ・レチクル星人メタ・ヒューマンと呼ばれる存在です。
(メタ・ヒューマンというのは、主に琴座系、プレアデス系、地球系の流れを汲む人間型宇宙人で、現在の人類より意識的に進化した種族のことを指すようです)

★彼らが「自分たちの目的が果たせない」と確信した理由は、いったい何だったのでしょうか?

それは、創造された種族があまりにも多様性に富んでいた、というのが理由です。
バラエティに富んだ連中は、そのバラエティゆえに、やがては互いに争うようになるからです。
よって彼らの念願の「平和」と「統一」という試みは、残念ながら実現しないということ。
未来のE・Tたちは、そのことに気づいたのです。

未来のE・Tからの忠告を受けた遺伝子工学者たちは、非常に統一感のあるゼータ・レチクル星人のDNAを使うことに決めました。
すでに造られた人間の原型のDNA、つまりシリウス星人・プレアデス星人のDNAが組み込まれたものを掛け合わせたのです。
その結果できた原型が、アジア人種だったというわけです。


★ ゼータ・レチクル星人はどんな種族なのか? ★



彼らの元の故郷はアペックス星で、琴座のなかで最初に発展した惑星のひとつでした。
しかし、核戦争のために惑星全体が次元を跳んで、別の時空間に移動したと伝えられています。(アペックスは崩壊し、視界から消えたが、アペックス星人自体は存在していて、放射線の影響とクローン化によって、さまざまな肉体的変化が起こったとされる。詳細は、「プリズム・オブ・リラ」を参照してください)

レチクル座に出現したアペックス星人は、その後ゼータ・レチクル星人となったといわれています。
彼らは地球に来て、地球人を誘拐し、遺伝子実験をおこなっているいわゆるグレイで知られている者たちです。


★では、ゼータ・レチクル星人とは、どのような特徴をもっていたのでしょうか。

リサ・ロイヤル氏&キース・プリース共著の[宇宙人 内なる訪問者]によりますと、彼らは、精神面でも人格的なレベルでも、あまり個性を持っておらず、集合意識として活動していて、肉体レベルでもほとんど全員同じ姿に見える種族だったようです。
また、彼らは神と結びついているという意識を強く持っていて、自分たちの精神性、霊性を表すために儀式を行うことが多い種族だったというのです。

☆確かに、アジア人は皮膚の色や髪の毛の色、目の色などが同じで、他の人種に見られるような肉体的な特徴の開きは、あまりありません。
そのような特徴は、これまで創成してきた人種にはなかったため、将来地球を統合していく種族として、最も適していると考えたのです。

調和と平和の意識に欠けていて、二極性の闘争から逃れられない異星人たちの遺伝子を与えられた人間たちは、やはり二極性で悩まなければならない宿命を持っていたのです。
皮肉にも、調和のできない親の遺伝子を受け継いだ子どもには、やはり統合は困難だったということですね。
だから、全く別の意識を持った他の種族の遺伝子が必要となったのだというわけです。
それが、異星人がアジア人種を造った理由です。



★ジャーメインは、つぎのように語っています。

アジア人には、自分をひとつの意識の一部であると見なす考え方があります。一人の人間は独立した存在というより、むしろ集団の一部と見なされます。こうした考え方は彼らの強い集団指向を反映するものです。
つまり、個人は全体の一部であり、仮に全体の利益のために犠牲になったとしても、それは仕方がないことだという考え方です

(リサ・ロイヤル+キース・プリースト著 星名一美訳「[宇宙人]内なる訪問者」より)


☆わたしがこの文面から感じた正直な感想ですが、
個人は全体の一部であり、仮に全体の利益のために犠牲になったとしても、それは仕方がないことだという考え方です」というのは、一見納得できそうな内容ですが、ほんとうのところは「どうなのかな?」と思います。

たとえば、「日本の歴史は、戦争で綴られてきた」と言っても過言ではありません。
日本が戦さをしなかった平和な時代は、鎖国をしていた江戸時代だけです。
そのほかは、たいてい戦さだらけでした。

いつの世でも、皆「上に立つものからの命令」で戦いに参加していただけで、だれも「全体の利益のための犠牲者」などにはなりたくなかったのではないかと思うのです。
それはマインドコントロールされた者たちが、たとえば「国のために」とか「殿様のために」とか、「天皇陛下のために」とか、そのためには犠牲は厭わないと思い込まされていたからで、目覚めている人たちにとっては、まったくちがう真実があったはずだと考えます。

だいたい「戦争という名の集団人殺し」に参加することが、正しいことか否かぐらい、だれにもわかりそうなものです。
特にピラミッド式に構成された共産国などは最悪です。
頂点に立つ者だけが甘い汁をすすり、底辺にいる大部分の人たちはそのための敷石になっていて、一生その状況から開放されず、コントロールされていかねばならないからです。

中国や韓国、北朝鮮などは、日本とは親密な兄弟国のはずですが、昔から激しい乗っ取り合戦をしていました。
未だに日本とは仲があまりよろしくないです。
歴史がその悲惨さを語っています。
それでいて、アジア人種のどこが平和なのでしょうか?
隣の人のやることを見てから、自分も同様の選択をするというような「まるで自分の意志と意見をもたない人たち」であれば、確かに統一はしやすいかもしれません。
でも、それが真の平和につながるのかどうか、疑問はふくらむばかりです。

未来のE.Tの先見の明というのは、果たして正解だったのかどうか…。
わたしには???です。
あなたは、どう思われるでしょうか?


