「異常波動」から「正常波動」へ

2010年07月01日 13:25


★ 異常波動を帯びたとき ★



わたしの知人が以前勤めていた職場に、とても愚痴の多い上司がいました。
まだ入ったばかりの見習い中の知人に何かと言いがかりをつけるので、彼女はほとほと嫌気がさし、もう辞めたいと、わたしに相談してきたことがあったのです。せっかくよい仕事に就けたと喜んでいた矢先のことだったので、わたしは電話で毎日いろんなアドバイスをして彼女を励ましておりました。

話を聞いているうちに、その人は彼女だけではなく、ほかの人たちにも同様に嫌味や愚痴を言っていることがわかってきました。彼女が入ったのと同時に突然辞めた女性がいたのですが、どうやらその女性はその上司に我慢ができなくなって職場を変わったようなのです。
上司はこれまで自分が優秀であることを自慢し、できない部下を見下す態度をとりつづけてきたようでした。その道のスペシャリストではあっても、共に働く人をうまく指導し、統合する能力に欠けている人のように見受けられました。

ある日の午前中、知人は珍しく職場からわたしにメールを送ってきました。上司の態度に我慢し切れなくなったというのです。もう仕事を辞める勢いでした。
何とかならないかと思い、早速調べてみると、その日上司には未浄化霊が四~五体憑いていました。そこで、上司の性格をチェックしてみたのです。

上司の異常波動を呼び寄せる性格の強い順に言うと、「自信過剰・愚痴っぽい・あてこすり・ケチ・嫌味・依頼心がつよい・見栄っ張り・被害妄想・傲慢・見下す・せっかち・嫉妬・不貞腐れる」でした。
その性格を話すと、知人はまさにその通りだと驚愕の声をあげたのです。
霊が憑いたと思われるその日の午前中にすぐに光を送って正常波動に戻したのですが、その夜彼女からお礼の電話がありました。あの後、急に上司の言動が変わったというのです。
「オーラの状態が違う。明るくやさしくなった。受け入れる姿勢が見られ、以前のような拒否反応がない」ということでした。

翌日も再度知人からの連絡が入りました。
挨拶をしても一瞥(いちべつ)する程度だった上司が、「あ、おはよう」と笑顔で返したというのです。
そして、質問をしても通常なら「はあ? なに!」という剣幕だったのが、「うん、なに? ああ、これはこうしたらいいのよ」と積極的に教えてくれるようになったというのです。

報告は毎日続きました。あれから毎日上司の機嫌がよく、知人自身も楽しく過ごすことができているという内容でした。その変貌振りに彼女は喜び、また驚いていました。職場の人たちもなぜ上司の機嫌がそんなによいのか、不思議がっていたらしいのです。
感謝のメールが届き、彼女がまたその職場で働く意欲をもってくれたようすが窺(うかが)えました。とりあえずは、一件落着です。

わたしは、その上司だけでなく、知人のほうにも同時に光を送っていたので、相乗効果が表れたのだろうと思っています。
上司は、正常波動に戻れば、親切でやさしい人柄が発揮されたのです。
けれども、この人は休日前になると、憂さ晴らしに酒場に行ったりして霊に憑依されることが度々あるので要注意でした。機嫌が悪くなるのは必ず休日明けであり、憑依霊が影響していたのです。

(★気味が悪いところや波動が悪そうなところには、近づかないのが賢明ヨ!)


★ 本人が自ら異常波動を引き寄せていることに
        気づくことが大切 ★ 



★意識が三次元レベル、つまり物質的なものに価値を感じ、精神的な学びに関心がない人の場合は、たとえ正常波動になって、一時的によくなっても、すぐに元に戻ります。
そして多くの霊が憑依し、浄化をしてもまたすぐに別の霊が憑きます。
そんなときは、本人の「現世での過去」、あるいは本人の「過去生」や「分霊」に問題がある場合もあるのです。

★この上司のように未浄化霊や浮遊霊が多くいる場所に行ったり、そういうネガティブなエネルギーを多く拾いやすかったりする人は、日々の自分自身の言動に気づくことが必要です。

本人が自ら異常波動を引き寄せていることに気づいて反省をし、真によくなりたいと願い、自ら真剣に浄化に取り組み、努力されるなら、その効果は顕著にあらわれますが、本人にその気がない場合は、いくら他者に浄化をしてもらっても、異常波動を繰り返し呼び込むだけです。


次回は「本人の準備ができていないときは、癒すことができない」について、さらにつっこんで述べたいと思います。


本人の準備ができていないときは癒すことができない

2010年07月02日 10:30


★本人の準備ができていないときは
         癒すことができない★



★本人に自分を変えようという意識がなく、その準備ができていないときは、癒すことができません。

たとえば、その人に霊が憑いて異常波動になっている場合は、その人に自分の生き方がまちがっているということを明確に知らせてくれているのです。周囲の人たちは、とばっちりを受けて大変迷惑でしょうが、それも彼らのスタディ(学び)のひとつなのです。

先日記した知人の上司のような人は、どこの職場にもひとりやふたりはいそうですから、そういうタイプの人にどのように接していくかが、周りの人たちのスタディやレッスンとなっているわけですね。

★人を助けたほうがよいときと、助けないほうがよいときを見極めることは、とても大切です。

なぜなら、自分の精魂と愛をこめてエネルギーを注いだにもかかわらず、相手の意識は一向に変わらず、相手は同じ問題(過ち)を繰り返すばかりで、非常に虚しさを感じたという経験がこれまでに多々あったからです。

相手の意識を変化する方向へと導いたり、高い次元へと移行させたりするには、多くのエネルギーが必要です。
相手が自分の魂の成長に対して、まったく関心がなかったり、意欲がなかったり、聞く耳を持っていなかったり、ハートを閉ざしているときには、いくらエネルギーを注いでも受容されることはありません。
「祈り」などによって、相手の意識レベルが一時的に上昇しても、見る間に堕ちていくのがわかります。

よって、自分のエネルギーをムダにしないためにも、相手が自分の持っている問題を、今すぐに手放す準備が整っているかどうかを見極めることが必要となってくるのです。


ある末期ガンの患者さんのカウンセリングをしていたとき、わたしは彼女のガンを癒したくて、癒しのパワーを何度か送ったことがありました。
ところが、80パーセント癒した時点で、わたしのハイアーセルフからストップがかかったのです。それ以上癒してはいけないというのです。あとの20パーセントは彼女自身に任せなさいということでした。
彼女は非常に依存心が強く、自分の病気を全面的にわたしに預けていたところがあり、自分に対する責任と自助努力が感じられなかったのです。

彼女のガンの原因は霊的なものであり、ガンという病気を通して自分自身を深く掘り下げ、学ぶという目的をもって生まれてきているのだと、彼女の守護霊が伝えていたので、肉体の治癒よりも魂の目覚めに重点を置き、彼女の霊性を高めることに最善を尽くしました。 
結局彼女は途中からセッションに来られなくなり、20パーセントをクリアできないままで亡くなってしまわれました。あまりにもネガティブな思いが彼女自身を死に追いやったのです。

シルバーバーチ魂に受け入れる用意ができていれば、精神も正常となり、身体も正常になるとして、つぎのように語っています。

患者の魂に受け入れ態勢が整ったときに摂理が働いて、霊的な治癒エネルギーが注入されます。
魂に受け入れる用意ができていなければ、反応は生じないことになります。
魂の霊的意識が開かれるまでは、磁気的なつながりはできません。
閉じられたままであれば、何の接触も生じません。


シルバーバーチは1920年から60年間、イギリス人のモーリス・バーバネルの肉体を借りて、人生の奥義を語ったスピリット。


★相手に準備ができていないときは距離をおいて待つ★



★相手に変化を起こせないときは、相手のハイアーセルフ守護霊が、その人の成長を促すために、わざと困難な状況においていることもあるようです。
まだまだその状況でのレッスンが必要だということなのです。


わたしでは判断しかねるときは、相手の守護霊の意向を尋ねてみます。そうすれば、その人を助けるべきかどうかを明確に知ることができるからです。
たいてい守護霊のほうでは、早く本人に気づきと変化を与えたいため、援助をしてくれそうな縁者にコンタクトしてきています。
しかし、守護霊があれこれ策を弄しているにもかかわらず、当の本人は無意識のうちに心を閉ざして助けを拒否している場合が多いのです。
そんなときは必ず分離が生じ、うまく事が進まなくなります。

最近は相手の守護霊と相談して「やむをえない」という結論になれば、問題を全面的に相手に任せ、愛と光の波動のみを送り、距離をとって待つことを心がけるようにしています。


★相手に変化を起こすためのお手伝いは、相手の準備ができてはじめて可能となるのです




「サイキック・バンパイアとサイキック・スポンジ」&オーラの自己防衛

2010年07月03日 15:12


★ サイキック・バンパイアとは? ★



★精神の波動は、その人の意識のありようで上下変動します。

思い方が悪くて、人をねたんだり、うらんだり、憎んだり、ネガティブな心を持つと、精神波動だけでなく、肉体波動も低下してきます。
常に精神状態が穏やかで安定している人は、異常波動に汚染されたとき、肉体が先に病んできます。
ところが、常日頃から肉体が強くて健康な人は、精神が先に病むのです。
知らないうちに性格がどんどん悪くなっていきますから、本人は気づかなくても、周囲の人は気づきます。
そういう人は異常波動に対する免疫性が強く、異常波動と同調しやすいのです。
その結果、言動が荒々しく下品になって、人の心を傷つけていても全然気がつかず、反省や感謝もできないので、しだいに人から敬遠されるようになっていくのです。

★周囲を不快にさせている人たちの多くは、〈異常波動バランス〉によるものです。

当の本人はといえば、不思議と好調なので、よけいに始末が悪いのです。
実際調査をすると、〈異常波動バランス〉にある人の肉体波動値はかなり低下しています。
それなのに、なぜ本人は好調なのでしょうか?

それは、異常波動を発している人が周りの人たちのエネルギーを奪い、自分に取り込んでいるからなのです。
夜分遅くに電話をかけてきたり、自分の悩みや愚痴を際限なく語りつづけたりして、相手の迷惑を考えない厚かましい人たちが結構いますよね。
そういう人たちのことを〈サイキック・バンパイア〉と呼びます。

★自分がサイキック・バンパイアにならないためには、自分のオーラとチャクラにプラーナ(生命エネルギー)をたくさん取り入れて、正常波動を保つことを心がけ、人からエネルギーを奪わないようにすることが大切です。
プラーナは息を吸うときに身体のなかに入り、細胞のひとつひとつに「生命の力」が届けられます。
ですから、いつも意識して、深く規則正しい呼吸をするようにしてください。




★ サイキック・スポンジとは? ★



サイキック・バンパイアにエネルギーを奪われた人は、だるさや疲労感、脱力感を覚えます。
また、頭痛、腹痛、息苦しさ、咳き込み、背中、肩、腰の痛み、目や鼻や喉の異常、眠気などに襲われることもあります。急にめまいがして、倒れそうになることもあるようです。
バスや電車の中、人ごみの中にいると疲れが出る人は、人にエネルギーを奪われている可能性が大です。

★このように霊的なエネルギーの影響を受けやすい敏感な人で、たいていネガティブ霊の標的になっている人を〈サイキック・スポンジ〉と呼びます。

そういう人たちは、基本的に人に対して優しく、善意に満ちた人が多いので、気の毒です。
でも、彼らの内側に何かネガティブエネルギーを引き寄せる理由があるので、気の毒がってばかりはいられません。
たとえば、自分に自信がもてない人であったり、精神状態が不安定な人であったり、感受性が強すぎる人であったりと、何らかのネガティブな思考に陥りやすい傾向をもっているはずです。
表面的には善人に見えても、それが真の姿ではないということです。
人に対して否定的なことを全く言わないからといって、その人が必ずしも善人だということにはなりませんね。

その人が善い人であろうとすればするほど、内側には多くのシャドウ(影)が蓄積していきます。それがネガティブ霊を引き寄せるのです。
シャドウは暗く、邪悪で、陰険で、残酷な観念であり、これらを自らの内に抑圧することによって増幅していきます。
ですから、常に自分の頭で考えた、いわゆる「善い人」の部分だけで人に接していると、やがて悪の部分が大きなシャドウとなって、立ちはだかることになるのです。