★ 親(異星人)に見捨てられた子どもたち(地球人) ★


 
アジア人種創造の実験場所として選ばれたのは、日本と、もうすでに海底に没してしまった島々でした。 
アジア人種が創造された後、そのアジア人種の面倒を見るようになった中心的な存在は、プレアデス星人だったようです。
ゼータ・レチクル星人は遺伝子を提供しただけで、教育には携わらなかったというのが真相です。

地球上に存在するすべての人種の中で、肉体的な特徴がプレアデス星人と似ているのは、日本人なのだそうです。
背の高さや体毛が少く、アーモンド型の目が似ているらしいのです。
わたしたち日本人にとって、彼らは母親さながらの存在だったようですが、そうであったにもかかわらず、プレアデス星人はわたしたちの祖先を残したまま、地球を去っていったのです。
去らなければならない理由があったのでしょうが、その真相はわからないままです。
自分たちに必要性があって生んで(つくって)おきながら、置き去りにするじつに無責任な連中です。

今、地球上に生きている人類は、親に見捨てられた子どもさながらです。
今日まで真の意味での生みの親に出会うこともなく、親がどんな人かも知らされないまま育ってきたからです。
親を知らないまま、進む方向性もわからず、混乱状態のなかで育ってきたわたしたちは、「大変な問題児」だとジャーメインは言っていますが、同感です。
まったくかわいそうな子どもたちです。

自分たちの生命がどこから来て、どこへ行くのか、何のためにここに生きているのか、自分の魂の起源や人生の目的について教えてもらえず、全く無知のままであるため、基本的に真の心の平安を得ることができないのです。

たまに聖人なる者が現れることがあっても、自力で究明することを勧めたり、神仏の他力による信仰を説いたりするだけで、三歳児にもわかるような明確でわかりやすい答えを与えてはきませんでした。
神仏の真の正体は、隠されたままだったのです。

ゼータ・レチクル星人は、「神と結びついているという意識を強く持っていて、自分たちの精神性、霊性を表すために儀式を行うことが多い種族だった」ということですが、現在神と結びついているという意識を強く持っている日本人はどれくらいいるでしょうか?


今こそ、わたしたちは真の親を思い出すときです。
真の親を超えるために、必要なのです。
今までだれも教えてくれなかったわたしたちの両親を真に知りたければ、それはけっして不可能ではありません。
わたしたちの親についての多くのヒントが、地球の至る所に残されているからです。
あまたの「神々の伝説」や、数々の「オーパツ」と呼ばれる古代の品々。
それらが何らかの気づきを与えてくれます。
自分の魂のルーツを知る手がかりは、確かにあるのです。
 

男性優越思想はどこから来た? 

2010年11月24日 19:30



今回は、人類を創成したそれぞれの異星人たちが、良きにつけ悪しきにつけ、「地球人にもたらしたもの」についてお話ししたいと思います。


人はみな母の子宮から生まれ、お乳をもらい、慈愛のもとに育まれてきました。
女性のみが子どもを受胎することが可能であるという事実があるにもかかわらず、「男性優越の思想」が地球にはびこってしまい、未だにそこから抜けきれていないのは、どういうわけなのでしょうか?

もうあなたはお気づきのことでしょう。

それは、地球人の祖先となったアダムが、父なる神に似せて造られたという旧約聖書の記述によるのです。
聖書によれば、「全能の神」は父であって、母ではありませんね。
その父神が造った最初の人間アダムを「男性だった」としてしまったのが、その理由です。

旧約聖書には、神は「人がひとりでいるのは良くない。彼のために、ふさわしい助け手を造ろう」とアダムのあばら骨から女性なるものを造ったとあります。
このように、女性は男性を補助するものとして造られたと聖書は語っています。
男性の絶対的な優位と、女性の絶対的な従属は、ここからできあがったというのが、多くの学者たちの見解です。


★ 女神なくして人類の誕生はなかった ★



★最初男女両性具有だったアダムは生殖が不可能だったため、子宮を持つ女性が別に必要となったと、前回で述べましたね。

イヴはアダムのあばら骨からクローン技術を駆使して造られた肉親であり、本来対等な双子の兄妹だったのです。
けれども、その後そのような捉え方はされず、単なる夫婦とみなされてきました。  

また、アダムを創成する際、父なる神が単独で創造したように書かれていますが、男神のみで誕生させることは不可能だったのです。
実際のところ、アダムは女神の子宮を借りて、生み出されたのですから。

シュメールの円筒印章には、ニンマフ(生命の淑女)によって創られた人間の子の誕生の瞬間が描かれています。
これは、女性(女神)が大いに関与していたことがわかる証拠となる作品ですが、女性の子宮から生まれるのではなくして、いったいどのようにして人間を誕生させることができるのでしょうか。
旧約聖書ではその辺のことを一切削除してしまいましたが、女神の存在なくして人類の誕生はなかったのです。

旧約聖書に登場する「神」を示す名称「エロヒム」は、もともとは女性単数形エロ(Eloh)に男性複数形の語尾のイム(Im) をつけ加えたものらしいです。
女性名詞に男性複数形がつけられたエロヒムは、実際は男神と女神の両者を示唆することばだったのかもしれません。



★ 不平等をもたらした異星人たち ★



★旧約聖書が、女よりも男のほうが、母よりも父のほうが優秀だという概念を人間の頭に植えつけ、世界に父権制を確立させる原本となったことは確かでしょう。

男女差別だけではありません。
人種差別=選民意識を煽り、限られた種族だけが優秀だと思い込ませたのも、そこに書かれた神なる存在の影響が大です。

地球にはびこった「男女間の不平等」、「宗教間の不平等」、「人種間の不平等」をもたらしたその起源は「地球人類を創成した異星人にあった」と、はっきりとジャーメイン(リサ・ロイヤルがチャネリングする銀河系の歴史に詳しい存在)は断言しています。
そのことばは、これからその根拠を説明する上での強力な裏づけとなるものです。

前回の記事で「人が地球に生まれた理由」について述べましたが、「地球における人間型生命体の創造」に関与したのは、琴座系グループとシリウス系グループだったことを思い出してください。

地球人たちの「唯一神」でいたかった琴座系グループは、人間たちから見ると「父親的存在」で、何かと面倒見のよいシリウス系グループは母親的存在」だったことがわかります。
プレアデスグループも、どちらかといえば「母親的存在」だったと言えるでしょう。

それらのグループのあり方をよく観察していた人間たちは、時間が経つにつれて、彼らE・Tたちの構造を模倣するようになったのです。
つまり、家族の父親的存在が権威を持つようになり、母親的存在が子どもたちを保護するようになったということです。
家族間の不平等はこうして生まれ、人類の初期につくられたこのパターンが、今日まで連綿としてつづいているというわけです。 


★ E・Tを神と思い込んだ地球人 ★



天国が天空のかなたにある」という概念が生まれたのも、同時期ではないかと思われます。
当時の人間たちは、E・Tが宇宙船に乗って地上を離れ、天に昇っていくのを日常見ることができたようです。
旧約聖書の「エゼキエル書の第1章」に、宇宙船について詳細に記されている箇所があるので、興味のある人は読んでみてください。

エゼキエルの表現方法は象徴的ですが、まさしく宇宙船の様子が語られているのがわかります。
いつでも天空に上っていき、また天空から地上に降りてくるのを見ていた人間たちが、神々(E・T)が天に存在していると思うようになったのは当然のことかもしれません。

E・Tも実際は人間と同じ肉体と心を持った(彼らにも家族があり、愛憎があり、悲喜があった)存在に過ぎなかったのですが、自分たちとはかけ離れた存在だと畏れを感じた人間たちは、彼らがいつも去っていく天に向かって祈るようになっていたのです。
E・Tを神と思い込んだわけですね。

ジャーメインは、「当時のE・Tは、現在の地球の人間とさほど変わらない精神状態だったが、原始的な人間はそうは思わず、上に上がっていくものは何であれ平和的なものであり、理想的なものだと思い込んでしまったのだ」と語っています。
これは、宗教的に意図したことではなく、自然に生まれた誤解だったというのです。
その誤解は何千年もつづき、現在に至っているというわけなのです。

大きな誤解は、それだけではありませんでした。
人種間の不平等をもたらしたのも、琴座系グループに起因していると、ジャーメインは言っています。

当時、地球上にはシリウス星人やプレアデス星人など多くの神々がいました。
その中でもっとも高い神として見られていたのが、琴座星人だったというのです。
彼らは色が白く、髪や目の色が薄く、背が高い人種で、地球人種の白人とよく似ていたといわれています。

当時の人々は、そのような体型をしたE・Tをもっとも高い神と思っていたので、同時にその様相をした白人が、人間のなかで一番進歩していると思い込んでしまったというのです。(だから、地球上でもっとも優秀な人種は、白人となってしまったのだそうです)
あらゆる人種間の闘いは、この大きな誤解によるものだったのです。
人間は原初からほんとうに思い込みが激しかったようですね。


★子どものときから、わたしは旧約聖書に登場する「父神・エホバ」がどうしても好きになれませんでした。 
エホバはつぎのように言っています。

「あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない。」

「あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神であるから、わたしを憎むものには、父の罪を子に報いて、三、四代に及ぼし、わたしを愛し、わたしの戒めを守るものには、恵みを施して、千代に至るであろう。」

「あなたは、あなたの神、主の名を、みだりに唱えてはならない。主は、み名をみだりに唱えるものを、罰しないではおかないであろう。」
(出エジプト記 第20章 3~7)

「わたしは、すべての人を絶やそうと決心した。彼らは地を暴虐で満たしたから、私は彼らを地とともに滅ぼそう」 
(「創世記」第6章 13)


神がこのように嫉妬深いなんて、わたしには不思議でした。
自分の言うことを聞く者は可愛がるが、自分を憎む者や従わない者は罪深いとして排斥し、みな殺しでさえもする。
自己中心的で、性格が偏っていて、おとなげないその存在は、一体ナニサマのつもりなのだろう?
自分で人類をつくっておきながら、失敗だったからといって洪水で全滅させようとするなど、あまりにも愛がなく、理不尽だ…と。

彼(エホバ)は人類にとって唯一のカミサマのつもりだったのでしょうが、わたしは非常に納得がいかないものを感じていたのです。

このエホバについては、次回もう少し詳しく述べてみたいと思っています。(つづく)



神と悪魔の闘い その1 ―神がアダムに禁じたこと―

2010年11月26日 08:25


★最近のブログの内容が深刻になってきたため、ちょっと趣向を変えてみることにしました。
エホバ」については、このシリーズを読み進めていかれるうちに、徐々にわかるようになるでしょう。
伝えたいことが多くありすぎて、気がついたら毎日更新していました。
このブログは、不特定多数の読者に、気づきを得ていただきたいために書いていますが、同時に自分自身のさらなる気づきを促すためでもあるのです。
ですから、書くことに時間を費やすことは苦ではなく、その瞬間瞬間を楽しんでいるのです。

毎回訪れてくださる方々の心の琴線に触れることができるなら、この上ない幸せです。
愛のこもったコメントは、ありがたいと感謝の気持ちでいっぱいになります。
だから、また書きたくなるんですね。応援ありがとうございます。

★今回は、うちの愛猫たちに登場してもらうことにしました。
彼女たちのおしゃべりを気楽に聞いていただきたいと思います。


     ユニコとピャーラ
     (上にいるのがメリーで、下にいるのがビーです)


メリー:ビーちゃん。あなた、最初に生まれた人間が「男女両性具有」だって、知ってた?

ビー:えーっ、そうなの? 知らなかったわ―。でも、今、人間って、完璧に男と女に分かれてるわよ。ネコもオスとメスしかいないし…。

メリー:神は最初、男女両性具有の人間をつくったんだけどね、その人間がどんなふうにして子孫をつくったらいいのか、どーしても、わからなかったらしいのよ。

ビー:へーっ! 神サマでも、わからないことってあるんだ!