★では、どうすればよいのでしょうか。

いつも、どんなときでも、人とは本音でつき合うこと。本音で話すこと。全面的に自分自身に責任を負いながら、自分の真実を相手に誠実に話すことです。

いつも相手の喜びそうな善人でいる必要はないということ。相手に好かれるための偽善者はやめることです。

自分の正直な気持ちを隠さずに相手に伝え、納得できないことに対しては我慢することなく意見を述べ、後々鬱憤(うっぷん)を残さないようにしなければなりません。

それは自分のためだけではありません。相手に気づきを与える絶好のチャンスを提供することにもなるのです。


ダイアナ・クーパーさんはその著「アセンションの新しき光」のなかでつぎのように言っています。

「霊性を高めるというのは、他人にとって感じよく、優しい人でいるということではありません。それは心に偽りがなく、正直でいるということです」


★自分のなかに「怖れ」や「罪悪感」、「復讐」や「怒り」、「「裁く心」や「支配欲」、また、「期待」や「執着心」や「強いこだわり」などが渦巻いていないかどうか、点検してみてください。
もし、何かあることに気づいたら、それらをすべて手放してください。
「傷ついている心」があれば、即刻癒してください。
でも、人に癒してもらおうなどとは思わないでくださいね。
真の癒しは自分にしかできません。自分で自分の心を癒してあげるのです。



★ オーラの自己防衛法 ★



サンディエゴの名誉神学博士であるスーザン・シュムスキーさんは、
「サイキック・スポンジは、周囲からの波動エネルギーを吸収します。彼らのオーラは開いていて過剰に敏感であり、脆弱(ぜいじゃく)で、有害なものを含めてあらゆるエネルギーを吸収してしまいます」と述べ、
オーラの自己防衛法として「オーラを閉じること」、「自信と保護のアファメーション」を唱えることの必要性を提案しています。

「オーラ」や「オーラを閉じること」については、また詳しくお話しする予定です。
とりあえず、自分が「サイキック・スポンジ」だと思う人は、つぎのアファメーションを毎日唱えてみてください。

  
  
  オーラの自己防衛



   
   自信のアファメーション
  (自力本願、自信、内面の強さを高めるために)
 
 
  
   わたしは自分を把握しています
   わたしは神と共にある者です。
   わたしは人生における唯一の権威です
   わたしは自らの存在の光によって
   神に守られています
   わたしの内なる神と意識以外のすべてに対して
   自分のオーラと光の身体を閉じています 
   今も これから先も ずっと
   神さまに感謝を 心からの感謝を
 
   


   保護の祈り
  (神の保護と神の愛のために)


   
   神の光がわたしを包みます 
   神の愛がわたしを抱きしめます
   神の力がわたしを守ります 
   神の存在がわたしを見守ります
   わたしがどこにいても、神はいて、
   なにもかもがうまくいきます
   
 


この祈りとアファメーションは、すべて力強くはっきりとした声で唱えるようにしてください。
信念と自信、確信を持って、大きな声で言ってください。

(詳細を知りたい人は、スーザン・シュムスキー著「オーラ・ヒーリング」徳間書店 を読んでくださいネ)


猫には見える不可視の存在

2010年07月04日 23:50


★ 猫は霊的世界をキャッチしている ★



★猫は霊的な世界を感知することに優れた動物です。

わたしが飼っている二匹のメス猫(仮称メリーとピー)は、すでに肉体から分離して、肉体をまとっていない存在たちを毎日のようにキャッチしています。
ときどきだれもいない壁や空間をじっと見つめていたり、見えないものをしきりに目で追っていたりするのを見かけることがありますが、それは霊的な存在を発見したときです。わたしも同時にそれを感じることがあります。
ときには猫たちがそれに感応して毛を逆立たせ、尻尾を大きく膨らませて一目散に逃げたり、また逆に追いかけたりと、見ていてなかなか興味深いものがあります。

わたしの次女は霊媒体質のせいで、生きている人間や動物だけではなく、死者の情報(浄化を求めてやってきた死霊の気持ちや、浄化後の心情など)を読みとることが可能です。
次女がうちの猫になった体験をしたとき、猫の目で見えた実態を話してくれました。

まず、人から発しているオーラの色が、あまりに色とりどりにゆらめいて見えるので、酔って吐き気がするほどだったといいます。つまり、猫は人のオーラを見ることができるのです。

★オーラというのは、人間や動物、植物などの生命体が、外界に放射している微弱な電磁エネルギーのことをいいます。
心や身体の状態に応じて、波長が異なり、形や色、明暗が常に変化しています。
オーラは、ほかにオーラフィールド、微細身、アストラル体、エーテル体と呼ばれており、科学的には、バイオプラズマ体などとも呼ばれています


次女の話では、猫がオーラのほかに見ていたのは、それぞれの人の頭の上方に存在する霊人で、その霊人同士が話をしている場面をしばしば見ていたということです。
その霊人は守護霊だったのではないかと思いますが、霊人同士で話しているのを猫は見ていたのです。

★一日のうちの三分の二以上を眠って過ごしている猫は、霊的な世界にいる時間が人間よりも圧倒的に多いのです。
この物理次元(物質世界)と霊的次元(非物質世界)が両方とも現実だということをちゃんと理解していて、ふたつの次元に同時に生きているのです。

猫には見えるけれども、一般の人間には見えない「エネルギー体」について、今日からひとつずつフォーカスしていくことにしましょう。



★うちのニャン子はお化けがキライ★



うちのお嬢さんがた(メリーとピ―)は、お化けがキライです。
お化けを憑けている人の近くには寄りつかないし、目も合わせません。
メリーの背中の毛の一部がほんのわずかに逆立っているときは、必ず近くに浮遊霊あるいは異星の存在(E・T)が存在します。
E・Tが訪問したときは、メリーが必ず知らせにきます。
ゴーストをたくさん連れている人が部屋に入ってくると、メリーがじっと睨(にら)んでいるのがわかります。
いつも慣れ親しんでいる次女に何かが憑いているときは、次女のそばを通るたびにシッポがボワッと太くなり、遠くに行くと元に戻ります。背中の毛やシッポは、彼女たちのセンサーなのです。


    ピャーちゃん
   毛がボウボウのピーちゃんデス!


うちの猫たちが人の頭上のほうを見て、その人が近づくのを嫌がったり、逃げたりするようなら、まちがいなくその人にはお化けが憑いています。
夫や次女はそのようすを見て、自分にそういう存在が憑いているかどうかを見極めるようになりました。

2009年まで、ピーはときどき人からお化けをもらうことがありました。
たいていは動物でしたが、そんなときは性格が変貌します。いつもは抱っこされるのがあまり好きではないので、すぐに逃げようとするのですが、憑かれている時は抱っこされたままで身体の力が抜けたようになり、とてもおとなしくなってしまうのです。
鳥やウサギのときはとても可愛らしいしぐさをしますが、犬やキツネやタヌキが憑くと凶暴になることがあります。

時には、人間のゴーストが憑依することもありました。
眼は口ほどにものを言う」といいますが、ピーの目を見れば、憑いているものが人か動物かがわかるのです。ピーの可愛らしい顔が、意識の低い者が憑くほど、ふてぶてしい顔になるからです。

常日頃はケンカをしたこともない仲の良い二匹ですが、ピーにお化けが憑依すると、メリーにケンカをふっかけたりします。
そのようすをわたしはいつも観察しているのですが、人間の場合にも全く同様のことが見られるので、なかなか興味深いものがあります。
ピーは結局メリーには勝てずに降参します。
浄化すると途端にわれに返り、「何があったの?」という顔をしますが、落ち込んでしょんぼりしているときもあります。


         メリー「やるの?」
けんか1 
ピー「ニャンか、イラつくのよね!」

けんか2 
メリー「悪霊よ、去れ!」

   しょんぼり
ピー「ワタシに何かついてたのかしら? しょんぼり…」



浄化をするために手のひらをかざすと、ピーはその場で横たわり、終わるまで動こうとはしません。
ゴースト自身が浄化してほしがっているときには、ほんとうに驚くほど神妙なのです。
逆に浄化されたがらないゴーストの場合は逃げ回りますから、即刻ピーから離れるよう強い調子で言い聞かせます。ゴーストが離れた瞬間、ピーがその行方を目で追うのと同時に、メリーもピーの傍(そば)に駆け寄って一緒に見つめていることがあります。

メリーはヘビの霊が大の苦手です。
ヘビが来たときは逃げますが、ヘビ以外の爬虫類や、人霊やE・T、動物霊には全く動じません。どんなに多くのゴーストがやってきても大丈夫です。
基本的にメリーには霊が憑かないのです。
メリーのオーラは一般の人間以上に大きく、大いなる秘密を持っているからです。
それについては、今のところ秘密ですが、また時が経てば、お話しできるかもしれません。


★2007年、2008年は、地上には意識レベルの低いゴーストたちであふれかえっており、浄化を求める人霊やあらゆる動物霊たちがわたしの家にも数多(あまた)やってきておりました。
しかし、2009年にはぐんと減り、2010年になってE・T以外の存在はやって来なくなっていますから、メリーやピーもホッとしているようです。

★次回は猫には見えていた「オーラ」についてお話ししたいと思います。


オーラはその人のすべてを表現している

2010年07月05日 11:35


★ あなたの身体から
   「見えないエネルギー」が放射されている★



★あなたの身体からは、いつも「見えないエネルギー」が放射されています。
一般的にそれは「オーラ」と呼ばれています。
この「見えないエネルギー」である「オーラ」は、自分のそのときの気分によって瞬間瞬間に変わります。
太陽や月、機械などの媒体によっても影響を受けます。

最近は「オーラ・ビデオ・ステーション」というソフトを使って、オーラのようすをパソコンの画面上で見ることができるようになりました。
皆さんのなかには、すでに自分のオーラを撮って見られたかもしれませんが、実際に視覚できるようになったので、信じるというよりも、まちがいなくあるということがおわかりになるかと思います。


      オーラ写真2
オーラ・イン・モーションpro オーラレポートより


★虹には赤・オレンジ・黄・緑・青・藍・紫の七色がありますが、オーラやチャクラにも同様の色があり、それぞれ色のもつ性質や意味があります。
色彩はそのときの「その人の心情」によってつぎつぎと変容しますから、「オーラの色」やその「形状」で、そのときの「その人の情報」を読み取ることができるのです。




オーラにもポジティブとネガティブな色がある



★オーラの色の解釈については人それぞれです。
霊視者の意識レベルによっても、色の見え方もみな異なります。
ですから、つぎに記すのは、ほんの一例として参考程度にしてください。


は「肉体活動」をあらわします。

赤色のオーラをもつ人は、感覚的で唯物的傾向が強いので、精神面の重要性を無視しがちとなります。
明るい赤は「熱意・活気」をあらわし、健全なスポーツ選手に多くみられます。
暗い赤は「自己保存・わがまま」、「支配的な傾向」を、
にごった赤は「怒り・憎しみ・欲求不満」などを示します。

★非凡な霊視能力者「アニー・ベサント&C・W・リードビーター」の共著『―想念形体―思いは生きている』(竜王文庫)には、
毒々しい煉瓦(れんが)色から輝かしい緋色(ひいろ)まで、あらゆる色合いの赤は怒りを意味する」と書かれています。

ただし、「愛情は深紅色とバラ色のあらゆる色合いにあらわれる」とあり、
清いうすい紅色(べにいろ)は高級な性質にしかできない、絶対的で非利己的愛情を示す」とあります。
清いうすい紅色」というのは、ピンク色のことです。
(ピンク色については、次回お話します)

赤といっても「動物的・本能的愛のにぶい深紅色」から「暁(あかつき)の新鮮な輝きのような繊細なバラ色の極めて美しい色合い」に至るまで、さまざまな色合いがあるということですね。


★オレンジは主に「他人に影響を与えたり、支配したいという願望」をあらわします。

明るいオレンジ色は「楽観的・自信」を、
深いオレンジ色は「高慢」と「野心」を、
にごったオレンジは「無関心・自信の欠如・非難」などを示します。


★黄は「知性・精神的領域」を意味します。

すべて「知性的な活動」は、黄色の波動を示します。
明るい黄色は「精神力」を、
にごった黄色は「恐れ」や「皮肉」を、
にぶい黄土(おうど)色は「利己的な目的を持つ知的能力」をあらわします。

うすくて輝くような黄色(黄金色・金色)は「知的な力の最高で最も非利己的なもの」で、「霊的目的へ向けられた清浄な理性のしるし」といわれます。
絵画などで、偉大な聖人たちの頭のまわりにかがやいている「金色の光輪」を見られたことがあるでしょう。天使の頭にも輪がありますね。
「知識」に対して「純粋な愛」をもっている人には、「透明な黄金のオーラ」となってあらわれるのです。


★緑は「癒し・バランス・平和・慈愛・ヒーラー」の色です。
灰緑色は「あざむき」、
褐色がかった緑は「嫉妬(しっと)」を、
とてもにごった緑色は「うらみによる悪意」をあらわすようです。
(★大天使ラファエルが美しいエメラルド色のオーラをもっているのは、彼が癒しの天使だからです)


★青は「聖霊の色・スピリチュアルな感情を象徴する色・霊性の色」とされ、青のさまざまな色合いは、「宗教的な感情」を示します。


にごった青は「憂鬱・権威主義・独善的」を示すこともあります。

青色には「利己的献身(けんしん)の暗褐色青」や「心からの崇敬(すうけい)の豊かな濃い澄んだ色、自己放棄と神との合一を意味する最高に美しいうすい空色」に至るまでさまざまです。
(★大天使ミカエルのオーラは青色だといわれていますが、それは真実です)