メリー:まだ知らなかった人は、過去記事「人が地球に生まれた理由 その1 原初のアダムは男女両性具有だった (11/21)」を読んでね。


★ 神がアダムに禁じたこと ★



メリー:アダムはエデンの園に連れて行かれてね、そこを耕し、守るように言われたのよ。そのとき、神がアダムに禁じたことがあったのよね。

ビー:どんなこと?

メリー:神はね、「あなたは園のどの木からでも心のままに取って食べてもよろしい。だけど、『善悪を知る木』からは取って食べてはならない」って言ったのよ。

ビー:また、どうして?

メリー:「それを取って食べると、きっと死ぬだろう」っていうわけよ。

ビー:ウッソ―! きっとその木に生ってる実がおいしかったからよ。だから、神はアダムに食べさせたくなかったんだわ。

メリー:ビーちゃん、神の気持ちがわかるなんて、スゴイじゃない! 
でも、アダムはまじめに神の言いつけを守っていたのよ。
そのうち、神は人がひとりでいるのは良くないからって、アダムを深く眠らせて、あばら骨の一つを取って女の人をつくったの。それがイヴ。

それからアダムとイヴは、そのエデンの園で仲良く暮らしていたんだけど、結局この神の怒りを買ってエデンの園から追放されちゃうのよね。 
その話はあなたも知っているでしょう。あまりにも有名だもの。

ビー:……???

メリー:ニャ、ニャに? 知らない?(ビー、こっくりうなずく)
ぜひ聞かせてだって?
わかった、まだ知らないあなたのために話をするわ。

ビー:ありがとう!

メリー:あなた、さっき神がアダムに命じたこと、覚えてます?

ビー:えーっと、『善悪を知る木』からは取って食べてはならないってこと?

メリー:そう。ところが、あるとき、ヘビがイヴにささやいたの。
あなたがたはけっして死ぬことはないでしょう。それを食べると、あなたがたの目が開け、神のように善悪を知る者となることを神は知っておられるのです」ってね。

それでイヴはその実を取って食べ、いっしょにいたアダムにも与えたの。
すると、ふたりの目が開けてね、自分たちが裸ん坊であることがわかったの。それで、はずかしくなってイチジクの葉をつづり合わせて腰に巻いたらしいのよ…。

ビー:へーっ、そうなんだ! それで、神サマはどうしたの?

メリー:そりゃー、カンカンよ。
アダムはイヴがくれたからだと言い訳をするし、イヴはヘビがだましたからだと言い訳をするしね。
神はモーレツに怒って、「野のすべての獣のうちで、最も呪われるだろう」と、ヘビにうらみつらみを言うのよね。
それからイヴには「産みの苦しみをおおいに増す」と言い、アダムには「一生苦しんで地から食べ物をとる」とおどし、「あなたはちりからつくったから、ちりに帰る」なーんて、さんざんイヤミを言って、とうとうエデンの園から追っ払っちゃったのよ。

神は禁じていたにもかかわらず、人間たちがそれを守らずに『善悪を知る木』を食べたことが、とってもショックだったのよ。

ビー:人間に裏切られたって、思ったのかしら?

メリー:そうかもね。(メリー、旧約聖書を読む)
見よ、ひとは〈われわれ〉のひとりのようになり、善悪を知るものとなった。彼は手をのべ、『命の木』からも取って食べ、永久に生きるかもしれない

ビー:「善悪を知るものとなった」ってことは、最初は善悪を知らなかったってこと?

メリー:そういうことね。
「善悪を知る」ってことは、ひとつのものを、何でもふたつに分けて対立させる考え方に、目覚めたってことね。
つまり、二極性を知ったってこと。
神は二極に分裂することを、ひどく嫌っていたのよ。
とにかく人間が、また自分たちのように相争うようになることを望んでいなかったから。

ビー:むずかしいニャー。

メリー:神はね、今度は『命の木』の果実も食べて、永久に生きるかもしれないって、とても不安になったのよ。人が神と同じようになったら、困るからね。


★ 人が『命の木』の実を食べると神が困るわけ ★



ビー:ねぇ、メリーたん、『命の木』の実を食べると、どうして神が不安になったり、困ったりするの?

メリー:知りたい?

ビー:もっちろん!

メリー:この『命の木』の実を食べるとね、ホントは人間も〈われわれ〉と言っている神たちと同じ神聖な起源、つまり、宇宙の始原の〈一〉から来たのだということを思い出すことができたらしいのよ。
だけど、彼らは、人類がホントはどこから来たのか、その起源を知ってほしくなかったのよ。
ビー:へーっ、さすがメリーさん、よく知ってらっしゃるわねー。
でも、そんなことなら、最初から食べてはいけない木の実なんて、教えなきゃよかったのにねー。

メリー:そうよねぇ。エデンの園には、食べきれないほどのありとあらゆる果実があったらしいのよ。
それなのに、わざわざご丁寧に「これ!」って指さしたものだから、アダムもイヴもしっかりと覚えてしまったのよ。

ビー:「だめ!」って言われりゃ言われるほど、食べてみたくなるよね。
ニャンコだって、おいしそうなカツオブシの袋が置いてあったら、ダメって言われても、すなおに飛びつきたくなるもんね。そんな心理を、この神サマはご存じなかったのかしら?
それとも、人間を試してみたのかしら? 
どれだけ人間が神サマに従順でいられるかってことを?

メリー:それは、われわれニャンコにも、わからニャいねぇ…。



★ 光の仕事人からの感想 ★



アダムもイヴも、結局神の言いつけを守らなかったわけですね。
やりましたねぇ! わたしはここのところ、アダムとイヴが神に逆らったところが、とても好きです。だって、彼らは「あやつり人形」じゃなかったのですから。
神の顔色ばっかり見て、言われるがままに従っているドレイなんかではなかったのですから。

人間に『知恵の果実』を食べられてしまったということは、神にとっては致命的なことでした。
神は人間を二極性(ふたつに分裂した考え方)を知らない状態、無知のままの状態にしておきたかったわけですが、もうひとつ理由があったように思うのです。
それは、自分たちの言うことを忠実に守る「神のしもべ」にしておきたかったからです。
もし、無知でなくなったら、人間は自分の思いのままに生きたがって、けっして神に服従などしなくなるからです。

でも、アダムとイヴは突如知性をもつ人間へと変容しました。
その手助けをしたのが、ヘビだったのです。

ヘビは邪悪なものの代表で、聖書では「悪魔」ということになっていますが、この「悪魔」というのはたいしたものです。人間を知に目覚めさせたのですから。

数ある地球文明はE.Tたちが残したものではありますが、彼らが去ってからも文明は開花しつづけました。
もし、アダムとイヴが神の言いつけ通りにしていたら、未だにエデンの園で裸ん坊のまま、木の実だけを食べて生きている存在だったかもしれません。
それは、この悪魔と呼ばれるヘビの貢献によるものだったと言ってもよいのかもしれません。

このヘビと呼ばれるものの正体は何でしょうか?
神とヘビとの闘いは、これからもつづきます。
次回をお楽しみに。

神と悪魔の闘い その2 ―人類を絶やそうとした神VS守ろうとした神―

2010年11月27日 17:45


★ ノアを洪水から救ったのは、だれ? ★



今回も、わたしの愛猫メリーとビーに語ってもらいます。


メリー:ねえ、ビーちゃん、「ノアの箱舟」って、知ってる?

ビー:知らないニャン。

メリー:大昔、地球にものすごい洪水が襲ってきたことがあってね、そのときにノアという人が、自分の家族やいろんな動物を乗せて逃げた舟のことよ。
舟に乗った人や地下に逃げた人は助かったけど、逃げ遅れた人間や生き物はみんな死んでしまったのよ。

ビー:ノアさんは、洪水が来ることを知っていたの?

メリー:そう。教えてくれた人がいたみたいよ。だれだと思う?

ビー:ねずみさん?

メリー:ま、まあ、それもあるかもしれないけど。洪水を予測できるなんて、たぶん、神サマみたいな人だと思わない?

ビー:たしかに、そうだニャん。

メリー:でもね、ビーちゃん、ちょっと聞いてよ。
神は洪水が押し寄せてくるのを知っていて、それを使って人間を滅ぼそうとしていたのよ。

ビー:えーっ! ひどいじゃないの。どーして、そんなことするのよ。

(メリー、旧約聖書を読む)

主は人の悪が地にはびこり、すべてその心に思いはかることが、いつも悪い事ばかりであるのを見られた。
主は地の上に人を造ったのを悔いて、心を痛め、『わたしが創造した人を地のおもてからぬぐい去ろう。人も獣も、這うものも、空の鳥までも。わたしは、これらを造ったことを悔いる』と言われた
」 (創世記 6.5~7)

「時に世は神の前に乱れて、暴虐が地に満ちた。
神が地を見られると、それは乱れていた。
すべての人が地に上でその道を乱したからである。

そこで神はノアに言われた。
『わたしは、すべての人を絶やそうと決心した。彼らは地を暴虐で満たしたから、わたしは彼らを地とともに滅ぼそう』
」 (創世記 6.11~13)

メリー:それで、神が「正しい人である」と認めたノアと家族に箱舟を作らせて、さまざまな生き物を乗せて逃げるように命じたのよ。
それで、洪水が起こったとき、ノアとその家族と生き物たちは救われたって、ここに書いてある。でも、これはありえないニャ。

ビー:ありえないって? 

メリー:神が善良なノアじいさんに箱舟を作らせて、逃がしてあげるはずがないってことよ。

ビー:どうして? あたしにもわかるように説明してくださいニャ。

メリー:もう一度「創世記 第6章」を読んでごらん。
神は「すべての人を絶やそうと決心した」のよ。
それだけじゃない。「人も獣も、這うものも、空の鳥までも、わたしは、これらを造ったことを悔いる」って言っているのよね。
それなのに、どうしてノアや他の生き物を箱舟に乗せて逃がす気になれる?

ビー:それは、ノアさんが正しい人だったからでしょう。

メリー:(首をふりながら)神は、もう人間にあきあきしていたのよ。いくら正しく生きているからといっても、特別にだれかを助けたりするようなことはないニャ。断言するわ。

ビー:じゃあ、ノアさんを助けたのは、いったいだれなの?

メリー:それは、別の神だったのよ。
ビーちゃん、覚えている? エデンの園でイヴに善悪を知る『知恵の果実』を食べるようにすすめたものがいたよね。

ビー:あー、ヘビさんね。

メリー:じつは、あのヘビが洪水から人間を救った神だったのよ。

ビー:まさかぁ! そんなこと、あるはずがないでしょう。
第一、ヘビは神でなくて,悪魔でしょ。

メリー:そう言うと思ったわー。
そりぁあね、嫉妬深い神からは、ヘビだの、悪魔だのと、ののしられていたわよ。
それは、嫉妬深い神が勝手にそう言っていただけのことよ。
人間にとっては、ヘビもやっぱり神だったんだから。

ビー:えーっと、どの神サマ? 神サマの区別がつかなくて、わかりにくいわ。

メリー:じゃあ、自分を「唯一の神にしておきたい権威的で嫉妬深い存在」を「父神」と呼ぶことにするね。
父神が好んだのは、〈〉よ。それに対する〈服従〉と〈〉を与えること。
それから、〈嫉妬〉と〈復讐〉と〈子羊の肉〉ね。

ビー:子羊の肉? な、なんだか怪物みたいねぇ。

メリー:父神がどんな〈掟〉を人間に与えたか、どれだけ多くの〈掟〉を守るようにさせたかは、旧約聖書を読むとわかるよ。
そんな「父神」に対して、ヘビとか悪魔って呼ばれていた神を「母神」と呼ぶことにするね。
ヘビ神は、人間に対して、母のようにとても愛情を感じていたんだから。

ビー:嫉妬深い父神と、愛情深い母神ね。OKニャン。

メリー:父神にヘビ呼ばわりされていた母神はね、「人間は本来自由なんだよ。自分の好きなことをして生きていいんだよ。だれかに服従する必要なんてないし、どうするかはすべて自分で選ぶことができるんだよ」ってことを、人間たちに教えたかったのよ。
「選べる」ってことは、少なくとも二つ以上の選択肢があるってことね。

人間にも〈自由意志〉があって、それを使うことができるってことを知ることは、人間にとってはすごくハッピーなことだったにちがいニャい。

ビー:どうして?