★藍(あい)や紫は、「霊的に高い地点への到達」を意味します。

明るい藍色は「高い知覚・直観・超能力」を、
紫色は「現実的な世の中のできごとをうまく処理する能力」を示します。
藍色や紫色がにごっている場合は、「宗教的熱狂・所有欲・内向的」などを示します。


★スミレ(薄紫)という色は、可視光線のなかでもっとも高い周波数をもっているところから、「非常に霊的で高尚な感情・思考・達成」をあらわすといわれます。
 

明るいスミレ色になると、「神とのつながり・インスピレーション・精神の自由・謙虚・創造性に満ちた創造力」を、
にごったスミレ色になると、「自己嫌悪・夢想・不調和・不信心・地に足がついていない」というふうに、意味合いが変わります。


★このように、どの色にもポジティブとネガティブな意味があり、それはその色が明るく透明であるか、暗くにごっているかによって全く異なってきます。
ですから、オーラの色に良し悪しを見るよりも、それが清らかで生命力にあふれているかどうかにフォーカスしたほうがよいと思います。
オーラが透明で美しく、活発であればあるほど、その人の生命力や運気が向上するからです。

★人の生命力の強さ弱さは、その人が「宇宙の法則(大自然の流れ)に沿った生き方をしているか」、「大自然の流れに反する生き方をしているか」によって決まってくるのです。

聖人などはオーラがとてつもなく大きいと言われていますが、それが透明で清らかであることが必須条件です。
いくらオーラが大きくても、その色がひどくくすんでいて、「怒り」を表すにごった赤だったりすれば、そのネガティブな影響力が周囲にも及びます。
ですから、オーラが大きければよいというものではないのです。




ハート
オーラは鏡のように正直です。
ポジティブな意識をもてば、ポジティブな光を放つし、
ネガティブな意識をもてば、ネガティブな色調へと変容します。

一番大切なことは、その人の「心のあり方」、
意識の持ち方」にかかっているということなのです。 

さて、あなたのオーラは何色でしょうか?




オーラはその人のすべてを表現している Ⅱ 

2010年07月06日 15:30


★ ピンク色のオーラ ★



★オーラのピンクは「スピリチュアル(紫)な生命」と、「物質的(赤)な生命」が完全にバランスのとれた状態に見られるといわれます。

無条件の愛」をはじめ、「優しさ・思いやり・博愛・寛大・謙遜・優雅・陽気・健康・喜び・慰め・仲間との交わり・活発化」などの意味があります。

ピンク色がにごると「わがまま・幼稚な感情・条件つきの愛・不親切」などを示します。




pinnku



*スーザン・シュムスキーは、
「利己的でない、スピリチュアルで、献身的で、普遍的な愛の高い波動は、
美しいバラ色がかったオーラとなってあらわれます。
もっとも進化した魂は、めずらしい大きなピンクの色のオーラを見せます。

バラ色の眼鏡〉ということばは、楽観的で陽気なことをあらわし、
ピンクのなかにいる〉と言えば、健康なことです」

と述べています。

*スーザン・シュムスキーは、サンディエゴの直観形而上学教習所の神学博士。神の存在と接触し、内なる声に耳を傾ける完全テクニックを教える《 Divine Revelasion(神の啓示の意)》を設立。



★これはわたしの毎日の体験から得た情報ですが、ピンク色のオーラは、浄化活動をするときによく見られます。
浄化活動は「無条件の愛による奉仕」だからです。

ハイアーセルフと一体であるときは純粋な光の色である「明るい白色」、または「うすいクリーム色」で、
浄化活動を日夜続けたり、無条件の愛を実行しているときは、完璧に「ピンク色」になっているのがわかります。


白は純粋な光の色で、そこに溶け込んでいるあらゆる色の波動を高めます。
その核にあるのは、宇宙でもっともポジティブな性質です。
また、白は純粋な聖霊をあらわし、白のオーラで満たされている人は、ほんものの霊的指導者といわれます。

真珠のかがやきをもつ白は、「優しさ・温和・赦し」をあらわしますが、
汚い白は「深刻な病気・心身の不調和」をあらわします。

★毎日、自分が純白のオーラで覆われている状態をイメージすると守護されます。
そのときに、前回(7月3日)の「サイキック・バンパイアとサイキック・スポンジ&オーラの自己防衛」の箇所で記した「保護の祈り」を唱えると非常に効果的です。


黒は光の欠如ですが、必ずしも邪悪という意味ではありません。
ポジティブな意味では、黒は「休息・くつろぎ・静謐(せいひつ)」をあらわします。

ネガティブな意味では「憎しみ・希望のない悲しみ・抑圧・悲観・復讐・敵意・病気・アストラル体の憑依」などを示します。

黒のオーラの人は、けっこういるのです。
悲しみながら愚痴を言っている人のオーラは黒煙さながらで、モクモクと表出しています。
悲観的な人は黒い服を好みますが、常に純粋な白い光をイメージして、明るい色の服を身につけるようにしてください。


透明な茶色は、仕事に対して勤勉で、達成や成功に向かって努力している人に多くみられますが、とても世俗的です。

茶色がにごっている人は、柔軟性が欠如しており、頑固でケチで強欲、貪欲で、堕落しています。
人の助言や忠告に耳を傾けない人は、たいていにごった茶色のオーラとなっています。

灰色は「病気・悲嘆・喪失」を、
にごった灰色は「消極性・抑うつ・絶望・心身の衰え」を示します。


このように、オーラというさまざまな色調をあらわしているわたしたちは、赤外線から可視光線、紫外線に至るまでの「エネルギー場」をもっているのです。

オーラがにごっていたり、黒い影があったりするときには、霊などのネガティブなエネルギーが付着していることが多いようです。
オーラに穴があいていたり、粘っこかったり、粗かったり、重かったり、さまざまな症状が生じることもあります。
このような異常なオーラを修復することで、心身の病気を癒すことも可能です。



★ オーラとは何か? ★



「オーラとは何ですか?」という問いに、シルバーバーチはつぎのように答えています。


オーラは媒体から出る波長だが、その媒体の状態に応じて、波長はさまざまである。
だからオーラを見て、その意味が読み取れる人は、相手の秘密を何でも知ることができる。
たとえば相手の健康状態、相手の心や気持ち、その魂の進歩の程度までもわかる。

だから、オーラとは人の目の前に開かれた書物。
そこにはその人の現行や思想がすべて記録されている。
オーラこそは永遠の審判官。
そこには、外見からはわからないその人の真実の姿が、見る人の目の前に正確に示されている。



すでに肉体を脱いだ霊人や霊視能力のある人間がオーラを観察すれば、相手の魂が今どの程度の段階にあるか、精神の発達度、霊性の進化の程度がわかるのです。

また、オーラに含まれた情報を読み取って、その人の現在の生命エネルギーがどんな状態になっているかを知ることにより、問題を解決することが可能となります。



ハート
外面をいくら取り繕(つくろ)っても、
オーラにその人の内なる本性がずばり刻まれ、
表現されているわけですから、
ウソは通用しませんね。




あなたの「目に見えないボディ」

2010年07月07日 19:50


★ 幽体離脱とは? ★



あなたは、空を飛んでいる夢を見たことがありますか? 

また、夢のなかで超スピードで空間を飛んで、眠っている自分の肉体に戻ったというような記憶、あるいはもっとリアルな体験として、自分の肉体を別のところから、たとえば天井のあたりから眺めたことはあるでしょうか? 

これはアストラル・プロジェクション=〈幽体離脱(ゆうたいりだつ)〉と呼ばれる現象です。

昔から幽体離脱の体験を持っている人はたくさんいました。
世界的に有名な人では、十八世紀の科学者であったエマニュアル・スウェデンボルグです。

彼は「過去二十数年にわたり、肉体をこの世に置いたまま、霊となって人間の死後の世界、霊の世界に出入りしてきた。そして、多くの霊たちと立ち交わり、数々のことを見聞きしてきた」と自ら語っています。 

幽体離脱を繰り返していたアメリカのモンロー研究所の(故)ロバート・モンロー氏も自分の「魂の体外旅行」や「死後体験」のようすを本に書き遺(のこ)していますし、ジャーナリストの立花隆氏も幽体離脱をした人たちから情報収集した臨死体験などを本にしています。
近年はテレビなどでも〈幽体離脱の実体験〉のようすが放映されているので、ご存知の人も多いのではないかと思います。


★〈幽体離脱現象〉は、肉体は横たわったままで、その肉体から離れても自由自在に動ける自分があるということ。
つまり、脳の働きをする肉体がなくても、「自分であるという意識」をもち、「思考できる自分が存在する」ということを実証しています。

このような〈幽体〉と呼ばれている身体が、「肉眼では見えない神秘的なエネルギー体」で、透視力や超感覚を通してのみ知ることができるものです。


この〈幽体〉は「微細身(サトルボディ)」とも呼ばれていますが、このボディについては、また詳しくお話ししたいと思います。


★このエネルギー体が肉体から分離することがあるのは、睡眠中や催眠中、瞑想や臨死体験、麻酔状態のときなどです。
死を迎えるときには、このエネルギー体は永遠に肉体から離れ、別の次元の世界で生きつづけます。

臨死体験をした人たちの多くが、人々から発している色とりどりに「光る身体」を見た体験があると語っていますが、この「光る身体」は「オーラのエネルギー場=オーラ・フィールド」のことです。




★「目に見えないボディ」こそ「真のわたし」



人には皆「肉体」のほかに「目には見えないボディが存在する」ということは、古くから伝えられてきました。

目に見えない身体の名称や分け方は、透視する人によってそれぞれ異なっていますが、わたしたちの肉体の内側には肉体とそっくりな目に見えない光の身体が存在しているということは、みな共通しています。
その身体を昔から複体とか幽体とかアストラル体とか呼んで、その奥にが存在しているといわれてきたのです。


★インドの*パラマハンサ・ヨガナンダ師は、彼の著書『人間の永遠の探究』のなかで、つぎのように語っています。

幽体は、肉体のすべての部分に相当する部分を備えています。
肉体心臓の背後には、目に見えない幽体心臓があります。それがなければ、肉体心臓は動きません。
あなたは、目に見えない視覚器官、聴覚器官、脳、骨格、神経などを持っています。
光とエネルギーの組織で出来たそれらの器官が、目に見えないあなたの幽体を形成しているのです。  
幽体は光とエネルギーでできているため、肉体よりもはるかに精妙に出来ていますが、それ以外は肉体と全くそっくりです。 


(*パラマハンサ・ヨガナンダは、イエス・キリストが説いた教えとクリシュナが教えたヨガとの根本的な一致を明らかにし、その根本原理が、あらゆる宗教に共通する科学的真理であることを示した)



ハート
目に見えない身体」こそ、
ほんとうのあなたほんとうのわたしです。

だれにも、目に見えない身体があるということを知ると、
これまでの生き方が少し変わるかもしれませんね。

この「神秘のボディ」についての詳細は、次回お伝えしたいと思います。



神秘のボディ

2010年07月08日 20:33


★ 神秘のボディ ★



★「目に見えないボディ 」について、古代インドの「ヨーガ」では、人間の身体を、粗大身(グロス・ボディ)、微細身(サトル・ボディ)、原因身(コーザル・ボディ)の三つに分けて考えてきました。


一つ目のボディは「粗大身(そだいしん)」です。
これは食物を必要とし、食物で成り立っている身体なので、〈食物鞘〉と呼ばれています。
わたしたちが通常〈肉体〉と呼んでいる身体のことですね。
これは、唯一「目に見えるボディ」です。


食物鞘=肉体〉は食べなければ死んでしまい、やがて朽ちて土に還っていくボディですが、「この身体自体に意志や生命はありません」と言ったら、あなたは驚きますか?