メリー:ニャ? 
なぜって、〈自由意志〉は、宇宙の始原の〈一〉なる存在が、宇宙のすべての生命体に与えた特権だったからよ。
最初から何を選んでもいいって、許されているのよ。
そして、自分がどこから来たのか、その「神聖な記憶」をよみがえらせるのに、〈自由意志〉っていうのは必要不可欠な要素だったのだから……。


ビー:それじゃあ、悪魔って呼ばれたヘビのほうが、ずっと人間のことを考えていたってことね。
父神はガミガミお説教ばっかし。イヤミは言うし、ケチだし…。
それじゃあ、どこかのおカミさんと変わらないじゃないの? 
ねぇ、メリーたん?

     メリー先生は、お昼寝のもよう…。 メリー:Zzz…。

        ユニコとピャーラ   




★ 光の仕事人からのお話 ★

   ―神が人類を滅ぼそうとした理由― 


神は地上に洪水を起こして、(正しくは地球を襲う洪水を予測して)人類を滅ぼそうとしました。
その理由は、「暴虐が地に満ちたから」だというのです。
その「暴虐」とはいったい何なのでしょうか? 

旧約聖書「第六章」の初めには、このような記述があります。

人が地のおもてにふえ始めて、娘たちが彼らに生まれた時、神の子たちは人の娘たちの美しいのを見て、自分の好む者を妻にめとった。
そこで主は言われた、「わたしの霊はながく人のなかにとどまらない。彼は肉にすぎないのだ。しかし、彼の年は百二十年であろう」。
そのころ、またその後にも、地にネピリムがいた。
これは神の子たちが人の娘たちのところにはいって、娘たちに産ませたものである。彼らは昔の勇士であり、有名な人々であった。 (旧約聖書 「創世記」第六章1~7)

時に世は神の前に乱れて、暴虐が地に満ちた。
神が地を見られると、それは乱れていた。
すべての人が地の上でその道を乱したからである。
そこで神はノアに言われた。
「わたしは、すべての人を絶やそうと決心した。彼らは地を暴虐で満たしたから、私は彼らを地とともに滅ぼそう」 (旧約聖書 「創世記」第六章11~13)



ここで言う「暴虐」とは、若い神々が人間の娘たちと性行為に走り、罪を犯したということです。『堕ちた神の子たち』の行為は目に余るものがあり、その罪は明らかでした。
罪の責任が神々のほうにあるにもかかわらず、人間がその罪を着せられて抹殺されることになったというのが、真相なのです。まったくひどい話ですね。

旧約聖書には、神は、「正しい人であると認めたノアと家族」に箱舟を作らせ、神が創ったさまざまな生き物を乗せて逃げるように命じたので、洪水が起こったとき、ノアとその家族と生き物たちは救われたと、記されています。
でも、ここのところは実際とは随分ちがうのです。

愛猫メリーが言っていましたね。
善良なノアに箱舟を作らせて逃がしてやった神は、人類を絶やそうとした神とは別の神だったのだと。

★だいたいすべての人を絶やそうとしている神が、なぜノアだけ助ける気になれるでしょうか。
神は人間に失望してしまったのです。自分が考えていた理想の姿はすでに消え去っています。
自分たちが造ったものが失敗だったとわかったとき、そのすべてを消滅させたいという気持ちが起こるのは、当然だともいえます。
ただし、「問題があったのは、神の子たち」だったわけですが、この神は「問題があるのは、人間」だと決めつけてしまったのです。

ここでは、ノアがいくら正しく生きているからといっても、神が特別にだれかを助けたりすることは考えにくいです。破壊するときには、すべてを破壊するはずです。
父神(琴座成人)は、ノアを逃がそうなどとは夢にも思っていなかったことでしょう。




★ ヘビはシリウス星人のシンボルマークだった ★



★じつのところは、その計画を知ったシリウス星人が、密かに人類救出を試みたのです。〈ヘビ〉というのは、シリウス星人のことだったのです。

シリウス星人たちは〈ヘビ〉によって象徴されていて、彼らが常に〈ヘビ〉をシンボルマークにしていた」という情報を得たのは、リサ・ロイヤル氏がチャネルする「ジャーメイン」からでした。

この内容とちょうど重なる情報を、わたしはゼカリア・シッチン氏の著書「人類を創成した宇宙人」と「神々との遭遇」の中からも見出しました。

シッチン氏は、「人類を洪水から救ったのは、シュメールの神々のうちのひとり、水の神・エンキだった」と語っていたのです。

★彼の著書には、エンキの兄エンリルが大洪水で人間を滅亡させ、一掃してしまおうとしたことや、エンリルが洪水以前からペストのような疫病で人々を滅ぼそうとしたことが記載されており、エンキがその計画を実行しないようエンリルに訴えている箇所が載せられています。
そのエンキという神がヘビの形で象徴されていたというのは、単なる偶然ではないでしょう。

当時シュメール人は人間の守り神をヘビの姿として描いたようです。
その守り主であるエンキ=エアという名の神は、海水の主であり、知恵の神としても知られていました。また、彼のシンボルとして、ヘビが使われていたといいます。

エンキには、異母兄弟のエンリル(空中の支配者)と、同じく異母妹のニンフルサグがいました。
シッチン氏によりますと、エンキは地球に来て、ニンフルサグ=ニンマフ(母なる女神と呼ばれ、のちにマムウと呼ばれた)と共に地球人種を造った代表者なのだそうです。

遺伝子操作を駆使したエンキは、二重螺旋DNAが絡まった形をヘビに見立て、そのあだ名がつけられたといいます。

★エンキのあだ名が「ヘビ」であったことについて、シッチン氏は次のように述べています。 

創世記での「蛇」を示すヘブライ語はナハシュである。
この言葉には二つの意味があった。「秘密を知っている、あるいは秘密を解決する彼」という意味と、「銅の彼」という意味であった。
この二つの意味は、エンキのシュメール語のあだ名ブズルに由来しているようだ。
ブズルとは「秘密を解決する彼」と「金属鉱山の彼」の両方を意味した。
実際に、エンキを表すのにしばしばつかわれたシュメールのシンボルは蛇であった。
(ゼカリア・シッチン著「神々との遭遇 上」より)



シッチン氏によると、最初エンキは、ニビルと呼ばれるアヌンナキの母星から地球に来て、地球の支配者となりましたが、その後父のアヌが、自分の正式な長男であったエンリルを地球に送ったため、エンキはアブズでの金鉱石採掘の監督に左遷させられたといいます。
エンキが地球の支配権をエンリルに奪われたため、両者のあいだに敵対関係が生まれたというのです。
とにかく仲の悪い兄弟神だったんですね。

後に洪水が起こることを利用して地球人種を滅亡させようと計画したエンリルに対して、その方法をよく思わなかったエンキは、人間にそれを知らせて船を造るように促しました。
そのことを描写したシュメールの円筒印章がありますが、そこにはヘビの神エンキが、洪水の極秘情報を漏らしている様子が描かれています。(神々との遭遇 上 P135)
このようにエンキは、常にエンリルに逆らっていたのです。

旧約聖書はシュメールの原典を基にしているので、そこに登場するヘビは、父神=ヤハウエ=エンリルに対抗する「ヘビの神エンキ」だったと見てよいでしょう。
(★ただし、エンキがニビルと呼ばれるアヌンナキの母星から地球に来たというゼカリア・シッチンの説は、真実とは異なっているように思います)

この異母兄弟エンキとエンリルの関係が、シリウス星人と琴座星人の関係とそっくりであることは、もうあなたにもお解りのことと思います。

(ジャーメインは、「エンキはシリウス系グループを表している」と述べています。
リサ・ロイヤル&キ-ス・プリースト共著 「プリズム・オブ・リラ」 星名一美編訳 少冊子「隠された神々」参照)

ともかく、シュメールの兄弟同士の争いにしても、異星人同士の争いにしても、人間の存続を願ったのは、正統とされた神のほうではなく、二次的存在であったヘビ神のほうであったことには、まちがいはなさそうですね。

このように、人類とヘビとは切っても切れない縁があります。
ヘビはそれほど多大な愛情と貢献を人々に与えてきたのです。
しかし、真実を知らなければ、悪魔として嫌悪される否定的な存在となります。

ヘビ(シリウス星人)が人類を救い、そして知に目覚めさせたのです。
両極性(二極性)があること。選択の自由があること。
そして、何ものにも支配されない自由があるということを。

蛇と呼ばれた神々 

2010年11月29日 23:05


★ 日本の蛇神たち ★



2004年の5月、わたしは奈良県の飛鳥(あすか)を散策した帰りに、大神(おおみわ)神社に立ち寄りました。

そこには大物主大神が祀られていますが、この大物主は蛇のかたちで信仰されている神でもあるのです。
「巳(み)の神杉」と呼ばれる古い大杉の前には、卵や酒が供えられていて、そこで人々が手を合わせる姿を見かけました。

もともとその辺りに栄えていた出雲系の三輪君(みわのきみ)族、大神氏が、三輪山に棲む蛇神を祀ったことから始まったという説がありますが、その蛇神が大物主なのです。

★蛇神は水神、雷神の霊能を持ち、水を施し、豊饒をもたらす農業の神でしたが、のちに酒造の神、薬の神としても崇められるようになったと伝えられています。


三輪山神話」には、こんな伝説があります。
イクタマヨリビメに、夜ごとに男が通ってきて、だれかわからぬまま彼女は身ごもります。
両親は、糸巻きの糸を針に通し、針を男の着物の裾に刺せと教えます。
翌朝、糸をたどっていくと、美和山に続き、神の社で終わっていました。
それで男が「三輪山の神」であることがわかったという内容です。

また、「三輪山の神が蛇の神である」という言い伝えは、「日本書紀」の「雄略天皇七年の七月の条」にもみられることから、蛇神が存在したことは史実と思われます。

ほかにも、この大物主は、出雲の国造りの大国主大神と同一の神だという説があります。
またはオオナムジ(大国主大神のこと)の幸魂(さきみたま)・奇魂(くしみたま)であるとも言われています。

つまり、大国主大神が自分の御魂を祀ったのが大物主だということのようです。
三輪山の神は大地の主の蛇」であるが、「大地の主である大国主も蛇であった」ということですね。

大物主が、物部氏の祖であるニギハヤヒ(正式名 天照国照彦 天火明 櫛玉饒速日命(あまてるくにてるひこ あめのほのあかり くしたまにぎはやひのみこと)別名火明命であったという説もあります。
わたしはその説を支持しますが、そのニギハヤヒが共に国を造り上げた先住民の代表であるアビのナガスネヒコも、「」だったのです。

アビは、アイヌ語や朝鮮語で「」を表すことばです。
ナガは長いという意味もありますが、ナーガ(サンスクリット語で蛇を意味する)を「」というふうに解釈すれば、蛇神を祀る三輪山とかかわってきますね。
ニギハヤヒ火明命(ほのあかりのみこと)とも呼ばれるため、蛇神信仰と火神信仰が合体して、「アビのナガスネ」になったのかもしれません。
どちらにしても、日本という国の原型を造り上げた「出雲系の神が蛇」であることにちがいはなさそうです。