わたしたちは肉体が勝手に動いて、まるでそれ自体が生きているかのように錯覚していますが、肉体をコントロールしているのは、じつはわたしたちの別の身体なのです。

そう言うと、あなたは人が眠っている状態を思い出して、たとえ「肉体の所有者」が眠ってしまっても、その肉体は寝返りをうったり、大きな音がしたときには飛び上がったりすることがあるじゃないかと思われるかもしれません。確かにその程度の限られた反応、「肉体の意識」というものはあります。
しかし、基本的に「肉体は、この物理次元で生きるための一時的な乗り物」にしかすぎないのです。

車が動くのは、運転手がいるからですね。
いくらガソリンが入っていても、キーを挿してエンジンを回転させ、アクセルを踏んで、自分の行きたい方向へと進行させる運転手がいなければ、車自体が勝手に走りだすことはありません。
それと同じで〈食物鞘〉は「自動車のボディ部分」にすぎず、つぎにお話しする〈生気鞘〉こそが、「運転手」なのです。


二つ目のボディは「微細身(びさいしん)」です。 
この身体は〈生気鞘〉、〈意思鞘〉、〈理智鞘〉で構成されているといわれますが、ここでは〈生気鞘〉についてお話しします。



★一般的に〈幽体〉とか〈アストラル体〉とか呼ばれているものは、〈生気鞘〉のことを指しています。
生気鞘〉は〈食物鞘〉とそっくり同じかたちをしているので、〈エーテル二重体〉とも呼ばれます。

ヨガナンダ師は「幽体は、肉体のすべての部分に相当する部分を備えています。肉体心臓の背後には、目に見えない幽体心臓があります。それがなければ、肉体心臓は動きません」と述べています。

「死んで肉体を脱いだら、内臓なんか必要ないんじゃないの? どうして見えない臓器があるの?」と、あなたは不思議に思うかもしれません。
確かに肉体がないのに、臓器はいりませんよね。
ところが、死んでも死んだことに気づいていない人が、たとえば胃ガンで胃が痛いと思いつづけていると、いつまで経っても「痛みつづける胃」が存在するのです。
「あなた、もう死んでいますよ。だから、もう胃は痛くないはずですよ」と気づかせてあげると、「えっ、ホント? そうなの?」と、ようやく自分の肉体がないことに気づいて、「痛い胃」は消え去るわけです。
自分の「想念(そうねん)」で内臓をつくっているのです。

「肉体」と「見えない身体」が重複している「この世」においては、本来ないはずの肉体と同じ「内臓の複製器官」が存在するようになるといわれています。
もちろん肉体と同じ物質でできたものではありませんが、わたしたちが肉体を脱いでからも、その一部が霊体にくっついているのです。それをすべて捨て去れば、さらに純粋なエネルギー体となっていけるわけです。

実際のところ、個々の想念によって「あの世」での形態はさまざまですから、正直言って死後自分自身でしっかりとそれを見極めるしかないと思います。(★あとは自分で確かめてみることネ)

さて、〈生気鞘〉ですが、これは〈音・触感・形・味・におい〉の〈五つの感覚〉を通して、外部の物体を知覚し、この刺激を通して、〈表現する・つかむ・動く・生殖する・排出する〉という〈五つの行動感覚〉を促します。

また、〈聞く・感じる・見る・味わう・においを嗅ぐ〉という〈五つの認知感覚〉を満たすよう命令します。
この五つの感覚は五つのエネルギーセンターと結びついています。
暑さや寒さ、喜びや悲しみ、痛みや空腹などを感じるのは、〈食物鞘〉ではなく、じつはこの〈生気鞘〉なんですね。
また、〈生気鞘〉がプラーナ(後述)を摂り入れているからこそ、肉体という〈食物鞘〉は生き生きと活動できるのです。
この鞘は、植物や動物も同じ機能を果たしています。


★睡眠中や催眠中、臨死体験や瞑想状態のときなどに肉体を離れて、幽界(アストラル界)を移動することができるのは、この〈生気鞘〉です。
肉体に死が訪れ、〈生気鞘〉が肉体から離れると、〈生気鞘〉のへその部分につながっているシルバーコードという銀色のヒモが切れます。それが、肉体(食物鞘)との永遠の別れとなるのです。
残された肉体は冷たくなってやがて朽ちていきますが、〈生気鞘〉はその後幽霊(ゴースト)や精霊(スピリット)となって生き残るのです。


幽霊は〈生気鞘〉という身体をもっているわけですね。
この身体は物質・個体を通り抜けることができます。まさしく透明人間です。



★ 死んでも性格は生前と変わらない ★



霊は生き通しですから、死後もその人の「能力」や「性格」はそのまま引き継がれます。
意識の低い人たちは、死んでも相変わらず物欲や権勢欲などが残っているということです。
死んでも「仏さま」のようにはけっしてなりません。
「死ぬ」というのは、ただ肉体がなくなるだけのことですから、霊的には生前とまったく変わらないのです。
(★「仏さま」になりたい人は「この世」でなっておくのがベストですヨ)


生前にその人が経験したことは、「記憶の貯蔵庫」にすべて蓄積されます。
それらの記憶は、その人の「つぎの輪廻転生」を決めるための目安となり、再び同じ微細身をまとって生まれることになります。
過去生の記憶は魂にしっかり刻み込まれているので、人によってはそれを思い出すことができます。


三つ目のボディは「原因身(げんいんしん)」です。

原因身は(エーテル=魂=自我体)とも呼び、構成している鞘は〈歓喜鞘〉だけです。
原因身はその人の「個性」をつくり、今生におけるその人の「魂の目的」をあらわすといわれます。
(★このボディは計り知れないので、さらに詳しく知りたい人は専門書をお読みください)



ハート
ここでは、わたしたちの身体が「肉体」だけではなく、
微細身」や「原因身」など、
さまざまな目に見えないエネルギー体で構成されていること

わたしたちには「多次元の意識の層」があり、
より「実体のあるボディ」を、より「高次のボディ」と「」がつつみ、
満たしているような構造になっているということ。

肉体をコントロールしているのは、
じつはわたしたちの別の身体(微細身)である
こと。
これら[三つのボディの存在]を知ってもらえれば幸いです。





誕生日にちなんで

2010年07月09日 17:50

 
 汝、知れ。
 おお人よ。汝はに過ぎず。肉体は無価値なものなり。
 魂こそすべてなり。
 汝の肉体を枷(かせ)とするなかれ。
 闇を脱ぎ捨て、光の中を旅せよ。
 汝の肉体を捨てて自由となれ。
 おお人よ。
 まことに光と一つなる光となれ。
 
 ―アトランティス人 トスの「エメラルド・タブレット」より



昨日、人間の身体を、粗大身(グロス・ボディ)、微細身(サトル・ボディ)、原因身(コーザル・ボディ)の三つに分けて簡単にお話ししました。

★わたしたちのこれら別の身体のことを総称して「意識」、あるいは「生命」、「=スピリット」と呼んでもよいかと思います。 

シルバーバーチは、つぎのように言っています。


は生命そのものであり、生命はそのものです。
のないところに生命はありません。
物質は殻にすぎません。
という実在によって投影されたカゲにすぎません。
物質それ自体には存在はないのです。
あなたが存在し、呼吸し、動き、考え、判断し、反省し、要約し、決断し、
熟考することができるのは、あなたが霊であるからこそです。
霊があなたの身体を動かしているのです。
霊が離れたら最後、その身体は崩壊して元の土くれに戻ってしまいます。



また、イエス・キリストも、
「人を生かすものは霊であって、肉はなんの役にも立たない。
わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、また命である」
と、語っています。

霊こそ、わたしたちの身体の主(あるじ)」ということなのです。



     はす
             撮影 光の仕事人



☆ 誕生日にちなんで ☆



今日7月9日は、わたし(光の仕事人)の誕生日です。

多くの人は誕生日を祝い、誕生日は祝ってもらう日だと思っておられるのではないでしょうか?

わたしは、生命の源である大宇宙の大霊と
御霊(みたま)を分け与えてくれた天上の母神と
そして、わたしの魂が宿る子宮と肉体を提供してくれた肉身の母に対して、心から感謝をする日であると思っています。

わたしはある目的をもってこの地球に生まれることを望み、
念願通りこの地球にやってきました。
そのときにわたしを受け入れてくれる子宮をもった人がいてくれたからこそです。

よく「自分は望んでこんな両親のところに生まれてきたんじゃない」とか、「勝手に生んでおいて」という子どもたちがいますが、それはまちがっているということを、ここでお伝えしておきます。

★子どもとなる霊は、自分の乗り物としてふさわしい遺伝子を持った母体を自分で選ぶのです。
その多くは自分が別の人生(過去生)で親しかったり、よく知っていたりした人を選ぶようですが、自分に合った母体が見つからない場合は、幾百年も待たなければならないこともあるのです。
ですから、子どもは「自分を生んでくれて、ありがとう。育ててくれてありがとう」という感謝の気持ちを持つべきなのです。



ハート
この地球上でわたしを生み、育ててくれた人は、すでにこの世界にはいませんが、
今心から感謝したいと思います。

そして、母神に、宇宙の大霊に、心から感謝を捧げます。

この大変革の時代に、地球に生まれることができたことを、ありがとうございます。
今、わたしの目的が遂行されていることを、ありがとうございます。
いつか大霊のもとに還れる日を願いながら、これからも自己の魂の成長と進化に努めます。(合掌)



プラーナのお話

2010年07月10日 18:54


★ プラーナのお話 ★



先日のタイトル「神秘のボディ」で、〈生気鞘〉が「プラーナ」を摂り入れているからこそ、肉体という〈食物鞘〉は生き生きと活動できるというお話をしました。
プラーナは中国や日本では「」と呼んでいて、わたしたちの身体にとても大切な働きをしているので、ここで少し説明をしておきたいと思います。


★「プラーナ」はサンスクリット(梵語)では、〈生命の躍動・呼吸・生命エネルギー〉を意味します。

ヘブライ語では〈生命の息〉と訳されています。
聖書の「創世記」に、「主なる神は、土の塵で人を形づくり、その鼻に〈命の息〉を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった」とありますね。
その〈命の息〉がプラーナです。

プラーナはわたしたちの「生命活動の源になる波動エネルギー」で、目には見えませんが、大切な働きをしています。
呼吸したり、心臓が鼓動したり、食べ物を消化したり、排出したりするのも、動いたり、話したり、考えたり、感じたりするのも、プラーナのエネルギーの流れによるものです。
わたしたちのオーラもプラーナからできています。 

★宇宙に存在する生命エネルギーであるプラーナは、無限の源〈万物の根源〉からやってきますが、目に見えないがゆえに、生命に不可欠なこのエネルギーの存在に多くの人は気づいてはいません。
わたしたちの身体のなかにプラーナが充満しているとき、生命は躍動しますが、プラーナが去ると死が訪れるのです。
わたしたちが生きていられるのは、「新鮮な空気と食物と水と日光によって吸収されたプラーナ」のおかげなのです。




★世界には、食物を摂らずにこのプラーナ、あるいは光だけで生きているブレサリアン(呼吸食主義者)たちがいます。
プラーナが「生命のエッセンス」だということを真に知り、その栄養だけで生きることを決心し、無限の源の聖なる栄養の経路にエネルギー接続をすれば、プラーナだけで生命の維持が可能となるのです。
地球に生きていた最初の人間は、食物を摂(と)らずにプラーナのみで生きていたのです。
いつの頃からか、飢餓(きが)を覚えるようになって食物を食べるようになり、今のような身体の構造になったといわれます。



★ 肉食は病気の原因となり、霊的進化を遅らせる ★



★昔から「追って逃げるものは食べてはならない」といわれています。
特に牛や豚などの動物は殺されるとき、恐怖心をもつからです。
その血や肉を食べると、恐怖心と粗雑な波長が人間に伝えられるのです。
肉食は病気の原因にもなります。そして、霊性の進化を遅らせ、困難なものとします。
現在牛や豚の伝染病が蔓延(まんえん)しているのは、動物を食用とし続ける残酷な人間に対する警告なのかもしれません。

ダイアナ・クーパーのガイドであるクメカは、
「チョコレートと砂糖、すべての乳製品と、顔のある生き物からできている製品すべて、農薬を使って育てられた野菜は、私たちの光のレベルを低下させる」
と言っています。


でも、これからは食物を摂らなくても生きていける時代が到来します。
身体の周波数が上がれば上がるほど、食物を必要としなくなるからです。
身体を軽くするためには、できる限り菜食や小食を心がけ、肉類を摂らないようにしましょう。
その代わり、たくさんのプラーナを身体に摂り入れてください。

★プラーナは息を吸うときに身体のなかに入り、細胞のひとつひとつに「生命の力」が届けられます。
高い精神的な波動に同調していると、プラーナは飛躍的に上昇します。 
ですから、深く規則正しい呼吸をする瞑想やヨーガなどをおこなうと、プラーナのエネルギーはぐんと上昇し、より生命力が活発になるのです。


ハート
ことばの波動も、プラーナのエネルギーによるものです。
真実に基づいたポジティブでパワフルな「祈り」や「アファメーション」は、
プラーナのエネルギーを増大させ、オーラを大きくします。

怒りを感じたときやネガティブな気分になったときは、
新鮮な空気が満ちているところで深呼吸を数回してみましょう。

お風呂に入ったり、シャワーを浴びたりするのも、
プラーナを身体にとり入れるのにとてもよいと思います。




あなたの魂の親はだれ?