★ 世界中に見られる蛇の神 ★



★日本に限らず、「蛇を神として信仰する」のは、世界中の至る所に見られますね。
神話や伝説がたくさんあります。たとえば…。

*中米アステカ族の神話の全能神で、緑色の羽毛の翼をもった大蛇の姿で象徴されるケツアルコアトル
 
*北欧神話に登場する巨大な蛇、ミドガルズオルム
 
*古代オリエント、アッカド神話の神々の母で、水の象徴、海に棲む巨大な蛇の姿で表されることもあるティアマト 
 
*エジプト神話のコブラの女神、ウアジェト

*インド神話の蛇神族、ナーガ

*中国神話の創世神話の夫婦神でもあり、偉大な王とも言われる伏義(ふっき)と女媧(じょか) 


…など。


★太古の人々にとって、蛇は特別視された生き物でした。
それは、まちがいのない事実です。
でも、なぜ蛇を神として祀るようになったのでしょうか?

長い間わたしはそのことを疑問に思っていました。
普通に考えて、爬虫類である蛇を信仰する理由が理解できにくいからです。
しかし、人々は「巳(み)―さん」と親しげに呼び、特に白蛇は縁起がよいとして、丁重に祀ってきました。
いったいなぜ人々は蛇に手を合わせるのか…。

その謎は、今はすでに解けていますね。
長年にわたってさまざまな情報を集めた結果、蛇が異星人と深い関わりがあったことを突き止めたからです。
前回までの記事で、地球人創造計画に関与していたE・Tについて簡単に述べましたが、プレアデス星人たちと共に地球人育成にかかわっていたシリウス星人が、蛇によって象徴されていたということを思い出してくださいね。(前回の記事参照)


★ イエスを蛇とみなしたグノーシス ★



あなたは、「拝蛇教徒」といわれる人たちをご存知でしょうか? 
呼んで字のごとく、蛇を拝み奉る教徒たちのことです。初期キリスト教の一部であったグノーシス派の一派オフィス派がそれです。

★「グノーシス」とは、古代ギリシア語で「知識・認識」を意味します。
この「グノーシス」をもたらすのが「蛇」であり、同時にその「霊智」なるものをもたらすのが「イエス・キリスト」であるということから、彼らは、「蛇をイエス・キリストとして崇拝した」のです。
(旧約聖書に登場する「イヴに知恵の果実を食べるように勧めた蛇」を、「イエス・キリスト」だと見なしている)


そもそもグノーシス主義によれば、宇宙の形成者・世界の創造そのものが、悪の根源なのであって、旧約の創造神を悪神と考えているのだから、興味深いですね。
ナグ・ハマディ文書」の訳者で著名な荒井献氏は、蛇の価値づけについて、次のように述べています。

旧約聖書「創世記」巻頭の創造神話に対するグノーシス的解釈においては、エデンの中央に生えている「善悪の知識(グノーシス)の木」からとって食べることを禁じた「主なる神」とそれからとって食べることを勧めた「蛇」とは価値付けが転倒し、前者は人に「知識」による救済の可能性を閉ざす負的存在、後者はそれを開示する正的存在、つまりイエス・キリストの予型として位置づけられるのである。
(荒井献訳著 「ナグ・ハマディ文書Ⅰ救済神話」より)


サタンとされる蛇をキリストとみなしているのは、知識・認識を何よりも重んじるグノーシス主義側の価値観からきているのです。

16世紀のドイツのある金貨の表には「十字架に架けられたキリスト」が、裏には「十字架に架けられた蛇」が彫られていますが、キリストと蛇は救い主として同義であることがわかります。

それについて、ジーン・クーパーは、「十字架あるいは柱に架けられた蛇は、世界の救済のために〈生命の樹〉に架けられたキリストの原型である」と言っているのです。


★ 仏陀は蛇だった? ★



これは、全く蛇足(笑)かもしれないのですが、ブッダは漢字で「仏陀」と書きますね。
「陀」の右の「」は、「」の古字です。
」は、ハブのような頭の大きい毒蛇の象形文字なのです。
元々は「它」のみで「蛇」を表しました。



仏陀像 られて瞑想する仏陀坐像
  蛇の王 ナーガラージャ   蛇の上で蛇に守られて瞑想する仏陀


写真のように、仏陀が蛇に守られている像がたくさん作られているのも、蛇と関わりがあるからだと言えます。
古い仏典のなかには、弟子たちが仏陀を讃えるつぎのような詩文があります。


「仏陀よ、あなたはナーガ(蛇)の名をもち、もろもろの奇跡を行なう者のうちの七人の聖者のひとりであります」(『長老の詩』1240)

「両足をもつ者の最上者よ。この神のなかの神をわたくしは礼拝します。わたくしはあなたの子として生まれ、大勇者にしてナーガの正系なるナーガを礼拝します」(『長老の詩』1279)



★仏となったゴータマ・シッダールタは、「蛇系グループの科学者」と「マーヤ夫人」とのあいだに生まれた子だと主張している人たちがいます。

マーヤ夫人がシッダールタを身ごもる前に、遥か遠い天から六本の牙を持つ純白の象が降りてきて、麻耶の右わき腹から腹に入った夢を見たという伝説がありますね。
そこに登場する「白い象」というのは、「ナーガ」だったと言っている学者さんがいるのです。(戸来優次著『複製された神の遺伝子』同朋舎 参照)

つまり、これは、母が人間で、父が「蛇系グループの科学者」だったという説です。
マーヤ夫人は、蛇を信仰する蛇族の出身だという説もあるようですから、まさに「ゴータマ仏陀は、蛇とは切っても切れない縁がある」といえるでしょう。(つづく)




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