2010年07月13日 09:10


★ あなたの魂の親はだれ? ★



今回から、わたしたち人間に影響を与えている「目に見えない存在たち」についてお話をしていきたいと思います。
初回の「ごあいさつ」で既にお伝えしていますが、心に留めておいていただきたいので、再度ここで述べたいと思います。


★わたしは今現在のわたしの意識レベルにある真実を提供しています。
あなたの真実とわたしの真実が異なっていて、理解ができないことや見解の相違があったとしても、それは仕方がありません。
同じ体験をしていないことはわからないからです。
また、同じことでも、表現方法が違うといったこともあるでしょう。
何につけても、ことばで表現(説明)するということは非常に難しいのです。
ひとつのことばや文章をどう解釈するか、受け取り方は千差万別です。
ネガティブに受け取るか、ポジティブに受け取るかは、あなたしだいです。


ともかく、すべてを鵜呑みにするのではなく、また批判的に見るのではなく、「そういうことがあるのか」と、とりあえず知っておいてもらいたいのです。
それはいつかあなたの「思いの制限をひらく」ために役立つ情報かもしれないからです。

ということで、今日は「親神分霊」のお話をしたいと思います。



★ だれにも魂を分けてもらった親神がいる★



人にはみな自分の肉体を提供してもらった物理次元の両親が存在します。
でも、肉体をコントロールしている〈〉は誰からもらったのでしょうか? 
あなたのご両親が魂を創ったのでしょうか? 

ちがいますね。
同じ親から生まれた兄弟姉妹は、肉体的にはとても似ているかもしれませんが、魂の傾向や性質などは異なっていることが多いと思います。
それは、肉体と魂は別の親からもらっているからです。


★人の魂は、それぞれ「親となった神霊」から「分け御霊(みたま)」として与えられています。

わたしは自分の魂を直に与えてくれた神霊を〈母神〉と呼んでいますが、人はだれも自分に魂を分け与えてくれた〈親神〉を持っているのです。
そして、〈親神〉から「分け御魂」をもらったあなたには、同様の〈分身たち〉がいて、別の領域(地球、太陽系、銀河系、異次元など)で同時に生きているのです。
(あなたの分身たちのことを「分霊」と呼びます。)

★〈親神〉は宇宙創造主ではありません。
親神〉は、大宇宙の源である宇宙創造意識=大霊(本質)から生まれた直系の分身たちといってもよいでしょう。
分身たちには大霊のさまざまな側面が反映されています。
宇宙創造主の分身、つまり創造主が生んだ子どもたちが〈親神〉であるなら、その親神たちが生んだのがわたしたち人間ですから、創造主からすると孫のような存在だと言えます。




ハート
世界には、太古の昔より語り継がれてきた神々がたくさん存在しますね。
国によって呼び名が異なっていても、同じ神を指していることもありますし、
同じ名称がつけられた神であっても、次元がそれぞれ異なっているといったこともあります。

太古の昔からわたしたちが神と呼んできた存在は、
わたしたちと同様の姿をした異星人たちでした。

地球にやってきた数多の異星人(神)のなかに、
あなたに魂を分け与えてくれた親がいるのです。
わたしたちの魂のカラーが異なるのは、
それぞれ異なった親神から分け御霊(みたま)をもらっているからなのです。




本人の意識レベルに応じて交代する守護の神霊

2010年07月18日 17:30


本人の意識レベルに応じて交代する守護の神霊



今回は参考例として、わたしの次女の話をしましょう。

2007年の11月より、わたしの次女には不思議な現象が起こっていました。
今まで彼女についていた守護霊がいなくなってしまったのです。
それは、「私に今、守護霊はついている?」と、次女がわたしに尋ねてきたことから始まります。
守護霊はだれにでもいて、守ってくれていると信じていた次女は、どう考えてもついてもらっていない気がすると、うったえてきたのです。

そこで現在次女に守護霊がついているかどうかを、ペンジュラムを媒体として、わたしのハイアーセルフに尋ねました。答えは「いいえ」でした。
「また、守護霊は来ますか? 近いうちに来ますか?」と訊(き)くと、「はい」と答えました。

なぜ今不在状態なのかを尋ねていくうちに、次女の守護霊が交代の時期に入っていたことがわかりました。
以前わたしは次女の守護霊に対して、もっと的確な指導をしてほしいことや、もう少し霊格の高い守護霊に代わってもらいたいという要望を言ったことがあったのです。
どうやら、ほんとうに交代する気になってくれたようでした。

次女の意識がレベルアップしたことで、守護霊は交代しました。
そのときの守護霊は、これまでに比べて圧倒的に意識レベルの高い「地球―解脱界」の人でした。
ところが、もともと精神世界の基礎知識がなく、本人の努力がなかったため、しばらくするとまた次女の意識レベルが下がり、前の守護霊に戻ってしまったのです。

この現象は、次女だけでなく、長女の場合も同様に起こりました。
よって、本人の意識レベルが低くなれば、高次元の守護霊がそのままついていることはないということが明白となったのです。

それを知って以来、次女はチャクラの活性化を促すCDを聞いたり、精神世界系の本を次々と読み、真剣に学び始めました。
すると、次女は自分の過去生をはじめ、分霊や守護霊のこと、あの世のさまざまな意識の階層を探訪したことなどを明確に思い出し、語るようになったのです。
次女の意識が高まるにつれて守護霊は再度交代し、最終的には守護霊ではなく、守護神がガイドを務めるようになりました。その守護神もその後何度か替わっています。 


守護霊の霊格によって、憑依霊の許容範囲も異なります
守護している人間にネガティブな霊魂などがたくさん憑くと、守護霊はたちまち離れてしまうのです。

守護霊のほかに守護神がついていると、ネガティブ霊からの守りは強くなります。
惑星レベル」「銀河系レベル」「大宇宙レベル」など、その霊格によって許容数はさまざまですが、守護のパワーが強いと無限大に広がります。
けれども、相当なパワーをもつゴースト・クリーニングを得意とする守護霊・守護神でない限りは、憑依されるとたいてい離れてしまうのです。
なぜそうなるか、聡明なあなたなら、わかりますね。


★守護の神霊は、通常のわたしたちの周波数に合わせるために、ある程度は自分の周波数を落としてくれます。
ところがネガティブな存在に憑依されると、わたしたちの周波数は格段低下してしまいます。
そうすると、さすがに守護の神霊も「波長同通の法則」によって、離れざるを得なくなるのです。




ハート
今回は、皆さんに本人の意識レベル(光)に応じて、
守護の神霊は離れたり、ついたり、常に変動している

という事実を知っていただきたくて書きました。

あなたは常に自分の魂の進化に応じたガイドを引きつけている
ということを覚えておいてくださいね。




自立できるよう鍛えてくれる守護霊は貴重

2010年07月19日 09:00


自立できるよう鍛えてくれる守護霊は貴重



昨日に続いて、守護の神霊のお話です。

あなたは「守護霊は守護して当たり前」と思っていませんか?
もっと守護してよ~。だって守護霊なんだから…って。

ところが、実際はけっしてそうではないのです。
本人が守護霊に望んだり、頼んだときは別ですが、その人の生命が危険にさらされているとき以外は、守護霊自ら援助の手を差し伸べてはこないようです。
なぜなら、本人の自由意志が尊重され、最優先されるからです。

もし守護霊があなたの代わりに何でも引き受けてやってくれるとしたら、どうでしょう?
とても楽チンですが、まずあなたが、あなた自身の役割を果たさず、自分の人生に責任を持って生きていないことになってしまいますね。
それでは何のためにあなたがこの世に生まれてきたのかわかりません。

この世では、あくまでも本人が主体です。
ですから、守護霊は助けすぎてはならず、本人が自立していけるように援助するのが正しいあり方です。
甘やかしや過保護は禁物だということです。
ですから、あなたが危なっかしいことをしていても、じっと忍耐強く見ているのです。
なかには、仕事をさぼって眠りこけている守護霊や、「もう、この子は手に負えないからイヤ!」と言っている守護霊もいるようですが…。


しっかりと自立できるよう鍛えてくれる守護霊は貴重なのです。
彼らは、本人のカルマの解消や使命を成就させるためにいろいろと配慮をしています。
必要であれば、病気や困難もあえて体験させるということを知っておいてください。




☆ 守護霊は忙しい! ☆ 



守護霊が交代する際、すぐに新しい守護霊が来る場合と、しばらくの間不在の場合があります。
また、「守護霊会議」に出席するときには、当然ですが不在となります。
ふたり以上の守護霊がついている人や、守護霊のほかに守護神がついている人は、交替で守護されているので安全なのですが、守護霊がひとりしかいない場合(大部分の人はひとりです)は、憑依霊やネガティブエネルギーに注意が必要です。

守護霊会議」がおこなわれるのは人が寝静まる時間帯(深夜)が多いのですが、その間は「守護のない無防備な状態」となるからです。
夜半に次女が浮遊霊を浄化しようとした際、守護神が不在のために浄化作業ができなかったことが多々ありました。
(浄化するときは守護神の助けを必要とすることがあります)

2008年の後半から「守護霊会議」や「守護神会議」が頻繁(ひんぱん)におこなわれるようになり、特に役職をもっている守護の神霊たちは、最近では不在が多くなっています。
守護霊は何かと忙しいのです。



ハート
守護の神霊に対しては、毎日感謝の気持ちを捧げてくださいね。 
守護霊さま、守護神さま。いつもありがとうございます!



「自分自身でいること」のお話

2010年07月21日 09:25


★ 「自分自身でいること」のお話 ★



イエスマン」ということばがあります。

イエスマンというのは、上司、先輩、先生など自分にとって、影響力のある人や権威のある人に対してご機嫌取りをする人のことで、目上の人から頼まれたことや意見に対して必ず「はい」とか、「いいですねえ」とかいった肯定的な返答しかしない人のことを言います。
イエスマンは、サラリーマンに対してよく使われる用語ですが、そういう傾向にあるのは何もサラリーマンに限った事ではありませんね。 

では、なぜイエスマンが多く存在するのでしょうか? 
今日はそれを考えてみました。




★ 従順な子どもは善い子か? ★



世の多くの親たちは、自分に従順な子どもは善い子で、抵抗する子どもは悪い子というレッテルを貼りたがる傾向にあります。
でも、なぜ従順な子どもは善い子 なのでしょうか? 

実のところ、親のエゴにとっては、いつも「はいはい」と言って自分に従ってくれる子どものほうが、「気分がいいから」というだけのことでしかないのです。

人に好かれ、認められ、受け容れられるような人間にならなければいけないよ」と、常に言い聞かせられてきた子どもは、人に好かれたり、認められたり、受け容れられたりしなければ、自分は無価値なのだということや、人に認められるためには、自分を押し殺して、相手に合わせなければいけないのだということを覚えます。

なぜなら、そのままの自分を、受け容れてもらった試しがないからです。
そうすると、相手に嫌われないために、いつもニコニコと笑顔をふりまき、心で思っていることとは別のことを言い、自分の意に沿わないことでも「はいはい」と承諾して、相手に従う偽善者となってしまうのです。
そして、学問や仕事を、「人に認められるための手段」としておこなうようになるのです。

ところが、「いつも自分自身でありなさい」と言われてきて、自分が一個の自由な人間であることに目覚めている子どもは、人に好かれようが嫌われようが、認められようが認められまいが、受け容れられようが受け容れられまいが、常に自分自身でありつづけようとします。
型にはめられることや精神的な隷属を嫌い、親や教師などの権威者に対して、完全に自由であることを主張し、服従しようとはしないものです。

いつも自分自身でいる子どもは、「いい子ちゃんロボット」や「あやつり人形」には、絶対にならないですよね。
彼らは人に認められるために学問や仕事をするのではありません。その学問や仕事をすること自体に生きがいや喜びを感じ、それを自らが愛するゆえにするのです。

そういう子どもには抑圧がなく、シャドー(影)が少ないため、ネガティブな存在に影響される可能性も断然少ないのです。


★この世の中には、いつも「はい」を言うのではなく、時には断固として「いいえ」と言わなければならないことがあるのです。
「いいえ」を言える人がいないと、バランスが崩れてしまいます。
この「いいえ」というのは、はっきりとした自分の意志をもっていて、自分の真実に対して責任を持ち、断固とした信念のもとに発せられた「いいえ」です。




★ 従順な子どもたちはなぜ問題なのか? ★



問題は、従順な子どもたちのほうです。
親や教師にコントロールされることで、彼らは自分自身に責任を取ることを忘れていきます。
権威ある者に従ってさえいれば、責任は彼らが引き受けてくれるからです。
おとなになっても世間に逆らわず、世間に迎合していれば、世間は認めてくれるわけですから、彼らはほんとうの自分自身を表現しないまま、上面(うわつら)だけの善人となっていきます。

会社などの組織のなかで働いている場合、自己保身が強ければつよいほど、最高権威者に盾突くことができないようになっていくわけですね。
自分自身であろうとすると、みんなから非難され、拒絶され、責任をとらされる恐れがあるからです。
クビになれば、家族を路頭に迷わせることになりますから、その重荷と恐怖ゆえに、多くの人は自己主張することをやめます。
そして、自らが自分自身となることを拒絶して、社会や権威者に隷属する不自由な道を選ぶのです。

これは「閉ざしたマインド」そのものですね。
自らに制限を与えている典型的な例」といえるでしょう。

自分自身の尊厳を無視して、その人が外側で善い人(実際何が善いのか疑問なのですが…)であろうとすればするほど、内側には多くのシャドーが蓄積していきます。
それがネガティブエネルギーを引き寄せるのです。

シャドーは暗くて、邪悪で、陰険で、残酷な観念で、これらを自らの内に抑圧することによって増幅していきます。
ですから、自分の頭で考えた、いわゆる善い人の部分だけで人に接していると、やがて悪の部分が大きなシャドーとなって立ちはだかることになるのです。 



ハート
さて、あなたは「いい子ちゃんロボット」でしょうか?
それとも、「自分自身に責任をもち、常に自分らしく生きている戦士」でしょうか?




本音で話すことの大切さ

2010年07月22日 10:35


★ 本音で話すことの大切さ ★



前回は、自分自身の尊厳(そんげん)を無視して、その人が外側で善い人であろうとすればするほど、内側には多くのシャドーが蓄積していき、それがネガティブエネルギーを引き寄せるということをお話ししました。

では、シャドーをつくらないためには、どうすればよいのでしょうか? 
賢明なあなたには、もうすでにおわかりのことでしょう。


★いつも、どんなときでも、人とは本音でつき合うこと。
本音で話すことです。
全面的に自分自身に責任を負いながら、自分の真実を相手に誠実に話すことです。 

本音を言うことの美しさを知っている人は少ない」と、長女の守護霊は語っていました。
本音を隠して、いつも相手の喜びそうな善人でいる必要はないということです。

相手に好かれるための偽善者はやめることです。
自分の正直な気持ちを隠さずに相手に伝え、納得できないことに対しては我慢することなく意見を述べ、後々鬱憤(うっぷん)を残さないようにしなければなりません。



世の中には「もしこれを言ったらみんなに嫌われ、孤独になりはしないか?」とか、
本音を言うと、相手が傷つくのではないか?」とか、
その結果ばかりを気にして、本当の気持ちを伝えることができない「事なかれ主義」や「現実回避の臆病者」、「弱々しい善人」たちが大勢います。
お互いに傷つけあうくらいなら言わないほうがよいとして、外側だけのニセの和を保とうとするのです。
そんな表面的な和を保っていて、いったい何になるのでしょうか?



★ 傷つくことはポジティブなこと ★ 



ちょっと考えてみてください。
あなたは自分が傷ついたり、人を傷つけたりすることを、なぜそんなに恐れるのでしょうか?
もしかしたら、「傷つくことはいけないこと」とカン違いをしているからではありませんか?


★傷つくことは、そんなにいけないことなのでしょうか? 
傷つくことは、とてもポジティブなことなのです。


*オリン(サネヤ・ロウマンがチャネリングする光の存在)は言っています。

勇気をもって、賢く、最も愛情深く、思いやり深く、ハートを開き、傷つきやすい人になってください」と。

逆に「傷つかない」「愛さない」「信じない」「本音を言わない」というように、「○○しない」というのは、すべて否定的で消極的な方向性をもっているといえるでしょう。


★ すべてを肯定的にとらえる ★



ダイヤモンドは磨くことで輝きますね。
すべての宝石は研磨(けんま)する=傷をつけるという行為があってこそ光るわけで、磨かれたダイヤモンドほど美しいかがやきを放つのです。

真珠も同じです。
あこや貝は自分の体内に入った異物の痛みを和らげるために、それを包む成分を出し、あのようにみごとな珠を創りだします。

人間も同様です。
心にいろんな苦痛を感じながら、困難なことを前向きに解決しようと努力するなかで、智恵が生まれ、勇気が生まれ、強さやたくましさが培(つちか)われていくのです。

そんなふうに、傷つくということを、否定的にとらえるのではなく、その傷があなたをより一層成長させてくれる肯定的なものとしてとらえてみてはいかがでしょうか。

たとえば、相手があなたに本音で「善意のアドバイス」をしたとしましょう。
それであなたがひどく攻撃されたと感じたなら、それはまさしくあなたにとって「必要な学び」であり、「自分を見つめ直すチャンス」だと、とらえてみるのです。

実際あなたの内側に苦痛があるからこそ、相手はそれを引き出す役割をしてくれたのです。
その学びを引き寄せたのは、あなた自身なのです。

他人があなたに苦痛を与えるのは、あなたのハートがまだ開かれていない領域があることを知らせてくれているのです。
ですから、本当はとてもありがたい贈り物なのです。 
もし、あなたにその学びがまったく必要でないのであれば、まず攻撃されたとは感じないし、傷つくこともないはずです。
その助言が自分に当てはまらないと思ったなら、とりあえず受容して、あとで「それはちがうよ」と言えばよいのです。

ですから、お互いに相手を怒らせたり、拒絶されたりするのを恐れるあまりに、本音や助言を控えようとするのは、お互いの魂が成長する絶好のチャンスを奪うことにもなるのです。




ハート
自分や相手の成長を考えないところの愛は
けっして真の愛ではない
ということですね。

本音を言わず、長いあいだ我慢していた人ほど病気になりやすく、
ネガティブな存在にも取り憑かれやすくなります。

自分の意に沿わないことに直面して、恐れを抱いたり、内側で抵抗したりしていると、胃が悪くなります。
相手にムカつくと、ほんとうに吐き気をもよおしてきます。
意=胃に沿わないから、消化できなくなるのです。

抑圧されたエネルギーは毒素となって、精神も肉体も蝕(むしば)んでいき、
異常波動となるからです。

いつも自分のハートの声に従って
愛を内に秘めた本音で語りたいものですね。




真の愛は自分の真の姿を見せること

2010年07月23日 09:40


真の愛は自分の真の姿を見せること



あなたは、親しい相手にあなたのほんとうの姿を見せているでしょうか?


★相手を愛するには、まずその人に自分自身のほんとうの姿を見せることから始まります。

人によっては多くの勇気が必要となるかもしれませんが、自分のポジティブな部分も、ネガティブな部分も、光の部分も、陰の部分も、正直にあからさまに見せることが必要です。

★なぜなら、あなたの真実は両極を同時に含んでいるからです。
真実は全体であって、片方だけ、半分だけではありえないからです。


人の思考は、振り子の動きを目で追うように、ひとつの極しか見ることができません。
そのためもうひとつの極が必ず同時に存在することに気づかず、たいてい偽善に騙(だま)されてしまうのです。

愛には必ず憎しみの部分が潜んでいるということ、
光のあるところには必ず影があるということに気づかないのです。

地球上に住んでいるだれもがこの両面を持っているということ、
人類を創造した神自体がこの両面を内包しているということでさえ、気づいていないのです。

表面的に善い面だけで相手に接していると、しだいに不自然さを感じるようになります。
悪い面が現れないように努力するよりも、自分にはこんなネガティブな面があるということをあらかじめ相手に知っておいてもらったほうが、断然気が楽なのではないでしょうか。



★*★*★*★*★*★*★*★*★★*★*★*★*★*★*★*★*★



あなたは自分自身に帰るために、
勇気をかき集めなければならない。

社会全体があなたを阻むだろう。
あなたは非難を受けることになる。

が、惨めで、偽善者で、いんちきのまま、
だれかほかの人としての生を生きるよりは、
全世界に非難されるほうがはるかにいい。

あなたは至福に満ちた生を生きることができる。
そして、そこにふたつの道は存在しない。
ただひとつの道――それは、ただただ自分自身でいることだ。

和尚ラジニーシ 『反逆のスピリット』より



★*★*★*★*★*★*★*★*★★*★*★*★*★*★*★*★*★



ハート
ハートをひらいて、お互いにありのままの自分で話すとき、
相手の気持ちが初めて理解しあえ、
真実を覆(おお)い隠していたベールを取り去ることができます。

ほんとうの自分を見せることができない限り、
心に真の平安が訪れることはありません。

もしあなたが、今まで恐くて本音を素直に言えなかったのなら、
まず自分の内に宿る権威者(ハイアーセルフ)を信じてください。

そして、自らかえりみて「正しい」と確信したならば、
たとえ敵対者や反対者が何万人いようとも、
自分の信ずる道を歩むという気構えで臨んでください。 

守護の神霊やハイアーセルフがいつも味方についてくれていることを意識し、
今が「自分の恐れと向き合う絶好のチャンスだ!」と思って、
勇気をもってありのままの自分を見せてください。



「鉄輪」に登場する悲劇の女主人公のお話

2010年07月24日 14:40


★あなたは、自分が他人に対して抱く肯定的な思いや否定的な思いが、相手にどのように影響するのか考えてみたことがありますか? 

もし、自分が激しい怒りに襲われていたり、憎しみのために相手を陥(おとしい)れようとしていたり、相手の不幸を望んでいたりして、深い敵意をこめた低い波動(振動数)をだれかに投射したとしたら、相手の人はどうなるでしょうか? 

ここでは、個人が発する「ネガティブな想念」について考えてみましょう。



「鉄輪」に登場する悲劇の女主人公のお話



昔から憎む相手を呪(のろ)い殺す方法として、「丑の刻参り(うしのこくまいり)」がありました。

丑の刻(午前二時頃)にひそかに参籠(さんろう)して祈願することで、呪う相手の人形(ひとがた)を釘で刺し、神木に打ちつけながら、自分の想念を集中して相手に送りつける行為です。

能楽の世界でも*「鉄輪(かなわ)」という物語で取り上げられています。

(*能の曲目。四番目物、また五番目物にも扱う。作者不明。出典は、男を恨んで鬼となった貴族の女、『平家物語』「剣巻」に登場する「宇治の橋姫」によるものとされている)


それは現在でも通用する女性の心理を描いた作品です。
暑い夏の夜にこの物語を聞くと、ちょっと涼しくなるかもしれませんよ。
   

★鉄輪は火鉢(ひばち)に入った灰に立てて、やかんや鉄瓶(てつびん)などを乗せる輪型の三脚のことで、「五徳(ごとく)」とも呼ばれていました。
若い人はご存じないと思うので、理科の実験で、フラスコに入った液体をアルコールランプで熱するときに使う丸型の三脚を思い浮かべてみてください。

★「能楽―鉄輪」では、自分を捨てて後妻を迎えた前の夫をうらみ、毎夜丑の刻参りに通っている都の女が登場します。

こんな浮気な男と夫婦になったのは、結局自分の心の至らなさの報いとは思うけれども、それではあまりに口惜しい。来世とはいわず、今この世で罰が当たるように貴船(きぶね)神社に願をかけよう

そう言って、女がうらみと嫉妬に駆られて「呪いの願かけ」をした場所は、京都の鞍馬(くらま)にある貴船神社の奥の宮でした。

ある夜、女がいつも通りに神社に行くと、貴船明神からご神託(お告げ)を受けた社人(神主)に出会います。

赤い衣を着て、顔には赤い*丹(に)を塗り、髪には鉄輪を乗せ、三つの足に火をともし、怒りの心を持てば、願いどおり鬼になれるであろう」 
(*丹は赤色の顔料のこと)

社人がそんなご神託を伝えると、女はそれを実行しようと決心して家に帰ります。


★さて、女の前夫のほうですが、最近どうも夢見が悪いので、原因を占ってもらおうと、陰陽師(おんみょうじ)の安部清明(あべのせいめい)のところへでかけます。

すると、前妻の深いうらみで、命が今晩限りであると告げられるのです。

驚いた男は、呪いを除き、悪行に打ち勝つための祈祷(きとう)を依頼します。
清明は男と後妻の身代わりになる人形=形代(かたしろ)を作って供物を整え、あらゆる神仏を呼び出して祈祷を始めます。

雨が降り、稲妻が走り、雷鳴がとどろくと、そこへ先妻が鬼(生霊)となってあらわれるのです。(★とても恐いシーンですよネ!)



あなたと夫婦になったときはいつまでも変わらないと思っていたのに、捨てられてうらめしい。でも恋しいとも思ってしまう。こんな苦しい思いをさせたあなたの命も、今宵(こよい)限り。お気の毒なこと

女には祈祷の祭壇が夫妻の寝床として見えていて、男の形代(かたしろ)の烏帽子(えぼし)に向かってうらみ事を口走ると、後妻の形代の髪を手にからめとり、「思い知れ!」と一撃のうちに打ち殺してしまいます。


鉄輪


憎むべきは断然男のほうなのですが、鬼となった女はまず後妻に対して怒りをぶつけ、殺してしまうのです。
そして、今度は男の命をも奪おうとして男の形代につめ寄ります。

そこで女の心に葛藤が生じます。

この憎い男の命をとっていこうか……。
それとも男を連れ去ろうか……。 
もしかしたら、また男の気持ちが自分のほうに向いてくれるのではないだろうか……。


そんな微かな期待感と未練。憎いけれども殺せないでいる悲しい女心が見え隠れします。

結局、清明の祈祷で守護の神々が守りを固めていたため、女は男を殺すことも、連れ去ることもできませんでした。
最後にこんな捨てせりふを残し、女は退散します。

時節を待つべしや、まずこのたびは帰るべし
今日のところはひとまず帰りますが、またうらみを晴らしにいつか来ますよ」ということですね。

この複雑怪奇な女の本音はどこにあるのでしょうか?

(★この続きはまた明日…) 


悪想念を受ける人、受けない人

2010年07月25日 06:40


★ 悪想念を受ける人、受けない人 ★



前回ご紹介した能楽「鉄輪」は、陰陽師の安部清明が登場する平安時代の物語ですが、現在でもその方法が密かにおこなわれていて、実際に目撃した人の話を聞いたことがあります。
この方法で相手の人が望み通り死ぬこともあるし、自分にはね返って自ら死ぬこともあるといわれます。

このような現象はいったいどうして起こるのでしょうか? 
そして、これは何を意味しているのでしょうか?

今回は能楽「鉄輪」をもとにして、悪想念を受ける人と受けない人について考えてみたいと思います。


★丑の刻参りのような呪詛(じゅそ)……
端的にいえば、これらは共鳴・非共鳴の法則によって生じる現象です。

相手に悪い想念を送ったとき、その想念と共鳴するものが相手のオーラ(アストラル体やメンタル体)のなかにあれば、相手に影響を及ぼすことができるし、そのオーラのなかに共鳴するものが全くなければ、影響を及ぼすことはできないということです。


★有害な意図をもって相手に悪想念を投射したとき、その相手が送り手と同じような資質を持った粗悪なオーラの持ち主であれば攻撃を受けます。

でも、そうでない清らかなオーラの持ち主であれば、攻撃されることはありません。

それどころか、清浄なオーラにぶつかった場合、その敵意をもった攻撃的なエネルギーは、応じられずにそのままブーメランのように逆戻りしてしまいます。
しかも、ぶつけたエネルギーと同等のパワーを伴ってはね返り、その悪想念を発した当事者に打撃を与えるのです。

また、守護霊や守護神の守りが固い相手には、害を与えることはできません。


★悪い想念でも善い想念でも、相手にそれと共鳴するものがなければ、必ず自分に戻ってくるのだということを知っておくのはとても重要です!



★ つよく思うと引き寄せる ★



鉄輪」に登場した後妻は、あっけなく亡くなってしまいました。
共鳴・非共鳴の法則」からいくと、後妻には前妻の悪想念を受けるものを持っていたということになりますね。

あるいは、後妻の心のどこかに前妻に対する恐れがあったのではないでしょうか。
「前の奥さんがわたしをうらんでいるのではないかしら」などと心配し、恐怖を抱いていたとしたら、その「ネガティブな波動が不幸を引き寄せる」ということがあるからです。

★つよく思ったことは、善くも悪くも引き寄せます。
人は自分の心の内に苦痛があるとき、その苦痛に相手が引き金を引くのです。


おそらく男のほうも、女のうらみを受けるだけのものをもっていて、陰陽師の助けがなければ、きっと命を取られていたことでしょう。
この場合、安部清明の祈祷の威力が鬼=生霊のパワーを阻止し、退けたということになるでしょうか。

でも、後妻にはなぜ陰陽師の守護がなかったのでしょう?
守護の神々にも守られず、男の身勝手さの犠牲となってしまった後妻はお気の毒ですね。



ハート
あなたが悪意からの害を受けたくなければ、
自分のオーラを常に明るく、美しく、
透明で、かがやきのあるパーフェクトなものにしておくことが必要です。

意識を崇高なものに向けて常に高く持ち、
自分のどのような感情をも愛し、
シャドーを蓄積しないようにすることです。
そして、他人には常に「愛と祝福の波動」を送ることですね。

もし相手があなたの波動を受け取らなくても、
その「愛と祝福」はあなたのほうへ戻ってきますから、
どちらにしてもベストなのです。





人を呪わば穴ふたつ―因果応報の法則

2010年07月25日 08:00


★ 人を呪わば穴ふたつ―因果応報の法則 ★



人を呪わば穴ふたつ」ということばがあります。

平安時代、加持祈祷をおこなっていた陰陽師は、人を呪い殺すこともあったようです。
そのとき、呪い返しに遭うことを覚悟して、相手と自分のふたつ分の墓穴を用意させたというのです。
他人を呪って殺そうとすれば、自分もその報いで殺されることになるので、墓穴が二つ必要になるというわけです。

人を陥(おとしい)れ、不幸にするような悪い思いがその人の内にあるということは、その人は自分に対して悪い感情を持っている人たちからの攻撃に自らを明け渡しているということになります。

つまり、「同種のものを引き寄せる」ということですね。
ですから、自分にも悪いことが起こるということで、「人を呪うにはそれなりの覚悟が必要」だというわけです。

「憎しみの上に憎しみを重ねたり、憎しみに対して憎しみで応えたりすることは、相手の敵意を増大させるばかりでなく、自分自身の悪意によって、自分の心や体を害することになります」
と、パラマハンサ・ヨガナンダも言っています。 

(『人間の永遠の探求』(森北出版)に記載)
 


★仏教では悪行の報いを「自業自得(じごうじとく)」といいます。
また、過去の行為の報いとして、それなりの結果がもたらされることを「因果応報(いんがおうほう)」といいます。


因果応報には「善いこと」と「悪いこと」の両方があります。

悪いことをすれば悪い結果が生じる。これを「悪因悪果」といいます。
善いことをすれば善い結果が生じる。これを「善因善果」といいます。

だから昔の人は「善いことをして、悪いことはするな」と教えたわけです。
世の中には、何が善いことで、何が悪いことなのかがわからない場合も多く、この教えは簡単なことのようで、なかなか難しいですね。

ほかにも「自分で播いた種は、自分で刈り取らねばならない」ということばがあります。
すべて「自分が創ったものや発したものは自分が受け取る」という意味です。


とてもシンプルでわかりやすい法則です。
その法則を信じる人には、そのような結果が必ず現れてくることを知るでしょう。



ハート
人を呪わば穴ふたつ……。

これは、「陰陽師」であろうが、
「鉄輪の女」であろうが、
人をうらんで、相手に悪影響を及ぼすことを戒めたことばだということです。



「汝の敵」はだれ?

2010年07月26日 07:30


★ 「汝の敵」はだれ? ★



皆さんはイエス・キリストの「汝の敵を愛せよ」ということばをご存じでしょう。
この「汝の敵」というのは、いったいだれのことを指していると思いますか?

子どもの頃、わたしは思ったものです。
「相手をだとみなすこと自体がおかしいのではないか。相手をだと思っている以上、愛することなど不可能ではないか」と。
でも、「敵といえども同じ命の源からやってきた魂の兄弟姉妹なのだから、相手の命を自分と同様に無条件で愛さなければならないのだろう」と、考え直しました。
ところが、それから数十年経って、ようやく「汝の敵を愛せよ」という真の意味が理解できたような気がするのです。

★人はお互いに自分の意にそぐわない者、自分が認めたくない者、無礼であったり、不快であったり、有害であったりする相手をとして憎み、嫌い、闘おうとします。

悪魔にとっては、神や天使が敵となります。
悪霊たちのほうからすると、天使が悪魔に見えるのです。
周波数のちがいが大きければ大きいほど、相容れられなくなるのです。


太古の昔より、「天使と悪魔の戦い」がつづいているといわれるのも、納得ができますね。


★異常波動を帯びた悪魔でなくても、わたしたちは往々にして自分の非を素直に認めることをせず、相手のせいにしがちです。
ともかく自分自身のものの見方や受け取り方の悪さを棚にあげて、そのときに生じる怒りにまかせて錯乱し、相手を攻撃するのです。

けれども、落ち着いて考えてみたとき、ほんとうは自分のほうにも原因や非があったことに気づくことがあるはずです。
敵だと思っていたのは相手ではなく、ほんとうは自分の心のうちにあったのだと。

敵が自分自身であったことに気づいたなら、その自分自身を第一に愛し、赦(ゆる)してあげなければなりません。
自分を赦して、イヤな自分を解放してあげれば、敵は存在しなくなります。

よって、「汝の敵を愛しなさい」というのは、結局「自分自身のなかに存在する敵(あなた)を愛しなさい」ということだったのではないかと思うのです。




★ 鉄輪の女主人公は復讐タイプ ★



これまで語ってきた「鉄輪」の女主人公は、夫と後妻を呪い殺すことで、うらみを晴らす典型的な「復讐タイプ」の女性でした。

こんな浮気な男と夫婦になったのは、結局自分の心の至らなさの報いとは思うけれども…」と言いながらも、「それではあまりに口惜しい。来世とはいわず、今この世で罰が当たるように」と願うのですから、自分の至らなさを反省するよりも、自分をみじめにした相手を「裁(さば)こう」とする欲求のほうが強いわけですね。

もしかしたら、心やさしいあなたがたには、理解できにくいタイプかもしれませんが、こういう女性は、今も昔も相変わらず存在するのではないでしょうか? 
だから、そういうドラマがやたら多くて、共感を得ているのです。


★「裁き」は、本来なら自分が悪かったと罪悪感を覚えるところを、その罪悪感を包み隠して逆に相手を非難してしまうことです。

ほんとうに責めているのは自分自身であって、相手ではないのです。
けれども、自分の罪悪感を相手に投影することで、自分のほうが正しいのだと優位に立とうとします。
自分をこんな不幸な目に合わせた者には罰を与えるのが当然だと思い込んでしまうのです。
このような「思い込み」は恐ろしいですね。




ハート
復讐」は、両刃の剣(もろはのつるぎ)さながらです。
相手だけでなく、自分をも傷つけ、
苦痛を味わうことになってしまいます。

夫を裁き、復讐することで、
ほんとうは自分自身を裁き、復讐していることに、
女は気づいていないのです。

では、この女主人公は、どうしたら「復讐」から解放され、
自由になれるのでしょう?
彼女のほんとうの敵は、だれなのでしょう? 
あなたには、もうおわかりですね。



汝自身を知れ

2010年07月27日 15:00


★ 汝自身を知れ ★



前回の続きです。
(読んでおられない方は、「能楽『鉄輪』の女主人公のお話」を最初からお読みになってください)

あなたは「鉄輪の女主人公」が、前夫のことを真に愛していると思いますか?

残念ながら、愛してはいないようですね。
真に愛しているのなら、夫の幸せを踏みにじるような行為には走らないはずですから。

彼女はただ夫という他者から何かをもらいたいだけなのです。
何かがほしいのに夫から拒絶されたから、ほしいものを得られなかったから、傷ついたのです。
それは愛とは別のもので、欲望ですね。

相手が自分から遠ざかっていくとき、もし心がひどく傷ついたなら、「自分がその人から何を得ようとしていたのか」ということを見てみることです。

相手にいつまでもしがみつき、執着しているということ自体、自分の欲求を満たしたいという「自己中心の思い」が非常に強いということを証明しているのです。

「こんな浮気な男と夫婦になったのは、結局自分の心の至らなさの報いとは思うけれども…」と本気で思うのであれば、夫が浮気者であるとうすうす気づいていながら、軽率に夫婦になった自分自身を素直に反省してみることが必要でしょう。
また、自分は前夫に愛され続けるだけの価値があったかどうかを顧みることも必要でしょう。

自分が後妻よりも人柄がすばらしく、魅力的だったかどうか。
後妻よりも料理が上手だったかどうか。
後妻よりも掃除、洗濯が好きだったかどうか。
後妻よりも裁縫が上手だったかどうか。
そして、後妻よりも前夫を愛していたかどうか……等々です。

それらのすべてにおいて、後妻よりも自分のほうが勝っていると思えるのなら、前夫の目は節穴(ふしあな)にちがいないから、そんな男のことはさっさと忘れて、新しい男を見つければいいのです。
そんなにイイ女なら、きっと前夫よりもステキな男が見つかるでしょう。
自分に大いなる自信を持って生きていけばよいわけです。

「魅力的だったかどうかですって? モチロンよ。でも、後妻はアタシよりもずっと年下なのよ。若いのよ!それに比べてアタシは年々容姿が衰えてきてる…。これには勝てないんだから。くやしいっ!」

逆にどう考えても後妻よりも劣っていて、太刀打ちできないと思えるのなら、潔(いさぎよ)くあきらめることです。


★ 原因は自分の中にある ★



問題がすべて自分の外にある」と思っていたら大マチガイです。
そうなった原因は、「必ず自分の中にある」のです。


すべては起こるべくして起こっている。
そう思ったほうが賢明ですね。


ところが、未練というものが、邪魔をします。
しがみつけばしがみつくほど、男はうんざりして、ますます遠ざかっていくのに、それにも気づかず、カーッとなって怒り狂うわけです。

私がこんな目にあったのはあなたのせいだ。私をこんなに怒らせたのはあなたのせいだ!
と、自分の至らなさなどはすっかり忘れ去るか、押し隠してしまい、自分を被害者に仕立て上げるのです。
そして、自分のみじめな境遇を相手のせいにすることで、感情を爆発させ、自ら相手に罰を下そうとします。

女は自分の憤りを発散させる方法として「丑の刻参り」を実行しました。

丑の刻参り」は、おどろおどろしいイメージがありますが、元々はそのようなものではなかったようです。
丑の刻にお参りをすると、願いをひとつ叶えてもらえるという言い伝えがあったのです。
(★古くは祈願成就のため、丑の刻に神仏に参拝することを言ったのヨ)

鉄輪の女の場合は、自分をみじめにさせた前夫と後妻に罰を与えたいため、「」になりたいと願っていたのかもしれません。
もっていきようのない感情を一身に神に向けて祈ることで、彼女は自分の憤りを徹底的に発散させ、自分自身を救済していたとも考えられます。
これは、ある意味では積極的な行為だといえるでしょう。


★世の中には、自分の感情の処理方法がわからなくて、ただ感情を抑え続けている人たちがたくさんいます。
何も感じないふりをしたり、無関心なふりをしたりしているときは、その人のなかに隠された「恐れ」が存在するのです。
自分がほんとうはどのように感じているのかをじっくりと見つめたり、口に出して言ったり、怒りを顕わにしたりすることを恐れ、自分の感情を素直に表現することから逃げているのです。
こういう人は必ず重い病気になります。



★病気のことを英語で「disease」といいますが、「自分が安心(リラックス)している状態ではない」という意味です。
リラックスができないということは、「本来の自然な状態の自分に抵抗している」ということです。
自分自身に抵抗しているときは、本来の自分とは異なった非常にネガティブで低い波動となっていますから、そこに摩擦が生じます。
その摩擦が病気や災難を引き起こしたりするのです。


鉄輪の女の場合は、神仏に祈るという感情のはけ口を見つけました。
彼女の必死の思い(願い)は、貴船の神様からのご神託が社人に伝えられたことからもわかりますね。
貴船明神は女に「鬼になる方法」を伝えたのですから。

ただ、その願いが他人の不幸を願うところから発していて、すこぶるネガティブなものであったために、被害者から今度は加害者となったわけです。


ハート
ネガティブ思考からポジティブ思考へ、
あなたならどのように意識を変換しますか? 

とにもかくにも自分自身を知ることが肝心です。
すべては、自分自身を知ることから始まるのです。

汝自身を知れ!」
その言葉に尽きると思います。



汝自身を知れ―自分を愛すること

2010年07月28日 19:00


★ 汝自身を知れ―自分を愛すること ★



昨日に続いて「鉄輪の女のお話」です。

あなたは、この女性に圧倒的に足りないものは何だと思いますか?

そう、「」と「赦し」ですね。

今日は「鉄輪の女が幸福になれる道」として「自分を愛すること」について考えたいと思います。


★高い意識の自己愛というものは、低い意識の利己愛とは別のものです。
高次の意識を内に宿した自分を愛する」ということほど大切なものは、
この世界にはないといってもよいでしょう。


★自分を真に愛せない人に、他者を真に愛することはできません。
なぜなら、自分のなかに他者のすべてが含まれているからです。
自分と森羅万象はすべてつながっているからです。



ここで、ゴータマ・ブッダ(釈迦のこと)が生きていた時代にコーサラという国があり、そこの王であったパセーナディと妃であったマッリカーに関して説かれたお経があるので、ご紹介しましょう。


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あるとき、王は王妃に尋ねた。
「マッリカーよ。汝には、自分自身よりも、もっと大事なもの、もっと愛しいものがあるだろうか?」
 
王妃はさらりと答えた。
「大王よ、わたしには、自分よりももっと愛しいと思うようなものは考えられません。大王よ、あなたには、なおご自身よりも愛しいものがおありでございましょうか?」
 
王はよく考えてみたが、自分以外に大切なものや、自分よりもさらに愛しいと思えるものなど、何も考えつかなかった。
王と王妃の考えは同じだったのだ。ふたりは、ほんとうにこのような結論でよいのかどうか不安になり、ブッダに尋ねてみることにした。

二人の質問を聞いたブッダは深くうなずかれ、やがてつぎのようなことばをつけ加えられた。

人の思いは、いずこへも赴くことができる。
されど、いずこに赴こうとも、おのれより更に愛しいものを見出すことはできない。
それとおなじく、他の人々にも自己はこのうえもなく愛しい。
されば、おのれの愛しさを知るものは、他のものを害してはならない
」 

(相応部経典 三、八、「末利」より要約) 


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おのれの愛しさを知るものは、他のものを害してはならない」ということ。
それが、いわゆるアヒムサー(不害・不刹)という意味です。


あなたがあなた自身のことを何ものにも代えがたいほど愛しいと思っているのなら、同じように他の人もその人自身のことを愛しいと思っているはずです。
それなら、他者を害してはならないと、ブッダは教えられたのです。

つまり、他者を害しようと企む者は、たとえきっかけは自分可愛さのためであったとしても、それは真の自己愛にはつながりません。
他者に悪意を向けて害すれば、その報いは自分に戻ってくるわけですから、結局自分自身を愛していないことになるわけですね。
(★過去記事「人を呪わば穴ふたつ―因果応報の法則」をもう一度読んでみてネ)



ハート
出発点は自分です。
ですから、「まず自分を愛すること」です。

愛は自分自身の内側から来るものであって、
人が与えてくれるものではありません。

わたしたちが深く自分を愛するとき、
悩んだり、いらついたり、悲しんだりすることはありません。

自己受容自己愛を決して失わないこと。
そうすれば、平和の波動がわたしたちを包んでくれます。


(次回に続く)


汝自身を知れ―自分を赦すこと

2010年07月29日 14:00


★ 汝自身を知れ―自分を赦すこと ★



前回は「自己受容」と「自己愛」の大切さをお話ししました。
今回は「自分自身を赦(ゆる)すこと」について考えてみたいと思います。


★まず自分自身を完全に赦すことができれば、他者を赦すことができます。


でも、これはそう簡単にできることではないかもしれません。
表面的には赦していると思っていても、内側ではなかなか頑強に赦していない自分があったりします。


★人は自分の内にある「罪悪感」や「裁き」や「恐れ」を手放すことで、癒されます。
真の癒し」は「」と同様、自分自身の内側からやって来ます。
人が与えてくれるものではないのです。

癒しは、「鉄輪の女主人公」のように「怒り狂った自分」、「悲しい自分」、「かわいそうな自分」など、ありのままに見つめ、認めることから始まります。
そして、相手を「憎んでいる自分」、「恨んでいる自分」、「責めている自分」、「裁いている自分」、「執着している自分」、「期待している自分」を赦し、手放すのです。

執着」がなくなれば、本来の自然な波動にもどることができます。
そして、「自分の夢を生きること」、「自分の可能性を信じること」、「自信を持って何かをやってみること」、ボランティア活動のような「人のために役立つ、人に喜ばれることをやってみること」です。



キンバリー・マルーニーは、つぎのように言っています。
希望とは、自分の願いは叶うと信じる気持であり、善なるものを願うこと



とにかく「希望をもつこと」ですね。
鉄輪の女主人公」のような強靭(きょうじん)な意志と信念をもった足腰の丈夫な人なら、何だってやれるはずです。
何しろ、毎晩丑の刻参りをするために、京の都から貴船までのおそろしく長い道のりを歩いて通っていたのですから。
鉄輪の女」にはホントかなわないです。脱帽です。

このような女性は、人を殺すほうではなく、活かすほうに使うことにフォーカスすれば、きっとスゴイことができるはずです。
それこそ、かなわないものなど何もないでしょう。
彼女のこれまでの苦悩も、彼女の魂の変化や成長のために必要であったのだと捉えれば、明るい光が射してきますね。

★「苦悩」は、自分がほんとうに進みたいと望んでいる方向とズレてしまったときに起こります。

もしもーし、あなた、どこか見直すべきことがあるんじゃないですか?
と教えてくれているのです。

そこで自分自身をよく見つめ、探究してみれば、自分が播いた種がどこでどう間違ったのか、おかしな方向に生長してしまったり、枯れかけてしまったりしていることに気づくでしょう。

★選択をまちがえたことに気づいたなら、ほかの選択肢を探せばよいのです。



ハート
この世の中は、
光と闇、男性性と女性性、
愛と憎しみ、喜びと悲しみ、
ポジティブとネガティブなど、
たくさんの対極(二元性)で成り立っています。

突如、愛が憎しみに変わったり、
信頼が不信に変わったり、
幸せが苦悩に変わったりします。
そのたびにそれぞれの方向を体験させられるわけです。

人生の目的はこれらふたつのバランスを学ぶことです。
ですから、どちらを体験することも恐れず、嫌わないことです。

鉄輪の女」は貴船明神に「鬼になりたい」と祈願しましたが、
わたしの心に平安がもたらされる道を示してください」と
お願いするという選択肢もあったはずです。

ただ、気づかなかっただけです。
赦す選択もあるのだということを。




貴船神社にまつわる不思議なお話

2010年07月30日 13:20


★ 貴船神社にまつわる不思議なお話 ★



今回は「鉄輪の女主人公のお話」の総まとめとして、能楽「鉄輪」の背景となった貴船神社について少し触れておきたいと思います。


京都に住んでいた頃、わたしはよく鞍馬寺に詣(もう)でることがあり、鞍馬の奥の院からの帰りに貴船神社の奥の宮に何度か立ち寄ったことがありました。

奥の宮に祀(まつ)られている神はクラオカミノカミと、タカオカミノカミと記されています。
オカミは水の神、または雨雪を司る竜神で、タカオカミノカミは山上を司る竜神です。
もとは山の神だった貴船は、平安京以来、都の水源に当たるとして水の神としても尊ばれたのです。

丑の刻参り」というのは、この貴船神社の祭神タカオカミノカミが、国土豊潤のため、丑年丑月丑日丑刻に降臨されたと伝える古事によるものです。
また、人々のあらゆる心願成就に霊験あらたかであることを示すもので、単に「呪い」にのみとどまるものではないのですが、やはりそこには、「神的なもの」と「魔的なもの」が同時に存在しているように感じられました。

その暗く陰湿な空気のなかで、わたしは「鉄輪の物語」を思い起こし、早々に奥の宮から貴船神社の本殿に赴いた記憶があります。

あるとき、貴船神社の本殿で祈ったあと、大きな神木(樹齢四百年の桂)の前にたたずんでいると、不思議な現象が起こりました。
足元にポトンポトンと雨のしずくが落ちてくるのです。
思わず空を見上げましたが、快晴で雨を降らす雲もありません。
不思議に思って石段を少し降りたところに移動すると、またそこでもしずくが落ちてくるのです。
他の場所にしずくの形跡はなく、わたしの立っているところだけが濡れて、いくつものしずくの跡が残っていたのです。

それは、その神木から落ちてきているようでした。
そのしずくが「鉄輪の女主人公」や、彼女によって殺された女と同様、実際に人を呪ったり、呪われたりして不幸になっていった多くの女性たちの悲しみの涙だったと知ったのは、それから随分あとになってからでした。

その重苦しい苦悩と悲哀を味わった女たちの心情を、神木が伝えたかったのでしょうか。
つくづくと考えさせられる深いメッセージであったと、今になって思います。


★ 自分を害する者に向けて、愛の波動を送る ★



★もし、「鉄輪の女主人公」さながらに、だれかがあなたに対して強い否定的な波動を送ってきた場合、あるいは実際に言動で害を与えてきた場合、あなたならどうしますか?

★あなたが相手に対して嫌悪や脅威を感じることなく、愛を持って、常に肯定的な波動を送り続けるのであれば、相手の心はいつしか落ち着き、やわらぎ、あなたに対して誤解をしていたことや、悪意をもったことを反省するようになるでしょう。

自分を害する者に向けて、愛の波動を送ることは、とても難しいかもしれません。
けれども「相手のなかに自分を見ること」ができれば、慈悲のエネルギーを送ることはたやすくなります。
そして、これを成し遂げたなら、自分がよりパワフルになったのを感じられるはずです。



鉄輪の女主人公」のような人が幸福になれる方法や、そのキーワードはたくさんあることでしょう。
この物語を読まれた人によっても、感じ方や考え方、対処法は千差万別であるはずです。
いつも述べている通り、真実はその人の意識レベルによって異なるからです。

★わたしが特に大切な要素と考えてお伝えしたのは「」と「赦し」です。
能楽「鉄輪」をひとつの例え話として、七回にわたってお話をしてきましたが、そこでもたらされた気づきを大切にしていただけましたら、幸いです。



ハート
愛されるために愛するのが人間であり、
愛するために愛するのが天使である。

(アルフォンス・ドゥ・ラマルティーンヌ) 

人間のあいだで広がる感情は恐れであり、
天使たちのあいだで広がる感情は神の愛であるといわれます。
人間から天使の感情になりたいものですね。






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